『チッソは私であった』と向き合って

福祉社会学の講義で、緒方正人さんを取り上げたハートネットTVの映像を元に学生達と議論する。今年の授業は『なぜ人と人は支え合うのか』および拙著『枠組み外しの旅』をテキストに、相模原事件や優生思想など障害者福祉を中心に議論をしてきた。だから、水俣病問題とは、直接関係はない。また、僕の授業で、水俣病問題を取り上げたことは、一度も、ない。

でも、昨年末文庫本として復刊された『チッソは私であった』(緒方正人著、河出文庫)を読んで、強烈に魂が揺さぶられた。彼が狂った描写を読んで、決して他人事に思えなかったからだ。そして、これは深い意味で、僕が追いかけて来たテーマと共通している、と感じていたからである。

「『チッソってどなたさんですか』と尋ねても、決して『私がチッソ』ですという人はいないし、国を訪ねていっても『私が国です』という人はいないわけです。そこに県知事や大臣や組織はあっても、その中心が見えない。そして水俣病の問題が、認定や補償に焦点が当てられて、それで終わらされていくような気がしていました。(略)要するに構造的な水俣病事件と言われる責任というのが、結局はシステムの責任ですね。システムの責任が今まで言われていたのです。人間の責任という一番大事なものが抜け落ちている。平たく言えば、この世の中では、責任というのが、制度化されてしまう。医療制度の問題や、お金を払えばいいんでしょということになってしまう。」(p44-45)

僕自身は、例えば脱施設・脱精神病院の問題も、国がシステムとして対応すべきだ、と考えてきた。ハンセン病の国家賠償訴訟のことや、旧優生保護法での強制不妊手術の問題についても、国家が謝罪し、法的に対応するよう、市民運動のうねりが圧力をかけてきた訳であって、同じようなことが必要だと思っている。

だが、水俣病訴訟の原告団のリーダーとして、自分の父親が殺された敵討ちをしようと遮二無二頑張ってきた緒方さんは、制度的保障が不十分な形でも実現していくプロセスを見ながら、これはおかしい、と直感する。誰の責任か、を会社や国に問うても、そこで引き受ける人間が見当たらない。結局のところ、国や会社というシステムを回す個人は、人事異動でたまたまそのポジションについただけ、というスタンスを崩さず、その人々が全人格を賭けて責任をとろうとしないし、それも求められてない。すると、「人間の責任」が有限化され、限定されることにより、「この世の中では、責任というのが、制度化されてしまう。医療制度の問題や、お金を払えばいいんでしょということになってしまう」のを知る。

これでは、誰に敵討ちしてよいのか、わからなくなってしまう。さらに緒方さんは、チッソや国の責任が有限である、という論理を広げていく内に、被害者である自らへの責任問題も考え始める。

「私自身も今では車も運転し、船も木造からFRP(強化プラスティック)になって、情報を新聞やテレビから得、電化製品の中にあるわけです。確かに私自身が水銀を流したという覚えはないですけれども、時代そのものがチッソ化してきたのではないかという意味で、私も当事者の一人になっていると思います。しくみ全体が、そういうふうに動いてきているということがあると思います。かつては、チッソへの恨みというものが、人への恨みになっていた。チッソの方は全部悪者になっていて、どっか自分は別枠のところに置いていた。しかし、私自身が大きく逆転したきっかけは、自分自身をチッソの中に置いた時に逆転することになったわけです。水俣病の認定や補償や、医療のしくみを作ることではすまない責任の行方が、自分に問われていることにを強く感じていました。」(p73)

今日の授業では熊本出身の学生がいたので、水俣のことを教わったら、「魚がめちゃくちゃ美味しくて、ミカンが特産品で、鹿児島との県境に近いところ」といっていた。そんな風光明媚な場所だったが、工場誘致の結果、チッソが工場を作り、そこで地元の人々(農家や漁師の家の長男以外)の雇用が生まれた。そして、アンモニアやプラスティック素材の原料(オタノール)を作ることで、現代人の生活と強く結びついている産業であり、工場である。つまり、チッソを誘致し、チッソが作り出す化学製品を求めたのも、便利で快適な生活をしたいと望んだすべての近代人であり、「時代そのものがチッソ化してきたのではないかという意味で、私も当事者の一人になっている」と緒方さんは気づいてしまったのだ。

「問題の一部は自分自身である」

これを、ご自身も水俣病の後遺症に苦しみ、父親を急性水俣病で亡くした緒方さんが認めるのは、身をひき裂く苦痛であると思う。「チッソの方は全部悪者になっていて、どっか自分は別枠のところに置いていた。しかし、私自身が大きく逆転したきっかけは、自分自身をチッソの中に置いた時に逆転することになったわけです」と語るが、それは緒方さんにとっては、文字通り天地がひっくり返るような経験であった。

「私自身、その問いに打ちのめされて85年に狂ったのである。それは、『責任主体としての人間が、チッソにも政治、行政、社会のどこにもない』ということであった。そこにあったのは、システムとしてのチッソ、政治行政、社会にすぎなかった。それは更に転じて、『私という存在の理由、絶対的根拠のなさ』を暴露したのである。立場を入れ替えてみれば、私もまた欲望の価値構造の中で同じことをしたのではないか、というかつてない逆転の戦慄に、私は奈落の底に突き落とされるような衝撃を覚え狂った。一体この自分とは何者か。どこから来て、どこへゆくのか、である。それまでの、加害者たちの責任を問う水俣病から自らの『人間の責任』が問われる水俣病へのどんでん返しが起きた。そのとき初めて、『私もまたもう一人のチッソであった』ことを自らに認めたのである。それは同時に、水俣病の怨念から解き放たれた瞬間でもあった。」(p10-11)

