チェンジ・エージェントとダウンローディング

 

忙中暇なし、なのだろうか。やってもやっても、タスクが完了しない。

ここしばらく、最低限のto doをこなすだけで、結構精一杯である。〆切を落とさないように、とデッドラインをつけているのだが、毎日何かしらの〆切日が来ていて(一部過ぎていて)、雪かき仕事のようにせっせこせっせこ、かきつづける日々。ここ1,2週間で季節はぐっと変容し、今朝はストーブにトレーナー姿。朝がグンと冷えてきた。急に乾燥気候になり、洗剤負け体質の手は荒れてくるし、喉は毎朝イガイガしている。今、風邪を引いたらめちゃくちゃ大変なので、十分な睡眠と、うがい手洗いだけは必須だ。そう思って夕べ帰宅時にうがいをしながらシャツのボタンを外していたら、うがい液がシャツに付いた。ヨウ素は取れにくい、と妻に聞いて大ショックだったのだが、シミ取り液をつけてすぐに洗濯機を回してみると、何とか取れる。ふう。忙しいから、と手を抜くと、大変である。

さて、手を抜くと大変なのはジムも同じ。ついつい忙しいと行かなくなってしまい、体重増につながりかねない。ここ二週間は教員テニスクラブにも行けたが、来週から3回ほどは仕事でいけない。なので、週二回は運動を確保するために、昨日もザクッと仕事を切り上げて向かう。あと、同僚の先生に、「ここから体重を落としたかったら、やっぱり筋力をつけねば」と助言をうけ、前回あたりからジムでは30分の運動に、プラス10分の筋トレを入れてみた。本当は家ですればいいのだが、もともと無精な人間、かつ家に帰ると酩酊するタケバタには無理な話。よって、まずはジムで続けよう、と思う。で、そんなこんなでジムで汗をかきながらも、土曜日〆切の仕事用に読み返していた本が、あたりだった。

「チェンジ・エージェントには、判断を保留して、待てよと止まり、観察することができる人がふさわしい。これを仏教の用語では『止観』という。
こういうひとは『そうだったのか。それで一体何が起きているのかな?』『何が問題なんだろうか?』と人々に探求させる問いかけを発するだろう。この姿勢が、変革を形だけに走らせないで、人々に深く探求してもらい、気付きや覚悟を引き出す重要な鍵になるのである。『ちょっと待てよ、私たちは何の目的でそれをやっているのだろうか?』『それは思い込みであって事実は違うのではないか?』といった台詞を周囲に投げかける役をして欲しいのである。」(高間邦男「学習する組織」光文社新書p32)

高間氏は、このチェンジ・エージェントと対比する形で、相談された際に自分の経験や枠組みしか引き下ろすことが出来ない人の反応を「ダウンローディング」と名付けて、こうも書いている。

「このダウンローディングをする人ばかりが集まっている組織では、変革が難しい。この人々はすぐにジャッジ・判定をしてしまうので、今何が起きているのかを幅広く客観的に見ることができいないのだ。また、周囲の人は、否定されたり拒絶される恐れを感じるので、ますます本音を話さなくなってしまう。」(同上、p31-32)

いるいる。こういう「ダウンローディング」な人。だいたい僕がいつも衝突するのは、この「ダウンローディング」な人であったり組織である。何度もこのブログで書いているフレーズで言えば、最初から“You are wrong!”という枠組み(=私と同じであれば正しい、つまり私は正しいという枠組み)しか用意されていない人や組織とは、別の視点を持ってきたら、どうしたってぶつかるに決まっている。そして、ある組織で、ダウンローディングではなく、チェンジ・エージェントとして活躍したTさんの仕事ぶりを、こんな風にまとめている。

「大変なバイタリティで、様々な出来事に対して我がことのように関心を持って取り組んでいた。T氏は五年間、様々な人々に語り続け、ありとあらゆる会合に顔を出して、人々の方向性を合わせ、関心を掻き立て、称えることで元気づけてきた。現在、この会社は売上が倍以上になり、他の支社にも強い影響を与えている。売上だけでなく、会社の文化は生き生きしたものになり、社員自身が会社に高いプライドを持つようになった。もしT氏がいなかったら、変革はここまで成功しなかったかもしれない。」(同上、p36)

