2014年の三題噺

師走がガチガチにタイトなスケジュールで、ようやっとアップが出来る。気付けば、今年たぶん最後のエントリー。まだ年賀状も書いていないのだが、年賀状に書く文面も思い浮かばないほど走り抜けてきたので、ここいらで頭の整理をかねて、今年一年を三題噺風に振り返っておくことにしよう。

①インプットの時期、と位置づけてみたが・・・
一昨年に『枠組み外しの旅』、去年に『権利擁護が支援を変える』と二冊の単著を出した。前者は博論の内容を、後者は20代から暖めてきた権利擁護ネタをガッツリとアウトプットしたので、さすがに、ストックはある程度総ざらえした感じがある。なので、今年はあちこちに出かけて、いろいろな新しい出逢いやつながりを見つけにいこう、と思った。その狙い自体は、間違いではなかった。ただ、ちょっと出過ぎた。
正月明けから出張が多く、3月には岡山と東北にツアーに出かけ、改めて地域づくりへのコミットの面白さを感じ始めた。そして、4月以後は、某自治体の地域福祉計画関連のワークショップに関わりながら、6月は学会発表を国内で二つ、7月には韓国で一つこなし、それと平行しながら、山梨で実践してきた地域包括ケアのコンセプトをお伝えする講演も、お声がかかれば引き受けてきた。その合間に、大阪方面の出張もなんやかやと続き、気付けば泊まりがけの出張が重なる日々。風邪を引いたり、身体がクタクタになることもしばしばで、合気道にも山登りにも、全然行けない日々。「何のためにそんなに予定を詰め込んでいるのですか?」とパートナーに冷ややかに問われ、己のスケジュール管理のなっていなさにやっと気付く始末。阿呆の限りです。
グーグルカレンダーにスケジュールを書き入れるとき、移動の時間およびその負担については、これまで意識することはなかった。知り合いに、平然と全国をノマド的に(鉄道オタク的に?)動き回る猛者もいるが、30代も終わりの年齢になると、片道5時間とかの移動がしんどくなってくる。翌日や翌週に、出張のつけが回ってくる。今年は鍼や整体にもお世話になり始めたが、施術するたびに、ガチガチになる身体をほぐしてもらう有様。身体が資本のこの商売では、ちょっとマッチポンプ的な展開になってきた。ある程度関わり続ける現場を絞り、それ以外の新規の(一回限りの)仕事を減らさないと(=断る勇気をもたないと)、身が持たない。様々な現場を訪問させて頂き、その現場のリアリティを伺うことには価値があるけれど、僕自身のモチベーションを崩す位の忙しさになると、本末転倒になる。それと、ガッツリ本を読むというインプットが何より出来ていない。これが最も大きな問題であり、来年、なるべく出張予定を減らして、本気で確保しなければならない部分だと思う。
②領域越境性が強まる
専門を聞かれても、もともと「まだありません」と答える時もあるように、これだと言えるものがない。一応公の場で紹介される時は、障害者政策とか、権利擁護とか、地域福祉とか福祉社会学とか、それっぽい専門を言っているけど、どれもドップリの専門、とは言えない。講演で依頼される内容も、国の委員をしていた時は「障がい者制度改革の行方」がほとんどだったけれど、その委員も終わって、バックラッシュ的に!?障害者関連の講演はパタリと途絶える。その一方、去年の秋に社会福祉士会で地域包括ケアの講演をさせて頂いて以来、「私から始まる地域包括ケア」というタイトルで全国にお邪魔することが多くなった。山梨の実践で培ってきた、「自分事としての地域作りへのコミット」の内容が、全国的に求められているのだ。
でも、これは少し前でもツイッターで連ツイしていたが、決して障害者福祉や権利擁護の内容から離れた訳ではない。むしろ、高齢者福祉分野にここ3,4年、コミットの度合いを深める中で、「困難事例」といわれる領域を紐解いてみると、「認知症の疑いがある母の支援でケアマネが関わり始めたら、娘は統合失調症でシングルマザー、孫は発達障害の疑いがある」といった、家族内での様々な関わりや支援が求められる家族が少なくない。そして、そういう家族をケアマネさんは支援することに慣れていない場合、「困難事例」とラベルが貼られ、地域包括支援センターに丸投げになる。でも、地域包括支援センターだって、虐待対等に介護予防事業、地域作りに困難事例対応もやっていたら、パンク寸前になり、事後対応に終始する。成年後見制度=権利擁護という矮小化された図式ではどうしようもない権利擁護課題が山積されている・・・。このような悪循環なのだ。
