「昭和98年」的世界は嫌だ

子どもが生まれた2017年から、「ケアの倫理」に関する科研費研究班に混ぜてもらった。そこでジョアン・トロントの本を読むというので、しかも翻訳が出ていないというので、赤子をスリングに入れながら英語文献を読んでいた。その時、彼女の大著Caring Democracyを読む前に、とりあえず講演録として出ていてすっと読めてめっちゃ面白かったのが、今日ご紹介するWho cares?である。で、その研究会で同じく読んだ名著『フェミニズムの政治学』の著者の岡野八代さんが翻訳してくださった。それを今回改めて読んで、学ぶことが多かった。

「ケアとは、必要を満たすものであり、だからこそ、常に関係的です。たとえば、自転車で転んだ子どもの擦り剥けてしまった膝は、擦り傷やばい菌をどう処置するのかといった問題だけでなく、この世界でそのことが安全だと感じる条件をどう想像するのかといった問題にも関わってきます。」(ジョアン・トロント『ケアするのは誰か? 新しい民主主義のかたちへ』白澤社、p25)

子どもがけがをする。痛いと泣き叫び、時には血を出したりしている。そういう時に、傷の処置をして、泣いている子どもをあやす。それは可及的速やかに求められるケアである。でも、子どもが同じけがを繰り返さないように、けがをしない遊び方について一緒に考えたり、アドバイスをすることは、けがの処置が終わり、子どもも落ち着いたらすべきケアである。更に言えば、子どもが普段自転車で走る環境のなかで、けがをしやすい場所がないか、とか、少し俯瞰的に見直してみることも、中長期的なケアにあたるかもしれない。トロントが指摘するように、それらはすべて関係的である。そして、具体的な関係性の中で、個別的な事象(今回なら自転車で転んだという出来事)を通じて、ケアは発動する。これは標準化も規格化も出来ない、一回限りの出来事の連続としてのケア、である。

一般的に、ケア関係とは、子どもや障害者、高齢者など、特定の社会的弱者に提供される、固定的なイメージと受け取られやすい。でも、トロントが言うように、ケアは関係的なのである。ぼくだってあなただって、必要がひとりで満たされないような状況に構造的に追い込まれたとき、それを満たしてくれる人との間で、ケア的関係性が生まれる。

「おそらく、賃労働の六分の一は、いまやケアに費やされています。人生の指南役、犬の散歩、病院での介助士、料理人、教師、結婚プランナー、自動車整備、そしてソムリエまで、あらゆることがケア実践に関わっており、市場でこうしたケアは売られています。」(p51)

確かに、来月オイル交換の時期だが、ぼくは自動車整備士の人に交換業務をしてもらい、ついでに定期点検をしてもらって、車の調子についてケアしてもらう。好きなワインを買うのは、馴染みのソムリエさんのお店であり、ぼくの好みとかお財布事情を知っていてコスパのよい&美味しいワインを勧めてくれるケアを享受する。このように、ケアの一定程度は賃労働を通じて消費されている。でも、ケアはそれだけには限らない。

トロントは、ケアについて、従来の議論では4つの類型に分けられていた、という。

1,関心を向けること(Caring about)
2,配慮すること(Caring for)
3,ケアを提供すること(Caregiving)
4,ケアを受け取ること(Care-receiving)

この4つは、皆さんもイメージしやすいことだと思う。公園で小さな子どもが自転車に乗っていると気づいた上で(caring about)、こけそうになったら走り寄る配慮をし(caring for)、泣いていたらケアはないかと確かめる(caregiving)。なだめてもらった子どもは、痛いけど大丈夫と言って(care-receiving)、また自転車をこぎ始める。これはケアのプロセスとして、日常的に行われている。

だが彼女の議論の特筆する点は、そこに新たな項目を付け足しているところである。

5,ケアを共にすること(Caring with)

彼女はこの第五の局面を「新しい民主主義の理念だ」として、以下のように述べている。

「私たちが平等化しなければならないものは、ケア提供という行為そのものではなく、ケアに対する責任であり、そしてその前提条件として、いかにしてその責任が[社会の中で]配分されるべきかについての議論なのです。こうして、わたしたちは、新たな民主主義の定義を手にすることになります。民主主義は、ケア責任の配分に関わるものであり、あらゆるひとが、できるかぎり完全に、こうしたケアの配分に参加できることを保証する。」(p39)

一気に難しくなったようにも思えるが、さにあらず。

子どもが公園で自転車に乗って遊んでいるとき、それを見守るケアを誰がしているか。土日なら、近所の公園ではお父さんが結構見守りをしている。でも、平日の未就学児のケアとか、あるいは夏休みの小学生のケアとかを誰がしているか。それは、圧倒的にパートタイム労働や専業主婦の女性である。夫婦共働きも増えてきたが、子どもが熱を出した、風邪を引いたときに早退するのも、圧倒的に女性である。更に言えば、家の洗剤や歯ブラシなどの消耗品を買うのは誰か、それを収納するのは誰か、PTAとか町内会の役を引き受けるのか誰か、子どもの習い事やお友達と遊ぶ際の送迎やスケジュール管理をするのは誰か・・・これらは圧倒的に女性なのである。つまり、ケア責任の配分に関しては、現代日本社会において、圧倒的に女性に偏っている。

