メッシュワークと批判的知性

忙しくなってくると、自分が読みたい本は読めても、自分が慣れ親しんでいない世界の本はなかなか読みにくい。そういう時は読書会に限るよなぁ、と書き出しを書いてみて、以前も同じ表記があると気づいた(こちら)。で、その時と同じように、岡部さんに紹介されて読書会の本に選ばれなかったら、ティム・インゴルドの500ページを超える人類学の大著は、絶対読み通せなかったと思う。でも、面白かった。

インゴルドの人類学本はブームのようになっている、という知識は知っていた。一冊手に取ってみたが、以前は途中で投げ出した記憶もある。だが今回は読書会までに「読まねばならない!」ので、最後まで必死に読み終えた。難解で投げ出したくなるような部分もあったのだが、時折シュッと目が見開かれるような景色に出会えるのが、彼の本の特徴かもしれない。たとえばこんなところとか。

「生物学の哲学者ジョルジュ・カンギレムが1952年に出版した『生命の認識』のなかで書いたように、『生きるということは、放射状にのびることであり、基準となる標点から出発し、その周囲で環境を有機的に構成することである』。有機体はそのとき、次のようなものとして描かれる:

これこそが有機体であり、世界と関わり合う多数の経路に沿って拡張する存在である人間にも同じく当てはまるであろうことは言うまでもない。有機体と人間はそのとき、ネットワークにおける節(ノード)というよりもむしろ、結び目からなる編み物の結ぶ目(ノット)である。そしてある結び目をなす撚り糸が、他の結び目では別の撚り糸と結びつきながら、メッシュワークを構成する。」(ティム・インゴルド『生きていること動く、知る、記述する』左右社、p174)

インゴルドは「生きていること」は、上記の図のような「結び目からなる編み物の結ぶ目(ノット)」であり、それが積み重なったメッシュワーク=網細工だという。こう書いていて、僕が10代の頃から好きなキャロル・キングの名曲Tapestlyを思い出していた。

My life has been a tapestry of rich and royal hue
An everlasting vision of the ever changing view
A wondrous woven magic in bits of blue and gold
A tapestry to feel and see, impossible to hold

ググってみたら、こんな風に素敵に訳しておられる方もおられた。

“私のこれまでの人生は豊かで気高い色合いのタペストリー
それは永遠の夢の様な千変万化の光景
細かい青や金の素敵な織物の魔法
感じ取るものであり、触れはしないものだった”

僕は10代からずっとこの曲を折に触れ聞き、人生とは「つづれ織り」のようなものだと思っていた。見ることも感じることも出来るが、掴むことが出来ないつづれ織り。それは同じく10代から聞いていた中島みゆきの「糸」の歌詞ともつながる。

“縦の糸はあなた
横の糸は私
織りなす布は
いつか誰かを
暖めうるかもしれない”

中島みゆきは、あなたと私の出会いで織りなす布が生まれ、いつか誰かを温めるかもしれないと歌う。一方、キャロル・キングは、一人の人生の中にも様々な出会いや別れのなかでタペストリーが編まれていくと語りかける。どちらも、カンギレムの「生きるということは、放射状にのびることであり、基準となる標点から出発し、その周囲で環境を有機的に構成することである」というフレーズをつながっていく。人と人が出会い、タペストリーを織りなし、それが豊かになって放射状に伸びていく。インゴルドはそれを「結び目をなす撚り糸が、他の結び目では別の撚り糸と結びつきながら、メッシュワークを構成する」と述べている。

そして、読書会で全然知らなかった領域の本を読むことも、まさにメッシュワークだよなぁ、と感じる。これまで自分にはなかった視点からインゴルドが差し出してくる撚り糸が、ぼく自身の実存とある結び目で結びつくことで、キャロル・キングや中島みゆきという別の世界での結び目と結びついて、メッシュワークを構成していくのである。なるほど、確かに。

そしてメッシュワークは絵画の固定的・静的な枠組みを揺らしていく。

「陸と気象のあいだの関係は、大地と天空のあいだの不透過な境界面を横断するものではなく、むしろ世界を結ぶことと解くことのあいだの関係なのである。この結ぶことと解くことに比類なく鮮烈な生命を与えてられているのが、フィンセント・ヴァン・ゴッホの絵画である。美術史家のフィリップ・ローソンはこう述べている。『群れをなす線の差し迫った運動が私たちに示してみせるのは、・・・気象は気象している(weathering)、畑は畑している(fielding)・・・ということである』」(p290)

