両端を眺めながら

この週末、二つの「端」を眺めている竹端がいた。

一つの端は、最先端の方。土曜にうちの大学で行われた「生涯学習フォーラム」で、基調講演の渡邉先生の話が面白い、と同僚から伺い、潜り込んでみた。確かにお話はメチャクチャ刺激的だった。「できごとの実相を伝える多元的デジタルアーカイブズ」というタイトルは、僕には最初ちんぷんかんぷんだったけれど、長崎や広島の原爆体験の記憶を、グーグルアースとくっつけながらウェブ上で融合させる事で、過去と現在をつなげ、記憶の断片を再組織化させるアーカイブスの紹介は、実に魅力的だった。また、東日本大震災後は、ヒロシマ・ナガサキのアーカイブスの経験を被災地に活かした東日本大震災アーカイブも進行している、という。
そのお話に魅入られながら、渡邉先生の一連のプロジェクトの発端になったという、ツバル・ビジュアライゼーション・プロジェクトのことが、ずーっと気になっていた。このプロジェクトは、地球温暖化で島がなくなってしまうかもしれない、という事で一躍有名になったツバルについて、現地に暮らす人びとの顔写真と、現地の風景写真に基づいて、「ツバルの別の様相(=できごとの実相)」を伝えようとするアーカイブである。ここで僕が圧倒されたのは、ある島に住む住民全員の顔写真を撮って、その人がどこに暮らしているか、をグーグルアース上で表示させている映像を眺めた時だった。その島の人びとと信頼関係を作った日本人の写真家が撮った、住民一人一人の顔写真をクリックすると、住民さんの一言が添えられており、しかもその人へのメッセージを送ることが出来る。このプロジェクトHPを通じて、全世界からツバルの住民宛に、メールも届く、という。そのつながりも、グーグルアースを通じて可視化していた。そのつながりの可視化と促進、という観点に、すごく魅入られながら、先生のお話を伺っていた。
先生の基調講演の直後、僕も別の場所で講演をする事になっていたので、直接先生に聞きそびれた事があった。それを、少しブログにしたためておきたい。それは、地方におけるつながりの再組織化に関して、というもう一つの端について、である。
僕はここ最近のブログでも書き続けているように、地域コミュニティにおける人びとのつながりの捉え直し、に興味を持っているし、関わり続けている。限界集落や高齢化率の高い地域における見守りネットワーク、あるいは地域包括ケアと呼ばれる支援体制をどう構築していけばいいか。その中で、住民主体の地域共同体再生に、福祉行政や事業所などがどう共同参画できるか。こうした問いが、福祉現場のフィールドワークを通じて、地方における普遍的課題として前景化している。こないだブログに引用した内山節氏のフレーズを用いれば、「ともに生きる世界があると感じられること」という共同体精神を、これからの地域社会でどう育んでいくか。この問いと直面している、と言っても過言ではない。
その際、ツバルのプロジェクトは、実はリンクしてくるのではないか、と直感しはじめている。ツバルのような、日本に住む私たちから見て周縁と思われる土地においても、その土地で暮らす人びとの営みや共同体がある。それを、前述のツバルプロジェクトは活き活きとデジタルアーカイブとして示してくれている。そこから、ウェブを通じた新たなつながりも創発されている。そこで、僕の中で生まれた問いは、「このウェブを通じた新たなつながりの創発」を、地域福祉の課題に応用できる可能性はあるか、という問いである。
ここ数年、地域包括ケアや地域自立支援協議会といった、市町村や地区コミュニティ単位での、「その地域における解決困難な福祉課題」をどうしたら解決していけるか、を主題として集まるネットワーク形成にコミットしている。その中で、僕のネットワークに関する認識の甘さを痛感しつつある。以前の僕は、ある地域のリーダーを育てる事によって、その地域を変革できないか、と考えていた。これはプロジェクトを引っ張るイニシエーターという「特定の人格のエンパワメント」を通じて地域の再構築を計ろうとする考え方である(このことについても、以前のブログに整理した)。だが、この「特定の人格のエンパワメント」=イニシエーター主導型モデル、であれば、その他の人びと=フォロワーの力を引き出したり、そこから何かを生み出す、という側面が弱い。確かに地域活動は、民生委員とか自治会長とか、あるいはその地域の将来を憂う若者とか、「特定の人格」から渦がスタートする事が多い。でも、その渦を探し、そこにのみエネルギーを注ぐアプローチは、ある種の中央集権的発想のダウンサイジングにしか思えないような気も、一方ではしているのだ。