被害者としての自分、加害者としてのチッソと国。これは絶対的な事実である。だが、緒方さんは被害者である自分も、「立場を入れ替えてみれば、私もまた欲望の価値構造の中で同じことをしたのではないか」と気づいてしまった。彼はそこでテレビを庭で壊し、車をぶつけた、という。つまり、自分が「欲望の価値構造」を持っていながら、「加害者たちの責任を問う」ことの矛盾や限界に気づいてしまい、それで狂ったのだ。でもそれは、僕たちが直視せずに「そういうものだ」「仕方ない」と諦めて蓋をした、パンドラの箱を緒方さんは開けたのだと思う。だからこそ、常識の箍が外れてしまうことで、狂ったのだが、それはまともな狂いというか、むしろ「私という存在の理由、絶対的根拠のなさ」の深淵に立ち向かう勇気を、緒方さんは持っていたのだと思う。ゆえに、かれは『私もまたもう一人のチッソであった』と認めることによって、被害・加害の二項対立軸の膠着状態としての「怨念」から解き放たれたのかも知れない。

これを、なぜ福祉社会学の授業で取り上げたのか。

例えば相模原事件の植松死刑囚に対して、「私もまたもう一人の植松死刑囚であったかもしれない」と思い始めている自分がいる。それは、この10年ほど、新自由主義がもたらす構造的剥奪について色々本を読み進めたり、議論を深める中で、結局のところ、能力主義が優生保護思想と強く結びついた時、「役に立たない障害者など、いなくなってしまえ」という極端な思考が生まれうる、という可能性に気づいてしまった。

もちろん僕はそうは思っていない。でも、役立つ・役立たないという能力主義は深く内面化してきたし、それで一定程度、勝ち残ってきた、と思い込んできた。そして、それこそが「立場を入れ替えてみれば、私もまた欲望の価値構造の中で同じことをしたのではないか」という緒方さんの問いに直結するのである。

また、精神病院が日本でいまだに「必要悪」と言われ、未だに30万人近くの人が幽閉されている現実の背景には、精神病院を必要としているこの社会構造を問うことなく、「加害者たちの責任を問う」アプローチでは限界を感じているからである。この日本社会で、未だに精神病院を求め続けている現状について、「自らの『人間の責任』が問われる」ような気がしているのだ。つまり、システムの問題を追及するにしても、その改善を求めるにしても、結局のところ、システムの漸進的改善=消極的なシステムの維持、を求めようとしていて、そのシステムのもつ構造的な膿のようなものと向き合おうとしていないのではないか。問題を寸止めで解決したふりをして、賠償や補償などの「お金」で解決したフリをして、結果的には精神障害を他人事と感じているこの社会の有り様までは問い直していないのではないか、と思い始めたのだ。

そう考えたら、拙著で取り上げたバザーリアもニィリエもフレイレも、自らの『人間の責任』をとろうともがいていた、とも言えるかも知れない。システムの問題点を糾弾や指摘するだけでなく、人間として自分はどのような責任をとりうるのか、を必死になって模索してきたようにも思える。それが、僕自身が拙著のタイトルにも込めた「枠組み外し」であり「当たり前をひっくり返す」の意味なのではないか、とも思い始めている。

そして、「人間としての責任」を考えたときに、僕自身がずっと気になっているのは、福島の原発問題である。このことは、又改めて、論じたい。

超アヤシくて実用的な本

「人生は悪循環か好循環のどちらかだ。悪循環に襲われている人は、感謝が足りない。日々、「ありがとうございます」と感謝の言葉を述べるだけで、悪循環は好循環に変わり、家族関係の不全も見事に改善される。ついでに言えば、先祖供養も感謝の気持ちでやれば、守護霊が護ってくれる・・・」

一見すると、非科学的で非論理的で、スピリチュアル系満載のアヤシいフレーズに思える。その一方で、どこか真実味もありそうな気がする。とはいえ、こんな簡単に複雑で困難な問題は解決するはずがない・・・。

そんな想いに駆られるかも、しれない。

でも、これは心理療法の一つ、家族療法のマスターセラピストで、数々のクライアント家族の不全を劇的に改善してきたマスターセラピスト、東豊さんのメッセージだとしたら、認識は変わらないだろうか。事実、上記に書いていることは、東さんの新著『超かんたん 自分でできる人生の流れを変えるちょっと不思議なサイコセラピー P循環の理論と方法』(遠見書房)の概要だったりする。そして、一読して、科学的かどうかはさておいて、これは非常に実用的な役立つ一冊だと感じた。

東さんはP循環とN循環という二つを、家族関係の主軸におく。PositiveとNegativeの略称である。「N循環の家族関係はN循環の心身を作り、P循環の家族関係はP循環の心身を作ります」(p20)という。実際、東さんが出会うクライアント達は、みなこのN循環に家族関係や心身が陥っていて、夫婦の不仲や子どもの不登校、DVなど様々な「困難」や「問題」に陥っている。そして、N循環を相手のなかにみつけ、相手のせいにして、さらにN循環を強化している。それを受けた側もさらに相手のせいにして、N循環を強化し・・・。

