子どもの自主性を促す「庭師」へ

子どもとネット依存に関する本を読んでいて、自分のことが書かれているような記載を見つけ、ドキリとした。

「教科書の難しい内容を読み返しながらも、『20分前の投稿写真に、だれかからいいね!がついていなかな?』という考えが浮かび、意識の中に魅力的な寄り道が出現する(手順1)。誘惑に負けないで勉強を続けようとするが、報酬をもらえるかもしれないと考えるだけで少量のドーパミンが放出され、今すぐインスタグラムを開きたくなる。強い欲求を感じて手順2に進んでみるものの、誰からも『いいね!』もコメントもついていなくてがっかりする。だが、ドーパミンが大量に放出されている脳はなおも報酬を欲するため、自分の過去の投稿やダイレクトメッセージ、またはだれかからのリアクション、あるいはちょっとした気晴らしになるものを探し始める(手順3)。フィードをさまよいながら、友人の投稿にコメントを残す。すると案の定、その中の一人が自分の最新投稿に『いいね!』をしてくれる。1時間ほど経過し、ようやく光合成の勉強に戻るが、心のエネルギーを使い果たし、なかなか集中できない。
いったんユーザーが自身の思い一つで変動型報酬につながる行動を起こすようになったなら、そのユーザーは「とりこ(hooked)」になっているといえよう。」
(『不安の世代―スマホ・SNSが子どもと若者の心を蝕む理由』ジョナサン・ハイト著 西川由紀子訳、草思社、p181-182)

夜に酔っ払ったあと、パソコン画面を開かないと決めているのに、うっかり「急ぎのメールだから」などと返信をしているうちに、SNSを見始めてしまうと、僕自身もこのような「自己永続的なループをつくり出す四段階の手順に基づくフック・モデル」(p179)にはまり込んでいる。やめなきゃ、と思うのに、エゴサーチをしてみたり、他の人の投稿にコメントしたり、通知を気にしたり、と「自己永続的なループ」の「とりこ(hooked)」になっているのだ。これは、夕食後の時間の使い方としてもっとも決別したい時間の使い方だが、その「とりこ」から抜け出すのは、僕にとっても容易ではない。

実はこれはSNSを開発した企業がしかけた「ネット依存」の罠である、と本書は指摘している。ちょうど、今朝の新聞記事で、そのことが報じられていた。

「米カリフォルニア州に住む20歳の女性がメタやグーグルなどを訴えた裁判。幼いころ、写真投稿アプリ「インスタグラム」や動画投稿サイト「ユーチューブ」の影響でうつ病や睡眠障害になったとして、損害賠償などを求めている。
原告側が問うのは、利用者が中毒になるように仕向けたSNS企業の「設計上の責任」だ。画面を指でこするだけで次々と動画が表示される「無限スクロール」に加え、頻繁な通知や推奨、自動再生などを問題視する。」
未成年SNS依存、設計に責任は メタなど企業への訴訟、米で数千件

本書の著者が問うているのも、「利用者が中毒になるように仕向けたSNS企業の「設計上の責任」」である。「画面を指でこするだけで次々と動画が表示される「無限スクロール」に加え、頻繁な通知や推奨、自動再生などを問題視する」点も同じであり、それで10代から20代の思春期や青年期の若者達が、睡眠不足だけでなく、自傷やうつ状態など、深刻なメンタルヘルスの状態に陥っていると告発する。

だからこそ、以下の4つの基本方針を推奨している(p32)。

1,高校生になるまでスマートフォンを持たせない。
2,16才まではソーシャルメディア禁止。
3,学校内ではスマートフォンを使用禁止とする。
4,大人の監視なしの遊びを増やし、子どもの自主性を促す。

このうち1〜3については、オーストラリアでスマホ制限の法律が制定されたことにもつながっている。そう思ってググってみたら、やはりこの本が少なからぬ影響を与えているようだ。

「オーストラリアのこの法律には、ニューヨーク大学の心理学者ジョナサン・ハイト氏が2024年に発表した著書『The Anxious Generation(不安の世代)』(未邦訳)が、少なからず影響を与えていると言われています。この本では、スマートフォンとSNSが過去10年間の若者のうつ病や不安の増加の原因であると主張しているのです。」(世界のSNS規制と動向

そして1〜3については、既にネット記事などでも沢山論議がされているので、特に僕が言及しない。それよりも9才の娘を持つ父として最も気になったのは、「4,大人の監視なしの遊びを増やし、子どもの自主性を促す」という部分である。本書の後半では、以下のような年齢ごとの「ステップ」を提言している(p147-148、一部抜粋)。