そこで、ツバルのプロジェクトのような、住民全員に光を当てるプロジェクトが、どう応用可能性があるのだろうか、ということが気になる。このツバルプロジェクトでは、住民の誰がリーダーだ、とか、議員さんだ、行政職員だ、という序列がない。住民がみんな、水平な関係で置かれている。そこに、ツバル以外からも、様々なコメントがダイレクトに個々人に寄せられる。この水平的なウェブ空間に流れてくる情報、という観点を、地域福祉の困難性の解決、という問題とどこかで結びつける事は出来ないか、というのが問いなのだ。地域福祉の課題というのは、その土地のローカルな文脈や社会資源の問題と結びついた、局所的課題である。一方で、ウェブを用いた「できごとの実相を伝える多元的デジタルアーカイブス」とは、その局所的課題の閉塞感を乗り越える、外からの、別の場所からの風を運び込む力を持っている。この「別の風」と「ローカルな文脈(の閉塞感)」が出会うことによって、新たな何かの創発や、問題の解決のための第一歩が動き始めないか。そう夢想しているのだ。
ただ、当然、この両端を結びつけるには、大きな課題が幾つかある。個人情報保護の問題だったり、あるいはデジタルデバイドの課題だったり。昨日の講演会でも、ツイッターという言葉を知っていたり活用していたりするのは、参加者の1割にも満たない、という現実がある。地域福祉の課題にそれらのITを用いる際のデバイドは相当高い。また
、地域課題は動的で可塑的で、人間関係の濃密な機微にも関わる何かであるが、可視的なアーカイブに一旦置いてしまうと、その動的性質が崩れ、関係の(時にはドロドロした)ダイナミズムもそぎ落とされ、静的なものとして着地してしまわないか、という危惧もある。もちろん、アップデートすれば、その一部は解決出来るのだろうけど、そのアップデートには、情報格差の壁が高くのしかかっているのだ。
と、現段階では結びつけるのが難しそうな、多元的デジタルアーカイブスと地域共同体の再活性化、という二つの「端」。でも、尊敬するフィールドワーカーの関満博先生は『現場主義の知的生産法』(ちくま新書)の中で、時代の最先端と最後尾の双方を追いかけ続ける中で、問題の構造が立ち現れてくる、と述べていた。ウェブを通じた最先端の方法論と、過疎化や高齢化で弱体化しつつあるコミュニティをどう最活性化するか、というある種の最後尾の話。両方は、どこかでつながるのではないか、という予感を、とりあえず両端を眺めながら、したためておきたい。

支援の閉塞感の彼方に

「優れた知とは、それが知ることのできないものの前で立ちどまる。」
(『荘子に学ぶ』ジャン・フランソワ・ビルテール著、みすず書房、p60)
こないだ神保町の本屋で買い求めた新刊は、それまであまりご縁がなかった「荘子」を、哲学者という視点で捉えなおし、その本質を実にわかりやすく伝えてくれる、おそらく「今年最大の収穫(の内の一冊)」になる、キーブックであった。その本を読み進める途中で、たまたまアポイントを入れて訪れた現場で、この本とシンクロニシティの体験をすることになるとは、思いもよらなかった。
来月の2月18日、山梨で共生型ケアを展開されている「かんむら」さんが、共生型ケアの元祖、富山の惣万さんたちを呼んだ講演会+シンポジウムを主催される。その第二部で、障害者と高齢者の支援の重なり合い、という観点から、僕もシンポジストの一人として呼ばれることになった。だが、共生型ケアは話を聞いたり映像を見たりしたことはあったけれど、実際に訪れたことがなかったので、シンポジウムの前に一度訪問させてください、ということになった。
そして、昨日の午後、訪れた「かんむら」で僕が見たのは、まさに「知ることのできないものの前で立ちどまる」という現象であった。
よそのデイサービスで「問題行動」を取り、出入り禁止となった人。ターミナルなので見れませんと言われた人。○○だからうちには無理、と言われた人・・・。そういう人々がこの「かんむら」に集っている、という。しかも現場は、小学校低学年の子ども達もぎゃーぎゃー騒いでいるし、障害のある若者も有償ボランティアに来ている、そんな、これまでの「デイサービス」の「整った空間」とは間逆の場所。だが、その混沌とした空間の中で、不思議と皆さん、自分らしさを取り戻している、という。暴力行為が減ったり、無くなったり。笑顔が増えたり。子ども達に優しく諭す認知症のお年寄りが現れたり・・・。
これらを「家庭的雰囲気」「共生型ケア」という形で「わかったようなふり」をすることは簡単だ。でも、そういうものではない、とその現場でぼんやりしているなかで、感じ始めていた。
認知症のお年寄りと、元気な子ども、知的障害のある青年、そして看護師や介護福祉士といったスタッフ。それらが一つの家の中で取り交わす相互作用。もちろん、その相互作用は、下手をすれば、単なる雑居部屋となる可能性が十分にある。昔とある県の「共生型グループホーム」なるものが、そういう雑居部屋然とした空間であることを垣間見て以来、なんとなく共生型への嫌悪感=先入観を抱いていた。しかし、昨日訪れた「かんむら」は単なる雑居部屋とは全く違う、混沌とした中にも一つの調和の取れた空間であったような気がする。その秘密は何だろうか。
それは、「かんむら」の代表の岡さんが話していた、「こちらから、特別にプログラムなど働きかけない、仕掛けない」という言葉の中に隠されているような気がする。
