便りのないのは

 

よい便り、です(たぶん)。

先週から急激に忙しくなっている。2月末に、学会発表用のフルペーパー1本、海外学会用のアブストラクト1本を仕上げて、月曜火曜は三重で講演3本+会議2つ。研究モードにだいぶ頭が戻りつつあるのはよいことなのだが、とにかく忙しくて、ブログを書き込む暇がない。

そういえば、火曜日の夜は最終の「ふじかわ」号で帰る中でブログをしたためようと思っていたのだが、静岡駅のホームで水を買おうとしていると、「あら、どうしたの?」と声をかけられる。職場の先輩のE先生。あちらは学内で要職にありながら、本や論文も沢山書き、そして現場で講演も週1ペース以上でしておられる。本当に超人。ブログを書くより、せっかくなので、E先生の席にお邪魔し、2時間話し込む。当然、水は缶ビールに変わっている。

印象的だったE先生の一言がある。
「僕のやる分野って、教科書も先行研究もないんだよなぁ。だから、講演に出かけて、現場の人と話す中で、考えるしかないんだよなぁ」

僕自身も、月曜火曜の講演現場でちょうど様々なことを教わっていたので、そのシンクロニシティにびっくり。そう、先行研究って、ある程度固まった何か。しかし、自分も、まだ流動的で、あまり眼もかけられていない、アモルファスな何かを追いかけているんだよなぁ、と改めて感じた。きさくな先輩の叡智を、しみじみと噛みしめながら聴いている内に、あっというまの2時間だった。

「生の技法」に見る「学的精神」

 

少し風邪気味、である。熱はないが、放っておくとゲホゲホするので、家の中でもマスクをしている。先週火曜日は唇を切って合気道をお休みしたが、今日も泣く泣く合気道はお休みにせざるを得ない。悲しい。

で、昨日はコンコン咳き込む中、東京で読書会。障害者福祉の政策や実践に関わる皆さんと、古典を読み続ける不定期の勉強会。前回はイギリス障害学の古典であるオリバーの『障害の政治』だったが、今回は日本の障害学の原点、だけでなく、自立生活運動の軌跡をまとめた古典的傑作でもある『生の技法』(安積・岡原・尾中・立岩著、藤原書店)を読む。

この本を人に勧められて最初に手にしたのは、大学院生に入った頃だろうか。その当時、精神病院でのフィールドワークを初めて1,2年、の頃だったと思う。なので、脱家族や脱施設に関する部分に興味を抱いて読んでいた。だが、10年ぶりに真面目に通読してみて、古典たる所以を再発見する。20年前の本とは思えない、現代性を持った切り口。社会学のフレームワークを持ちながらも、それは前には一切出さず、あくまでも自立生活運動の当事者達の書いたものや記録を丹念に掘り起こしながら、しかし社会学的な視点で自立生活運動が「なぜ、あるのか」をあぶり出していく。そして、恐ろしいことに、20年前に指摘されている論点は、ポスト自立支援法の論点、としても何の問題もない、という点だ。変わらない現実のほうが、問題なのかも知れないが。

昨日の勉強会では多くのことを議論し、学んだが、ブログに特に書いておきたいのは、この本の主たる書き手の一人である立岩真也氏による、問題設定に関する記述である。

「今まで彼らについて、『福祉』について語られる時に見過ごされていると思われることを専ら考察の主題とした。それは隠された新たな問題というよりは、彼らに対して在る『制度』-ここでは個々の生を規定するものというように広い意味でこの言葉を用いる-がそれ自体として持っているもの、それ自体を作っているものへの問いである。」(『生の技法』p3
「私たちがみてきた障害者の運動は、このような社会の諸領域の分割、編成を自明なものとしない。分割としてある社会、しかも一つの方向に導こうとする社会をそのまま受け入れない。」(同上、p210
「理念を現実の中にどのように実現していくのか。ここには多くの考えるべき課題がある。この社会の基本的な編成のされ方自体が思考の対象になる。」(同上、p269

