能力主義ってやっぱり変!

マイケル・サンデルの『実力も運のうち 能力主義は正義か?』(早川書房)を週末に読み終える。サンデルの本をちゃんと最後まで読み通せたのは、これがはじめて。正直、正義論や倫理の議論はあまり得意ではなく、ましてや流行の本にすぐに飛びつく性質でもないので、本当に珍しい読書体験。でも、僕がここ最近ずっと気になっている能力主義について、サンデルならどう描くか、を知りたかった。そして、めちゃくちゃ面白かった。

「人を鼓舞するにもかかわらず、能力の原則は専制的なものに転じることがある—社会がそれに従い損ねる時だけでなく、実はとりわけ、社会がそれに従う時にも。能力主義的理想の影の側面は、その最も魅力的な約束、つまり支配と自己実現の約束に埋め込まれている。この約束にはとても負いきれないような重荷が伴っているのだ。能力主義の理想は個人の責任という概念を極めて重視する。人々に自分の行動の責任をある程度まで背負わせるのは良いことだ。道徳的主体として、また市民として、自分で考えて行動する能力を尊重することになる。だが、道徳的に行動する責任を負わせることと、我々一人一人が自分の運命に全責任を負っていると想定する事は全く別である。」(p52)

この10年ほど、日本社会における「生きづらさ」について授業でもずっと取り上げてきて、自己責任論と向き合い続けてきた。そして自己責任論の背景に能力主義の弊害があるのではないかと思い続けてきた。ただ能力主義を頭から否定することはできない。なぜならばその能力主義社会の中で、僕自身も生きてきたのであり、ある時点まではその能力主義の果てしない競争に自分自身もしっかり乗ってきたからである。その自分が信じて疑わなかった価値前提を疑うのは、そう簡単ではない。だからこそ能力主義はどう考えていいのか、いろいろな文献を読みながら、毎年授業で学生達とああだこうだと言い続けながら、考えてきた。その課題を、サンデルは実に明快に整理している。

「道徳的に行動する責任を負わせることと、我々一人一人が自分の運命に全責任を負っていると想定する事は全く別である」

この2つが渾然一体となっているのが、能力主義のややこしいところだ。道徳的に行動する責任を免責するつもりはない。でもたまたま勉強ができたかどうか、受験勉強をうまくすり抜けることができたか失敗したか。それは、人間の様々な能力の中のごく一部分にすぎないのに、例えば高卒か大卒か、とか、有名大学を出ているかどうか、で、その後の自分の運命が大きく変わったり、それも自己責任といわれると、それは何だかおかしいのではないか、と思う。

そして論考は、民主党の大統領だったバラク・オバマがこの能力主義の申し子だったという考察を深めていく。僕自身、オバマ政権の誕生は単純にワクワクしたし、期待もしていた。サンデルも書いていたが、黒人乱射事件の後の「アメージンググレース」の弔辞は感動的で、いま見ても彼の訴える力は圧倒的でもある。そんなオバマがなぜアメリカ社会で評価を落としていくのか、そしてトランプに政権の座を譲ることになるのかが理解できていなかった。「リベラル左翼」と呼ばれる論者たちは、それをポピュリズムのせいだとか、アメリカの貧しい白人たちの最後の反論だとか様々な分析をしていたが、どうもそれらの分析にはしっくり馴染めなかった。だがサンデルの能力主義論を読んでいて、オバマが嫌われる理由がすごくよくわかった。

「能力主義者は、あなたが困窮しているのは不十分な教育のせいだと労働者に向かって語ることで、成功や失敗を道徳的に解釈し、学歴偏重主義—大学を出ていない人々に対する陰湿な偏見—を無意識のうちに助長している。」(p132)
「民衆的な統治についての見解になると、オバマは心底から一人のテクノクラートだった。これは、人望ある大統領に対する評価としては手厳しいと思われるかもしれないので、説明さしてほしい。民主的社会を統治するには、意見の衝突に対処する必要がある。意見の衝突に直面しつつ統治するには、意見の衝突がいかにして生じ、あれこれの瞬間に、あれこれの公共目的のために、いかにして克服されるかについて、一つの見解を想定することになる。オバマは、民主的社会において意見の衝突が生じる最大の原因は、一般市民が十分な情報を持っていないことだと信じていた。情報不足が問題なら、解決策は次のようになる。事実をよりよく理解しているものは仲間の市民に代わって決定を下したり、あるいは少なくとも彼らを啓発すべく、市民自身が賢明な決定を下すために知るべきことを教えてやったりすれば良いのだ。大統領のリーダーシップは、道徳的心情ではなく、事実の収集と公表めぐって発揮されることになる。」(p155)

オバマだけでなくイギリスのブレアも、政権の主要施策に教育を挙げた。これは「あなたが困窮しているのは不十分な教育のせいだと労働者に向かって語ること」であり、それは大卒でない人に対して、「学歴偏重主義—大学を出ていない人々に対する陰湿な偏見—を無意識のうちに助長している」のであり、その学歴偏重主義そのものを是正する気持ちがない、と表明することでもあった。また「事実をよりよく理解しているものは仲間の市民に代わって決定を下したり、あるいは少なくとも彼らを啓発すべく、市民自身が賢明な決定を下すために知るべきことを教えてやったりすれば良いのだ」という「上から目線」は、「大卒の知的エリートである私は事実を知っていて、高卒の無学なあなたはそれを知らない」という非対称性に基づく上から目線の「陰湿な偏見」をはらんでいる。さらには、「意見の衝突」は、知識の量如何ではなく、能力主義の前提の中で、労働者階級の意見がそのものとしてしっかり受け止められないことへの反発だ、と理解していないことが、オバマ政権やヒラリー・クリントンへの反感にも繋がった、というのは、すごく納得出来る整理であった。

さらにこの本では今の議会政治が普通選挙制以前の、財産資格に基づく制限政治と似ていると言う。普通選挙制度が始まった当初、労働者階級の、つまりは高卒の国会議員がアメリカでもイギリスでも一定数いたのに、現在は、本来労働者階級の政党であるアメリカの民主党も、イギリスの労働党も、大卒エリートで占められていて、労働者の意見を充分に反映できていない、という点で、普通選挙以前の議会構成員の学歴と同じ、というのである。ここにも確かに能力主義の奢りがある、というのもよくわかる。

そして、この本の主張の核心部分は次の部分だと僕は感じた。

「金儲けがうまいことは、功績の尺度でもなければ貢献の価値の尺度でもない。すべての成功者が本当に言えるのは次のことだ。類いまれな天分や狡猾さ、タイミングや才能、幸運、勇気、断固たる決意といったものの不可思議な絡まり合いを通じて、いかなる時も消費者の需要を形作る欲求や願望の寄せ集めに—それがいかに深刻なものであればかけたものであれ—どうにかして効率的に応えてきた、と。」(p207)

能力主義は成功を、努力の成果だと思い起こみたがる。確かに努力もあるだろう。でもサンデルが描くように努力以外の様々なファクターが不可思議に絡まり合う中で、ある人は成功し、ある人は失敗する。それは文字通り、運不運である。にもかかわらず、能力主義は、運不運という人間の計らいではどうしようもないことを、努力如何で、しかも大学卒業かどうかと言う狭い評価基準で克服可能なものだと縮減して決めつけようとする。そして、その能力があるのだから、高い給料がもらえるのは当然だ、ということで、企業のCEOに破格の給与を払うことを許してしまう。それは、99%の平民の賃金が下がっていっても、1%の能力主義の成功者を評価するためには仕方ない、と放置されることにもつながる。それでは、高卒の労働者達にとっては、その能力がない、と査定されていることとも同じであり、自分がバカにされていると怒り狂うのも、理解できる。だからこそ、彼等彼女らはトランプに信じて託したのである。

少しだけ、自分がたりもしようと思う。僕自身、今大学でフルタイムの仕事を得られているのは、自分の努力や能力のおかげもあるかもしれないけれど、それよりも運やご縁のなせる技だと思う部分が多い。

もともとは「京大合格至上主義」の高校にいたにも関わらず、「阪大しか受からなかった」ことに落ち込み、ヤサグレていた自分(それ自体がずいぶん不遜な能力主義的思い込みの表現であるとは、30代になってやっと認めることができるようになってきた)。でも阪大の人間科学部でほんまもんの学問に出会い、人生で初めて学ぶ面白さに気づいた。そして僕自身が大学院に入るタイミングで、ジャーナリストの大熊一夫師匠が新設講座の教授として、やってきてくださった。僕はジャーナリストに弟子入りした大学院生だったからこそ、なんとか潰れずに大学院をサバイブできたのだと思う。理論社会学とか必死に勉強しても、自分よりはるかに優秀な院生やポスドクの層の厚さの前に、絶対挫折していたと思う。博士号を取ってみて、でも出身講座の助手にはなれないと遅まきながら気づき、紆余曲折の中で2年間フリーター生活。でもそこで時間があったから、スウェーデンでの調査研究にも従事できた。50の大学に落ち続け、最初に拾ってもらったのが山梨学院大学だったからこそ、地域福祉のダイナミズムをリアルに学ぶことができた。山梨で13年間楽しく研究を続けたからこそ、こつこつと著作も出すことができた。

自分の想定外の事態にばかり遭遇したし、能力主義でコントロールできない不可思議な偶然の出来事が積み重なる中で、結果的に唯一無二の存在としての自分の人生が形成されてきた。そういう意味で努力も運の一部であるし、能力主義を無批判に信じる必要性はないと、この本を読んであらためて感じる。

であるが故に、残念なのはこの本の結論の部分である。この本は能力主義に代わる概念として、貢献的正義を定義する。だが能力主義の性質に関する膨大な分析に対比すると、貢献的正義に関する提案はごくわずかであり、正直「それだけ?」と拍子抜けする結論であった。その部分では、マルクス・エンゲルスの『共産党宣言』にも似ている。だが、マルクス・エンゲルスの秀逸な資本主義批判は100年以上経っても現実味を失っていないのと同じように、サンデルの能力主義批判も、今後何度も参照する立派な批判であることは確かだ。その意味で、半世紀前に提起されたマイケル・ヤングの「メリトクラシー」の概念を、サンデルはしっかり引き継いで、現代版の問題として問い直した力作だと感じる。

ではどうしたらよいのか?問題は、ぼく自身、引き続きぼちぼち考え続けたい。

発達の最近接領域(ZPD)としてのブログ

最近「積ん読本をちら読みしよう」というのがマイブームで、てっちゃんが誘ってくれて、井庭崇さんの『クリエイティブ・ラーニング』(慶応大学出版会)を読んで対話する読書会を行った。初見で4章だけを30分間で読んだ上で、その内容についてガッツリ1時間議論した。その内容がめちゃくちゃ気になったので、教わった井庭さんのLife with readingに関する動画を見た上で、さらに面白かったので、序章も風呂読書で読み切った。

読んだ上でふと気づいたことがある。それが表題の「僕にとってのブログはZPDだ」ということ。このZPDについて、井庭さんは次のように解説してくれている。

「ヴィゴツキーは、自分一人で自力で解ける水準(今の発達水準)と、他者の助けを借りて解ける水準(いま成熟しつつある水準)の間の領域を『発達の最近接領域』(ZPD:Zone of Proximal Development)と名付けた。現在の発達水準に「最も近接」する「発達」の「領域」という意味である。」(p87)

今まで読んだZPDの説明の中で、一番腑に落ちる説明である。自分で出来ること、と、他者に助けてもらわないと出来ないこと、の間にある領域のことである。さらに、井庭さんと対談しておられる市川力さんは、こんな風にも語っておられる。

「ヴィゴツキーは、できることだけを積み重ねていっても、できないことができるようになるわけではないと考えます。そうではなく、いまギリギリできそうだけれどもできない部分を見つけて挑戦することで、できなかったことができるようになる。この『できそうだけれどもできない』領域が発達の最近接領域です。発達の最近接領域にあるような課題や出会いを通じて、人は新しいことができるようになり、成長できるわけですね。」(p520)

市川さんは「『できそうだけれどもできない』領域が発達の最近接領域」だと語る。棒高跳びの高さを少しずつ上げていって、さっき飛べたけど、今回は飛べなかった、という領域。あるいは跳び箱で4段は跳べても、5段目は無理だ、という、あの領域である。(ちなみに鈍くさい僕は、跳び箱は苦手だった)

僕は受験勉強は本当に嫌いだったのだが、大学生以後の学びは徐々に好きになり、研究者として働き出してからは、めっちゃ好きに変わった。いま、人生で一番学びが楽しいかも知れない。それは、『できそうだけれどもできない』領域としての最近接発達領域(ZPD)に挑戦し続けながら、自分の可動域を広げてきたからであり、そこによって見える世界がずいぶん違ってきたからであり、その中でオモロイ何かと沢山出会い続けているからだ、と思う。そして、その時々の発見(My Discovery)を言語化するのが、16年間書き続けているこのブログという媒体だ。

このブログは2005年に大学教員になった年から始めている。最初は文章修行のつもりで、自分の意見を書くのはめちゃくちゃこわごわ、書いていた。イメージしているのは、当時から読み始めた内田樹さんのブログで、内田さんのブログの文体や引用して思考する記述スタイルを当時はこっそり真似をしたりしながら、言語化トレーニングを始めていた。

