誰の何が“水増し”されているのか?

天畠大輔さんと言えば、以前『<弱さ>を<強み>に』(岩波新書)をブログで取り上げた。今回、彼の博論本(『しゃべれない生き方とは何か』生活書院)が書籍化され、それをご恵贈頂く。この新書の背景がわかる、重厚な博論である。

この博論本は、意思決定支援とか権利擁護に携わる人には、是非とも読んで欲しい一冊である。なぜなら、意思の表明や形成を支援するとはなにか、という根本的な問いについて、考察されているからである。

新書紹介のブログで触れたように、天畠さんは発語が出来ないし手を動かせないので、自分一人で主体的な言語表現が現時点では出来ない(そういう器具がまだ開発されていない)。そのかわりに、介助者に「あかさたな話法」で読み取ってもらう。ただ、それにはものすごく時間がかかるので、天畠さんと共有経験や共有知識の多い介助者を「通訳者」として雇用し、何が言いたいかを「先読み」してもらいながら、なるべくスムーズに意思決定し、言語表現したいと思っている。だが、ここで深刻かつ本質的なジレンマにひっかかる。

「筆者が大学院に進学し、博士論文を執筆したいと考えた動機には、『もっと誰かに賞賛されたい』という思いがあった。そして、その背景は、『私一人』に向けられたものであってほしかった。その意味で博士論文は、『オーサーシップが一人』であることが原則であることから、筆者の承認欲求を満たすのに『うってつけ』であった。
しかし、その意図とは裏腹に、本研究での実際は、筆者の思考を表出する段階でさまざまな『通訳者』が関わり、論文を書き上げるというものであった。このような論文執筆過程は、承認欲求を満たすための『諸刃の刃』である。『通訳者』の存在は、筆者の思考を整理し表出するうえで必要不可欠なものだが、一方では筆者の思考を“水増し”する存在であり、筆者一人の賞賛には至らない(オーサ—シップが認められない)という危険性もあった。
こうしたジレンマは、筆者が『この文章を書いたのは誰か』という点を再帰的に振りかえることによって生じている。」(p341-342)

この箇所を読んだ時、「なんてほんまもんの葛藤をさらけ出しているのだろう!」とびっくりしながら読んだ。

天畠さんだけでなく、僕だって博論を書き上げる欲求の中には「承認欲求」とか、「『もっと誰かに賞賛されたい』という思いがあった」のは間違いない。ただ、それは普通は口にはされない。でも、彼は敢えてそれを「博士論文そのもの」のなかで書いて考察した。なぜならば、「博士論文は、『オーサーシップが一人』であることが原則である」というこの原則と、彼の意思決定支援とは、ジレンマというか、深刻な矛盾をはらむ可能性があったからだ。

それは「あかさたな話法」そのものが持つ矛盾である。そのことは、社会福祉学に掲載された論文『「発話困難な重度身体障がい者」の文章作成における実態―戦略的に選び取られた「弱い主体」による,天畠大輔の自己決定を事例として―』にありありと書かれている。天畠さんとどれらけの共有知識・体験があるか、によって、通訳者の書くメールの内容が大きく異なることが、上記の論文の中で掲載されている。同じように、研究論文の考察の進め方においても、通訳者が大学院レベルの知識を持って問いかけてくれることによって、天畠さんの考察が、一人で考えていた時よりも結果的に膨らんでいく様が記載されている。

そのことを指して、「筆者の思考を“水増し”する存在であり、筆者一人の賞賛には至らない(オーサ—シップが認められない)という危険性」がある、とはっきりと述べているのである。だからこそ、天畠さんは「筆者が『この文章を書いたのは誰か』という点を再帰的に振りかえる」ことをし続けてきたのである。

自己決定や自己選択は、確かに素晴らしい。だが、支援を受けない中での自己決定や自己選択だと、天畠さんは、そもそも選べないし決められない状況におかれてしまうほどの、重度障害を抱えている。そして、支援を受けた自己決定や自己選択をしていく際に、通訳者と天畠さんの相互行為は、通訳者の属性や経験によって異なる。だからこそ、同じメールの返信をする中でも、全然違う内容が書かれてくる。それくらい、天畠さんの意思形成や意思表明には、天畠さん以外の通訳者の関わりが深く関与してしまっている。それゆえに、天畠さんは『この文章を書いたのは誰か』を問い続け、通訳者は「筆者の思考を“水増し”する存在」ではないか、と悩み続けるのである。