それは、男尊女卑的事態である、だけでなく、日本社会が職場で働かせ過ぎている社会であり、夜中まで残業しないとラットレースに残れないような、弱肉強食の社会であるからだ。それを夫婦のどちらかが出来ないというと、管理職から下ろされてしまう。まさに、昭和的な「24時間戦えますか?」マインドが未だに続いている。それを朝日新聞の連載で「昭和98年」と銘打った連載にしていて、思わず唸った。そうか、昭和が終わって40年近く経つのに、未だに昭和98年なんだ!と。本当に、たまらんしんどさである。

最近、あちこちで「昭和的価値観をどう成仏して乗り越えられるか」について語っている。これも実はネタ元はトロントである。彼女はこんな風に語っている。

「『共にケアする』という代案は、あらゆるひとに、より少なく働くこと、つまり、日々のケア実践にある一定の時間を割くように要請します。もちろん、こうした変革が実際に効果を発揮するためには、わたしたちが自分の時間や、働く場所、そして自分の労働に対していかに対価を受け取るかについての考え方に革命を迫るでしょう。いまは多くの労働者は、毎日二十四時間自分の仕事に義務を感じていて、家からEメールに返事をしたり、深夜に世界の反対側で行われているプロジェクトの状況をチェックしたりして、一日を終えるのです。[このような状況のなかだからこそ]誰もこんなふうに完全に、仕事をケアの必要より上に位置づけるべきではないと、社会全体でわたしたちが決めることは、より一層、とても意味のあることとなっているのです。」(p57-58)

この文章を最初にkindleで読んだ6年前も、線を引きながら読んでいたので、深く覚えている。そうそう、ぼくは子どもが生まれた頃までは、まさに24時間戦闘態勢で、ずっとメールを見ていたし、休み無く働き続けてきた。それが社会から求めらていることだし、そうしないと研究者として評価されない、と思い込んでいた。でも、他者がケアをしないと死んでしまう赤子を前にして、己の「ビジネスモデル」がいかにケアを無視したものであるか、ケアを放棄した上で成り立っているか、を、本当に痛いほど感じた。まさにケアを度外視して、仕事をしていたのである。そして、それでは子どものケアは出来ない。そして、仕事中心主義から降りた時に、まさに「戦線離脱」の恐怖を感じたのだ。

だからこそ、トロントは、これは個人の問題ではなく、政治の問題であり民主主義の問いだ、とハッキリ指摘する。子どもが生まれてみて、「仕事が忙しいから」とケア役割から逃げていたら、それは不平等に加担することになる。そういう「昭和98年」的な抑圧的世界に加担することになる。それがいやなら、ケア責任の配分に参加しなければならないし、それを通じてケアの平等を実現しなければならない。それは、仕事の仕方を変えることであり、仕事にのめり込んでいた自分の生き方をも変えることを求められたのだ。でも、戦線離脱の恐怖の中で、ぼくにとって一筋の光になったのが、このトロントの講演録だった。

「わたしたちはこれまで、物事を逆さまに捉えてしまいました。すべてのひとにとって、善く生きるための鍵は、ケアに満ちた生活を送ることです。すなわち、必要なときにひとは他者から、良くケアされ、あるいは自分自身でケアできる生活です。そしてそれは、他の人びと、動物、そして、自分の人生に特別な意味を与える制度や理念のために、ケアを提供する余裕がある生活です。」(p66)

ぶっちゃけて言うと、ケアは余裕がなかったら絶対に出来ない。ケアは余裕の産物なのだ。でも、現代社会において、それが過度に商品化されている。すると、購買力のあるパワーカップルは商品購入で代替できるが、専業主婦やパート世帯、あるいは非正規カップルやシングル世帯などは、自分たちで何とかするしかない。そこにケアの格差が生じてしまう。それは、あまりに不平等である。

この状況は「物事を逆さまに捉えて」いた状態なのだ。前提としてあるのは、善く生きるために必要なものは仕事ではない。「善く生きるための鍵は、ケアに満ちた生活を送ることです」。ということは、仕事に埋没できる環境を保証するのではなく、ケアに満ちた生活を送るための前提条件こそ、社会的に保証されなければならない。そのために、制度や政策を変えていく必要があり、そのための政治が求められているのである。

この点に関して、訳者の岡野八代さんは、「特権的な無責任さ」と指摘している。

「既存の政治、既存の社会の中心が、特権的に、ケア活動に関心がなく、担わなくてもよく、<自分が知ったことではない Who cares?>と誰かに押しつけておくことのできる者たちの無責任さに覆われていることに、否応なくわたしたちは気づくことになる。」(p111)