そして、このような悪循環を好循環に変えるためには、「ないものねだり」の欠損モデルではなく、本人や家族のストレングスを「あるもの探し」で探り出し、それを強化していく生活モデルや社会モデル的な発想が必要不可欠になる。これは、専門職主導から当事者主体への転換と共に、障害者福祉の領域ではやっと当たり前に語られるようになってきたが、認知症支援や高齢者福祉では、まだまだ専門職や家族主導が大きくて、当事者主導にすら至っていないケースが少なくない。問題があれば包括に投げるか、入院・入所させて支援終結、なんて考え方も未だにみられる。こういう発送の中で、悪循環が増幅するのだ。であれば、障害者の地域生活支援の考え方は、高齢者福祉にも当たり前のように越境させ、使えるのではないか。そういうつもりで、地域福祉に関わってきた。
すると、行政も、学者も、セクショナリズムが強く、高齢者と障害者、地域福祉と越境的に関わる発想がなかなかない。ゆえに、僕のような「すきま産業」の人間にも、越境的な地域作りのお手伝いの声がかかる。実際、山梨県内の某自治体でアドバイザーをさせているのだが、権利擁護や事前予防を中心にした、地域福祉計画と障害福祉計画、介護予防計画の連動のパズルのピースが、少しずつはまりはじめている。こういう領域越境的な仕事に関わらせてもらえるのは、大変だけれど、めちゃくちゃ面白い。そうそう、少しフライング的な予告ですが、三月末あたりに山梨の実践は『自分たちで創り上げる地域包括ケアシステム』というタイトルでミネルヴァから編著が出そうです。これも、チーム山梨の皆さんと練り上げてきたもののアウトプットだが、こういう領域越境的な仕事が出てきて、僕の中でワクワク感が広まっている。
③福祉研究者の枠組み自体
も超えられるか
実はそういう取り組みをする中で、僕自身が今問われているのは、自分の専門用語や「自分の土俵」ではなく、「相手の土俵」で戦えるか、という問いかもしれない。例えば、コミュニティビジネスや中心市街地活性化の取り組みをしている人々にとっても、少子高齢化という同じ問題と向き合っているのに、「福祉は関係ない」とそっぽ向かれている。これは、福祉現場の人間が、街づくり系の人々が納得できる・グッとくる何かが話せていない証拠でもある。その際、相手を「わからずや」となじるのではなく、相手の内在的論理を理解し、相手の納得できる・腑に落ちる言語で地域福祉を伝えられるか、という問題認識を抱え始めている。あるいは、福祉にそんなに関心や知識もない地域住民のみなさんに、「自分事としての地域福祉」を考えてもらえるか、という課題もある。それに関しても、少しずつ、種まきをし始めている。
今年最後の出張だった、岩手県の釜石市と大槌町でチャレンジしてみたのは、地域住民の皆さんと考えあう「自分事としての地域福祉」のワークショップだった。それも、「お上への要求反対陳情」スタイルのものではなく、「官民が一緒になって考え合い、連携提案する」やり方への転換も兼ねたワークショップである。やる前は僕も行政の担当者も冷や冷や関わってみたが、蓋をあけてみれば、力を持ち、「自分事」として考えている地域住民の方々の声に助けられ、少しは皆さんの腑に落ちる何かが生まれたのではないか、と思う。僕が1時間半、自分のパワーポイントを使い、自家薬籠中のものにしたネタを一方的に展開するのではない。住民さんたちに考え合って頂き、その声を拾い、その声に基づきながら、現場で必要とされる叡智を探り合うワークショップ。これは、僕自身の器や人間性も鋭く問われる、楽ではない仕事である。でも、そっちの方が、遙かに実りが多い。
実は、大学の講義ではもう何年も前から、学生たちと考え合う形の授業スタイルを模索していた。近年になって、そういうスタイルは「アクティブ・ラーニング」という名前だと、後で気付いた次第である。名前はどうであれ、一方的に話を黙って聞く、のではなく、「聞く→考える→対話する→振り返る」のプロセスを繰り返す中で、地域福祉の課題を自分事にしてもらうプロセスに入ってもらう、という手法である。これは、専門職と住民、地域福祉と街づくり、という、領域や壁を越えるためにも必要な対話的なアプローチ(注)だと思う。僕自身が、その場を信じて、その場全体の変容を応援する形でファシリテーと出来るか、も問われている。でも、もっと大切なのは、そこに来る人々の力を信じ、参加者の「あるモノ探し」をする中で、現場から立ちあがる叡智を、よりよい何かにアクセスさせる編集役が僕にも求められていると感じるし、実際、そういう実験を研修や講演という場を借りて、この一年、し続けてきた。
こう書いていたら、その昔、社会学の大家の先生に、「タケバタ、研究者は落語家ではないぞ!」と強く諭されたことを思い出す。落語家は、同じネタのバージョンを変えながら、目の前のお客さんと同期させていくなかで、その芸を磨きあげていく。だが、研究者がそれをしたら失格だ、と。常に新しいネタを入れながら、something new & interestを追求し続けよ、と言われ、それを何とか遵守しようともがいてきた。