その点を深掘りするにあたり、彼はグレゴリー・ベイドソンの『精神の生態学』とも対話している。以下、天畠さんの書籍での引用の前後部分も含めて、原典から引用しておく。

「1 アルコール依存者の『醒めた』生活が、なんらかのかたちで彼を酒へ—酩酊のコースのスタート地点へ—追いやるのだとしたら、彼の陥っている<醒め>のスタイルが強化されるような“治療”を行っても、症状の軽減も統御も、望むことはできないはずだ。
2 彼の<醒め>のありかたが、飲酒へと彼を追いやるのだとしたら、その<醒め>には、なにかしらのエラー(病と呼んでもいい)が含まれるはずだ。そのエラーを、<酔い>が、少なくとも主観的な意味で『修正』しているはずである。つまり間違っているのは彼の<醒め>の方であり、<酔い>の方は、ある意味で“正しい”ということになる。
3 これに代わる仮説として、しらふの時のアルコール依存者は、まわりの人たち異常に正気であり、その正気に耐えられずにアルコールに手を伸ばすのだという説が考えられる。(略)しかし本論は、それを斥ける。(略)世間の狂った前提への反抗として飲酒に走るのではなく、世間によってつねに強化され続けている自分自身の狂った前提からの脱出を求めて飲酒に走る—この違いが重要だと思う。」(グレゴリー・ベイドソン『精神の生態学』新思索社、p422-423)

この後、天畠さんはこう続ける。

「この酔いを筆者の例に引き寄せれば、コミュニケーションのアウトプットに多大な時間を要する自分の障がいそのものが、『異常な』状態であって、その状態から脱するために、自らを酔わせてくれる『通訳者』に依存していくのだといえる。また『情報生産者』として社会で活動したいと考える欲求も、『異常な』状態である現時点での自分から脱していきたいという思いが源泉にあると言えるだろう。つまり『通訳者』アシストに依存している状態が、自分にとっての『正常な状態』であるからこそ、自分の『情報生産者』であろうとする欲求を満たしてくれる特定の『通訳者』への過度な依存から抜け出せないのである。」(p308−309)

じつは、天畠さんのこのフレーズに、ずっとモヤモヤしている。

ベイドソンは「世間によってつねに強化され続けている自分自身の狂った前提からの脱出を求めて飲酒に走る」のだと述べてる。天畠さんはそれを、「コミュニケーションのアウトプットに多大な時間を要する自分の障がいそのものが、「異常な」状態であって、その状態から脱するために、自らを酔わせてくれる『通訳者』に依存していくのだ」と解釈しているが、なんだかそれは違うような気がするのだ。

ポイントはベイドソンが述べている「世間によってつねに強化され続けている」という部分である。天畠さんは確かに「コミュニケーションのアウトプットに多大な時間を要する」障害を持っている。だが、別にその障害自身は「世間によってつねに強化され続けている」訳ではない、と僕は解釈する。そうではなくて、「博士論文は、『オーサーシップが一人』であることが原則である」『この文章を書いたのは誰か』というフレーズが象徴するように、自分一人で最初から最後まで完遂することこそ、私の作品・オーサーシップ・評価・責任、だとされる。その自己責任原則こそ、「世間によってつねに強化され続けている自分自身の狂った前提」ではないだろうか。そして、天畠さんはそこからの「脱出」を求めて、「通訳者への依存に走る」のだ、という仮説を引いてみたくなる。

これはベイドソンの「間違っているのは彼の<醒め>の方であり、<酔い>の方は、ある意味で“正しい”」という話にも繋がっている。

ぼく自身は、天畠さんの著作を読んできて、先読みも含めた通訳をしてくれる通訳者と二人三脚で「情報生産者」であり続ける天畠さんの姿は「正しい」<酔い>だと思っている。むしろ、「筆者が『この文章を書いたのは誰か』という点を再帰的に振りかえる」ように強迫的に天畠さんに強いる、その「彼の<醒め>」の方こそ、「異常な」状態ではないだろうか。「コミュニケーションのアウトプットに多大な時間を要する自分の障がいそのものが、「異常な」状態」だと天畠さんに考えさせる、その世間の強迫観念こそが「異常」だと、僕には思えるのである。

ベイドソンは「アルコール依存者の『醒めた』生活が、なんらかのかたちで彼を酒へ—酩酊のコースのスタート地点へ—追いやるのだ」と述べ、その「『醒めた』生活」そのものの中に、「世間によってつねに強化され続けている自分自身の狂った前提」がある、と見抜いている。天畠さんの文脈に沿いながら、僕なりに敷衍すると、情報生産者は一人の力で文章を書かなければならない、通訳者と二人三脚で書くことは佐村河内○○のように、オーサーシップが認められないし、それって実力の水増しである、という前提そのものに、「異常さ」や「狂い」が内包してはいないか、という問いである。

そして、実は天畠さん自身も、結論部分で「醒め」の「狂い」を問い直そうとしている。

「一般に、個人の論文執筆は指導教員や他の研究者のアドバイスなどを参考にしながら作成される。そのとき成果物である論文が誰のアイデアによって作成されたものであるかは普通、問われない。(略)しかし、筆者においては、論文執筆チームが暗黙のうちには成立せず、いわばガラス張りのなかで複数の個人による論文執筆が遂行される。そのため、“水増し”や過剰な“サービス精神”の問題が表面化することになる。しかし、この問題はむしろ逆の観点から捉えられるのではないだろうか。
つまり、何ゆえ、健常者は“水増し”の恩恵を受けながら筆者のようなジレンマを感じずに、しかも成果物を自分のものとしておけるのか。また、健常者の世界からの“水増し”や“サービス精神”がどのようにフェードアウトし不可視化されているのか、という問いである。本質的には健常者も“水増し”や“サービス精神”の利益を享受しているにもかかわらず、筆者のようにそれに対するジレンマを痛切に感じることはない。ここに、上げ底を意識しなければならない障害者と、それを意識する必要がない健常者という非対称的な関係から、この社会の能力主義的な規範が見えてくる。」(p303-304)

