脱施設化に必要不可欠なトラウマの視点

こないだ書いたブログでトラウマインフォームドケアについて、こんな風に整理してみた。

「トラウマインフォームドとは、トラウマがあるという前提で物事を見ていく・捉え直す視点かもしれない、ということである。だらしない・ややこしい・「問題行動」のある・面倒くさい・・・と片付けられてきた人々は、「トラウマがあるという前提」で捉え直すと、様々な解離や退避行動を取らざるを得なかったことが、見えてくる。」

実はこの視点について、僕と同い年の障害者運動に取り組む介助者で、優れた論考を出し続けておられる渡邊琢さんの単著『障害者の傷、介助者の痛み』(青土社)を読んでいたら、すでにしっかりと言語化されていた。(2年前に買っていたのに、来月仕事でご一緒するので実は今頃読んだのだが、今読んで良かった。)

渡邊さんが支援に入っているまっちゃんは、対人関係のトラブルや暴言などでパニックを起こし、様々な人を振り回す人であった。そんなパニックの渦中にあったあるとき、まっちゃんは支援に入った渡邊さんに、次のように述べたという。

「なんやぁ。なんやねん? ついてくんなよ。ついてくんな! バァーカ!」

その瞬間、彼は思わず、「今、ぶんなぐりたくなった」とつぶやいていた(p308)。

ただ、渡邊さんはそのことを考えるに当たって、トラウマ概念を我が国に広める事になった古典であるジュディス・ハーマンの『心的外傷と回復』(みすず書房)を読み進める中で、まっちゃんの問題を、彼個人の病理や性格の問題と矮小化する視点とは異なる視点を獲得した。

「彼に会って感じたぼくの恐怖や怒りや絶望は、まさに彼がその何倍もの強度で味わったものなのであろう。彼がぼくにもたらす恐怖感は、まさに彼が誰かから受けた恐怖感の引き写しなのであろう。ぶんなぐったらどんなに楽になるだろうかというぼくの気持ちは、まさにそうすることで彼自身も極度の恐怖の緊張感から解放されたいと思っている気持ちなのかもしれない。彼がぼくに向ける必死の暴言や罵声は、以前受けた暴力の刻印であり、ひょっとしたら、彼自身がこれほどに苦しんでいるというぼくへのメッセージなのかもしれない。彼の行動は非常に言葉足らずで誤解を招くほかないものだけれども、ぼくが彼から受けた感情の大きな揺らぎを一呼吸おいてみることで、まさに彼がどれほど揺さぶられ苦しんできたか、自分の身をもってわかる気がした。」(p349-350)

僕は中井久夫氏が阪神淡路大震災の後のトラウマ治療の中で、このハーマンの著作に出会い、翻訳をし、その著作が高く評価されていることは、知っていた。でも、心的外傷(PTSD)とは、戦争神経症とか、レイプを受けた女性とか、地震や津波で家族を失った人とか、普段ならあり得ないような圧倒的な出来事に遭遇してしまった人の特殊な話だ、と「錯覚」していた。だから、ハーマンの本も読んでいないし、最近までトラウマ関連の本も避けてきた。しかし、2018年にトロント調査に出かけた時にトラウマインフォームドケアの概念を知り、様々な依存症支援において「トラウマがあるという前提で関わってみること」によって、「困難事例」や「問題行動」の背景にある、幼少期の傷つき体験などの背景要因を知るようになった。

そして、渡邊さんの本を読みながら、僕が見聞きしてきた障害福祉の領域でも、この「トラウマがある」という前提で物事を眺めると、全く違った風景が見えてくるのかもしれない、と改めて気づかされた。まっちゃんも、以前トラブルにあったバスの運転手から「殺すぞ!」と脅され、本当に殺されるかも知れない恐怖に怯えた後、夜中に「殺すぞ!」と恐ろしい叫び声をあげるようになった(p334)。そして、通所事業所の中で暴れて、通所制限や通所停止になって、同じ事を繰り返す中で、結局家族が支援しきれず、家の中でも暴れ、精神病院への強制入院を経験することになった。(p319)

その視点で、精神病院を眺め直してみよう。精神病院に強制入院させられている人は、今でも15万人近くいる。その中で、親や支援者など身近な他者に暴力を振るう事態が続き、やむなく隔離拘束された人も沢山いる。だが、これまでそういう時に、精神症状や反社会的行動、という形で了解されていた内容を、「トラウマのフラッシュバックだったかも知れない」と捉え直すと、大きく視点が変わる。渡邊さんは、こうも振りかえる。

「自己コントロールを失い、とり乱している当事者は、しばしば支援者なり、家族なり身近な人を攻撃する。その攻撃の源をどこと認識するかで、まったく支援のあり方は変わるだろう。もちろん、攻撃の標的となった支援者は家族は辛い。自分の身も心も傷つく。やってしまったことについて、当事者が免罪されるということもないだろう。でも攻撃の源は、その当事者自身の中にあるのではないのかもしれない。別のより暴力的な力が当事者を襲ったことにより、当事者が一番壊されており、そのことで他者への攻撃性も発動しているのかもしれない。今一番恐怖の中にあるのはその当事者かもしれない。」(p335)