そう、この「特権的な無責任さ」を持っていたのは、育児に関わる前までのぼく自身だ。岡野さんの指摘でハッとしたのは、「誰がケアをするのか? (Who cares?)」って、<自分が知ったことではない Who cares?>とダブルミーニングだったのだ。言われてみたらその通りなのだけれど、そのことに気づいていなかった。そして、「昭和98年」を生きる多くのサラリーマン男性や管理職が、「<自分が知ったことではない Who cares?>と誰かに押しつけておくことのできる者たち」であり、彼らは「特権的な無責任さ」を持ち、そのことにすら自覚的ではないのだ。まるで、以前のぼくと同じように。

だからこそ、誰かにケアを押しつけていることを、<自分が知ったことではない Who cares?>と言い放つことは、民主主義に反することであるし、アカンことや!と指摘することから、ケアを共にするCaring withがはじまる。あなたも私も、ともにケア配分の責任を引き受けようよ、男も女も平等にケア責任を配分できるような社会にしようよ、そのために働かせ過ぎの職場環境を変えようよ、と。それでは仕事が回らないなら、そもそもその仕事の回し方こそ変えようよ、と。ワークライフバランスなるものを本気で突き詰めようとするなら、このCaring withのラディカルさを引き受ける必要がある。そうしないで表面的に育休を男性でも1週間ならとってもいいよ、とか、その間にリスキリングしておいてね、という発想は、まさに<自分が知ったことではない Who cares?>という特権的な無責任さを手放していないと告白しているようなものだ。

そして、そんな社会はいやだ。「昭和98年」的世界は嫌だ。

男と女で、賃金に格差をつけない。より少なく働き、トータルの労働時間でカバーできるような社会に変えていく。<自分が知ったことではない Who cares?>という「特権的無責任さ」を自覚化して距離をとり、ケア配分の民主化を目指す。そのために、業務内容や働き方を徹底的に効率化する。こういうことこそ、ほんまもんの「創造的破壊=イノベーション」なのだと思う。そういうプロセスを積み重ねることで、「昭和98年」をやっと成仏出来る。20世紀型システムと、区切りをつけることができる。

そんな風に感じた。

ファンタジーとcaring with

最近、児童文学を通じてファンタジーの世界に少しずつ「お近づき」になっている。ルチャ・リブロの司書、青木海青子さんにお薦め頂いて、『フィオナの海』『夏の王』『鬼の橋』『新月の子どもたち』『トムは真夜中の庭で』と読み進めてきた。どれもすごく面白い。『鬼の橋』については、こないだオムラヂ(生きるためのファンタジーの会)で2時間くらい、青木真兵さんや現代書館の編集者、向山夏奈さんも交えて熱く語った。

で、次に海青子さんからお薦め頂いたのは『まぼろしのすむ館』である。これも読み出したらめちゃくちゃ面白くて、まさか最後に『トムは真夜中の庭で』とつながる展開になるとは思いも寄らなかったのだが、読みふけってしまった。そうやって色々素晴らしい児童文学を読みながら、ぼく自身が気づきつつあることがある。

ぼくは4回目の年男なのだが、1回目の年男の時に果たせなかった通過儀礼というか成熟課題に、いま・ここ、で出会っているのかもしれない、と。

小さい頃は、「こどものとも」が大好きでよく読んでもらっていた。その後、小学生以後、かこさとしや『ズッコケ3人組』『怪盗ルパン』など読んできた。だが、小学校高学年から物語から遠ざかり始め、小学校高学年から中学生くらいが対象年齢の児童文学は全く読んでいない。代わりに小学校高学年から趣味の本を読みあさるようになり、「鉄道ファン」→「鉄道ジャーナル」→「アサヒカメラ」を中高と読み続けてきた。鉄道ジャーナルとかアサヒカメラは、毎月2,3回読んだ後、バックナンバーも読んで、翌月号に備える念の入れよう。鉄道ジャーナルに関しては古本屋で過去のバックナンバーも色々買いそろえていたように思う。その間、中学校くらいから星新一の『ボッコちゃん』に始まり、北杜夫の『どくとるマンボウ』シリーズ、『十五少年漂流記』に『大地』などの翻訳物も含めた一般小説に手をつけ、高校生では遠藤周作や太宰治、椎名誠に灰谷健次郎などを読み、大学生以後はら村上春樹にどっぷりはまり込む、というパターン。でも、新書やノンフィクション、哲学や社会学などの本を読むのに比べたら、フィクションを読む量は極めて限定的である。マンガはほとんど読めていない。

