「魂の諒解」に必要な「構え」とは?

おそらく今日が今年最後のエントリー。なので、改めて東日本大震災の事を考えてみたい。
震災や原発事故について、どういう「構え」をしたらいいのか。未だにわからない。糸口もなかなか見いだせない。震災から9ヶ月たった今も、まだその戸惑いの渦中にいる。そんな中で、すーっと心の中に染みこんだフレーズと出会った。
「大きな災禍からの復旧、復興への歩みがはじまるとすれば、その出発点にあるのは、魂の諒解、魂の次元での折り合いなのではないだろうか。直接的な被災者ではなかった人びとも同じことだろう。魂の次元で被災者とともに生きようと諒解した人びとは、自分のできることを探した。知性の次元で考えれば、被災者とともに生きるとはどうすることなのかはよくわからない。しかし、多くの人たちが今回の大震災では、魂の次元で被災者とともに生きようと考えた。出発点は魂の折り合いであり、諒解なのである。だから頭で考えただけの復興の計画を聞かされても、誰もが空々しく、あるいは虚しく感じる。確かに町や村を再建していくには、いろいろなことをしなければならないだろう。そんなことはわかりきったことだ。だがそれだけでは何かが十分ではないと感じる。そんな感じを抱いている人も多いだろう。それは魂の諒解を伴わない復興計画から浸み出てくる虚しさである。」(内山節『文明の災禍』新潮新書、p13)
確かに僕自身も、3月11日から9ヶ月過ぎた今でも、あの日テレビの映像を通じて見てしまった現実が、「腑に落ちて」いない。「魂の次元で被災者とともに生きようと考え」てはいるのだが、それにはどのような構えや振る舞いがよいのか、未だに見いだせていない。その理由として、「魂の次元での折り合い」がついていないからではないか、といわれたら、直感的に確かにそういう気がする。僕自身が、具体的に震災や原発災害とどう向き合えばいいのか、腰が据わっていない。それは、今回の震災でもたらされた膨大な数の死者・行方不明者を前にして、僕自身がそれをどう受け止めていいのか、どう魂のレベルでこれを諒解していいのか、が、腑に落ちていないから、とも言えるだろう。その上で、内山氏は次のように論を進める。
「東日本大震災では、無関係な他者の死に対しても、無関心でいるわけにはいかなかった。あまりにもすさまじい生と死の境界が、テレビをとおして私たちの前に現れてきたのである。そして関心をいだいたときから、私たちはこの死の現実に対してどう向き合ってよいのかわからなくなった。呆然としているしかなかたのである。現れてきた現実の受け入れ方がわからない。だからそれは恐怖になり、心の奥に沈み込んだ『かたまり』になった。かつて共同体を通して死を諒解していった日本の人びとは、共同体を失ったとき、死を、とりわけ不慮の死を不条理のなかにみるしかなくなった。とすれば、それもまた現代文明の敗北である。現代文明は新しい形で死を諒解する構造をつくりださなかった。なぜなら現代文明は生の饗宴として展開したからである。あるいは個人を軸に置いた生の饗宴として展開した。それでは生と死のつながりの諒解など形成しようもない。」(同上、p45)
震災から9ヶ月が過ぎた今も、ある意味、「呆然としている」状態が続いている。テレビでは年末特集で当然津波の映像をやっているが、まともに見ることが出来ない。それは「現れてきた現実の受け入れ方がわからない」からであり、「心の奥に沈み込んだ『かたまり』」のようなものが、つっかえているからかもしれないし、それが逆流して眼前に出てくることの恐怖なのかもしれない。僕自身が「個人を軸に置いた生の饗宴」を享受し、「生と死のつながりの諒解」からかけ離れていた。共同体に関わりの薄い僕には、だけれども「新しい形で死を諒解する構造」がなかった。それゆえに、「無関係な他者の死に対しても、無関心でいるわけにはいかなかった」際、どう振る舞えばよいのか、がわからず、フリーズしてしまった、というのが実感である。そのフリーズ感を、こうも具体的な表現で書いてくれる作品に、今の時期に出会えたことにより、その氷が、少しずつ溶けつつある。
仕事として、「地域福祉」という領域に関わっている。最近では、地域包括ケアや地域自立支援協議会、といった、コミュニティの再生や賦活化のお手伝いもしている。だが、お恥ずかしい話、僕の中にそのコアな部分にある共同体なりコミュニティなりに対する構えや諒解、というものがなかった。自分なりにビジョンを持つこともないまま、求められるがまま、に、幾つかの地域でのアドバイザーの仕事をしてきた。制度や政策論レベルで、行政施策をよりよいものにするならば、という道具主義的な考え方であれば、それでも何とか仕事をしてこれた。
とはいえ、道具主義の向こう側にある、「何のために」という目的を見据えた支援をしないと、方法論の自己目的化に繋がる。自分の仕事がどうもそういう自己目的化のタコツボの中に入り込んでいるのではないか、と、特に震災以後、感じるようになってきた。福祉現場から依頼された、直接の目的は、確かに果たそうと努力している。しかし、方法論的にある程度の到達が出来ても、目的を見失った方法論であれば、結果として糸の切れた凧のように、初期の目的からずれて、明後日の方向に飛んでいくことになりかねない。そのため、ここしばらく、地域福祉の前提となるコミュニティについて、学び直そうとし、ブログにもメモを書き続けていた。実は内山節氏の存在も、そのブログを読まれた方から教えていただいて初めて知った。