これらの記述から強く感じるのは、障害者が社会的に排除されている現実を所与の前提とせず、その現実がどのように社会的に構成されているか、その構成のされ方自身に対する「問い」を日本の障害者による自立生活運動は持ち続けてきた、ということである。私たちは普段福祉について語るときには、「○○の制度は悪い」「諸外国をならって□□の考え方を導入すべきだ」という法や制度の良い・悪いが多い。だが、その法なり制度がそうなっている現実という「この社会の基本的な編成のされ方自体が思考の対象」として捉えて来ただろうか? ここで制度を先の引用のように「個々の生を規定するものというように広い意味でこの言葉を用いる」とすると、家族制度や入院・入所中心主義も含めた、現在の福祉をそうならしめている「枠組みそのものへの問い」を、自立生活運動は、少なくともその初期段階では持っていた、ということである。この「枠組みそのものへの問い」というのは、単に批判的、だけでなく、根元的という意味も込めたラディカルな問い、であり、具体の制度・政策の変容を求める漸進的な(incremental)問いとは対極にある問いである、ということである。

その自立生活運動の持つラディカルさを鮮やかに整理する同書は、単に運動の記録、ではなくて、研究書としてのラディカルさを持っている、と、再読して改めて感じた。立岩氏がここで問おうとし、氏の後年の多作を産み出す原点に、「それ自体として持っているもの、それ自体を作っているものへの問い」がある、ということも、納得出来た。そして、そのような「枠組みそのものへの問い」というものが、実に「学的精神」なるものに通底している、と感じた。

「およそ学(体系知 Wissenschaft)なるものは、論証を基本とする。その論証方式の完全不完全を問わず、学には必ず論証を伴う、いやむしろ論証こそ学の本質であり、学の内容そのものである。論証なき言説は、その外見が『理論的』であろうと、学的ではありえない。ひとつの命題(「甲は乙である」)は、すでに論証の形式である。ひとつの命題は、ひとつの結論であり、その背後には必ずそこへと至る推論過程すなわち論証をもっている。いっさいの命題は論証した結論である。論証が不在のときには、あるいは論証がすでになされながらも表に出ないときには、その不在の論証を再構成しなくてはならない。」(今村仁司『親鸞と学的精神』岩波書店、p29)

先週の朝日新聞の書評欄で、高村薫が取り上げていた一冊。「学的精神」というフレーズが気になり、早速取り寄せてみた。まだ、中身は読んでいないが、当該部分を読んで、深く納得した。たった数行で、研究とは何か、をここまで深く掘り下げている文章に初めてであった。

何だか理論的フレーズや先行研究のお化粧がまぶしくても、納得出来ない(つまんない)論文が片方にある。もう片方で、『生の技法』のように、当事者の語り・記録・発言を前景化させ、理論や先行研究はあくまで注などに後景化されていても、深く納得出来る作品もある。その査定基準は何か、をちゃんと自覚化していなかったのだが、結局の所、「そこへと至る推論過程すなわち論証」がきっちりしているかいなか、なのである。それがきっちりしていないものは、「その外見が『理論的』であろうと、学的ではありえない」。信頼出来る、そして説得力のある基準である。

「生の技法」を「論証」という側面で見てみると、まさにこの今村氏の定義が当てはまる。自立生活運動が、その起源において、なぜ「愛と正義を否定する」「安易な問題解決の道を選ばない」と、既存の「制度」との真っ向勝負をしたのか。その背後にある、福祉政策の持つ「二重の否定」(当時の医療・リハモデルに代表される障害の除去・軽減の志向性と、施設福祉という政策実施に伴う一般人の負担免責機構)を当事者の言葉からあぶり出し、現前のものとする。そのことを通じて、障害当事者が取り組み続けた「枠組みの捉え直し」を主題的に取り上げ、またその記述を通じて筆者らは、福祉を巡る研究言説の「枠組みの捉え直し」を行おうとする。その二重の「枠組みの捉え直し」が、分厚い推論過程を伴って巧みに行われているので、真に「学的」なのだ、と納得した。

そんなことを考えていたら、別の文脈で同じようなことを書いている人にも出会う。

「氏の仕事の重要性は、ラカン理論を日本の現象に当てはめて金太郎飴のような結果を出してくるのではなく、日本の現実からラカン理論を自分なりに組み直して生産的でオリジナルな理論を作っていることにあり、それを通して日本社会の現在に四つに取り組んでいることである。」(樫村愛子「解説:『心理学化論』は『心理学化社会』を超えるためのラカン派の武器である」斎藤環『心理学化する社会』河出文庫、p245

