おそらく今日が今年最後のエントリー。なので、改めて東日本大震災の事を考えてみたい。
震災や原発事故について、どういう「構え」をしたらいいのか。未だにわからない。糸口もなかなか見いだせない。震災から9ヶ月たった今も、まだその戸惑いの渦中にいる。そんな中で、すーっと心の中に染みこんだフレーズと出会った。
「大きな災禍からの復旧、復興への歩みがはじまるとすれば、その出発点にあるのは、魂の諒解、魂の次元での折り合いなのではないだろうか。直接的な被災者ではなかった人びとも同じことだろう。魂の次元で被災者とともに生きようと諒解した人びとは、自分のできることを探した。知性の次元で考えれば、被災者とともに生きるとはどうすることなのかはよくわからない。しかし、多くの人たちが今回の大震災では、魂の次元で被災者とともに生きようと考えた。出発点は魂の折り合いであり、諒解なのである。だから頭で考えただけの復興の計画を聞かされても、誰もが空々しく、あるいは虚しく感じる。確かに町や村を再建していくには、いろいろなことをしなければならないだろう。そんなことはわかりきったことだ。だがそれだけでは何かが十分ではないと感じる。そんな感じを抱いている人も多いだろう。それは魂の諒解を伴わない復興計画から浸み出てくる虚しさである。」(内山節『文明の災禍』新潮新書、p13)
確かに僕自身も、3月11日から9ヶ月過ぎた今でも、あの日テレビの映像を通じて見てしまった現実が、「腑に落ちて」いない。「魂の次元で被災者とともに生きようと考え」てはいるのだが、それにはどのような構えや振る舞いがよいのか、未だに見いだせていない。その理由として、「魂の次元での折り合い」がついていないからではないか、といわれたら、直感的に確かにそういう気がする。僕自身が、具体的に震災や原発災害とどう向き合えばいいのか、腰が据わっていない。それは、今回の震災でもたらされた膨大な数の死者・行方不明者を前にして、僕自身がそれをどう受け止めていいのか、どう魂のレベルでこれを諒解していいのか、が、腑に落ちていないから、とも言えるだろう。その上で、内山氏は次のように論を進める。
「東日本大震災では、無関係な他者の死に対しても、無関心でいるわけにはいかなかった。あまりにもすさまじい生と死の境界が、テレビをとおして私たちの前に現れてきたのである。そして関心をいだいたときから、私たちはこの死の現実に対してどう向き合ってよいのかわからなくなった。呆然としているしかなかたのである。現れてきた現実の受け入れ方がわからない。だからそれは恐怖になり、心の奥に沈み込んだ『かたまり』になった。かつて共同体を通して死を諒解していった日本の人びとは、共同体を失ったとき、死を、とりわけ不慮の死を不条理のなかにみるしかなくなった。とすれば、それもまた現代文明の敗北である。現代文明は新しい形で死を諒解する構造をつくりださなかった。なぜなら現代文明は生の饗宴として展開したからである。あるいは個人を軸に置いた生の饗宴として展開した。それでは生と死のつながりの諒解など形成しようもない。」(同上、p45)
震災から9ヶ月が過ぎた今も、ある意味、「呆然としている」状態が続いている。テレビでは年末特集で当然津波の映像をやっているが、まともに見ることが出来ない。それは「現れてきた現実の受け入れ方がわからない」からであり、「心の奥に沈み込んだ『かたまり』」のようなものが、つっかえているからかもしれないし、それが逆流して眼前に出てくることの恐怖なのかもしれない。僕自身が「個人を軸に置いた生の饗宴」を享受し、「生と死のつながりの諒解」からかけ離れていた。共同体に関わりの薄い僕には、だけれども「新しい形で死を諒解する構造」がなかった。それゆえに、「無関係な他者の死に対しても、無関心でいるわけにはいかなかった」際、どう振る舞えばよいのか、がわからず、フリーズしてしまった、というのが実感である。そのフリーズ感を、こうも具体的な表現で書いてくれる作品に、今の時期に出会えたことにより、その氷が、少しずつ溶けつつある。
仕事として、「地域福祉」という領域に関わっている。最近では、地域包括ケアや地域自立支援協議会、といった、コミュニティの再生や賦活化のお手伝いもしている。だが、お恥ずかしい話、僕の中にそのコアな部分にある共同体なりコミュニティなりに対する構えや諒解、というものがなかった。自分なりにビジョンを持つこともないまま、求められるがまま、に、幾つかの地域でのアドバイザーの仕事をしてきた。制度や政策論レベルで、行政施策をよりよいものにするならば、という道具主義的な考え方であれば、それでも何とか仕事をしてこれた。