それがある時期から、自分が時々に読んだ本や出会った経験を主題化して、その時に自分が「これは書かねば!」と発見したことを言語化するブログとして機能し始める。猛烈に仕事が忙しくなってくると、読んだ本や浮かんだアイデアもすぐ忘れるので、外部記憶装置のように書いておいた。実際、検索して思い出すアイデアや情報も数知れず(苦笑)。

そして、さっき井庭さんの本を読みながら、僕がオモロイ本を読んでブログに記述して言語化する行為って、「いまギリギリできそうだけれどもできない部分を見つけて挑戦すること」なんだな、と深く了解した。論文のようにこなれていなかったり、自家薬籠中の物になるまえの、割と生な思考や感情を言語化しようとしている。そして、ブログで取り上げる本も、最近では子育て支援や教育領域が多いのは、ゼミ生のテーマを一緒に勉強しているから、もあるけど、娘が生まれて以来、やっと児童福祉や教育領域を自分事として考えるようになってきたから、かもしれない。いずれにせよ、自分の専門領域でない本を読んで、「そういうことだったのか!」と発見して、『できそうだけれどもできない』領域に関しての思考を深めるためのツールとして、ブログが機能している。井庭さんは、パターン・ランゲージが自分で自分の足場をかけることができるメディアだ(p521)、と言っているが、僕はそのことを知らなかったので、ブログを「足場かけ」として用いてきたのかも、しれない。

それに関連して、あと二つ、この本から紹介したい概念がある。一つ目は、≪発見の広がり≫(Discovery-Driven Expanding)である。井庭さんはこんな風に書いている。

「自分のことを見つめ直す『My Discovery』(自分の発見)から始め、次に相手の発見も受け止められるようになる『Your Discovery』(相手の発見)を経て、みんなでコラボレーションして『Our Discovery』(自分たちの発見)に至るという三段階として設計するというものです。」(p547)

僕自身がプロジェクト型の探究をする時に感じていた疑問は、教員なりリーダーのプロジェクトに学生やフォロワーが従うときは、従う方は面白くないのではないか、というものだった。そして、その理由はまさに井庭さんがいうように、『My Discovery』(自分の発見)をベースとしないリーダーの『Your Discovery』(相手の発見)だったり、最初からの『Our Discovery』(自分たちの発見)だからではないか、と今日のてっちゃんとのZoom対話でも整理された。これはゼミでも同じで、僕のゼミでは僕がテーマを決めない。ゼミ生達は自分が探求したいテーマを自由に探して、それを深掘りしてほしいと願っているのだが、それは『My Discovery』(自分の発見)がないと、学びや発見は拡がらないからだ、と感じているからだ。

もちろん、これは僕自身の学び方に関係している。僕も、大学院生のころから、必死になって自分のテーマを探してきた。有り難いことに大熊一夫師匠は、「これでやれ」とテーマを最初から指示することはなかったので、僕は精神病院でのフィールドワークをする中で、自分が何をテーマに博論を書けるか、を模索し続けた。その中で、病院と地域を、当事者と家族や他の医療者を、シャバと医療界をつなぐ「つなぎ役」としての精神科ソーシャルワーカー(PSW)が気になっていた。だが、どうやって博論に高めてよいか分からなかったD2の秋に、師匠にこう言われた。

「竹端くんはPSWが大層気になっているようだ。であれば、フィールド先の京都府内のPSW全員に会って話を聞いて、そこからPSWの課題を探って博論にまとめよ。それが出来なかったら、竹端くんの博論はない!」

そのエピソードを思い出したのも、さっき引用した部分の続きで井庭さんが書いていたからである。

「プロジェクト学習のミッションは、先生が与えずに、生徒が自分で見つけないと主体的な学びではない、と考える人たちもいますが、市川さんはミッションを与えるという方法で実施していました。≪チャレンジングなミッション≫を設定するのです。ミッションをこちらから与える理由として、世の中において多くのミッションは天から振ってくるように与えられるからです。そこから自分なりにそのミッションとどう関わるかが大事。」(p547)

D2の秋の師匠からの一言は、まさに僕にとっての「天啓」であり、≪チャレンジングなミッション≫であった。何をすべきかはわかった。でも、1年強で100人以上のPSWにあって、そこからPSWの課題を見つけ出して、そのインタビューデータに基づいて博論を仕上げないと、僕には未来がない。めっちゃハードルは高いけれども、出来ないとは限らない。それを『できそうだけれどもできない』領域にして、期間内にやり遂げるという≪チャレンジングなミッション≫。沢山の方に助けてもらいながら、そこに猪突猛進で突き進んでいくうちに、僕なりの『My Discovery』(自分の発見)が開かれてきて、それが博論で発見した5つのステップという形で昇華され、後に支援者エンパワメントや『「無理しない」地域づくりの学校』など20年近く研究をし続ける原動力となる≪発見の拡がり≫につながっていった。

さらに、この師匠と僕との関係で言うと、「正統的周辺参加」と「好奇心誘発参加」の違いを市川さんが述べておられる。これが紹介したい二つ目の概念である。

「師匠に出会い、憧れて、師匠の仕事を手伝いながらだんだん師匠のようになるという学び方を、『正統的周辺参加』と言いますが、こうしたスタイルは、すでに確立された技の伝承においてはとても有効だと思います。一方で、単にブラックな働かせ方やハラスメントにつながる可能性も高い。
ジェネレーターとともに行うプロジェクトは、好奇心が主導します。あこがれの人を目指し、ついていくのではなく、いわば『好奇心誘発参加』。面白さにひきずられてみんな巻き込まれてゆくんです。だからジェネレーター気質の人って、仕事のプロセス自体を楽しんじゃう。」(p536)

これを書き写しながら改めて気づいたのだが、僕は大熊一夫氏に弟子入りした、という師弟関係を結んでいた意味では、今まで「正統的周辺参加」だったと思い込んでいた。そして、確かに「あこがれの人を目指し、ついていく」という形で学んできた。でも、師匠からは本当に幸いなことに、「ブラックな働かせ方やハラスメント」は受けなかった。別の教員にアカハラを受けて潰れそうになり、人生のどん底だったときも、既に大学を離れた師匠は折りに触れ僕にアドバイスをくださり、護ってくださった。「師匠に出会い、憧れて、師匠の仕事を手伝いながらだんだん師匠のようになるという学び方」そのものだったが、師匠自身はその後もイタリアに長期取材を続けてバザーリアを日本に紹介する数々の仕事をされるなど、師匠の好奇心を全面展開して、探求しておられた。僕は、師匠から時々の探求のお話を伺い、それらの「面白さにひきずられて」「巻き込まれてゆく」のだった。そういう意味では、師匠との関係は、「好奇心誘発参加」でもあったのかも、しれない。

そして、今、ゼミ生や社会人の方々と、色々な学びの場をコラボレーションしつつある。教わる側、ついて行くフォロワーから、教える側、に変わりつつある。その際、僕自身は上意下達的な教師は嫌だな、と思っていたので、なるべく話し合いを促すファシリテーターとして生きようとここ10年近くやってきた。でも、こないだてっちゃんに指摘されて、ファシリテーターから探求者のほうが良いのではないか、と思い始めた。

そして今日もてっちゃんから教わって井庭さんの本を読んでみたら、創造社会においてはティーチャーでもファシリテーターでもない、ジェネレーターが求められている、と整理されていた。

「ジェネレーターは、プロジェクトでの創発的な活動に、自ら参加者として入って一緒につくりながら、自分の創造性も他者の創造性も刺激しつつ、たくみにコミュニケーションを誘発し、アイデアを生成するという教師像です。」(p528)

これこそ、僕が探求者として求めていたアプローチそのものだ、と読んでいて嬉しくなってきた。そう、僕は僕での探求をしたいし、「自分のことを見つめ直す『My Discovery』(自分の発見)」をし続けたい。でも、関わるゼミ生や社会人の方々も、それぞれ「自分のことを見つめ直す『My Discovery』(自分の発見)」をしてほしい。そして、僕とみなさんが交錯する場に置いて、お互いの「自分のことを見つめ直す『My Discovery』(自分の発見)」に基づいて、「次に相手の発見も受け止められるようになる『Your Discovery』(相手の発見)を経て、みんなでコラボレーションして『Our Discovery』(自分たちの発見)」につながる。そういう学びの共同体を作っていきたいし、その中で率先してオモロイことを楽しみながら、他の人の面白さにも火をつけるジェネレーターでありたい。そう思い始めている。そして、『「無理しない」地域づくりの学校』でやってきたことも、一人一人の「マイプラン」作成を応援する中で、お互いの「自分のことを見つめ直す『My Discovery』(自分の発見)」を励まし合い、互いのプランを聴き合うプロセスにおいて、「相手の発見も受け止められるようになる『Your Discovery』(相手の発見)を経て、みんなでコラボレーションして『Our Discovery』(自分たちの発見)」を生み出してきたプロセスなのかも、しれない。

そう思うと、科研でやっている反抑圧的で対等な場づくり・地域づくり、という研究テーマも、実はこのようなクリエイティブ・ラーニングの場づくりなのかもしれない、と思い始めている。

と、つらつら書いてきたこのブログは、まさに「自分のことを見つめ直す『My Discovery』(自分の発見)」のプロセスであり、僕にとっての『できそうだけれどもできない』=最近接領域での大人の成長・発達にむけたチャレンジである、と改めて言語化しながら感じた。

異色のフィールドワーク

興味があって読み始めたら、あっという間に最後まで一気読み、という本がある。その一方、めっちゃ興味があって、読んでいて面白いのだが、その内容を咀嚼するのに時間がかかって、一気に読み通すことが出来ず、チビチビと時間をかけて読み進める本もある。今日ご紹介するのは、後者の代表例のような一冊。村上靖彦さんの『子どもたちがつくる町 大阪・西成の子育て支援』(世界思想社)である。

何が異色かって、現象学者が質的研究をするとこんな風に描けるのだ、という意外さであり、西成におけるソーシャルワークの底力が、著者のなじみ深い哲学的用語を殆ど使わずに豊かに描かれている鮮やかさであり、そのうえで、現象学的還元に基づいて現状を問い直し、「問題行動」や「困難事例」を見事に問い直しながら、関わり合いの相互作用の魅力をガッツリ描き出している、という意味で、幾重にも異色さがあり、ほんまもんのフィールドワークの成果を読んだ、という満足感が残る一冊である。

大阪の西成は、日雇い労働者の町として知られ、今でも生活保護受給者の割合が他の地区に比べて高い。簡易宿泊所など、一時的に住める住まいもあることから、他の地域から、しんどい状況を抱えた親子が逃げてくる場合もある。そういう意味で、子ども支援においても、「しんどい子」がたくさんいる。その西成における子ども支援については、学校現場の教育実践について調べている、大学院の同期だった柏木智子さんの著書を以前紹介したことがある。また、「「ホームレス」と出会う子どもたち」は随分以前から授業でも見続けてきた。それゆえ、子どもの里の荘保さんなどへのインタビュー調査から、西成における子ども・子育て支援の実態を明らかにするこの本は、すごく楽しみだった。

で、この本で一番印象的だったのは、以下の部分だ。

「二間続きの畳敷きの居間の片側でほかの子どもたちと遊んでいたときに、ちょうどもうひとつの部屋の奥にいたA君が、つーっと無言でやってきて、何も言葉を発しないままに、私の目を見ることもなく、私を本気で殴り始めたのだ(彼はとくに発達上の問題はない)。小学生だが、私の急所めがけて、本気でパンチをしてきた。打ちどころが悪かったら、ケガをするような勢いだった。そして、何も言わずにつーっと離れて、玄関から出て行ってしまった。
目も合わせず本気で殴り続ける様子に、私は殺気を感じた。その晩、私は大きな犬に襲われる悪夢を見たことで、この経験が言葉にならない仕方で残っていたことにも気がついた。」(p149)

フィールド先で、子どもに本気で殴られる。しかも殺気をもって殴られる。これは、フィールドワーク最中でなくても、ものすごく恐ろしい出来事だし、悪夢を見るのもよくわかる。だが、このA君が本気で殴り始めたのは、こんな理由だったと、児童相談所の勤務経験のある人に教わって、村上さんは腑に落ちる。

「先生によると、『お前は誰やねん。ここはおれの縄張りやぞ』というメッセージで、大人は『痛い痛い、暴力はんたーい』といって相手をすればよいというのだ(実際、私はほぼそういう対応をした)。そして、最後に子どもが一発本気で殴ってきたら、こちらをメンバーとして認めてくれたあいさつだ、というのだ。」(p150)

村上さんは、2014年から西成に関わり始め、2017年以後、集中的に西成に通い続け、色々な人に話を聞き続けている。A君とは「にしなり☆こども食堂」の川辺康子さんへのインタビューをしている中で、川辺さんが最も気になる子どもとしてあげた、複雑な生活環境を抱えた子どものことである(本文にその内容が詳しく記載されている)。「しんどい」家庭環境を抱えた、「しんどい」子ほど、関わりづらい。それは「処遇困難事例」「問題行動」などとラベルが張られがちであり、村上さんが受けた殺気ある暴力も、まさに「問題行動」である。

