師との再会

 

今日は久しぶりに寝だめの出来た一日。明日からはまた、とんでもなく忙しい日々になることが確定しているので、身体をたまには休めておかないと大変だ。以前に書いたかもしれないが、実は見かけによらず身体が弱いタケバタ。昔はしょっちゅう風邪を引いたりお腹をこわしたものです。でも子供時代よりちょっぴりとだけ、経験則を持ったので、「無茶する前とした後は休息する」という鉄則だけは、守るようにしている。朝ご飯を食べた後、布団に入って結局午後2時頃まで眠り、その後家事にいそしむ。今晩は予備校時代からの恩師、T先生が我が家に来られるのだ。最低限、片づけておかねばならない。

このT先生は、下記の意味でまさしく僕にとって「師」のお一人である。

「師とは私たちが成長の過程で最初に出会う『他者』のことである。師弟関係とは何らかの定量可能な学地や技術を伝承する関係ではなく、『私の理解も共感も絶した知的境位にある』という『物語』を受け容れる、という決断のことである。言い換えれば、師事するとは、『他者がいる』という事実それ自体を学習する経験なのである。」(内田樹「レヴィナスと愛の現象学」せりか書房p18

予備校時代に初めてお会いした時、正直に告白すると、「なんじゃ、このおっさん」と思ってしまった。実はT先生は予備校だけでなく、通っていた高校の講師もされておられたのだが、その時僕は習わなかった。ただ、写真部の友人で、今トリノオリンピックの写真を撮っている報道カメラマンIが高校3年生でT先生に「師事」し、その一年間でまさしく「T教信者」と周りに言われるほど、ぞっこんはまってしまった。ついでに英語の成績もとんでもなく上昇した。好奇心だけは旺盛なタケバタは、高校時代の親友Iが一年で大きく変貌していく姿を間近に見て、どういう人なんだろう、と怖いもの見たさと「ついでに英語の成績が上がったら」という下心で、T先生の授業を聞きに出かけた。その時、件の「なんじゃこりゃ!」という感想を抱いたのだ。

T先生はまさしく、「私の理解も共感も絶した知的境位」におられた。年がら年中半袖姿という容姿はさておいて、男子高校では「女子禁制」のアヤシイ英語特訓で学生を惹きつけるかと思えば、鉄道オタクが高じて日本で一番売れている英和辞典の鉄道の項目を執筆する。発音・アクセント問題の権威として、聴覚障害のある学生にこの問題を解くための鉄則を教え込み、タイの貧困地域の女性や子供達を救うNGOの代表でもある。でも本業は、どんな学生でも英語に目覚めさせる「受験生の神様」の存在であり、徹底的に受験生に英語文法の構造を訓練してたたき込ませる。それだけでなく、弟子として「師事」した人間に対してはとことん付き合う。その「とことん」ぶりもまさに僕にとって「理解も共感も絶した」ものであり、夜中に先生の家で猛特訓すること数十回、テキストを買い与えてくださること数知れず・・・どれほど私に「投資」してくださったかわからないくらい、時間的にも金銭的にもかけてくださった。英語という語学の知識のみならず、生き方や考え方も含めて、「理解も共感も絶した知的境位」におられたのだ。

不肖の弟子はその当時、T先生の熱情がどこから出てくるのか、については想いもよらなかったが、その後10年以上おつきあいさせて頂く中で、あるいは僕も同じく受験生を10年ほど教えてみて、今は大学で学生を教えて、少しずつ、その先生の「師」としての矜持のようなものに、想いを馳せられるようになってきた。少なくともまだ僕はT先生に比べたら「とことん」ぶりが遙かに欠けているけれど、自分らしい感じでの「とことん」は何か追求したい、そう考えている。

そんなT先生がお越しになるので、今晩は実に楽しみだ。バスオタクでもある先生は甲府10時半発の夜行バスで大阪にお戻りになられるので、それまでの5時間、じっくり師との語らいを満喫したい。さ、鍋の用意でも買いに行かなくっちゃ。

雪にはまる

 

といっても、体重が重たいから埋もれたのでは断じてない!! 昨日今日と雪の上でルンルンと滑っていたのだ。

甲府には雪はないのだけれど、ちょっと足を伸ばして長野県まで出かけると、たんまり雪は残っている。残ってなくても人工雪を降らしている。実はこのところ、報告書やら出張で忙殺されていて、1月の段階から2月はほとんど休めないことが確定していた。なので、たまには奥さまとのんびり滑ろう、とM先生に伺って出かけてみたのが、小海リエックス 。一泊二食に二日分のリフト代がついて14000円、しかも部屋も割とよい、という言葉に惹かれていったのだが、確かに満足の二日間だった。

今回は東京から友人Nが新妻と共に参上。甲府駅から小海までのアクセラ号の中では、2人の馴れ初めから何から、のインタビュー攻めをしているうちに、あっという間に到着。途中、ワインの栓抜きを買ったり、あるいは佐久の名酒を女性2人が「聞き酒」されたり、というインターバルがあったのに、9時過ぎに出て、11時頃には現地に到着。その後、着替えてお昼を食べて、奥さまは以前から所望されていたボードのお教室に、私はN夫妻と共にゲレンデへ。

で、「うちらはボーゲンに毛の生えた程度だ」というN夫妻の言葉を鵜呑みにしていた僕がアホだった。いきなり中級コースに行くも、ズンズン滑っていくお二人。こっちは何だか靴がブカブカみたいで、足をとられまくり、コントロールは効かず、こけまくり。でも必死について行くと、今度は中上級者コースのリフトに2人は向かっていく。「え、いきなり行くの?」と心の準備は出来てないものの、2人がいくんだから、とついて行って、滑り初めて大後悔。とんでもなく急斜面なのだ。しかも、もともと来たときから霧がかかっていたのだが、時間が経つにつれ、視界はどんどん悪くなっていく。遙か遠くが見えない、なんてものではなく、100メートル先、いや50メートル先もアヤシイ。でも、Nは気にせずズンズンすべり、パートナーのTさんも軽やかについて行くので、ボーゲン特攻隊のタケバタは従うしかない。Tさんの後ろ姿を必死に追いながら、いつもの1.5倍くらいのスピードで、普段滑るコースの2倍くらい急斜面を、必死でついていく。滑る、というより、転げ落ちるかどうかのギリギリのところで、無理矢理斜面を突っ切った。