とはいえ、道具主義の向こう側にある、「何のために」という目的を見据えた支援をしないと、方法論の自己目的化に繋がる。自分の仕事がどうもそういう自己目的化のタコツボの中に入り込んでいるのではないか、と、特に震災以後、感じるようになってきた。福祉現場から依頼された、直接の目的は、確かに果たそうと努力している。しかし、方法論的にある程度の到達が出来ても、目的を見失った方法論であれば、結果として糸の切れた凧のように、初期の目的からずれて、明後日の方向に飛んでいくことになりかねない。そのため、ここしばらく、地域福祉の前提となるコミュニティについて、学び直そうとし、ブログにもメモを書き続けていた。実は内山節氏の存在も、そのブログを読まれた方から教えていただいて初めて知った。
そして、コミュニティや共同体について縦穴を掘り始めてすぐ気づいたのが、それを語るタケバタヒロシ自身が、コミュニティや共同体から切り離された存在である、ということだ。「個人を軸に置いた生の饗宴」の枠の中で、バーチャルな存在として「コミュニティ」や「共同体」を語っている、というお恥ずかしい事態である。しかも、そのロゴス中心の、バーチャルな考え方が、そろそろ破綻している、ということに、震災後、身体が気づき始めた。ゆえに不全感の「かたまり」が全身を覆っている。
だが、それを突破する(かもしれない)道が、見え始めている。そのきっかけは、ふと読み直したくなって手にした、大学生の頃に読んだ新書からだった。
「<ロゴス>と<パトス>というギリシア語からは、ひどく難解な哲学的行論を予想する人がいるかもしれない。しかし、これをくだいて言ってしまえば、<頭>と<気持>なのである。先日たまたま、初期の『男はつらいよ』シリーズのビデオを見ていたら、例の寅さんがくりかえし呟いていた。『頭じゃわかっているんだが、気持ちが俺をひょんな方向へ駆り立てていっちゃうのよ。』 思想・学問・芸術の別を問わず、私たちのいかなる<知>の営為も、『今、ここ』に生きる生身の人間とその日常から遊離してはならないだろう。<頭>と<気持>・・・まことに人間の一生は、寅さんの体験するような、二つの相対立するものの間で揺れ動き、そこからすべての喜怒哀楽が生まれてくる。」(丸山圭三郎『言葉と無意識』講談社現代新書、p16)
震災という不条理を僕自身が「魂のレベルで諒解」出来ていないのは、<頭>と<気持>が分離しているからだ。寅さんなら、ふらふらと『頭じゃわかっているんだが、気持ちが俺をひょんな方向へ駆り立てていっちゃうのよ』と出かけてしまうが、僕はその逆で、どこにも行けず、山梨で閉じこもっていた。もちろん本務の仕事をしていたし、様々な仕事で出張をし続けていたが、被災地支援については、直接のアクションは何も起こせなかった。寅さんのように「気持ちが」「駆り立て」る、という<パトス>に従うことなく、<ロゴス>の回路も情報過多でオーバーフローし、<頭>を働かせられずに「呆然」としていた。
思えばこの10年ほどは、研究者としての「立場」を内面化するために、ロゴスの囚人へと自らの魂を進んで捧げ、パトスについては「ロゴス以前」として見ないようにしてきた自分がいた。だが、大震災や原発災害は、そのロゴスの前提(「まさか」「はずだ」)を「想定外」という一言で吹き飛ばしてしまった。ロゴス=頭、が吹き飛んでしまった今、再度パトス=気持、の前提から、議論を紡ぎ直す必要があるのではないか。だが、このパトスとは、決して単なる情緒的なものではない。
「パトスの位相にあるロゴスは、一切の実体論的二項対立以前の動きであるだけでなく、その差異化自体が、意識的主体の意思によるものではない非人称的活動であることを見逃してはならない。そこでは、自/他以前の<on ひと>が語るのだが、そのonは能動/受動以前の受動性によって語らされる(パトス=パッシオ=パッション)。とは言っても、主体が雲散霧消するのではなく、それは逆に多様化され複数化され、『私はもう一人の他者』(ランボー)となり、『歴史上のあらゆる自分とさえなる』(ニーチェ)のだ。ロゴスの表層において錯視されていた自我の同一性は崩壊し、デカルト的主体(コギト)によて抑圧されていたより豊穣な自己の世界に人は生きる。」(同上、p38)
