2025年の三題噺

大晦日には毎年振り返りブログを書いている。昨日からボンヤリ始めているのは年の瀬。今年も三つ、書いてみよう。

1.住まいを整える

10月に一軒家に引っ越した。生まれて初めて(正式に言えば3才のころにマンションに引っ越して以来47年ぶり)の一軒家である。なんというか、様々なご縁が重なって、引っ越すことができた。

今年50歳を迎えるにあたり、昨年からあと15年で退職、という言葉がよぎるようになった。そして、家を買うなら(=ローンを組むなら)そろそろ潮時ではないか、と思うようになった。結婚した28才の時から20年以上、ずっと賃貸マンションに暮らし続けてきた。年間100万円の家賃だとして、2000万円。都会では無理でも、田舎なら中古住宅は優に購入できるお金である。もちろん、賃貸だったからこそ、移動の自由を確保できた部分もある。でも、そろそろ腰を落ち着けないと、と思っていた。

そういう訳で、娘の小学校区を変えないかご近所で、昨年から家を探し始めたのだが、昨年は父が倒れて一時的に要介護状態になり、それでてんやわんやし、あまり良い物件にも巡り会えなかったので、一度家探しを休むことにした。その上で、今年のはじめから、不動産業者も新たに知り合いに紹介して頂き、心機一転で探し始めたら、娘の小学校区、住んでいたマンションから歩いて数分の場所に、立派な木造住宅の築30年の古民家をネットで見つける。内覧してみたら、古めかしいが、床も柱もがっしりしている。そこで、建築家の光嶋裕介さんにも見ていただき、リフォームプロジェクトが始まる。

光嶋さんに出会ったのは3年前。一方的に名前を知っていたのだが、内田先生と青木真兵さんのイベントで遭遇し、そこから本を贈り合う関係になった。彼の本を何冊も読み進めるなかで、家をリフォームするなら、是非とも光嶋さんに関わっていただきたい、という思いが膨らんでいく。新築を買う程の予算もローンも組めないので、中古物件のリフォーム一択に決めていた。そして、3月末に売買契約を結び、設計してもらったうえで、6月から光嶋さんがタッグを組む中島工務店でリフォーム工事を始めていただく。この夏は、そのリフォームに施主家族として関われたのが、実に面白い経験だった。

夏の暑い盛りの工事なので、毎回麦茶のペットボトルを凍らせて、差し入れで持って行く。チャリで1分、歩いても5分なので、棟梁が来られている日は、仕事に行く前とかすき間時間に可能な限り顔を出した。すると、屋根や床を剥がす工程から、レイアウトを変え、色々なしつらえを決めていくタイミングを、ずっと観察することが出来た。現場監督のBさんも、I棟梁もすごく良い人で、僕の「なぜ?なぜ?」の質問攻撃にも笑顔でお答えくださる。そうやって職人の世界を垣間見ながら、丁寧にリフォームしてくださる作業のプロセスに立ち会えたのが、楽しくなってきた。3ヶ月以上かかったけど、最後は「もう工事が終わるの?」と寂しくなるくらいだった。

そして、妻が「玄関横の松の木を切ろう」と言い出したのも、びっくりした。確かに日本家屋には松が定番だが、通りに面したブロック塀は視界を遮るし、植栽も10年ほど放置されていて、少し荒れた雰囲気もある。最初は本当に自分たちで出来るか半信半疑だったのだが、「お金もかかるから、自分たちで出来ることはしようよ」と妻。そこで、松の木をノコギリで切ってみたら案外スカスカですぐに切れ、鍬を使って抜根作業も行う。これが結構大変で、お手軽な鍬は二つほど駄目にしたが、最後に見つけた筍掘り用の鍬を使えば、なかなか抜けなかった木の根も抜ききる事が出来た。夏の朝は、日差しが強くなる前に家族三人で現地に出かけ、庭仕事をし続けてきたのも良い記憶。そのお陰で、それまでの住まいだったマンション一階の庭も原状復帰でき、敷金礼金がすべて戻ってきたのは、物入りで本当に助かった。

そして10月に引っ越した新居は、実に快適である。書斎には、もともと大熊一夫師匠から20年前に頂いた本棚を囲むように、天井から壁一杯に本棚を作り付けてもらい、収容能力が格段にあがった。引っ越し前に本を大量に間引いた効果もあって、大学生以後初めて、すべての本の背表紙が見える、つまりは二重三重に重ねなくてもよい本棚が出現した。これが精神衛生上、めっちゃ良い。パーソナルスペースの拡張は、心の余白まで生み出している。生まれて初めて「客間」なる畳の部屋もあるのだが、両親が宿泊したり、ゲストが来たときにそこで娘達がダンスしたり、余白の空間があると、そこから色々な物事が動き出す。これも、機能的で合理的で最低限度のスペースであるマンションに暮らしていた頃には、全く想像できなかったことだ。

2.単著が2冊も出せた

偶然のご縁の中で、気がつけば今年は単著が2冊も出ていた。もともと、ちくまプリマー新書の方が先に話を頂いたのだが、去年は父が倒れて、書き下ろしをする余裕がなくなっていた。そこで、晶文社のベテラン編集者で、内田先生のブログ本を沢山出かけてこられた安藤さんから「能力主義とケア」について書いてほしいと言われた際、「内田先生と比較にはならないけど、僕もブログであれこれ能力主義やケアについて書いているので、その内容を徹底的に書き直すなら、本は書けそうだ」とお伝えしていた。すると、安藤マジックで見事にカテゴリー分けをされたブログリストと、それに基づいて並べられたワード原稿が出てきた。これなら書き直せそうと、昨年の夏休みにコリコリと書き直し続けて、2月に出せたのが、『能力主義をケアでほぐす』である。

