時の精霊

2023年3月26日、娘のこども園の卒園式が開かれた。雨が降って春冷えの園内で、心暖まる素敵な卒園式に参加しながら、ぼくはクロノスとカイロスの二つの時間を考えていた。

クロノスというのは、昨日から今日へ、過去から未来へと客観的に刻む時のことを指す。一方カイロスは、主観的な時間であり決定的な「いま・ここ」という瞬間のことを指す。子どもたちは、この卒園式を少し緊張しながらも笑顔で過ごし、園の先生とわかれるのはさみしいけど、4月から始まる小学生に向けて、前途洋々な気分でいる。その一方、保護者や先生方は、子どもと共に作り上げてきた園生活が終わるのか、と思うと様々な思いがこみ上げてきて、あちこちで何度も涙を流し、鼻をすする音が聞こえる。ぼくも何度か涙を流し、胸が熱くなっていた。これからどんどん時間が早くなっている娘たち。一方、「いま・ここ」の時が永遠であってほしい保護者や先生たち。ここで、クロノスとカイロスが交差するのだ。

そして、これは5日前の3月21日に本番を迎えた卒園記念親子ミュージカルのテーマでもあった。「時の精霊」と題されたミュージカルのあらすじは、こんな感じだった。

「時間の無い国で、人々は毎日幸福に暮らしていました。ある日、広場の真ん中の大きな木の前でひとりの子どもが言いました。「この木、花が咲かないね」。そこで子ども達は魔法使いを訪ね、「木に花を咲かせる」方法を聞きます。魔法使いは、「やめておけ」と子ども達の願いを聞いてくれません。ところが、双子の魔法使いの妹ボタンが、子どもを弟子にすることを条件に、願いを聞き入れます。ボタンは、時間の扉を開いて、閉じ込めていた時の精霊クロノスを解き放ってしまいます。やがて、時間は動き始め、木に花が咲きました。しかし、クロノスは暴走し、時間はますます早く動いて、花は枯れ、大地は荒れ果ててしまいました。人々はその国に住めなくなり、散り散りに別れていきます。「貧困」や「争い」に巻き込まれた人々は、放浪を続けます。やがて、子ども達が平和な国を取り戻すため、立ち上がります。」

娘がこども園に入った3歳の頃、大混乱の最中だった。そもそも娘は、親と離れることに不安が高まっていた。しかも、2020年春はコロナ危機のせいで臨時休校になり、出鼻をくじかれた。そんな情勢で、親も相当緊張感が高く、それが娘にも伝わって、娘は園でじっとしていず、ギャアギャア言って、一人で座っていられなかった。それは、今から思えば、命がけのSOSの表現だったのかもしれない。全身で「苦しいこと」を表現しようとしていた。でも、親も子どもにどう関わってよいかわからず、親子三人の「苦しいこと」が続いていた。

だが、娘が通ったこども園では、大人が全力になって「子どもの成長を止めるな」を合い言葉に、コロナ下でも、出来る限りふつうに子どもと接してくれ、子どもの遊びを保障してくれた。コロナ下でも夏祭りは近所の山から竹を切り出して櫓を組んだし、運動会では子どもたちが一枚一枚クレヨンで描いた重い万国旗がはためていていた。8キロハイキングやマラソン大会など、親も一緒に出場する行事も多く、四季折々のイベントもあった。日々の基本は毎日園庭でサッカーや泥遊びに興じ、ダイナミックに遊び続けていた。先生方は、娘の不安をしっかり受け止め、娘の可能性を沢山見いだし、応援してくださった。そんな環境の中で育ったおかげで、娘は安心してエネルギーを発散することができ、大混乱はいつの間にか鎮まっていった。時間の無い国で、娘たちは毎日幸福に暮らしていた。

そんなカイロスの時間を二年経て、娘は混乱期を超え、少しずつ落ち着いて、園での生活に安心感を持っていった。そんな心の拠り所が出来たあと、小学校との移行期にあたる年長組あたりから、意識的にこの園では時間の扉を開き、カイロスではなく、閉じ込められていた時の精霊クロノスが解き放たれるように、一気に時間が動き始める。年中組までの緩やかな雰囲気とは一変して、年長さんとして年下のお友達のお世話をし、小学校に向けて数字の書き取りやクロスステッチ、サッカーのリーグ戦など、頭も身体もフル活躍する。