そして、コミュニティや共同体について縦穴を掘り始めてすぐ気づいたのが、それを語るタケバタヒロシ自身が、コミュニティや共同体から切り離された存在である、ということだ。「個人を軸に置いた生の饗宴」の枠の中で、バーチャルな存在として「コミュニティ」や「共同体」を語っている、というお恥ずかしい事態である。しかも、そのロゴス中心の、バーチャルな考え方が、そろそろ破綻している、ということに、震災後、身体が気づき始めた。ゆえに不全感の「かたまり」が全身を覆っている。
だが、それを突破する(かもしれない)道が、見え始めている。そのきっかけは、ふと読み直したくなって手にした、大学生の頃に読んだ新書からだった。
「<ロゴス>と<パトス>というギリシア語からは、ひどく難解な哲学的行論を予想する人がいるかもしれない。しかし、これをくだいて言ってしまえば、<頭>と<気持>なのである。先日たまたま、初期の『男はつらいよ』シリーズのビデオを見ていたら、例の寅さんがくりかえし呟いていた。『頭じゃわかっているんだが、気持ちが俺をひょんな方向へ駆り立てていっちゃうのよ。』 思想・学問・芸術の別を問わず、私たちのいかなる<知>の営為も、『今、ここ』に生きる生身の人間とその日常から遊離してはならないだろう。<頭>と<気持>・・・まことに人間の一生は、寅さんの体験するような、二つの相対立するものの間で揺れ動き、そこからすべての喜怒哀楽が生まれてくる。」(丸山圭三郎『言葉と無意識』講談社現代新書、p16)
震災という不条理を僕自身が「魂のレベルで諒解」出来ていないのは、<頭>と<気持>が分離しているからだ。寅さんなら、ふらふらと『頭じゃわかっているんだが、気持ちが俺をひょんな方向へ駆り立てていっちゃうのよ』と出かけてしまうが、僕はその逆で、どこにも行けず、山梨で閉じこもっていた。もちろん本務の仕事をしていたし、様々な仕事で出張をし続けていたが、被災地支援については、直接のアクションは何も起こせなかった。寅さんのように「気持ちが」「駆り立て」る、という<パトス>に従うことなく、<ロゴス>の回路も情報過多でオーバーフローし、<頭>を働かせられずに「呆然」としていた。
思えばこの10年ほどは、研究者としての「立場」を内面化するために、ロゴスの囚人へと自らの魂を進んで捧げ、パトスについては「ロゴス以前」として見ないようにしてきた自分がいた。だが、大震災や原発災害は、そのロゴスの前提(「まさか」「はずだ」)を「想定外」という一言で吹き飛ばしてしまった。ロゴス=頭、が吹き飛んでしまった今、再度パトス=気持、の前提から、議論を紡ぎ直す必要があるのではないか。だが、このパトスとは、決して単なる情緒的なものではない。
「パトスの位相にあるロゴスは、一切の実体論的二項対立以前の動きであるだけでなく、その差異化自体が、意識的主体の意思によるものではない非人称的活動であることを見逃してはならない。そこでは、自/他以前の<on ひと>が語るのだが、そのonは能動/受動以前の受動性によって語らされる(パトス=パッシオ=パッション)。とは言っても、主体が雲散霧消するのではなく、それは逆に多様化され複数化され、『私はもう一人の他者』(ランボー)となり、『歴史上のあらゆる自分とさえなる』(ニーチェ)のだ。ロゴスの表層において錯視されていた自我の同一性は崩壊し、デカルト的主体(コギト)によて抑圧されていたより豊穣な自己の世界に人は生きる。」(同上、p38)
「生と死のつながりの諒解」を形成してきたかつての共同体は、「意識的主体の意思によるものではない非人称的活動」によって形作られてきた。氏神信仰や祭礼など、「大地にねざした共感、すなわち五感を駆使した『ふれあい』にもとづく人と人との『あいだ』の存立を可能とするような範域性」(吉原直樹『コミュニティ・スタディーズ』作品社 p82))で繋がる地縁とは、「個人を軸に置いた生の饗宴」よりも、「さまざまな無名の霊への融合という『かたち』をとって、自然をわがものとするのではなく、自然に同体化するという、近接性/隣接性の性格(→位相的つながり)を色濃く帯びていた」(同上、p226)。そのなかで、主体が「多様化され複数化され」ることによって、「デカルト的主体(コギト)によて抑圧されていたより豊穣な自己の世界に人は生きる」ことができた。つまり、<頭>と<気持>が繋がるためには、コギト=ロゴスの囚人・抑圧的環境を出るための、死者や霊ともアクセス出来る氏神信仰や祭礼といったコミュニティの共通の象徴の具現的イメージが重要であった。この「昔から続く」ロゴスの範囲を超えた儀礼的な何か、のお陰で、大災害も大干ばつも、何とか共同体として乗り越えてこられた。
だが、京都の街中で育った僕にとって、あるいは山梨で暮らす今の僕にとっても、このような共同体は、少なからぬ部分、崩壊の一途を辿る現実にあると感じる。個人主義的なロゴスの世界は、グローバリゼーションという追い風を得て、パトスを個人消費という形に矮小化し、コミュニティとしての、消費行動の外側にある「非人称的活動」をことごとく「前近代的」と捨て去ってきた。おしゃれで便利な消費生活、という枠内に生を矮小化し、自我の同一性を「消費者」という形で同定化することによって、金を使う・金を回す、という事が第一目的となるような社会を作り上げて来た。いつのまにか、内奥の<気持>より、大衆消費社会というイメージ=<頭>でっかちを優先した。その果てに、<頭>では捉えきれない大災害が直面し、頼るべきコミュニティや共同体も持たない中で、僕自身も、そしておそらく多くの人も、「呆然」と不安の「かたまり」を抱えて、この年末を迎えている。
