重荷を背負うバトン

公私ともに大変お世話になり、めちゃくちゃ学ばせて頂いている勅使川原真衣さん(てっしーさん)から、またもや新刊を頂いた。彼女の本は、次々に出るが、今回の本も僕にとって大きな滋養になる一冊である。今回もガツンとやられた。

「『成功』をいかに定義し、希求しようとも、それが個人主義的な人間観に基づき、またその能力や資質のある者、努力する体力と時間のある者の選抜を前提とする限りにおいて、『成功』はごく一部の限られた人だけが豊かに生きられる、ライフハック術になってしまう様を見てきた。
私が考えているのは、個人が『成功』なんてしなくったって、ないしは、『失敗』してしまっても、皆が心穏やかに生を全うできるシステムである。そう、社会システムの『成功』を希求している。そのために、耳には心地がいいが、実際は個人に対して選別的で排他的な概念には目を光らせている。」(勅使川原真衣『人生の「成功」について誰も語ってこなかったこと 仕事にすべてを奪われないために知っておきたい能力主義という社会の仕組み』KADOKAWA p215)

色々な意味において、この文章にガツンとやられている。

まず、僕自身は20年前に大学教員になった時から、ライフハック系の本を100冊以上読んできた。それは、博士論文を書き上げた段階で論文の数が少なく、その後2年間、就職浪人をして50の大学から不採用通知をもらい続けてきたので、30才で常勤職に就いた後に、生産性を上げなければ、と必死になったからだ。言葉を選ばずに言えば、成功する為に努力しなければならない、と必死だった。その意味では、「『成功』はごく一部の限られた人だけが豊かに生きられる、ライフハック術」であると、僕も長らく思い込んでいた。

ただ、スウェーデンに半年住んだり、北欧型の社会民主主義を学ぶ中で、「個人が『成功』なんてしなくったって、ないしは、『失敗』してしまっても、皆が心穏やかに生を全うできるシステム」が本当に大切だと、これも20年以上思い続けている。そこに、てっしーさんは、「社会システムの『成功』を希求している」と書いてくれた。確かに! 選別的で排他的な個人の成功であれば、1%の成功者になれない99%は、失敗者であり、不幸になってしまう。でも、個々人の成功や失敗に関係なく、皆が心穏やかに生を全うできるシステムこそが、「社会システムの『成功』」だとするならば、それを求めたほうが絶対によい。これは、子育てをし始めてのこの8年ほどの間に、痛感するようになってきた。でも、こうやって言語化してもらえると、心強い。

さらに、「耳には心地がいいが、実際は個人に対して選別的で排他的な概念には目を光らせている」というのは、てっしーさんは流石!である。僕は、これまでも沢山の耳心地のよい言葉にうっかり乗せられてきて、後で反省をすることが多かった。30代は読みまくっていたライフハック系の本の影響で、「無駄を嫌う」「効率至上主義」(p127)が内面化していた。それで「できる男」のフリをしていい気になってきた。でも、それが「個人に対して選別的で排他的な概念」に嵌入していたと気づかされ、この文章を読んでヒリヒリ・イテテ、となった。

他の箇所で、「耳には心地がいいが、個人に対して選別的で排他的な概念」を問い直す部分も引用してみよう。

ノーブルかどうかではなく、単に運にちがいがある私たちなのだから、幸運な者は不幸の者の重荷の一部を背負いましょうよと。
 強運な人と不運な人
 恵まれている人と残念な人
というのは、場面場面の話ではあるが、確かにある。しかしこれは、本人の努力とか才能の話だけではない。歴然とした差があっても、これはまったくもって偶然性によるものだ。
 まぐれを本人が総取りしていいわけがない。ラッキーパンチはあなたの所有物ではないのだから。
 だから思う。不運な人を強運な人が手伝う。金銭的だったり、時間を共にすることだったり、方法はいろいろある。決して『高貴なる者による施し』ではないのだ。」(p192-193)

これは「ノブレス・オブリージュ」に対する強烈な問い直しである。

ノーブルかどうかではなく、単に運にちがいがある私たちなのだから、幸運な者は不幸の者の重荷の一部を背負いましょうよ」というのは、なんとも爽快で、気持ちの良い提言だろう! そして、「王様は裸だ!」のような、ほんまの話を射貫いている。