暴力は免罪されるべきではない。だが、「今一番恐怖の中にあるのはその当事者かもしれない」という視点で、暴力の加害者にどのような「恐怖」があるのか、を探ると、視点が反転する。「反社会性」「病理」というレンズで「わかったつもり」にならずに、その人にどのようなトラウマ的体験があり、それがどう再演されて、周囲の人に攻撃を仕掛け、「自己コントロールを失い、とり乱している」のか。その長いプロセスを理解したら、関わり方はずいぶん変わってくるだろう。強制入院時に一律に拘束する、とか、安定剤を注射される、いうのは、「今一番恐怖の中にある」その当事者にとって、恐怖を増やすことでしかない。つまり、これまでの強制入院時の関わりは、治療的ではなく、本人にとってより加害的となる可能性もあるのだ。

では、どうしたらよいのだろうか? そういえば、と思って、以前読み囓った別の本を眺めたら、こんな記述に出会った。

「たとえば、『自分なんて』と自暴自棄な行動をとる対象者と関わることで、支援者も『自分はダメだ(何もできない)』と感じるようになる。組織にも『組織としてやれることは限られている(何もできない)』といった価値観が蔓延し、よい援助サービスが提供できなくなっていく。このように、対象者と支援者、組織が似たような状態を呈する現象を、ブルームは『並行プロセス』と呼んでいる。対象者が攻撃的な言動を示すと、組織も権威主義的で支配的な対応を強めていき、そこで働く支援者も威圧的な態度をとるようになる。トラウマの影響を受けた人や組織が相互に影響し、再トラウマを生じさせるのである。」(野坂祐子『トラウマインフォームドケア』日本評論社、p150)

この記述を読んで、僕が真っ先に頭に思い浮かべたのは、虐待事件が何度も明るみに出た神出病院であり、相模原殺傷事件の舞台となった社会福祉法人で、虐待が繰り返されていたことである。

「『自分なんて』と自暴自棄な行動をとる対象者」に、支援者や支援組織が巻き込まれていく。その「並行プロセス」の中で、対象者の攻撃的な言動に無意識・無自覚に巻き込まれた支援者や支援組織が「権威主義的で支配的な対応を強めていき、そこで働く支援者も威圧的な態度をとるようになる」。「トラウマの影響を受けた人や組織が相互に影響し、再トラウマを生じさせるのである」というのは、入所施設や精神病院で構造的に起こり続けていること、そのものではないか。そんなことが浮かんできたのだ。

そして付記するならば、神手病院ややまゆり園での虐待事件について、加害者を免罪するつもりはない。その前提で書くのだが、虐待が起こり続けている背景には、支援者や支援組織のトラウマ文化が背景にないか、という「妄想」を抱く。『自分はダメだ(何もできない)』『組織としてやれることは限られている(何もできない)』といった価値観が蔓延しているからこそ、トラウマの再演としての構造的暴力が、入所施設や精神病院で起こり続けているのではないか、ということだ。そして、それは一人一人の職員の人権意識の低さとか、そういう問題だけでなく、対象者が苛まれ、ゆえに支援者や支援組織相手に再演されるトラウマについて、支援者も支援組織も無自覚に巻き込まれていくからこそ、起こりうることなのではないか、とも思い始めている。

では、どうしたらよいのか。関わり方が困難であったり、周囲の人に攻撃的になったり、パニックに陥る当事者と接する支援者や組織に求められるのは、トラウマへの理解と、トラウマを前提にした関わり方をチームで行っていく、という覚悟ではないか、と思う。野坂さんの本の中では、健康な組織作りに向けては、①非暴力、②感情的知性、③社会的学習、④オープンなコミュニケーション、⑤民主制、⑥社会的責任、⑦変化と成長の7つがキーワードとして出されていた。僕はこれをみて、オープンダイアローグが生まれたフィンランドのケロプダス病院でのチーム支援と同じポリシーだと感じた。

トラウマにさいなまれているご本人の絶望と、そのものとしてしっかり向き合う。その際に、『自分はダメだ(何もできない)』という感情の波に支援者や組織が飲み込まれない。そうではなくて、「自分はダメだ(何もできない)」という絶望の背景に何があるのか、を「いま・ここ」で理解しながら、別の方策を考え合うチームをつくっていく、ということだ。

僕は20年以上、精神病院や入所施設に偏重しがちな日本の障害者福祉の問題をずっと考え続けてきた。そしてそのことを告発し、構造転換を訴え続けてきた。では、現に施設入所を求め、医療保護入院が必要とされている現実をどう転換できるか、については、ちゃんと考えてこなかった。その際の補助線を、再び渡邊さんの著作を戻って、考えてみる。