そして、最近、児童文学を読み進めながら、何が素晴らしいのか、なぜ今読みたくなっているのか、が少しずつ、自分にも理解でき始めた。

ぼくがお薦め頂いて読んでいる児童文学は、まさに思春期における通過儀礼が主題になっている。主人公は、大人になる前の、身勝手だったりわがままだったり智恵が十分についていない、端的に言えば「未成熟」な子どもである。そして、日常から離れた異空間の中に放り込まれ、様々なハプニングに遭遇し、追い詰められたり、切り抜けていきながら、まったく自分でコントロールできない状況を少しずつ把握し、パッチワークのように手がかりを集めながら、やがて地図の断片から少しずつ核心へと迫っていく。それは一人では出来ないので、仲間が必要だ。ぼくが読んできた児童文学では、異性の仲間が重要なパートナーとなる。ただ、村上春樹の小説と違うのは、セックスは入らず、恋愛感情があってもほのかなレベルで終わる。大切なのは、独りよがりにならず、仲間を信じて、仲間を助けて・助けられて、タフな旅にこぎ出すのだ。その中で、大きな試練にも立ち向かう。

そして、その試練に立ち向かう中で、気づけば未成熟な「子ども」を超えて、青年期の仲間入りをしていく。それは、身体的成長というより、精神的な成熟である。成長とは測定可能で目に見えるものであるが、成熟は目に見えないが明らかに以前とは異なっていると本人も周囲も気づく内的変化である。成長がスペクトラム上の連続性の中での変化なのに対して、成熟は連続性ではなく、以前とは全然違う姿への変容である。後戻りの出来ない変容であり、位相や世界観、パラダイムがごっそり変容している。その中で、深みが増し、陰影というか「陰」の部分を備えるようになったために、「光」の部分も増していくのだと思う。後戻りできない悲しみ、何かを乗り越える辛さ、にもかかわらず前に進まなければならないという覚悟、それらをない交ぜにした陰影をしっかり自分に刻み込むからこそ、他者の陰影もしっかり理解し、受け止める事が出来る。

そして振り返ってみると、「こどものとも」や「ズッコケ3人組」にはまだ陰影が現れていないし、太宰治や村上春樹になると、確かに成熟も描いているが、複雑な様相になってくる。すると、10代の思春期における陰影や変容を、そのものとして同時代的に描いているのは、児童文学の特色であり、まさにそれらの作品を通過することによって、思春期のこじれやしんどさが和らいだり、あるいは物語世界における成熟プロセスを読みながら、自分自身のこれから目指すプロセスを夢想することが出来るのである。そして、ぼくはその貴重な世界に触れないまま、ある種の通過儀礼を経ないまま、大人になってしまった。それは、なぜか?

今から思い返すと、小学校5,6年生の頃、いじめがクラス内に蔓延し、いじめられ、その後いじめる側の末端に加担した。クラスは学級崩壊状態で、先生を排除し、授業もろくに受けられなかった。その反動で、中学1年の時、「公立中学の勉強について行くため」に入った塾が猛烈進学塾で、夜中まで勉強していた。そういう環境であるが故に、子どもの自分が嫌で、一刻も早く大人になりたいと背伸びしていた。大人の会話に首を突っ込みたがるという元々の性質も手伝って、大人の雑誌を読みふけり、大人の小説に手を出して、大人的世界を経験しようとした。覚えていないけど、もしかしたら児童文学を、読んでもいないのに馬鹿にしていたのかもしれない。思春期の通過事例の時期に、その大切な主題を飛び越えて、「早く大人にならねば」と焦っていたのかもしれない。それゆえ、ある種の欠落を抱えたまま、コマを無理矢理進めることになったのだ。

6年前から子育てをし始めて、自分の中の子どもっぽさや、未成熟さが、嫌と言うほど目についてきた。一応社会人で、それなりに人生経験をこなしてきて、なんとか社会化されてきた、ほどほど社会を渡り歩いてきた、と思い込んできた。でも、運良く他者の目をごまかせたとしても、自分の未成熟課題は、目の前の子どもとの関係性の中で、容赦なく突きつけられる。子どもにむっとしたり、怒ったり、感情的になったり。そういうことを通じて、ぼく自身は「成熟せよ」と子どもから、何度も呼びかけられているのだ。

そういう時期だからこそ、児童文学が染み入る。ぼくが引き受けてこなかったかもしれない成熟課題をそのものとして引き受け、しっかり旅をしている。そして、児童文学って、そのどれもが、最近考え続けている「ケアを共にする(caring with)」が通奏低音の主題になっている。独りよがりな、自分さえ良ければそれでいい、とか、自己責任論とは真逆の、仲間と共に助け合いながら、苦境や困難、試練を乗り越えて行く旅。それは言い換えれば、「ケアを共にする旅」であるし、他者とケアを共にするからこそ、成熟していく、とも言えるのだ。

そうか、児童文学を読むことによって、ぼく自身も「ケアを共にする旅」に今からでも参加できるのか、というのが大きな発見だし、娘と共にある世界を希求するためにも、ぼくがまさに未成熟だった課題に向き合うためにも、この旅に「いま・ここ」で気づけた、出会えたのはすごく素敵なことなのだ、と思い始めてきた。

欠落している人生課題は、どこかで落とし前をつけるチャンスが現れる。ぼくにとっては、まさに生き延びるためのファンタジーであり、それは1度目の年男の時に出来なかったことを、4度目の年男でやっと果たすことなのかも知れない。あと二年で50歳という「知命」の時期を迎える。その前に、自らの宿命を理解するためにも、未解決だった成熟課題と「いま・ここ」で向き合えるのは、めっちゃ価値あることだ、と改めて感じている。