で、2時間ほど滑って、ボード教室を終えた妻と待ち合わせるためと、あまりの靴の不快感、N夫妻のスピードについていけない、という気持ちが重なって、いったん戦線離脱。真っ先にレンタルショップに駆け込んで靴を交換して貰ってびっくり。本来のスノーブーツってこれほどしっくり来るのですね。ビギナー故にあまりに無知で滑っていたことを反省。その後はコントロール不能状態が遙かに減ったことを思うと、ピッタリ合った靴、がどれほど大切か、を全身こけまくりで文字通り「痛い」ほど思い知らされる。まあ、奥さまも念願だったターンを習得され、僕もその後は満足いく滑りとなり、えかった、えかった・・・なんて言っているうちに、あっという間に4時半。リフト終了時刻、というより、視界がどんどん悪化してきたので、ホテルに帰還する。

ホテルでは、バイキングの夕食の後、ここからが本気!の二次会。スパークリングワイン1本と赤ワイン2本、そして途中で日本酒720mlを買って、つまみもN夫妻が「北海道物産展」で揃えてくださったので、まあ足りるだろう、と思いきや、さにあらず! 僕はさすがに3本のワインが空いた頃にダウンして、ベッドに横になったが、その後3人で日本酒まで空にされて、ようやくお開き。まあ皆さん、飲むこと、しゃべること、そして食べること。なのにそれが文字通りの「身」になっているのは、どうみても僕一人。なんかズルイよなぁ、とぼやきそうになりながら、最近読んだダイエット関係の文章を思い出す。結局運動して落とすのが一番正攻法なんだよねぇ・・・。

そうそう、このホテルの良いところは、割と大きいサイズの冷蔵庫が各部屋にあること。スパークリングワインを立てて冷やせたし、しかも食品会社経営のホテルなので、グループが作っているお菓子だけでなく、2リットルの水も「ご自由にどうぞ」と入っていた。こういう細かい気配りは、特に酔いつぶれていたタケバタには何よりありがたかった。

そして翌日は、ご想像通りの筋肉痛。そして、土曜日なので、昨日と違って人、ひと、ヒト・・・。挙げ句の果てに、天気は抜群に良い。昨日くらいガラすきで、今日くらい晴天で、昨日のようにひんやりしていたら、そして筋肉痛もなかったらどれほどよかっただろう・・・なんてことを言うくらいだから、そう、今日の滑りはその全く逆。もともと筋肉痛でタダでさえ足がガクガクなのに、気温が10度近くまで上昇して雪質はベタベタで足が取られまくり。挙げ句の果てに人が多くって、よけるのに大変。なので、午前1時間半、午後1時間半滑って、早々に退散した。

とはいえ、スウェーデンで一度滑った以外、国内ではほとんど滑った経験のないタケバタにとって、今期は初デビュー戦。当然、泊まりがけスキーもこれが始めて。また、よその夫婦と合同の「合宿状態」もはじめて。これはこれでいいもんですなぁ、とにわかに雪の世界にはまりつつあるタケバタ。来年度の第二回スキー合宿in小海、を誓って、N夫妻とは別れた。そうそう、妻の上達ぶりを見て、来シーズンは早々にスキー教室にも出かけよう、と決意。なんせ「転げ落ちる」だけでは、いつまで経っても筋肉痛から解放されないもんね。あ、その前に、この春に板とストック、靴の三点セットをバーゲンで買うかどうか、大思案中・・・。

挨拶と排除

 

最近ポツポツblog読者の方が増えてきたようだ。様々なご感想を頂く。「私の文章も長いといわれるけど、あなたの文章はもっと長い」と仰るのは、昨日研究室にお越しになったライターの方。「大学の先生と言うより、ジャーナリスト、庶民派哲学者・・のようです」とは、先日別府でお会いした保健師のTさん。「私のエネルギー源になります」なんて過分なお褒めの言葉までOさんから頂く。タケバタとしては、字数制限も〆切もない媒体で、思うままに好きなことを書いて発散しているだけなので、嬉しいのを通り越して、恐縮するばかりだ。インチキ哲学者(きどり)のタケバタは、自分の「エネルギー」発散のためにのみ、今日も「長い」駄文をコリコリ書き付けるはずです。すんません。

で、先述のライターの方は、来年度の本学の入試パンフレットに関する取材でお越しになられた。なんでも研究のことを取材して、写真入りで載せる、とのこと。むむむ・・・僕なんぞを学科の代表にしていいのかなぁ、それに写真なんてなぁ・・・。不安で一杯、のはずだったのだが、さにあらず。やはり「出しゃばり」タケバタの地金が出てしまいました。一つの質問に延々20分以上しゃべり続け、そのうち本棚の前で撮影するから、と場所を変えられてもマシンガントークは続き、気がつけば予定の60分。僕自身が研究者とジャーナリストの「あいだ」でウロウロしていること、自立支援法と「価値中立」問題、「諦め」ないための理論追求・・・などしゃべりたいことを、カメラでバシバシ撮られている間もしゃべり続けていた。

実は元写真部のくせにファインダーを向けられるのが大の苦手なタケバタ。いつも撮られるときは変な顔をして誤魔化していたのだが、今回はしゃべりに気を取られているうちに、変な顔をする間もなかった。もしかしたら、生まれて初めて、まともな写真が撮れているかも、と内心期待したり。カメラマンのHさんには、以前ゼミの報告書作成の際にもお世話になったのだが、今回もファインダー越しに私の話に加わって下さったので、カメラを意識せずにおしゃべりに夢中になれた。いい写真があったとしたら、Hさんのお陰だ。CDに焼いて頂ける、ということなので、ちょっぴり楽しみだったりする。その一方、きっと私の文章をまとめるのは大変だろうなぁ・・・。僕が逆の立場だったら、「過剰なる言葉」にウンザリしていたかもしれない。前回の文章で、たたみ掛けて話をすることの「構造的排除」性を考察したはずなのに、また同じ過ちを繰り返している・・・。あーあ、進歩ないねぇ。ライターのKさん、すんません。