その時に、どのような「構え」が必要なのだろうか。
人は、<ロゴス>に信をおけない場合、その対極にある<パトス>に飛びつきやすい習性をもつのかもしれない。
今日の朝日新聞の世論調査で、首相になってほしい人、として、1位が石原慎太郎都知事、2位が橋下徹大阪市長、3位が小泉純一郎元首相の名前が書かれていた。これは、不安という社会心理の中で、強烈なリーダーシップを求める集合的<パトス>の反映、とも言えなくはない。この3人の言説に共通しているのは、ワンフレーズで直裁に言い切る<パトス>的発言である。その是非は置くとして、<ロゴス>としての政府や専門家の発言への信用度が失墜している今、<パトス>の言葉や情感、イメージを直裁的な表現でに訴えかける人に、強いリーダーシップを求める<気持>も、理解できなくはない。
だが、ここで大事なのは、<気持>だけの暴走では、やはりダメだ、ということである。大切なのは<気持>と<頭>を再接続させること。情緒的に「ぶっ壊した」ところで、その後に何を作るのか、という<頭>=ロゴス、がなければ、終末論的破壊幻想でしかない。コミュニティについても、単に祭礼や氏神信仰を復活させれば事足りる、という訳ではない。グローバル化と過疎化、少子高齢化が進む地方においては特に、何を残し、何を掛け替え、何を新たに創発させるのか、というロゴスと、その地域で暮らす誇りや喜びというパトスの再接続が必要なのだ。そして、制度やシステムは、そのロゴスとパトスの再接続の為にこそ奉仕すべきである。まかり間違っても、独善的なリーダーシップのもたらす破壊ショーに花を飾る手段に没してはならない。
横道にそれたので、「魂の諒解」の話に戻ろう。
「魂の諒解」のために必要な「構え」についてであった。
時間がかかるし、地道なことだが、震災以後の現実において、個々人が<気持>と<頭>を再接続させることが一番必要な「構え」なのではないか、と感じている。直接に東北の支援につなげるかどうか、ではない。日日の仕事や生活の中で、どこか<気持>が矮小化されたり、あるいはパターナリスティックな消費経済の目くらましにあっていることはないか、の再点検が、第一義となるだろう。その中で、守るべきものは何か、必要なものは何か、大切にしなければならないことは何か、を、自分の<頭>で再構築する。安易なモデルやプランを鵜呑みにするのではなく、個々人の、その地域の、というローカルなレベルで、<気持>と<頭>を再統合する努力をするしかないのだ。震災以前に覆っていたこの国の閉塞感という「ロゴスの表層において錯視されていた自我の同一性は崩壊」してしまった。であるならば、「より豊穣な自己の世界」を求めて、まずは自分自身の<気持>と<頭>を丁寧に結び合わせることからスタートするしかない。
来年は、そんな一年にしたい、と思っている。

べてるの家とローカル・ノレッジ

めっきり寒くなったので、最近は毎日何らかのスープを頂いている。味噌汁やキムチスープなど、あるいは鍋をするときでも、我が家のベースは昆布だし。それも、日高産の「ばらばら昆布」を使うことがここ数年の定番になっている。

「ばらばら昆布」といえば、福祉業界では結構有名な、北海道浦河の精神障害者の回復拠点・コミュニティーである浦河べてるの家で、定番商品になっている、地元の日高昆布の切れ端を袋詰めしたもの。精神障害者の早坂潔さんが「精神ばらばら病の早坂潔が売る昆布です」と、全国での講演でセット販売するゆえに、売れまくっている。事実、おいしい。浦河には3度ほど取材で訪れ、またべてるの講演に立ち会ったら必ず買っているのだが、最近はネット販売で毎年買っている。ついでに言うと、朝さっと味噌汁を作るときは、ばらばら昆布より、刻んだ昆布がお茶パックに入っている「だしパック」の方が便利である。
今朝、商品と共にダンボール箱に入っていた浦河べてるの家の紹介チラシを読みながら、ぼんやり考えていた。そこには、こんなことが書かれていた。
「べてるの家の歩みは、様々な悪条件を好条件として活かしてきた歴史から生まれたものです。社会的な支援体制の乏しさや地域経済の弱体化が、精神障がいを抱えながら生きようとする当事者自身の生きづらさと重なり合ったとき、『地域のために、日高昆布を全国に売ろう』という起業の動機につながりました。」
べてるの本はある程度目を通している僕としては、上記のフレーズは何度も読んだ内容である。でも、改めて今考えてみると、この数行には、大きな意味が込められている。そこには、精神障害者の「生きづらさ」と、「支援体制の乏しさ」、そして「地域経済の弱体化」を重ね合わせ、「地域のために、日高昆布を全国に売ろう」というアクロバティックな発想の転換をした点である。被援助者ではなく起業者として、また支援を受けるだけでなく商売人として、昆布を通じて全国につながっていったことは、これまでも言われてきた。でも、もう一歩踏み込んでみると、精神障害の「生きづらさ」と、地域全体の「弱体化」を重ね合わせたとき、町おこしの一つの手段として、昆布に自らの存在を重ねて売り出した、という戦略には、ここのところ考えているコミュニティの問題と重なるところがあるような気がするのだ。その補助線として、最近はまっている吉原直樹先生の、震災後の論文を用いて考えてみたい。