この本に引用されている鉛筆素描をネットで見つけたので、興味がある人は見て欲しいのだが、麦畑も糸杉も風も、みんな「いま・ここ」で動いている。その動きを動きのままゴッホは捉えようとしているので、「気象は気象している(weathering)、畑は畑している(fielding)」のである。そこには、「世界を結ぶことと解くことのあいだの関係」が現されている。気象している動きの中で、麦畑も糸杉も揺れ、その揺れのなかでも、麦畑は畑していて、糸杉と気象と結びついている。そういうメッシュワークがこの絵画の素描では描かれている。

しかも、インゴルドが取り上げたゴッホの作品は、完成後の有名な絵画『糸杉のある麦畑』ではなく、その作品の元になった鉛筆素描である点が重要だ。そのことに、読み終えてブログを書く段階で気づいた。それは本書最後の方で、こんな記述がなされているからである。

「ギアツの用語を使用するならば、エスノグラファーの記述について言われる『厚さ』は、ブライソンが説明するような絵の動いている状態を覆い消してしまう油絵の具の密度と不透明性を思い起こさせる。この絵をつくるために行われたすべての修正、変更、そして描き損じが、目に見える表面の下に隠されることで、絵画は完結した全体として、再現された現象の全体性の構図を保つ。そして、完全なエスノグラフィーもまた、その記録の痕跡を隠し、生活世界の写実的な絵を、すでにできあがったものであるかのように表面上に提示する。」(p511)

これは実はよくわかる話である。僕も質的研究を続けてきたので、社会学であれ人類学であれ、調査者が現地に入り込んで見聞きしてきたことを描き出すエスノグラフィーを読む機会がある。もちろん優れた記述が多いのだが、たまに美しすぎる・立派すぎる記述を読んでいると、ほんまかいな!?と思うことがある。それは、インゴルドによれば、油絵の具を塗ってしまうことにより、「この絵をつくるために行われたすべての修正、変更、そして描き損じが、目に見える表面の下に隠される」のである。そういうエスノグラフィーは、「記録の痕跡を隠し、生活世界の写実的な絵を、すでにできあがったものであるかのように表面上に提示する」と告発しているのである。そして、インゴルドは油絵の具で塗り固める以前の線描に人類学が戻ることを呼びかけている。

「線描は非構成性という原則を前提としており、閉ざされた社会世界ではなく、開かれた社会のなかで、生はどのように生きられているのかをよりよく理解することを可能にする反全体化の力を秘めている。これらの生は、枠に嵌められているからではなく、絡み合っているからこそ、社会的なのである。すべての生は基本的に多重構造であり、同時に走る多くの線が絡み合っており、この意味において社会的なものなのだ。」(p509)

その直前にインゴルドは「線描の本質は、静的な存在よりも、動的な発展にある」(p498)とも述べている。油絵やエスノグラフィーは完成された作品であり、それは「静的な存在」である。ある意味作品は「閉ざされた社会世界」となってしまう。一方で、線で描くことは、「修正、変更、そして描き損じ」がある、「動的な発展」状態であり、「開かれた社会」である。そして、この完成形とは真逆の「動的な発展」は、「枠に嵌められているからではなく、絡み合っているからこそ、社会的」だと彼は語る。そして、この絡み合いこそが人類学の醍醐味である、と。

「人類学を真に他の学問から区別するのは、前章の結論を繰り返すならば、それが何かに関する研究ではなく、何かとともに行う研究だということである。人類学者は、人びととともに仕事をし、研究する。彼らは共同で作業する環境に身を置くことで、人類学者は教師や仲間たちが事物を見、聞き、触れる仕方を学ぶ。」(p544)

「何かに関する研究ではなく、何かとともに行う研究」というのは、研究対象と自分を分けるabout-ness的志向ではなく、研究対象と自分が一緒に考え合う、という意味でwith-ness的志向である。対象者世界を出来上がった絵画やエスノグラフィーのような「完成形」として塗り込め・枠に嵌めるのではない。そうではなくて、対象者と一緒に考え合い、素描を修正し、変更し、描き損じも含めて共有していくなかで、「動的な発展」を遂げ、「絡み合い」を豊かにしていくメッシュワークが人類学だという。

「人類学が試みているのは、本質的に比較対照であるが、対照されるものは、区分された物体や実体ではなく、さまざまな存在の仕方なのである。それは、異なる存在の方法に対する気づき、あるいは、ある存在の仕方から別の仕方への移行可能性が常に存在する事に対する絶え間ない気づきであり、この気づきこそ人類学的態度を定義するものである。それは、私が『横目で見る』と呼ぶもののうちにある。私たちはどこにいても、何をしていても、常に物事が異なった仕方で行われるかもしれないことを認識している。」(p547)