こちらから仕掛けなくても、様々な人々(障害者、高齢者、子ども、支援者・・・)が寄り合うだけで、色々な動作やエピソードが始まる。子どもに反応するお年寄り、なんとなくお手伝いをし始める知的障害の青年。あるいはそういう場の中で佇んでいる職員。そういう、意図せざる相互作用の中に、福祉サービスという枠組みの中では「知ることのできないもの」が、「かんむら」という場に立ち現われる。その立ち現れた何かの前で「立ちどまる」ことが出来るのか。あるいは、せっかく立ち現れそうになった相互作用を、「福祉サービス」という枠組みの中に矮小化してしまわないか。
さらに敷衍して言えば、実は福祉サービスや支援と言われるものは、これまで、目の前で繰り広げられる「知ることのできないもの」を、福祉や支援の規格外ゆえに、「なかったこと」にして、無視してこなかったか。自らの理解できる範囲内での現象を、専門家の視点から分析することに躍起になっていなかったか。その標準偏差(=という名の学術体系)の枠組みの外にある何かを、「逸脱行動」「問題行動」「○○スペクトラム」などというラベリングをぺたんとはって、それ以上の意味や内在的論理を追求することなく、「知った」ふりをしていなかったか。「知ることのできないもの」をそのものとして認識し、その前で「立ちどまる」勇気をどれだけもてたのか。「知らない間に、なんだか空間が出来ている」という状態を作るための努力をどれだけしていたのか。「知っている範囲内」に無理やり支援や対象者を押しとどめてはいなかったか。
「あなたの意識的な活動が、より深い源から養われた、もっと無欠な活動に達するのを妨げないように気をつけなさい」(同上、p50)
多様な人が集うことで、その場に生起する無意識的な流動性の渦が流れ始める。その渦を、専門性という名の意識的な働きかけによって、消してはいないか。渦から創発される「知ることのできないもの」を「なかったこと」にすることによって、その場で立ち上がる力動性を限定することになっていないか。
専門性がいらない、といっているのではない。いやむしろ、専門性を十分に鍛錬したうえで、その専門性にすがらない、という熟達が求められる。牛さばきの達人といわれた料理人は、恵王の質問に次のように応えている。
「私は牛を目で見ることなく、精神で見るのです。私の感覚はもはや介入せず、精神が欲するままに動き、牛の輪郭そのものに従うのです。」(同上、p14)
この料理人も最初は「目の前のすべてが牛に見えました」という。だが、鍛錬を積み三年の修練のあとに、「牛の何らかの部分だけをみていました」という。いわゆる専門家がタコツボ的に陥るのも、この「何らかの部分のみをみる」という局所的視点であろう。それでは、部分最適はできても、全体をみたことにならない。だが、熟達する、つまり『荘子に学ぶ』で言うところの下位の状態(レジーム)から上位のそれへと移行するとき、「活動は、意識の統制から解き放たれて、もはやそれ自身にのみ従う」(同上、p15)という。
支援者という「料理人」も、最初は「目の前すべてが牛」である状態から「何らかの部分をみる」という段階にいたることで「専門性」が完成された、と錯覚していないか。本当はその先に、「対象者を目で見ることなく、精神で見る」ことが出来ているか。「知識」にとらわれることなく、「精神が欲するままに動き、対象者そのものに従う」状態(=上位のレジーム)へと移行できているか。
この移行が完成したとき、初めて場全体への配慮ができ、そこから場全体の相互作用を押しとどめることなく、その「知ることのできないもの」の力に身をゆだねる=「精神が欲するままに動く」ことが出来るのではないか。
支援の専門性が、タコツボに入るような閉塞感を、各領域で感じる。それを超えるためには、この料理人が示したような、あるいは「かんむら」のような場で起きているような、レジームの移行が必要なのではないか。
「人が物の筋道をかき乱し、存在の自然な性質を侵害すると、はかりがたい自然は、作用できない。獣たちは離散し、鳥達は夜に鳴き、災禍が植物におよび、厄災が虫を見舞うことになる。こうしたことは、秩序を調整せんと主張すると生じるのだ!」(同上、p124-125)
「かんむら」において僕が垣間見たのは、そこにいる全ての人々が、その混沌とした空間の中で、なんとなく一つの調和(=筋道)を見出しながら、そこにいる、という感覚だった。それは、ある場を共有する人々が意識的・無意識的に発するメッセージを交歓しあう中で、「存在の自然な性質」を共有しながら、探り当てつつある「物の筋道」だった、とはいえまいか。
一方、支援やサービスの専門家は、しばしば「善きことをなさんとする意図や、他者を助けて導こうとする欲求に駆り立てられたままでいる」(p127)。これを、「秩序を調整せんと主張する」「意図」や「欲求」であると見るならば、その「秩序」とは、いくら相手のことを表面的に慮っているように見えても、その実、支援する側の「秩序」への「調整」の欲望ではないか。支援者側の「あるべき姿」の中に、当事者側を無理やり当てはめようとする、という説得モードだからこそ、その説得に適合しない人は、「問題行動」という形で、反発するのではないだろうか。