で、この本を書きながら、改めて能力主義や生産性至上主義と徹底的に向き合うことが出来たので、途中書きあぐねて放置していたちくまプリマー新書とも、向き合い始めた。1章だけ昨年の春に書いて放置していたのだが、正月休みに2章を書き、その後構成を練り直し、3章と4章も6月までに書き終えて、9月には『福祉は誰のため?』というタイトルで出すことが出来た。この本は、大学教員になって20年間、一貫して「福祉学部以外で、福祉について一生に一度だけ学ぶ大学生に、福祉に興味を持ってもらう」というハードルの高い授業設定で試行錯誤してきた僕の、福祉を自分事に思ってもらうための問いかけを、ふんだんに盛り込むことが出来た。

ちくまプリマー新書って、わかりやすく伝えることで定評がある新書ゆえ、様々な入試問題に活用いただいている。前著『ケアしケアされ、生きていく』も小学校6年生の有名進学塾の入塾テストから、中学・高校・大学入試と、幅広くご活用いただいている。そのため、9月には再度重版され、生まれて初めて拙著が1万部を超えた。そういう意味で、今回の本も、ロングテール本というか、長く読まれてほしいなと思って書き上げた1冊である。

本を出した後に、大阪では勅使川原真衣さんと、東京ではジェーン・スーさんと、共に対談イベントもさせていただき、それもめっちゃ盛り上がった。だからこそ・・・

3.陽が極まり陰を深める

引っ越したあたりから、仕事上でも、プライベートでも、人間関係における葛藤があちこちで最大化していった。様々なことでショックを受け、落ち込み、混乱しつつも、それは、ある種の必然のように感じられた。他責的になるのでもなく、かといって自罰的になってもいけない。何というか、陽が極まったからこそ、陰の局面にさしかかったのだと自分でも納得出来た。ひたすら自分自身と向き合おうとしたのが、11月からの二ヶ月だった。一昨日のブログに「タオとの対話」という形で言語化が出来たが、家を整えても、ぼく自身が整っていなかったので、ひたすら自分自身と向き合い、ぼく自身を整え直す日々だった。

自分と向き合い、整え直す上で、妻や娘と新居での生活をゆっくり楽しむことが、かけがえのないものになった。睡眠時間を削らないよう、夜はPCをなるべく見ないようにして、読書を増やす。娘にも本を読み聞かせたり、彼女の欲しい本も買って、一緒に読書タイムをつくる。それだけでなく、引っ越しや繁忙期で合気道になかなか行けない日々が続き、体重も減らないので、バスやチャリ、車に乗らず、毎日出来る限り歩くようにしはじめた。一日4キロ8000歩を目標に、職場や駅、近所のスーパーにも歩いて出かけたり、バスを途中で降りて歩数を稼いだり、するようになった。

そのタイミングで、オーディブルがいいよ、と知り合いに教わったので、自分では決して読まないだろう小説を2倍速で聴くようになった。これが非常によかった。僕は、小説やドラマ、映画が苦手である。嫌いではなく、過度に感情移入する傾向があるからだ。特に主人公が窮地に追い詰められ、辱められそうになると、もう「見てられない」と、子ども時代はトイレに立てこもったり、本を放り出したりしていた。そんな変な子だった。でも、オーディブルは能動的に見なくてもよいし、散歩中に耳だけ傾けるから、嫌なら別のポッドキャストで気を紛らわしたらよい。そう思うと、スルスル没頭できるようになってきた。『コンビニ人間』に始まり、『ミシンと金魚』『ナチュラルボーンチキン』と聴いて、今は『対岸の家事』を聴いている。なんというか、どれもケアや家族関係の複雑さを題材にしていて、50のオッサンになってから出会うと、仕事で考えてきたことともつながり、めっちゃ面白い。オーディブル体験は、確実にクセになりそうだ。

また、庭いじりも陰を深める上で、大事な要素になっている。前のオーナーが20年かけてつくってこられた庭がある。そのオーナーが亡くなられ、パートナーの方はどうも手を付けられなかったようで、10年ほど手が入れられてない状態であった。そこで、田舎出身でそういう作業が好きな僕の母が来た折に、木を大胆に剪定したり、落ち葉と米ぬか、赤土をまぜてわらを敷いて土作りしたり、毎日の野菜くずを土を掘り返して埋めてコンポスト生活を始めたり、している。すると、殺風景な庭の部分にパンジーや水仙、球根なども植えるようになり、園芸店に通う日々も格段に増えた。職場の同僚が「庭いじりは最大の暇つぶし」と言っていた理由も、今ならよくわかる。誰かに評価されるためではなく、コツコツと、土にむきあう。前のオーナーが植えてこられた植栽を見ながら、次に何を手がけようか、と妄想するのも、何だか楽しいし、それは大地との対話のような気もする。