6才 家庭内で責任を持たせる:簡単な家事リストを与え、その達成度合いによって、毎週少額の小遣いを与える
8才  近所を一人で行動させる:他の子どもたちと集まり、大人の監視なしに自由に遊び、お互いを気遣えるようになる。
10才 行動範囲を拡げさせる:親が8〜9才でしていたくらいまで行動範囲を拡げさせる。
12才 両親以外の大人の師やロールモデルを探し始めるべきである。近所の人や親戚の雑用(落ち葉の掃除、赤ちゃんの世話など)を手伝い、お金を稼ぐ機会を作る
16才 オンライン上の成人の始まり

これを提言しているのは、これとは違う現実が現在進行形だからである。

こどもは16才ではなく、小さい段階からスマホやタブレットを見続けさせられている。我が家では、1日30分×2回、と親と子どもがルールを決めたので娘もそのルールを守っているが、そのルールを決める前は、依存症状態になりかけていた。最近になって、近所の公園に一人で遊びに出かけるようになったが、それまでは危ないから、と親がずっと付き添っていた。「大人の監視なしの遊びを増やし、子どもの自主性を促す」という部分が、明らかに欠けていたと思う。

その背景を、著者はこんな風に整理する。

「1990年代に心配性の子育てが台頭したことで、2000年になると、英語圏諸国の公共の場からは、大人の付き添いのない子どもの姿が消えた。犯罪、性犯罪者、飲酒運転者に遭遇するリスクは過去数十年の方がはるかに高く、どう見ても公共の場における子どもの安全性は高まっているのにだ。そして、大人の付き添いがない子どもの存在が珍しくなると、たまにそういう子どもを目撃した際に、近所の人が911番に電話し、警察や児童保護サービスが駆けつけ、自身が30年前に与えられていた自主性を我が子に味わわせようとした人が懲役を科される事態が時折発生している。」(p121-122)

子どもが生まれて痛感するのは、確かに「大人の付き添いのない子どもの姿」が少なくなった。これは少子化のせいだけではないと思う。少子化だからこそ、一人の子どもにより心配性な親が関わるようになった、というべきか。うちの子も、2年生くらいまでは、遊びに行くなら親がどっちかついていった。親が付き添うのは当たり前という風潮がある。それは親にとっては結構大きな負担である。疲れていたり、公園につれていくのが面倒・しんどいと思うと、ついついスマホを見せてしまっていたこともある。

ただ、筆者も書くように、運転免許やお酒、タバコは、一定程度の判断能力があると仮定される大人になってからであり、運転免許は試験を受ける必要があるのに、それよりも、遙かにメンタルに大きな影響を与えるスマホやSNSは免許も年齢制限もない。これは、依存症のリスクを増やすという意味では、子どもを一人で外遊びさせるより遙かに危険であるという著者の主張も、すごくよくわかる。本人が一人で自主的に遊びに出かけられる範囲を増やし、自尊心や自主性をもって、自分で出来る事を増やすのが、成長につながるのだ。

そういえば、本書について同僚でスマホ教育の専門家の竹内和雄先生とおしゃべりした際、「4,大人の監視なしの遊びを増やし、子どもの自主性を促す」を見て、「そやねん。これはオフラインキャンプと同じ発想やねん!」と即答しておられた。スマホからの依存を断つ、だけでなく、スマホ以外での人との関わりあいの機会を増やす、という意味では、確かに同じ方向性を向いていると改めて感じた。

最後にもう一つだけ、印象的なことを引用しておく。

「子育てを喩える上でよい比喩は、木工職人でななく庭師だと述べている。親がすべきは、『植物がすくすく育つよう、育成に適した保護された空間をつくり出すこと』。それには多少の作業が必要となるが、完璧を目指す必要はない。庭の雑草を抜き、水やりをし、一歩下がって見守っていれば、植物は勝手に育ち、ときには予想外の喜ばしい驚きをもたらす。子育ての乱雑さや予測不可能性を受け入れようとゴブニックは呼びかける。」(p364)

一軒家に引っ越して、小さい庭を手入れし始めたので、この比喩はめっちゃわかる。肥料を入れすぎても、手入れしすぎても、庭はダメになる。一方で、何も手を入れなかったら、野菜も花も育たない。「植物がすくすく育つよう、育成に適した保護された空間をつくり出すこと」とは、庭を観察し、その庭で草木に起きていることを捉えながら、では次に何をしたら良いのかを考え、見守り、適切な環境整備をすること。それと同じように、子どもを観察し、子どもが成長する上での課題を捉えた上で、親がしゃしゃり出ず、スマホやSNSに支配されないように、子どもが自主性や主体性を持てるように、環境調整すること。

そのような子育ての上での大切なことを、本書を読んで学ぶとは思っていなかった。が、めっちゃ役立つ一冊だった。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。