今自分がやっている特別アドバイザーの仕事に通底する部分があるような気がする。自分が今、県内で色んな場に出かけてやろうとしていることも、おこがましいかもしれないが、「様々な人々に語り続け、ありとあらゆる会合に顔を出して、人々の方向性を合わせ、関心を掻き立て、称えることで元気づけ」る営みである。それが、企業のように数値で反映されるものではないが、でも地域福祉の枠組みを「要求反対陳情型」から「連携提案型」に変えていくための仕掛け作りをしているなかで、私自身がダウンローディングになっていないか、が大きく問われている。自分の枠組みに固執せず、チェンジ・エージェントとして、現場の人々と一緒に『何が問題なんだろうか?』と問い続け、探し続けられる人間か、が問われているのだ。この模索の際、一番最初にすべき大切なポイントも、ちゃんと著者は教えてくれている。

「重要なのは、事実だけをを共有するのではなく、互いの認知の仕方を共有することである。(略)事実がどうあったかを問題にするのではなく、認知の仕方の違いに気づくようにする。また、オープンな話し合いをしようと思ったら、互いの経験や実際に起きていることを、批判をせずに聴く必要がある。相手をジャッジせずに、ただ聴くことができたら、相手を受容することができる。そうすると生成的な相互作用が生まれ、一人が一人でなくなり、チームとしての集合的な融合が起きて、より探求ができるようになる。」(同上、p41-42)

自分の最近の経験に照らし合わせても、実に大切な指摘だ。
「事実」の「共有」を目指して話し始めも、下手をすると「事実がどうあったか」を巡る対立的関係から神学的論争になりかねない。「○○が正しい」というのが、複数出てくる場合も、少なくない。その当否を審議するのではなく、そういう風に捉える「認知の仕方の違いに気づく」、これは当事者間でボタンの掛け違えの結果、膠着状態に陥っている現場に、まず必要なことだと思う。

「俺はこういう思いで一生懸命やっているのに」という感情的モードで入るとだいたい失敗するのは、その際、「一生懸命やっている」という感情が支配・先行して、相手をその感情的枠組みでジャッジしているからである。すると、自分の枠内に入ればいいけれど、だいたいそういう時は自分の枠組みの外で問題が起こっているから、「何もわかっちゃいない」「どうしようもない」という結論になる。当然こちらが最初からクローズドなモードだから、相手の話をきちんと聴けない。すると、「生成的な相互作用」なんて起こらないし、チームにならないのだ。

そういう現場に求められているのが、まさしくチェンジ・エージェントなのである。そして、チェンジ・エージェントがどういう風に場を構築していくか、を筆者はこうも書いていく。

「遠回りなようでも本物の自分を探求することから、他の人々の経験・気持ちの共有を行い、内外の環境に対する組織的感受性を高め、ありたいビジョンをポジティブに話し合うことから、新しい目的意識・ミッションといった集合的な意志を創造することが効果的である」

さて、私はどの程度の「集合的な意志」の「創造」にコミットできるのだろう?
久しぶりに読んでいてワクワクする本だった。っていうか、以前読んだ時には、全くその辺をスルーしていたことが、恐ろしい。二年前から、多少は成長している、のかもしれない。

トサフィスト的再編集

 

こないだの木曜日、ジムでバイクを漕ぎながら読む本として、近所の本屋で何気なく手に取った一冊。週末もお風呂のお供にボンヤリ読み進めていたのだが、最後の二章での論考の鋭さに、思わず唸る。

中世ユダヤ教徒の中で、教典の写本の欄外に注釈や解釈、意見や見解を書き込む人のことを「トサフィスト」という。写本そのものには一切手をつけず、その欄外の注釈も、前時代のものを残しながら、その後に書き足していく。そういうルールが「トーラー」という、モーゼの律法を伝承していく際にどう伝わっていったのか。その点に触れて、こういうまとめが出てきた。

「それらの作業はすべて『過去を棄却して新しい発想をする』ことではなく、『過去への長い検討の集積を編集しなおす』という作業であった。(略)この作業は、実は、『生体である文化の改革と進歩』の基本なのである。『トーラー』は彼らの精神構造の基本であるから、これを停止して『改革』するわけにはいかない、といって、そのまま、ただ過去を守っていれば形骸化して消えてしまう。そしてこの矛盾を解消する方法とは、実は、トサフィスト的な作業しかないわけである。(略)ある時期の改革とか革命とかいわれるものは、実はその再編集にすぎないのであって、何か不意に『新たにはじまる』わけではないし、同時に、それが終わればトサフィスト的作業が終わるわけでもない。そしておそらく、われわれに最も欠けているのが、この基本的発想なのだと言える。」(山本七平「日本人と組織」角川書店、p186-187