社会学者の樫村さんの著作は、こないだ京都駅で買った本の中にあるのだが、まだ読んでいない。だが、斎藤環の解説に寄せた彼女の分析に、ハッとさせられる。そう、「その外見が『理論的』」だけれど、面白くない論考は、文字通り「金太郎飴のような」性質なのだ。それは理論や実態(のどちらか、時には両方)に対する「枠組みへの問い」がない(薄い)からである。高名で流行の理論をそのまま現実を切る道具に使ってみても、その理論への疑い(なぜ、あるのか)を問わないまま盲信していると、それは不十分な論証であり、学的精神にもとるのである。そうではなくて、現実から理論を「自分なりに組み直して生産的でオリジナルな理論を作ってい」くこと。そこに、研究のエッセンスが詰まっているのである。そして、立岩氏が『生の技法』で示しているのも、「枠組みへの問い」に基づく、「自分なりの組み直し」なのである。そのオリジナリティが高いからこそ、「学的精神」にあふれる一冊として完成している、と言えるかも知れない。

自分が目指すべき(しかも遙かに遠い)目標が、ようやく見えてきたのかもしれない。

不完全燃焼と不全感

 

合気道のお稽古に行く直前、唇を切ってしまう。ジャンパーのジッパーを勢いよく上げた時に、ついでに唇も挟んでしまった。大変マヌケなこと、この上ない。行こうか、とも思ったのだが、柔道場で投げられて、また血が出たら、僕はよくても相手をしてくださる方の胴着についてしまっては、申し訳ない。せっかく出陣モードだったのに、取りやめる。情けないやら、そそっかしいやら。で、仕方ないので、パソコンを立ち上げて、ブログを書き始める。

ここしばらく、引用したい本を色々読んでも、なかなかブログに書き込む間もなかった。なので、今日は脈絡があるかどうかはアヤシイが、最近気になったフレーズをいくつか書き込むこととする。

「上野千鶴子や中島義道の体験には、形としての『家族と子育て』はあったのだが、『世代を紡ぐ』体験、そこから生じる『ともに-あること』の体験、つまり『三世代存在』の体験、さらに言えば『あなた』の体験がされてこなかったと私は感じる。『家族』や『子育て』というテーマを考えるということは、多様な家族形態や多様な子育ての形態を機能的に考えるだけのことではない、と私はかねてから思ってきた。このテーマを考えることは、人間という存在が基本的に『世代を紡ぐ存在』であり、『三世代存在』であること考えることにならなければならなかったからだ。しかし、現代日本は『家族と子育て』というテーマを無にし、こんどは『老後』の問題を、『最後はひとり』の問題にすり替え、『三世代存在』ではなく『おひとりさま』や『シングルライフ』の人間観でふたたび見直しをさせようとしている。そういう思想が上野千鶴子の『おひとりさまの老後』からまたはじまっているように私は感じる。」(村瀬学『「あなた」の哲学」講談社現代新書、p51)

上野千鶴子と中島義道、ともに、言論人として色々書いているし、エッジが効いていて文章は面白い。だが、何だかよく分からない違和感を感じていたのだが、この村瀬氏の分析を読んで、なるほど、と頷く。二人の文章を読んでいて、強い「私」を感じ、それが文章や文体にラディカルな刺激を載せている。二人とも超が付くほどの論理性を持っている。だが、何かが欠落している。その何か、が「『ともに-あること』の体験、つまり『三世代存在』の体験、さらに言えば『あなた』の体験」と言われて、そうだよな、と腑に落ちた。

そういう「ともに-あること」を前提にしない文章は、相手をやりこめるための強いメッセージとしては有効な、機能的言語かもしれないが、曖昧さ、というか、異なる存在をも入れる器のような拡がりが感じられない。特に家族やケアを議論する時には、その硬直性が目に付く。そのことを、「あなた」の欠如、として村瀬氏が上げているのが、この本の面白いところであった。ただ、前半が読ませる故に、後半の論理展開に少し甘さがあり、前半ほどのシャープさが見られなかったのが、残念であったが。

で、こう書いていると、今日引用したいもう一冊のテキストとくっつきそうになってきた。

「真に分析的な知性とは、自分が『何を見ているか』ではなく、『何から目を背けているか』、『何を知っているか』ではなく、『何を知りたがらないのか』に焦点化して、己自身の知の構造を遡及(そきゅう)的に解明しようとするような知性のこと」(内田樹『女は何を欲望するか』角川書店、p102