と、謝ってばかりいても仕方ないので、毎度のことながら「風呂読書」で気になった言葉を少々。

「ここに『あなた』に向かって語りかけている一人の人間がいる。『あなた』に祝福を贈り、『あなた』との対話を開始することを切望している一人の人間がいる。それを伝えることに『挨拶』の本質は存在する。(中略) 『挨拶』を贈るものは、『パロールの贈り物』が『あなた』に届かず、届いても黙殺されるという『リスク』をあらかじめ引き受けている。私は自分の脆弱な脇腹をまず『あなた』に曝す。『あなた』は私を傷つけることができる、私は『あなた』によって傷つけられうると告げつつ、『挨拶』は贈られる。」(内田樹「レヴィナスと愛の現象学」せりか書房p69-70)

教授会後に同僚と1時間近く立ち話をしていて、風邪気味だった体から毒素を抜くための、いつもの長湯。るんるんと読み始めた内田先生の本を読んでいて、ハッとさせられた瞬間だ。以前、僕自身も挨拶について考えたことがある(挨拶と組織文化)。その中で、大学で挨拶が出来なくなっている自分について、こんな風に書いていた。

「ほんとは挨拶したいけれど、誰も挨拶しかけてくれないから、気まずくて、恥ずかしくって、挨拶を返してくれなかったら嫌だなぁ、なんて思っているうちに、挨拶しないことが『当たり前』になっていくのではないか。」

このときは、結論として、「じゃあこれから挨拶しよう」という何のひねりもないオチになったのだが、その後半年間、結局あんまり進歩しなかった。二学期が始まって学生がわんさか構内にあふれていると、やっぱり「気まずさ」や「恥ずかしさ」を先取りして、挨拶にいたらなかったのである。「何だか悲しいよなぁ」と思いながら、でもそれ以上何も進まなかった。そう、何も進まない、ということは、「『あなた』に祝福を贈り、『あなた』との対話を開始すること」を僕の方から断絶していることになるのだ。僕は「『パロールの贈り物』が『あなた』に届かず、届いても黙殺されるという『リスク』をあらかじめ引き受け」ることを拒絶している。「自分の脆弱な脇腹をまず『あなた』に曝す」ことによって、自分が「あなた」のよって「傷つけられうる」機会を排除しているのだ。自分に近しい人、話したい人、関わりのある人にしか「挨拶」しないタケバタは、つまりそれ以外の、これまでご縁がなかった方々に「祝福」を贈る余裕すらなかった偏狭なる人物なのである。なんだか、やな奴だね。

前回の続きで書くと、「たたみ掛けてしゃべる」ことも「挨拶しない」ことも、どちらも「構造的排除」だ。これって単純にいえば、「過ぎたるは及ばざるが如し」。話したい相手には過剰に話して、一見話ずらそうな相手には「黙殺」している。どっちにしたって、まっとうな「『あなた』との対話」が構造的に排除されていることには変わりない。そう、対話していると思ってきた場面の少なからぬ数が、「独り相撲」だったのだ。

なるほど、これが「話が通じない」「しっくりこない」と感じた時に生ずる、ある種の「むなしさ」の感覚の正体なのね。僕はこれまで「しっくりこない」ことを他責的に結論づけていたけれど、たぶんに己のリスクテイク不足でもあるのだ。そう、拒否されるかもしれないけれど、まずは「自分の脆弱な脇腹をまず『あなた』に曝す」というリスクをとる、その上で、先制攻撃的に相手の話を封じずに、じっくり耳を傾ける・・・。ここからのみ、僕が本当に望んでいる「対話」が立ち上がるんだよなぁ。くどいけれど、僕にはくどすぎるほど何度も言い聞かせないと、また「構造的排除」に戻ってしまうので、今日は備忘録的に前回と同じ話を書き連ねてしまった。

構造的排除

 

昨日は大学時代のボランティア仲間の結婚式。新郎新婦ともよく知ったお二人だったので、出席者の顔ぶれも懐かしい顔が多く、同窓会状態。披露宴、二次会の後、ホテルのバーで三次会まで、あっという間に時間が過ぎていく。ワイワイやっていた10年前の事に思いをはせながら、「今の自分が想像できた?」と問うてみる。Kさんが「私は今、やりたかったことをやっていると思う」という発言に、凛とした表情が重なって気持ちよい。そう言われてみて、僕自身も「やりたかったこと」を少しずつ形にしている、と改めて気づかされた。Kさんの笑顔に引き出された発見だった。

その後、高校時代からの友人と実家近くのラーメン屋に移動。西大路九条の天下一品(なんてすごくローカルですが・・・)では、高校から大学時代、よく「モモ定」(こってりラーメンと鶏のモモ焼きがついて1000円弱)なんていう、超こゆい食べ物を食べていた。披露宴(1次会)でたっぷり食べた2時間後に二次会があったので、ほとんど食べずに飲むばかり。3次会も飲むばかり、なので小腹を満たすために4次会でラーメンを啜る、という超おデブコースをたどり、その後向かいのバーで5次会! もう打ち止めだろう、と思っていたのだが、ひょんなことから共通の友人の話になり、電話してみると、「今、大阪から京都に帰るところ」。なので、彼もやってきて、結局バーは6次会的雰囲気に。1次会は正午からスタートし、最後にバーを出たのが午前様。。。こんなに飲んだのは久しぶり、ご苦労様でした。

今朝は朝から胃酸の苦みを感じながら、午前はメールをこつこつ打つ。打ち終わって、よろよろバスと電車に乗って大阪に。当HPの管理人、magnam氏と久しぶりにみっちり話し込むために出かけたのだ。会合場所に当方が指定したのはアバンザ堂島。そう、ジュンク堂堂島店、という大型書店がある場所だ。甲府移住以後、めっきり「立ち読み」「本屋のぶらつき」の機会がへったので、出張の折には出来る限り本屋に立ち寄る。普段の本は、ネット経由(アマゾン)か大学の書籍センターがほとんどだが、やはり大型書店の魅力は代え難い。ネットだと、キーワードが見つかっている(既知)の分野に関しては、サクッと探せるのだが、そのときの気分や「タイトルを見て興味を持つ」なんていう「衝動買い(=未知との遭遇)」には至らない。自分の器を広げたり深めたりするためには、こういう衝動買いが一番モノを言う、と思っているタケバタにとって、本屋でぶらぶら「眺める」ということは、これ以上の喜びはない至福の瞬間だ。まあ、服好きの人のウインドーショッピングと一緒ですね。