このようなN循環を変えるために、東さんはシンプルで驚きの誘いをする。

「まずはあなたからP気を放つのですよ。それを誘い水として周辺のP気をおびき寄せるわけです。」(p34)
「最初のうちは、本心か否かに一切こだわることなく、形だけでも感謝の言葉を言うのです。」「これを感謝行(感謝の実践)」と呼びます。」(p35)

うーん、充分にアヤシいメッセージ。公認心理師より新興宗教家とかスピリチュアル系YouTuberとか祈祷師のほうが絶対に向いていそうな(儲かりそうな!?)メッセージ。そう思う一方で、10年前に東豊さんの名著『セラピスト入門』と出会って、システムズアプローチの魅力にはまり、東さんの本を含めて家族療法の本を読み続け、オープンダイアローグを学んできたので、この東さんのフレーズは、臨床的裏付けがしっかりした、説得力ある言葉だと感じる。

さらにこの本には先祖供養や守護霊の話など、一般的な「科学的」で「実証的」な「大学教授」の書く本には出てこない「課題」が出てくる。だが、おそらく東さんの臨床現場では、そのような「先祖のたたり」とか「守護霊に護ってもらえない」などの「主訴」を抱えてくるクライアントが沢山いるのだと思う。すると、それを非科学的だ、非論理的だ、と断罪したところで、そのような「主訴」で困っているクライアントの悩みを解消することは出来ない。

そのため、マスターセラピストは、使える物は何でも使う。神社で柏手を打つ、お神礼を家に飾って祈る、「ご先祖の皆様、ありがとうございます」と唱える・・・といったことも、使える対処法であれば、何でも活用しようとする。どれも、神や仏を信じろ、という宗教に引き寄せて述べているのではない。すべては、P循環を自分自身や家族関係のなかに生み出した上で、本人や家族が囚われているN循環の魔の手から解放されるために、徹底的に使える物は使い倒せ、と主張しているのである。しかも、N循環の呪縛力は強いので、「N循環からの脱出」よりも「P循環の形成」こそ先に目指すべきである、とも主張している(p123)。そういう意味で、徹底的にプラグマティックな本なのだ。

N循環は、社会学のいう「予言の自己成就」にも近いかも知れない。「どうせできるはずもない」「やっぱり無理に決まっている」、そう思って課題に取り組むと、必ず失敗する。それは自分自身にかけている呪いの言葉、つまりは自己呪縛に縛られているからである。

マスターセラピストの東さんは、この「予言の自己成就」を解くための方法論を徹底的に探ってきた。「どうせ」「しゃあない」「やっぱり」というN循環にはまっている人に、そのN循環の構造を説明したところで、その循環から出ることは出来ない。そこで「ありがとうございます」という感謝行を編み出した。「ありがとう」と毎日唱えることで、心の中にその時だけでもP循環を生み出す。それは、N循環に陥っている本人や家族にとっては、違う循環の芽生えである。悪口や他者批判、自己嫌悪に陥っていては、いつまでもN循環の沼から出られない。だからこそ、マスターセラピストはこう宣言する。

「『P循環の形成』が人生の主題であると自覚し、P気を大切にする生き方を選択する。これが真の問題解決につながります。」(p127)

ほんと、その通りだと思う。僕もこのマスターセラピストの教えに従い、P循環の形成を生きる指針にしようと思う。東さん、良い本を書いてくださって、ありがとうございます!

内在的論理を掴む極意

社会学の師である厚東洋輔先生の大著を、東大出版会の雑誌UP2月号に書評させて頂いた。

書評はしっかり読み込む必要があるし、ましてや自分の恩師の集大成のような大著を、まさか僕が書評することになるとは思っていなかったので、めちゃくちゃ時間をかけたし、ドキドキしながら、以下のような原稿を書き上げた。出版社からブログへの転載は良いと言われたので、元々のワード原稿を貼り付けておきます。折に触れて読み返したい大著です。

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厚東洋輔氏の『<社会的なもの>の歴史—社会学の興亡1848−2000』は700ページ近くをかけて繰り広げられる、壮大な社会学理論を巡る物語である。それを、理論・学説史を専門にしていないフィールドワーカーであり、福祉社会学と社会福祉学の境界領域をさまよっている私が取り上げるのは、正直言っておこがましい。さらに言えば、四半世紀前に卒論指導をして頂いた「先生」の本を、このように取り上げるのは、かなりハードルが高い。だが、授けて頂いた学恩を文章で返礼するチャンスゆえ、忖度せずに書かせて頂くこととする。

文献フィールドワーカー

この本を読み通して気づいたことは、厚東氏は、文献フィールドワーカーであった、という驚くべき発見(仮説)である。あるいは、アームチェアフィールドワーカー、と言ってもよいだろう。通常、アームチェア社会学者と言えば、家から一歩も出ずに、古今東西の文献を渉猟して、博覧強記の学者、というイメージである。情報処理能力や英独仏の原著読解力が極めて高く、様々な理論や学説を縦横無尽に結びつけていきながら、快刀乱麻に理論的課題を分析整理し尽くしていく、そんな姿が思い浮かぶ。

確かに、この著作の中では、上記のようなアームチェア社会学者の実力が、遺憾なく発揮されている。だが他の理論社会学や学説史の本と圧倒的に異なるユニークさが、本書には貫かれている。そのヒントは、あとがきに記載されていた院生指導の記述に垣間見えている。