「ある存在の仕方から別の仕方への移行可能性が常に存在する事に対する絶え間ない気づき」を「人類学的態度」というのなら、それは僕がずっと持ち続けていることである。僕は福祉や医療をフィールドにしながら、常に「これでいいのだろうか? 別の可能性はないだろうか?」と「別の仕方への移行可能性」を問い続けている。

これを書いていて、以前ブログで取り上げた人類学者グレーバーのあのフレーズを思い出していた。

「人間はなにかをつくる前に、それがどのようなものになってほしいのかを心の中で思い描く。だから私たちは別の可能性も想像できる。その意味で、人間の知性は本質的に批判的なものである。」(デヴィッド・グレーバーの『価値論』以文社、p102)

「さまざまな存在の仕方」を想起する、ということは、「別の可能性も想像」することである。そして、グレーバーはそのことを批判的な知性という。そう人類学的態度とは比較対照の中から、「別の仕方への移行可能性」を想像し続ける、物事を「横目で見る」やりかたなのだ。それなら、僕は精神病院をフィールドでずっとしてきたことである。

人類学が比較対照をするのは、「さまざまな存在の仕方」だという。例えば服を着ている、遠い場所なら車や鉄道、飛行機で移動する、月曜日から金曜日まで働き土日は休む、というのが、西洋近代社会の合理性になっている。でも、別の文化・価値体系を持っている人々であれば、裸に近い姿で過ごすのが当たり前だったり、歩ける範囲でしか移動しなかったり、ダラダラするのが基本で食料がないときだけ働くという人々もいる。そういう人は「未開人」などとラベルが貼られている。それを物見遊山で眺める、のは人類学的仕事ではないとインゴルドはいう。そうではなく、彼女ら彼らの合理性を、一緒に何かをしながら学ぶことで、西洋近代的な因果論的合理性を比較対照し、「異なる存在の方法に対する気づき、あるいは、ある存在の仕方から別の仕方への移行可能性が常に存在する事に対する絶え間ない気づき」をもたらすのだ。

精神病になったら、重度の場合は精神病院に一生入院するしかない。

これは、近代合理性の因果律の古いバージョンである。そして、日本の精神医療は未だにこの呪縛に縛られており、それ故に、滝山病院や神出病院、最近ではみちのく記念病院などで、虐待は起こり続けている。これは精神病院が必要悪である、という価値前提に縛られているからである。でも、そこで「別の仕方への移行可能性」を考えることは、精神病院をなくしても機能する社会を想起する、という意味で、批判的思考である。フィンランドやイタリアに調査に出かけたのは、精神病院システムに依存する割合をできる限り最小化する、「別の仕方への移行可能性」を問い続けているからである。

そうか、僕は「ありもの仕事」=ブリコラージュ的な仕事をしてきたけど、それは「人類学的態度」に近いのかも知れない。

そして、インゴルドは「人類学はエスノグラフィーではない」という挑戦的なフレーズを最終章に用いている。

「人類学者は、自分自身に対して、他者に対して、また世界に対して、考えたり話したりするように、書くのである。言葉による呼応のやり取りは、人類学的対話の中心にある。それは、私たちが自分自身を『フィールドのなか』にいると考えるか、あるいは外にいると考えるかにかかわらず、どこでも実行することができる。人類学者は、私が主張してきたように、世界のなかで、そして世界とともに考え、話し、書くのである。人類学を行うためには、世界をフィールドとして考える必要はない。『フィールド』とはむしろ、エスノグラファーが、文章で記述するためにみずから目を逸らした世界について、回顧的に想像するために用いるためにもちいる特殊な用語なのである。エスノグラファーが書くことは、非記述的な呼応(non-descriptive correspondence)の一つというよりも、非呼応的な記述(non-correspondent description)のひとつ、つまり(絵画やドローイングとは異なり)観察から離れた記述である。したがって、もし誰かが肘掛け椅子に引きこもるとすれば、それは人類学者ではなく、エスノグラファーなのだ。探求から記述へと移行するとき、彼は必然的に行為のフィールドから身を引かなければならない。」(p552)