だが、その子にはその子なりの、そういう行動に至る内在的論理がある。村上さんは、ご自身のフィールドワークの積み重ねや、川辺さんへの継続的なインタビューを通じて、A君の内在的論理を理解しようと、探求し続けてきた。その中で、川辺さんとA君のつながり方に「拒絶と否認」があることを発見する。

「このあと何年か継続的に彼と川辺さんをみてきてわかったことは、川辺さんがA君とつながろうとして居場所をつくり出そうとするたびに、『そもそもお前と俺の関係はなんやねん』というようなメッセージをA君が出すということだ。これは関係を拒絶する言葉というよりは、どれだけ彼が孤独であるか、ということを表現しているように今は感じる。まさに川辺さんとはつながりがあり、切れることもない安心感ももちかけているがゆえに、切れてしまうのではないかという不安から、このような言葉を発しているように感じるのだ。
彼が要所要所でくり返す切断の身振りは、幼少期に両親が突然失踪した切断を無意識的に反復していると考えると理解しやすくなる。過度に心理学化したくないのだが、このような精神医学的な心的外傷の理解を踏まえないとわからないことがある。潜在的な外傷の表現としての『そもそもお前と俺の関係はなんやねん』というふるまいがあり、かつ、<つながることができない人とでもつながる装置>としての子ども食堂がある。」(p152)

書き写しながら、村上さんの、関係性を把握してそれをしっかりと描写する、その抽象化力と表現力の豊かさや確かに、敬服する。もともと現象学の研究者だった村上さんが、近年自閉症や看護、虐待など福祉や医療的な領域でのヒアリング調査に基づいた著作を積み重ねてこられたのは知っていたし、本もご恵贈頂いたり、自分で買って読んだりしてきた。でも、一読者として感じるのは、この本では、以前の村上さんの著作からはギアがぐっと入れ替わった、というか、村上さんの現象学的な視座と、西成におけるソーシャルワーク実践の魅力がガッツリはまり、そこに彼の時間をかけたフィールドワークの経験値が深く刻み込んだ上で成立した、骨太のフィールドワーク記録であり、現象学的質的研究の集大成の一冊である、という読後感である。

ご自身が本気で殴られる、という形で出会ったA君が、川辺さんという支援者とどのようなつながりを持ち続けているのか。『そもそもお前と俺の関係はなんやねん』というのを、表面的な拒絶や否認、自己決定や問題行動という狭い枠組みで捉えるのではなく、A君の辿ったかなりしんどい人生の中での、「潜在的な外傷の表現としての『そもそもお前と俺の関係はなんやねん』というふるまい」であり、でもそれを川辺さんには表現して良い、という、つながりの安心感と、それを表現してよいのかという不安と、でもそうせざるを得ない孤独と・・・というものがない交ぜになる中での、「暴力」であったり「暴言」であったりするのだ。親密さを、親密さとして表現することができないほど、絶望的な状態においやられた「しんどい子」であるA君の内在的論理を、長い時間をかけて捉えようとする、村上さんの思いが、行間に詰まっている、と感じた。

そして、この圧倒的なフィールドワークに基づく分析を読んでいると、社会福祉学や福祉社会学は一体何をしているのか、という問いも浮かんでくる。それは、必然的に、ぼく自身はフィールドワークをちゃんと出来ていないよなぁ、という自分自身へのリフレクションにもつながる。

村上さんは、荘保さんや川辺さん、「わかくさ保育園」の西野さん、アウトリーチと居場所をつなぐスッチさん、助産師ひろえさんという魅力的な5人に焦点化し、それぞれの人へのインタビュー記録を元に、現象学的質的研究という視点から、この本を編み上げる。だが、この本は単なるインタビュー本ではない。上記のように、村上さんがどっぷり西成の世界観にはまっていく中で、時には殴られたり!しながら様々な人と出会い、要保護児童対策地域協議会というフォーマルな会議に自身も関わっていきながら、つまり西成と村上さんの関係性を深める中で、その地域の・支援者の・子どもたちの発するメッセージを読み取る深さや濃度が高まる中で、レンズの解像度がぐんと上がるなかで、この本を書き上げられた、と一読者には感じる。

他方で、社会福祉学や福祉社会学で、こういう魅力的なモノグラフってあるだろうか?と問うと、自分の仕事も含めて、甚だ心許ない。川辺さんとA君の関係性の描写などを通じて、「しんどい子」の「しんどさ」の背景にある、心理的・社会的課題を村上さんはガッツリ描き出しておられるが、例えば社会福祉研究で、そこまでの迫力のある分析は、そんなにあるだろうか? 「問題行動」「困難事例」「要保護児童」を所与の現実として、そういう行動や事例、子どもがどのような内側の困難を抱え、社会的に構築され、そこから逃れられない状況に構造的に追い込まれているか、をしっかり分析出来ているだろうか? この本は、実質的にはソーシャルワークの魅力や可能性について提起している一冊であるが、ソーシャルワーク研究の文脈で、こういう現場実践を豊かに描き出しつつ、理論と接合させる記述が出来ているだろうか?

そういう疑問が読みながら次々と出てきて、自分への刃ではないけど、イテテ、と思いながら読み進めていたので、時間がかかったのかも、しれない。

最後に、これはこの本への不満や批判ではなく、この本を踏まえた上で、自分自身がずっと抱いている研究課題に引きつけたことを、一言書いておきたい。

こういう魅力的な実践やインタビューを読むと、いつも感じることがある。それは、「その人がいなくなればおしまいの壁」があるのではないか、ということである。ここに出てくる魅力的な5人も、他の普通のソーシャルワーカーや教員やボランティアが出来ないことを、やってのけておられる。だからこそ、魅力的だし、学びが多いし、こういうことを実践しなくちゃ、と勇気がもらえる。でも、ここに出てくる5人は、支援者のスタンダートではない。むしろ、カリスマであり、秀でた・ものすごく魅力的な人々である。そして、こういう魅力的な人の実践はすごく学びが多いし、刺激的である。だが、そういう魅力的な人々に支えられた組織や地域って、その人々がいなくなったらどうするのだろう、という不安が、つねに頭によぎる。

だが、繰り返し述べるが、これは村上さんの研究や西成への批判ではない。僕の20年前からの問題意識である。昔「ボランティアとは言わないボランティア」という論文を書いた時に感じていたのも、そうだった。ものすごく魅力的で、カリスマというか職人芸的に仕事をされている、精神科ソーシャルワーカーのやっていることを、フィールドワークに基づいて大学院生の頃に書いたものである。その時からずっと感じているのは、対人援助においては、現場の裁量性が大切だけれど、その裁量性によって、めちゃくちゃ魅力的な支援も、あるいはとんでもなくまずい支援もある、という裁量が担保されてしまっている、という現実である。おそらく西成では、要保護児童対策地域協議会が形骸化しておらず、地域の「しんどい子」「困っている子」を常に意識し、スッチさんのように「気になる子」を訪問する人材もそろっているから、現場の裁量がポジティブに活かされているのだろう。それが、「地域のすき間を見つける支援者が持つ<点のカメラ>と<面のアンテナ>」(p195)を通じて活かされていることも、よくわかった。

だが、西成以外の地域で、こういう「しんどい子」と向き合う時にどうしていったらよいのか、という時に、このフィールドワークの知見をどう活かせるのだろうか。常に僕の頭はそういう方向で考えてしまう。それは、ケアマネジメント=マネジドケアの枠組みのなかで、計画相談やケアプラン作成でアップアップしていて、パソコンを見るのが仕事になって、本人や家族とじっくり向き合うことが出来ていない、そういう一般的な支援者が、少しでもこの「子どもたちがつくる町」に出てくる5人の支援者のように、本気で子どもたちと出会い、子どもたちに教えられ、子どもたちと共に生き心地のよい町をつくるために、ソーシャルワーカーがどう関われるのだろう、そのためのソーシャルワーカーの変容課題は何だろう、という問いである。

いや、このあたりは、村上さんの本への評価ではなく、ぼくが考えるべき仕事であり、長年の宿題である。(その一部は、この春土屋さんや伊藤さんとともに出した『困難事例を解きほぐす』の中でも、部分的に考えている)。でも、そういう、社会福祉学と福祉社会学の境界領域を歩き続ける研究者のぼく自身の実存にも直接問いかけてくださる、本質的な課題提起がされている、そして何より西成の子ども・子育て支援の魅力が濃縮されている、実に読み応えのある一冊だった。そしてほんまもんのエスノグラフィーを読んでいると、僕も久しぶりにちゃんとインタビューとか調査研究を再開せねば!と思いを新たにさせてくれる、研究欲をかき立てる一冊でもあった。

子どもを中心にする視点

子どもが生まれてから、児童福祉や教育学領域の本を遅まきながら読み始めている。その中で、今年読んだ本のベストに入りそうな一冊と出会った。教育学者が子どもの権利条約をベースにしながら、学校にまつわる5つの論点(「不登校」「学力」「障害」「道徳」「校則」)を論じていくのだが、まず最初に読み始めた「障害」の章で痺れてしまった。

「日本の学校は、分類することによって『多様な』子どもたちを生み出している。なぜ、さまざまな基準を用いて細かく分けるのか。丁寧な指導のため、それがその子のため、と思い込んでいるのだろうが、実際には全体を統一(画一化)していくためである。
まず、分類されることによって、その分類されたグループ内は画一化される。その分類は能率性という観点からなされ、『問題』とされる者たちが集められていく。『問題』である限り、修正を施されることになる。つまり、分類によっていったん名付けられた多様性は、最終的には解消されなければならないということになる。落ち着きがないなどの『問題』を理由に、たとえばその状態に『発達障害』などの医学的な命名がなされ、特定の子どもたちが普通学級から分離されていく。『不登校』も同様である。その『問題行動』の背景に、受験等の競争的学力観によるストレスなどがあるのではないかといった問いが立てられることはない。現象的にわかりやすい部分にのみ着目し、似た者同士が集められ、訓練を施され、何らかの『水準』に達することが期待される。つまり、分類は画一化のための手段ということになる。」(池田賢市著『学びの本質を解きほぐす』新泉社、p146-147)

漠然と日本の学校教育や分離教育に感じていた疑問を、教育学者がこれほどズバリと射貫く表現をしてくれると、気持ちよい。「分類は画一化のための手段」とは、精神病院や入所施設と構造的同一性の論理である。

入所施設や精神病院は、「地域で暮らせない」と分類された人を、画一的に処遇する場所である。両者は本来「通過施設」であり、人生の一時期だけを過ごし治療や療育を受ける場所、という建前であるが、長期社会的入院入所の状態が続いている。その背後にある論理は、池田さんが指摘する以下の構造そのものである。

「その分類は能率性という観点からなされ、『問題』とされる者たちが集められていく。『問題』である限り、修正を施されることになる。つまり、分類によっていったん名付けられた多様性は、最終的には解消されなければならないということになる。」「現象的にわかりやすい部分にのみ着目し、似た者同士が集められ、訓練を施され、何らかの『水準』に達することが期待される。」

そして、障害のある人の差違を「能率性」に基づいて「分類」し、治療や改善が見られたら=差違が最小化されたら退院・退所可能、という論理構造になっていると、いつまで経っても退院や退所は可能ではなくなる。「画一化のための手段」としての「分類」が続いている限り、このような分類による排除はいつまでも再生産されていく。日本でこの20年間、「発達障害」とラベルを貼られる人が急増し、特別支援学校の高等部が雨後の筍のように急増した背景にも、このような「能率性」に基づいた「画一化のための手段」としての「分類」の発送はなかっただろか。そしてそれは社会的排除と軌を一にする。

「認識すべきは、『普通』という権力的・暴力的に設定された軸からズレていることを否定的なニュアンスで意識化させて、期待されている軸に乗ろうとするメンタリティの形成が目指されている、という点である。」(p147)

これは特別支援学校(学級)への指摘であるが、例えば障害者就労の現場でも、これと同種の論理が働いているように思えてならない。「普通の職場」に適合することが善とされて、そこに合わないから「障害者雇用」という特別枠での就労が期待される。いずれも「期待されている軸に乗ろうとするメンタリティの形成」が前提として目指されていて、その軸にどれくらい乗れるか・乗れないか、で査定されていくシステムである。

ただ、池田さんが本書全体で問い直そうとしているのは、そもそもこのような「『普通』という権力的・暴力的に設定された軸からズレていることを否定的なニュアンスで意識化」させる、そのこと自体の問題性である。なぜ学校・学級・社会における「普通」の言動が出来ない人は、社会的に排除されるのか。その時、この「普通」の暴力性や権力性を問うことなく所与の前提として無批判に受け入れ、この「普通」の軸に合うか合わないかで分類し、分類された特別支援学校や障害者施設、精神病院などでも、普通に戻る、という画一化された基準でしか捉えられないことの暴力性について、なぜ不問にしておくのか、という問いである。そういう意味で、精神病院や入所施設の構造的暴力や、社会的排除の論理は、特別支援学校における問題と全くの地続き(同一スペクトラム上)である、とこの本を読んで、再確認することが出来た。