天畠さんの指摘は全くその通りである。ぼく自身を振りかえってみても、博論で「京都中の精神科ソーシャルワーカーにインタビューせよ、それが出来なかったら君の博論はない!」と根本的なアイデアを授けてくださったのは師匠大熊一夫であり、「ソーシャルワーカーに共通する法則性を導き出してごらん」と博論の根幹の整理を指導してくださったのは、指導教官の大熊由紀子さんである。ぼくの博論という成果物は、師匠や指導教官といった先達からのギフトによって、なされている。「何ゆえ、健常者は“水増し”の恩恵を受けながら筆者のようなジレンマを感じずに、しかも成果物を自分のものとしておけるのか」と問われたら、ぼくはあまりにその通りで、返す言葉もない。

つまり、僕が受けた恩恵は「フェードアウトし不可視化されている」一方で、天畠さんが受けた恩恵は「ガラス張り」であるがゆえに、「“水増し”や過剰な“サービス精神”の問題が表面化することになる」のである。

それは、あまりにアンフェアだ。

そして、天畠さんは情報生産者になるプロセスにおいて、「上げ底を意識しなければならない障害者と、それを意識する必要がない健常者という非対称的な関係」というこの社会の「能力主義」がおかしいと感じた。そして、それを内面化していたご自身という、「世間によってつねに強化され続けている自分自身の狂った前提」にも気づいた。だからこそ、そこ「からの脱出を求めて飲酒に走る」という形で、通訳者への依存をしながら、情報生産者として生き抜こうと決意したのではないだろうか。

すると、天畠さんがここで指摘しているのは、「本質的には健常者も“水増し”や“サービス精神”の利益を享受しているにもかかわらず、筆者のようにそれに対するジレンマを痛切に感じることはない」という<醒め>の自覚であり、その健常者がジレンマを痛切に感じないということ自体に、「なにかしらのエラー(病と呼んでもいい)」があるのではないか、という問いかけのようにも、ぼくには読めた。それは、意思表明や意思形成、意思決定をめぐる、根本的な問いが含まれているような気がする、のだが、それ以上のことはまだ僕には言えないので、天畠さんから頂いたギフト(水増しではなかったら、よいのだが)として、考え続けることにしよう。

いずれにせよ、魅力的で多くの問いかけが生まれる大作である。

「名前のつかない感情」を同定する

静謐な、でも、暖かく語りかけてくれる一冊の本がある。

「万人にとって絶対的に有用な本があるということはなく、あらゆる本がそれぞれ、あるタイミングで、誰かを助けるべく眠っている、と私は解釈しています。利用者と本の間に図書館員が入り、そのマッチングを行うのがレファレンスです。」(青木海青子『本が語ること、語らせること』夕書房、p64)

一見すると、書かれていることは、その通りのように、おもえる。だが、青木さんは図書館の本質に「自助を助ける」があると語る。そして、「誰かを助けるべく眠っている」本と、それを必要とする人とを繋げるのがレファレンスであり、司書の役割である、という。そして、注にはこんなことも添えている。

「一般図書館でのレファレンスでは、『身の上相談』や『悩みごと』にお応えすることはできません。あくまでも『彼岸の図書館』であるルチャ・リブロでのレファレンスということで、あしからず。」(p65)

ぼくも仕事柄、図書館には日々お世話になるが、『身の上相談』や『悩みごと』を相談しようと思ったことは、ない。でも、パートナーの青木真平さんとの『彼岸の図書館』(夕書房)を読んだり、お二人の「オムライスラジオ」に出演させてもらって、青木海青子さんという司書さんになら、普段は相談出来ない、本を巡る相談が出来るのではないか、と思っていた。

そこで、ぼくも対談させてもらった青木真平さんの新著『手作りのアジール』(晶文社)の出版記念イベントでご夫婦とご一緒した際、海青子さんに次の様に尋ねてみた。

「ぼくは普段ノンフィクションとか研究書ばかり読んでいると、根詰まりしてきて、息苦しくなることがあります。でも、ドラマとか映画って、次の展開がわかって主人公が恥ずかしい思いをしそうになると、自分が恥ずかしくなって「もう見てられない」ので、最後まで見れないのです。小説でも、そんな場面にさしかかるとドキドキして、バタンと閉じてしまって、読めなくなってしまいます。でも、ゲド戦記をこないだ読んだら、最後まで読めました。村上春樹の作品は例外的にほとんど読めます。こんな僕に、お勧めの一冊ってありませんか?」

