他者から薦められないと読まない本、というのがある。前任校でご一緒した教育社会学者の児島功和さんから「この本いいですよ」と薦めてもらい、読んでみたら想像以上に面白くて、一気読みしたのが松村淳さんの『建築家として生きる 職業としての建築家の社会学』(晃洋書房)である。優れたフィールドワークの成果であり、建築家のことを全く知らない僕でも、その業「界」の内部のリアリティを知ることが出来た。が、面白いのは、彼の描く建築家の世界の記述を読み進めるうちに、僕が属する大学教員の業「界」と極めて似ている点がある、と思い始めた。その話をする前に、少し本のデッサンを。
松村さんはResearch mapの経歴にも明らかなように、大学で社会学を学んだ後、芸術系大学の建築コースの通信制コースで建築やデザインの基礎を学んだ後、実家の建築事務所で働きながら、二級建築士を取得し、その後一級建築士を目指すも挫折。そして、35才で母校の大学院で社会学を学んで、博士論文として「建築家」を対象としたフィールドワークを行い、この本の原型を書き上げる。しかも、書籍化にあたっては、磯直樹さんの本からブルデューの「界」「ハビトゥス」概念をしっかり学び直し、この本の中でもそれを入れ込んだ文責をしておられる。また、後半ではギデンズの「脱埋め込み化」「再埋め込み化」概念を用いながら、後期近代の建築家の変容を議論している。実に、社会学的な王道をいく本でもある。
この本の面白いポイントはいくつもあるのだが、まず建築家の歴史自体が面白かった。伊藤博文が明治期にお抱え外国人に建築科教育をさせ始めた時、そもそも建築家は公共建築を目指し、大工を筆頭とした伝統的な日本建築の集団とは違う世界を作り上げ、建築家の大半が官吏だった、という。しかし、戦災による住宅難から戦後住宅建築ラッシュを迎える中で、建築士資格も国家資格化され、建築家の世界も様変わりしていく。従来の官吏以外に、いわゆる①「スター文化人」としてテレビや雑誌で取り上げられる建築家、②住宅などを細々手がける独立型の建築家、そして③下請けをしたりデベロッパーの雇われの建築家、という三種類に分かれていく。「スター文化人」に関しては、丹下健三のような東大教授という文化資本の持ち主から、安藤忠雄のような高卒たたき上げが、どうのし上がっていくのか、の歴史的変遷や黒川紀章の立ち位置などの分析が、読み物として面白かった。
ただ、この本の分析の主軸は、既にマスコミなどで取り上げられている「スター文化人」以外の「周辺の建築家」(②、③)へのフィールドワークをしながら、「職業としての建築家」を浮かび上がらせた点であろう。実際に筆者自身が、③の経験がある社会学者なので、非常にわかりやすく、かつ実態に迫った形でインタビューがなされていて、読み応えがあった。そして、「周辺の建築家」が形成・維持されていくプロセスは、研究者のそれと類似性があるのではないか、と読みながら感じ始めている。
建築家の卵達が大学時代に写生や製図をした上で、その作品発表の場として「講評会」というプロの建築家や大学教員の前でプレゼンをする。そのことを分析した第三章において、こんな記述があった。
「ここで改めて大学で身につけたものを考えてみたい。もちろん、最低限の設計技術や図面や模型の作成方法、建築的な専門知識は身につけている。それらに加えて彼らが大学で身につけたものは、教員による文化的恣意を受容する『支配的ハビトゥス』であった。そこで教え込まれる文化的恣意は建築文化を背景に持っている。すなわち、教員の文化的恣意を受容する態度は、すなわち建築文化の生産と受容に貢献する態度につながっているのである。」(p89)
専門学校と大学の違いを語る中で、この「講評会」を通じて身につくものが記載されているのが、興味深い点である。現場のたたき上げ、あるいは専門学校で学ぶと、「最低限の設計技術や図面や模型の作成方法、建築的な専門知識」は効率的に学べる。だが、大学の機能はそれだけでなく、「教員による文化的恣意を受容する『支配的ハビトゥス』」であった、という点が興味深い。建築文化における審美観や価値前提など、建築家「界」の『支配的ハビトゥス』を学ぶことで、その業界での「信仰の圏域としての生産」(ブルデュー)を理解し、受容し、その共同体の一員になる上での必要な通過儀礼が「講評会」である、というのである。