この本は単行本版で以前読んでいたのだが、かなり書き直されたという新書版も買っていて、ちょうど内田樹の新刊を読んだついでに読み直したくなくて読んだ一冊。この中で、『何から目を背けているか』『何を知りたがらないのか』という部分を、先の上野氏や中島氏は焦点化していない。いや、それを完膚無きまでに徹底的に否定する形で、いわば負の形での焦点化はしているのかもしれない。そして、そのオリジナリティや論理の鮮やかさ、で、多くの読者を引きつけているのかも知れない。しかしそれが「負の焦点化」である限り、「真に分析的な知性」とは言えないのではないか。内田氏の議論を援用すれば、そう思えてしまう。

負の形で焦点化していることに無自覚であったり、その部分について「遡及的に解明しようとする」努力をしない限り、どこかで他責的になり、機能的言語の遂行という枠組みの範囲内に収まってしまう。そうすると、『ともに-あること』の体験、という形でしか表せない感覚的な何かにまで、たどり着けない。そして、その何かにたどり着けない限り、『何を見ているか』『何を知っているか』についていくら論理的・網羅的にまくし立てても、どこかで不全感や不安定性が、読者によっては沸き起こるのかもしれない。僕が感じた上野氏の本に時たま感じる不全感も、そのあたりにあるのかもしれない。

勿論、僕は上野氏や中島氏ほど、文章にキレも論理性もない。だが、『何から目を背けているか』『何を知りたがらないのか』については、自覚的ではありたい、と願っている。そして、その意識に基づいて、「己自身の知の構造」というほどたいそうなものではなくとも、自分自身の偏りやバイアスを自覚しながら、『ともに-あること』にどこかでアクセスしている文章を書きたい、と願っている。

唇の出血は止まったが、ちょっと腫れてきた。こういうそそっかしさも含めて「目を背け」ずに、ぼちぼち、自分と付き合っていきたい、そう思う、不完全燃焼の夕べであった。

変化の予感

 

今日は珍しく最終ではなく、新宿21時発の「あずさ」に乗りこむことが出来た。移動日にしては、お早いお帰り、である。ま、夕方5時過ぎまでは大阪は堺市に居たのだけれど

昨日は三重で、人材育成のあり方に関する講演とディスカッションのお仕事、今日は堺で久しぶりに一参加者としてのお勉強のためにツアーを組んでいた。今日は、その堺でのフォーラムの後、主催者の懇親会にお誘い頂いていて、もともと1時間ほど顔を出すつもりでもいた。だが、ご案内のように、大寒波が襲っている。パッチ(関東ではズボン下、というのですね、最近初めて知りました)を履いていないと、関西も本気で寒い。今朝から米原付近で新幹線が雪による徐行運転をしている、最大30分遅れ、とも聞いていたので、山梨まで帰り着く民としては、ギリギリの移動は、特に終電付近だとかなりリスキーになる。

よって、会の終了後、早々会場を後にして、いざ新大阪でとにかく東京行きの新幹線に飛び乗ってみたら、既に京都から雪模様。そして、滋賀に入るとそこは雪国。暗い車中から車窓を眺めていても、10センチ以上積もっている様子が見える。ただ、幸いなことにまだ夕刻の段階だったので、15分の遅れで名古屋に到着し、その後遅れを7分にまで縮めて品川に到着。すると、ギリギリで新宿21時のこの列車に滑り込めたのである。これを逃すと次は1時間後の22時。いやはや、滑り込めてよかった。

そう、昨年もこうやって移動中にブログをしたためることは多かったし、たまたまここ三週間は毎週出張続きだが、それを言ったら昨年秋の方がずっと出張続きで酷い状態だった。にもかかわらず、今年の方がブログをマメに更新している。そのことを、ちょうど今日一緒だったナカムラ君に指摘される。前にも書いたが、彼とは先週飲んでいて、その際にカメラ談義になり、僕が「宝の持ち腐れ」しているフィルムカメラの名機、ニコンのF3を彼に使ってもらうべく山梨から京都まで持ってきた。で、取りに来てもらったついでに、ずうずうしくも、堺まで車で送ってもらったのである。ほんと、わがままな友人に付き合ってくれる旧友には、深い感謝、である。そのナカムラ君にブログの更新頻度のことを指摘されて、ふと、考える。確かに、ここ最近、変化が生じ始めているのかもしれない、と。