上記の、問題の個人化を問い、社会構造の抑圧課題として問題を解きほぐす姿勢は、他の章でもしっかり主軸として語られている。

「なぜ学校に来られなくなってしまったのだろうか、という疑問は封印されている。学校はそのままの形で存在していてよいのであって、そこになじめない子どもに問題があるという発想をとっている。」(同上「不登校」p42)
「いまの大人たちが、まるでそれが避けがたい方向性であるかのように一定の状況を設定し、その中でうまく生き残っていけるような『力』『スキル』を子どもたちにあらかじめ身につけさせようと考えること自体が問題である。本当にそんなに『大変な』社会状況になるのならば、そのような社会にならないよう、その技術の普及にはストップをかけていくのが今の人間の未来に対する責任ではないのか。」(「学力」p81)
「思いやりなどの心の状態を強調し、『弱者』への配慮こそが問題解決のあり方として肯定的に示されていくとすれば、その『弱者』自身が、自らを弱者に追い込んだ社会を批判し、権利を主張していくことについては否定的にとらえられていくことになるだろう。そのような『主張』は『わがまま』だとされるか、『煙たがられる』ことになる。」(「道徳」p186)

書き写しながら改めて感じるのだが、教育の現場でこそ、「問題の個人化」「自己責任化」や、「社会構造や公的責任について不問とする姿勢」が再生産されている、と強く感じる。事実、僕自身も、大学院生の頃から精神病院問題に関わり、障害者運動に出会うまで、能力主義を鵜呑みに信じ、努力するものは報われると思い、だからこそそれが出来ない人は結果責任だ、と思い込んでいた。そうであるがゆえに、精神病院や入所施設の構造的暴力の問題に取り組んでいる間も、特別支援学校(学級)に関しては、自分の意見を述べるのを、10年前くらいまで、躊躇していた。学力差があったり、普通学級で落ち着いて学ぶことが出来ない子どもがいるならば、別の学級で学んだ方が、「その子のため」になるのではないか、と。

しかし、この「あなたのため」に私とあなたを分離・区別する眼差しこそが、実は当の排除を生むのである。「まるでそれが避けがたい方向性であるかのように一定の状況を設定し、その中でうまく生き残っていけるような『力』『スキル』を子どもたちにあらかじめ身につけさせようと考える」からこそ、その「力」「スキル」を「普通」の子と同じように身につけられない子が、有徴化され、排除される。でも、池田さんは、そもそも「学校はそのままの形で存在していてよいのであって、そこになじめない子どもに問題があるという発想」自体が差別を生み出す、と決然として述べる。「その『弱者』自身が、自らを弱者に追い込んだ社会を批判し、権利を主張していくこと」が「『わがまま』だとされるか、『煙たがられる』ことになる」、そんな差別的な社会構造を問わない限り、この構造は再生産され続けるのである、と。そして、それに僕は深く頷く。

では、どうすればよいのか。そこで出てくるのが、子どもの権利条約の「参加する権利」および「意思表明権」(第12条)や「子どもの最善の利益」(第3条)である。それに関しても、池田さんは至極真っ当な、それゆえキラリと光る発言をしておられる。

「『自己の意見を形成する能力』の<ある子ども>と<ない子ども>がいて、<ある子ども>に対して認められている権利だということではなく、子どもというのは、そもそも『自己の意見を形成する能力』がある存在なのだ、とこの条文は言っているのである。もちろん、うまく意見が言える子どももいれば、なかなかことばにならない子どももいる。だからこそ、『年齢および成熟度に従って相応に考慮』されなければならないのである。しっかりと大人にわかるように意見の言える子どもの意見をより尊重するという意味ではなく、どんな子どもも正しく自分の意見を述べているのであって、それを理解できていないのは、大人の側なのである。条約は、子どもによってはその表現が伝わりにくいこともあるから、その点を大人の側はしっかりと意識(配慮・考慮)して、その子どもの意見を受け止めるようにしなければならない、としているのである。」(「校則」p213)

これは、障害者の意志形成・意志決定支援についても考えてきた&4年間子育てで四苦八苦してきた僕からすれば、本当に我が意を得たり、のような発言である。

うちの娘は、まさに生まれた時から、様々に意思表明をし続けてきた。ただ、おなかが減った、眠い、疲れた、感情のコントロールができない、しんどい・・・と言語的に理路整然と表現出来ないから、泣いたり、叫んだり、ジタバタしたりして、懸命に表面しているのである。しかし、親は非言語的メッセージと出会っても、すぐに何を訴えるのか、が理解できるわけではない。だからこそ、おなかが空いているのか、眠たいのか、感情的に煮詰まっているのか・・・など、どのような意見を述べようとしているのかを推察し、色々試行錯誤しながら、何を伝えようとしているのか理解しようと努める。4才になって、だいぶ言語的表現は出来るようになってきたが、今日も西松屋で「この水筒欲しい」と言ってきかず、どうやったらその気持ちを収める事が出来るか、で15分くらい、ジタバタしていた。これが、『年齢および成熟度に従って相応に考慮』することの意味、そのものである。

そして、これは重症心身障害や重度の知的障害・認知症などで、論理的に言語的表現がしにいくい・できないとされている人を支援する時にも、必要不可欠な視点である。あるいは、自傷他害の行動に陥った人に関しても、同様である。

薬物依存の回復者である倉田めばさんと20年前に出会った時、次のような素敵な言葉を教えてくれた。

「母はよく私に言った「薬さえ使わなければいい子なのに」私は思った(いい子の振りをするのが疲れるから薬を使っているのに・・・・・・)」
「私にとって薬物とは言葉であった。ダルクのミーティングは本来の言葉を取り戻す作業である。自分の言葉を取り戻したときに、薬物が不必要になってくる。」

薬物依存状態の人は、薬物に頼らざるを得ない状況に構造的に追い込まれている。つまり、薬物依存を通じてでしか、自己表現出来ない状況に陥っている。それが、「私にとって薬物とは言葉であった」という意味だと僕は受け止めた。「いい子の振りをするのが疲れるから薬を使っているのに」というのは、「いい子の振り」をさせる(この場合は親子での)権力関係構造をそのまま放置しておいて、「薬さえ使わなければいい子なのに」という眼差しを大人が子どもに向け続けること自体が、薬物依存の悪循環を強化していくのである。これは、薬物依存に限らず、自傷他害と呼ばれる行為や、強度行動障害、認知症の人のBPSDと呼ばれる言動にも共通していると感じる。そのような行為は「普通ではない」し「注意をしても聞かない」から、上記のような症状としてラベルが貼られている。だが、そういう「問題行動」は、生きる苦悩が最大化した人々の、論理的に言語化出来ないが故の、非言語的なSOSの表現なのである。それを、周囲の人間が社会規範や世間的道徳で糾弾するのではなく、本人がそうせざるを得ない内在的論理を理解した上で、どうやったらその悪循環から脱出することが可能か、どうしたらその「自己表現」をしなくても安心して「本来の言葉を取り戻す作業」ができるのか、を本人と周囲の人が協働して考えることが出来ると、そのような悪循環は結果的に収まっていくのである。

そのあたりは4月に出た共著『「困難事例」を解きほぐす:多職種・多機関の連携に向けた全方位型アセスメント』でも一部書いている。そして、実は「解きほぐす」が同じタイトルだったので、この池田さんの新刊情報に興味を持って、著者のことは全く知らない状態で買い求めたら、教育と福祉と、別のアプローチから同じ山を登ろうとしていることがわかり、なおさら共感を持ってこの本を読んでいた。

すべての人には、障害の有無や年齢如何に関わらず、『自己の意見を形成する能力』がある。ただ、年齢や状態によって、その能力の発揮にはでこぼこがある。だからこそ、全ての人が「自己の意見を形成する」ことが充分に出来るように、教員や支援者、親などの応援者が、その人の意思形成や意思表明を応援し続けていく必要がある。それが安心して保障される社会こそ、障害者や子どもの権利が護られる社会であり、ひいては全ての人の尊厳が保障される社会である。

この本を読んで、そのことを改めて感じた。

孤独なのは医者だった

オープンダイアローグに関わる知り合いの精神科医の本を二冊読んで、腑に落ちたことがある。それは、実は旧来のシステムの中にいる精神科医ってめちゃくちゃ孤独な存在だ、ということだ。縛る・閉じ込める・薬漬けにする、という治療では、うまくいかない。でも、それ以外のやり方を教わっていないし、どうしていいのかわからないし、序列やヒエラルキーの激しい日本の医療界にあって、看護師やソーシャルワーカー、ましてや患者や家族にどうしてよいのかお尋ねするなんてことは「してはいけない」と思い込んでいる。だからといって、医局の先輩が教えてくれる訳でもない。すると、精神科医は孤独に陥るか、居直って独善的になっていく。

『まんが やってみたくなるオープンダイアローグ』(医学書院)の第9章「タマキ先生のビフォーアフター」に出てくる斉藤環さんは、治療者として抱え込んで独善的になっても上手くいかず、その後患者から距離を取って孤独に陥り、「斎藤ロボ」と陰であだ名がつけられていた。それは、彼の個人的性格もあるのかもしれないけど、基本的に薬物治療で上手くいかなくても、それ以外のやりかたを彼自身が知らないし、どうして良いのかわからず、袋小路に陥っていた、ということでもあった。

一般的に、精神病を抱えた人こそ孤独であり、治療者はその孤独を和らげる仕事をしている、というイメージを抱きやすい。でも、タマキ先生自身が、かなり孤独であり、それを他人にカミングアウトすることさえできなかったのだ。

それが、オープンダイアローグにであって、斎藤さんは鎧を脱ぐことが出来た。看護師や臨床心理士、ソーシャルワーカーなどに助けてもらう必要性や、そうすることで自分一人で患者と向き合う孤独を乗り越えることが出来、結果的に煮詰まっていた治療関係を開くことが出来た。その中で、診察の間に笑いも増え、「斎藤ロボ」ではなくなっていった。支援チームと一緒にダイアローグに関わることで、斎藤さんは圧倒的な孤独から解放され、「当事者が自発的にふるまうことのできる空白(スペース)を生み出すための対話」(p145)をはじめることができた。それは、斎藤さんの治療観のパラダイムシフトであり、「斎藤ロボ」が人間に戻るために必要不可欠な経路であった。

そして、孤独なのは「斎藤ロボ」だけではなかった。

「『先生は変わった。昔はロボットみたいだった』
私はAIのように、正しい方法をみつけることで、人を助けようとしていたのかもしれない。医学を必死に学ぶほど、私の脳は『標準化』されて、私の言葉は技法のようになっていったと思う。」(森川すいめい『感じるオープンダイアローグ』講談社現代新書

森川すいめいさんも、その昔、ロボットのようだったという。斎藤さん同様、誠実に治療に取り組んだ医者であり、両方とも従来の治療に煮詰まりを感じて、オープンダイアローグに出会った精神科医である。森川さんの言う「医学を必死に学ぶほど、私の脳は『標準化』されて、私の言葉は技法のようになっていった」というのは、非常に象徴的な発言だと思う。

旧来の近代合理的・線形的因果論に基づいた医学を真面目に学ぶと、生物精神医学が主流であり、それは標準化規格化された知識がたくさん身につく。でも目の前の生身の人間の生きる苦悩の最大化した姿には上手く当てはまらない。ではどうすればよいのか、を悩むと、それを乗り越えるための技法(方法論)にすがるようになる。技法は上手くなっても、どこかうまくいかない。だから、ますます知識を求め、技法にすがり、ロボット化していく。

努力は必要だが、努力の方法論を間違えると、うまくいかない。斎藤さんも森川さんも、そういう意味では、努力の仕方がわからず、袋小路に陥っていたのかもしれない。そんな二人は、治療がうまくいかず、孤独においやられた。そもそも、他者の苦悩を聞く仕事なのに、自分の苦悩には硬く蓋をしていた。そして、魂が蓋をされた状態で、ロボット化し、周囲との距離も出来て、孤独は深まるばかりだった。そんな袋小路を越えるためには、斎藤さんだけでなく、森川さんにも、チームが必要だった。

「それまでの、医師の私が中心になって行う対話は、対話なのか単に輪になっただけなのかがわからないものだったが、スタッフと対等の立場で話すようになったら、明瞭に対話は広がった。今では、他のスタッフが入ることで、対話がこれまでとは全然違う、豊かなものになることを実感している。私一人の考えではどうにもならないことがしばしばあるし、他のスタッフが話しているのを聞くことで刺激も受けられる。また、話さない時間があることで考える間が生まれ、私自身の中にも新し考えが浮かびやすくなる。対話の場にいるそれぞれの思いが重なって、新しい考えやこれまで話されていなかったことが話されるようになっていく。」(同上)