その際、本人が納得する形を探し出す、ということは、「人が物の筋道をかき乱」さない、ということかもしれない。その場で生起する様々な想定外のドラマ(=知ることのできないものの)を、「なかったこと」にせず、支援の規格の中に矮小化せず、その「前で立ちどまる」という、知への、相手への、場全体への深い敬意。その敬意を払う中でこそ、支援空間という場全体を、「目で見ることなく、精神で見る」ことが出来るのではないか。そういう視点から振り返ってみると、「自己決定支援と意思決定支援は違う」とか、「認定(上級)○○士が必要だ」とか、そういう議論は、「目で見る」=コップの中、での争いであって、下手をすれば本質を見失った議論に繋がってはいないか。
そんなことを、「荘子」と「かんむら」のシンクロニシティから考えていた。

創発の渦の螺旋階段的拡大

今日の講義で、NPO法人子育て支援センターちびっこはうす理事長の宮澤由佳さんにお話頂いた。彼女の20年に渡る社会起業家の軌跡をうかがう中で、ふと創発の渦の螺旋階段的拡大の姿が目に浮かんだ。忘れないうちに、そのことを書いておきたい。

ここ最近、コミュニティの本を読みあさってエントリーしてきたが、社会を変える渦は、必ず個人の思いからスタートする。しかも、単なる思い、で留まらずに、その思いから仲間が増え、組織的・制度的つながりへと展開していくなかで、一定の自己組織化が進んで行く。宮澤さんのお話にも垣間見えたその渦を、授業中に次のようにメモしてみた。
1,その地域・領域における社会問題、ニーズ、状況の極まりに出会う
2,その問題を他人事して「仕方ない」と思えず、「放っておけない」と自分事になる
3,取り組む仲間を見つけて、解決に向けて行動を進める
4,前途を阻む「壁」に出会う
5,試行錯誤の中から新しいアプローチを生み出し、壁を越え、自らの既成概念や旧い枠組みを超える
6=1’,あらなたその地域・領域における社会問題、ニーズ、状況の極まりに出会う
 (2’以降へ)
ここで肝心なのは、この渦は拡大・深化する螺旋階段のように、その射程範囲と深度を増していく、という点である。1~5段階のプロセスは、ビジネスであれ、行政的課題であれ、あるいはサードセクターの課題であれ、課題を解決するモデルとしては、わりとオーソドックスなフレームであると思う。ただ、社会的起業家に特に特徴的なのは、この1~6の回転、および螺旋階段的拡大のモチベーションが、「もうけ」ではなく、使命やビジョンである点だ。
使命やビジョン、と書くと大げさだが、最初は第六感の大風呂敷(=ほら吹き)かもしれない。でも、その大風呂敷を広げて、次にその広げた風呂敷を実現する為に行動化を伴うために、様々な人々を巻き込んでいく。だが、その大風呂敷は、これまでの体制の中にはなかった風呂敷(=視点、見方、パラダイム)であるがゆえに、当然、制度的枠組みや偏見、先入観などによって、つぶされがちだ。これが、一つの「壁」となる。そして、ここで「もうこれ以上仕方ないかも」という2と同じ危機が訪れる。
このクライシスを、逆に枠組みを乗り越える為のチャンスと捉える事ができるか、が大きな分かれ道だろう。大風呂敷のまま、であれば、ここで風呂敷をたたむ(=仕方ないとあきらめる)方向性にいくかもしれない。だが、すでに多くの人を巻き込んで、フォロワーも増え、イニシエーターはのっぴきならない状態に追い込まれている。その中で、既存の解決方法では思いつかなかった、新しいアプローチ(=視点、見方、パラダイム)を試行錯誤の中から見つけ出すことによって、大風呂敷は、単なるホラから、ミッションやビジョンへと深化していく。それが、その地域・領域におけるローカル・ノレッジとも適合しながら、化学反応を起こす視点であれば、解決策は、思いもよらない新しいイノベーションや創発を生み出し、予想以上の事態が展開していく。そして、このサイクルを回して拡大していく中で、次の壁にもつながる、新たなフェーズに出会う。すると、これは最初の1の段階に戻ったようにも見えるが、前回の1の段階とは、すでに関わっている人々の量も、情報も、コミュニケーションも、そして抱えている事態も大きく前回より広がってより、問題やニーズの極まりも、より深化(深刻化)している。そこから、創発の第二フェーズの渦巻き時期に展開していく。
実は、この拡大する螺旋階段のイメージは、以前から自分の中に内包されていた。だが、それが創発の渦と結びつき、前々回のエントリーでご紹介した5つのステップとも通じる、とは思ってもいなかった。そして、この創発の渦が回転していくための原動力として、前回のエントリーでご紹介した「ともに生きる世界があると感じられること」という共同体の古層=精神とアクセスしていることが必須なのである。ちなみに、宮澤さんにとっては、「子どもが安心して育つ環境作り」というビジョンが、「主婦が世界を変える」という大風呂敷に展開していかれたそうだが、その元々の「安心して子育て出来る環境を作る」ということは、まさに「ともに生きる世界がある」という精神の具現化でもあったような気がする。