「どうしたら<theoryに関する知識>を<theorizingする力>へと変換することが可能になるのか、自分なりの試行錯誤の結果到り着いたゼミ方式が、<原書を一行一行丁寧に読解する>という実にシンプルなやり方である。原文を一行一行辿り直す作業を繰り返すことによって、原著者の思考過程を追思惟することが、すなわち理論の組み立て過程を追体験することがようやく可能となるのである。「理論」の理解で大切なのは、推論結果を要領よく把握することではなく、原著者と同じような推論過程を自分でも確実にできるようになることである。本書では、学史上重要な業績が取り扱われる場合、結論の手際よい要約よりは、結論の引き出される推論過程を一歩一歩再構成することにエネルギーが注がれている。」(p678-679)

「推論結果を要領よく把握」したうえで、「結論の手際よい要約」がなされている本を読むと、切れ味の良さに圧倒される。だが、厚東氏はそのような<theoryに関する知識>の整理では満足せず、<theorizingする力>へと変換することに、重きを置いている。この本でも、社会学の巨人達が生み出した著作に関して、「結論の引き出される推論過程を一歩一歩再構成することにエネルギーが注がれている」のである。それが、圧倒的に類書と異なっている。そして、時には再構成の過程の中で、「この著者の推論過程を辿るなら、本来の組み立てはこのようになるはずだ」という大胆な読み替えまでしていく。このあたりは、情報処理能力の高さだけでは歯が立たない領域である。そして、この記述には、十分に思い当たる節がある。

今から20年以上前、全く勉強しないまま臨んだ秋の大学院入試の際、英語の試験で不合格の憂き目にあった私は、卒論の指導教官だった厚東氏に泣きついた。氏は本書第9章に出てくるウィリアム・ベヴァリジのVoluntary Actionをテキストに、<原書を一行一行丁寧に読解する>指導をしてくださった。当時の私は非常に雑な読み方しか出来ていなかったのだが、厚東氏は一行一行、どころか、一つの単語を前後の文脈に合わせてどう訳すか、という部分まで、厳密に訳し直すように指導された。「結論の手際よい要約」が出来ればそれで良い、と思いながら、それすら出来ていなかった当時の私にとって、ここまで綿密に精読するのか、と驚きながら、氏の手ほどきを受ける中で、気がつけば原文の論理を辿る面白さと、少しずつ出会い始めていた。

ではなぜ「原著者の思考過程を追思惟すること」が、文献フィールドワークといえるのか? それは、私自身のその後のプロセスと関わりがある。

対象にギリギリと迫ること

私は、大学院では厚東洋輔氏ではなく、大熊一夫氏に弟子入りした。1970年に酔っ払ったふりをして精神病院に潜入し、その劣悪な実態を朝日新聞夕刊に「ルポ・精神病棟」として連載し、以後半世紀、精神病院の構造的問題を追い続けてきた福祉ジャーナリストの第一人者である。大学行政人としても優れた采配を振るった厚東氏が中心となって大阪大学人間科学部に新設されたボランティア人間科学講座の初代教授として着任し、国立大学初のソーシャルサービス論を掲げた研究室を主催したのが、大熊氏だった。私はその講座の大学院一期生であった。

アームチェア社会学者の厚東氏と、ルポルタージュを専門とする大熊氏は、一見すると水と油のように思える。だが、二人には大きな共通点が存在する。それが、対象への迫り方、である。

大熊氏が口酸っぱく言っていたことは、「本を読んでわかった気になるな」「対象にギリギリ迫れ」「足で稼げ」であった。徹底した取材で閉鎖的な精神医療の闇に迫っていく大熊氏ならではのアプローチである。師匠に連れられて精神病院でのフィールドワークを始めた私は、ソーシャルワーカーの仕事にくっついて回り、ワーカー固有の論理を理解しようと心がけた。博士論文では、京都府内の117人の精神科ソーシャルワーカーにインタビュー調査をして、その内在的論理を掴もうとした。

その当時は、フィールドワークやインタビュー調査をするのに精一杯で、理論書は殆ど読んでいなかった。だが、20年後に厚東氏の上記の指摘を読んで、びっくりしたのだ。「原著者と同じような推論過程を自分でも確実にできるようになること」とは、対象にギリギリ迫って、対象者の内在的論理を掴む、フィールドワークの手法と通底しているということに。

他者の内在的論理を掴む

フィールドワークの基本は、他者の合理性の理解、である。他者の内在的論理を徹底的に辿ろうとする。インタビューや参与観察を通じて、その動きをトレースする。その中で、他者にとっては非合理に見えるものであっても、本人の中でどのような内的合理性があるのか、を追体験し、再構成する。

実は、それは支援における基本でもある。支援対象者の査定や評価の前に、対象者の世界観を理解することから始めないと、支援がズレてしまう。特に、家族や近隣の人々との相互対立や悪循環を深めているような、「困難事例」とラベルが貼られた人々の支援をする際には、世間的評価は脇に置き、内的合理性を理解することが必要不可欠である。周囲から見ればとんでもないこと、と思えるような言動でもあっても、そんな「結論の引き出される推論過程を一歩一歩再構成すること」によって、そこにどのような内的合理性があるのか、という対象者の「思考過程を追思惟すること」。これを、私は福祉現場のフィールドワークから学んで来た。

このフィールドワーク的な「足で稼ぐ」手法を、厚東氏は文献でやっていたのだ。フィールドワーカーが膨大な時間を現場に通って、現場の言葉や雰囲気を吸収するように、膨大な時間を文献の中に沈思させて、その著者がどのような思いでなにを語ろうとするのか、の背景まで探ろうとする。アームチェアに座りながら、対象となる文献と格闘する中で、その内的合理性を辿る、というアームチェア社会学とフィールドワークの驚くべき接点が、厚東氏の著作の中にあったのだ。