書き起こしてみると、ずいぶん無茶ぶりなのだが、海青子さんは「じゃあ・・・」と頭を巡らせながら、一冊の本を紹介してくださった。それが、O.R.メリングの『夏の王』(講談社)である。で、この本が面白かったですと御礼のメールを送ったところ、もう一冊、伊藤遊さんの『鬼の橋』(福音館書店)もお勧めくださった。どちらも、本当に素敵な作品だった。前者は現代アイルランドと妖精国の、後者は平安京時代の京都と三途の川の、どちらも彼岸と此岸のパラレルワールドを行き来する物語である。そうそう、村上春樹の小説は好きだ、ともお伝えしていたのもあってか、こういうパラレルワールドを行き来する、かつその中で主人公が試練を乗り越え勇者になる成長物語をご紹介頂き、なんて素敵な司書さんなのだ、と驚嘆した。そして、冒頭でご紹介した海青子さんの初の単著には、その裏側も書かれている。

「同定とはたとえば、利用者が探している本と、他館が所蔵する本の書誌情報等を確かめ、同一本であると確定する作業のことです。本の方から『同じ本だよ』と自己申告してくれるわけではないので、同定にはなかなか手間がかかります。記載情報や造本など、その本の特徴、性質をよく見定め、本の声なき声を聞く必要があるのです。」(p70)

なるほど、これは大学図書館の司書さんでもしてくださる作業である。その一方、「あくまでも『彼岸の図書館』であるルチャ・リブロでのレファレンス」においては、同定の「問いの次数」があがる。「相談者さんのまだ名前のつかない感情に相対し、本をひっくり返しながらある一節と同定する私たちの試み」(p71)というフレーズを見つけた際、僕が海青子さんから教わった読書体験も、まさにぼくのモヤモヤした想いや感情が「同定された!」という感動だったと思い出す。

僕は物語世界を希求しながらも、自分の「まだ名前のつかない感情」とうまくフィットしてくれる小説とあまり出会えず、困惑していた。その困惑をそのまま『身の上相談』や『悩みごと』という形で、海青子さんにお伝えした。すると、ルチャ・リブロでのレファレンスでやってこられたように、彼女の頭の中で「本をひっくり返しながらある一節と同定」してくださり、ぼくに差し出してくださった。それが、僕の心の中で灯火となって、心を温めてくれた。こんな素敵で豊かな読書体験は、本当にありがたいかぎりである。

そんなルチャ・リブロの司書、青木海青子さんのエッセイは、様々な相談者のお悩みに本でお応えする、というコンセプトに基づきながら、合間合間で彼女の想いも綴られている。

「もしあなたが今いる状況をしんどいと感じているなら、ぜひ心に窓を持ってみてほしいのです。すぐに窓枠に足をかけて乗り越えていくことはできないでしょう。でも、別の風景を目にすることで、前を向けるかもしれない。未来が少し楽しみになるかもしれない。そうしているうちに、窓の隣に扉が現れることだってあるかもしれません。
ひとりぼっちで窓の外を眺めるのがつまらなければ、私たちがお手伝いしたり、一緒に眺めることもできます。窓を持つ手助けをする図書館であれたら。そんなことをぼんやり考えながら、今日も司書席に座っています。」(p16)

彼女がパートナーと共に私設図書館ルチャ・リブロを開くのは、「心に窓を持つお手伝い」を兼ねている。本という媒介が心の窓になり、別の可能性を模索できる。そんなお手伝いをするための、「窓を持つ手助けをする図書館」。本当に素敵な実践だと、改めて感じる。そして、「相談者さんのまだ名前のつかない感情」をも一緒に同定しようと模索してくれる司書さんが座っている図書館は、心のアジールになるだろうと改めて感じる。都会から距離のある、東吉野村にわざわざ訪れる人が絶えない理由も、この本を読めば、よくわかる。また、この本で海青子さんや真平さんが紹介してくれた書籍がどれも魅力的で、あれこれ読んでみたいと思わせる、素敵なブックガイドでもある。

本の最後に、海青子さんがしんどかった時期に、本を通じて真平さんとの出会いが深まっていったエピソードを読みながら、ぼくも「じんわり温かな気持ち」をお裾分けしていただいた。でも、それは本書を読んでのお楽しみ。本好きな人、モヤモヤしている人に、届いてほしい一冊である。

優生思想を「いま・ここ」に繋げる一冊

歴史は高校生の頃から、嫌いになってしまった。それは教科としての歴史で、暗記しなければならない事項が爆発的に増え、それで嫌になってしまったのだ。だから、センター試験は倫理・政経で受けたし、未だに歴史コンプレックスがある。大人になって、世界史も日本史もちゃんと流れを知っていないことで、ずいぶん損した気分になったし、「マンガ世界の歴史」も買っているけど、未だに本棚に積ん読状態だ。

そんなぼくでも、食い入るように読み終えた「歴史といま・ここをつなぐ一冊」があった。それが、藤井渉さんの『ソーシャルワーカーのための反『優生学講座』――「役立たず」の歴史に抗う福祉実践』(現代書館)である。何が良い、って、いま・ここ、で疑問に思わず口にしているフレーズや考え方、価値前提が、歴史的にどのように構築されてきたか、を辿る一冊だからだ。例えば、こんな風に。