娘も、自分の部屋でのパーソナルスペースがしっかり確保されたので、居間で一緒に家族と過ごす時間以外に、部屋で工作や勉強する時間も増えた。日本家屋なので、娘の存在がかすかに聞こえつつ、僕は今で、この三題噺を書いている。妻も自室が出来たので、妻の時間を過ごしている。こういう感じで、家族それぞれが、集まったり離れたりしながら、家の中での楽しい日々も続けていける。そう思うと、昨年末には想像もしていなかった今年の年末である。いまから、娘と園芸店に行き、今年最後の土いじりをすることにしよう。

みなさん、佳い年をお迎えください。

タオとの対話

年末の振り返り会をしていて、自分自身が葛藤の最大化にあったこの秋から冬にかけて何をしていたか、を言語化していた。その際、ふと口をついて出てきたのが、「雨乞い」のエピソードだった。確かユング関連の本で読んだけど、何だっけ? それを正確に辿るには、生成AIが役立つ。早速教えてもらった『統合の神秘』の日本語訳は持っていないけど、それを引用している本は手元にあったので、引用してみる。

「大変な旱魃(ひでり)があった。何ヶ月もの間、一滴の雨も降らず、状況は深刻だった。カトリック教徒たちは行列をし、プロテスタントたちはお祈りをし、中国人は線香をたき、銃を撃って旱魃を起こしているデモンたちをおどろかせたが、何の効果もなかった。最後に、その中国人が言った。『雨乞い師をよんでこよう』。そこで、別の地域から、ひからびた老人がよばれてきた。彼はどこか一軒の静かな小さい家を貸してくれとだけ頼み、三日の間、その家の中に閉じこもってしまった。四日目になると、雲が集まってきて、大へんな吹雪になった。雪など降るような季節ではなかった。それも非常に大量の雪だったのである。町中は、すばらしい雨乞い師の噂で持ちきりだった。そこでリヒアルト・ヴィルヘルムは出かけて行って、その老人に会い、どんなことをしたのかとたずねた。彼は、まったくヨーロッパ風にこうきいたのである。『彼らはあなたのことを雨乞い師と呼んでいる。あなたがどのようにして雪を降らせたのか、教えていただけますか?』。すると、その小柄な中国人は言った。『私は雪を降らせたりはしません。私は関係ありません』。『では、この三日間、あなたは何をしていたのです?』『ああ、そのことなら説明できます。私は別の地方からここへやってきたのですが、そこでは、万事が秩序立っていたのです。ところがここのひとたちは秩序から外れていて、天の命じている通りになっていないのですよ。つまり、この地域全体がタオの中にないというわけです。ですから、私も秩序の乱れた地域に居るわけで、そのために私まで物事の自然な秩序の中に居ないという状態になってしまったわけです。そこで私は三日間、私がタオに帰って、自然に雨がやってくるまで、待っていなくてはならなかった、というわけなんです。」(C.G.ユング『統合の神秘』 ジーン・シノダ・ボーレン著『タオ心理学』春秋社、p186-187から重引)

雨乞い師は、雨や雪を降らせるために、直接的に祈りを捧げたり、行列をしたり、銃を撃つことはなかった。雨を降らせるために直接的な働きかけを、何もしなかった。それにもかかわらず、一滴の雨も降らなかった大地が、季節外れの「大へんな吹雪」になった。そこに、ユングの友人のヨーロッパ人が訪ねてゆき、何をしたのかを尋ねると、「雪を降らせることには、関係がない」という。ではこの三日間何をしたのか、と聴くと、「この地域全体がタオの中にない」ことに気付いたので、「私は三日間、私がタオに帰って、自然に雨がやってくるまで、待っていなくてはならなかった」という。

その際、雨乞い師が「ここのひとたちは秩序から外れていて、天の命じている通りになっていないのですよ」と述べたことが、非常に印象的だ。ここで言う秩序とは、人為的な、あるいは道徳的な秩序のことを指していない。「天の命じている通りになっていない」という意味で、「大いなる道」と訳されているタオの通りになっていない、と雨乞い師は述べるのである。だからこそ、「私がタオに帰って、自然に雨がやってくるまで、待つ」ということを彼は行った。すると、自ずから雨が降ったのだ、と。

このエピソードを河合隼雄も引用していると思い、生成AIで出典を調べて、読み直した本には、こう書かれていた。

「ここで注目すべきことは、彼は因果的に説明せず、自分に責任はないと明言した上で、自分が『道』の状態になった、すると自然に(then naturally)雨が降ったという表現をしているのである。ここで、中国人がヴィルヘルムに言うときにどのような用語を用いたかは知るよしもないが、彼が『道』のことを語る点からみて、老子『道徳経』に用いられる『自然』の語を用いたものと推察される。(略)
自然(じねん)は福永光司によると、『「オノツカラシカル」すなわち本来的にそうであること(そうであるもの)、もしくは人間的な作為の加えられていない(人為に歪曲されず汚染されていない)、あるがままの在り方を意味し、必ずしも外界としての自然の世界、人間界に対する自然界をそのままでは意味しない』のであり、『物我の一体性すなわち万物と自己とが根源的には一つであること』を認める態度につながるものである。
こんなことを言うと、まったく非科学的と言われるかもしれない。そのような点については、第三章に論じるが、筆者の実感で言えば、この『雨降らし男』の態度は、心理療法家のひとつの理想像という感じがある。かつて棟方志功が晩年になって、『私は自分の仕事には責任をもっていません』と言ったとのことだが、似たような境地であろう。治療者が『道』の状態にあることによって、非因果的に、他にも『道』の状況が自然に生まれてくることを期待するのである。」(河合隼雄『心理療法序説』岩波書店、p14-15)