実は、父も母も娘も、この卒園式を、夢物語のように迎えている。それは、たった5日前まで、園行事の集大成として、先述の親子ミュージカルの練習にかかりっきりだったからだ。妻は、時間のない国にクロノスを解き放つ魔法使いボタンの役を演じ、娘は魔法使いの弟子、父は暴走するクロノスを演じた。それは、実に象徴的な舞台だった。

クロノス役の父ちゃんは、子どもが生まれるまで、「クロノスは暴走し、時間はますます早く動いて、花は枯れ、大地は荒れ果ててしまいました」という世界を生きてきた。まさにそれは、生産性至上主義にどっぷりつかっていた時代であり、身も心も枯れ果てていた。父ちゃんは、馬車馬の論理にどっぷりはまり込んでいた

でも、こども園の3年間で感じたのは、そのような暴走する時間とは対極の、「いま・ここ」を大切にする、主観的な時の感覚だった。娘が混乱している時も、あるいは落ち着いていたり、家で荒れているときも、すべて「いま・ここ」を真剣に生きるからこそ、娘なりの世界観を必死に構築しようともがいているからこそ、の表現である。それは、「早くしなさい」というクロノスの指導や叱責が及ぶことない、「いま・ここ」のしたいことがぎゅっと濃縮されて詰まったカイロスの時間である。そして、娘は3歳から6歳の三年間で、そのカイロスの時間をこども園で十分に体験出来たからこそ、小学校以降のクロノスの時間に飛び込む勇気と自信を与えられたのだ、と思う。

一方、クロノスの時間にどっぷり浸っていたお父ちゃんとお母ちゃんにとって、この三年間は、カイロスの時間を取り戻す日々であった。全力で子どもと共に楽しもうとする先生方や他の保護者たちと出会う中で、「いま・ここ」の時間を子どもと全力で過ごすようになっていった。他の子どもと比較して出来ているとか出来ていないとか比較する視点を横に置き、他のお友達の名前もどんどん覚え、我が子のように他のお友達も愛おしくなり、その成長を喜べた。この1年くらい、彼ら彼女らの成長にじんわりきて、行事でも娘よりも他のお友達をじっくり観察することもあったくらいだ。そして、同じようにこども園生活を乗り越えてきた同志のお父ちゃん、お母ちゃんと沢山仲良くなった。

それは、日本社会の同調圧力的な標準化された時間とは別の、「いま・ここ」を娘やお友達、その父ちゃん母ちゃんと共に楽しむ、まさにクロノス的なせき立てられた時間から一歩距離を置いた、祝祭的な時間だった。園の行事は沢山あり、土日も含めてめっちゃ忙しかったけど、それはクロノス的な時間に追い立てられるのとは逆で、いま・ここ、の濃密なカイロスの時間を堪能するプロセスでもあった。

その集大成のような親子ミュージカルは、親子三人にとって、文字通りの試練であった。この園は、子どもも大人もみんな本気で容赦しない。本番前日のリハーサルで、娘は立ち位置を覚えずそわそわていると、総合監督の理事長先生から娘に向かって「たけばたぁ、何やってんだ!」と怒声が飛ぶ。娘が泣くと、理事長は「自分の頭で考えろ、泣いたらそれで済むわけではない」とさらに追い詰める。でも、その後担任の先生が「なぜ怒られたか?どうしたらよいか?」を本人が納得できるように時間をかけて説明してくださったので、娘は当日間違えずに立ち位置に立て、「今日は出来ているな」と理事長先生からも褒められた。

同じように、父も母も、浴びるほどダメ出しをされて、腹が立ったり、落ち込んだりする一ヶ月だった。でも、それは娘が新たな学習回路を開き、未知で不確実な世界に飛び込んで試行錯誤するときに、感じる不安やしんどさそのものである。夫婦とも、親子ミュージカルに出演させて頂き、葛藤の最大化場面に立ち会ったからこそ、娘がどのように暴れたり、しんどい思いをするのか、がわかった。おそらく小学校に入った移行期においても、同じように混乱するだろう。だからこそ、3歳の葛藤の最大化を乗り越える支援をしてくれた先生方が、6歳で小学生になるための移行期混乱の時期に、別の新たな試練をあえて親子三人に与えてくださったことに、文字通り「有り難い」と感じた。