吉原氏は震災以前から進んでいた、自動車中心の生活による近隣との疎遠化をさして、「プライバティゼーション(私事化)」と呼ぶ。その上で、震災からの復興について、次のように書いている。
「過疎化をそのままにし、プライバティゼーションを放置した状態でいくらコミュニティの再生を説いたところで『絵に描いた餅』に終わってしまう。見方を変えて言うなら、過疎化とプライバティゼーションが現に進んでいる中で、『あるけど、本当はない』地域コミュニティに期待しても決して再生にはつながらないのである。コミュニティの再生のための基本要件は、もはや存立の基盤を失ってしまっている『古きよきコミュニティ』への過剰な思い入れに浸るのではなく、過疎化とプライバティゼーションが深くゆきわたっているという地域の実情を踏まえた上で、そうしたものによって視えなくなっている『生活の共同』の枠組みを再建し、あらためて自律的な生活基盤を確立することである。」(吉原直樹「ポスト3・11におけるコミュニティ再生の方向」『地域開発』2011.9 p25)
そう、地域コミュニティとは、「過疎化とプライバティゼーションが現に進んでいる中で、『あるけど、本当はない』」という危機に陥っているのである。これは、浦河や東北だけでなく、山梨でも全く同じだと思う。そこで、「『古きよきコミュニティ』への過剰な思い入れに浸る」ことは、ノスタルジーの世界観を満喫することは可能であっても、実際に「地域おこし」という実践へと結びつくにはかえって障壁になりかねない。べてるの家の活動が始まった30年前の浦河も、「過疎化やプライバティゼーション」が進む中で、「社会的な支援体制の乏しさや地域経済の弱体化」が先鋭化しつつある状況であった。そのとき、コミュニティの弱体化が「精神障がいを抱えながら生きようとする当事者自身の生きづらさと重なり合った」ことから、商売という突破口を彼らは見つけ出した。
さらにいえば、実はこのときに地域福祉の推進や行政との協働、という方向にべてるの家が当初進まなかったのは、もしかしたらその協働のあり方の問題もあったのかもしれない。
「地震直後および原発事故直後に『区会とか町内会の姿がよく見えなかった』のは確かであるが、そうした地域コミュニティの不活性化が地震勃発以前の行政による『上から』の町内会の起用と被災者を広く囚えてきたプライバティゼーションとの相乗作用に基づくものである」(同上)
この吉原氏の論考は、防災コミュニティを行政主導型で進めてきたが、結局は「上から」のコミュニティ作りが機能しなかったことを指摘している。前回のブログにも書いたように、防災コミュニティを地域福祉と入れ替えても全く通じる、行政主導型の「上から」のコミュニティ論が、「過疎化とプライバティゼーション」とあいまって、本当の地域づくりに実態的に機能していない、ということを如実に表している。
では、どうしたらいいのか。
「『生活の共同』のありようをより視野を拡げて3・11以前にさかのぼって問うなら、クリフォード・ギアツがローカル・ノレッジと呼んだものの地域社会における存続形態が大きな争点になるだろう。それは『住民の視点』から織りなされる『固有の知識』であり、『人間の生がある地でとったかたち』を示している。地域社会の歴史は無数のローカル・ノレッジとともにある。当然のことながら、地域社会の再生にはこのローカル・ノレッジのありようが深くかかわってくる。しかしそれは普段意識されることはない。それが強烈に意識されるようになるのは、専門知=技術知がある大きなできごとを前にして壁にぶつかったときである。われわれがいま遭遇しているのは、まさにそうした状況である。」(吉原、同上、p26)
「地域社会の再生にはこのローカル・ノレッジのありようが深くかかわってくる」とい
う吉原氏の指摘は、深い共感を持って読んだ。僕自身も、以前、「正解」から「成解」へ、というテーマでブログを書いたとき、このローカル・ノレッジを意識していた。そして、改めて浦河べてるの家のことを考えてみると、まさに北海道の辺境地で、過疎化と高齢化が進み、地元の水産業も商売が右肩下がりである、というローカル・ノレッジに根ざしていた。そこで、「『古きよきコミュニティ』への過剰な思い入れに浸る」ことはしなかった。いや、精神医療やソーシャルワークといった「専門知=技術知がある大きなできごとを前にして壁にぶつかった」時に、そんなことを言っていられなかった。そんな追い詰められた局面で、「社会的な支援体制の乏しさや地域経済の弱体化が、精神障がいを抱えながら生きようとする当事者自身の生きづらさと重なり合った」ときに、「様々な悪条件を好条件として活かしてきた歴史」が立ち現れてきたのである。これぞ崖っぷちで「生活の共同」を改めて問う中で、浦河町の特産である日高昆布につながることが出来たから、浦河べてるの家は、その後、地域再生や精神障害者の快復の見本例と昇華していったのだと思う。
そこまで考えたとき、地域包括ケアや地域自立支援協議会と呼ばれる、福祉行政で進めようとしている施策のあり方にも、根本的な疑問が生まれる。それらの施策は、「『古きよきコミュニティ』への過剰な思い入れに浸る」ものではないか。あるいは「上からのコミュニティ論」ではないのか。「過疎化とプライバティゼーション」があいまって、弱体化しているコミュニティを再生させる際に、本当に「『住民の視点』から織りなされる『固有の知識』」を大切にしているか。そのローカル・ノレッジに基づいた、地域づくりをしようとしているか。国のモデル事業を縮小再生産的・表層的に当てはめておしまい、とはしていないか。