「『障害者を納税者に』との論理自体は少なくとも100年前から繰り返されてきた古典的なものであり、『社会が低納者の害毒から免れる』という認識との関連性を考えずにはいられません。また、障害者への教育や就労支援が結果的には社会の『コスト』抑制につながる、という論理も同様に100年前から語られていました。そして、障害者の『コスト』をめぐっては、間接的であるにせよ、優生学思想も具体的に絡んで述べられていたのです。」(p95)

この15年近く、障害者就労は劇的に進んできた。確かに「障害者を納税者に」というのは、聞こえのよいフレーズである。だが、「納税者」というラベルに「社会に役立つ人」、そこから「障害者」に「社会のお荷物」というラベルを付与すると、「社会が低納者の害毒から免れる」という現在の社会から見れば明確な差別的な100年前の論理と、実は地続きである事が見えてくる。入所施設や精神病院の削減、あるいは就労支援や障害者教育を「コスト」論で語りたくないのは、それは「社会のコスト抑制」というのが、実はナチス・ドイツの障害者殲滅計画(T4計画)と地続きであるからだ。

「ナチス政権下では治療ができない人たちへの『安楽死』、つまり殺害が議論され、そこでは国家的な『コスト』となる障害者がピックアップされていた状況が見られます。当時のプロパガンダでは、その『コスト』を強調したプラカードが多々用いられていました。
障害者の『コスト』の計算は、元々、施設を対象とした社会調査をもとに行われていた形跡が見られます。その調査では重度知的障害者の保護に年間一人あたり平均1300マルクを費やしているとされ、その人口は2〜3万との推計があり、平均寿命を50歳と設定した上で、膨大なコストを非生産的なものに費やしていることが強調されたりもしていました。そこには、障害者が生まれることによって、『コスト』が積み重ねられていくという、将来予測までを踏まえた『遺伝的価値』が問われていた状況が見られます。」(p126)

書き写していても寒々しくなるが、「納税者」と「社会のお荷物」を分けた上で、納税できない重度障害者に年間1300マルクかかり、その人が50年生きたとしたらいくらかかり、2万人いると年間いくらかかるか、を全て計算して、それが「膨大なコスト」である、と「客観的」に述べてしまう。こんなコストを「非生産的なものに費やす」余裕がありますか?あなたの税金ですよ?と畳みかける。そして、そのような「非生産的」な存在を「モノ」扱いにするからこそ、ガス室に送り込んで「安楽死」させることも肯定してしまう。つまり、お金のためには、人殺しもやむを得ない、という論理がナチスの政権下ではまかり通っていたのである。そして、さすがにガス室に送り込むことは日本ではしていなかったが、「非生産的」で「社会のお荷物」とラベルが貼られた重度障害者の「遺伝的価値」を淘汰するために、強制不妊手術をしてきたのは、日本でも第二次世界大戦後も続いてきた。また、相模原の障害者殺傷事件の犯人は、「役立つ障害者かどうか」で殺害対象を選別してていた。つまり、いま・ここの私たちの社会の価値判断と、T4計画の価値判断も、隔絶されたものではなく、連続性のあるものだ、というのが藤井さんの論からわかってしまうのだ。

そして、このような排除や選別の論理は、私たちの「いま・ここ」の社会の中に根深く浸透している。

「社会では熱心に人を『平均』と比較し、『異常』として判断することをあまりにも軽々に行っています。偏差値もそうですし、新型出生前診断はその典型だと思います。一方で、社会が『異常』と見なした人たちが、今度は『普通』を求める場合はあまりにも道は険しく、社会は途端に無関心になります。
つまり、『異常』を判別するために『平均』が軽々しく用いられる一方で、『平均』の論理で排除されてしまった人たちが、隔離され、社会的に不利を背負わされた後で、地域社会で『普通の生活』を送りたい、『平均的な生活』を送りたいと言った場合は、『なんでそういうこと言うんですか?』といった態度で、あまりにも無関心になる。社会にはこういう姿勢のギャップがあって、それを本人は日常生活のあらゆる場面で見せつけられてきているのです。」(p39-40)

「新型出生前診断」は、本当に簡単に出来る。妻が妊娠中も、「できますよ」と医師から言われた。だが、私たち夫婦は相談した上で、「結構です」と断った。それは、これから生まれてくる待望の命に対して、「平均と比較し、異常として判断すること」にどのような意味があるのか、それをして染色体異常がわかったら堕胎するのか、そのような神のような選別的な眼差しを私たちが持てるのか、を夫婦で話し合った上で、そんなことを軽々にしたくはない、と価値判断したからである。

また、入所施設や精神病院からの地域移行や、特別支援学校から普通学校での学び合いというへのインクルーシブ教育への移行について話をすると、『なんでそういうこと言うんですか?』という声もしばしば聞く。特別な支援が必要な人に向けた専用の施設や病院、学校があるから、それでいいではないですか? 地域の中で一緒に暮らすのは手間もコストもかかりますよ、と言わんばかりの問いである。でも、藤井さんが言うように、そもそも「専用の施設や病院、学校」が作られるのは、「『異常』を判別するために『平均』が軽々しく用いられる一方で、『平均』の論理で排除されてしまった人たちが、隔離され、社会的に不利を背負わされた」というプロセスの「後」なのである。「平均の論理」で「異常」とラベルが貼られ、排除・隔離の後に、社会的な不利を背負わされている。このことに関する認識がなく、『なんでそういうこと言うんですか?』と私たちが無自覚に口にするのは、あまりにも、排除の歴史を自覚していない、ということでもある。