時間の扉は、一度開いてしまうと閉じることが出来ず、その時間はもっともっと早く過ぎ去るばかりだと、娘が三歳の頃まで、思い込んでいた。でも、この園に親子三人がどっぷり関わる中で、カイロスの時間は十分に取り戻すことが可能なのだ、と学ぶことができた。むしろ、カイロスの時間を安心して生きることが、クロノスに魂を奪われないこつなのだと、知ることができた。

ミュージカルの練習においては、クロノス役の父親たちにも、総監督の理事長先生からの怒声が飛ぶ。「もっと飛んでみろ」「子どもたちの方が立派に飛んでいるぞ」「ちゃんと子どもたちと戦え」・・・これらの声が、今でもぼくの中で、こだましている。そして、実はクロノスのぼく自身は、カイロスの子どもたちと、ほんまもんの戦いをせねばならなかった。頭でっかちの父ちゃんにとって、カイロスの子どもたちの純粋さや謙虚さを、クロノス世界の要領の良さとか「わかったふり」で誤魔化してはならなかった。だからこそ、本気で子どもとぶつかることが求められたのだ。おかげで父ちゃんは、ミュージカル当日はクロノスの「時の精霊」に憑依して、めっちゃ悪くなれたと思う。それは、子どもたちがクロノスを退治するのに、本当に必要不可欠な要素だった。そして、子どもたちのクロノス退治のおかげで、お父ちゃんはカイロスやファンタジーを取り戻しつつある。

子どもを預けるだけ、ではなく、フルに子どもと共に親が関わることが求められたのが、こども園の3年間だった。それは、正直に言えば、最初の頃は面倒だった。でも、そうやって、面倒に感じるクロノスの父を揺り動かしてくださったからこそ、いま・ここ、の子どもの喜びを共感できる、カイロスの時間を父が持つことが出来た。そういう意味では、時の精霊がこの園に宿っていたおかげで、娘や母だけでなく、父までも、平和な世界を取り戻すことが出来たのだと思う。

今つくづく痛感するのは、こども園で育てられたのは、子どもだけでなく、父も母も同じように鍛えられた、ということだ。子どもが生まれて6年、親業もたった6年である。知ったかぶりも出来ないし、いつまでも子どもに翻弄される。でも拙著のタイトル『家族は他人、じゃあどうする? 子育ては親の育ち直し』の副題である、育ち直しをこの3年間、みっちり伴走してもらえた。こんなに豊かなカイロスの時間を味わえたのは、子どもにとっても、父母にとっても、まさに値千金である。

偽解決と紋切型を越えるために

ある問題が繰り返し生じている。そういう悪循環が生じたとき、その問題そのものだけでなく、悪循環を解決する営み自体をも問題を抱えていることがある。それは、30年前に書かれた本に、以下のように書かれている。

「悪循環とは、ある人が自身の置かれている状況を問題のあるものとみなし、これを解決しようとする行動に出るが、この解決行動自体がとうの問題を生み出してしまうというメカニズムを持ち、しかもこれが反復的に繰り返されるものを言う。」(長谷正人『悪循環の現象学』ハーベスト社、p78-79)

家族療法を学んだ社会学者は、悪循環は問題行動と偽解決とセットである、と指摘する。偽解決とは、「これを解決しようとする行動に出るが、この解決行動自体がとうの問題を生み出してしまう」解決方法であり、問題行動と偽解決の循環メカニズムは、「反復的に繰り返される」ことによって悪循環が構成されていく。こう考えてみると、実はぼく自身のアプローチも、「偽解決」だったかもしれない、と暗澹たる気持ちになっている。

2023年2月25日に放映された、NHKのETV特集「ルポ 死亡退院 〜精神医療・闇の実態〜」をみた。この番組が放映される前から、ルポの舞台である滝山病院に関する様々な記事も出されている。それらをみて、そこで行われているひどい虐待や人権侵害にも唖然としたが、大変悲しいことに、目新しいことではなかった。なぜなら20年前、ほとんど同じ構造的問題を持った事件と出会っていたからだ。