「強運な人と不運な人」とか「恵まれている人と残念な人」な二分法って、「強運」&「恵まれている」カテゴリーにある人ほど、自分が努力した賜物だと思い込みやすい。頑張って努力したリターンなのであって、結果の平等を保障されたら、頑張って努力した人が報われないではないか!という主張をしばしば耳にする。だが、能力主義を教育社会学の視点から徹底的に問い直してきた&組織開発の現場で様々な人の運不運な人生を見続けてきたてっしーさんは、「歴然とした差があっても、これはまったくもって偶然性によるものだ」と喝破する。

だからこそ、「まぐれを本人が総取りしていいわけがない」と一刀両断するのである。1%の成功者は99%の失敗者の富も含めて総取りしてよい、というのは、アメリカ流の強欲資本主義の考え方だが、それは「まぐれによる総取り」にあたる、とまで言われると、胸がすく思いがする。

その上で、たまたま強運だったり恵まれている状態にある人は、「社会の成功」に導くために、積極的に働きかけようよ、と提案している。それが「不運な人を強運な人が手伝う。金銭的だったり、時間を共にすることだったり、方法はいろいろある」という部分だ。これも、僕自身にとって、イテテの内容である。

僕自身は、気がつけば大学教授の仕事をし、本も何冊か書かせてもらい、娘や妻と楽しく暮らしている。これは、まさに強運であり、恵まれている状況である。この現在の自分自身の状況を、「持てる者」として認識していたか、というと、中身は30代のガツガツした「もっと、もっと!」とか「成功しなければ」という強迫観念の残りカスのようなものが、まだくすぶっていたと最近気づく。それが、僕自身の葛藤の最大化につながっているのは、昨日のブログにも書いたとおりである。「幸運な者は不幸の者の重荷の一部を背負いましょうよ」というんは、文字通り僕自身が向き合う必要の課題を、ピンポイントで指摘して下さっているのである。なんとも、ありがたいことか!

その上で、本書の「成功」は、「成長」ではなく、「成熟」であるとも喝破している。

「自身の限界を知ること。時に失望すること。それら『失敗』も含めて『成熟』だと私は思う。本書が言わんとしていることは、『成功』とは何か、であるが、私の解釈は徹頭徹尾、世に言う『成長』ではなく、後退や退化、らせん状に旋回してしまうことなども含めた『成熟』である。
そしてその『成熟』に、他者比較及び競争は要らない。『成長』はなぜらせんを描かず単線的で直線的なのかと言えば、量的拡大と速さを競っているからである。」(p258)

勅使川原真衣さんの書く文章は、基本的にめちゃくちゃ読みやすいし、それはこの本もそうである。でも、ブログのために、彼女の文章を書き写しながらいつも感じるのは、一つ一つの文章が選び抜かれた言葉に基づいている、という点である。

本書の最大の批判は、「『成長』はなぜらせんを描かず単線的で直線的なのかと言えば、量的拡大と速さを競っているから」という部分である。「もっと、もっと!」という「成長」は量的拡大と速さを競うという意味において、単線的で直線的なものである。それは、偏差値とか長者番付に代表されるように、ある指標で人を序列化することが出来る。どこの大学に入った、とか、金をいくら持っているか、で、人々を格付けし、より多くをもらい、より「良い大学」に入るための競争を煽っていく。少子化の現在における中学受験の過熱化の背景にも、「量的拡大と速さを競っている」不安ビジネスが跋扈している。

こんな時代「だからこそ」、他者比較及び競争は要らない「成熟」こそが大切なのだ。

僕は20代の頃から、「らせん階段的な拡大」という表現に憑かれている。同じ所を何度も巡るようで、気づいたら以前とは位相が違う。それは、正比例的な成長ではなくて、同じようなプロセスを何度か巡りながら、内側に深く深く掘り抜いていく、という意味で、「成熟」に近いような気がしてきた。

50才を迎えた今年、「「自身の限界を知ること。時に失望すること。それら『失敗』」にも、沢山出会っている。何というか、自分自身のポンコツさ加減にあきれ果て、嫌になることもある。でも、それも含めて「成熟」への道なのだと気づかされると、てっしーさんに応援してもらった気分になる。だからこそ、「幸運な者は不幸の者の重荷の一部を背負いましょうよ」というのは、僕自身が「取れる責任」だと改めて感じる。それは、僕が不幸や不運、残念な状態であったとき、幸福で強運な人々に、沢山助けてもらってきたし、重荷を代わりに担いで引っ張り上げてもらった歴史と重なる。

今度は重荷を背負う側のバトンが回ってきた。その覚悟をもって、若い人たちと協働し、共に創り上げる共創を目指すこと。これが「社会の成功」の鍵だと、本書を読みながら改めて感じた。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。