僕の師匠、大熊一夫氏に教わった大切なことの一つに、「わからないことを、『わかったふり』しない」という格言がある。僕自身、小さい頃から「知ったがぶり」をして、それで周囲から尊敬されたい、と高望みするガキだったので、師匠のこの姿勢には、すごくビックリした。知識人自らが「わかりません」と口にして良いのか、と驚いた。でも、大人になればなるほど、その姿勢がどれほど大切であり、かつ実践するのが難しいのか、を痛感するようになった。そんなことを思い出させてくれた本と、先週末出会った。
「私たちが未知を恐れる理由のひとつは、自分自身と向き合わざるを得なくなり、自分の弱さ、不完全さをつきつけられるからだ。」「肩書きや役割は、すっぽり身を包むマントのようなものだ。私たちはその中に隠れて、知らないことによって脆弱になるのを避ける。」「人は、知らないという内面的体験と、有能という印象を維持したい外面的問題とのあいだで、葛藤を感じる。」(
『「無知」の技法 not-knowing』デスーザ&レナー著、日本実業出版社、p108-109)
そう、社会人や職業人として、「肩書きや役割」を持つと、その「すっぽり身を包むマント」に依存する。いや、そのマントと共依存の関係に陥るのかもしれない。その肩書きを護る為に、という名目で、「知らない」という「脆弱」性から逃げようとするし、また「専門家が言うから」とそのマントが「隠れ蓑」の役割を果たしてくれる。そのことにより、「有能という印象を維持したい外面的問題」を護ることが出来、「知らないという内面的問題」から逃げる事が出来る。それは、確かに言われてみれば、「自分自身と向き合」うことからの逃避、つまりは「葛藤」の回避そのものである。
そういえば、東大話法で有名な安冨歩先生は、それを「立場主義」と命名した。「立場を守るためなら、何をしてもよい」という
立場主義のテーゼは、結局「知らないと言う内面的体験」を抑圧し、その葛藤をなかった事にすることによって、「脆弱性」や「不完全さ」を棚上げするのである。だから、「想定外」の事態に直面した時に、全く役立たない思考となる。僕自身は、
以前のブログにも書いたが、タケバタヒロシという実存と、「准教授」という肩書きの間でずいぶんの差異を感じ、苦しんでいたが、でもその「葛藤」を何とか抑圧せずに保ち続け、危機を乗り越えられたのも、思えば師匠の教えに従っていたからかもしれない。
そして、この『「無知」の技法』は、「わからない」「知らない」ことを、ポジティブな可能性に置き換える点が、非常に魅力的である。
「『知らない』を『ない』でとらえるのをやめ、そこには機会と可能性が『ある』ととらえなければならない。」(p134)
こないだから書いている
オープン・ダイアローグの話を聞いた時にも、この視点の転換が必要不可欠だと感じた。例えばクライシスの状態にある人と出会うとき、多くの専門家は、「この人はどのような症状であり、診断名は何だろう?」と「見立て」ながら聞くという。でも、ケロプダス病院の看護師や臨床心理士は、口を揃えて、「ただ聞く」ことの重要性を指摘する。こちらが診断名やカテゴリーわけをしたい、という「予断」を持って聞くと、患者さんの生きる苦悩の最大化の危機、という問題の本質を見失い、大切な事を聞き逃す、というのだ。
とはいえ、多くの専門家にとって、診断名という見立てを適用せずに、「ただ聞く」ことは、専門性の否定であり、不安に思うかも知れない。でも、それはこの本が言うように、専門性の否定ではないのだ。専門性を脇に置くことで、「知らない」「わからない」という事実と向き合うことで、「そこには機会と可能性が『ある』」のである。これは一体どういうことか。
「不可知の道とは、単なる『ものを知らぬ無知』とは異なる。(略)『知ある無知(learned ignorance)』『愚者の知恵(foolish wisdom)』という意味だ」(p 152)