至福の瞬間の後、ごっそり「散在」して(といっても、服を何着も買うより遙かにやすいのですが・・・)magnam氏との議論スタート。ギリシャ哲学の素地のあるwebデザイナーの彼とは、都合15年のおつきあい。近況報告もそこそこに、早速どっぷり入り込んでいく。昨日の3次会で久しぶりにあったMさんとのやり取りで気づかされた、「タケバタは発言が過剰である」という「発見」に対して、彼は「あなたの議論は引き出し型ではなく、たたき出し型だ」と受ける。どういうこと?と聞くと、タケバタの場合、相手の話を聞き終えてから話を展開する、というより、自分の聞きたいことを相手にぶつけて「これについてどう思う?」「どうして?」と問いを重ねていく、という。おっしゃるとおり。でも、そういわれてみて、最近自分が気になっていた事が顕在化された。

僕はもしかしたら、自分が興味のある内容に議論を焦点化させる、つまり、自分が元々興味のない話題に関して構造的に排除しているかもしれない、と感じ始めていたのである。簡単に言えば、「キャパが狭いよなぁ」の一言につきるのだが、得意のない話題に展開しないように、もともと話の流れを誘導していたのでは、と自分を疑いはじめたのだ。つまり、未知との遭遇の構造的排除である。

構造的な排除のもとでは、自分がもともと興味を抱いてなかった真実にたどり着く可能性はほとんどない。「発言が過剰」ということは、一見すると議論好きに見えるが、一方的に話し続ける事は、相手の自由な発言の機会を構造的に隠蔽することにつながりかけない。たたみ掛けて話をする、ということは、結局自分の屁理屈を相手にねじ伏せるわけだがら、全然「議論」とはいえない。むしろその逆の、押しつけや説教そのものである。自分が忌み嫌うこの「説教ロジック」に陥っていることを、31にしてようやく気づいたのだ。とほほ。

僕のブログを読むのが面白い、なんてお世辞でも嬉しいことをいってくださったMさんを前にして、つい調子にのって「たたみ掛けている」タケバタは、Mさんがほんとに感じておられた内容を聞くことを「構造的に排除」して、さらに僕の意見を対面の場でも押しつけていたのだ。なんたることか。Mさん、ごめんなさい。ようやくそのことに気づきました。以後気をつけます。長距離の旅路、気をつけて帰ってくださいませ。 

こういう風に、語らいの中から大きくいろいろなことが整理された一日だった。
自分が整理されると、他人の整理まで可能になる。その後、西天満と梅田で、それぞれ目前の課題に困ってらっしゃるお二方の整理のお手伝い。今度は立場が逆になったのだが、他人の課題を整理できる時って、実はご相談された時点で既にほとんど相手によって整理が終わりかけている、ということもよくある。今日のお二方も、相談された課題を伺ってみると、両者ともほとんど整理が終わっている。ただ、最終局面でもう一加工、というときに、相手からお声がかかる。うまく整理が出来る時、というのは、相手の発言のみならず、相手の整理の過程をつぶさに感じ取り、そこに足りない最後の「一塩」をふるだけで充分なのだ。しかも、その塩加減も、整理を待つ相手がちゃんと準備してくれている。この相手の塩加減へのリクエストを体感できたら、その直感に従えば、たいがいうまくいく。今日もそうだった。

ということは、整理してもらった「構造的排除」問題も、そうやって僕があと一歩のところまで整理できていたからこそ、magnam氏との語らいの中で引き出された「物語」であったのだ。また、こうやってこのブログにそんなことを書き付けるのは、「発言の過剰」を抑制するための、エネルギー発散の場であるのかもしれない。

ブログを書き続けると、きっとちゃんと人の話が聞けるようになる。こんな無茶苦茶な整理を今日のオチとして、いまだ口の中が酸っぱいタケバタは、さっさと床につきます。

「見た目」とノーマライゼーション

 

先日開かれた「山梨の地域生活を考える会」設立記念フォーラム。この会場で一つ気になった発言があった。
「私たち障害者は普通の人以上にちゃんとした服装をしないと、馬鹿にされる」
ある方の実体験を元にしたこの発言を奇貨として、少し考えてみたい。

「ちゃんとした服装」ということを、「見た目」と絡めて考える時、実は結構「見た目」を重視している自分を発見する。

といっても、別にだから美男美女やセンスのいい人をえこひいきする、という短絡的つながりではない。(そうなると真っ先に自己否定することになる・・・)。そうではなくて、その人のトータルな外見的雰囲気に現れるその人のオーラのようなものは、結構大切ではないか、と思ってしまうのだ。例えば、僕より一回り上になんて絶対に見えない魅力的なオーラが前面に出ているお姉様がいる。また、同い年なのにどう考えても40以上なんじゃないか、という雰囲気を漂わせる若オヤジや若オバタリアンに見える人もいる。その理由として、ある一定以上の年齢(実感的に25才以上?)になると、その人の内面の志向性や気持ちが外見に如実に反映されるのではないか、と僕は今のところ考えている。つまり、顔が童顔だとか老け顔だとかは25才くらいまでの話で、それより後は、その人の内面的なものが、表情やしぐさ、服装の選び方やセンス等のその人を取り巻く雰囲気全体(=「見た目」)に反映されてくるのではないか、と思うのだ。

これと同じ様なことは、他の人の語りの中にも出てくる。以前ここで引用した一節に再びご登場いただくとしよう。
「化粧は元々自分の中に眠る隠された人格を引き出す宗教儀式から生まれた
 お洒落だって同じ事さ
 特にあの旦那は扉が錆びついて開かなくなった蔵のようなもんだ
 ちょいと油を差して扉を開いてやれば
 あとは三十年間磨き続けたお宝を並べるだけだ」
(「王様の仕立て屋~サルト・フィニート~」1巻 大河原遁、集英社p125