先ほどのゴッホの絵画でいえば、出来上がった「糸杉のある麦畑」は、完成形として閉ざされて、そこに対話の余地がないという意味において、「非呼応的な記述(non-correspondent description)」である。そして、エスノグラフィーという作品も、同じように呼応(correspondence)を閉じていないか、をインゴルドは鋭く問う。人類学者は、あくまでも呼応に開かれていると。ゴッホの鉛筆素描は、まだ書き足す余地がある、という意味で、「非記述的な呼応(non-descriptive correspondence)」なのである。対象世界「について」書くのがエスノグラフィーだとするならば、人類学的記述とは、対象世界「とともに」書く。それが「世界のなかで、そして世界とともに考え、話し、書くのである」ということの意味である。

たとえば、42歳で子どもが産まれ、家事育児という「ままならぬものに巻き込まれる」と、外に出かけて比較対照する仕事が出来なくなってしまった。その渦中で、ケアの本を読み漁り、目の前の子どもや妻と対話をし続けてきた。そのプロセスをウンウンと唸りながら書き上げたのが、『家族は他人、じゃあどうする? 子育ては親の育ち直し』(現代書館)というエッセイだが、よく考えたらあの本は、「世界のなかで、そして世界とともに考え、話し、書く」行為だったと思う。それは、「非記述的な呼応(non-descriptive correspondence)」を部分的にでも言葉にした、という風にも言えるかも知れない。

そうであるならば、僕は人類学を勉強して来なかったのだけれど、案外インゴルドの主張する世界と近いところにいるかもしれない。そんな読後感だった。

文脈を踏まえた価値選択を読み取る

世の中には、購入して・発売後にすぐ読む本もあれば、ずっと寝かせている本もある。僕の部屋や仕事場には10年物、20年物とかざらにある。そして、今回は2014年に初版が出てすぐ買いながら、なかなか読むご縁がなかったもの。人類学を学ぶさーやさんが、「日本の精神医療のフィールドワークと言えばこの本しかありませんよ!」と言うので、やっと読めたのが中村かれんさんの『クレイジー・イン・ジャパン』(医学書院)

おっさんになったから告白するが、正直、嫉妬で読めなかったのだ(苦笑)

そう書いてみたら、ほんまにダサい!理由。でも、イェール大学の人類学者がべてるの家でフィールドワークをして、それを超人気レーベルである「ケアをひらく」シリーズで売り出した。何重の意味でもキラキラしているように見えて、近親憎悪ではないけれど、自分には出来ないことをしている優秀な研究者へのやっかみのようなものがあって、読む気にならなかったのだ。そして、そこから10年寝かして、己のうちに黒々とトグロを巻く能力主義とは新刊『能力主義をケアでほぐす』でだいぶ成仏出来たので、やっと読めるようになった。ものすごい長い前置きですね。

さて、確かにこの本は真っ当な人類学者によるフィールドワークである。べてるの家については、向谷地さんの本も沢山出ているし、斎藤道雄さんのルポも読んだ。でも、それらとは違う、魅力的なエスノグラフィである。というか、僕らが知るべてるの家のイメージをアップデートする、というか捉え直す力がある。

まず、べてるのキャッチフレーズが英語訳と共に書かれているのを眺めて、めちゃ面白かった(p66-67)。

Meeting is more important than eating. (三度の飯よりミーティング)
Weakness binds us together.(弱さを絆に)
Just letting it be is good enough.(そのまんまがいいみたい)
Recaim your problem.(苦労を取り戻す)

実はこの日本語を機械翻訳にかけてみると、全然違う英訳が出てくる。

have a meeting rather than eating three meals
Weakness as a bond
They like it just the way it is.
Reclaiming the hard work

ポンコツな機械訳と中村さんによる達意の翻訳。この二つを比較して改めて思うのは、中村さんはフィールドワークでべてるの家の大切な価値観を学び、その価値前提を英訳の中に取り込んでいる、ということだ。「三度の飯よりミーティング」というのは、ご飯を食べるという基礎的な営みよりもミーティングの方が「はるかに大切だ」という価値表明である。「弱さを絆に」は「弱さ」が「人々を一緒に結びつける」紐帯になる、ということである。そのまんまがいいみたい、というのは、単にそれが好きだとかそういう話ではなく、そのまんまで「充分なので無理しなくて良い」、ということだ。苦労を取り戻すというのは、しんどいことではなく「自分自身の問題」と向き合おう・取り戻そう、ということである。

こういうべてるの家が大切にしたい理念をしっかりわかっているからこそ、中村さんは本質をしっかり捉えながら、英語としてもすごくクールなフレーズに置き換えられたのである。これだけでも、フィールドワーカーとしての彼女の本領発揮、と言える。ついでに言うなら、今のところ機械翻訳は、こういう価値観が濃密に含まれたフレーズをしっかりずばりと翻訳できない、という限界である。なぜならば、そこには「どのような背景がその言葉に含まれているのか」という文脈を踏まえた価値選択が出来ないからだ。そして、この文脈を踏まえた価値選択を読み取ることこそ、フィールドワークの極意なのである。という意味でも、この翻訳は二重三重に味わい深い。