年の区切りで考え方の変化を語るのは何ら論理的ではないのだけれど、でも、最近、いくつかの変化が自分の中で芽生えつつあるのを感じる。こないだの教授会で席がお隣だったM先生に、「ブログをみていると、突っ走っているようですね」と指摘されたが、確かにその部分があるのかもしれない。別に無理をしていないし、浮き足だってもいない。でも、変化に向けて一歩を踏み出す胎動を感じる。

その一つがダイエット。主治医に「食毒」と言われて始めた低炭水化物ダイエット。2週間を過ぎたあたりで、3キロくらい、するすると落ちました。一日に一回は美味しいものをゆっくり頂く。お酒もたしなむ。そのかわり、炭水化物を減らし、それからあとの2食は摂取量をセーブする。このパターンは、僕自身の生活リズムにも合っているようで、無理なく続けられる。あと、「ためしてガッテン本」のHPからダウンロード出来る体重増減のグラフ表が、励みになる。100グラム単位で朝夕付ける体重記録を気にしつつ、増えた翌日にはセーブ量を増やしたり、という意識化が出来て、大変よろしい。

意識化ついでにもう一つ大きな変化が食事に関してある。それは、「レコーディングダイエット」で岡田氏が言っていた「太る努力を止める」というフレーズ。このフレーズは、僕の中で自己認識のコペルニクス的転換となった。「腹が減っては戦が出来ぬ」とばかりに、食欲や空腹感とは関係なく、三食きちんと時間通りに生真面目に食べ続け、長年頑張って「太る努力」に邁進してきた自分がいた。だが、戦国時代の食事情と今を一緒にしてはならない。時には一食くらい抜いても充分に戦が出来るほどのカロリーは摂取しているのである。不必要にそれ以上取っているから「食毒」となるのだ。

と、こんな風に書くと、ストイックすぎて気持ち悪い、と思っている方もいるかもしれない。事実、レコーディングダイエット本は、オタク的なカロリー計算など、ちょっとついていけない部分がある。でも、自分なりのリズムを作ってカロリーセーブ、ならば、エピキュリアン、というより単なる「食い意地」張っている人間でも、すんなり実践は出来る。例えば昨日は移動途中の塩尻で、30分の待ち合わせ時間があったので、途中下車して塩尻市役所の近所にある美味しい中村屋のパン屋に向かう。ベーグルサンドとフォッカッチャを買ったのだが、結局、昨日のお昼はベーグルサンドのみ。いざとなったら食べよう、と保険のように持っていたのだが、昨日は食べず、今晩はそのフォッカッチャを車中で頂く(しかも半分でやめた)。別に無理をしてない。そもそも僕の日々は、少しの頭と沢山の口を動かしているだけで、カロリー消費は少ない生活なのだ。だから、美味しいものは食べたいけど、量はセーブしても、十分対応可能である。ちなみに、昨日の夜はちょうど運良く実家ではカニすきに巡り合い、今日のお昼はナカムラ君とハンバーグランチを食べる。でも、昨晩なら雑炊は食べない、とか、今日ならポテトサラダとパンはパスする、とか、小さな積み重ねが効いてくる。なので、僕にも続けられそうな、変わりそうな、予感、がしている。

あと、変わりそう、と言えば、最近、もう少し未知なる出会いから学ぼう、というモードになりつつある。今までは自分の守備範囲に一杯一杯、で、少しでも違う立場の人にやたら批判的だったり、攻撃的だったり、あるいは防御的だったりする部分もあった。でも、その閉塞性の殻に閉じこもっている事がつまらないと感じ始め、新たな出会いに開かれていく自分がいるのを意識する。素直に未知な出会いから学べる喜びを、取り戻しつつある。ある程度の自分のペース、が掴めるまでは、異なるペースに対して頑なになっていたのだが、何となくペースが定まってくると、自分とは違う歩み、方向性、志向の人の話や考え方から、惑わされることはなく、学ぶことが出来るようになってきた。新たな考えに出会って揺れながら、しかし惑うことなく、自分の中に入れて消化・昇華していくモード、がようやく出来つつあるのかもしれない。