その人の「中に眠る隠された人格を引き出す」ために、化粧やお洒落がある。ならば、その化粧やお洒落の結果、「隠された人格」が「引き出」され、そこに何らかの感想を抱いた時、事実としては「見た目」で判断しているのだが、その「見た目」は内面と直結した「見た目」と言えるかもしれない。すると、「見た目で人を判断するな」という警句と逆の事態が現実味を帯びることとなる。

ただ、障害者と「見た目」の議論をする際には、今までの議論をそのまま当てはめてはいけない。そこに補助線としてヴォルフェンスベルガーの「逸脱論」をちょっと考えてみなければならない。

「なじみのない出来事とか事物は、新奇であれば、人間でも動物でも否定的な感情を引き起こすものである。人間の歴史は、自分とは異なった特徴、例えば皮膚の色、背丈、容姿、言語、慣習、服装等々で相手を迫害してきた事件にみちている。人間は、逸脱状態のなかに邪悪を見がちである。だから、歴史上きわだった役割近くの1つとして、逸脱した人を脅威としてみる見方があることは、驚くにあたらない。」
(ヴォルフェンスベルガー「ノーマライゼーション」学苑社 p38-39

彼はこの「逸脱」という観点で障害者を捉えた上で、障害者に「脅威」を抱かない(=つまり地域で「受け入れられる」)ためには、「可能な限り文化的に通常である身体的な行動や特徴を維持したり、確立するために、可能なかぎり文化的に通常となっている手段を利用すること」(同上、p48)、という戦略をとった。彼のこのノーマライゼーション論は、発表された70年代当時にはかなり影響力ある思想として全世界に広がった。ただ、これは「障害者が健常者世界に同化することを強いる」という意味で「ノーマライゼーションの同化的側面」と分類され、「危険な適応主義に陥ったり、障害そのものの尊厳性を否定しかねない」(定籐丈弘「障害者福祉の基本思想」『現代の障害者福祉』有斐閣 p20)といった批判を後に受けることとなる。ちなみにこのヴォルフェンスベルガーの「同化的側面」の議論がアメリカや日本ではかなり広まったお陰で、北欧で生まれたノーマライゼーションの考え方そのものが、日米で90年代以後、葬り去られていくこととなる。

先述の「私たち障害者は普通の人以上にちゃんとした服装をしないと、馬鹿にされる」と発言の背景には、健常者と同じ格好をしなければ世間の人は「認めてくれない」という文脈で語られる、健常者の差別・偏見や「同化的圧力」があるのではないか、そう考えた。

だがもしもヴォルフェンスベルガーが「障害者も普通の格好をしなければならない」という「べきだ」(should, must)の文脈(=同化的圧力)ではなく、「障害者だってお洒落はしたいでしょ」という「諦めていた想いや願いの実現」(would like to)の文脈で「見た目」問題を語ったらどうなったのだろう、とふと考える。障害者だからって、入所施設の中で一日中同じジャージを着て過ごすのは変だ。自分のプライベートなおうちでは楽な格好をしていても、外に行くときは、自分が好きな服で「楽しみたい」、「自分の中に眠る隠された人格を引き出す」ためにちょっとキメてみたい、という文脈で考えたら、もしかしたらヴォルフェンスベルガーの考えはもう少し別の角度から捉えることが出来たのではないだろうか。

もちろん逸脱論からスタートした70年代のヴォルフェンスベルガーには、きっと「オシャレとしての服装」という発想には思いもよらなかったろうし、それはそれで仕方がなかっただろう。何も、21世紀の私たちが、それを今の文脈から非難するだけでは、何も生産的なものは生まれてこない。(これはたぶんに自戒を込めた弁明であって、僕自身、以前ある文章の中で、先に述べた「今の文脈」から「当時のヴォルフェンスベルガー」を批判する、という大変な不作法をしていた。) ただ、発想を変えれば逸脱論から出てきた「服装の同化」と、本人の「想いや願い」から出てくる「お洒落」は、そのコンテクストは全然違うのだが、結果としての「見た目」問題は、「服装の変化」という同じポイントに行き着く。ただ、その人が、「べきだ」の文脈で「着せられる」「お仕着せ」の服装には、息苦しさや不自然さという「見た目」がつきまとう。だが、その人が自分でこれをこういう場面で着たい、と思って着飾るとき、その人の内面に油が差さされて、その人の魅力の扉が開かれる瞬間が立ち上がってくるのではないか。

ならば、障害を持った人でも普通に「お洒落」が出来るように、お洒落な服を着るための介助者や、お洒落してパーティーやコンサートにいく為のガイドヘルプ、お洒落な服を買うための所得保障、そもそもそういったお洒落に興味を持てるような施設入所ではなく地域自立生活の保障、お洒落をして出逢った異性と付き合ったり結婚したりした際の支援・・・こういった障害者の「お洒落」にまつわる諸課題を、私たちの社会がシステムとしてどう構築し、保障していけばいいか? ほんとはこういう問いを考えることこそ、もともと北欧で生まれた「ノーマライゼーション(の異化的側面)」なるものの本質だったのではないか、・・・そんなことをつらつら考えていた。

悪口と逃避行

 

悪口を書き続けると、妙に盛り上がる時がある。たぶんにタケバタは「底意地」が悪いのだろうが、水曜日はまさにそんな一日だった。この3年間携わってきた研究班の報告書で、僕が担当する部分のお題が「障害者の地域移行と権利擁護」。アメリカやスウェーデンでの調査を踏まえ、あるいは日本の権利擁護機関のフィールドワークを踏まえ、地域移行と権利擁護について日本の課題を迫る、まあそんな内容だ。それまでにウンウン唸りながら、ようやっとアメリカとスウェーデンのことをA4で10枚くらい書き進め、水曜はその両国の特徴を分析した後、「さて、日本では・・・」という段階に来ていた。で、分析を午前中に書いているうちに、冒頭述べた「底意地」の悪さ、が立ち上がってきたのだ。これは、今度出来る「障害者自立支援法」に絡めて書けるんじゃないか、と・・・。