立ち返るのは、その地域の住民の本当の「困りごと」であり、その地域の「過疎化やプライバティゼーションの進行具合」であり、それ以前から培われてきたその地域の「固有の知識」であるはずだ。これらのローカル・ノレッジを丁寧に聞き取り、ここから地域福祉を立ち上げていく、というボトムアップ的なものでない限り、浦河のような地域再生は出来ない。
さらに言うならば、浦河べてるの家には、「べてらー」と呼ばれる熱心なファンがいる一方、「べてるは所詮特殊例だから」と蔑む声も聞かれる。僕自身も、長い間、どうべてるを評価してよいのかわからなかった。だが、浦河べてるの家や、中心的人物のソーシャルワーカー向谷地生良氏をローカル・ノレッジに基づく地域再生の視点で捉えると、すっと理解できる。べてるの人々は「全国どこでもべてるは出来る」と言い、べてらーたちもそれを夢見るが、なかなか実践できていなかった。もちろん、「幻覚妄想大会」や「三度の飯よりミーティング」、「当事者研究」というアウトプットや成果を利用できるならしたほうがいいと思う。でも、多分大切なのは、そのアウトプットが出来上がるプロセス、つまり、浦河固有のローカル・ノレッジを精神障害者の地域資源のなさという過酷な実情と重ね合わせ、少しずつ地域の一員として、商売という軸で地域展開を続けてきた、浦河べてるの家のローカル・ノレッジに基づく歩みのプロセスにこそ、他の地域でも応用可能な、福祉のコミュニティ作りのエッセンスが詰まっているのではないだろうか。そしてこれは、制度化やシステム化とは一見相容れない、地道で時間がかかる作業ではないだろうか。
僕自身は、地域自立支援協議会や地域包括ケアといった、ともすれば「上から」の地域福祉にもなりかねないものにかかわり、そのお手伝いをしようとしている。その際、自戒すべきなのは、どんな理想論であっても、上からの網掛けは、絶対失敗する、ということである。時間がかかっても、その地域固有のローカルな文脈に耳を傾け、そこから立ち居がってくる「固有の知識」をベースにして、制度やシステムで使えるものは使い倒しながら、その「固有の知識」に基づいた、その地域独自の展開をうまく促進させる。そういうボトムアップ型のコミュニティ作りをしない限り、「過疎化やプライバティゼーション」の波には絶対に勝てっこない。そう、思い始めている。

動員型から創発型コミュニティへ

自らの恥さらしから始めるが、地域福祉というものに携わりながら、「コミュニティ」というものを、真正面から検討したり、勉強したりすることは、これまでほとんどなかった。だが、最近、コミュニティ・デザインのことなど考えるきっかけがあり、どうせなら、と思って「積読」状態だったある本を読み出したら、その知的刺激にしびれまくっていた。

「ここのところ、コミュニティ・インフレーションとでも呼ぶべきような状態がブーム性を帯びて立ちあらわれているが、そこで中心をなしているのが地縁と直接接続された、『不快な記憶』を消去した『町内会物語』である。そこからは、ヨコの位相的な秩序形成とともにあった、川田のいう美的感受性が歴史的に、さらにイデオロギー的に捻じ曲げられてきた状況の意図的な忘却といった事態、そしてそうした忘却の向こうにおいてすすむ地域コミュニティの道具主義的な利用の動きを観て取ることができる。」(吉原直樹『コミュニティ・スタディーズ』作品社 p227-8)
なんとなく、コミュニティが全てを解決する「打ち出の小槌」的に使われている現状がある。介護保険制度も、もともとが部分保険で家族介護を当てにしていた制度だが、いよいよ家族制度の弱体化や無縁社会なるものの進行の中で、制度で担保する高齢者福祉に限界が来ていて、それを穴埋めするための「地域包括ケア」としてのコミュニティが当てにされている。いわく、インフォーマルケアでの見守り支援が、介護予防につながる、とも。山梨で地域包括ケアを推進するための、県や市レベルでの研究会などにも混ぜていただき、その推進のためのお手伝いをしながら、一方でなんとなく、「コミュニティ・インフレーション」というか「地域コミュニティの道具主義的な利用の動き」への違和感を感じていた。その違和感を、都市社会学の大家は、「イデオロギー的に捻じ曲げられてきた状況の意図的な忘却」としての、「不快な記憶を消去した町内会物語」の注釈の中で、ズバッと次のように表現している。
「関東大震災時に自警団が朝鮮人を大虐殺したこととか戦時体制下において国民の戦争への動員を草の根から組織していったこと等といった町内会につきまとう忌まわしいできごとは今日人々の記憶から忘れ去られようとしている。その一方で、『ご近所の底力』といった形での『町内会物語』が編まれている。『不快な記憶』を忘却の彼方に置くかぎり、『ご近所の底力』が新たな動員であることに気づくことは難しいであろう。今日巻き起こっているコミュニタリアン主導のコミュニティ・インフレーションは、ある意味でこういう状況を一層加速させているといえる。」(同上、p229)
中野敏男氏のボランティア動員論にも通低する、動員の論理の隠蔽を表出させる言説である。先述の地域包括ケアも、その実戦部隊として、町内会・自治会や民生委員の方々に依存する部分が少なくない。もちろん、関わろうとする方々個々人は、「地域のために何かしたい」「恩返ししたい」という善意思をもって参画される方も少なくないだろう。だが、それを官主導で進めることは、実は「新たな動員」になる可能性がある、ということを、ともすれば忘れがちである。