で、変わってきたのが、このブログの更新頻度と長さ。こないだもある方から業務連絡のついでに、「するめブログ長めですねー読みきれていなくて悔しいです」と頂く。こういう感想なりコメントなり励ましの言葉を頂けるから、奮発している、という読者の目の意識も勿論ある。だが、それよりも、自分が気づきつつあることを、何とか言分けたい、明らかにしたい、という思いが、自分の中でコンコンとわき出している時期だから、のような気もする。ま、そんな暇があったら論文を書けよ、と叱られそうだが、こうして予行演習しているうちに、そのうち書き出せるのではないか、と妄想している。誇大妄想ではなく、予知夢であればいいのだが。

笹子峠も雪景色だったが、甲府盆地は雪がない。さて、山梨市を超えたので、そろそろアップロードして、電源を落とすとしよう。

「いい研究」と「お掃除する人」

 

土日は久しぶりに二連休。正月明け以来、結構タイトなスケジュールだったので、ほっこりする。1月は「行く」、とはよく言ったもの。2月に「逃げ」られる前に、ちょっとは論文を書いたり、まともな2月にしたいなぁ、と反省する。

で、気持ちを研究モードに戻すために、伊丹先生の本を読み直す。何度読んでも、有り難い、というか、読んでいるこちらの不出来で、胸が痛む。

「『いい研究』とは、多くの人が意義があると思える原理・原則に、たくみに迫ったものである。そして『いい文章』とは、自分が発見したあるいは自分が真実と考える原理・原則がなぜ真実と言えるのか、説得的にかつわかりやすく述べたものである。」(伊丹敬之『創造的論文の書き方』有斐閣、p2)

何度も読み返して、違うフレーズをせっせとこのブログに引用している。まだ、研究の世界では新米で、自分なりのペースや枠組みを持ちきれていない。だからこそ、自分が価値あると思う筆者の文章を何度も読み直し、血肉化出来ないか、ともがいている。「意義があると思える原理・原則に、たくみに迫っ」ているか。2月3月と講義がない時期しか、ゆっくり時間が取れない。だからこそ、この時期にある程度まとまった何かを書きたい、と思っている。ある雑誌に半ば連載させて頂いているものの〆切は既に過ぎていて、来週末までに出します、と約束した。3月のとある学会発表では、2月末〆切でフルペーパーを出せ、ともいわれている。海外で二回ほど学会発表した内容は、ちゃんと新しい構成で書き直したら見てあげよう、という有り難いお申し出も頂いた。昨年の学会で発表したあるネタは、ちゃんと論文で書き上げなければ、と思っている。少なくとも3,4本は、この2ヶ月で何とかしたい。しかし、現場の人に比べたら遙かに時間があるはずなのに、なぜか時間がない事態になっている。その中で、単に書き散らす、だけではなく、「意義があると思える原理・原則に、たくみに迫ったもの」を生み出せるか。ここが肝心要である。

一年半前、同じような事態に陥った時に引用した氏の言葉を、もう一度、備忘録的に引いておく。

「『本を読まざるべし』などということをいうのは、昔こういう経験があるんです。これはアメリカで理論の世界での論文を書いているときのことなんだけれど、ある程度いろいろな理論の論文を読んでから、その理論を概念的に、あるいはオペレーショナルに拡張したり、新たに解釈するというのを書いていたんです。そのとき自分の先生にこういわれた。『伊丹さん、参考文献とか、似たようなリサーチをやっているとか、そういう論文は論文を書き終わってから読むようにしてね』と言われたんです。論文の本体を書き終わってから、自分と同じことを言っている者はいないかといって、確認のために他人の論文を読みなさいと。
 驚きましたね。しかしその意味は、最初から全部読んじゃうと新しい発想とか、新しい仮説を作るとか、そんなふうにならないから、ということなんです。何か思いついたら、とにかく理論でゴリゴリ考えろ、10日か一週間あれば、何か結論がが出てくるでしょう。それまでまずやっちゃうんですと。他人の論文なんか読んでは駄目ですと言われた。」(同上、p110-111)