「知ある無知(learned ignorance)」というフレーズに出会って、なるほど、と思わず膝を打つ。師匠は、確かに単なる「ものを知らぬ無知」ではない。いろいろな事をジャーナリストとして知っている。でも、初めて出会った内容について、安易にわかったフリをせず、自分の知っていること・わかっていること、と対比させながら、その新しい内容について、色々考えながら、一体それがどういうことなのか、を自分自身に照らして考え続けているようだ。その中で、「知らない」「わからない」部分と、これまでの経験や知識と共通する「知っている」「わかっている」部分を腑分けする。その上で、「知らない」「わからない」部分を、そのものとして受け止めて、自分の新たな検討課題として受け取っているのだと感じる。それが、「そこには機会と可能性が『ある』」の意味することなのかもしれない。
オープンな対話、とは、実は「知ある無知」に開かれた対話、と言い換えてもよいのかもしれない。それは、専門性の否定ではないし、反精神医学とも全く違う。そうではなくて、専門家が、ある特定の対象者(や家族)の、一回きりであり非常に個別性の高い「生きる苦悩の最大化の危機」に接した時に、「知らないという内面的体験と、有能という印象を維持したい外面的問題とのあいだで、葛藤を感じる」ことを、否定しない、ということである。むしろ、その「葛藤」にオープンになることによって、「有能という印象」の枠から飛び越えることが出来る。これは、僕が
「枠組み外しの旅」の中で、「エクリチュール」という「箱の外に出る勇気」として整理した部分でもある。
専門性が「既知」への固着へと結びつくことがある。その「既知」への固着を超えて、未知の、一回性の新たなにかに対して、文字通りオープンマインドで、「知ある無知」の状態で、「知らない怖さ」を素直に認めながら、その新たな世界に飛び込んでみる。これが、固着を超えた、未分化なsomething new & interestへの向き合い方として大切なのである。
この部分について、イギリスの精神分析医のビオンを引き合いにだしなが
ら、こんなことを著者達は述べている。
「ビオンは、人には『複眼の視点』が必要であると語っている。知っていることと、知らないことに、同時に焦点を置くのだ。」(p190)
シンプルだけど、名言である。
専門家になればなるほど、いやこれは年齢を重ねれば重ねるほど、といった方がよいのかもしれないが、「知っていること」「経験していること」の手垢がいっぱいついて行く。すると、新しい一回性の出会いに関しても、「知っていること」「経験していること」という「既知」の枠組みに当てはめ、ものをみようとする。その方が、思考が節約できるし、判断が速くなる。だが、そうすることによって、単眼思考に陥るのだ。それは、「知らないこと」がもたらす、新たな「機会と可能性」を見落としてしまう、ということである。ここを見落とせば、いつの間にか、「知ある無知」から「もの知らぬ無知」に堕落・劣化してしまう可能性もあるのだ。
「知らない」「わからない」ということは、肩書きや立場の「マント」でかくしている限り、「脆弱性」である。それは、自分自身の「知らない」「わからない」という葛藤の表現を抑圧しているがゆえの、脆弱性である。だが、その「葛藤」をそのものとして引き受け、「知ある無知」のまま、自分自身の目の前で展開されている「知らない」「わからない」世界を、共に探求することができれば、それは葛藤を引き受け、「ない」を「ある」に変える旅に船を一歩漕ぎ出すことにもつながる。そこからしか、「不可知の道」を歩み始めることは出来ない。それが、オープンマインドにつながり、その姿勢がないと、オープンダイアローグは始まらないのではないか、とさえ、思う。
そういえば、この本は、U理論のオットー・シャーマーも推薦しているが、U理論の中でも、「盲点」への気づきが創発につながる、と書かれていた(
U理論と盲点については、以前論文を書いたこともある)。その「盲点」=「知らないこと」を「知らない」ものとして素直に認め、その事実を知ることって、葛藤を引き受けるだけでなく、ソクラテスの言う「無知の知」そのものであり、これは知的な営みのαでありΩなのである。
そんな原点回帰の「きほんのき」、を改めて教えてくれる、大切な一冊だった。
追記:不勉強な僕は、この本で初めてビオンさんと出会った。何冊か面白そうな訳本も出てみるので、これも読んでみようと思う。そういう意味では、成果がすごくたくさんありました。