大学院生の時、精神科医の診察にしばらく陪席させてもらったことがある。その時、精神科医はカルテを見ながら患者に尋ね、それを患者が答える。あるいは患者が話したいことを口火を切って話し、医者はそれを聞く、というスタイルだった。どちらにせよ、医師と患者が1:1であると、その枠組みを超えることは簡単ではない。僕も、患者として医者の前に座ると、本当は言いたかったのに言い忘れて後で悔しい思いをしたこともある。だが、他の医療チームの皆さんと同席しながら、患者が一方的に話すのでも、医者が一方的に話すのでもなく、患者の話に関して他の医療チームの人が話すのを医者が聞け、患者も聞けると、聞きながら、自分なりに色々考えることが出来る。医者だって、本当はわからないことや判断に悩むこともある。1:1なら判断留保が出来ず、とりあえずの決断を迫られるが、チームでダイアローグするなら、あ新しい見立てを考えることもできるし、患者だって、医療チームの話を聞きながら、自分は本当に伝えたいことは・・・と落ち着いて組み立て直すことが出来る。ダイアローグによって、そういう間が生まれてくる。

そして、そうやって他の治療チームの前で見せてきた孤独を隠すための鎧を脱ぐことは、精神科医が、自分自身と向き合う必要性を示してもいる。

「トレーニングの中で行われたこの価値のセッションは、自分の人生につながるものでもあった。自分が何を大切にしていて、どうして働いているのか、今考えると、そんなことさえ人に話していなかった。自分の気持ちを隠したままで、職場によいチームを作れるはずがない。」
「それまでの私は、もう大人だし精神科医になったのだから、家族のことや傷ついた体験など、自分のことを他人に話すものではないと思っていたのだと思う。過去を乗り越えて今がある。私は未来に向かっている。そう考えていた。だから私は、自分が嗚咽していることに驚いた。私は、過去に蓋をしていただけだった。私は仲間たちに身をゆだねて涙し、自分で立つことが出来るようになるまで支えてもらった。そして、私は仲間の話を聞き、同じように涙した。私が体験したように、仲間にもそうしてあげたいと思った。あなたに支えが必要なときは、いつでもちゃんと支える。だから安心して、その傷を話してほしいと願った。」(同上)

森川さんがフィンランドで開催されたオープンダイアローグのトレーニングコースに参加していた時のエピソードを読んで、心動かされた、だけでなく、深く納得した。そういうことだったんだ、と。

現代の日本の(だけでなく、生物学的精神医学が主流であればどこの国の)精神科医は構造的に孤独になることを運命づけられている。治療チームで一緒に考えながら対話的に試行錯誤する方策がないし、1:1の患者—医者構造のなかでは、うまくなおせない場合も少なくない。そして、少なからぬ精神科医が、医者になる以前の思春期に、家族関係や発達段階でのトラウマや傷つき体験を背負っているが(斎藤さんもマンガでそのように描かれている)、「もう大人だし精神科医になったのだから、家族のことや傷ついた体験など、自分のことを他人に話すものではない」と、自分の生きる苦悩には蓋をされる。この蓋は、魂の植民地化であり、これをしてしまうと、共感能力が下がる。なぜなら、「自分の気持ちを隠したままで、職場によいチームを作れるはずがない」からである。そして、職場で看護や心理、SWなどとうまくチーム形成が出来ずに孤立して、それでも何とか事態を改善しようと、間違った方向で努力して、「ロボット化」してしまう。

こんなことを言ったら怒られるかもしれないが、4年前に森川さんとはじめて出会った時、「抱え込んだスーパーマン」のように感じた。マスコミを通じて、患者の為に身を粉にして駆け寄る姿が報じられていたが、実物の森川さんは、か弱くて、疲れていて、周りが必死にそんな彼を支えていて、大丈夫なのだろうか?と不安に思っていた。今から思うと、この当時の森川さんは、まだご自身の苦悩を外部の人に安心して話せる環境ではなかったのかも、しれない。

そんな閉塞感を越えるために必要なことはなにか。それはダイアローグなのだが、技法ではない。そうではなくて、「自分が何を大切にしていて、どうして働いているのか、今考えると、そんなことさえ人に話していなかった」ということに自覚化すること。そして、自分が蓋をしていた、そのような自分の大切な価値をちゃんと他者に話してみること。真摯に聞いてもらうこと。そのプロセスの中で、自分の言葉をちゃんと聴いてもらえた・言葉が届いた、という経験を重ねる中で、言葉を聞くこと、話すことへの信頼を取り戻すこと。そうなのかもしれない。

僕はこれを書きながら、4年前に自分自身が受けた、未来語りのダイアローグの集中研修のことを思い出していた。その場では、まだ頑なさが残っていた時代の森川さんもいた。

あの現場でも、ひたすら話したり、ひたすら聞いたりしていた。色々な技法や理念ももちろん頭に残ってはいるけど、結果的にずっと自分の根底に響いているのは、「ちゃんと話を聞いてもらえる」というのは、時として、涙が出てくるような体験である、ということだ。僕も、自分自身が大切にしている価値をみんなの前で話している時、ちゃんと聴いてもらえた、と感じると、思わず涙が出てきた。それは、自分の中で硬く蓋をしていた感情が開かれたような瞬間だった。

ぼく自身は、10年以上前に「魂の脱植民地化」と出会い、『枠組み外しの旅』という最初の単著を書くなかで、自分自身の中に抑圧していたもの、蓋をしていたものと、少しずつ向き合い始めた。だが、4年前の研修を受けた時、精神医療に関しては、まだまだ蓋をしている、というか、頑なな部分が多いと気づかされた。師匠大熊一夫が精神病院の構造的問題を告発して50年近くになるのに、どうして構造はこうも変わらないのだろう。どうしたら変わるのか? もしかしたら変わらないのではないか。そう思って、絶望的な気分になっていた。

だが、京都での集中研修に参加し、あるいはオープンダイアローグのネットワークにコミットするなかで、斎藤さんや森川さんなど、自分自身が変わることを通じて、精神医療を変えたいと願う精神科医が日本にもいることに気づいた。そして、今回二冊の本を読んで、実はそういった精神科医自身が孤独な存在であるばかりか、医療チームを作れず社会的に孤立もしていているならば、それが日本における精神医療の硬直状態の元凶の一つなのではないか、と改めて感じた。

北風と太陽、という表現がある。厳しく正面から吹き付けて(相手を批判して)、行動変容を強いる北風作戦。一方太陽作戦とは、ぽかぽかと暖かくすることで、相手が自発的に服を脱ぐ(行動変容する)のを促す作戦である。僕は、精神医療においては、ずっと北風作戦できた。日本の精神医療は世界的にみてひどく遅れているし、縛る・閉じ込める・薬漬けにすることでの権利侵害構造はとんでもないし、神出病院事件のような構造的な問題を生み出し続けているし、変わらなければならない、それを見て見ぬふりをしてよいのか、を批判し続けてきた。そして、その批判自体には意味や価値があると思うし、取り下げるつもりもない。

だが、その一方で、ここ4,5年で精神医療を提供する側の人々と関わる機会が増える中で、彼等彼女らの孤独についても知る機会が増えてきた。変わりたくても、変われない。どうしてよいのかわからない。誰とどのように連帯してよいかわからない。既存のシステムを、目の前の患者の治療をすることで精一杯で、それ以外のことを考える余裕がない。・・・こういったことが、結果的に現状を消極的に維持するシステムへの加担につながっていく。それに対して、北風作戦のような真正面からの批判を聞いても、まともに向き合う余裕がないがゆえで、馬耳東風になってしまう。そして、その構造的な対立関係はずっと残ったままになってしまう。そして、批判するぼく自身にも虚しさしか残らない。

そんな現状を変えるためには、まずは相手の内在的論理を知ることが重要である。そして、斎藤さんや森川さんの内在的論理を理解する中で見えてきたのが、精神科医だって孤独だし、閉塞感を抱えているけど、責任感が強かったり、自分が頑張って解決せねばと気負えば気負うほど、結果的に現状を肯定する、というか、現状のシステムのなかで何とかしてしまう方向にベクトルが向かってしまう、という、構造的な悪循環である。その中にいて、そこから出てこない叫びのようなものが、森川さんや斎藤さんの「ロボット化」には含まれていたのではないか。それを、今回この本を読む中で、気づかされた。

精神科医が、自らの自己防衛のためにまとう鎧を脱げるか。これは、強迫やshould, mustの強要ではなりたたない。森川さんや斎藤さんのように、安心して自分自身の生きる苦悩を差し出せるような、対話的環境が作られる必要がある。そのなかで、他者を治療する前に、まずは自分自身の生きる苦悩と向き合ったり、それをしっかりと聴いてもらえる経験をするなかで、話をすること・聞いてもらうこと、への絶望を希望に変える必要がある。精神科医のなかで渦巻く、自分自身への不信や対話への不安・絶望感を超えることなく、他者と対話的であることはできない。そういうような、自分自身の傷ついた魂と向き合ったり、その魂の植民地化された状態から、少しずつ回復していくような=脱植民地化されていくようなプロセスを、信頼できる仲間と経ることによって、やっと少しずつ、自分の言葉にも、他者の言葉にも、信頼を再び置くことが出来る。そして、そのような自分や他者への信頼の取り戻しこそが、実は、治療的経験にダイレクトに結びつき、他者を「縛る・閉じ込める・薬漬けにする」という一方的関与から、他者との対話的関係のなかで、よりよい生き方を模索する回路が開かれていくのである。

そして、僕に出来ることは、そういう精神科医や治療チームの変容を応援することなのかもしれない、と思っている。

昨年から、精神病院や入所施設の内部の人々とのダイアローグの場面をいくつか経験させてもらっている。その中でも感じた事だし、今回の二冊を読んでも改めて感じるのは、対話的なチーム作りが、精神病院や入所施設という場では圧倒的に足りない、ということである。そうであれば、異なる他者が集合的にお互いの智慧を持ち寄って現状を変えていこうとするインセンティブも働かず、ずっと同じようなシステムが残り続ける。それを外部からいくら北風的に正論で批判しても、びくともしないどころか、余計に頑なさが残ってしまう。大切なのは、内部の人々も孤立しているし、チームで話し合う風土がない、ということに目を付けて、いかに安心して対話できる場を作れるか、に心を砕くことだと思う。

さらにいえば、現状の精神医療で権力を持っている精神科医が、己の呪縛性や魂の植民地化という現実に気づいて、その傷をまず癒やすプロセスが必要である、ということも言えるかもしれない。それがないと、他者を呪縛したり、他者の魂を毀損する仕組みを止める勇気を持てなかったり、そのようなシステムを消極的に肯定してしまうのかもしれない。

だからこそ、現役の精神科医である斎藤さんや森川さんの、勇気あるカミングアウトは非常に大切だし、ダイアローグの担い手として、率先垂範していると感じた。そして、この二冊は、多くの人に読まれてほしいと改めて感じた。

 

役割規定からの自由

前の職場の同僚で、今も定期的に対話させてもらう、年若い友人のてっちゃん(小笠原祐司さん)と、今夕も。今日のお題は、ゼミ運営について。ちょうど彼がリクルートワークスの報告書『あのゼミではなぜ学生が育つのか』を紹介していて、僕が面白そうとリプライしたら、ではそれについて話しませんか、と提案を頂き、Zoomダイアローグとなった。

その中で、報告書の項目21「言葉で何度もきちんと伝える」という部分になったとき、「いやぁ、実は僕は相手のことをしっかり聞くのは得意だけど、ついついファシリモードになっていると、自分の意見を相手に伝えることが押しつけがましいと感じて、遠慮しちゃうんだよねぇ」とぼやいた。すると彼は、「それって、僕もそうなんですけど、ファシリテーターという役割規定に縛られていませんか?」と問いかけてくださる。

ず、図星、である。

ある時期から自分は教員というより、ファシリテーターだ、と意識するようになり、授業もゼミもファシリテーション的に運営している。その方が、確かに学生達の声をしっかりと拾うことが出来、自主性を引き出す事も出来ている。だが、ファシリテーターの役割規定は、他者の意見を引き出すことである、というのは、自分のあり方を縛ることにもなる。僕自身が何を考え、どんなことを経験してきたか、という体験談や思いを語ることにも抑制的になるし、確かに僕自身、そういう話はゼミや授業ではほとんどしない。

一方、てっちゃんはそんな自分のファシリとしての役割規定の拘束性に気づき、そこから自由になって、自分の思いを語り始めてみた、と。すると、学生達は、その思いに共感くれることもあるけど、だからといって学生達みんながてっちゃんの話になびくこともなく、うまく彼の話を取捨選択して受け止めてくれている、という経験も聞いた。

それを聞いて、もう一つ思い当たることがあった。

僕は、自分が押しつけがましい、というのを強力に自覚化しすぎていて、だからこそ、押しつけがましさを徹底的になくそうとしていたのかも、しれない。でも、それって、僕が話した事を相手は100%信じたり受け止める世界である。だが現実には、学生達は取捨選択能力を持っているのだから、僕の言うこともスルーしたり、聞き流したりする能力を持っている。すると、学生の能力を信じて、僕も寸止めせずに、伝えてみてもいいのかもしれない、と思い始める。