エピファニーと自己物語

自分自身に関する・開かれた、アカデミックな文体や論理で語る自己物語。直訳するとそんな感じになる『オートエスノグラフィー:質的研究を再考し、表現するための実践ガイド』(新曜社)という解説書を読んだ。その中で興味深かった内容を、オートエスノグラフィックに紹介したい。

「オートエスノグラファーは、エピファニーについても書く。それは、私たちを変化させ、自らの生に疑問を抱かせる、驚くべき、日常からかけ離れた、人生を変えるような経験である。その過程で、エピファニーはトラウマを刺激し、悲しみや不快を感じさせ、そして時にはより満たされた人生をもたらしもする。」(p28-29)

エピファニー(epiphany)を英英辞典で引くと、こんな風に書かれていた。

a moment when you suddenly feel that you understand, or suddenly become conscious of, something that is very important to you

「『これは自分にとって大変重要なことだ』と、ぱっとわかったと感じたり、ぱっとそう意識化できた瞬間」

僕にとって上記のようなエピファニーの瞬間は、東日本大震災以後の混乱期であり、子どもが生まれたあとの混乱期だった。どちらも、これまでの自分の当たり前や生きていく規範のようなものが大きく揺さぶられ、ぼくを「変化させ、自らの生に疑問を抱かせる、驚くべき、日常からかけ離れた、人生を変えるような経験」となった。そして、ぼくはそのしんどい時期を、自らの内的感覚を言語化しながら一体どういうことなのかを考察しようとした。それをブログnoteに書きながら考え、結果的には『枠組み外しの旅』『家族は他人、じゃあどうする?』という形で書籍化を果たすに至った。

今まで全く意識化できていなかったが、確かにこの二冊の出発点は自分にとっての大きな人生の転換期という意味で、エピファニーだった。前者では、それまで「すべきだ・しなければならない(shold, must)」で思っていた被災地支援と、「今の自分には無理だ」という「したい・したくない(would like to)」のズレが最大化し、気が狂いそうになっていた。だからR・D・レインの『ひき裂かれた自己』を読んで、まさに自分がその状態だと気づいて、そのことをブログに書いた。その後、ぼく自身の引き裂かれは、社会に求められたshould, mustを内面化して、魂が植民地化されているのではないか、という視点から、「魂の脱植民地化」に関する「枠組み外し」を掘り下げていき、1年後には本ができあがっていた。ちなみに、この「ボランティアのしんどさ」については、3月に出る『モヤモヤのボランティア学』の中でも深掘りしたオートエスノグラフィー的文章を書いている。

後者では、子育てを始めて以来、業績至上主義で馬車馬のように働いてきて、業績を積み重ねないと生き残れない(Publish or Prish)を内面化して、出張しまくる生活が、すべて立ちゆかなくなった。それは、生産性至上主義とかワーカホリックを無自覚に内面化していたぼくにとって、仕事依存を絶つ、という意味では、ある種の禁断症状や生き方への大きな問いがもたらされることだった。でも、この生産性至上主義を問い直す中で、ケアを基盤とした社会とは何か、を体感的に理解し始めたので、それを言語化していった。

つまり、僕が遭遇したエピファニーの意味や価値を考え、書いているうちに、本になってしまったのである。

「エピファニーは、私たちのなかに残る印象、『危機的な出来事が終わった後もおそらく長く』持続する『想起、記憶、イメージ、感情』を生み出す。これらのエピファニーは私たちを立ち止まらせ、省察へと導き、その出来事の前には探求する機会も勇気も持ち得なかったであろう、他者や私たち自身の姿を探求するよう促す。」(p50)

確かに、二つの書籍につながる言語化も、エピファニーとの出会いという圧倒的な体験がなかったら言語化することは決してなかったことだと思う。その圧倒的な出会いの中で、「私たちを立ち止まらせ、省察へと導き、その出来事の前には探求する機会も勇気も持ち得なかったであろう、他者や私たち自身の姿を探求するよう促」してくれたのだ。自分が所与の前提にしていた「枠組み」を問い直すこと、さらに言えば「生産性至上主義」というこの社会の前提を問い直すこと、そんな「勇気」は、圧倒的体験としてのエピファニーがないと、問い直せなかった。というか、問い直さないと、僕は生きていけなかった。

それでいうと、義父が亡くなった、というのもエピファニーの一つだ。その前後で、妻も大きく苦しみ、妻と共に生きるぼくも大きく揺り動かされてきた。そのことを言語化しておきたいと、葬儀が終わった後、忘れないうちにノートPCにメモを取り出したことが、「死にゆく者が生者を束ねゆく : アクターネットワークセオリーで辿る義父の死」という論文になっていった。