この間、半ば自立支援法「オタク」であるかのように、この法案が出来る前の審議会資料からずっと追っかけてきたタケバタにとって、言いたい事、そりゃあないよなぁ、と思うことがいっぱいあった。特に「地域移行」に限定しても、これも腹立つ、あれはオカシイ・・・というネタはたんまりあった。その一部は勉強会などに呼ばれると吐き出していたのだが、2時間の講演会で全部話せるわけでもなく、きっとグログロたまっていたのだろう。アメリカとスウェーデンの分析で、積極的な平等保障やサービス受給権の問題、あるいは予算上の免責問題や個別支援の問題、などの「切れる」武器(キーワード)が立ち上がってきた。ならば後はバッサバッサと切り込むばかり・・・と好き勝手に「切り」出したのだ。

こういう切り込みほど、痛快なものはない(だから底意地悪いのですが・・)。「こんにゃろー」的な独り言を呟きながらパソコンに向かうこと、延々と12時間。それまで書いた量と同じA4で10枚ほどを、一気呵成に書ききった。きっと求められたお題からとうにはずれて、大方「趣味」の世界に没頭しながらズンズン書き進めたが、こういう「趣味」的分析は、実に楽しい。何かが乗り移ったかのように、「敷地内ホーム問題」と格闘していた・・・。

で、その翌日は、まさに「ふぬけ」状態。昨日どこかから「神さま」が舞い降りてきて、書くエネルギーを使い果たしたのか、いっこうに書けなくなってしまう。この時期恐ろしいことに4本の報告書をこの2ヶ月以内に書ききらねばならない、という危機的状況なのだが、昨日取り組んだテーマは少し、考え不足だったようだ。こういう場合、ある程度無意識でぼんやり考えているうちに、お風呂読書中などに急に何かが「降臨」することもあるので、あまり焦ってはいけない。というわけで、昨日の午後は気分を変えて、来月出かける予定のタイ行きについての事前調べを色々していた。

人間は現金なものだ、とつくづく思うのは、午前中、あれだけやる気をなくして、パソコンを前に魂抜けた状態だったタケバタが、タイのことを思い出すと、急に目が輝き出す始末。そうです、タイのことを考えるだけで、ウキウキしてくるのです。今回も勿論仕事で行くのだが、でもあのまったりとした雰囲気に、屋台の美味しい料理に・・・と考えているだけで、ルンルンになれるのだから、実に単純なるタケバタ。逃避行が出来るのだ、と思うと、その前に報告書終わらさなくっちゃ、というインセンティブまで貰えて、これは本当によろしいことである。今晩から大阪出張なので、日曜は梅田の本屋でタイの本でも買いあさろうかしら・・・、などとテンションがどんどん高まるのであった。

ポロポロあふれ出る言葉たち

 

よい聞き手を前にすると、全く思ってもみなかった、刺激的な言葉を発しているタケバタに気づくことがある。

この前の別府での、Kさんと語らった夕べも、そうであった。尊敬すべき大先輩とゆっくり話せるだけでも嬉しく、アルコールも入って、舌はどんどんなめらかになっていく。また、こちらが思う存分好き放題にしゃべっても、どんな球でも「受け」てくださる名キャッチャーを前にすると、勢い僕もどんどんあれこれ投げてみたくなる。そして、そんなキャッチボールを繰り返しているうちに、自分が気づきもしなかった球を相手にどんどん投げ込んでいる自分を発見するのだ。

我が家に帰って、読みかけの本の最後の部分をお風呂でぼんやり読んでいたら、そのことをズバリと書いた一節と出会った。

「われわれは通常、自分の思考や行動はもっぱら自分自身の自発性の支配下にあると思っている。しかし少し反省してみればわかるように、これは事実ではない。私がなにを考え、どのように行動するかは、つねに(あるときは意識的に、しかし多くの場合は無意識的に)私がいまここで参加している対人状況全体の、アクチュアルな雰囲気(リアルな実在として知覚することができず、「雰囲気」ないし「空気」としか呼びようのないなにか)に左右されている。私の思考や行動は、私がいま誰と出会っているかによって、根本から変化する。私の言語的・非言語的な行動の自発的志向ないし意図という、われわれが自己性の源泉としているものは、このように私自身と周囲の対人状況との接点で、つまり私が自分なりの仕方で言語的・非言語的に行為しようとする意図/志向と、状況全体の集合的な意図/志向との接点で発生し、そこに座を占める。」(木村敏「未来と自己」 『関係としての自己』所有、みすず書房p289-290

1次会の終わった後、ラウンジに場所を移し、静かなカウンターに腰を落ち着けて話をし始めた時、そこではいつの間にか「アクチュアルな雰囲気」が、それ以前とだいぶ変わっていた。じっくり話したい、という僕の意志だけでなく、名キャッチャーKさんの存在、別府でのそれまでのセミナーの内容、一次会の席での会話の中身、そして別府の温泉場という場所の持つ開放感・・・様々なものがミックスされ、「私自身と周囲の対人状況との接点」で、僕自身が全く思いもよらなかった「自己性」が立ち上がってきたのだ。そういう意味では、あのときのあの会話は、もう二度と再現できないだろうし、それから自分が何を話したのかも、その実よく覚えていない部分もある。自分の父より年上の先輩と、こんなに興奮して話が出来たこと、それだけでもすごく刺激的だった、ということだけはしっかり頭に刻み込まれているのだが。

そういえば、木村氏と同じ意見を、最近のあるブログでも読んだっけ。

「創造というのは自分が入力した覚えのない情報が出力されてくる経験のことである。それは言語的には自分が何を言っているのかわからないときに自分が語る言葉を聴くというしかたで経験される。」
(内田樹の研究室 20060203「まず日本語を」

僕もカウンターで、まさしく「自分が語る言葉を聴く」経験を繰り返していた。なるほど、俺ってそういうことを考えていたんだね、と。しゃべっている瞬間、自分が何を言っているのか、これから何を繰り出そうとしているのか、正直よく分からないのだけれど、言葉がポロポロ出てくる。僕はこういう「しゃべりながら考える」といるのが結構好きなのだが、それはまさに「入力した覚えのない情報が出力されてくる経験」に魅力を感じていたのだろう。対話相手との「アクチュアルな雰囲気」で、その場限りで出てくる様々な新しい発見。それは「創造」でもあり、「自己性の源泉」に触れることでもある。こういう泉がわき出すような対話、相手との冗談交じりだが本気のキャッチボール、ほど、エンジンがかかる場面はない。自分一人で「創造」するのが苦手なので、受け手の名手のエネルギーに仮託しながら、自分が言いたかったことを相手との「あいだ」から教えて頂く、そんなことだったのだろう。