そして、この「平均」の論理は、偏差値の論理でもあり、社会的排除の論理でもある、と藤井さんは整理する。

「優生学では、本来複雑である人の『才能』や『知能』に正規分布の人口構成を措定、あるいは断定しながら、その平均から外れた人たちを『異常者』だとして、その人たちを当時の言葉で『精神薄弱者』と言って蔑視していった思考や経緯が見えてきます。」(p158)

偏差値がどれくらいだから、どの高校や大学に入れる。ごく当たり前のように使っている、このフレーズ。でも、それは「本来複雑である人の『才能』や『知能』に正規分布の人口構成を措定、あるいは断定」するプロセスである。模擬試験や入学試験で、人の才能や知能をバッチリ測れる訳ではない。あくまでも目安だし一つの基準に過ぎない。でも、それに縛られると、東大出身の人は賢い、とか、そういうことに囚われてしまう。

ものすごく恥ずかしい話なのだが、ぼくもかつて、めちゃくちゃ偏差値に囚われていた。

京都出身で、京都大学に合格者数が日本一という事が自慢だった高校に通っていたので、「京大に入れない奴はバカだ」と思い込んでいた。で、浪人しても、センター試験で点数が足りず、一浪して阪大人間科学部に入る。でも、大学一年生の時は、「阪大生はバカばかりだ」と思い込んでいたので、すごく嫌な奴で、あまり友達も出来なくて、全然楽しくない大学一年生だった。その後、震災ボランティアなどで同級生と出会い、そう思い込んでいた自分自身が「最大のバカ」だったことに気づくのだが、それはぼくが10代後半に偏差値をあまりにも内面化して、その牢獄に囚われていた、ということでもある。

また、この牢獄はそれに気づいても、簡単に抜け出せない。障害者福祉を学び始め、多くの障害当事者の知人友人と出会った後も、インクルーシブ教育については、能力主義的なぼくの価値前提を覆すことは、簡単ではなかった。だが、大阪の大空小学校の実践や、それを語る木村先生の本を読む中で、ぼく自身の価値前提に深く刻み込まれた集団管理型一括指導の学校空間そのものの歪みや、そこに合わない人の社会的排除のことまで踏まえると、そもそも「平均から外れた人たちを『異常者』」として蔑視するシステムそのものが問題ではないか、とやっと気づけるようになった(そのことは、模擬講義で話したこともある)。

そして、このような偏差値の盲信も、実は歴史的な文脈の中で受け継がれてきたことも、藤井さんの著述から見えてくる。

「優生学では平均を用いて人の能力を測定し、平均から外れた『異常』を判別することで、『異常』に対する排除の方途や正当性を示そうとしていました。そのための手段として、回帰分析や相関係数といった数理統計学が開発された経緯もあったのでした。
この考えは知能検査をめぐる研究でより顕著に示されていきました。そこで『低い』成績を示した人たちを『低能』や『不良』などと称し、侮蔑の対象として知的障害者たちが取り上げられました。
それだけではありません。それは確率論的に計算すると遺伝するため、その『淘汰』が必要だと主張されていたのです。優生学を唱えた学者達は、人を『才能』や『知能』といったモノサシで評価し、それによって人の分布を表そうとしました。そのときに前提としたのがベル型の正規分布です。そして、その下位の端に位置する人たちを社会の構成員から切り取っていく、つまり『剪除』していくことで、世代的な再生産を通して『民族』や『人種』の『遺伝の改良』を考えたと言えます。」(p193)

偏差値に代表される正規分布は、「『異常』に対する排除の方途や正当性」を科学的に示すために用いられた。「そのための手段として、回帰分析や相関係数といった数理統計学が開発された経緯もあった」。言語表現が出来ない障害者をガス室で抹殺したり、刃物で殺傷する。それだけ聞くと、おぞましいと感じる。だが、それに「もっともらしい」「合理的な」理屈を与えて正当化するために、平均からの逸脱や正規分布などの統計学的知識が用いられ、殺人と言わずに『剪除』という曖昧なフレーズを用いることで、「世代的な再生産を通して『民族』や『人種』の『遺伝の改良』」というやばそうな考えを合理化していく。そこに科学が加担していった歴史と、偏差値の歴史には、土台が一緒、という共通性があるのだ。(そして、この科学の恣意性については、精神医療に関して以前拙稿で論じたこともある)。

いずれにせよ、藤井さんの本を読み進める中で、19世紀から20世紀初頭に隆盛した優生学や、世界大戦期におけるその「応用」など、一見すると昔話に思える出来事が、いかに自らの「いま・ここ」の価値前提に直結しているか、が見えてきて、恐ろしくなる。でも、絶対に知っていた方がよい。特に、「支援」に関心がある人は、その支援が誰のため、何のためか、を土台から考える上で、この本は批判的に物事を捉えるための重要な補助線となるだろう。何度か読み返したい一冊だし、注や参考文献が恐ろしく充実しているので、ここから色々な文献を辿ってみたいとも思う。