例えば、ベヴァリジの著作を紐解きながら、厚東氏はこのように肉薄していく。

「ベヴァリジの構想においてキーをなすのは「社会サービス」の概念である。彼は所得保障としての社会保障の意義を次のように述べている。
『社会保障の目的は、欠乏の廃絶を通して、自分の力量に合わせてサービスを提供する意思のあるあらゆる市民が、いかなる時にあっても、自分の責任を果たすのに十分な所得を持つことを保障することにある』
所得保障は、それ自身が目的ではない。それはある種の行為を人々に可能にするエンパワーメントとして=条件整備としておこなわれる。「ある種の行為」とは何か。それは「社会のなかで活動」することである。「自分の力に合わせてサービスを提供すること」という規定を勘案してもう少し狭く、「社会を作り上げること」という方が適切だろう。」(p431)

この著作においても、「引用文は、本文の私の用語法と整合するように、すべて「厚東」の責任で訳し直されている」(pⅩ)。この「原文を一行一行辿り直す作業を繰り返す」作業を通じて、ベヴァリジにとって「欠乏の廃絶」は「目的」ではなく「条件整備」であると厚東氏は喝破する。しかも、「理論の組み立て過程を追体験する」中で、この「条件整備」とは、「社会を作り上げること」であると本質を射貫く。しかも、「社会サービス」は「個々人の自閉的な欲求満足のため(だけ)でなく、「社会」を作り上げるために費消されるべきである」との論理を読み解き、前者を「社会的給付」と訳し、後者を「社会的奉仕」と整理して提示する(p432)。四半世紀前に氏に一行一行読み方を教わったVoluntary Actionとは、「「社会」を作り上げるために費消されるべき」「社会的奉仕」であったのか、と気づかされて、ベヴァリジの世界観や意図を追体験することができ、改めて<社会的なもの>の歴史の結節点を辿り直す知的興奮を覚えた。

40年の時を超えて

そして、内在的論理の把握に関してもう一点、触れておきたいのが、マックス・ヴェーバーに関する氏の記述である。

「ヴェーバーの後半生の課題は、自己の入り組んだ「感情—反応の複合体」(フロイトなら「エディプス・コンプレックス」と呼ぶだろう)を学問の力で切開し、原理や価値の争いに移し替える—理念の平面に身を移し替えて両親に対するかたくなになったこじれた想いから自由になることである。「父」と「母」をいかに調停するか、という難問に終生苦しめられるなかから、ヴェーバーは、「政治」と「宗教」を基軸に<非合理的なものの合理的把握>を試みるという根本視座を体得していったのである。」(p250-251)

この分析は、1977年に厚東氏が東京大学出版会から出した初の単著の「あとがき」と繋がっていると私は受け取った。

「定評あるヴェーバー解釈にあきたらず、それに異を唱えるような論文をあえて書いてきたのは、なぜなのか。顧みて考えると、学部四年の時に、「東大闘争」に際会するという体験が、一つの岐路であったように思われる。「闘争」の渦中で、ヴェーバーに対して、きわめて強いアンビバレントな感情を味わった。それまでヴェーバー批判をしてきた人々が、その批判どおり行動できず、自他を瞞着する様をまのあたりにみて、ヴェーバーの所説、とりわけ学問論は、あのような危機的状況において自己欺瞞なく行動しようとする際には、きわめて頼りになる指針だ、と一方では実感しながらも、他方、ヴェーバーの本をそれまでに若干読んできたばっかりに、ヴェーバーの「世界観」にがっちりとはがいじめにされ、態度が棒を飲んだようにすっかり硬直化してしまい、変転常なき状況に柔軟に対応できず、結果として、政治的無能力に陥ってしまった、という感情をもったこともたしかである。ヴェーバーに対するこうしたアンビバレンスゆえに、ヴェーバーは、私にとって、「研究対象」となったのかもしれない。」(厚東洋輔『ヴェーバー社会理論の研究』東京大学出版会、p230)

厚東氏は、学部四年の時に際会した「東大闘争」において、「ヴェーバーに対して、きわめて強いアンビバレントな感情を味わった」。そんな自己の入り組んだ「感情—反応の複合体」を「学問の力で切開し、原理や価値の争いに移し替える」ことを試み、ヴェーバーと格闘した。「「政治」と「宗教」を基軸に<非合理的なももの合理的把握>を試みるという根本視座を体得していった」ヴェーバーの内在的論理=思考過程を追思惟することで、厚東氏自体が<theoryに関する知識>を<theorizingする力>へと変換することに成功した。それが、40年以上前の初の単著であり、本書に受け継がれている厚東社会学の根幹にある。

「政治的無能力」に陥ることなく「危機的状況において自己欺瞞なく行動」するために必要なことはなにか。それこそが、若き厚東氏に宿命づけられた根源的問いであった。そして、ヴェーバーを皮切りに、社会学理論というフィールドを探求し、<社会的なもの>をtheorizingする先達の内在的論理を一つ一つ丹念に追思惟することを通じて、個人による異色の社会学通史を完成させるにいたった。

社会問題の縮図としての「東大闘争」から半世紀、きわめて強いアンビバレントな感情を抱いた厚東氏が、学問を通じて<非合理的なものの合理的把握>を切開した、そんな落とし前が本書で付けられていると私には感じられた。