他人の論文や文章に答えがあるなら、僕が書かなくてもよい。なんか書きたい、と沸々と思うのは、既存の文章に飽き足らないから。だったら、カンニングなんてしていないで、「ゴリゴリ考え」てみる。己の頭を振り絞って、理論と現実の架橋を、自分の頭の中で徹底的に行ってみる。その中から、新しい発想・仮説を、絞り出していく。そういう作業こそ、今の時期に必要な仕事なのである。ついでに、「理論の使い方」についても、含蓄深いフレーズが。

「理論のいいとこ取りというのは、理論そのものをバシッと切って、いいとこ取りするわけにはいかんから、結局その理論というのが生まれてきた思考プロセスのどこかを使ってやれという、そういう理論構築の方法のほうを、いいとこ取りをするということに多分なるんですけどね」(同上、p113)

この事象は○○理論に適合的だ、といっても、So what?である。特に、現場の現実に向き合って、少しでもそれを変えたい、とか、改善に役立つ何かを整理したい、という志向性がある場合、こういう使い方はしたくない。ある理論が生まれてきた「思考プロセス」「理論構築の方法」という、アウトプットではなくプロセスが、別の事象を整理するためのプロセス作りに役立つ、というまとめは、実にわかりよい。先に伊丹氏が定義した『いい文章』に至るための、「説得的にかつわかりやすく述べ」る為には、この「いいとこ取り」が大切なのだ。

そういう眼で捉えると、「思考プロセス」から学べる本は、論文以外にもたくさんある。この週末にルンルンと読んだ一冊からも、多くのエッセンスを頂く。

「『私たちの社会は根本的改革を必要とするほどに病んでいる』という事実を立証したいと思う社会理論家たちは、目の前にある『厄災の芽』を摘むことで、矛盾の露呈を先送りし、社会の崩落を防ごうとする人間をしだいに憎むようになるのである。自己利益だけを追求する人と、社会の根本的改革を望む『政治的に正しい』人々は、どちらも『おせっかい』なことをせず、私たちの社会をシステムクラッシュに(意識的であれ無意識的であれ)向かわせる。その間で『お掃除する人』は孤立している。けれども、『厄災は先送りせねばならない』ということと『厄災の芽は気づいた人間が摘まなければならない』ということが私たちの社会の常識に再度登録されるまで、私は同じ事を執拗に繰り返さねばならない。」(内田樹『邪悪なものの鎮め方』バジリコ、p228-229)

「根本的改革」が必要だとしても、その「事実を立証したい」という思いが先に出ることは、結局日々の暮らしの改善よりも、自らの『政治的に正しい』という威信の顕示を優先することにつながる。それでは、結果的に日々の暮らしの問題に対して立ち向かおうとしない、という点で、「自己利益だけを追求する人」と同じではないか。システムそのものの再構築をいう前に、まずそのシステムの不備とどう向き合い、改善を志向出来るのか。そういう「『厄災の芽』をつむこと」が大切ではないか。この内田氏の指摘は、実にその通りだと思う。

システムクラッシュに至らないためには、そのシステムの内在的論理を掴んだ上で、そのシステムの暴走を防ぎ、そのシステムのあるべき方向性を再規定することが求められる。その際、既存のシステム内でやれることはやりきった(=厄災の芽を摘んだ)上で、既に起こっている、新たに起こりうる厄災を「先送り」するために、システム変更に関わることが大切だ。ここでいうシステム変更とは、『政治的に正しい』人の自己実現としてのシステム破壊、ではなく、社会の崩落を防ぐ形でのシステム移行であり、それを果たすのは『お掃除する人』のマインドを持った黒子である。

この内田氏の思考プロセスは、自らも「お掃除する人」として山梨や三重のプロジェクトに参画しているからこそ、実によくわかる。自己顕示欲を前提にしたら、こういうプロジェクトは間違いなく、潰れる。今、かろうじて少しは成果を出せているのだとしたら、我が我が、ではなく、システムクラッシュに至らないための「お掃除」としてのコミットという意識を、曲がりなりにも持てているからだ、と思う。そして、まだうまくいっていない部分では、この自己顕示欲の残滓に振り回されているのかもしれない。アブナイ、あぶない。

振り返って考えてみると、自治体福祉政策の現場において、「お掃除」すべき内容(=つまりは『厄災の芽』)は沢山あるのだが、単なる批評家は数多くいても、「お掃除する人」はなかなかいない、という現実なのである。これを実践者として、だけでなく、論文としても整理してみたいのだけれど、そんなことちゃんと書けるのかなぁ。