「生きられたフィールドワーク」を追体験する

フィールドワークの方法論の本は色々読んで来たけど、類書とは一線を画する一冊が『人間と社会のうごきをとらえるフィールドワーク入門』(新原道信編著、ミネルヴァ書房)である。

何が圧倒されるって、中堅・若手のフィールドワーカーの葛藤やモヤモヤが、そのものとして書かれている。その泥臭さがいい。ぼく自身もフィールドワーク経験でモヤモヤしていたので、そのモヤモヤをシンクロさせるような、ほんまもんのモヤモヤで溢れている。

「その後もクアラルンプールでのフィールドワークは継続した。といっても、しばらくはインタビューはやめ、ただヨガ教室に参加するのみだった。時には、数ヶ月ひたすら一緒にエクササイズしただけで日本に帰るので、先生の方から『本当にこれが研究になっているのか』と心配されたこともある。私にはもはや何を聞けば良いのか、何を知りたいのかもわからなくなっていた。このとき、私自身がヨガの実践者であったことは、意味があったように思う。自分の関心や疑問を明確に言語化して相手に伝えることができなくても、私がヨガについて真剣に考えたいと思っていることは察してもらえていたようだった。」(栗原美紀さん、p238)

「研究をめぐる方法論には、おおまかな定石がある。たとえば、<公害を知りたいなら、何か具体的な事件・問題を対象とした事例研究から始めるべきである>。あるいは、<人物研究の対象は、亡くなってしばらく経過し、当該人物に関する社会的評価がある程度つかめてから取り組むべきである>。筆者は、こうした定石は耳にしながらも、呑込むことはできず、自らの立場を決めかねたままの時間が長かった。あなたの研究の方法は?と問われると答えに窮し、壁を感じた。いまも、その壁を乗り越えてきたとは言えない。」(友澤悠季さん、p79-80)

「なぜ、『からだひとつ』で生きる姿に反響したのか。それはひとえに、私の父が、祖父が、祖母が、おじが、みなそうやって生きてきたからである。私は修士課程の院生時代より、自分では明確に意識することなしに、フィールドに『ついて』分析するのではなく、フィールド『から』考える方法を模索していた。『からだひとつ』で食べていくことは困難である。からだを壊したら困窮へと一直線だ。そして貧しさは、他者に馬鹿にされる引き金にもなるだろう。貧困は、経済的問題であると同時に存在をめぐる問題である。けれども、そこにはまた、他者に身体を委ねないという自由の感覚もある。」(石岡丈昇さん、p115)

マレーシアのヨガ道場に通う、環境社会学者の飯島伸子の足跡を追う、マニラのボクシング・キャンプに入り込む・・・。一見すると全くバラバラなフィールドワークである。でも、ここで語られた三人のモヤモヤは、「それ、それ! 僕もおんなじ事を感じてきた!!!」というモヤモヤである。

栗原さんの語るように、フィールドワークに通いながら、「私にはもはや何を聞けば良いのか、何を知りたいのかもわからなくなっていた」というのは、ぼく自身にも何度もある。特に長期に通った精神科病院とか、スウェーデンでの知的障害者の当事者団体とか、しばしば通っているうちに、何のために通っているのか、わからなくなっていった。問いがなくなる、というより、それまでの事前調査や仮説で抱いた問が消失しながら、ではそれを越える問いが浮かんでこない。でも、とにかく通い続けながら考えるしかない、というじれったい思いを抱えた期間である。そして、後から考えると、そういう移行期混乱を経た上でないと、オリジナルな問いは浮かんでこないのだ、とも経験則として感じている。

また、友澤さんの語る「こうした定石は耳にしながらも、呑込むことはできず。自らの立場を決めかねたままの時間が長かった。あなたの研究の方法は?と問われると答えに窮し、壁を感じた。いまも、その壁を乗り越えてきたとは言えない」というのも、まさにぼく自身に当てはまるので、そうそう!と頷いていた。フィールドワークや先行研究の「定石」とは、これまでに刊行された、すでに行われた内容としての「定石」である。確かに、そうすれば手堅いのかもしれない。でも、なんだかよくわからないけど、すんなり鵜呑みに・呑み込むことができない。論理的には説明出来ないけど、何だか違うような気がする。

また、「研究方法」は?と聴かれて、○○法で、という枠組みをしっかり言えたらどれほどいいだろうと思う。でも、実際にオモロイと思う対象や現場に出会ってしまい、それをひたすら追いかけている間に、○○法という解釈枠組みへの当てはめばかり考えていると、せっかく肉薄したい現実が、するりと通り抜けてしまうような気もする。あるフレームを当てはめる、ということは、そのフレームからこぼれ落ちるものは「なかったことにする」となりかねない。それもモノグラフにまとめる時には必要かも知れないが、すくなくともその現場でオモロイと感じている現象や対象を追いかけている「いま・ここ」で、すぐに解釈してフレームに切り落としてしまうようなことはしたくない。だからこそ、僕だって「あなたの研究の方法は?と問われると答えに窮し、壁を感じた」し「いまも、その壁を乗り越えてきたとは言えない」のである。