大学院生のころ、埼玉県の朝倉病院で、患者の身体拘束や過剰で不必要な医療処置などを行い、不正請求によって保健医療機関の認定が取り消され、病院が廃院になった。この時はテレビ朝日のスクープ映像によって問題が発覚したのだが、その際、師匠の大熊一夫はそのスクープ映像が取り上げられた番組でコメンテーターとして出ていた。そんなご縁もあり、僕もその後の朝倉病院事件については追いかけ続け、行政の病院監査の杜撰さなどを指摘した論文「日本の精神病院への行政監査の現状と課題」を書いた。院生の頃に必死に書いた論文で、前半は幾分冗長な説明が続くが、その後の宇都宮病院事件から大和川病院事件、そして朝倉病院事件へと続く精神病院での不祥事の連鎖や、それがなぜ生じているのか、その構造的背景も描いていた。そして、残念ながら20年前に書いたこの論文で指摘した内容を、今回はまた「再演」している。

20年前の論文で、僕は行政監査の課題を「繰り返される不祥事」「行政の認識の甘さと書類中心主義」「事前通告」「性善説」「医師の裁量権」「情報の非公開」という六点に整理した。そして、この六点は、今回の滝山病院事件にも全て当てはまる。

まず、朝倉病院の院長は、過去に保険医を取り消された後、再び保険医指定を取り戻し、滝山病院の院長になっていた。そして、透析患者への不適切な治療や、患者の身体拘束、虐待などを容認してきた。これは朝倉—滝山病院事件に限ったことではない。2020年には神出病院事件が起こり、今年はふれあい沼津ホスピタルでの虐待事件が報じられている。不祥事は繰り返し繰り返し起こり続けている。

そして、ETV特集でも、神出病院事件の第三者委員会報告書においても、行政監査の杜撰さや事前通告の問題は指摘されている。監査の日は身体拘束の用具を隠すなどの隠蔽行為は日常的に行われていた、と双方の病院では言われている。これは医師の性善説を「建前」とした監査であるがゆえに、不正がないかをチェックする技量がない行政事務職による書類中心主義の監査であったのが背景にある。さらに言えば、朝倉病院事件でも滝山病院事件でも、過剰な医療による保健医療点数の過剰請求が問題になっているが、そもそもここには医師の性善説が背景にあり、医療内容について踏み込んだ審査が日常的に行われていない、という背景もある。そして、こういう行政の不作為については、情報公開がなかなかなされない、という問題もある。

・・・と書いてみたところで、虚しさがすごく残っている。20年前に指摘しても、今もそのままで、変わっていないじゃん、と。ただ、そのことについて、20年前と今の自分では、スタンスが違う。20年前は、「ここが問題だ、これを変えなければならない!」と熱い想いでこの論文を書いていた。もちろん、今でもその想いを捨て去ってはいない。だが、冒頭に引用した悪循環の話に戻ってみよう。20年前、繰り返される不祥事に対して、それを解決しようとしてこの論文を書いた。だが、20年後も同じ悪循環が反復的に繰り返されている。確かに、虐待や人権侵害をする個々の病院・組織・スタッフの問題性は許しがたい。だが、それを指摘し、告発しても、同じ事が繰り返されるとしたら、その指摘や告発をするぼく自身のアプローチが、「偽解決」になってはいないか。そう思い始めているからである。

ただ、急ぎ断っておきたい。ETV特集や神出病院事件の第三者委員会報告書は、すごく大切で、重要な指摘をしている。報道機関による虐待報道もすごく大切だ。そういう優れた仕事にケチを付けたいのではない。そうではなくて、僕はこのETV特集を見たときに、「20年前と変わっていない」と思ってしまった。20年前に書いた論文で指摘した構造的問題がそのままではないか、と。そこから、深く自分に問い返すのだ。「それが問題だ」と指摘する、タケバタヒロシ自身の批判や指摘の仕方自体が、「これを解決しようとする行動に出るが、この解決行動自体がとうの問題を生み出してしまう」解決方法であり、偽解決ではないか、と。再び『悪循環の現象学』に戻ってみたい。