ここで河合隼雄は自然(じねん)の考えを、西洋の自然(しぜん)とは違うものであると指摘する福永光司の論を引いている。それは「オノツカラシカル」である、と。「本来的にそうであること(そうであるもの)、もしくは人間的な作為の加えられていない(人為に歪曲されず汚染されていない)、あるがままの在り方」が「自然(じねん)」である。そして、そのような「オノツカラシカル」になっていない状況こそ、人為に歪曲され汚染された状態である、と言える。それが、雨乞い師が「ここのひとたちは秩序から外れていて、天の命じている通りになっていないのですよ」と述べたことともつながる。

この整理と、「治療者が『道』の状態にあることによって、非因果的に、他にも『道』の状況が自然に生まれてくることを期待する」という結論を、どう結びつければ良いのだろうか。そのために、河合隼雄は「似たような境地」として、「かつて棟方志功が晩年になって、『私は自分の仕事には責任をもっていません』と言った」エピソードをあげている。

実はこの部分も書き写していて、うっとなった箇所である。「自分の仕事には責任をもっていません」というのが、何を訴えているのか、を考えた時に、うっとなったのだ。それは一体、どういうことか。

普通、「自分の仕事には責任をもっていません」という人のことを、「無責任」とラベルを貼りやすい。もちろん、板画や民芸運動の牽引役を務めた大家が、責任逃れをしていたとは、想像しにくい。すると、棟方は仕事に責任を持つという考え方自体に、「人間的な作為」で操作するイメージを抱いていたのではないか。そして、自分の仕事=創作とは、そういう人為的な作為を越え、「物我の一体性すなわち万物と自己とが根源的には一つであること」であると捉えると、「自分の仕事には責任をもっていません」というフレーズにも合点がいく。自分が木版に働きかけ、能動的に木を彫るのではなく、木と合気しながら、「オノツカラシカル」状態に至るプロセスにいるだけだ、と。

この話を、「治療者が『道』の状態にあることによって、非因果的に、他にも『道』の状況が自然に生まれてくることを期待する」をパラフレーズしてみてみよう。

「棟方志功が『道』の状態にあることによって、非因果的に、彼の作品にも『道』の状況が自然に生まれてくることを期待する」

棟方志功が「オノツカラシカル」状態になると、なぜだかわらかないけど(因果の連関があるとは思えないけれど)、彼の作品も結果的に「『道』の状況が自然に生まれてくる」かもしれない。これは、雨乞い師が「オノツカラシカル」状態になると、なぜだかわらかないけど(因果の連関があるとは思えないけれど)、その地域も「オノズカラシカル」状態になり、それが季節外れの吹雪につながった。治療家が「オノツカラシカル」状態になると、なぜだかわからないけど、クライアントやその関係者も「オノズカラシカル」状態に鎮まっていく。

ここまで書いてきて、なるほど!と思う。

ぼく自身は、自分ではこれ以上の人為的な操作も介入も出来ないような、でも自分の関係性の中での心配ごとが最大化していたときに、他者を非難や説得することは封印し、ひたすらしていたことは、これだったのだ、と。他責的に・あるいは自罰的になりそうなタイミングで、雨乞い師のように、自分自身が乱れていることに気付いて、自分自身を整えていた。それは何の根拠もない非因果的な直観だったが、後から振り返ってみると、「私も秩序の乱れた地域に居るわけで、そのために私まで物事の自然な秩序の中に居ないという状態になってしまった」状況に置かれていた、と言える。

そのときに、「僕は悪くない」とか「あいつのせいだ」とか、そういう人為的な因果の連関を探したくなる(=問題解決志向の)僕がいなかったといえば、嘘になる。でも、ひたすら、「これはぼく自身の課題であり、僕が試されている」と言い聞かせてきた。この間、ミンデルの本を読み進め、以前の本を読み返し、ユングの言葉に揺さぶられながらずっとしてきたことは、己を鎮めることであった。その中で、この一週間くらいのあいだに、様々な関係性が動き始めた。悪循環の固着状態から、良い循環性へと、流れ始めた。

不遜な言い方を承知で言えば、ぼく自身が「オノツカラシカル」状態になると、なぜだかわからないけど、僕と葛藤が最大化した人々も、「オノズカラシカル」状態に鎮まっていった、のかも、しれない。

これを指して、タオとの対話、とこれまた不遜なタイトルを付けてみる。でも、そうとしか思えないような、自らの影と向き合い、怒りや苦しみも含めて、自分自身を見つめ直し、自己否定もせず、対立や葛藤そのものの存在を認め、それを眺めている時間が過ぎていった。「オノツカラシカル」方法なんてさっぱりわからないから、本を頼りに、本と対話し、それを通じて自分と対話しながら、過ごした日々だった。絶対に他人のせいにしない、でも無理に自分を責めない、という宙ぶらりんのスタンスで、このプロセスを生きてきた。それが、もしかしたら「『道』の状態にあること」の入口に立てたのかも、しれない。