そして、これは石岡さんの語るように、ぼく自身も「自分では明確に意識することなしに、フィールドに『ついて』分析するのではなく、フィールド『から』考える方法を模索していた」ということなのだと、改めて思う。フィールドを対象化して、その全体像を客観的に把握する。そのような形の、大量な情報処理をスマートにこなしながら一つの「客観的な物語」に仕上げるフィールドワークもあるだろう。でも、僕には無理だった。そうではなくて、フィールドで感じるモヤモヤをもとに、そこ「から」考えて、自分自身の個人史と交錯させながら、その現場「から」考え続けるしかないと思ってきたし、それをずっとつづけてきた。

そういう意味では、今回引用できなかった他の著者の方々のフィールドワークも含めて、この本に登場する方々は、みんな現場でオロオロしたり、モヤモヤしたり、悩み不全感を抱きながら、自分自身と向き合いながら、現場で感じた事を必死になって言語化されようとしてきた。そして、それこそぼく自身もフィールドワークでやってきたことだし、大学院の頃にこういう先輩のモヤモヤこそを知りたかった(のに知る機会がなかった)と改めて感じる。

その上で、この本の編著者である新原先生について。

僕は直接お目にかかったことはないのだが、新原先生のお弟子さんで、この本の著者の一人、鈴木鉄忠さんとは、フランコ・バザーリアやトリエステ方式に関する著作や通訳でお目にかかり、以後共同研究をさせて頂いている仲間である。今回はお二人からこの本を頂いた。そして、鈴木さんからは、研究会を通じて新原先生の誠実でひたむきなフィールドワークの姿勢を又聞きして学び続けてきた。

例えば、インタビューさせてもらった相手に、なるべく早くその日の感想や感じた事をお礼メールに添えてフィードバックとして返したほうがよい、というのは、鈴木さん経由で学んだことであり、僕もこの数年、しっかり実践していることだ。非対称な関係性での搾取を増やさないためにも、きちんとフィードバックをすることが、フィールドやインタビュー相手への最低限の敬意につながる、というのも、言われてみればその通りなのだが、それを実直にやっておられるからこそ、イタリアという異境の地で、多くの方々と信頼関係を切り結んで来られたのだと思う。そのあたり、新原先生の若い時代の試行錯誤については、以前『旅をして、出会い、ともに考える』という素敵な著作で学ばせて頂いたことでもある。

そして、今回新原先生が書かれた部分として、特に「いま・ここ」のぼく自身に繋がっている部分を、最後に触れておきたい。

「デイリーワークは、『勉強の時間に』というよりは、むしろ『オフ』の時間、ふつうの時間をフィールドとして、日常生活のあらゆる様々な場面で、素朴かつ率直に、感じ、考えたことを、“大量で詳細な記述法”によって“描き遺す”ことを基本とする。“大量で詳細な記述法”は、とりわけ、たいへんな時期、危機の瞬間、予想外のことや困ったことが起こっているとき、いままでのやり方ではうまくいかないときに、真価が問われ、深化していく方法だ。ゆっくりものを考え書くことなどできない状況で、たとえそれがつたないものでも、その日の社会と自分を観察し、その日に“描き遺す”という“不断/普段の営み”を続けると、自分の中に『洞察力』がつくられていく。」(p26)

実はこの「デイリーワーク」という言葉に、この5年ほど、どれほど救われただろう!

子どもが生まれて、家事育児をなるべく対等に分担しようとしたら、フィールドワークどころではなくなってしまった。すると、自分の存在価値というか「売り」のような部分がもぎ取られたようになり、アイデンティティ・クライシスのようになりかけた。そんな折に鈴木さんから「デイリーワーク」という言葉を聞き、そうか、フィールドワークしていなくても、「いま・ここ」で出来ることがあるんだ、とすごく救われた。

まさに仕事中心モードから子育て中心モードへの転換期こそ、「たいへんな時期、危機の瞬間、予想外のことや困ったことが起こっているとき、いままでのやり方ではうまくいかないとき」であったので、ぼくはデイリーワークにすがるしかなかった。だからこそ、ツイッタやブログで断片的に思うことを書き付けたり、それを現代書館のnoteで連載させて頂いてきた。ぼく自身は、子育てについて断片的に考え、書き続けることは、「ゆっくりものを考え書くことなどできない状況で、たとえそれがつたないものでも、その日の社会と自分を観察し、その日に“描き遺す”という“不断/普段の営み”」であったのだと思う。それは、フィールドワークが出来なくてもデイリーワークなら出来るのだ、という大いなる発見であり、希望や勇気を頂く視点だった。

そういう意味で、新原さんが序章の締めくくりに書かれたことが、見事に華開いた素晴らしい一冊だと感じたし、私の中では色々なことが鳴動し続けている。

「『生きられたフィールドワーク』と読者の間で、かすかな鳴動が産まれ、“対話的にふりかえり交わる”という“交感/交換/交歓”が生まれることを祈念しつつ」(p31)