「例えば『金銭は諸悪の根源である』と言う人々は、自分もまた『諸悪の根源』であるところの『金銭』と日常的に関わっているにもかかわらずに、こう語ることによって自分だけは『諸悪』と関係ない人間であるかのような顔をするだろう。それは、まさに社会学者の顔だったのである。このように、紋切型の普及は、社会学的な認識が人々に共有されていることによって陳腐化されてしまっていること、つまりは社会学もまた紋切型の一種になっていることを示しているのである。」(p142)

精神病院への批判は、これまで繰り返し繰り返し書き続けてきた。例えばウェブで読めるものだけでも、「誰のため、何のための「改正」? 精神保健福祉法改正の構造的問題」とか、「精神病棟転換型施設を巡る「現実的議論」なるものの「うさん臭さ」」などあるし、紙媒体にも何度も書いてきた。あるいは、一年前のETV特集については、「隔離収容とコロナ危機」というブログ記事も書いた。盛んに精神病院を批判し続けてきた。でも、こうやって批判するぼく自身の文体や内容が、「紋切型」ではないか、と思い始めている。

「○○は諸悪の根源である」と語るとき、自分自身はその「諸悪の根源」であるところの「○○」とは関係ない、高みの見物をしているという前提がある。このことを長谷さんは、自戒を込めて「透明人間」の失敗だと語る。

「社会学者は家族療法家のように振る舞うことに失敗し、むしろ神経症を促進するような役割を担ってしまった。なぜか。それは社会学が『透明人間』の視点から社会を観察し、分析し、批判してきたからである。『透明人間』とは、観察者としての自分だけが当該社会のなかに含まれないという前提で、社会を観察する者のことであった。つまり、社会学は、社会学という学問や社会学的な認識が現実には存在していないかのようにして、社会を分析してしまった。このことが近代社会の病理に対する社会学の処方箋を狂わせたと言えよう。結論的に言えば、透明人間の視点から為された社会学は、第一に『不器用さ』を分析する側にではなく、『不器用さ』を促進する側にたってしまったし、第二に紋切型を分析対象とすることなく、自ら紋切型となって神経症的悪循環を作り出してしまったのである。」(p138-139)

「隔離拘束は諸悪の根源である」とは書いていないが、似たような事は「クローズアップ現代」に出演した後のブログ「身体拘束を減らす4つの視点」などでも指摘し続けてきた。この際、ぼく自身は、確かに「透明人間」的な書き方だったかもしれない。自分は現象を客観的に観察している観察者であり、観察者は現場に影響を及ぼさない、と思い込んでいた。だが、精神病院に対するジャーナリストや研究者による批判は、確実に当の精神病院に影響を与えている。それは師匠の大熊一夫が半世紀前に書いた『ルポ・精神病棟』の中でも、精神医療従事者からの反論として掲載されている。つまり、批判の声が全く現場に届いていないから何も変わっていないのではなく、その声が現場に届いているにもかかわらず、現実が変わっていない・固定化されているという前提で物事をみる必要がある。

その上で、長谷さんの指摘する「透明人間の視点から為された社会学は、第一に『不器用さ』を分析する側にではなく、『不器用さ』を促進する側にたってしまったし、第二に紋切型を分析対象とすることなく、自ら紋切型となって神経症的悪循環を作り出してしまったのである」という点について、分析する必要がある。

この際の「『不器用さ』を促進する」を、悪循環の再演と捉えると、どのような事が言えるだろう。精神病院における不祥事の告発や批判が「透明人間の視点から」なされた場合、当の問題を繰り返し反復させる。そして、精神病院への批判が「自ら紋切型となって」=偽解決になって、精神病院での虐待や人権侵害という「神経症的悪循環」を生み出している。このような仮説を抱いたら、どのようなことが言えるだろうか。

再び、滝山病院を巡るETV特集に戻ってみたい。あの報道の中で、この種の病院は「必要悪」だと何度も語られていた。透析が必要な精神科の患者を受け入れてくれる病院はなく、遠方からも入院要請があると。そして、院長とされる音声でも、自嘲気味に、死亡退院が多いのも仕方ないといった発言をしていた。それは、「透明人間」ではなく、アクチュアルなタケバタヒロシとして、見覚えのある話だった。