こういう風に僕も書き続けることによって、自らの創発の渦を、少しずつ螺旋階段的に拡大しようとしているのかもしれない。

共同体の「古層」にある内在的論理

最近、「偶然」の出来事のなかに、積極的な意味を見出そうとしている。(消極的なそれは運気を下げそうなのでしませんが・・・)

実は今日主題として取り上げる内山節氏の『共同体の基礎理論』(農文協)は、短期間で2冊、購入している。最初、12月のクリスマス前に買い求め、赤線書き込みをルンルンしながら読み進めていた。だが、暮れに妻と東京に遊びに行った際、朝7時過ぎに甲府を出た「かいじ」の11号車5番A席の前のポケットに入れたまま、置いてきてしまったのだ。なぜそんな特定の場所まで覚えているかって? その後、何度も何度もJRの忘れ物センターに電話をかけたのです。同じ本は買えても、書き込みまでは引き継げないので、僕にとっては「貴重」な一冊。取り返したい、と粘ったけれど、結局見つからず。で、泣く泣く再度買い求め、昨日から読み直していた。
だが、結果的には暮れに読み終えず、今の時期に読み直して、実に良かった。それは、昨日のエントリーでご紹介した『コミュニティのちから』の読後感に感じた、ある種の不全感とアクセスしていたからだ。
僕は基本的には、金子氏らの著作に敬意と賛意を示している。それは、昨日も今日も変わらない。「”遠慮がちな”ソーシャルキャピタル」概念を用いる事によって、イニシエーターとフォロワーの相互作用の中から、日本的な社会変革の実践例が出ていることが明確に示されていたのは読み応えがあったし、「7つのルール」も、僕自身が博論を書いているときに発見した「5つのステップ」と通底する実践的ツールだと思う。ただ、昨日の記事を早速読んでくださったある方から、フェースブックを通じて「7つのルールが実践的でわかりやすい」と書いておられたのに対して、こんな風に書いている自分がいた。
「確かにシンプルでわかりやすいし、ツールとしてはこのルールは使える、と思います。その一方で、ツール(=方法論)の自己目的化に堕してしまわないためには、何のために、という目的(=社会ビジョン)を常に意識化しておく必要があると思います。そして、そのボトムアップ型の社会ビジョンを考える際には、上記のツールだけでは足りない、ような気もするのです。自分達のコミュニティをどうしていきたいのか、についての、外在的論理ではなく、内在的論理が。そのあたり、明日あたりにまたブログに書き足してみようと思っております・・・。」
そう、金子ゼミの3人による『コミュニティのちから』は、あくまでも研究者が現地の方々の文献やヒアリングに基づいて、外から理解できる範囲での、外在的論理で整理したものである。ただ、その外在的論理はかなりの確度の深いものであるが故、他に応用可能性が高く、ひいては説得力が高い書籍として仕上がっている。だが、これは僕自身の博論の限界とも通底するのであるが、それでも外部の研究者のインタビューに基づく整理は、やはり事象の外在的論理は整理し尽くしても、その内在的論理に迫りきれない、と思い始めている。これは、単なる調査者ではなく、その現場の変革のアドバイザーとして、実践により近い立場から関わるようになった、この4,5年で特に感じていることである。一言で言うならば、コミュニティの変革って、そんなにシンプルでも美しいことでもない、もっと泥臭い何かが詰まったものである。その「泥臭さ」の論理、「泥臭い」なかに潜むそのコミュニティの自生的な論理としての「内在的論理」を掴まないと、実体にギリギリ迫る、ということにはならないのではないか、そう思い始めているのだ。
で、やっと冒頭の内山節氏の話に戻る。この哲学者は、群馬県上野村という人口1300人の山間の村と東京を往復する生活をしている。山梨で言えば、丹波山村や小菅村、早川町のようなところに拠点を構え、農業をしながら、著述を続けている哲学者である。共同体の一員として、お葬式を出すだけでなく、様々な活動にも参加し続けてきた生活者であるがゆえに、大塚久雄やテンニェス、マッキーヴァーの共同体論とは異なってくる。
「地域共同体とは何なのであろうか。地域というひとつのものにすべてのメンバーが統合されていると考える地域共同体論は正しいのだろうか。私が上野村や訪れた各地で経験してきた地域共同体はそういうものではなかった。共同体に暮らす人ではなく、共同体を観察した人達の地域共同体論の問題点が、そこにはあるような気がした。私は共同体は二重概念だと考えている。小さな共同体がたくさんある状態が、また共同体だということである。ひとつひとつの小さな共同体も共同体だし、それらが積み重なった状態がまた共同体だとでもいえばよいのだろうか。このような共同体を私は多層的共同体と名づける。」(内山『共同体の基礎理論』p70)