高齢者の地域包括ケアや、障害者の地域自立支援協議会は、住民参画型の地域福祉を進める上での推進役を果たしている。それは、地方分権・地域主権の中では、「ガバメント(統治)からガバナンス(協治)へ」という枠組みとも同期している。だがこの点についても、吉原氏の警鐘は実に重い。
「ガバナンスは今日新自由主義的なコンセンサスの方式として上からのガバメント的な組み込みにさらされつつある」(同上、p154)
そう、「ご近所の底力」で解決しましょう、という美名は美しいが、大きな政府として税を投じて行う地域福祉には限界があるので、政府の規模と関与は小さくし、その代わりに町内会や自治会を通じて地域住民を新たに動員して安上がりで効率的に福祉政策の担い手を育てよう、という「上からのガバメント的な組み込みにさらされつつある」のが、地域包括ケアであり、地域自立支援協議会の抱える内在的危険性でもあるのだ。吉原氏の著作では福祉政策についての直接の言及はないが、防犯コミュニティの「上からのガバメント的な組み込み」の実態を読みながら、これは福祉政策にもそのままトレースできる、と感じている。
では、町内会や自治会は必要ないのか?吉原氏はそうは言っていない。むしろ、これまでの「官治的自治の枠内」つまり「内に閉じられているということを特徴とするような自治的能力=内発性に依拠する」(p50)町内会の形態から、「『異なる他者』との間に緩やかな横結的なつながりをつくり、リゾーム状に立ち上がる」「反措定としてのコミュニティ」(p51)を提起する。そのコミュニティは次のような特徴を持つという。
「『脱領域』、『脱組織』によって特徴づけられるネットワーク型コミュニティは、ある意味で『反コミュニティ』として存在する。たえず『動いていること』がそうした措定を可能にするのである。ネットワーク型コミュニティは『つなぐこと』にこだわるが、それ以上に『囲われること』に抵抗する。領域に固定(化)されるのではなく、状況にしたがってそのウィングを広げたり、縮めたりするのが得意なのである。」(同上、p52)
これは、地域自立支援協議会の立ち上げや推進の支援を行ってきた実感からも、実はしっくりくる整理である。その地域の課題をガバナンス型に上意下達で通達するのではなく、ガバメント的に官民協働で考え、変えていく協議会を構築するためには、「『脱領域』、『脱組織』によって特徴づけられるネットワーク型コミュニティ」であることが求められる。障害者政策にひきつけるなら、三障害の障害別に分科会を作っていた協議会は、領域ごとにタコツボ化したため、大体失敗したところが多い。また、組織の長ばかり並べた協議会では、組織の既得権益やエゴが先鋭化して、これも実質的な議論にいたらなかった。さらには、協議内容を行政が最初からお膳立てしている(=囲われる)協議会は、そもそも会議が活性化されない。一方、活性化された議論を行い、実際に政策を変える力を持つ地域自立支援協議会は、「領域に固定(化)されるのではなく、状況にしたがってそのウィングを広げたり、縮めたりするのが得意なのである。」
このような「ネットワーク型のコミュニティ」に必要なものは何か。それを筆者は「『線形的なもの』からの離陸(テイクオフ)」(p361)だという。そういう計画制御の枠組みを超えた、創発性を持つことが、上記のコミュニティに必要不可欠だという。
「予測不可能な仕方で諸主体が関連しあう際の、諸主体が『ゆらぎ』ながらも、それより高次の『生のコラージュ』へと展開していく状態(being)を自覚的に追求することが、『創発的なもの』を析出する際の要をなすのである。」(p360)
そう、管理や動員をすることが目的の「官治型自治の枠内」を超えた「ネットワーク型のコミュニティ」をオーガナイズしようと思えば、「線形的な」「計画管理」の枠組みを超える必要がある。地域というのは本来「予測不可能」なのだから、その中でのネットワークは文字通り「生のコラージュ」そのものなのだ。それを、計画制御の枠内にとどめず、以前のブログでご紹介した安冨歩先生の著作を拝借するならば、「複雑さを生きる」視点で、「創発的なもの」を希求しない限り、新たな動員論の枠組みから抜けることは出来ない。
そのための方法論をどう現場で築き上げていくか、は、これからの実践および研究課題だが、実に大切なパラダイムシフトを受け取ることが出来た著作であった。そして、優れた著作は、それ自身が「脱領域」的な、普遍性を持ち、「創発的」である、と改めて実感した一冊でもあった。

生産ー拡大再生産に回収されない何か

「はたらく」とはなにか。最近、改めてこんなことを考えている。

きっかけは色々あるが、フックは障害者就労に関する報道。テレビニュースなので、こういう支援をすることによって、これくらい重度の障害者でも、大手の企業で働くことが出来ます、というポジティブな紹介である。
そのこと自体にけちをつけるつもりはない。障害者自立支援法で評価されるべき部分として、障害者の一般就労が広がった、工賃が上がった、ということであろう。大学院生の頃、京都の作業所で、フィールドワークの一貫として、「お○べ」の箱折作業をしたことがあるが、一つ折って何十銭!にしかならない箱折を、汗だくで丸一日体験して、その労賃が数百円レベルだったことに、唖然としたことがある。多くの障害者が働く作業所の平均月収は1万円を越えない、という現実をどう変えるのか。そのために、工賃倍増計画などの取り組みをして、実際に山梨でも工賃がかなり上がった、という実績を聞くと、これはこれでいいことだと思う。