精神疾患と人工透析を併発した直接面識のある人のこととを思い浮かべると、その「必要悪」という言葉が、重くのしかかる。アルコール依存症で透析をしながらも、こっそり隠れてアルコールを飲み続け、失踪したり、家族にも暴言を振るい続けてきた。家族は見放さなかったが、「打つ手無し」と一般の透析病院から見捨てられかけていた。家族の働きかけがあって、何とかその病院での治療は継続し、結果的にそこで亡くなったが、もし病院からの強制的退院が通告されたなら、滝山病院やそれに類する病院に入院するしかなかっただろう。すると、あの人も、映像内に出てくる人と同じような処遇をされたかもしれないのだ。

社会的なルールを守れない。それは、アルコール依存症で腎臓も肝臓も壊れかけていて、人工透析で何とか保っているのに、隠れてアルコールを飲み続けた彼も、まさにそうだった。でも、今から思うと、彼は「苦しいこと」をアルコールを飲む形でしか表現出来ない状況に構造的に追い込まれていた。「苦しみ」として昇華できず、アルコールを飲みつづけ、友人や仲間、仕事も亡くし、家族にも愛想を尽かされながらも、でも必死で飲んで「苦しいこと」を表現しようとしていた。だが、それは理解されず、一般の透析病院でも見放されてきた。

それはなぜか? ぼく自身も含めて、この社会では、一般的なルールを守れない人の内在的論理を理解しようとするアセスメントがなされず、「ダメな人」「困った人」「周囲に迷惑をかけるひと」とラベルが貼られ、社会的に排除されているからである。そして、そういう人に医療が必要な場合、引き受ける病院は限定的であり、それが「必要悪」とされた滝山病院のような収容所を温存させることになる。事実、ETV特集の中では、生活保護のワーカーが率先して入院に切り替えていた様子も報じられていた。その患者さんは、透析治療を無断で辞めたから、滝山病院への入院だとも報じられていた。

ここから、透明人間ではなく、この社会の一員として、分析しなければならないことがある。「周囲に迷惑をかけてはいけない」という不文律の、しかも強固な日本社会の価値前提をあなたも私もシェアしている。そして、その不文律を破った人は、排除されても仕方ない、と思い込んでいたり、そういう人を処遇する場も「必要悪」だと思い込んでいる。この価値前提がぼく自身にないか、が問われているのだ。

これは、様々な神経症的悪循環の連鎖である。まず、この社会で「頑張って迷惑をかけずに生きている」と思い込んでいる人は、自分とは違う「迷惑をかける、注意しても聞かない他者」の事が容認できない。だから、そういう人は劣等処遇されても仕方ない、と無意識・無自覚に思い込みやすい。また、そういうメンタリティを持ったまま、「困難事例」「問題行動」とラベルが貼られた人を支援すると、「あいつが悪い=私が悪くない」と思い込みやすい。この二項対立に支配されると、患者への劣等処遇や虐待、人権侵害も、「私は悪くない」と容認されてしまう。そして、その二項対立に支配されているのは、個別の看護師や病院に限ったことだろうか? 「迷惑をかけ続ける人は自業自得だ」という二項対立的発想に、ぼく自身もあなたも罹患していないか? すると、滝山病院への批判の眼差しは、「必要悪」だと容認している、日本社会に暮らすぼくたちの認識前提そのものにも問い返さなければならないのでは、ないだろうか?

そう考えていくと、かつて相模原での障害者連続殺人事件に関してブログ(不幸な二項対立に陥らないために)に書いた児玉真美さんの悲痛な叫び声も聞こえてくる。

「障害を社会モデルで捉えるように、親の様々な思いや行動もまた、社会モデルで捉えてもらうことはできないでしょうか。『親は一番の敵だ』で親をなじって終わるのではなく、『親が一番の敵にならざるを得ない社会』に共に目を向けてもらうことはできないでしょうか。」(児玉真美『殺す親 殺させられる親』生活書院p264)

こういう事件が起こるたびに、入所施設や精神病院に入れる家族が悪い、という紋切型の批判も出てくるし、かつては僕も似たようなことを書いたことがある。でも、『親が一番の敵にならざるを得ない社会』に共に目を向ける、ということは、滝山病院問題に戻れば、「滝山病院が必要悪として温存されてきた日本社会」そのものに、共に目を向ける必要があるのだ。そして、そのような「必要悪」構造の悪循環を解消するための方法論が模索されないと、「周囲に迷惑をかける人の行き場所」という「ニーズ」は社会的に残り続け、それが滝山病院的な収容所の温存に繋がる。これは精神科だけでなく慢性期の老人病棟の中にも、同種の構造が残り続けていると思う。そして、それを必要としている家族や社会があるのだ。