これは、嵐でうねる海の中を、羅針盤なく漂うような状態であった。それは「生きるためのファンタジーの会」で以前課題図書として読んで議論したゲド戦記シリーズの『さいはての島へ』を彷彿とさせる。実際にはこの間、姫路で暮らしていたので、航海はしていない。でも、僕の心の中は、見通しが全く見えない、嵐の真っ只中だった。だからこそ、ただひたすら、己を信じて、「私がタオに帰って、自然になにかがやってくるまで、待っていなくてはならなかった」のだ。そして、ここ数日のあいだに、その「なにか」がやってきている。これが、おそらくタオとの対話の入口なのかもしれない。

これは、他者との対話としての「水平の対話」でもないし、自分自身の振り返りや内省としての「垂直の対話」とも違う。別次元での、「オノズカラシカル」状態に至るまでの、そのプロセスを信じて待つ、タオとの対話のような気がする。

とりあえず今日の・ここまでの気づきを言語化しておきたかったので、今日のブログは備忘録メモである。

葛藤を通じた影との対話

ユングの珠玉の言葉を100も集めたダイジェスト的名著が刊行された。一つ一つの言葉にしびれる。例えば、こんな風に。

「自分自身との出会いとは
第一に自分の影との出会いを意味する。
影とは隘路、狭き門であり、
深い泉のなかへと降りていく者は誰しも、
苦痛を伴うその狭い場所を免れるわけにはいかない。
けれども、
人は自分自身と付き合ってみなければならないのだ。
そうすることで、自分が何者なのかを思い知るのである。」
(大塚紳一郎著『こころと出会うためのC・G・ユングの言葉100』創元社、p80)

大塚さんと言えば、ユングやユング派の重要な書籍を丁寧に原文から訳してくださる、素敵な書き手である(ブログでも以前紹介している)。今回はユングのドイツ語と英語の著作集を一年かけて目を通し、重要な箇所を500ほどリストアップして、100個を選び抜いたという(p14)。それゆえに精選された珠玉の言葉が載っていて、めっちゃ心に響く。

特に先ほど引いたのは、いま・ここ、の僕に最も響く場所。

今、ちょうど自分の影との出会いを深め、苦しんでいる。しんどい。でも、それが隘路であり、狭き門ゆえに、「苦痛を伴うその狭い場所を免れるわけにはいかない」と言われると、勇気をもらえる。「自分が何者なのかを思い知る」ためにも、この影との直面が最重要なのだ。そして、その隣に載っている大塚さんの簡潔明瞭な解説も、心を打つ。

「誰かと本当の意味で友達になったり、恋人になったりするとき、最初に気づくのはむしろ相手の嫌な部分ではないだろうか。こころとの関わりをもつ場合も一緒だ。こころと真剣に関わりを持つようになると、最初に見えてくるのは、普段はペルソナの背後に隠している影、つまり恥ずかしく、情けない自分の姿なのだ。こころはまず、影として姿を現すのである。自分自身の影との出会いはいつだって苦しく、辛いものになるだろう。それでもなお、身を屈めて、その道を通っていかなければならないのだ。友達や恋人との本当の関係がはじまるときと同じように、明るい側面だけではなく、暗い側面とも出会ったときにはじめて、こころというものの存在をリアルに感じることができるようになるのだから。」(p81)

最近、久しぶりに自分自身と深く向き合うようになっている。その直接のきっかけは、人間関係での大失態なのだが、それを掘り下げていくうちに、「普段はペルソナの背後に隠している影、つまり恥ずかしく、情けない自分の姿」が見えてくる。これは、正直きつい。「自分自身の影との出会いはいつだって苦しく、辛いもの」である。「それでもなお、身を屈めて、その道を通っていかなければならないのだ」と言われると、暗闇にともされる一筋の光のような、ヒントを与えてくれる。「情けない自分の姿」を否定せずに直視した先にしか、次の展開は始まらないのだ。

「奇妙なことに、
パラドクスこそが最高の精神的資産なのである。
反対に、一義性は弱さの印である。」(p170)

今直面しているぼく自身の大失態は、実は一義性に関係している。あまりにも、僕の意見が通り過ぎていた。そこに無自覚だった。つまりは、他者の他者性をしっかり拾えていなかった。だからこそ、葛藤の最大化の場面では、表面的には他者と対立しているようにみえて、実のところ、「普段はペルソナの背後に隠している影、つまり恥ずかしく、情けない自分の姿」という影が露わになる。それを直視するのは、しんどい。

でも、ユング派からプロセス心理学に転じたアーノルド・ミンデルが「葛藤」を最後の主題にしたように、葛藤やパラドクスは、最高の精神的資産なのである。一義的になると、複数の声がかき消されてしまう。そこに、権力関係が生じ、一方向の支配ー服従関係が生じる。それを越えていくのには、パラドクス状態に陥ることが、実は最も助け船になるのだ。大塚さんはこう解説してくれている。

「自分は『こうしたい』と言っているのに、もう片方の自分が『それじゃ駄目だ』と言っている。それがパラドクスだ。二人の自分が対立しているのである。その葛藤は苦しいものだが、人生そのものに関わるようなあたらしい、そして意味のある方向性は、このパラドクスに耐えることでしか生まれない。」(p171)

葛藤や対立は、出来れば避けたいものである。でも、葛藤には意味や価値がある。苦しいけれど、あたらしい・意味ある方向性がその葛藤の中で見えてくる。「このパラドクスに耐えること」というのは、葛藤や対立する他者に対してではなく、自分自身を問い直し、捉え直すきっかけを与えてくれる。