ただ、一方で、障害者の就労は、その方向「しかない」のか、といわれると、それはそれで疑問が生じる。社会復帰やリハビリテーションが、健常者世界との「同化」側面だとすると、「健常者並みの賃金を」というのは、就労における「同化」側面とされやすい。それ以外のベーシックインカムを求める方向性もあるが、上のテレビニュースや工賃倍増計画で言われるのは、あくまでも「同化」側面だ。繰り返し書くが、これもこれで「あり」であり、ケチをつけるつもりは毛頭ない。
だが、健常者の就労感覚に「同化」させること「しかない」のであれば、重度障害者と呼ばれる人、あるいは精神障害者の中でも、たとえば一般就労の厳しさの中で耐え切れなくなって、ドロップアウトを余儀なくされた人には、過酷な「同化」とは言えないか。自らが否定された空間に戻る・漸近線的に近づくこと(=同化を目指すこと)しかない世界であれば、なかなか夢も希望も抱けない。
では、どう考えればいいか。
たとえば、重症心身障害と呼ばれる、たいへん重い障害を持っている人々の地域生活支援を展開している西宮市の青葉園の基本理念には、こんなことが書かれている。
「青葉園のとりくみは、生産性・効率や、単なる身辺自立のみを追求する活動 とは根本的に異なり、通所者や職員・親など園にかかわる全ての人たちが一体となって共に考え、悩み、理解し合い、そして主体的に生き会うくらしを 創造していくことを基本目標にしている。」
重症心身障害の人は、資本主義社会が求める生産性や効率の概念に合わない「規格外」だから、と、資本主義社会が進行する中で、隔離収容の対象となり、入所施設や精神科病院の重心病棟に社会的入所させられてきた。だが、それは、効率や生産性「のみ」を重視した考え方・価値観の押し付けである。その押し付けが、重症心身障害の人だけでなく、「健常者」と呼ばれる人々にも重圧を与え、自殺者3万人社会、そしてうつ病患者が多発する日本社会という帰結になっているのは、皆さんもご承知のとおりだと思う。
青葉園の取り組み、あるいは精神障害者の「作業をしな作業所(=たまり場)」のような空間は、資本主義社会の「生産性・効率」に「のらない」場である。健常者の就労への「同化」とはスタンスを異にする空間である。ではそれをどう表現したらよいのだろう。そう思っていたら、思想家バタイユの解説書の中に、そのヒントが出てくるとは思いもよらなかった。少し長いが、引用してみる。
「近・現代の産業社会において、同質性の基盤をなしているものはなにか。それはまず生産活動である。資本制生産では、生産手段を所有する階級が、生産活動を主導する。それだけではなく、生み出された生産物を商品として流通される仕方、それに応じて消費される仕方も導いている。大衆は自分で好きなように消費していると思っているかもしれないが、基本的には<資本>が商品として流通させたいものを-そして再生産の拡大が円滑に進行するよう企図しているものを-消費している。それゆえ生産-拡大再生産の活動が社会の中心を占め、流通(交換)過程も消費過程もその中心軸に即してオルガナイズされる。したがって、そこでは生産-拡大再生産に役立つことが最優先され、ものごとや人間を測る尺度になる。(略) こうした尺度に照らして『悪い』もの、なにも有用性のないものは嫌われ、抑制され、縮減され、排除される。社会全体から、というよりも『社会の同質的領域』から、である。バタイユの見方では、社会の同質性は、邪魔になる部分、有用性を欠き、意味あるものにはなりえない、<異質性をおびた>エレメントを抑制し、排除することで(より精確にいえば、排除しつつ、欺瞞的に同化し、押さえ込むことで)形成されている。」(湯浅博雄『バタイユ-消尽』講談社学術文庫 p96-97)
資本主義社会の「社会の同質性領域」では、労働者や一市民が生産の主導権を握っているわけではない。「<資本>が商品として流通させたいものを」「消費している」。「流行」なるものに象徴されるように、消費者の欲望は、あくまでも資本の論理の領界内である。そうしないと、「生産-拡大再生産」の活動がうまくまわらない。その意味で、「社会」は「同質性」を保たないと、うまくまわらない、というのが「資本制生産」の論理である。そして、障害者就労というのも、「生産-拡大再生産」の論理の「領域内」のルートにのることを、目標とされている。それ自身は、繰り返して書くが、一つの方向性としては「あり」だと思っている。
だが、その「生産-拡大再生産」の論理の究極的な形としての、新自由主義的・グローバリズム的な、たとえば年俸制や能力給、あるいは派遣労働などによって、仕事の「ゆとり」や「あそび」の部分がどんどん労働空間から縮減し、結果として働く人のうつ病や自殺という形でのドロップアウトを加速させているのではないか。「生産-拡大再生産」の論理は、自らの論理にのらない、「邪魔になる部分、有用性を欠き、意味あるものにはなりえない、<異質性をおびた>エレメントを抑制し、排除すること」をひたすら続けてきたのではないか。
その際、<異質性をおびた>側が、「排除」されることや「欺瞞的に同化」させられることに抗う、ということも一つの形態なのではないか。北海道浦河の精神障害者のコミュニティ、べてるの家は「右肩下がりの人生」「降りていく人生」をスローガンにしているが、このとき、「生産-拡大再生産」から「降りる」「下がる」ことによって、それ以外の豊かさを手にしている、から、あれだけ沢山の「べてらー(べてるファン)」を作り出している、とはいえないだろうか。