ただ、これらの文章が論文として機能するためには、「ナラティブ合理性」が求められるという。

「ナラティブ合理性は、ナラティブ蓋然性(probability)とナラティブ忠実性(fidelity)の二つの要素からなる。ナラティブ蓋然性は、物語が首尾一貫しており、つじつまが『合って』おり、そして矛盾がないときに存在する。物語に、読者はこう尋ねるる。『この物語は、語り手やキャラクターが述べたように起きることが可能だったのだろうか?』 ナラティブ忠実性は、物語の『真実性の質』を問う。つまり、『推論の健全性とその価値の真価』である。その物語について、読者はこう尋ねる。『その物語のなかの行動や相互作用は、『十分な理由』によって起きているか?』 そして、『この物語の教訓は、私の人生に関係していて、価値があるか?』」(p102)

「ナラティブ蓋然性」と「ナラティブ忠実性」という概念は知らなかったけれど、ぼく自身が上記の論考を書くときも、ここで語られた二つの合理性は大切にしていたことである。ナラティブ蓋然性については、首尾一貫した物語になるためには、ストーリーテリングが大切になってくる。特にエピファニーに基づいた記述の際、そのエピファニーが圧倒的なものであればあるほど、「ほんまかいな?」と疑いたくなる。だからこそ、それが「ほんまなんやなぁ」と読者に納得してもらうようなストーリー展開の記述が求められるのだ。それは、義父の死にまつわる記述でも、意識したポイントである。

ナラティブ忠実性について書かれた『推論の健全性とその価値の真価』というのも、深く頷く。圧倒的なエピファニー体験と、それが一体どのような意味や価値があるのか、理論的世界をロジカルにつなぐためには「推論の健全性とその価値の真価」が問われる。子育てをしながら己の生き方を問い直した際、それが生産性至上主義とどのようにつながっているのか、という「推論の健全性とその価値の真価」を丁寧に述べようとしたし、でもそれは理論の具体例で終わらないように、現実の現象と理論の結びつきを丁寧に辿ろうとした。

自分自身に関する記述であるオートエスノグラフィーだからこそ、その自分に関する語り=ナラティブの合理性はかなり重要視される。エビデンスはその語りにしかないのだから、ナラティブ忠実性やナラティブ蓋然性といった二つの合理性をしっかり打ち出さないと、信頼してもらえないのだ。

その上で、オートエスノグラフィーに関する「関係性の倫理」についても、以下のように描かれている。

「・著述の動機や方法を批判的に省察することで自己満足を回避する。
・『抑圧的システムを永続化していたり、その対象である事への自身の関わり』を吟味することで、経験を表現するときに、非難したり恥じたりすることを避ける。
・フィールドワークの経験を謙虚に、批判的に省察することによって、英雄視することを避ける。
・不正義や抑圧の批判的分析を提起することなく、自己や他者を犠牲者として位置づけることを避ける。
・研究者としてのアイデンティティと特権を認識することによって、自己正当化を避ける。
・あなたが表現する文化や経験の歴史、文化、ポリティクスについて学び、自己/他者との関わりを失うことのないようにする。」(p102)

「著述の動機や方法を批判的に省察する」というのは、オートエスノグラフィーにおいては肝となる関係性の倫理だと思う。自伝や自慢話のような「自己満足を回避」するためには、エピファニーに遭遇した後、どのように自らの生を生きてきたのか、それはそれまでの人生とどう違ったのか、なぜそのような価値観を抱いたのか、といったことに、批判的に省察を加えて行く必要がある。これは「英雄視することを避ける」ことにもつながる。

一方、ぼく自身が子育てを始めた際に、生産性至上主義にはまり込んでいると気づいて、深く自分を恥じた。だが、それは自分の個人的な問題というより、この社会の抑圧的システムの永続化が個人化された問題と捉えなければならない。だからこそ、個人化された問題の社会的意味や価値を省察することによって、「経験を表現するときに、非難したり恥じたりすることを避ける」ことが可能なのである。これは安易に「犠牲者として位置づけ」ることを禁じる、ということにもつながる。

最後の二つについては、研究者が自分のことを言語化する際への戒めである。「あなたが表現する文化や経験の歴史、文化、ポリティクスについて学び、自己/他者との関わりを失うことのないようにする」というのは、言語化の鍵になる。この本については、セクシャルマイノリティの当事者の語りについて書かれていたが、障害者文化であれ、子育てであれ義父の死であれ、その当事者文化の歴史やポリティクスをしっかり学んで言語化する必要がある。自分が代表例だ、という安易な標準化や普遍化をしないように、その物語が「表現する文化や経験の歴史、文化、ポリティクス」にリスペクトを常に抱きながら、その文化や経験の一表現に過ぎないし、他の表現だってもちろんあり得る、という立ち位置が求められるのだ。それが同じ文化や経験を共有する「自己/他者との関わりを失うことのないようにする」ためのポイントなのだと思う。

そういう意味で、この本に書かれていることは、ぼく自身が書いてきたものを確認する上でも、そして今後の自分の書くものを考える上でも、大切なリフレクションをもたらす一冊だった。