「対話のことば」をめぐる対話

井庭さんの『対話のことば:オープンダイアローグに学ぶ問題解消のための対話の心得』(丸善出版)を遅まきながら、やっと読む。この本は出たときから存在を知っていたけど、その当時はパターンランゲージの面白さや可能性を理解していなかったので、読まねばならぬ本リストの中に入れていなかった。でも、こないだブログで紹介した『クリエイティブ・ラーニング』を読んだ後、すごく気になってやっと買い求める。パターン・ランゲージの構造を知っていると、この本が何を伝えようとしているのかがよくわかり、読んでいる途中から「これは使える一冊だ」とひしひし感じるようになる。

その論理構造として僕が理解したものを、言語化してみたい。

この本は見開きで一つのテーマになっている。

例えば26番目のテーマとして書かれているのは、「混沌とした状態」である。見出しには、「その混沌は、変容の最中である」と書かれている。その下に、テーマを象徴する絵と、セイックラ・アーンキルの本が引用された上で、右隣のページには、「状況→問題→別のやり方→その結果」という四つの内容が示されている。例えば、こんな風に。(以下はp65の抜き書き)

【状況】「それぞれの人が自らの認識を語ることで、多様な認識が場にもたらされ、混沌としています。」

【問題】「わかりやすく整理したり、何らかの結論で話をまとめたりしようとすると、≪新たな理解≫が生まれる可能性が失われてしまいます。」

【別のやり方】「混沌とした状態は、意味が変容していく最中であると捉え、居心地の悪さに耐え、保留しながら、対話を続けます。」

【その結果】「安易に結論づけず、多義的で不安定な状態に耐え抜くことで、最初は別々だった認識がだんだんと混じり合っていきます。そして、そのような対話を続けることによって≪意味の変容≫が起き、≪新たな理解≫へとつながっていくのです。」

前半の状況と問題については、思い当たる人も多いのではないだろうか。ある会議で、一つの方向で話をまとめたいと思っていたのに、「余計なこと」(と自分には思われること)を言い出した人のお陰で、ドンドン違う意見が表明されていき、話がまとまらないだけでなく、議論の方向性も定まらなくなってしまう、そう、袋小路の瞬間。

それが袋小路に至るのは、そのような混沌とした状況を「問題だ」と感じ、そこで介入するから、かもしれない。こちらは良かれと思って、「わかりやすく整理したり、何らかの結論で話をまとめたりしようとする」のだが、そのような介入に対して、納得いかないその場の人が、さらに「余計なこと」を話し続け、介入が全く役立たないところが、混沌具合が増えていく、そんな場面である。

僕は自分がファシリテーターをしていたある研修会の場で、「なんでこんなことを議論しなければならないのか、わからない!」とある参加者に言われた時に、まさに混沌状態に陥ったことがある。その時に、仕事でその場をまとめなければならない、と思い込んでしまった僕は、「わかりやすく整理」しよう、「何らかの結論で話をまとめよう」と、必死になっていた。でも、その参加者は全く納得しておらず、僕が無理矢理まとめようとすることに反発され、場全体が崩壊しそうな瞬間が訪れた。

だが、ダイアローグを学んでいた主催者のお一人が、その時、僕に助け船を出してくれた。「この状況だと、先ほど話された方の意見が否定されてしまうようで、僕は心配です」と話してくれたのだ。その時になって、僕もハッと我に返り、安易にまとめようとしたり、一つの方向に結論づけようという意識も手放した。そうではなくて、めちゃくちゃぼく自身の居心地は悪かったのだが、とりあえずその状況に耐えようとしながら、会場の皆さんに、この状況について、どんな風に考えられるか、をさらに考え合ってもらった。

すると、「なんでこんなことを議論しなければならないのか、わからない!」という発言も含めて、多様な意見が出される背景を会場全体で理解し合おうとする雰囲気が生まれ、「別々だった認識がだんだんと混じり合ってい」った。その中で、自分たちが何のために対話をしているのか、について「の≪意味の変容≫が起き、≪新たな理解≫へ」向かっていった。

・・・と、このフレーズを読むだけで、僕には上記のエピソードを語りたくなってしまう。そして、この本は、そういうエピソードを一人一人が語るための、対話の補助線なのである。それが、パターンランゲージの魅力であり、面白さなのだ、と改めて思った。それが標題にこめた意味であり、「対話を引き出すためのことば=パターンランゲージ」なのだと思う。

そして、一定程度に抽象化されていて、主語がない、述語中心のセンテンスで書かれているので、「そう言えば、僕の場合は」と主語を自分として考えやすい。そして、数人でこの本の同じページを開きながら、自分の場合だったらどうだろうと語ることによって、議論の膨らみや拡がりが生じ、より多様な認識がもたらされていく。でも、パターンランゲージという共通の羅針盤があるので、混沌に陥ることなく、お互いの意味の変容を促し、多様な声に基づくポリフォニックな理解が進み、新たな理解が拡がっていく。

これは、まさにゼミでの議論でも目指していること、そのものである。

ということは、この本は例えばゼミ生に読んでもらって、どこかのページについて語ってもらうとか、そういう使い方も出来る。それは筆者が作っているリーディングパターンとかコラボレーションパターンでも促されていたけど、この本でも充分できるのではないか、と思い出した。

またオープンダイアローグを学びたい人の間でも、この本を使いながらの対話をすることで、理解が深まるし、自分自身の変容にも繋がるのではないか、と感じている。ダイアローグを学んで相手を変えたい、という前に、まずは自分自身のダイアローグのあり方を振りかえり、捉え直し、自分の対話姿勢を変える。それが、オープンダイアローグでもっとも求められているスタンスだと思う。それを、みんな共に考え合うツールとして、すごく役立ちそうだ。

能力主義ってやっぱり変!