福祉施設の組織改革についてボンヤリ考えているのだが、その施設に限らず、日本の組織は確かに『過去を棄却して新しい発想をする」ことを好む。山本氏もその動きに関して、「情動的に外部的条件に対応していく」ことに関して「『天才的』とさえいえる」と指摘している。新しいブームが来れば、それにパクッと飛びつくのは、組織だけでなく、日本人気質、なのかもしれない。だが、私たち日本人も、結局そういう表層的変化があっても、深層の部分では、変わっていないのだ。組織改革のために、色々な手を打ってみても、なかなか本質的に変わらない。その原因を考えていたのだが、それは、『過去への長い検討の集積を編集しなおす』という視点が欠けているからである、ということに、山本氏の著作から気づかされた。つまり、その組織の持つ「トーラー」と、そこに記された欄外注を、消し去ることなく、むしろ全てを分析する中で、どこで「躓いた」か、が見えてくるのである。

1977年に書かれたこの作品の中で、山本氏はそこから、最近ちまたで話題の失敗学について触れていく。

「過去の製品とは、現代を基準に見れば、すべて失敗した製品だと言うことである。だが、それをそのまま残すことが、進歩なのである。以下は聞いた話だから、あるいは単なる伝説かもしれないが、フォードには、第一号以来の部品が全部そろえてあり、いつでも受注に応じられるという。大変に無駄なことのようだが、実は、部品の変転史を実物で検証しうることは、決して無駄なことではなく、これがあるから、将来を模索できるのだという。」(同上、p204)

失敗を記録・保存し、必要に応じてその記録を引っ張り出して「実物で検証」する。そのことを通じて、「将来を模索」する。この「過去への長い検討の集積を編集しなおす」という「再編集」の作業があるからこそ、その組織は根本的に変容することが可能なのだ。ブームだから、時代が要請するから、法律が変わったから、と、その組織の「トーラー」を見つめ直すことなく、屋根部分のみを取っ替えひっかえしたところで、中身は全く変わらず、むしろ継ぎ接ぎが増えるだけで、余計に内容が混乱してくる。まるで政府の継ぎ接ぎだらけの年金システムのように。

逆に言うならば、継ぎ接ぎだらけのシステムに関して、何らかのメンテナンスなり補修工事を依頼された場合、下手に新しい支柱を立てるよりも、意識的にトサフィストになることが求められているのだと思う。その組織の(見えざる)屋台骨である「トーラー」の部分と、継ぎ足し、すげ替えられ、時には棄却された「欄外注」を峻別した上で、そのどちらも分析すること。『過去を棄却して新しい発想をする』よりは遙かに時間もかかるし面倒だが、そういう、見た目ではドラスティックなことをするよりも、地道に『過去への長い検討の集積を編集しなおす』ことの方が、実は本質的な組織の問題にアクセスでき、そこから実現可能な舵を切れる可能性があるのだ。

そうやって見ていくと、私自身、去年あたりまで外野から「改革改革」を迫ることが多かった。だが、色々な現場で、最近そういう外野からのヤジ、ではなく、中に入り込んで、コーチのような、プレーヤーのような立場で動き始めている。すると、必要なのは、派手な言説よりも、むしろトサフィスト的な「再編集」だ、と深く感じる。その組織の「トーラー」をどこまで理解するか。その上で、雲散霧消した欄外注までも、どこまで掘り返し、何を再編集出来るか。こういう姿勢がないと、本当の意味での、『生体である文化の改革と進歩』にコミットできない。そんなことを教えてもらったような気がする。

「余計なお世話」と「雪かき仕事」

 

大学が再開されると、日々本当にあっという間に過ぎていく。
夏休みも大変だったような気がするのだが、そんな記憶は本当に遠く遠くに消えている。夏休みのようにブログのマメな更新も出来なくなってしまう。何だか寂しい。毎日、グーグルカレンダーと睨めっこしながら、みちっと週末まで予定が食い込んでいて、ため息が漏れてしまう。

とはいえ、遊んでいない、というと、これまた嘘になる。金曜日の午後は、修理に出していた鞄が直った、と連絡を受けて、パートナーと共に八ヶ岳アウトレットに。服の在庫処分をした後だから、逆にどういうアイテムが足らんのか、もよくわかっているということを言い訳に、Tシャツやら秋物のセーターやら買ってしまう。まあ、三連休前日で、夏物処分も兼ねたバーゲンの準備をしていたので、掘り出し物にも巡り会えた。ほんと、甲府に来てから、服はアウトレットでしか買わなくなってしまった。