「生と死のつながりの諒解」を形成してきたかつての共同体は、「意識的主体の意思によるものではない非人称的活動」によって形作られてきた。氏神信仰や祭礼など、「大地にねざした共感、すなわち五感を駆使した『ふれあい』にもとづく人と人との『あいだ』の存立を可能とするような範域性」(吉原直樹『コミュニティ・スタディーズ』作品社 p82))で繋がる地縁とは、「個人を軸に置いた生の饗宴」よりも、「さまざまな無名の霊への融合という『かたち』をとって、自然をわがものとするのではなく、自然に同体化するという、近接性/隣接性の性格(→位相的つながり)を色濃く帯びていた」(同上、p226)。そのなかで、主体が「多様化され複数化され」ることによって、「デカルト的主体(コギト)によて抑圧されていたより豊穣な自己の世界に人は生きる」ことができた。つまり、<頭>と<気持>が繋がるためには、コギト=ロゴスの囚人・抑圧的環境を出るための、死者や霊ともアクセス出来る氏神信仰や祭礼といったコミュニティの共通の象徴の具現的イメージが重要であった。この「昔から続く」ロゴスの範囲を超えた儀礼的な何か、のお陰で、大災害も大干ばつも、何とか共同体として乗り越えてこられた。
だが、京都の街中で育った僕にとって、あるいは山梨で暮らす今の僕にとっても、このような共同体は、少なからぬ部分、崩壊の一途を辿る現実にあると感じる。個人主義的なロゴスの世界は、グローバリゼーションという追い風を得て、パトスを個人消費という形に矮小化し、コミュニティとしての、消費行動の外側にある「非人称的活動」をことごとく「前近代的」と捨て去ってきた。おしゃれで便利な消費生活、という枠内に生を矮小化し、自我の同一性を「消費者」という形で同定化することによって、金を使う・金を回す、という事が第一目的となるような社会を作り上げて来た。いつのまにか、内奥の<気持>より、大衆消費社会というイメージ=<頭>でっかちを優先した。その果てに、<頭>では捉えきれない大災害が直面し、頼るべきコミュニティや共同体も持たない中で、僕自身も、そしておそらく多くの人も、「呆然」と不安の「かたまり」を抱えて、この年末を迎えている。
その時に、どのような「構え」が必要なのだろうか。
人は、<ロゴス>に信をおけない場合、その対極にある<パトス>に飛びつきやすい習性をもつのかもしれない。
今日の朝日新聞の世論調査で、首相になってほしい人、として、1位が石原慎太郎都知事、2位が橋下徹大阪市長、3位が小泉純一郎元首相の名前が書かれていた。これは、不安という社会心理の中で、強烈なリーダーシップを求める集合的<パトス>の反映、とも言えなくはない。この3人の言説に共通しているのは、ワンフレーズで直裁に言い切る<パトス>的発言である。その是非は置くとして、<ロゴス>としての政府や専門家の発言への信用度が失墜している今、<パトス>の言葉や情感、イメージを直裁的な表現でに訴えかける人に、強いリーダーシップを求める<気持>も、理解できなくはない。
だが、ここで大事なのは、<気持>だけの暴走では、やはりダメだ、ということである。大切なのは<気持>と<頭>を再接続させること。情緒的に「ぶっ壊した」ところで、その後に何を作るのか、という<頭>=ロゴス、がなければ、終末論的破壊幻想でしかない。コミュニティについても、単に祭礼や氏神信仰を復活させれば事足りる、という訳ではない。グローバル化と過疎化、少子高齢化が進む地方においては特に、何を残し、何を掛け替え、何を新たに創発させるのか、というロゴスと、その地域で暮らす誇りや喜びというパトスの再接続が必要なのだ。そして、制度やシステムは、そのロゴスとパトスの再接続の為にこそ奉仕すべきである。まかり間違っても、独善的なリーダーシップのもたらす破壊ショーに花を飾る手段に没してはならない。
横道にそれたので、「魂の諒解」の話に戻ろう。
「魂の諒解」のために必要な「構え」についてであった。
時間がかかるし、地道なことだが、震災以後の現実において、個々人が<気持>と<頭>を再接続させることが一番必要な「構え」なのではないか、と感じている。直接に東北の支援につなげるかどうか、ではない。日日の仕事や生活の中で、どこか<気持>が矮小化されたり、あるいはパターナリスティックな消費経済の目くらましにあっていることはないか、の再点検が、第一義となるだろう。その中で、守るべきものは何か、必要なものは何か、大切にしなければならないことは何か、を、自分の<頭>で再構築する。安易なモデルやプランを鵜呑みにするのではなく、個々人の、その地域の、というローカルなレベルで、<気持>と<頭>を再統合する努力をするしかないのだ。震災以前に覆っていたこの国の閉塞感という「ロゴスの表層において錯視されていた自我の同一性は崩壊」してしまった。であるならば、「より豊穣な自己の世界」を求めて、まずは自分自身の<気持>と<頭>を丁寧に結び合わせることからスタートするしかない。
来年は、そんな一年にしたい、と思っている。