これは、研究者の世界であれば、博士論文の公聴会であり、学会発表の場である、とも言えるだろう。どちらの場でも、支配的ハビトゥスとしての研究における審美観や価値前提があり、その中で、発表者に対する様々な「講評」がなされる。その「講評」には、なるほどと思うものも、そうかなぁと思うものもあるが、とにもかくにも同じ学術「界」の同業者として、互いの発表に質疑応答する中にも、「支配的ハビトゥス」が機能しており、僕も若手研究者の時、学会発表という場でそのハビトゥスを学んだような気がしている。
次に、周辺の建築家と研究者が似ているのは、それだけでは生活しにくい、という経済的側面である。大学の就職難は以前から言われているし、博士号取得者でも研究者ポストになかなか着きにくいのは、割と知られている。でも、建築家もマネタイズがしにくい、という指摘を読んでびっくりした。特に、報酬の高さと仕事の裁量の度合いで四部類しているのだが、報酬も高く仕事の裁量も多い「メインストリームの建築家」Aはごく一部である一方、「周辺の建築家」Bは仕事の裁量は大きいが、報酬が低い、というリアリティがある。また、「ゼネコンや設計会社、公的機関に雇われた建築家」Cは報酬が高いが、仕事の裁量は小さい。そして、独立して生きていこうとしても、仕事がない場合は「下請け中心の建築家」Dにならざるを得ず、そうなると報酬も裁量も低い、という。(p125)
これは研究者にも似た分類が出来そうだ。一流のジャーナルに掲載されたり、売れる本を書き続けたりメディアで活躍もしているい「メインストリームの研究者」Aは、そんなに多くはない。その一方、大学や研究機関に雇用され、その所属機関で求められている教育や研究をしながら、自分自身の研究も細々続けている「雇われた研究者」Bは一定するいる。だが、最近増えてきたが、研究機関に属さずに「在野の研究者」として活躍する人Cもいるし、ポスドクやオーバードクターとして大学非常勤講師をしながら、BやAを目指している人Dも少なくない。
そして、この本第Ⅲ部「後期近代と建築家の変容」が、建築家と研究者に限らず、多くの専門職の変容と当てはめても読み取れるような、普遍性の高い内容であった。
ギデンズは「脱埋め込み」を「社会関係を相互行為のローカルな脈絡から『引き離し』、時空間の無限な広がりのなかに再構築する」(ギデンズ『近代とはいかるなる時代か』p.36)と述べているが、建築家にとって、脱埋め込み化の最大の契機が設計支援ソフトであるCADの登場であった。それは、建築家に固有の・独占的なものであった高度な製図技術が、CADによっていとも簡単に再現され、標準化されていくプロセスでもあった、という。
「そのブランドを担保してきたものが建築家の図面やスケッチである。それを通して彼らの仕事が、秘犠牲や不確実性を含有した『標準化されない仕事』となった。しかし工学やコンピュータ技術が前景化していくことは、彼らの仕事から秘犠牲や不確実性が失われていくことを意味する。それは職能の存続にとって極めて重要な問題である。」(p257)
「CADによる図面の作成が一般化し、住宅のオリジナリティを支えた『手書き図面』を失うことで、建築家の設計する住宅のオリジナリティが毀損された。その結果、住宅メーカーと横並びに位置づけられることになったのである。住宅メーカーと横並びに位置づけられるということは、彼らの仕事もまた、建築コストやランニングコスト、安全技能、納期やアフターサービスを始めとした様々な付帯サービスが当然のように求められるのである。」(p238)
これは、「秘犠牲や不確実性を含有した『標準化されない仕事』」の威信や権威、専門性の高さが、CADというデジタルデバイスの標準化による、掘り崩されていくプロセスを描いたものである。これは、魔女の持つ「秘犠牲と不確実性」に恐れを抱いた医者達が魔女狩りをしていく『キャリバンと魔女』の話とも共通性の高い内容だと感じた。そして、両方とも、資本主義や近代化が進んでいく中での「標準化・規格化」の圧力や淘汰の中で生じたことである、という共通性がある。