「会話がシステムをつくる」

対話についてずっと考えて、実践して、そういう場作りもしてきたのだが、自分自身の実践を振り返る上でも、すごく意味のある一冊と出会った。それが、トム・アンデルセンの原典・原点に触れる一冊である。

「膠着したシステムにいるすべての人があれかこれかのどちらかの観点から考えすぎていて、正しい理解や正しい行為が何であるのかを示す権利を巡って争いがちだということである。リフレクティング・チームは、あれもこれもやあれでもなくこれでもないという考え方を示そうとしている。」( 『トム・アンデルセン 会話哲学の軌跡』矢原隆行&トム・アンデルセン、金剛出版、p56)

対話が失敗するのはどういうときか。これは、アンデルセンが言うように、「あれかこれかのどちらかの観点から考えすぎていて、正しい理解や正しい行為が何であるのかを示す権利を巡って争いがち」な時である。「正しさ」を巡る争いは、時として「膠着したシステム」に帰着する。宗教や政治の話はタブーとされるのは、「正しさ」が一元的になりがちで、それが「あれかこれか」の話になりがちだからだ。コロナ下の3年間では、ワクチンやマスクを巡る話も、残念ながら「正しさ」を巡る「あれかこれか」になってしまった。だから、話題として避けるし、対話がしにくい。

そこで、彼は正しさを巡る争いから抜ける手段を明快に提示する。「あれかこれかのどちらか」でバトルになるなら、その視点を捨てれば良い。その代わりに、「あれもこれもやあれでもなくこれでもない」という視点を提示する。そして、それを提示するための手段として、支援対象者やその家族が話すのをじっと聴いた上で、支援者が「あれかこれかのどちらか」を指導するモードを捨てて、「あれもこれもやあれでもなくこれでもない」という可能性を示唆するトークをすれば、そこから会話システムが転換するのではないか、という実におもろい提案をする。そして、それをリフレクティングと名付ける。リフレクティングとはもちろんオープンダイアローグでも出てくる言葉なので表層的に知っていたが、「あれかこれか」を超える方法論だ、といわれて、深い部分で腑に落ちた。

そして、もっともしびれたのが、次のフレーズである。

「会話がシステムをつくるのであって、その逆じゃない」(p144)

たとえば「あの人困った人だよね」とか、「わからず屋だよね」という会話はしばしば聞かれる。その際、「困った人」や「わからず屋」というのは、名指しされたAさんならAさんの問題と俗人化される。リアルにもめ事に巻き込まれていると、Aさんたまらんなぁ、とつい言ってしまいたくなる。そして、そういう困った人にどう対策したら良いか、という「会話」がなされる。そこでは、困った人と被害を受ける人、というシステムが先に規定されていて、そのシステムに関する「会話」がなされる。

でも、「あの人困った人だよね」とか、「わからず屋だよね」という「会話」が、困難事例や問題行動という「システム」を作り出す、と考え方を転換させたら、何が見えてくるだろうか。困った人だよね、という「会話」が、「あの人は困らせる人で、私たちはそれに困っている」「あの人こそが悪い人で、私たちは悪くない」という「あれかこれか」の二項対立を生み出す。一方、相手の方も「私は○○の意図があってやっているのであって、私は悪くない」と思う場合がしばしばだ。すると「正しい理解や正しい行為が何であるのかを示す権利を巡って争い」が生じ、「膠着したシステム」になってしまう。

それを解きほぐすためには、会話を変えればよいのだ、とアンデルセンは教えてくれる。「あれもこれもやあれでもなくこれでもないという考え方を示」すことによって、「あれかこれか」の二項対立で視野狭窄になっている、その袋小路から抜け出すことが可能だ、というのである。

「もし、二人もしくはそれ以上の人々がいくらか異なる意味を保有していて、互いに聞き合うことができるならば、彼らの間の会話は容易に新しく有用な意味を創出するだろう。もし、二人もしくはそれ以上の人々がとても異なる意味を保有していたら、彼らは互いに聞き合うことが難しいと思うだろうし、互いに遮ったり、相手のことをただそうとしたりするかも知れない。そのようなことが頻繁に起きると、会話は壊れてしまうだろうし、そうなったときこそ本当に大きな問題が生まれるだろう。」(p172)

これは、トム・アンデルセンからバトンを受け継いだ一人、トム・アーンキルが『あなたの心配事を話しましょう』の中で書いている、「適度に異なるアプローチ(appropriately diffent approach)」を想起させる。同じ事を反復していては悪循環を増幅させる。でも、全く新しいやり方(=とても異なる意味)を提案したら、誰もそれに賛同してくれない。そのときに、同じやり方の反復でも、全く新しいやり方でもない、「適度に異なるアプローチ」をすると、相手も納得して受け入れてくれる可能性が高い。それを、アンデルセンは「二人もしくはそれ以上の人々がいくらか異なる意味を保有していて、互いに聞き合うことができるならば、彼らの間の会話は容易に新しく有用な意味を創出するだろう」と述べる。この意味は大きい。