だが、それは領域「内」で深化するためには必要不可欠だが、領域越境的には、それでは足りないことも見えてきた。つまり、同じ研究者仲間という「内輪」向けなら、そのアプローチでもよい。でも、現場の実践者や、地元の様々な住民向けという研究者コミュニティの外に向かうならば、新ネタを仕込むだけでなく、もっと根源的に問われていることがある。それが、対話的なアプローチなのである。こちらの知識を一時間半で波状爆弾のようにしゃべり倒すのではなく、相手がその知識を自分事として受け止め、腑に落ち、その知識を元に自らの行動変容に結びつける支援、それが狭い意味での福祉研究者の枠組みを超える時に、求められるのである。

これに最初から気付いていた訳では、もちろん、ない。今年は研修や講演が多かったけれど、途中から自分だけがしゃべる事に、強い不全感を抱いていた。それは、新ネタに入れ替えていっても、本質的に変わらなかった。そんな折り、以前のブログにも書いたけれど、「手綱を緩め、場に任せる」と、場が劇的に変化し始めた。明らかに以前より反応が良くなり、講演や研修後の手応えが強くなった。変なたとえだが、「僕の話を減らせば減らすほど、皆さんの満足度が深まった」感じである。それが、僕の狭い福祉研究者役割の枠組みを超えるきっかけになりはじめた。

そういえば、先月に開かれた県内の専門職相手の勉強会で、このアプローチを使ってみたら、終了後の懇親会で、某お姉様に「タケバタ君も、成長したね♪」とお褒めの言葉を頂いた。曰く、「以前は早口でまくし立てて、自分の賢さをひけらかしているようにしか思えなかったけど、今日のやり方は、相手の行動変容を導くやり方で、相手に合わせたやり方で、すごく良かった」とのこと。僕自身は以前は単に必死だっただけなのだが、見る人が見ればそう映っていたのだ、と強烈に気付かされた瞬間だった。
ちなみに、この相手を見なければならない、というのは、合気道の基本でもある。今年はあまり練習できなかったけど、有段者になり、少しは技が身体に馴染んできたのか、最近技をかけている時も、相手の事を見ることが出来るようになってきた。すると、相手のかかわり方に合わせて、自らの関わりを変えることが、少しずつだけど、出来るようになってきた。それと共に、無駄に力を入れることなく技を繰り出すことで、より相手の力を活かしながら、自らの技へと誘うことの大切さがわかるようになってきた。
実は、領域越境性とか、福祉研究者の枠組みを超える、ということで求められていることも、僕自身の構えの問題なのかもしれない。自分で勝手に範囲や領域、枠組みを作らず、現場の内在的論理に耳を傾け、じっくりと全体像を見て・把握して、現場の人のエネルギーをうまく活かしながら、その澱みや詰まりを取り除き、再活性化させる支援をすることが、「すきま産業」としての僕に「出来ること」であり、「世間から求めら
れていること」だし、それが「したいこと」にもつながる
のかな、と思い始めている。
・・・というわけで、馬車馬のように働き、もがいてきましたが、こうやって改めてまとめてみると、自分のこれからやりたい方向性が、少しずつ整理されてきたような気がする。実は、近未来に、次の単著を出したい種が出てきて、それも少しずつ発芽させつつある。来年、時間を確保して、その執筆にもエネルギーを注ぎたいから、もう少しスケジュール管理もちゃんとしないとね、という教訓も、書きながら強く自覚化した、つもりだ。
みなさま、良いお年をお迎え下さい。
竹端寛拝
注・・・対話的アプローチのリンクを張ったブログは、ある研究会で、参加した一般市民から出された「一見すると突拍子もない質問」に端を発している。このときは、僕自身の器が小さくて、その「突拍子もない(ように見える)」意見に相手の納得のいくコメントも出来ず、「ご意見は承りました」で終わってしまい、対話になっていなかった。でも、この暮れにユング関連の本を何冊か読み直す中で、それは場全体を支配する集合的無意識に関わる問いではないか、と思い始めている。僕が研究者的論理整合性を大切にするならば、その「突拍子もない」意見を、論理的に反駁しておしまい、とすることも可能だ。あるいは、相手は僕の話を全く聞かずに単に自己主著をしたいだけ、と決めつけることも出来る。でも、その場でわざわざ自己主張という形で出される何かも、講演なり研修なりという場全体から生起したもの。そうであるならば、その発言に何らかの集合的無意識が投影されていないか、と考えてみるのも、面白い。これは、今後の僕自身の探求課題ということで、付記しておく。