この「多層」性とは、複数の意味合いを帯びている。例えば山梨では今でも「無尽」が残っているが、この無尽を幾つか掛け持ちすることが、その人がいくつかの共同体から承認されている、「人びとの信頼を得ている」証である、という(p128)。また、こういった無尽や職能団体の寄り合いだけでなく、お祭りや信仰についても、部落毎に異なっていて、これも多層性を織りなしている、という。更に言えば、自然との折り合いも含めた多層性である、という。
「日本の共同体は自然と人間の共同体として、生の世界と死の世界を結合した共同体として、さらに自然信仰、神仏信仰と一体化された共同体として形成されていた。ここには進歩よりも永遠の循環を大事にする精神があり、合理的な理解より非合理な諒解に納得する精神があった。人びとは共同体とともに生きる個人でありい、共同体こそ自分たちの生きる『小宇宙』であると感じていた。」(p16)
そう、共同体こそが「小宇宙」だったのである。明治期以後の国民国家や廃仏毀釈、戦時統制、あるいは戦後の高度経済成長やその後のグローバリゼーションの到来で、この「小宇宙」は壊されていった。が、基本的には共同体は合理も非合理も含まれる、ブラックボックスとしての「小宇宙」であり、その中で、自然との折り合い、先祖や道祖神、様々な祭りや祈りとの折り合いをつけながら、集落の、あるいは仲間との、あるいは仕事の関係者との、多くの小さな共同体を作りながら、その小さな共同体が「小宇宙」と共振し合うなかで構成されていった。そこから、内山氏は、これまでのコミュニティ・共同体論には見られない、重要な指摘をする。
「自然と人間が結び、人間が共有世界をもって生きていた精神が、共同体の古層には存在している。それが共同体の基層であり、この基層を土台にして時代に応じた、地域に応じた共同体のかたちがつくられる。ゆえに共同体が壊されていくというとき、その意味は、自然と人間が結び人間達が共有世界を守りながら生きる精神が壊されていくことを意味する。(略) 共同体はその『かたち』に本質を求めるものではなく、その『精神』に本質をみいだす対象である。」(p32)
ゲマインシャフトやゲゼルシャフト、アソシエーションやコミュニティといった、共同体の『かたち』や機能別類型は本質ではない、と内山氏は言い切る。そうではなくて、自然も含めたその地域で、その時代を、地域の人とどう共に生きていくか、という「精神」こそ、共同体の古層であり、本質である、というのだ。だからこそ、共同体が壊れていく際、復活すべきなのは、「かたち」ではなく、「精神」である、ということになる。ただ、この「精神」は決して単なる過去を賞賛・過剰に称揚するようなものとは違う、現代にも(再)構築可能なものである、という。
「私たちがつくれるものは小さな共同体である。その共同体のなかには強い結びつきをもっているものも、ゆるやかなものもあるだろう。明確な課題をもっているものも、結びつきを大事にしているだけのものもあっていい。その中身を問う必要はないし、生まれたり、壊れたりするものがあってもかまわない。ただしそれを共同体と呼ぶにはひとつの条件があることは確かである。それはそこに、ともに生きる世界があると感じられることだ。だから単なる利害の結びつきは共同体にはならない。群れてはいても、ともに生きようと感じられない世界は共同体ではない。課題は、ここにともに生きる世界があると感じられる小さな共同体をいかに積み重ねていくか、なのである。それが積み上がっていけば、小さな共同体同士の連携もまた形成されていくだろう。ここに共同体があると感じられる時空も生まれていくだろう。」(p168-9)
「ともに生きる世界があると感じられること」。これが共同体の「精神」の本質である、という。その時、合理的な利害ベースではなく、自然災害も家庭問題も失業も、様々な矛盾や非合理をひっくるめた自然や隣人を、「ともに生きる」から、と分かち合う、そんな共同体の積み重ねが、共同体の再生には必須だという。その上で、社会の変革についても、次のように指摘する。
「システムを変えれば世の中はよくなるという発想から、それぞれが生きる世界を再創造しながら世の中を変えていくという方向に、変革理論自身が変動してきたといってもよい。(略) 道筋が、システムの変革からはじまるのではなく、生きる世界の再創造をとおしてシステムの変革も求めるという方向に変わったのである。」(p166)
この指摘は、介護保険の地域包括ケアシステムや、障害者の地域自立支援協議会という「システム」の立ち上げや運営促進の支援に携わってきた人間として、実に耳の痛い話である。だが、正鵠を射る指摘である、とも感じる。中央集権的で上意下達のシステム変更では、現場の地域福祉は立ち行かなくなっている。その中で、上記の地域包括ケアや自立支援協議会がうまくいっている地域は、システム変更を丸呑みするのではなく、その地域のローカル・ノレッジを組み込んだ形での、その共同体に合った形でシステムを取り入れていく営みが見られてきた。つまり、「ともに生きる」という時空や精神が共有されている土壌があって、「生きる世界の再創造」という目的のために、手段としてのシステム変更が加えられるのである。