まず、複数の人の間で意見は一致している必要がなく、「いくらか異なる意味を保有していて」もOKだし、それは違っていてもいい、という。ただ、「互いに聞き合うことができる」かどうか、が問われている。意見を言おう・押し付けようとせず、相手の内在的論理を丁寧に掘り下げて教わる、というスタンスである。そこで大切なのが、お互いが「いくらか異なる意味を保有」している相手の話を聞き合うことで、「彼らの間の会話は容易に新しく有用な意味を創出するだろう」と整理することである。

そして、これに深く頷くのは、僕が普段、実践していることををまさに言語化してくれているからだ。

例えば自治体や社協、福祉現場などの会議に呼ばれた際、以前の僕は、ある理念や価値観を重視して「○○すべきだ」と伝えていた。「有識者」として、それを「伝えなければならない」と思っていた。そして、それを受け入れられない場合は、「相手がわからず屋だ」と思い込んでいた。それは、完全なるモノローグである。

6年前にオープンダイアローグの集中研修を受け、ダイアローグ体験を重ねる中で、最近の僕は、自分が先に理念なり価値観を伝えることはしなくなった。それよりも、そこに参加する人々の「いくらか異なる意味」をじっくり聴くモードになっていった。その中で感じた疑問を口にし、「あれかこれか」ではなく、「あれもこれもやあれでもなくこれでもないという考え方」を膨らませていく会話を繰り広げていく。すると、一見するると「膠着したシステム」のように見えた事態も動き始め、「会話は容易に新しく有用な意味を創出する」のである。そういう意味で、会話が「新たなシステム」をつくる場面に遭遇することが、数多くある。そして、それは想定外の展開であり、その会話が深まっていくほど、そこに関わる僕は深く感動する。そういう事態が、しばしば生じている。

最近そういう対話の質の変化を感じていたので、それは一体何だろうか、と思っていた。でも、アンデルセンの本と出会って、「そうか、ぼくの対話への関わりが、相手やその場にとってのリフレクティング・プロセスになっていて、膠着したシステムを溶かす・緩める、新たなシステムを生み出す会話になっているからかもしれない」と思い始めている。そして、新たなシステムを生み出す会話では、次の様な展開が動き出すとアンデルセンは語る。

「会話は、まさにいま生き直している過去の経験の瞬間の動きへと話し手を連れ戻す。しばしば、聞き手は目の前の感情に引き込まれ、自分自身の表現に心をふるわせている話し手を見て心を動かされる。両者の心が動くこうした瞬間は、何が言われたことで相手の心が動かされたのかを探求するための絶好の機会だ。
そうした表現を『おし広げ』、ニュアンスを持たせることは、変化した記述や理解、あるいは現在の困難な瞬間から、願わくばより困難でない次の瞬間にどんなふうに進んでいくかという新たなアイデアに寄与するかもしれない。」(p150)

上記の記述を書き写しながら、「めっちゃわかるわぁ!」としみじみ感じていた。

ゼミ生や福祉現場の人と、1:1でじっくり話し込んでいるうちに、「心が動く」瞬間がある。対面であっても、オンライン越しであっても、涙を流したり、心をふるわせている相手と出会うことが、しばしばある。その際ぼくという「聞き手は目の前の感情に引き込まれ、自分自身の表現に心をふるわせている話し手を見て心を動かされる」のである。圧倒される瞬間であり、ああ、繋がったな、ちょっと前のブログで言うなら「結びが出来たな」と感じる瞬間である。

そして、そのような結びが出来る瞬間とは、確かに会話の中で、「まさにいま生き直している過去の経験の瞬間の動きへと話し手を連れ戻す」時に始まる。これまで「そういうもんだ」「どうせ」「しかたない」と思い込んでいた、膠着したシステムが、僕という聞き手が「いくらか異なる意味」をもって問いかけることで、揺れはじめる。それを感じたぼくは、さらに問いを重ねていく中で、「そうした表現を『おし広げ』、ニュアンスを持たせる」ことを意識する。「こうすべきだ・ねばならない」というshould,mustの言語を手放し、「いま・ここ」の相手に集中してお話しを伺っているうちに、「変化した記述や理解、あるいは現在の困難な瞬間から、願わくばより困難でない次の瞬間にどんなふうに進んでいくかという新たなアイデアに寄与する」ことが、自然と出来てしまっている。

その自分自身のプロセスを振りかえり、それがリフレクティング・プロセスだったのだ、と言葉を与えてもらったようで、すごく味わい深い、素敵な一冊だった。また、トム・アンデルセンに出会い、彼のリフレクティング・プロセスに魅了され、彼の足跡を訪ね歩き、刑務所でのリフレクティング・プロセスなど多くの現場に訪問していた矢原さんが訳してくださったからこそ、トム・アンデルセンが伝えたかったニュアンスが伝わってきた。読みやすい訳文や紹介文で、言語や文化を越えて、会話哲学のエッセンスのバトンを託してもらえた。本当に得がたい、有り難い読書体験だった。