ポロポロあふれ出る言葉たちに「創造」を、そして「自己性」をも見いだすからこそ、「対話」がやみつきになるんだ・・・そんなことを改めて考えていた。

出たとこ勝負

週末、別府で開かれた保健所や病院の現場で働く方々のセミナーの場にいた。日夜バタバタと働いている現場職員の方々が、日常の場から離れた温泉地で、少しモードを切り替えて、目下の課題である自立支援法を見据えつつ普段の実践を振り返る、そんな場であった。タケバタはそんな皆さんへの課題整理のお手伝いをすればいい・・・そういうテーマが与えられていた。

普段は講演して質疑応答があってオシマイ、ということが多っかたのだが、2泊3日泊まり込んでのこのセミナーは、その後分科会形式でじっくり話し込む、という場面がある。1日目と2日目の午前は基調講演が続くのだが、2日目の午後と3日目の朝は、まるまる自由にディスカッションとして使える。そんな場だったので、好奇心も手伝って、本来「助言者」のはずのタケバタが、えらい出しゃばってしまった。でも、めっちゃおもしろかった。

2日目の午前はタケバタによるいつものアヤシイ講演。午後がディスカッションになる、ということを伺っていたので、しかも時間をいつもより長めに頂いたので、現場で働く公務員の方々に少しスパイスと刺激をまぶした話をしてみた。精神病院や入所施設の中で地域自立生活を「諦め」ざるを得ない人々が30万人もいるという現状から、なぜ「諦め」なければならないのか、「諦め」ないために現場の支援者として何をしなければならないのか、そもそも支援者が社会的諸現実を前に「・・・だから仕方ない」と自己規定(限定)して「諦め」ていないか・・・。

こういう問いかけの後、昼食を挟んで開かれた「地域での精神保健福祉」分科会。お節介にも司会を乗っ取った私から、「せっかく午後は議論の場ですから、皆さんの実践から感じる疑問や不安をまずぶつけてみましょう」と冒頭40人の参加者全員にお話頂くことを宣言。皆さん、面食らったようだったが、話し始めると出るわ出るわ・・・。当初は一人1,2分と計算してだいたい90分くらいかなぁ、なんて思っていたのだが、終わってみたら午後4時。皆さん、たんまり溜まっていたようだ。

保健師や看護師、ソーシャルワーカーという様々な専門職が、公的機関で地域精神保健福祉に携わる、という共通項でつながったこの現場。しかしながら地域や、職種や、現場が異なると、共通項があるとはいえ、実に様々な、各現場に根ざした実情や課題がてんこ盛りに出てきた。過疎地での社会資源のなさ、大都市での対応ケースの多さ、精神科救急に関しての各地域独自の取り組みや悩み、新たな法律への対応のとまどい・・・これらの相違の上に、仕事が次々と追いかけてきて立ち止まって考える暇がない、自立支援法の資料も膨大すぎてつかみ所がない・・・といった共通項が折り重なって、もこもことした「渦」状のものが、会場中を埋め尽くしてきた。そこでいったんブレイク。参加者の方々に少しリフレッシュして頂いている間に、おせっかいタケバタはホワイトボードに「渦」の整理。なんだかこうなったらワークショップ風にしちゃえ、と15分の休みを使って、この「渦」に一定の編集を加え、二つの物語としてまとめてみた。

「精神障害者の入院支援から退院支援、地域自立生活支援の現状と課題」「働く人間の抱える課題」 物語のタイトルだけ書くとあっさりしてみえるが、ともに会場の方々の厚みと深みのある語りに基づく重層的なストーリー。この整理から他の助言者の方と共にタケバタも即興的にあれこれと角度を変えて合いの手を入れているうちに、すっかり時刻は5時半。渦をいったんある程度の形に納めて、この日の会は終了した。

で、実はさらに面白かさが深まったのは、最終日の午前のセッション。昨日の感想を、夜の「関サバ」「温泉」などの感想も含めてまた皆さんに短く述べてもらった後、これは政策を考えるセミナーだったので、主催者から今後の政策提言のたたき台を提示。で、勉強会なら一方的に聞いてオシマイ、なのだが、これはあくまで現場の皆さんが政策提言するためのきっかけ作りの「場」でもあったので、たびたびタケバタはいらぬお節介。「皆さんの現場の声に基づいて作られたはずのこの提言案は皆さんの実感にそぐっていますか? なんだか現場のリアリティとの間に深い河を感じたりしませんか?」と聞いてみると、案の定、多くの方がコックリうなずかれる。どうせなら、その深い河を超えるために、皆さんの方からこのたたき案への「提言」をしてみませんか、とハンドマイクもって会場内を巡ると、またまた色んな課題や提言が出ること、出ること。他の助言者の方々にも時折コメントを頂きながら、「渦」をさらにまいているうちに、気がつけば昨日から立ち上がって来つつある「物語」が立体的になって、よりクリアになってきた。そんな折り、勝手に司会進行を進めた僕は、次のようにまとめてみた。

皆さんのお話は、行き着くところはある一つのポイントです。それは、「私が抱える現場の現状」というミクロ的現実と、「当事者中心の支援」というマクロ的理想の「あいだ」をどう「つなぎ」「ネットワークをつけるか」というメゾ的な展開の模索です。このメゾ的なるものは、実はもう一つの局面の「あいだ」でもあります。それは、現場で働かれている方々の「熱意」「優しさ」「善意」といった個人的要因と、職場や地域などの現場での様々な矛盾という社会的要因の「あいだ」でどう皆さんが踏ん張れるか、ということ。善意や優しさだけで頑張り続けると、多くの場合、燃え尽きに至る。でもかといって様々な矛盾に「したり顔」になって「・・・だから仕方ない」と「諦め」ていては何も始まらない。この間のしんどいメゾ的な部分に、ミクロもマクロも見据えてどう踏ん張れるか、自分の現場なりの何らかの社会的な解決案をどう構築していけるか、それが皆さんの腕の見せ所であり、政策と現場、当事者と制度をつなぐ皆さんに課せられた使命でもあるのでは・・・。