あと、てっちゃんが教えてくれた素敵な提案として、「ファシリテーターから探求者に」というモードの転換がある。学生達の自主性を高めて促すファシリ、ではなく、自分も学生達と一緒に探求する、探求者のモード。ファシリテーターがサポーター的な、一歩引いた立ち位置とするなら、探求者はwith-ness的な、一緒に考え合う存在。それ、いいね!である。

僕は、自分の中でも探求したいことが沢山あるが、どれも自分一人で探求するものだとこの15年以上思い込んできたし、学生には僕の研究はニッチテーマ過ぎて、誰も僕の興味関心に賛同してくれるはずがない、と決めつけていた。でも、それは、僕がファシリテーターとして学生にある種のデタッチメント的な関わりだったから、そうなった、ともいえる。その意味では、僕と学生の相互作用の結果、でもある。であれば、もう少し僕がlead the self/story of selfを大切にして、自分の研究がどれほどおもろいか、とか、なぜこういう形での授業をしているのか、その背景に僕のどんな経験や試行錯誤があるのか、を学生に伝えてみても、良いのかも知れない。

てっちゃんはそれを、「教員の話を聞いて、学生も追体験できる」と言ってくれたが、なるほど、僕はこれまで追体験の素材はほとんど提供してこなかった。その上で、この中のテーマに興味のある人は、一緒に考えてみませんか、と提案をする事だって出来る。少なくとも、岡山や明石でやっている『「無理しない」地域づくりの学校』プロジェクトや、20年近くコミットしているNPO大阪精神医療人権センターの活動なども、興味があったら一緒に探求してみよう、と誘うことも出来る。新しく始まったプロジェクトだって、その対象だ。それらは、教員が学生に○○しなさいと命令する事とも、ファシリとして学生の自主性に委ねることとも違う、「おもろいことを探求してみませんか?」というお誘いモードである。あるいは、魂の脱植民地化とか、ケア論だとか、僕がおもろいと思うテーマについて興味のある人がいたら、一緒に読書会を開くことだって出来る。

ようは、僕が教員やファシリの役割規定から自由になり、本来の僕のスタンスである、おもろい何かを探求したい、という探求者のモードを純粋に追求したらよいのではないか、というのが、今日のてっちゃんとのダイアローグから得られた、めちゃくちゃ大きい気づきであり、それは僕自身のゼミ運営や、今後の授業のあり方を大きく変えてくれそうな予感がしている。

もちろん、主人公は学生である。でも、教員の僕が一方的に押しつけるのでも、あるいはファシリとして黒子になるのでもなく、対等な探求者として共に考え合うことができたら、もうちょっとおもろい何かが出来るのではないか。40代も後半になって、やっとこのことが腑に落ち始めた。さて、これからどんな展開に、なるのやら。

「教育依存症」から脱却できるか?

神代健彦さんの『「生存競争」教育への反抗』(集英社新書)を面白く読む。実は彼が翻訳したニコラス・ローズの『魂を統治する 私的な自己の形成』(以文社)を読んでいたので、新自由主義的統治権力に鋭いメスをいれる本を訳した教育学者はどのような教育論を描くのか、を楽しみにしていた。

期待に違わず、オモロイけど、ずしんと何かが残る本であった。

「わたしたちは『教育依存症』である。わたしたちは、子どもによい教育を与えたい、否、与えなくては不安で仕方がない。いま与えている教育で十分なのか、もっといい教育があるのではないか、そんな底なしの不安。」(p70)

こども園に通う娘の父として、この「依存症」はすごくよくわかる。ママ友から聞くと、3才から公文や書道、体操教室など様々なお稽古ごとに習わせている家庭も少なくない。また、こども園でも年少組からひらがなを書く練習をさせているクラスもある。ググったら、知育関連の情報は死ぬほど出てくる。だが、妻と話し合ったうえで、娘さんは、そういう早期の社会化に向けた教育ではなく、昔ながらの、泥団子を毎日のように作って遊ばせてくれるこども園に通っている。

それは、「反社会的」!な思想家と神代さんが表するルソーの教育観に近いのかも知れないな、と読んで感じる。

「いつの時代も、社会やその構成員としての大人は、子どもを教育することによってそこから利益を引き出そうとする。そこでは教育は、社会のエンジンとしての市場経済を維持・発展させるための一つの手法である。あるいはそれは、もう少し家族の目線に寄りそうならば、子どもを将来に対して備えさせることによってその子自身の将来の利益を増進させるという営みでもある。そのような(大人の)社会の思惑に対して、ルソーは否という。子ども期は個人と社会の将来へ向けた単なる準備期間ではない。それは『子ども期』という人生における固有の価値をもった時期であり、その固有な時期としての『子ども期』の充実それ自体が、教育の目指すべきところだというのである。」(p144)

安定した職に就くため、食いっぱぐれないため、社会の歯車として機能するため、世間の恥さらさしにならないため、あなたのため・・・の教育。それは、「いま・ここ」ではない、予見できない明日のための教育である。捕らぬ狸のなんとやら、と皮一枚の距離である。そういう社会や親の期待に応えるための教育に「ルソーは否という」。「いま・ここ」に「固有の価値」を重視して、その時期それ自体の充実が大切だとルソーは指摘する。だが、この「固有の価値」も、神代さんに言わせると、「子どもの内側から生じてくる『力』の重視、その合理的な涵養」 (p154)という意味では、現代の「もっといい教育」の代表格と称されるコンピテンシー(新しい能力)教育と通底するとも喝破する。

この構造の地続き性は、言われてみたらよくわかる。が、そこから抜け出すことは簡単ではない。そもそも、親自体が「教育依存症」に無意識にはまり込んでいる場合、子どもより遙かにその呪縛に苦しめられているのは、実は親の方なのだ。「ちゃんとしなさい」「しっかりしなさい」「言うことを聞きなさい」と子どもに期待したり、叱ったりしている時、「いま・ここ」の子どもの「固有の価値」よりも、世間の規範なり社会的な良さなり将来の可能性などに縛られて、そこに子どもを適応させようと必死になっているのでである。「いま・ここ」の生の充溢に向き合えていないのは、子どもではなく親のぼくの方なのだ。

親の言うことに従順に従う、聞き分けの「いい子」ならば、早い段階でその親のしつけや教育に従順に従ってしまう。それは、結果的に「『子ども期』という人生における固有の価値」を摘んでしまうことになる。だが、うちの娘は、幸か不幸か!?、全力でその適応に拒否してくれるので、まだその芽が摘まれていないだけだ。そして、僕が自分自身の「教育依存症」的な不安に無自覚なままなら、早晩娘は「『子ども期』という人生における固有の価値」を手放してしまう可能性がある。

社会の思惑に絡め取られない形で、「子ども期の充実それ自体」を追求するにはどうしたらよいか。神代さんはこう提起する。

「社会への合理的で『自然』な『適応』に任せては出会うこともないような、世界のさまざまな事実(コンテンツ)に子どもたちが出会い、その驚きに打たれ、おのずからそれと戯れる。そんな種類の教育/学習の経験である。そのような教育/学習の経験において子どもたちは、学びの結果(能力達成)を強迫的にもとめることなく、むしろ強迫的な社会を超えた世界に出会う。『その学習はなんのため?』という意味の問いを離れて、否むしろ、その問いを問う必要を感じないほどに、世界の強度を経験する(面白い!/楽しい!/深い!/美しい!/醜い!/汚い!/怖い!/なんだかよくわからないけどすごい!/もっともっと、これに触れていたい!)。強迫的な社会の必要を拒否し、ゴールとしての資質・能力の呪縛から解き放たれた、適度にゆるめられた心と体が、自然や文化、芸術、つまりは世界と出会う。彼らは育つために、自己自身を有能にしていくために世界と出会うのではない。世界とであうことは、それ自体が価値なのである。」(p163)

書き写していて、筆者の心からの情感が込められた、実に美しい文章である。僕にはこんな凜とした文章は書けない。そして、さらに思うのだ。この「強迫的な社会の必要」とはかけ離れた、「それ自体が価値」である「世界とであうこと」は、僕は10歳くらいの時に封印したことであり、また4才の娘が全面的に楽しんでいることそのもの、であると。

以前から何度か書いているが、小学校5,6年ではいじめで学級崩壊状態に陥り、マイナスの世界の強度しか経験しない絶望状態だった。中学校に入って猛烈進学塾に入った後は、有名高校・有名大学に入るための「学びの結果(能力達成)を強迫的にもとめる」レースにのめり込んでいく。あの当時の僕には、それしか人生の絶望からの出口は無かった。その意味で、10才以後の僕は、「適度にゆるめられた心と体」とは真逆の、ドンドンとキツく心身を振り絞っていくような時期だった。すごく悲しいし残念な話なのだが、未だに僕の中にはそのときに内面化された偏差値的序列信仰や「ゴールとしての資質・能力の呪縛」への強迫観念の残滓が残っている。それが、生産性至上主義と結びついて、娘が生まれた後の己自身を矛盾の最大化に至らしめたことは、現代書館のウェブ連載でも書いている。

だからこそ、思うのだ。「その学習はなんのため?」なんていう、近視眼的で実に些末な思い込みから自由になり、「面白い!/楽しい!/深い!/美しい!/醜い!/汚い!/怖い!/なんだかよくわからないけどすごい!/もっともっと、これに触れていたい!」・・・と心から思える何かと出会い続ける大切さを。「社会への合理的で『自然』な『適応』」なんて、いやでも社会人になったらせざるを得ない。それを、わざわざ早期教育する必要は全く無い。「世界の強度を経験する」ことは、能力達成とか資質の向上とは全くかけ離れて、「その驚きに打たれ、おのずからそれと戯れる」ことである。そんな対象に没入するおもろい経験を、僕は子どもから奪いたくないし、社会は子どもから奪ってはならない。そして願わくば僕自身も、改めてそんな機会を獲得し直したい。改めてそう思うのだ。

「『適応』する、生き残るということは、生き物としての目的であり欲望である。そのような生き物としての欲望の充足を全否定することはできない。この欲望の充足へむけた活動は、わたしたちが生きて働くものである以上、不可欠で不可避ですらある。しかし他方で、そのような種類の欲望充足が人生の関心事のすべてになってしまうことには、ある種の窮屈さ、もっと言えば不快さがある。もっとほかでもあり得たかもしれない世界が、役に立つ限りでの世界=社会という形へと、不当に狭められているような気がしてくる。そのような矮小な世界に先を争って『適応』しようとしている『自己』自身に、言いようのない苛立ちが募ってくる。」(p179)

「その学習はなんのため?」という功利的な問いを発し続け、自分が現時点で考える基準において将来役立つ・役立たないという単純な物差しで学びを取捨選択することによって、「もっとほかでもあり得たかもしれない世界が、役に立つ限りでの世界=社会という形へと、不当に狭められて」いく。これは、10代から20代前半の僕自身の自己像そのものであった。それによって、学歴はどんどん積み上がっていく一方で、僕自身の「世界と出会う」可能性をどんどん狭まっていったような気がする。

これほどまでに、「社会への合理的で『自然』な『適応』」を自分に求め続けた「教育依存症」は、僕に根深く巣くっている。その教育依存症から自由になるために、神代さんはガート・ビースタの『教えることの再発見』(東京大学出版会)を用いながら議論を進める。斜め読みして、頷ける部分もあるが、彼の議論は難しかったのと、フレイレに代表される批判的意識化への批判が主題になっていて、うまく僕のなかではまだ飲み込めていない。なので、この部分についての僕の見解は、今は保留にしておく。

いずれにせよ、「『その学習はなんのため?』という意味の問いを離れて、否むしろ、その問いを問う必要を感じないほどに、世界の強度を経験する(面白い!/楽しい!/深い!/美しい!/醜い!/汚い!/怖い!/なんだかよくわからないけどすごい!/もっともっと、これに触れていたい!)」ということが、教育依存症から脱する最も正攻法のやり方であると思う。そして、これは娘だけでなく、その娘と向き合う父親である僕自身にも、いま・ここで求めてられていることだと、改めて感じる。

「世界の強度」を感じる体験を、週末にでもできたら良いな。

ナウシカは「無防備」なのか?