「わたしたちが
子どもたちに関して変化させたいと思うことはすべて、
自分自身に関して変化させた方がよいものではないか。
まずは注意深く、そう吟味してみた方がよいでしょう。」(P185)

子どもを、学生とか支援対象者とか部下と言い換えても、同じ事がいえると思う。権力を保持する側が、権力行使出来る相手とどう関わるか。通常は、パワーを持つ強者が、弱者に対して指導や命令、助言などを通じて、相手を説得し、相手に行動変容させようとする。でも、葛藤場面において、その葛藤課題は自分自身との影との向き合いなのだとしたら、変わるべきは相手ではなく自分自身となる。すると、他者を変化させたいという不遜な欲望よりは、自分がどう葛藤を変容課題として受け取り、その問いを吟味できるか、こそが問われるのだ。

大塚さんも、以下のように指摘している。

「わたしたちが子どもたちに期待し、要求するそうした内容はすべて、実際には子どもたち以上に、大人にとって切実な課題ばかりではないだろうか? 子どもだけに要求するのではなく、まずはそれを自分自身の人生のなかで、できるうかぎり果たしていくということ。それこそが、わたしたち大人が子どもたちに対して果たすべき最大の責任であり、また最良の教育なのである。」(p185)

8才の娘の子育てをしている父にとって、「実際には子どもたち以上に、大人にとって切実な課題ばかりではないだろうか?」という問いは、グサグサ突き刺さる。娘に指導や助言をしたふりをしているけど、それは娘以上に父にとっての切実な課題の可能性は、充分にある。率先垂範とは、「子どもだけに要求するのではなく、まずはそれを自分自身の人生のなかで、できるうかぎり果たしていくということ」なのだ。それこそが父(教育者、上司、おっさん・・・)として果たすべき最大の責任である、というのは、本当にしっくりくる。

「ですから、大切なのは
親が間違いを犯さないということではありません
—そんなことは人間には不可能でしょう。
そうではなく、
間違いを間違いとして認めるということです。」(p188)

いま、「謝ったら死ぬ病」に罹患している人が増えているという。これは「間違いを間違いとして認める」というシンプルなことが出来ない、ということである。色々な理由が考えられるが、例えば「正解幻想」が強くて、立場上間違えられないと思い込み、「親が間違いを犯さない」という幻想を引きずっている可能性がある。これは無謬性への過信である。あるいは間違いを認めると自我が崩壊する危険性がある。その場合は、いくら虚勢を張っても、かなり脆弱な心理状態である。いずれにしても、よろしくない。

大塚さんは、この文章の解説を以下のように締めくくる。

「子どもにとって重要なのは親の成功や達成ではなく、生きる姿勢そのものなのだ」(p189)

深く同感する。結局「生きる姿勢」そのものが問われているのである。いくら表面的に成功や達成のフリをしたところで、生きる姿勢がインチキであれば、すぐに見破られる。本物の葛藤と向き合い、表面的なキラキラが通用しないドロドロとした領域で、自分の生き様を問い直し、成功や達成に還元されない生きる姿勢というプロセスを磨き続けられるか。これらが問われている。

「他者を認めることができなければ、
その分だけ自分自身のなかにいる『他者』の存在権も
認めることができなく—逆もまた然りだ。
内的な対話の能力は、
外的な客観性のひとつの尺度なのである。」(p206)

忙しい時ほど、内的な対話をおろそかにしがちになる。しかもそういう時に限って、自分の中にいる「他者」は訊いてほしい、認めてほしい、存在を承認してほしいと、私に問いかけをしてくる。そして、忙しくて自分と対話出来ず、対外的な仕事に必死になるほど、ますます「自分自身のなかにいる『他者』」も怒り出す。そのうえで、リアルな他者を認める事が出来なくなり、葛藤が最大化する。だからこそ、「内的な対話の能力は、外的な客観性のひとつの尺度なのである」という喝破に深く頷くのだ。急がば回れ。忙しい時ほど、自分自身の内なる他者と対話をする時間を確保しなければならないのだ、と。

もっと沢山引用したいが、是非この本は手元に置いて、皆さんも自分が気になる箇所と対話してみてほしい。僕は二読、三読するなかで、この本を通じて内的対話を深めていこうと思う。

おしつけとよこならびを越えて

話題の人文書でもある、精神科医の松本卓也さんの『斜め論—空間の病理学』(筑摩書房)を読んだ。著者の主張する斜めとは、次のフレーズに象徴されている。

「オープンダイアローグにおける『水平のダイアローグ』と『垂直のダイアローグ』の協同は、ガダリのいう『斜め横断性』、すなわち超越的審級によって個人が支配される垂直(おしつけ)性と、標準からの変異を平準化する水平(よこならび)性の両者を乗り越えようとする次元とかなり近い位置にあるのかもしれない。」(p43)

本書の最も興味深い点は、抑圧を「超越的審級によって個人が支配される垂直(おしつけ)性」だけではなく、「標準からの変異を平準化する水平(よこならび)性」にもあると見なし、そのどちらでもない「斜めの関係性」こそが、抑圧からの解放や主体性の快復に結びつく、という整理である。そして、それを上野千鶴子のフェミニズムや信田さよ子のアディクション・アプローチと接続させていく。それは、二人とも学生時代に全共闘運動世代で、社会変革を求める運動の中に内包されていた男性中心的な「垂直(おしつけ)性」にうんざりしていたからだ。