で、日曜日のお昼は新宿で金融系に勤める高校時代からの友人と久し振りに逢う。秋空のカフェテラスで、議論に花を咲かせる。20代に自分への投資に全勢力を傾けてしまった(だから自己資金が現時点でもほとんどない)私にとって、投資業務を本職とする友人の話は、「異国」の話として、大いに興味をそそられた。結局、自分のバランスシートも満足につけられていない現状に、色々問題もあることが明らかに。まあ、いきなり財テク(なんて旧い言葉)に走ることはまずないが、少なくとも「お小遣い帳」はちゃんとつけんとなぁ、と丼勘定の自身を反省する。これもダイエットと同じで、まずは「記録する」という事が肝心なのね。

そういう息抜きをしながらも、先週から今週にかけて、せっせこ「雪かき仕事」をする。このことは、よく引用する内田センセが、村上春樹論の中で、こんな風に書いていた。

「感謝もされず、対価も払われない。でも、そういう『センチネル(歩哨)』の仕事は誰かが担わなくてはならない。世の中には『誰かがやらなくてはならないのなら、私がやる』というふうに考える人と、『誰かがやらなくてはならないんだから、誰かがやるだろう』と考える人の二種類がいる。(略)ときどき、『あ、オレがやります』と手を挙げてくれる人がいれば、人間的秩序はそこそこ保たれる。」(内田樹『村上春樹にご用心』アルテスパブリッシング、p29-30)

僕は昔から割と「おせっかい」な方なので、今、結構忙しいのも、なんだかんだと目についたり頼まれたりした事も、断らずに引き受けてしまうから、自分で首を絞めている。そういう事について、「余計なおせっかい」なんじゃないか、と、自問自答することもあったのだが、内田氏にこう整理してもらうと、わかりやすい。

そう、僕が先週末書いていた「他人が書かなかった原稿の穴埋め」も、今日まとめた「これまで未分化だった課題の交通整理」も、「余計なおせっかい」ではなく、ポジティブに考えれば、『誰かがやらなくてはならないのなら、私がやる』種類の仕事なのだ。これを内田氏はセンチネルといい、村上春樹氏は「文化的雪かき」と表現しているのだが、どう形容しようと内容は同じ。「おせっかい」だけど、「余計」で「いらぬ」性質のものではなはない。でも、かといって、一部の場合を除き、特段に「感謝」「対価」がくっついてくる訳でもない。だけど、それを引き受けることによって、「人間的秩序はそこそこ保たれる」。そういう種類の仕事は、何だか僕のところに、割合廻ってくるような気がする。

結局そういうものを前にして、「誰かがやるだろう」と見ていても、誰もやる気配がないので、ついつい口出し手出ししてしまう。そういう性質の人間なのだ、タケバタは。それで、「人間的秩序」に「そこそこ」貢献できるのだから、ま、いっか、と納得してしまうから、単純なんだろう。でも、とにかく「雪かき」のように、目の前から一山消え、二山消えたら、その瞬間気持ちいいのは確か。さて、あと今月は幾山片づけたらいいのだろう、と思いながら、「雪かき仕事」に精を出すタケバタなのであった。

プロの本質

 

最近、我が家で飲むコーヒーが美味しい。
豆はいつもと同じ。違うのは、お水。大学の近所にあるスーパーで、カルキ抜きをした!?水をタンクに入れて持って帰ってくる。この水で入れると、全く味が違うと「発見」。それまでに何年かかったんだ?と思う。水の力に、改めて唸る。そう言えば大学でもM先生がブリタの浄水器をお持ちになっておられた。そのお水を頂くと、確かに美味しい。3000円ちょっとで買える、ということなので、僕もつられてネットで注文。水の力を「発見」した秋であった。

で、そんな些末な「発見」とは次元が全く違う「発見」のお話。

「リンゴが落ちるということは、ニュートンに発見される前から、数限りなく起こっていたことだった。リンゴは、人々の目の前で、はるか昔から数限りなく落ちていたのですよ。だけど、誰一人として、そのことを発見しなかった。そんなkとおは当たり前だと思って、見ていても見ていなかったし、ましてや考えなどしなかった。しかし、彼だけが、彼が初めて、リンゴが落ちるという恐るべき当たり前のことを『発見』した。発見して驚いた。『これは、どういうことなのか!』
天才というのは、他でもない『当たり前のことを発見する能力』のことなのです。普通の人が当たり前だと思って気にも留めないことに気がつく、気がついて追求する能力のことなのです。決していきなり特別なことを思いついたり考え出したりするわけではないのです。だて当たり前のことしか考えていないんだから。もしもそれが特別のように思えるなら、当たり前のことに気がつくという、まさにそのことが当たり前でないということなのです。だって、ほとんどの人は、当たり前のことには気がつかないんだから。」(『人間自身』池田晶子著、新潮社p70-71)