そして、それは研究者もそうだし、教育者は特にそうである。ネット時代からコロナ危機下になって、スタディサプリやコーセラなど、オンライン教育の水準がどんどん上昇していく。Youtubeでも日本語字幕が簡単につくようになる。すると、研究者や教員の持つ「秘犠牲や不確実性」が減ってくるし、オンラインで提供される標準化された知識との差異をどれだけ示すことが可能か、が、僕にも問われているとヒシヒシ感じる。
ではスター文化人ではない市井の建築家や市井の研究者(=僕)は、この脱埋め込み化からどう逃れられるのか、どう再埋め込み化が可能なのか。松村さんはその可能性に関して、「カウンセラー」的な「ゆるやかな分業体制」に基づく、「まち医者的建築家」という視点を提示する。
「『住宅の設計をやっているとカウンセラーみたいな気分がしていて、設計っていうけど、実はカウンセリングみたいな。まあ説教まではしないけど、こういう風に考えたらどうですかとよく言っています。』・・・ここに看守できるのは、クライアントから専門家への一方通行の信頼関係ではない。そうではなくて、家づくりという共通の目標を分かち合った協働者としての専門家とクライアントの関係である。だからこそ、その関係性は、かつて頻繁に見られたような、建築家を『先生』と呼ぶような権威主義的なものではなく、フラットなものである。」(p245)
「L氏は、掛け金となる作品を創り卓越化を競い合う建築家として生きていくことよりも、『まち医者的建築家』としてクライアントの住宅に関する小さな要望や悩みに丁寧に耳を傾け、場合によっては自らも手を動かして要求に応えることに建築家として働く意義を見いだしている。」(p264)
「こうした再埋め込みメカニズムが有効に機能するためにはギデンズがいう『顔の見える専門家』の存在が重要になってくる。それは抽象的な専門知システム(本章の場合は建物に関する専門知)への『アクセスポイント』になることを期待される」(p265)
この部分に深い共感を伴って読み続けたのは、実はぼく自身が、現場の人々とコラボレーションする時は、まさに「カウンセラー」「協働者」「まち医者的」「アクセスポイント」になっているからである。
山梨で教員になった2005年から、山梨県内の様々な福祉現場や行政から、よくわからない依頼で相談が舞い込むようになってきた。定型的な相談は、僕の所ではなく適切な「専門家」に相談がいくのだが、ぼくの場合は「新規事業の立ち上げ」とか、「国からポンチ絵だけが示されているけど、どう実体化してよいかわらからない案件」が次から次へと相談されるようになった。
その中で、僕はそもそもよくわからないので、じっくり相手の話を聞きながら、相手がどのようなことを目標にしていて、何に躓いたり困ったりして、立ち行かなくなったり、絡まっている部分はどんなところなのか、を丁寧にじっくり聞くように心がけていた。これは「カウンセラー」的な立ち位置である。その上で、相手の目指すゴールを達成するためには何をどんな風に組み立てて良いか、を共に汗をかきながら考え合う「協働者」として動き続けてきた。だから、県の障害福祉課や長寿社会課の特別アドバイザーをしていた時は、県庁職員と一緒に自治体現場まで訪問し、文字通り足で稼いで、三者で議論しながら、何が出来そうか、の智慧を絞ってきた。そういう意味では、『まち医者的研究者』としてクライアントの福祉実践や福祉行政に関する小さな要望や悩みに丁寧に耳を傾け、場合によっては自らも手を動かして要求に応えることに研究者として働く意義を見いだしてきたのかも、しれない。それは、姫路に移り住んでも同じで、いくつかの自治体や社会福祉協議会などとコラボしている仕事も、だいたいそういう感じで進んでいる。
すると、僕の仕事って、「抽象的な専門知システムへの『アクセスポイント』」だったのかもしれなな、と思い始めている。そんな自分自身の立ち位置を、まさか建築家についての本から学ぶことになるとは思わなかったので、読み終えると、本当にびっくりした。でも、すごく再帰的な振り返りをもたらす一冊だった。