「一方の上野千鶴子は、自分の死をかけて『一度限りの決定的な』決断を下す革命の挫折を経て、『その後』を生き延びるための思想としてのフェミニズムにたどり着いたのであった。
他方の信田さよ子は、上から(垂直的に)降りてきた言葉しか話すことができず、それゆえ空虚な『我々』という主語を弄することしかできないマジョリティ男性たちに背を向け、マイノリティグループ—水平的に運営されるアルコール依存症者の自助グループや、DV被害者の女性のグループカウンセリング—のなかで新たに発明される言葉に関心を持つようになった。そして、水平的な自助グループやグループカウンセリングにつなぐためになされる、ちょっとした垂直性を行使する『指示』を再発明したのである。」(p132)

抑圧的な体制を変革するために闘うのが、「自分の死をかけて『一度限りの決定的な』決断を下す革命」だとすれば、全共闘運動の挫折後、ゲバ棒とヘルメットを捨て去り、スーツを着て「企業戦士」として別の枠組みに「自分の死をかけて」闘おうとする男性達に、「超越的審級によって個人が支配される垂直(おしつけ)性」を上野千鶴子は見て取った。だからこそ、決死の覚悟は横に置き、「『その後』を生き延びるための思想としてのフェミニズム」を編み出していった。

一方、信田さよ子は全共闘運動でも会社人間でも、「上から(垂直的に)降りてきた言葉しか話すことができず、それゆえ空虚な『我々』という主語を弄することしかできないマジョリティ男性たちに背を向け」た、アルコール依存症の患者支援に取り組む中で、「深く考えると酒が飲みたくなる」=つまり内省をしてしまうと余計に酒が飲みたくなる(p110)という垂直(おしつけ)性の弊害に気付く。そこから依存症者の自助グループにおいて「水平方向において『新しい言葉」を獲得する」(p122)重要性に気付く。それは、フェミニズムが家父長制の言語以外の言葉を模索したプロセスとも共通している。

そして、松本氏が先の引用で指摘した「ちょっとした垂直性を行使する『指示』」の重要性は、べてるの家で開発された当事者「研究」における「ちょっと、垂直」(p160)とつながっていく。

「垂直的な上下関係のない仲間どうしによるピアカウンセリングを重視した障害者運動や、やはり垂直的な権威を持つ専門家への依存を批判した自助グループは、総じて『垂直から水平へ』と表することができる方向に向かったとみることができるが、当事者研究はそのような方向転換を行うことによって、かつて批判の的になった『研究』を自分たち当事者の手に取り戻そうとしているのである。」(p161)

研究においては、調査する者・される者が分かれて存在することにより、調査者が対象者を対象化・客観化・平準化し、それが対象者の疎外に結びついていた。だが、当事者研究は、『垂直から水平へ』という自助グループ的なベースがあるがゆえに、研究対象者の仲間を疎外する方向には動かない。ただ、それでも序列化や平板化が生じかねないので、「ちょっと、垂直」が大切だと松本氏は指摘する。

「ハイヤーパワーのような垂直性を置かない当事者研究においては、研究の成果を世代間継承することが強調される。先行世代の研究の成果が垂直的に引き継がれていく必要があるというのである。
ただし、それは過去の当事者研究が絶対化されることではない。むしろ、先行世代の研究を継承しつつ検証しつづけることが求められるのであり、それはカリスマ的な当事者をつくらないこととほぼ同義である。言い換えれば、それは研究を『一度限り決定的』な結論を導き出すものとして捉えるのではなく、『そのたびごとに』更新される一種の永続革命として捉えることにほかならない。
このような当事者研究のあり方は、水平性のたえざるメンテナンスにもとづく、ちょっとした垂直性の重視、と要約することができるように思われる。
グループの中で、メンバーの誰かが他のメンバーの意見を抑圧して上に立とうとすることがないように、日々のミーティングのなかでそのたびごとの対応を続けること。そのようにして確保された水平性のなかで、垂直的でありながらも抑圧的でない世代間継承を可能にすること。」(p164)

長く引用したのは、この箇所にめちゃくちゃ重要だと僕が感じることが多数含まれると、書き写しながら感じたからである。

まず、アルコホリックアノニマス(AA)に代表されるような自助グループは、「ハイヤーパワー」(神のような超越的存在)を仮定し、その前では自分たちは無力である、という垂直性から、底付き体験を経て、自分たちが再生されていくプロセスがつくられていた。だが、当事者研究では、ハイヤーパワーはないものの、「先行世代の研究の成果が垂直的に引き継がれていく」ことによる、「ちょっとした垂直性の重視」が大切だと松本さんは指摘する。そして、それを「カリスマ的な当事者をつくらないこと」と喝破している。これはめちゃくちゃ重要な指摘である。

様々な社会運動で内ゲバ的な対立が生じているのは、カリスマ的なリーダーの登場により、水平的な場を希求して集まってきた場において、気がつけば「『一度限り決定的』な結論」が決められてしまう支配—服従関係が生じてしまうからである。これは、全共闘運動の挫折や、各種の社会運動の停滞にも共通しているのではないか、と僕は感じている。その限界を超えるためには、「水平性のたえざるメンテナンスにもとづく、ちょっとした垂直性の重視」が大切だ、というのは、松本さんの慧眼だと思う。