今、改めてこの課程を書いてみて、こういう形式のワークショップ、というか、セミナーは結構オモロイかも、そしてこういうやり取りにタケバタは案外向いているかも、などとようやく気づいた始末。帰りの飛行機があるので、しゃべるだけしゃべって「脱兎のごとく」(主催者曰く)帰っていった私に、企画された方々はきっと「勝手にあれこれやりやがって」とお怒りになられたかもしれない(もしそうならごめんなさい)。でも、一緒にタクシーに乗った、3日間同じ場で講師として参加された大先輩のKさん曰く、「出たとこ勝負には強いねぇ」というあきれ半分!?の評価を頂いた。僕自身としては、この間何となく考え続けてきた「支援現場職員のエンパワメント」「要求・反対運動から政策提言・連携に向けたソーシャルアクションのパラダイム転換」といった課題を、図らずもこのセミナーで実践してみて、皆さんにも少しは持って帰って頂けるものもあったのでは、とちょっぴり自負している部分もある。

「出たとこ勝負」で出てきたネタを、「その場限り」で終わらせず、皆さんにきちんと持って帰ってもらいたい。そして月曜日以後、現場で、「・・・だから仕方ない」と「諦め」そうになった時に、このセミナーの断片をふと思い出してくださったら。ならばきっと「・・・にも関わらず」と言い続け、当事者が諦めずに想いや願いを実現出来るような、そんな地域を作り出すために、踏ん張ってくださるのでは・・・。そう想いながら、卯年生まれのタケバタは軽やかに別府を去っていったのであった。

5年間のおつきあい

 

この冬初めて、甲府で雪が結構降っている。

こう書くと「県外」の方はびっくりするかもしれない。関西方面の人からは、「ことしは雪が大変でしょう?」とよく言われるのであるが、日本海側の雪は八ヶ岳の麓で全て降り止んでしまうので、甲府は寒いけれども「からっ風」。おかげで加湿器がないと、肌もボロボロになってしまう。ちなみに山梨の方々は「県外」のイントネーションはフラットに「けんがい」と強弱なしでお読みになる。関西弁では「け」に力が入ったので、違うアクセントだ。あと、妙に「けんない」と「けんがい」の違いを強調されるのも、山梨に来てびっくりしたことの一つ。京都や大阪に暮らしていたとき、「府内」とか「府外」なんて言いもしなかった。で、とにかく雪でアクセラ君の屋根も少し白くなっている。明朝はやかんを持ってアクセラ君の窓ガラスにお湯をかける必要がありそうだ。

アクセラ君と言えば、今朝は奥さまを送った後、眠い目をこすりながらアクセラ君を走らせて、運転免許試験場へ。そう、2月9日の肉の日が誕生日のタケバタは免許更新。それも、生まれて初めて「優良運転者」だそうで、5年更新のために出かけたのだ。ちなみにこれまで、一時停止違反やら、信号違反、ねずみ取りやらで捕まっていたので、なかかなゴールドカードにたどり着けなかった。もひとつ言うと、上述の違反は全て現行犯取り押さえ。よくもまあ、若気の至りとはいえ、不注意だったものです。で、ようやく30才を終わりに迎え、最近は安全運転を心がけるので、今度はゴールド免許だそうなのだが、ショックだった事がある。それは、写真だ。まん丸で、まるでアンパンマンのような姿。ショックと言うより、あまりのまんまるに、茫然自失となってしまった。

もちろん、写真というのが、撮りようによって大きく様相を変えることは、その昔一応これでも写真部だったので、知っているつもりだ。ライティングや角度、背景によって、その姿は微妙に変わる。だからこそ、人物写真はすごく難しいし、免許写真がほんとによく撮られることなんて滅多にないのも知っているつもりだ。でも、あまりにもあまり、の不細工な写りに、それを見た奥さまも一言、「ぶっさいく」。そんな念を押さなくてもいいのに・・・。

高校時代に写真に入れ込んでいた頃、毎月「アサヒカメラ」を何度か読み返し、いっぱしの芸術写真論を友人と語っていた青き日々を懐かしく思い出す。現実をある観点から切り取り、自分の思い通りに脚色出来る写真が、自己表現の手段としてすごくかっこよく感じたあのころ。しかし、結局カメラを通じた映像表現に自分は向いていない、と知るまで、そう長くはかからなかった。今某新聞社のカメラマンをしている同級生は、やはりピカイチに光った写真を撮っていた。一方僕は、奇をてらってみたり、変な思い入れのある自己満足的な写真ばかりだった。挙げ句の果てに、白黒写真のスポッティングが面倒くさくて印画紙にマジックで「塗り絵」したり、セピア調色で遊んでみたり、単なるはちゃめちゃだった。真っ当に写真を撮った時、同級生なのに件の友人とのあまりのセンスの違いに、茫然自失しそうで、キワモノ路線でごまかしていた自分を思い出す。そう、自己表現としての写真は結構難しいのだ。

で、結局写真での自己表現に関する自分自身のセンスのなさに思い至り、写真から撤退。でも、「現実をある観点から切り取り、自分の思い通りに脚色」したくって、結局研究者の世界にしがみついているのだと思う。まあ、どこまで「切り取」った「現実」を「思い通りに脚色」出来ているか、はアヤシイ。しかし、少なくともこの分野では、ある程度の解釈を加え、そこそこ納得できうる表現で提示できている、と思う。少なくとも、僕にとっては写真より論文の方が、自分の地をうまく出しやすい、そう思う。写真のように、ごまかしがきかず、被写体と撮影条件のみでの勝負、ではなくて、文字に仮託すると、かなりの言い訳が効く。そう、言い訳少年タケバタにとって、やはり言い訳の効かないメディアは、相当にキツイのだ。(もちろん識者諸氏から『論文だってそんなに甘くはない』なんて言われたら、この分野からも一目山に逃げるしかないのだが・・・)

というわけで、マジマジと自分の写真を見ていたら、やはりげんなりしてきたタケバタであった。この写真、初めてのゴールド免許なのでこれから5年間ものおつきあい。せめて、36才の誕生日には、もうちょっとすっきりいい男で写っていたいのだが、果たしてどうなりますことやら・・・。