バタイユ自身は、この「社会の同質性」に回収し尽くされない、<ロゴス中心主義的>考えに内包されないものとして、<至高な瞬間>と読んでいる。この<至高性>や<消尽>概念が、障害者就労のオルタナティブとどう接続するのか、はまだ僕自身、研究不足であり、断言は出来ない。でも、生産性に回収されない消尽としての活動、と言われると、青葉園の活動なんて、まさにそのような「わくわく」「いきいき」した活動のように見えてくる。
生産-拡大再生産、というのは、現在の消費社会の基本であり、それを否定するつもりはない。だが、その論理「しかない」といわれると、その論理にしんどさを感じている人、その論理に適合的ではない人が、結果的に「排除」「欺瞞的に同化」されてしまう。すると、それ以外の論理をどう組み立てていくのか。<至高な瞬間>という考え方で、「拡大-再生産の論理」をどう捉えなおせるか。このあたりが、今の世の中の「閉塞感」なるものを相対的に捉えなおすための鍵にもなるような気がする。そういえば、「生産-拡大再生産」のルールをまじめに遵守していた人が、障害者福祉に関わって、ねじが外れ、どっぷりその世界にはまり込む、という場面も少なからず見かける。これも、もしかしたら、障害者福祉のもつ、「同質化」概念への<異化>作用に、少なからぬ魅力を感じたせい、と解釈できるかもしれない。
時間切れなので、今日のところはこのあたりにしておくが、この「生産-拡大再生産に回収されない何か」については、もう少し突き詰めて考えてみたい。

消化不良な最近

ブログの更新は二週間ほど止まっていた。ツイッターも、どうも書く事にためらう。

この二週間の間に、東京に2回ほど、ワークショップに座談会と、新たな学びを求めて出かけた。また、25日から28日までは、同僚のH先生ご夫妻と我が妻と4人で、松島→平泉→気仙沼と旅にも出かけた。その間もあれこれ刺激的な本との出会いもあった。様々な事を感じてもいた。だが、どうまとめてよいか、まだ言葉にならない。
昨日もある座談会に参加し、これまでに考えた事もなかった視点やアイデアを沢山頂き、刺激的な時間をすごす。膨大な新しいアイデアや情報に触れると、それを理解・処理するのに時間がかかる。消化するのに時間がかかる。ブログも、その消化の為の補助具として使っているのだが、それ以前に、ブログに向き合うほどの体力が回復していない。新たな考え方に出会う事は、それくらい、気力だけでなく、体力も消耗する。30代も半ばを超えると、そのことに自覚する。それだけ、先入観や固定観念で頭でっかちになっているのかもしれない。
腑に落ちる、という言葉が、身体表現として、アクチュアリティをもって、迫ってくる。
腑に落ちる、ためには、まず口の中に放り込んで、食堂から胃を通って、内臓器官に徐々にジワジワと染みこんでくるイメージが想起される。同じように、新たな考えや視点も、自分の頭の中をくぐらせて、これまでの自分の考えて来たことの中にジワジワ染みこませながら、自分の内在的論理と対話をさせながら、染み渡らせない限り、本当にわかった、ことにはならない、と思う。特に、あまり頭の回転がよくないからか、あるいは実際に身体を通さないと理解できないからか、僕はこういう全身を通じた理解形式でしか、物事と向き合う事が出来ない。
8月にタイに出かけた際、生まれて初めて食中毒になった。食中毒は、自分自身の体調のコンディションと、食べたものと、気候や風土の3つの要素の相互関係の中で、中毒反応として出てくると、その時、つくづく感じた。衛生状態の悪くないデパートのフードコートで、前の人が食べていて美味しそうだった牡蛎のお好み焼きをついつい頼んだのだが、その後、全身の発疹や脱水症状、あるいはめまいやふらつきのオンパレードで、体内がその牡蛎を拒絶している表現に出会ってしまった。
同じように、考えやアイデアは、その時の体調や、考え方、志向性などによって、体内に、受け入れられたり、吐き出したりするものなのかもしれない。例えば昨日の座談会の内容は、自分の中ではまだ消化しきっておらず、じんわり咀嚼し直している段階である。だが、別の場で聞いた別の話は、正直僕の身体が受け付けなかったようで、直後にべろっと吐き出してしまった。
では、その二つの新しいアイデアのどちらがよくて、どちらが悪い、という訳ではない。要は自分との相性、というか、現段階での自分の生き方や視座、志向性と、その新しいアイデアなり視点との、接続がうまくいくか、あるいは反作用の方向に進むか、という有機的な科学反応的な連鎖関係の問題である、と思う。また、いくら良いアイデアでも、ずっと摂取しすぎると、おなか一杯を通り越して、胃が消化不良を起こすかもしれない。それと同様に、ここ二週間ほど、様々な場所に出かけ、いろいろな事実やアイデア、視点を破竹の勢いで吸収し続けた為、頭の中が消化不良を起こしているのかもしれない。
そういうときには、基本に戻る事が大切。今から、ここしばらくお休みしていた合気道の稽古に出かける。頭がぱんぱんになっているときは、その回路を一度きって、身体を使いながら、身体運用の稽古に集中するに限る。その中で、自然と凝りや歪みが、解けてくる瞬間がある。ある程度、現在の消化不良感をブログに書ききったので、そろそろ出かけます。