そして、「先行世代の研究を継承しつつ検証しつづけること」というフレーズで僕が思い出すのは、内田樹先生がしばしばご自身の事を「祖述者」と述べておられる部分である。

「私は白川先生から「祖述者」という立ち位置の重要性を教わった。
 白川先生は人間の知性がもっとも活性化するのはある理説の「創始者」ではなく、その「祖述者」の立ち位置を取るときであると考えていた。先生はそれを孔子から学んだのである。」(「こんなことを書きました」

創始者=オリジネーターは、「カリスマ的な」リーダーである。だが、その立ち位置に立ってしまうと、「メンバーの誰かが他のメンバーの意見を抑圧して上に立とうとする」プロセスが立ち現れ、結果的な「超越的審級によって個人が支配される垂直(おしつけ)性」に場が支配される。そうならないためには、「先行世代の研究を継承しつつ検証しつづける」「祖述者」の立ち位置を保つことが大切である、と内田先生は言う。先行研究をリスペクトしつつも、その継承者である自分たちで共に学び合い研究するプロセスを通じて、「水平性のたえざるメンテナンス」を行う。「そのようにして確保された水平性のなかで、垂直的でありながらも抑圧的でない世代間継承を可能にする」からこそ、当事者研究は応用可能性が高いとも言える。

すると、冒頭の引用箇所を再度検討してみたくなる。

「オープンダイアローグにおける『水平のダイアローグ』と『垂直のダイアローグ』の協同は、ガダリのいう『斜め横断性』、すなわち超越的審級によって個人が支配される垂直(おしつけ)性と、標準からの変異を平準化する水平(よこならび)性の両者を乗り越えようとする次元とかなり近い位置にあるのかもしれない。」

オープンダイアローグにおいては、補論1でも述べられているように、治療を求める人と、その人が参加を求める家族や友人などの社会的ネットワーク、そして治療チームの人々が一堂に会して、対話を行う。その際、「本人のいないところで対話をしない」という原則によって、「水平のダイアローグ」が保たれる。だが、この場では、二種類の「垂直のダイアローグ」も同時並行的になされている。まずは、他者の話を聴きながら、自分の中でその他者の語りをどう受け止めるのか、という自己内対話が行われている。それだけでなく、例えば患者が幻聴のことを話した後に、支援者同士で、本人の目の前で、「今あなたが話してくださったことについて、私たちで会話をしたいのですが、良いですか?」と本人に許可を取ってから、支援者同士の会話を本人の目の前で行う。これを「リフレクティング」というのだが、松本さんは「「リフレクティング」という技法によって、垂直的な関係がいわば「弱毒化」された形で再導入されている」(p252)と指摘している。これも慧眼だと思う。

「水平のダイアローグ」だけだど、「標準からの変異を平準化する水平(よこならび)性」の弊害が起きかねない。だが、そこに「弱毒化」された垂直性である「リフレクティング」が入ることにより、「先行世代の研究の成果が垂直的に引き継がれていく」契機が入る。だが、対等な場でのダイアローグという前提があるので、「超越的審級によって個人が支配される垂直(おしつけ)性」を排除する。これが、水平でも垂直でもない、斜めとしての支援関係の可能性を物語っているのだ、という松本さんの指摘にめっちゃ頷く。

先日読んだ深田耕一郎さんの「障害者運動と社会学──コミュニティとアソシエーションの最適解、あるいは解放と技法の弁証法」という論考の中で、障害者運動は1970年代は「解放の社会学」と結びついたコミュニティ志向であったが、その後90年代から「生の技法」に代表されるアソシエーション志向に変化していった。だが、重度訪問介護の制度化以後、その障害者運動の方向性が問われている、ということが指摘されていた。ちょっと暴論になるが、超越者の前ではみな対等ではないか、というのがコミュニティ志向だとするなら、全共闘運動世代が介助者となった「解放の社会学」には、多分に「垂直(おしつけ)性」が残っていた。その後、自立生活運動が事業所化されていくプロセスは、その「垂直(おしつけ)性」を振り払っていったのだが、介護事業所としての「水平(よこならび)性」に巻き込まれていった、とも言えるかもしれない。

その中で、障害者就労で公務員のようなホワイト企業に働きたい若手障害者は、平準化されたCILという事業所に魅力を感じず、特例子会社の方がより魅力的に感じる、という実態が生じている。

そうであるならば、何らかの形での「斜め」性を取り戻せるかが、21世紀の障害者運動に求められているのかも、しれない。動員や黙って従え的な「垂直(おしつけ)性」はもっての他である。でも、単なる事業所であれば平板化という「水平(よこならび)性」」になる。そうではなくて、「先行世代の研究の成果が垂直的に引き継がれていく」という形で、障害者運動の世代間継承がどうなされていくのか、そこから新たな障害者運動に関する当事者研究が生まれていくのか、という問いが浮かんでくる。

このように、この『斜め論』は、これからのケアや社会運動のあり方を考える上でも重要な補助線になる1冊だと感じた。

追記:おしつけとよこならびを越えるためには、リーダーではなく、ファシリテーターが時としてその場に必要だとも思う。垂直的な抑圧に対しては、「それは違う」と異議申し立てをするが、水平的な平準化にも抗するために、多様な声をそのものとして拾うファシリテーター。そういう存在が、斜めの関係を担保する上でも、大切だと思う。これは、対等な話し合いの場を構成する上でも、鍵となる存在だと思うし、松本さんは語っていなかったが、オープンダイアローグを機能させる上での鍵でもあるとも思う。