4歳の子どもと夫婦で見ようと買った宮崎駿作品のDVDボックス。毎週末、新しい作品を開けている。こないだは魔女の宅急便のキキの萃点性についてブログに書いたけど、今回はナウシカのことで書く。実はナウシカも今回初めてみたのだが、すごく面白くて、論点が沢山あると感じた。福島原発の爆発後の世界と重ね合わせたり、あるいはコロナ危機でマスク生活が強いられることと重ねて論じる人がいるのもよく分かる。だが、僕が今回論じてみたいのは、「切り分け」の問題である。

風の谷を支配して、ナウシカの父を殺したのは、トルメキア帝国の辺境派遣軍司令官クシャナだった。彼女自身、王蟲に襲われて左手を失っており、それで腐海や王蟲を焼き殺してしまいたい、という執念を持っている設定である。彼女達の軍や戦車や爆撃機、銃などを活用して風の谷も支配し、他の人間も威嚇し、巨神兵まで使って、人間の支配を取り戻そうとする。

そして、クシャナの率いる軍の人質としてナウシカは爆撃機で護送されるが、途中で敵であるペジテのアスペルに襲撃され、爆撃機は炎上する。ナウシカや風の谷の人々は、爆撃機に格納されていた、召し上げられた風の谷の飛行機で脱出するが、その際、同じく逃げてきたクシャナもナウシカは助けた上で、飛行機は腐海に不時着する。だが、不時着したその場でクシャナはナウシカに銃を向け、自らの支配に従うように、ナウシカに命令する。その際、無防備なナウシカはクシャナにこう呼びかける。

「あなたは何をおびえているの?まるで迷子のキツネリスのように」

ここで、それまでやられっぱなしだったナウシカや風の谷の勢力は、反転し始める。

この映画でのナウシカは、こうした無防備ゆえに、状況を変えていく最大の力を持っている。怒り狂った王蟲の大群が風の谷に迫ってくる時、囮として使われた傷ついた一匹の子どもの王蟲をぶら下げたベジテの人々を説得するため、銃撃する相手に対して両手を広げてナウシカは突っ込んでいく。あまりにも無防備である。

だが、クシャナやベジテの人々が、銃で攻撃することにより身を護ろうとしていた時、なぜナウシカは無防備であり続けることができたのか。それは、ナウシカが王蟲や腐海といった「非人間」としっかり繋がっていたから、と言える。クシャナ達は人間+銃(人工物)という人間の支配するネットワークに依拠していたのに対して、ナウシカは人間を襲い危害を与える存在と見なされた王蟲や腐海を、単純なる「敵」と捉えず、むしろこれらの存在を「味方」につけることにより、打倒ではなく共生の道を探ろうとしていた。

クシャナに代表される大半の人間は、支配することができず、自らの生を覆い尽くそうとする自然の脅威に対して「迷子のキツネリスのように」「おびえて」いた。だが、ナウシカは違った。小さい頃から父親に隠れて小さい王蟲と遊んでいたり、大きくなってからも、腐海や王蟲の内在的論理をつかもうと相手の懐深くに入り込み、粘菌は綺麗な水で培養すると、人間の肺に危害を及ぼさない形で育つことまで知っている。また王蟲の怒りを静めることができれば、人間は襲わず、腐海に戻っていくことも、体感として理解している。

ナウシカは、粘菌や王蟲、腐海とつながりあい、理解し合い、関係性を深めていくことができたから、王蟲の大群による風の谷の殲滅を、命がけで食い止めることができたのである。銃も火も巨神兵も使うことなく、無防備な自分を差し出すことによって。

支配や思い込みを手放すこと。人間には支配できない自然や現象があることに立ち戻り、それらに敬意を払うこと。それらの存在の論理に従って動くこと。これは、ある程度の「大人」にとっては、簡単なことではない。特に「合理性」「社会性」「常識」が身に染みている大人にとっては。だからこそ、ポニョやトトロの存在も、小さな子どもにしか見えなかった。キキは、社会性を身につけるプロセスで、魔法を一度失いかけた。ナウシカは、大人の手前になってもそういう存在とコミュニケーションできる例外的存在である、ともいえる。

で、改めて考えるのは、「無防備」とはなにか、ということでもある。

大人が考える「無防備」とは、「防備」と対の概念である。大人は、銃や戦車、威嚇や植民地支配などを通じて、他者を自らに従わせることを通じて「防備」しようとしている。では、何をどのように「防備」しようとしているのか。それは、自分の命であり領土である。でも、それならナウシカ的なあり方でも「防備」することはできる。ということは、別の何かを「防備」できるかどうか、でナウシカは「無防備」と捉えられているのだ。

その別の何か、を、「思考の枠組み」と捉えてみたら、どうだろうか。人間は自然より優れている、敵は殲滅しなければならない、威嚇や暴力によって支配しないと自分が支配される、食うか食われるかの二者択一だ、すべての存在は人間による支配や管理が可能だ・・・。こういう「思考の枠組み」に囚われていて、それが常識であり、それ以外の可能性はないと思い込んでいると、ナウシカの有り様は実に「無防備」である。だが、そのような人間と非人間を切り分けた思考枠組みそのものが、人間の思い込みであり、限界である。実際に腐海や王蟲を生み出したのは、そのような切り分ける思考枠組みではなかったか。すると、実のところ「無防備」なのは、そのような切り分けで非人間も含めて支配しようとする人間の「思考枠組み」ではなかっただろうか。

クシャナは自分たち人間が主人公であり、銃や戦車、巨神兵などの非人間は支配可能な道具だと思っていた。一方ナウシカは、粘菌や王蟲、腐海は道具でもなければ支配すべき敵でもなく、自分と共にある世界の一員だった。クシャナに代表されるのが人間中心主義であるとするならば、ナウシカは人間と非人間の関係を断ち切らず、それを同一スペクトラムの連続体で捕らえる関係中心主義である、と言えるかも知れない。それは、これも以前のブログでも書いたのだが、縁起ネットワークのなかにいるのである。

ナウシカは、自らの「思考の枠組み」に囚われず、粘菌や王蟲、腐海の状況に合わせて、自らの言動を柔軟に変化させることができる。一方クシャナに代表される人間中心主義の人々は、銃で射撃することはあっても、自らの言動を柔軟に変化させることはできず、おびえている。人間中心主義とは、自らの思考の枠組みへの囚われや居着きのことであり、非人間的存在との柔軟なネットワーキングを拒否して、自らの殻に閉じこもる思考だ、とも言えるかもしれない。そして、粘菌や王蟲、腐海を切り分けずに、自らと繋がりのあるネットワーク=縁起的存在であり、自らの生と、縁起的存在の生の連続性を意識し、自らの命と同じように掛け替えのないものとして尊重するナウシカの生き方は、人間中心主義から見たら無防備だが、共生的生き方による防備、という面からみたら、最強の生き方なのかも、しれない。

人間社会とは○○のはずだ、という思い込みで防備するのではなく、そのような思考の枠組みを手放して、そこから自由になり、非人間の支配や管理よりも、非人間と人間との連続性を意識して関係性を深めていくことこそ、最大の防備なのかもしれない。宮崎アニメは、そういうメッセージをずっと通奏低音として、持ち続けているのかもしれない。

<こと>としての自己表現

荒井裕樹さんの『生きていく絵』(亜紀書房)を読み終える。昨年、『車椅子の横に立つ人』の書評をしたことがご縁でご本人とやりとりする機会があり、その中で、精神病院の造形教室でのフィールドワークをまとめられたのが上記の本だと知り、早速拝読。僕も大学院生のころ、5年ほど精神病院でフィールドワークしていたが、僕とは全然違う切り口から、本質に切り込むアプローチが本当に秀逸で、すごいなと脱帽しながら読み進める。

『車椅子の横に立つ人』でも主題化された、「苦しみ」と「苦しいこと」の違いについて、実月さんという描き手を主題化した章のなかで、荒井さんはこんな風に整理する。

「前者は、『苦しみ』の内実をある程度自分で把握しており、言語表現であれ非言語表現であれ、それを誰かに伝えたいという表現への欲求が強いように思われます。対して後者は、『苦しみ』の内実が本人にも把握しきれず、また詳細に表現することもできないけれど、何よりもまず、苦しんでいる自分の存在を受け止めてもらいたいという関係性への欲求が強いように思われます。
おそらく、実月さんも、自分の『苦しみ』の内実を詳細に言語化することはできません(少なくとも、最も苦しかった時期にはできなかったようです)。それは『苦しい』『悲しい』『つらい』という言葉以上には言語化不可能であり、『とても』『爆発しそう』といった形態が付される形で、その重みや切実さをつたえることしかできない性質のものです(むしろ、部分的には言語化以前の衝動や情動といった次元のものだったのかもしれません)。実月さんのなかに渦巻いていたこの言語化できない衝動を、仮に<こととしての感情>と呼んでおきたいと思います。」(p152)

「苦しみ」として他者に語ったり書いたりすることができるのは、すでに感情がある程度の対象化・物語化(=<もの>化)され、把握されているので、他者に伝えることが可能な段階に至っている。一方で、「苦しいこと」は、対象化もできない、未分化で現在進行形の苦しさであり、「『苦しみ』の内実が本人にも把握しきれず、また詳細に表現することもできないけれど、何よりもまず、苦しんでいる自分の存在を受け止めてもらいたいという関係性への欲求が強い」と指摘する。

僕たちが通常、他者を理解しようとするとき、言語で表現されたものを元にする。すると、「苦しみ」という形で言語表現されたり、それが表情などでも伝えられると、「苦しいのですね」と受け取りやすい。それは、受け取る以前に、発信する側が、すでにその内容を「苦しみ」と固定化し対象化することができているから、である。だが、本当に苦しい最中には、「『苦しい』『悲しい』『つらい』という言葉以上には言語化不可能であり、『とても』『爆発しそう』といった形態が付される形で、その重みや切実さをつたえることしかできない性質」になりがちである。

そして、この「苦しいこと」は誤解されやすい。

20年近く前の大学院生時代、薬物依存症の回復者でもある倉田めばさんのお話を聞いたとき、「拾い集めた言葉たち」という印象深いフレーズと出会った。

「私にとって薬物とは言葉であった。ダルクのミーティングは本来の言葉を取り戻す作業である。自分の言葉を取り戻したときに、薬物が不必要になってくる。」
「母はよく私に言った「薬さえ使わなければいい子なのに」私は思った(いい子の振りをするのが疲れるから薬を使っているのに・・・・・)」
「薬物依存者が薬物をやめると依存が残る。」

当時の僕にとって、「私にとって薬物とは言葉であった」というのは、天と地がひっくり返るような、驚くべき表現だった。依存症の人は、遵法意識がないから・甘えがあるから・自制心がないから・・・薬やアルコールに溺れているのだ。そのような、表面的で常識的な偏見を持っていた当時の僕は、「薬物」が言葉=自己表現である、というのは、本当に思いも寄らない言葉だった。だが、自分の言葉が奪われるから、「苦しいこと」を薬物を用いて表現せざるを得ない人がいるのに、その人から単に薬物を取り上げると、それは「依存が残る」だけである。本当に「回復」するためには、「本来の言葉を取り戻す」プロセスが必要である。それがダルクなどのセルフヘルプグループの持つ力である。この話を聞いた時、これは薬物依存だけでなく、依存全般の話でもあり、また他の精神病にも共通する話なのではないか、と思っていた。だが、それ以上、当時の僕には掘り下げられなかった。

今回、荒井さんの著作を読み進めながら、改めて20年前の倉田めばさんの言葉を噛みしめ直す。

「実月さんのなかに渦巻いていたこの言語化できない衝動を、仮に<こととしての感情>と呼んでおきたいと思います」

圧倒的な苦しみの衝動や情動に押しつぶされている時、それは「苦しみ」という形で対象化はできない「渦巻く」状態であり、<こととしての感情>が支配している時である。それが、幻覚や妄想、うつやハイパーテンションのような形で人を支配している。そのときの「苦しいこと」がその人を覆い尽くしているときに、言葉は無力である。「『苦しい』『悲しい』『つらい』という言葉以上には言語化不可能であり、『とても』『爆発しそう』といった形態が付される形で、その重みや切実さをつたえることしかできない」からだ。だからこそ、その無力に対処するために、ひたすら引きこもって外界とのコンタクトを遮断する人もいれば、必死になってしんどさを訴えるのだがそれを理解してもらえず暴力や暴言に訴える人もいる。そして、倉田めばさんのように、薬物などの依存言語を用いて、やっとそのつらさを表現しようとする人もいるのだ。

そのときに、荒井さんが関わった「造形教室」は、治療や支援を目的とした場ではないのだが、結果的にはそこに通う人々の「癒し」につながっていた、と荒井さんは指摘する。

「これは、ある人物が心の病を抱え、つらく苦しい状況にあったとしても、そのような状況のなかを生きていること、生きてきたことを、まずは肯定的に受け止めようという考え方です。つまり自らを<癒す>という営みは、『自己肯定』からはじまるわけです。」(p83)

造形や創作が人を癒す。それは治療を目的とした「絵画療法」という方法論の話をしているのではない。そうではなくて、苦しいことの渦中にあっても、それを造形という表現形態で表出する「言葉」を取り戻すことによって、「そのような状況のなかを生きていること、生きてきたことを、まずは肯定的に受け止めようという考え方」が湧き上がってくるからではないか、と荒井さんは指摘する。

自分を傷つけたり、他人に危害を与えたり、薬物を使用するという「言葉」しか持てない状況に追い込まれた人々がいる。その人々は、本来の言葉が奪われる状況に追い詰められている。そういう人々が、造形という別の言葉と出会うことで、自傷他害や薬物依存以外の別の表現をすることで、「苦しいこと」を別の形で表現することが可能になる。実際、実月さんも「どろどろした心の中身を吐き出すよう」(p144)に描いてく。そして、そのプロセスのなかで、「苦しいこと」を「肯定的に受け止め」るきっかけができ、それが「自らを<癒す>という営み」であり『自己肯定』につながる、というのだ。

実際、荒井さんが取り上げた本書のなかでの表現者達もみなさん、造形教室を通じて、そのような「本来の言葉を取り戻す」プロセスを辿っておられるように感じた。荒井さんはそれを「<こと>としての文学」と表現する。