早逝した天才の最後の作品の一つをお風呂で読んでいて、目から鱗、の記述だった。
「普通の人が当たり前だと思って気にも留めないことに気がつく、気がついて追求する能力」、これは、別の言葉に代えて言えば、常識というフレームに縛られず、その常識そのものを疑って、その常識を構成する要素の不思議に気がつき、それを考える能力、ともいえるだろう。私たちは常識という「既存の眼鏡」(フレーム、視点)に無批判に頼ってしまい、「見ていても見ていなかった」部分があるのではないだろうか。それを、きちんと考える。これは、ほんとにやり始めたらとんでもなく大変なことだし、こういう「癖」でも持ち合わせないと、なかなか出来ないのかもしれない。

「私には、本質的にしかものが考えられないという、どうしようもない癖がある。いかなる現実であれ、その現象における本質、これを捉えないことには気がすまないのである。これはもう若い頃からの癖なので、今や完全に病膏肓に入る。
一方で、世間とは、言ってみれば現象そのものである。ジャーナリズム、あるいは大多数の人のものの感じ方、現象を現象のままに受け取り、そのまま次の現象へ流されてゆくといったていのものである。平たく言うと、ものを考えるということをしない。『考える』とは、現象における本質を捉えるということ以外でないから、ほとんどの人は本質の何であるか、おそらく一生涯知らないのである。」(同上、p24)

「現象を現象のままに受け取り、そのまま次の現象へ流されてゆく」、まさに私自身も、放っておけば、そうなってしまう。それでは何だか変だし、気持ちがよろしくないし、何より同じ事のくり返しのような気がして、最近少しは立ち止まってみる事にする。そして、このブログ上に書き留めておく。まだ、それくらいしか出来ないけど、少なくともそのまま「次の現象へ流されてゆく」ことだけは避けたい、という想いは、池田晶子さんと出会った大学生の頃から、少しずつ、育まれてきたような気がする。

そう思うと、最近読んだ、ある知識人についての批評を思い出す。この人って、「現象を現象のままに受け取り、そのまま次の現象へ流されてゆく」タイプの人だったんだろうなぁ、と。それに、彼の活躍していた場所が、まさに「現象そのもの」を追う、「ジャーナリズム」の世界だった。

「生涯に百冊ちかい著書を出版した清水だったが、そのほとんどは時代の変化とともに、発刊後数年を経ずして絶版となった。清水の著作で、彼の死後もロングセラーであり続けていたものは、『売文業者』を自称する清水が自己の文章技術を解説した、1959年の岩波新書『論文の書き方』のみである。」(『清水幾太郎-ある戦後知識人の軌跡』小熊英二著、御茶の水書房p80)

そう言えば僕も「論文の書き方」しか読んだことはない。その中で洒脱に文章技術を解説する清水氏に、大学時代の「初学者」タケバタは何となく親しみを感じていた。だが、その清水氏を「戦後思想」というフレームで分析し直し、膨大な氏の著作にも目を通した小熊氏は、清水幾太郎は違って見える。

「そもそも、彼に一貫した『思想』が存在したのかも疑問であろう。」(同上、p95)
「もともと清水は、自己の内部に『書きたい内容』があったからではなく、外部への憧憬から文章を書き始めた人間だった。」(同上、p15)

「彼は、知識を『出世』の手段にするというかたちで、社会科学を『活用』した人物だった。彼は後年、『我流のプラグマティズムを密かに信条としている』と述べており、知識人というものを『思想的な問題を書いたり喋ったりして妻子を養っている人々』と定義している。」(同上、p20

この小熊氏の分析を読んでいて、「冷たさ」より「哀しさ」におそわれた。
知識を「活用」して「出世」をするという「我流のプラグマティズム」。文才が人並み以上にある清水は、その「プラグマティズム」で、時代の寵児にもなった。だが、「一貫した『思想』」なるものが存在せず、世間に迎合しようと「次の現象へ流されてゆく」彼の作品は、「時代の変化とともに、発刊後数年を経ずして絶版となっ」ていく。知識人への「憧憬」そのものは悪くないのだが、その本質の取り違えた結果、ご自身は知識人的な『売文業者』で終わってしまったのだ。そのこと自体を生涯「発見」せずに亡くなってしまった、その事実に何だか「哀しさ」を感じてしまったのである。そして、その「哀しさ」の視点は、自身の仕事への自己点検にもつながる。僕自身、「一貫した『思想』」をちゃんと持っているのか。それとも「風見鶏」なのか? 何のために「書いている」のか?