マイケル・サンデルの『実力も運のうち 能力主義は正義か?』(早川書房)を週末に読み終える。サンデルの本をちゃんと最後まで読み通せたのは、これがはじめて。正直、正義論や倫理の議論はあまり得意ではなく、ましてや流行の本にすぐに飛びつく性質でもないので、本当に珍しい読書体験。でも、僕がここ最近ずっと気になっている能力主義について、サンデルならどう描くか、を知りたかった。そして、めちゃくちゃ面白かった。

「人を鼓舞するにもかかわらず、能力の原則は専制的なものに転じることがある—社会がそれに従い損ねる時だけでなく、実はとりわけ、社会がそれに従う時にも。能力主義的理想の影の側面は、その最も魅力的な約束、つまり支配と自己実現の約束に埋め込まれている。この約束にはとても負いきれないような重荷が伴っているのだ。能力主義の理想は個人の責任という概念を極めて重視する。人々に自分の行動の責任をある程度まで背負わせるのは良いことだ。道徳的主体として、また市民として、自分で考えて行動する能力を尊重することになる。だが、道徳的に行動する責任を負わせることと、我々一人一人が自分の運命に全責任を負っていると想定する事は全く別である。」(p52)

この10年ほど、日本社会における「生きづらさ」について授業でもずっと取り上げてきて、自己責任論と向き合い続けてきた。そして自己責任論の背景に能力主義の弊害があるのではないかと思い続けてきた。ただ能力主義を頭から否定することはできない。なぜならばその能力主義社会の中で、僕自身も生きてきたのであり、ある時点まではその能力主義の果てしない競争に自分自身もしっかり乗ってきたからである。その自分が信じて疑わなかった価値前提を疑うのは、そう簡単ではない。だからこそ能力主義はどう考えていいのか、いろいろな文献を読みながら、毎年授業で学生達とああだこうだと言い続けながら、考えてきた。その課題を、サンデルは実に明快に整理している。

「道徳的に行動する責任を負わせることと、我々一人一人が自分の運命に全責任を負っていると想定する事は全く別である」

この2つが渾然一体となっているのが、能力主義のややこしいところだ。道徳的に行動する責任を免責するつもりはない。でもたまたま勉強ができたかどうか、受験勉強をうまくすり抜けることができたか失敗したか。それは、人間の様々な能力の中のごく一部分にすぎないのに、例えば高卒か大卒か、とか、有名大学を出ているかどうか、で、その後の自分の運命が大きく変わったり、それも自己責任といわれると、それは何だかおかしいのではないか、と思う。

そして論考は、民主党の大統領だったバラク・オバマがこの能力主義の申し子だったという考察を深めていく。僕自身、オバマ政権の誕生は単純にワクワクしたし、期待もしていた。サンデルも書いていたが、黒人乱射事件の後の「アメージンググレース」の弔辞は感動的で、いま見ても彼の訴える力は圧倒的でもある。そんなオバマがなぜアメリカ社会で評価を落としていくのか、そしてトランプに政権の座を譲ることになるのかが理解できていなかった。「リベラル左翼」と呼ばれる論者たちは、それをポピュリズムのせいだとか、アメリカの貧しい白人たちの最後の反論だとか様々な分析をしていたが、どうもそれらの分析にはしっくり馴染めなかった。だがサンデルの能力主義論を読んでいて、オバマが嫌われる理由がすごくよくわかった。

「能力主義者は、あなたが困窮しているのは不十分な教育のせいだと労働者に向かって語ることで、成功や失敗を道徳的に解釈し、学歴偏重主義—大学を出ていない人々に対する陰湿な偏見—を無意識のうちに助長している。」(p132)
「民衆的な統治についての見解になると、オバマは心底から一人のテクノクラートだった。これは、人望ある大統領に対する評価としては手厳しいと思われるかもしれないので、説明さしてほしい。民主的社会を統治するには、意見の衝突に対処する必要がある。意見の衝突に直面しつつ統治するには、意見の衝突がいかにして生じ、あれこれの瞬間に、あれこれの公共目的のために、いかにして克服されるかについて、一つの見解を想定することになる。オバマは、民主的社会において意見の衝突が生じる最大の原因は、一般市民が十分な情報を持っていないことだと信じていた。情報不足が問題なら、解決策は次のようになる。事実をよりよく理解しているものは仲間の市民に代わって決定を下したり、あるいは少なくとも彼らを啓発すべく、市民自身が賢明な決定を下すために知るべきことを教えてやったりすれば良いのだ。大統領のリーダーシップは、道徳的心情ではなく、事実の収集と公表めぐって発揮されることになる。」(p155)