「私はいま<こと>としての文学に目を向ける必要性を感じている。いまだ生硬な概念だが、<こと>としての文学とは、苦境にあるその人がその痛みを動機として発した私的な自己表現であり、その人が表現していること自体が重要な文学である。
現在の関心から一部を例示すれば、精神科病院の閉鎖病棟内でひそかに書きとめられた小説や、あるいは虐待の記憶が刻み込まれた形代のような詩などがあげられる。いずれも生きづらさの極地にいる人たちが、苦境を生きのびていくために紡ぎ出した切実な言葉であるが、これらは現在の文学研究の枠組みでは関心の対象にさえならない(医学や福祉学においても正統な関心事にならないだろう)。」(p254-255)

できあがった作品が<もの>としての文学であるとするならば、「苦しいこと」をそのものとして自己表現するプロセス自体が重要な文学であり、それを「<こと>としての文学」と名付ける。そして、このような「切実な言葉」は確かにこれまで重要視されてこなかった。僕自身も、これまで出会った数多くの精神医療ユーザーから、色々な種類の自己表現(絵画や詩、エッセー、小説、手記・・・)を手渡されたる機会があったし、拝見もしてきたのだが、正直に申し上げて、僕の研究枠組みの関心の対象にはなっていなかった。それは、<もの>として作品に僕の目が曇らされていたからであり、<こと>としての自己表現の、その言葉を取り戻すプロセスそのものの価値を、僕は理解していなかったのである。倉田めばさんの言葉を20年近く前に知っていたにも、関わらず。

今回、荒井さんの本を拝読することで、「苦しみ」と「苦しいこと」の根源的違いを教わることで、改めて「<こと>としての自己表現」の可能性が理解できた。そして、それは表現された<もの>(=絵画など)だけでなく、それが表現されゆくプロセスに立ち会い、その表現者と何度も雑談をしたり、お互いの人間性にふれあうなかで、荒井さんのなかでしみこんでいくなかで、荒井さんという文学研究者の「地」を通して浮かび上がってきた「図」(=本書)があるからこそ、僕たちにも理解できたのだと思う。

そういう意味では、『生きていく絵』とは、造形教室で出会った絵画をきっかけにして、「苦しいこと」それ自体を「<こと>としての自己表現」と捉え、そのプロセスを可視化する伴走者である荒井さんによる、格好のガイドブックのようにも思えた。

アンダークラスの子どもたち

遅まきながら初めてブレイディみかこさんの単著を読んだ。『子どもたちの階級闘争』(みすず書房)というタイトルにちょっとびびって積ん読していたのだが、中を読み始めたら、めちゃくちゃ深刻な内容なのだけれど、グイグイと引きつけられる。彼女は、「底辺託児所」「緊縮託児所」という、イギリスの貧困層が集まる公営住宅の地域の保育所で働いていて、そこで感じたことがこの本に書かれている。内容はもちろん明るくはない。だが、ここに出てくる子どもたちが、本当に活き活きとしていて、どぎつい言動でトラブルメーカーも多いけど、実に人間味がある。でも親や社会との相互作用の中で身につけ(させられ)た陰影に、既に2,3才のころからどっぷりと浸かっていて、それが悲しい。

「問題児」の背景

「金髪の巻き毛の天使のようなジャックは、何かの拍子にいきなり暴発することがあった。アンガーマネジメントが必要だな、と思える幼児たちの怒りの出力法はさまざまだ。他人に暴力を振るう子もいるし、物を破壊する小屋、自分の体を傷つけようとする子もいる。が、ジャックの場合は、『ひゅうーーーー、うううーーーー』という形容しがたい超音波のような高音でわめきながら両手を広げてくるくる回り始めるのだった。」(p73)

一見すると、とんでもない問題児である。最近の日本ならすぐに「発達障害」とラベルを貼られ、小さい子どもでも行動抑制をするために抗精神薬などが投与され、ヘロヘロにさせられるケースもあるというが、彼女のいた託児所では、違う対応が取られていた。

「それ以降はジャックが託児所に来るときには一対一で必ず誰かがつくようにし、プレイルームにできるだけ広いスペースを作り、彼が旋回を始めても顔色を変えず、冷静な態度で対応して他の子どもたちをパニックさせないようにした。そういう雰囲気ができあがると、ジャックのくるくる旋回も日常のワンシーンとなり、子どもたちも彼がスピンし始めると自分から被害に遭わない場所に移動したりして、たいしたこととは思わなくなってきたようだった。」(p74)

このジャックは二才なのだが、自分の怒りや衝動をうまくコントロールできない。だが、あたなも私も二才のころにはそういう衝動があったのであり、しかも大人がそれをしっかり受け止めないと「問題児」と排除されるが、「一対一で必ず誰かがつくようにし、プレイルームにできるだけ広いスペースを作り、彼が旋回を始めても顔色を変えず、冷静な態度で対応して他の子どもたちをパニックさせないようにした」ら、それが「日常のワンシーン」となってしまう。これはジャックに働きかける保育者たちとの相互作用の中で生まれていく変化である。そういう関わり合いの中で、旋回を一日に二回はしていたジャックは、それが一回に減りいまは週に一度になった、という。そのジャックの母について、こんな風に描かれている。

「この天使のようなジャックの母親は、二〇才のシングルマザーで、ドラッグ依存症から回復中である。緊縮託児所からそう遠くない場所に、さまざまな依存症と戦う女性たちを支援するセンターがあり、そこにも託児所があった。だが、この緊縮のご時世でそちらの託児所が閉鎖に追い込まれたため、ソーシャルワーカーを通じてジャックとその母親はわが託児所を紹介されてきたのだった。」(p68)

「しんどい家庭」に育った「しんどい子」は、親から充分に関わりを持ってもらえない場合も少なくなく、それが暴発してアンガーマネジメントが出来ない状態に陥る事も多い。ジャックもそんな子どもの一人だった。でも、ブレディさんのいた託児所では、そういう子どもたちを排除することなく、その子どもへの関わり方を変えながら、子どもたちの内在的論理を探り、上手く付き合おうとしていた。そして、彼女はそういう草の根レベルの泥臭い関わりをしながら、ジャックの家庭が置かれている社会的布置のようなものまで同時に描き出す。

「『ソーシャル・アパルトヘイト』だの『ソーシャル・レイシズム』だの『ソーシャル・クレンジング』だの、以前は民族や人種による差別を表現するために使用されていた言葉が、階級差別を表現するために使われるようになってきた。『アパルトヘイト』や『エスニック・クレンジング』といった極端な言葉まで階級差別にスライドさせて使われるようになってきた背景には、英国社会がいかに底辺層を侮蔑し、非人道的に扱っているか、そしてそれが許容されているかという現状がある。それはまた格差を広げ、階級間の流動性のない閉塞された社会を作り出した新自由主義のなれの果ての姿ともいえるだろう。」(p71)

この本を読んで初めて知ったのだが、ジャック親子が排除されるのは、イギリスの上流階級から、だけではない。実はこの緊縮託児所には移民の子どもたちも通っているのだが、母国を離れイギリスで成功しようと必至に子どもを養育している移民たちは「ジャックっていう子は、暴力的で他の子どもたちにとって危険だ」「ああいう子どもが来ている託児所には安心して子どもを預けられない」と、排除に加担しているのである。「階級間の流動性のない閉塞された社会」に固定されている「底辺層」に対して、階級間移動を目指している移民が侮蔑する眼差しを向けている。それくらい、イギリスにおける階級差別は固定化している、ということである。そして、恐ろしいことに、福祉国家がこのような固定化に関与している。

福祉や政治が排除に加担する

「福祉がサンクションを連発するから、文字通り、日々の食事ができなくなる人たちが増えている。だからフードバンクが国中に必要になって、政府は『フードバンクは社会の一部』なんて言ってる。いっったいどんな社会にしようとしているんだろうね」(p167)

ブレイディさんの働いていた託児所は、閉鎖されてフードバンクに変わった。それは労働党政権から保守党政権に変わり、助成金や寄付が大幅にカットされた緊縮財政による。緊縮財政でカットされたのは、託児所運営費だけではない。ジャックの母親も「子どもの預け先が見つからないから夜のシフトがある仕事はしたくない、って紹介された仕事を断ったら、四週間生活保護を止められた」(p165)という。これが、職業安定所のソーシャルワーカーによるサンクション(制裁措置)である。サッチャー以前の労働党政権時代には、「シングルマザー家庭であれば、国が住居を与えてくれ、生活費も養育費もくれて、働かずともシングルマザーとして生きていけた」(p161)。だが、マスコミなどで生活保護バッシングがイギリスでも進み、シングルマザーが攻撃される中で、行政はwelfare to workなど労働強化政策をとり、それが、ジャック親子のような家庭を追い詰める。

ジャック家に訪れた著者たちが、あまりに空っぽの冷蔵庫に見かねて、ジャックを連れて買い物に出かける際、階段を降りているときのエピソードに全てが込められている。

「『チョコレート!チップス!ヨーグルト!ブレッドスティック!ソーセージ!』とジャックが私の腕の中で食べ物の名前を連呼する。元気に叫んでいるがその体は赤ん坊ぐらいの重さしかなかった。
『・・・託児所をフードバンクにしやがって』
悔しさで目の前が滲んできたので、足元に気をつけながらわたしはジャックを抱いて階段をそろそろ下りていった。」(p168)

サンクションとは、見せしめの刑罰ではなく、本来は労働へのインセンティブのはず、だった。だが、「子どもの預け先が見つからないから夜のシフトがある仕事はしたくない」という、至極まっとうな要望もサンクションの対象にされ、ジャックはほとんど食べ物のない家にいる。それでストレスが溜まり、託児所では旋回する。だが、その託児所も緊縮財政の予算カットで廃止され、ジャック母子は生きていくために託児所から変わったフードバンクに依存せざるを得ない。だが、そもそもジャック母子を追い詰めるようなサンクションや労働強化を進めることが、全ての元凶ではなかったのか。ジャック母子に、特に託児所に通う年齢のジャックにその緊縮財政のしわ寄せがくるのは、あまりに過酷である。これが『・・・託児所をフードバンクにしやがって』というブレイディみかこさんの涙や怒りの背後にあると感じた。

「わたしの政治への関心は、ぜんぶ託児所からはじまった。底辺のぬかるみに両脚を踏ん張って新聞を読み、ニュース番組を見て、本を読んでみると、それらはそれまでとはまったく違うものに見えた。政治は議論するものでも、思考するものでもない。それは生きることであり暮らすことだ。そう私が体感するようになったのは、託児所で出会ったさまざまな人々が文字通り政治に生かされたり、苦しめられたり、助けられたり、ひもじい思いをさせられたりしていたからだ。」(p282)

「暴力的で他の子どもたちにとって危険だ」と「問題児」のラベルが貼られたジャック。彼は、明らかに「底辺のぬかるみ」にいる。だが彼がなぜ問題児であるのか。そこにどのような苦しみやしんどさや、本人には「どうしようもない」苦境が重ねられているのか。それを、ジャックの母親の状況を知るにつれ、ブレイディみかこさんは理解するようになる。薬物依存症のどうしようもない母親、と見られた状況の背後に、「子どもの預け先が見つからないから夜のシフトがある仕事はしたくない、って紹介された仕事を断ったら、四週間生活保護を止められた」という背景がある。そして、それは、保守党政権時代に進めた緊縮財政が関与している。そんな現実と出会う中で、「託児所で出会ったさまざまな人々が文字通り政治に生かされたり、苦しめられたり、助けられたり、ひもじい思いをさせられたりしていた」ことから、彼女は「新聞を読み、ニュース番組を見て、本を読んでみると、それらはそれまでとはまったく違うものに見えた」。実際に政府予算がカットされ、福祉が切り詰められることによって、人間がどのように追い詰められるのか、を肌身で感じるようになったのである。

ブレイディみかこさんは、あくまでも地べたの保育士=労働者目線で、手のかかる子どもたちの内在的論理に寄り添いながら、その子どもたちがそういう状況に留め置かれている社会構造を描こうとしている。あくまでも子どもとの関わりというミクロレンズを切り口にしながら、緊縮財政や福祉カットというマクロへレンズが見事に描かれている。福祉研究者の本では、「アンダークラス」や「福祉依存」がどのような抑圧を生み出したいるのか、を理念的に整理している。だがブレイディさんのすごさは、その本で描かれたことを証明するような実例を、彼女の保育士での経験の中から描き出し、かつそこで追い詰められていく庶民の側に立って、その絶望的な感覚を描写している鋭さである。でも、社会運動家のように「すべきだ」「ねばならない」という運動の言語に当事者を当てはめようともしない。あくまでも、「クソガキ」どもは「クソガキ」どもだし、ダメな親はダメな親なのである。けれども、アンダークラスに閉じ込められた子どもたちやその親たちの、行き場のなさを、彼女ら彼等と同じ地べたの目線から書いている。これが、ブレイディさんの本が評価されている理由なのだとわかって、彼女の他の著作をどんどん注文している僕がいた。