「対話のことば」をめぐる対話

井庭さんの『対話のことば:オープンダイアローグに学ぶ問題解消のための対話の心得』(丸善出版)を遅まきながら、やっと読む。この本は出たときから存在を知っていたけど、その当時はパターンランゲージの面白さや可能性を理解していなかったので、読まねばならぬ本リストの中に入れていなかった。でも、こないだブログで紹介した『クリエイティブ・ラーニング』を読んだ後、すごく気になってやっと買い求める。パターン・ランゲージの構造を知っていると、この本が何を伝えようとしているのかがよくわかり、読んでいる途中から「これは使える一冊だ」とひしひし感じるようになる。

その論理構造として僕が理解したものを、言語化してみたい。

この本は見開きで一つのテーマになっている。

例えば26番目のテーマとして書かれているのは、「混沌とした状態」である。見出しには、「その混沌は、変容の最中である」と書かれている。その下に、テーマを象徴する絵と、セイックラ・アーンキルの本が引用された上で、右隣のページには、「状況→問題→別のやり方→その結果」という四つの内容が示されている。例えば、こんな風に。(以下はp65の抜き書き)

【状況】「それぞれの人が自らの認識を語ることで、多様な認識が場にもたらされ、混沌としています。」

【問題】「わかりやすく整理したり、何らかの結論で話をまとめたりしようとすると、≪新たな理解≫が生まれる可能性が失われてしまいます。」

【別のやり方】「混沌とした状態は、意味が変容していく最中であると捉え、居心地の悪さに耐え、保留しながら、対話を続けます。」

【その結果】「安易に結論づけず、多義的で不安定な状態に耐え抜くことで、最初は別々だった認識がだんだんと混じり合っていきます。そして、そのような対話を続けることによって≪意味の変容≫が起き、≪新たな理解≫へとつながっていくのです。」

前半の状況と問題については、思い当たる人も多いのではないだろうか。ある会議で、一つの方向で話をまとめたいと思っていたのに、「余計なこと」(と自分には思われること)を言い出した人のお陰で、ドンドン違う意見が表明されていき、話がまとまらないだけでなく、議論の方向性も定まらなくなってしまう、そう、袋小路の瞬間。

それが袋小路に至るのは、そのような混沌とした状況を「問題だ」と感じ、そこで介入するから、かもしれない。こちらは良かれと思って、「わかりやすく整理したり、何らかの結論で話をまとめたりしようとする」のだが、そのような介入に対して、納得いかないその場の人が、さらに「余計なこと」を話し続け、介入が全く役立たないところが、混沌具合が増えていく、そんな場面である。

僕は自分がファシリテーターをしていたある研修会の場で、「なんでこんなことを議論しなければならないのか、わからない!」とある参加者に言われた時に、まさに混沌状態に陥ったことがある。その時に、仕事でその場をまとめなければならない、と思い込んでしまった僕は、「わかりやすく整理」しよう、「何らかの結論で話をまとめよう」と、必死になっていた。でも、その参加者は全く納得しておらず、僕が無理矢理まとめようとすることに反発され、場全体が崩壊しそうな瞬間が訪れた。

だが、ダイアローグを学んでいた主催者のお一人が、その時、僕に助け船を出してくれた。「この状況だと、先ほど話された方の意見が否定されてしまうようで、僕は心配です」と話してくれたのだ。その時になって、僕もハッと我に返り、安易にまとめようとしたり、一つの方向に結論づけようという意識も手放した。そうではなくて、めちゃくちゃぼく自身の居心地は悪かったのだが、とりあえずその状況に耐えようとしながら、会場の皆さんに、この状況について、どんな風に考えられるか、をさらに考え合ってもらった。

すると、「なんでこんなことを議論しなければならないのか、わからない!」という発言も含めて、多様な意見が出される背景を会場全体で理解し合おうとする雰囲気が生まれ、「別々だった認識がだんだんと混じり合ってい」った。その中で、自分たちが何のために対話をしているのか、について「の≪意味の変容≫が起き、≪新たな理解≫へ」向かっていった。

・・・と、このフレーズを読むだけで、僕には上記のエピソードを語りたくなってしまう。そして、この本は、そういうエピソードを一人一人が語るための、対話の補助線なのである。それが、パターンランゲージの魅力であり、面白さなのだ、と改めて思った。それが標題にこめた意味であり、「対話を引き出すためのことば=パターンランゲージ」なのだと思う。

そして、一定程度に抽象化されていて、主語がない、述語中心のセンテンスで書かれているので、「そう言えば、僕の場合は」と主語を自分として考えやすい。そして、数人でこの本の同じページを開きながら、自分の場合だったらどうだろうと語ることによって、議論の膨らみや拡がりが生じ、より多様な認識がもたらされていく。でも、パターンランゲージという共通の羅針盤があるので、混沌に陥ることなく、お互いの意味の変容を促し、多様な声に基づくポリフォニックな理解が進み、新たな理解が拡がっていく。

これは、まさにゼミでの議論でも目指していること、そのものである。

ということは、この本は例えばゼミ生に読んでもらって、どこかのページについて語ってもらうとか、そういう使い方も出来る。それは筆者が作っているリーディングパターンとかコラボレーションパターンでも促されていたけど、この本でも充分できるのではないか、と思い出した。

またオープンダイアローグを学びたい人の間でも、この本を使いながらの対話をすることで、理解が深まるし、自分自身の変容にも繋がるのではないか、と感じている。ダイアローグを学んで相手を変えたい、という前に、まずは自分自身のダイアローグのあり方を振りかえり、捉え直し、自分の対話姿勢を変える。それが、オープンダイアローグでもっとも求められているスタンスだと思う。それを、みんな共に考え合うツールとして、すごく役立ちそうだ。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。