オバマだけでなくイギリスのブレアも、政権の主要施策に教育を挙げた。これは「あなたが困窮しているのは不十分な教育のせいだと労働者に向かって語ること」であり、それは大卒でない人に対して、「学歴偏重主義—大学を出ていない人々に対する陰湿な偏見—を無意識のうちに助長している」のであり、その学歴偏重主義そのものを是正する気持ちがない、と表明することでもあった。また「事実をよりよく理解しているものは仲間の市民に代わって決定を下したり、あるいは少なくとも彼らを啓発すべく、市民自身が賢明な決定を下すために知るべきことを教えてやったりすれば良いのだ」という「上から目線」は、「大卒の知的エリートである私は事実を知っていて、高卒の無学なあなたはそれを知らない」という非対称性に基づく上から目線の「陰湿な偏見」をはらんでいる。さらには、「意見の衝突」は、知識の量如何ではなく、能力主義の前提の中で、労働者階級の意見がそのものとしてしっかり受け止められないことへの反発だ、と理解していないことが、オバマ政権やヒラリー・クリントンへの反感にも繋がった、というのは、すごく納得出来る整理であった。

さらにこの本では今の議会政治が普通選挙制以前の、財産資格に基づく制限政治と似ていると言う。普通選挙制度が始まった当初、労働者階級の、つまりは高卒の国会議員がアメリカでもイギリスでも一定数いたのに、現在は、本来労働者階級の政党であるアメリカの民主党も、イギリスの労働党も、大卒エリートで占められていて、労働者の意見を充分に反映できていない、という点で、普通選挙以前の議会構成員の学歴と同じ、というのである。ここにも確かに能力主義の奢りがある、というのもよくわかる。

そして、この本の主張の核心部分は次の部分だと僕は感じた。

「金儲けがうまいことは、功績の尺度でもなければ貢献の価値の尺度でもない。すべての成功者が本当に言えるのは次のことだ。類いまれな天分や狡猾さ、タイミングや才能、幸運、勇気、断固たる決意といったものの不可思議な絡まり合いを通じて、いかなる時も消費者の需要を形作る欲求や願望の寄せ集めに—それがいかに深刻なものであればかけたものであれ—どうにかして効率的に応えてきた、と。」(p207)

能力主義は成功を、努力の成果だと思い起こみたがる。確かに努力もあるだろう。でもサンデルが描くように努力以外の様々なファクターが不可思議に絡まり合う中で、ある人は成功し、ある人は失敗する。それは文字通り、運不運である。にもかかわらず、能力主義は、運不運という人間の計らいではどうしようもないことを、努力如何で、しかも大学卒業かどうかと言う狭い評価基準で克服可能なものだと縮減して決めつけようとする。そして、その能力があるのだから、高い給料がもらえるのは当然だ、ということで、企業のCEOに破格の給与を払うことを許してしまう。それは、99%の平民の賃金が下がっていっても、1%の能力主義の成功者を評価するためには仕方ない、と放置されることにもつながる。それでは、高卒の労働者達にとっては、その能力がない、と査定されていることとも同じであり、自分がバカにされていると怒り狂うのも、理解できる。だからこそ、彼等彼女らはトランプに信じて託したのである。

少しだけ、自分がたりもしようと思う。僕自身、今大学でフルタイムの仕事を得られているのは、自分の努力や能力のおかげもあるかもしれないけれど、それよりも運やご縁のなせる技だと思う部分が多い。

もともとは「京大合格至上主義」の高校にいたにも関わらず、「阪大しか受からなかった」ことに落ち込み、ヤサグレていた自分(それ自体がずいぶん不遜な能力主義的思い込みの表現であるとは、30代になってやっと認めることができるようになってきた)。でも阪大の人間科学部でほんまもんの学問に出会い、人生で初めて学ぶ面白さに気づいた。そして僕自身が大学院に入るタイミングで、ジャーナリストの大熊一夫師匠が新設講座の教授として、やってきてくださった。僕はジャーナリストに弟子入りした大学院生だったからこそ、なんとか潰れずに大学院をサバイブできたのだと思う。理論社会学とか必死に勉強しても、自分よりはるかに優秀な院生やポスドクの層の厚さの前に、絶対挫折していたと思う。博士号を取ってみて、でも出身講座の助手にはなれないと遅まきながら気づき、紆余曲折の中で2年間フリーター生活。でもそこで時間があったから、スウェーデンでの調査研究にも従事できた。50の大学に落ち続け、最初に拾ってもらったのが山梨学院大学だったからこそ、地域福祉のダイナミズムをリアルに学ぶことができた。山梨で13年間楽しく研究を続けたからこそ、こつこつと著作も出すことができた。

自分の想定外の事態にばかり遭遇したし、能力主義でコントロールできない不可思議な偶然の出来事が積み重なる中で、結果的に唯一無二の存在としての自分の人生が形成されてきた。そういう意味で努力も運の一部であるし、能力主義を無批判に信じる必要性はないと、この本を読んであらためて感じる。

であるが故に、残念なのはこの本の結論の部分である。この本は能力主義に代わる概念として、貢献的正義を定義する。だが能力主義の性質に関する膨大な分析に対比すると、貢献的正義に関する提案はごくわずかであり、正直「それだけ?」と拍子抜けする結論であった。その部分では、マルクス・エンゲルスの『共産党宣言』にも似ている。だが、マルクス・エンゲルスの秀逸な資本主義批判は100年以上経っても現実味を失っていないのと同じように、サンデルの能力主義批判も、今後何度も参照する立派な批判であることは確かだ。その意味で、半世紀前に提起されたマイケル・ヤングの「メリトクラシー」の概念を、サンデルはしっかり引き継いで、現代版の問題として問い直した力作だと感じる。

ではどうしたらよいのか?問題は、ぼく自身、引き続きぼちぼち考え続けたい。