個別の病院や医療従事者の権利侵害を免責するつもりはない。法を犯す行為に対して、厳正な処罰は必要不可欠だ。でも、個々の病院を糾弾するだけでは、偽解決であり、悪循環は増幅していく。10年後も20年後も、同じような問題を起こす病院の問題は、繰り返し出てくる。それは、『ルポ・精神病棟』が書かれて半世紀後にも、同じ構造が残っていることからも、明らかだ。

では、どうすればよいか。それも、以前のブログ(『チッソは私であった』と向き合って)で書いた緒方正人さんのことを思い出す。

「私自身も今では車も運転し、船も木造からFRP(強化プラスティック)になって、情報を新聞やテレビから得、電化製品の中にあるわけです。確かに私自身が水銀を流したという覚えはないですけれども、時代そのものがチッソ化してきたのではないかという意味で、私も当事者の一人になっていると思います。しくみ全体が、そういうふうに動いてきているということがあると思います。かつては、チッソへの恨みというものが、人への恨みになっていた。チッソの方は全部悪者になっていて、どっか自分は別枠のところに置いていた。しかし、私自身が大きく逆転したきっかけは、自分自身をチッソの中に置いた時に逆転することになったわけです。水俣病の認定や補償や、医療のしくみを作ることではすまない責任の行方が、自分に問われていることを強く感じていました。」(緒方正人著『チッソは私であった』、河出文庫、p73)

緒方さんは、チッソ被害者の1人である。裁判でも戦い、「チッソの方は全部悪者になっていて、どっか自分は別枠のところに置いていた」という意味では、「透明人間」的だった。だが、かれは自分がチッソ化した時代の中で、チッソの恩恵にあずかっている、という当事者性を自覚してしまった。そうすると、「水俣病の認定や補償や、医療のしくみを作ることではすまない責任の行方が、自分に問われていることを強く感じ」たのだ。

「透明人間」から脱するためには、「問題の一部は自分自身である」と捉え直す必要がある。使い古されたが、今でも大切なフレーズである。問題行動と偽解決の連鎖を解消したければ、問題行動を指摘する己自身のアプローチが、偽解決ではなかったか、を検証し、コミュニケーションパターンを変えて行く必要があるのだ。

2年ほど前、こんな文章を書いた。

「精神病院やそこで働く人々が、そのような「問題行動」「処遇困難事例」 に対して、率直に自らが治療できていないと認められない場合、トラウマ症状の人が引き起こすのと同じ解離現象が生じるのではないか、という妄想すら浮かぶ。解離現象は、圧倒的なトラウマ経験をした人が、そのトラウマの直面やフラッシュバックを避ける為に自己の 一部を解離させる現象であるが、精神病院やそこで働く人々も、支援者自身や支援組織のトラウマへの直面を拒否するために、支援者自身の人格の一部を解離させて、直視せずに・な かったことにしている可能性はないか。精神病院における度重なる人権侵害や暴力の背後 には、そのような支援者や支援組織の「解離性障害」の可能性すら感じてしまうのだ。」(「支援者の脱施設化の思想 : トラウマ化された病院を越えて」

今回の滝山病院問題を見て、この時に書いた内容を改めて思い出す。トラウマ化された支援者や病院が、その「不器用」な構造から抜け出せない。それを外から正義の論理で批判しても、支援者や支援組織が「罹患」している、組織病理としての「解離性障害」を乗り越えることは出来ない。そして、透明人間としてそれを客観的に語ると、その悪循環は増幅される偽解決になる。その偽解決を超えるためには、組織的・構造的トラウマをどのようにしたら乗り越えるのか、別のやり方がありうるのか、を精神病院の中の人と共に考えることなのではないか、と思う。

これから何が出来るかわからないが、「自ら紋切型となって神経症的悪循環を作り出してしまった」ことを認めた上で、それ以外の方法論を模索したい。そう感じている。