ながーい道を辿ったが、この点が、先の手段の自己目的化の論点や、金子氏らの議論と対比した際の、内山共同体論の魅力なのである。
昨日のブログでも引用したが、金子氏は「社会活動の基本モデル」として、下から「個人」「組織」「制度」「社会ビジョン」という四つの層を示し、「それぞれの層は、一つ上の層を制約としている」と示している。また、この基本モデルは「インターネットの世界で基本とされている通信プロトコルの層別構造を示した「OSI (Open Systems Interconnection)参照モデル」を形の上で模して、社会活動を実行する際の社会的制約の階層構造を示したものである」(『コミュニティのちから』p295)という。実はこの仮想空間をモデルに作った「社会活動の基本モデル」に欠けていたものこそ、内山氏が共同体の古層とも呼んだ「ともに生きる世界があると感じられる」という「精神」だった。この「精神」は、目的合理性を持った「社会ビジョン」とは異なり、自分がそこに生まれた時に、既に親や先祖から伝わっている通奏低音であり「古層」である。だから、僕はこの「精神」は、四つの層の下に拡がる、ある種ユングの集合的無意識論と繋がるような「精神」である、と理解している。自我の下にあって、その共同体のこれまでの歴史やローカルノレッジを下支えしているけれど、普段意識することがない、そんな無意識であり「精神」である。これは、近代合理主義的な分析手法では析出されない何か、である。
だが、山梨や三重で幾つかの地域に関わって見えてくるのは、この第三者が外在的論理によって析出しにくいローカル・ノレッジが、確実にその地域の制度変革の成否に強く結びついている、という実態である。その地域の中で、どれだけ「ともに生きる世界があると感じられる」という「精神」が共有されているのか、そしてそれを「再創造」しなければならないという危機意識もどれだけ共有されているのか。その共有度の度合いによって、「システム変革」が表層的なものにとどまるか、起爆剤となるか、は大きく異なる。その「精神」の「古層」が、「個人」に憑依した際に、「ほっておけない」「何とかしたい」という「自分事」として関わるイノベーターを生み出し、それがフォロワーの渦を巻き込みながら、「組織」的な連携からやがて「制度」の変革へとつながり、結果として「社会ビジョン」の変化を後付け的にもたらすのである。そうすると、先に「泥臭い」何か、との述べた共同体の内在的論理としての「古層」=「精神」は、上記の4つの層を「制約」としているのではなく、逆にその層を規定し、揺り動かす為の集合的無意識としての役割をしている、とも言えるのかもしれない。
本当はここから、丸山圭三郎の「生の円環運動」論や、河合隼雄の「ユング心理学と仏教」との接続まで考えたいのだが、今はまだその力がないので、今日はこのあたりにしておく。

ボトムアップ型の創発と自己組織化

今年最初のブログも「コミュニティ」の問題に触れる。
実は、このブログを読まれている、以前仕事をご一緒にした事がある方から、コミュニティについての勉強会のお誘いを頂いた。そこで題材にするのが、以前のブログで取り上げた『コミュニティ・デザイン』、前回のブログで紹介した内山節氏の『共同体の基礎理論』、そして今日ご紹介する『コミュニティのちから』である。
この『コミュニティのちから』は、名著『ボランティア』(岩波新書)を出され、慶応のSFCでソーシャル・イノベーションを教えておられる金子郁容氏と、金子氏のゼミで修士論文を書いた今村氏、園田氏の3人による共著である。長野の保健指導員や茅野市の「パートナーシップのまちづくり」、あるいは鹿児島県鹿屋市の地域医療の再生などの事例を、パットナムのソーシャル・キャピタル論と対比させながら論じている。そして、パットナムの事例に出てくる北イタリアのような自主性や積極性のあるソーシャル・キャピタルと対比して、日本の各地域に根付くのは”遠慮がちな”ソーシャル・キャピタルである、とする。ちなみにソーシャル・キャピタルとは社会関係資本などとも呼ばれているが、その特徴としてパットナムは「社会ネットワーク活動」「相互信頼」「互酬性の規範」を挙げ、コミュニティのソーシャル・キャピタルの豊かさが、そのコミュニティの成否に大きく相関している、と示した。
さて、この『コミュニティのちから』においては、上述の日本の事例を分析する中で、ソーシャル・キャピタル醸成のためには「ルール」「ツール」「ロール」のそれぞれの絡み合いが大切だ、と指摘する。その上で、「いいコミュニティ」を作るのに有効な「七つのルール」を抽出している。(p302)
1、コミュニケーションをよくする
2、きっかけを作る/誘う/巻き込む
3、一緒に汗をかく
4、自分から動く
5、成果の可視化/共有