「『食うこと』、すなわち他人や世間を横目に見ながら為される仕事は、それがいかに巧みに工夫された技なのであれ、最初から堕落していると言っていい。(中略)なるほど人は食わなければいきてゆけないが、これをするのでなければ生きていても意味がない。そのような覚悟にのみ、その人の神は宿るのだという逆説を、あまりにも人は理解しない。それで食っていることをもって『プロの誇り』だなど、片腹痛い。」(池田、前掲p77-8)

「これをするのでなければ生きていても意味がない」という「覚悟」を持っているプロフェッショナルとなっているだろうか? そうなろうと精進しているだろうか?これは清水氏にではなく、自分自身に突きつけられている。

体重喜怒哀楽

 

先週末、思い切ってごっそり夏物を捨てる。

いやはや、着ていない服が出てくること、出てくること。そりゃあ「安物買いの銭失い」だなぁ、と深々反省。ハッキリ言って、着てないものに囲まれると、着てもよさそうなものまで見えなくなってしまう。よって、今期全く着なかった服は、一、二の例外を除いて、みなリサイクルショップに回す。安物買いも塵も積もれば結構な額で購入したはずなのに、売り払う際は1キロ150円。結局妻の服も合わせて600円ちょっとにしかならず、とほほ、である。ほんと、次から吟味しないと。

で、整理していたら、タンスの奥から、スラックスを発掘。おお、昔々、師匠の取材のお供でスウェーデンに行った帰り、イタリアに遊びに行った際、ミラノのアウトレットで買ったおズボンではないか。早速、今日はいてみた。ぴったりというか、ちときつめ、というか。でも、ちゃんとはけた。ということはあれは博士後期課程1年の頃だから、7年前くらいのお話。その頃の体重にようやく戻った、という事も言えるし、その当時からそんなにウエストが昨今拡がっていたのか、と思うと、とほほ、である。

ダイエットを意識して10ヶ月目。最大84キロから始まって、今は76から77キロをウロウロしている。80まではすぐに落ち、77までも同じくらいのスピードで落ちたのだけれど、そこでピタッと止まってしまう。このサイトを自分で検索してみたら、4月の段階で、「瞬間最小体重!?76.8キロを記録」なんて言っているから、結局そこから半年近く、動かないまま。これを指して、「リバウンドがないから良かったよね」とも言えるけど、「この76キロの壁が大きい」という実感の方が強い。週に2回程度はジムにも行っていて、こうなのだから、あとはストレッチと食生活を見直さないと、やはり変わらないのだろうか。

そうそう、こないだ岡田斗司夫氏のダイエット本を読んでみる。彼の主張を簡単に言えば、「食べたものを全て記録する」「慣れてきたらカロリー計算もする」「それも定着したら、そのうち1日1500キロカロリーになるように、1週間単位で平準化する」、ということ。そうすれば、50キロ落ちるそうな。このうち、「記録する」というレコーディングは、僕もある種ブログで体重をレコーディングしているので、その通り。ただ、食べたものを全てブログに載せるのも趣味が悪いけど、メモ帳に書いておくのは有効かも知れない。まあ、食い意地が張っている、というか、美味しいものにはまだ後ろ髪引かれるので、カロリー計算&1500キロカロリーに制限、というのが本当に自分に可能か、というとだが。

しかし、真面目な話、体重が減ると、風邪も引きにくくなり、疲れも以前ほどひどくないので、やはり負荷が変わったことを実感する今日この頃。でも、大学院の頃より、明らかに大学生の頃の方が痩せていたから、まだウエストは絞りたい。それも、あまり禁欲的でなく、楽しくやりたい。そう言えば、岡田氏は、「今日は後何を食べていいのか、と考えるのが、テトリスのように楽しい」と言っていたが、そういう楽しさは僕にはないので、別の楽しさを考えないと。

食欲の秋だけど、よく噛んで、小食の秋にしないとまずいよなぁ、と改めてレコーディング(記録)して、記憶しようとするタケバタ。ああ、体重喜怒哀楽はしばらく続くのでありました。