この本の最も魅力的なのは、べてるの家の住人達の物語である。特にUFOと集団妄想という副題のついた「耕平の物語」は圧巻だった。襟裳岬にUFOが来るからと操縦しなきゃとべてるを出て行こうとする耕平さん。それを聞いて、UFOの遭遇経験のあるメンバーも含めてミーティングをするべてるメンバー達。そして、浦河では操縦するには免許がいるとみんなから聞いて、免許は「川村宇宙センター」で取れるから、と浦河赤十字病院の川村先生のところに連れていかれ、「UFO探検の前に精神科病棟で2,3日休んでいたほうがいいといわれて、本人も納得して入院する。

このエピソードだけでも充分魅力的なのだが、実はこの山根耕平さんの歴史を辿る中で、彼が狂わざるを得なかった「日本社会の狂い」を中村さんは見事に描き出している。山根さんは三菱自動車のエンジニアで、顧客やディーラーから寄せられる欠陥情報の解析をしていたが、その情報を上司に隠蔽するように指示され、ましてや本社で監査の際の隠蔽の練習にまで加担し、それはオカシイと異議申し立てしたらいじめられるようになり、狂っていった。そこで、たまたま斎藤道雄さんと山根さんの母親が友人で、べてるの取材に連れていってもらって、そこからべてるに住むようになった、という。

そして、べてるの家にいても、隠蔽しなきゃ・言ってはいけない、というのが根底にあって、なかなか自分の苦しさを伝えられなかった。それが、UFOのエピソードくらいから、ミーティングで言わなければならない、そしてみんなが自分の話を聞いてくれるようになり、徐々に自分自身を抑圧して言えなかったことが、少しずつ言えるようになってきた。そして、そのエピソードの二年後に、三菱自動車の隠蔽事件がマスコミで発覚し、「おまえ、走ってる車のタイヤがとれるだの、エンジンから火噴くだの言ってたけど、本当だったんだなぁ」と回りから認めてもらい、本人も落ち着くようになったという。社会の狂いを内面化して苦しんでいた山根さんは、その狂いを「外在化」できたことで、やっとすくわれていった。そのプロセスがしっかり描かれていて、魅力的だった。

さらに、最後の方で、べてるの家が社会福祉法人になることによって、当事者メンバーが組織運営から外れていき、健常者メンバーが監査対応などで「きっちり」「しっかり」仕事をする、「官僚主義化と合理化の傾向が強まっている部分が大きい」「日本の他の施設と違わなくなってきている」という制度化の限界が述べられている(p209)。ただ、これはべてるの家に限らず、介護保険法や障害者自立支援法などの法制度で事業を展開する、社会運動的な団体が少なからず同じような影響を受けている。そのことは「ソーシャルアクションの担い手から、サービス提供への雁字搦めへ」という文章で書いたこともある。

そしてこの本の最後の方に、最も優れたまとめが書かれていた。

「理想郷『ユートピア』が、暗黒鏡『ディストピア』になってしまうのは、どのようなときだろうか。おそらく両者は客観的に区別できるものではなく、価値観の問題なのだろう。私は、べてるがカルト教と類似していると感じたことは何度もあった。カリスマ的リーダーがいて、強い信念の体系があって、緊密なコミュニティ生活が強調されている。それでもカルトと似ていないのは、誰もが自分の好きなことをする自由があるからだった。」(p216)

ここまでストレートに書くのか、と思うほど、本質を突いている。そう、べてるの家は、その立地の特異性(北海道浦河の過疎地)や向谷地さん、川村さんなどのカリスマリーダーの存在、そして「三度の飯よりミーティング」に代表されるような濃厚で凝縮的なコミュニティが、カルト教と類似した雰囲気を醸し出す。現にそういう批判を聞くこともある。でも、べてるの家という濃密なコミュニティがそれでもカルト教と異なるところは、「誰もが自分の好きなことをする自由がある」という部分だ。

逆にいえば、この「誰もが自分の好きなことをする自由がある」という部分は、精神病院に代表される全制的施設とは真逆なのだ。そして、より集中的な支援が必要な精神障害者であっても、「誰もが自分の好きなことをする自由がある」コミュニティをどう地域の中で作り出せるのか。それが、この本が差し出す大きな問いなのだと思った。