6、論理で正面突破する
7、実践を促進するためのルールをつくる
この「7つのルール」を眺めながら、これは創発に向けた自己組織化の促進に必要な要素抽出である、となんとなく考えていた。
そもそも、「コミュニティのちから」を必要とされているのは、その「ちから」がないと解決できない問題(=福祉業界ではよくそれを「困難事例」などと言う)が発生したときである。もともとうまくいっていたり、問題が顕在化しなければ、とりたててそんな「ちから」を主題化する必要はない。「コミュニティのちから」が相対的に弱体化する一方、行政でも市場でも解決できない社会的な課題が大きく広がるなかで、それをどうやって弱体化しつつあるコミュニティで解決できるのか、を探るために、ソーシャル・キャピタルという指標も取りざたされている、と考えることもできるだろう。
その際、「これは問題だ」と気づき、動き始める「イニシエーター(新しいことを始める人)」(p294)がいて、その人に巻き込まれていく「フォロワー」の「ロール」を引き受ける人が出始める、と同書では指摘している。そう、実は問題があっても「どうせ」「仕方ない」「自分ひとりでは何も変えられない」と思う人ばかりでは、何もはじまらない。つまり、「イニシエーター」が「問題」を「発見」し、それを解決したいといつの間にか問題を「自分事」として引き受ける瞬間がないと、物語はそもそも起動しないのである。
そして、物語が起動し始めた際に、単なる一人の努力で「燃え尽き」に終わらせず、個人から組織、制度へと昇華していくための有効な「七つのルール」も、非常に共感を持って読んだ。実は、僕自身、精神障害者のノーマライゼーションに関する博士論文を書いている中で、京都中の精神障害者に関わるソーシャルワーカー117人にインタビューを行い、地域を変えている面白い実践をしている現場の精神科ソーシャルワーカーは、以下の5つのステップを踏んでいることに気付いた。
ステップ1:本人の思いに、支援者が真摯に耳を傾ける
ステップ2:その想いや願いを「○○だから」と否定せず、それを実現するために、支援者自身が奔走しはじめる(支援者自身が変わる)
ステップ3:自分だけではうまくいかないから、地域の他の人々とつながりをもとめ、個人的ネットワークを作り始める
ステップ4:個々人の連携では解決しない、予算や制度化が必要な問題をクリアするために、個人間連携を組織間連携へと高めていく
ステップ5:その組織間連携の中から、当事者の想いや願いを一つ一つ実現し、当事者自身が役割も誇りも持った人間として生き生きとしてくる。(最終的に当事者が変わる)
(竹端寛 2003 「精神障害者のノーマライゼーションに果たす精神科ソーシャルワーカー(PSW)の役割と課題―京都府でのPSW実態調査を基にー」大阪大学大学院人間科学研究科博士論文)
このステップを上昇するために、上記の「7つのルール」が必要不可欠である。また、僕が調査したPSWの中には、保健師出身のPSWが沢山いて、ちょうど長野の保健指導員のケースや茅野市のケースなどとも重なる部分が多いなぁ、と思いながら読んでいた。
ただ、僕の今の関心からすると、この5つのステップなり「7つのルール」なりを踏みながら、どう創発が自己組織化されていくのか、が興味がある。つまり、ステップの上昇や、あるいは「コミュニティのちから」の発揮の背景には、もちろんソーシャル・キャピタルの力も大きいが、それだけでなく、イニシエーターとフォロワーの、「特定の人格のエンパワーメント」が必要不可欠のように感じるからだ。(この点は、一年前のブログで安冨先生の議論に基づいて考えたことがある。)
さらに言うならば、触媒役やファシリテーターとして、様々な地域の「コミュニティのちから」を高めるために、どのような創発支援、あるいは「特定の人格のエンパワーメント」の支援が求められているのか、というあたりにも、非常に興味がある。これは、山梨や三重で、障害者の地域自立支援協議会や、高齢者の地域包括ケアシステムに関する様々な動きをお手伝いするなかで、痛切に感じていることである。多くの地域で、地域福祉や地域包括ケアに関して、それなりの努力が積み重ねられてきている。だが、今ひとつ、一皮向けるための、もう一歩の努力、をどうしていいのかわからずに、決め手に欠けている。あるいは官民・官官・民民のセクショナリズムの壁に阻まれて、点が線にならない。ましてや地域を動かす面のアクションにつながらない・・・。そういう実例を沢山見てきた。
金子氏らの本では、個人-組織ー制度を規定するものとして、「社会ビジョン」を描いているが、この「社会ビジョン」をそのものとして描くのではなく、僕の5つのステップのように、個人から組織、組織から制度とボトムアップに積み上げ、実態を変えていく中で、社会ビジョンも後追い的に変わってくる。そういうボトムアップ型の変容と、その中での「社会ビジョン」の創発、および自己組織化が、多くのコミュニティで求められているのではないか。そんなことを感じながら読んでいた。