「『施設しかない』という家族の思い、気持ち。その背景には家族として障害のある人を養い支え続ける中で、諸方面から受けてきた様々な傷や痛みの蓄積があるのだろう。その傷や痛みの蓄積の果てにたどりついたのが施設入所。その施設から地域へ再度『逆戻り』するようなことは決して受け付けられないということかもしれない。地域移行を進める側は、地域移行は地域社会へと『前進』していくこと考えるのに、これまで地域で支え続けてきた家族からしたら、それは『逆戻り』することなのかもしれない。過去の傷、痛みが心身の深いレベルで疼き、心身に激しい抵抗感を感じるのかもしれない。」(渡邊、前掲書、p302)

トラウマの「並行モデル」は、「対象者の攻撃的な言動に無意識・無自覚に巻き込まれた」家族の間でも、もちろんある。入院や入所を余儀なくされた当事者に傷つきや痛みがあるように、『施設しかない』と追い詰められ、やっとの思いで入院や入所させた家族側にも、傷や痛みが心身の深いレベルで刻印されている。その傷や痛みは、入所施設や精神病院の支援者にだって、広まっているだろう。そのことは、児玉真美さんの本を読んで気づいたメモ書きにも一部触れている。

このようなトラウマや再トラウマを恐れる支援者や家族は、「過去の傷、痛みが心身の深いレベルで疼き、心身に激しい抵抗感を感じるのかもしれない」。だからこそ、脱施設や地域移行を本気で考えるなら、①非暴力、②感情的知性、③社会的学習、④オープンなコミュニケーション、⑤民主制、⑥社会的責任、⑦変化と成長、といった、支援組織や支援文化を変えて行く必要があるのだ。それは、トラウマに巻き込まれない、再トラウマを演じないために必要不可欠なだけでなく、トラウマの悪循環やその並行関係から、当事者も家族も支援者も支援組織も抜け出していくための、必要不可欠なティッピングポイントなのではないか。そんなことを、考え始めている。

魂のこもった「学術書」

社会福祉を研究していると、同業他者の名前はなんとなく知っている。あの人はこの研究をしていて、どこの大学に属していて、とか。今日取り上げる堅田さんはベーシックインカムや貧困問題を研究しておられて、法政大学の教員だ、ということは知っていた。でも、恥ずかしながら、彼女の著作や論文もちゃんと目を通したことはなかったし、ご本人とたぶん一度すれ違ったけど、ちゃんと会話したこともない。だからこそ、新刊情報で流れてきたタイトルを見て、意外だったし、ちょっと読んでみようかな、という気になるタイトルだった。

『生きるためのフェミニズム パンとバラと反資本主義』(堅田香緒里著、タバブックス)

だから、読んでみた。すごく、良い本だった。

草の根の、地べたから見える風景が描かれている。研究者としての理論的フレームワークはもちろん持ちながらも、あくまでも、自分が出会った生身の人間の尊厳を大切にしている、そんなスタンスが、単純に良いな、と思ったし、共感できた。そして、そのスタンスが端的に示されている部分を、少しずつ拾っていく。

「 私にとって、聞き取った「声」をもとに論文を書くことの困難は、何よりもまず、私自身が路上に「通って」いただけで、そこで共に暮らしていたわけではない、という事実に由来する。白状すると、何度か路上での暮らしに挑戦したものの、挫折したのである。当時の私には、そんな人間が路上で暮らす人たちに「ついて」書くことなどできるわけがないと思っていたし、書きたくもなかった。」(p88)

さらっと書いているけど、「え、そうなの!」である。彼女は貧困問題を研究する以前から「路上に「通って」いた」。ホームレスと名指される人々の「声」と出会い続けていた。それだけでもなかなかない経験なのに、「何度か路上での暮らしに挑戦したものの、挫折した」と告白する。路上暮らしを挑戦したって! それも、びっくりである。さらに、「共に暮らしていたわけではない」のに「聞き取った「声」をもとに論文を書くこと」に「困難」を感じていたのである。研究対象に「ついて」論文なんてき「かきたくもなかった」というのは、ふつうの研究者とはずいぶん違うスタンスである。さらに、引用を続ける。

「 巷でますます量産されていく「ホームレス研究」の書籍や論文についても、戸惑いと若干の憤りとともに、ただ眺めていた。彼らと生活を共にしているわけでもないのに、彼らの「声」を「聞く」ことなど、ましてや「書く」 ことなどできるわけがない。とりわけ研究者は、いかにももっとももらしい「調査」を通して、ただ自分が聞きたい「声」を「聞く」のみである。そして、「調査」を立ち上げ、カネ(研究費)を取り、それを自分たちの「業績」にしていくと言う行為が、彼らの存在と、その「声」を「業績」のために消費しているようで、あさましく感じられた。」(p88)

たしかに2000年前後から、貧困研究ブーム(バブル!?)が到来し、実態調査系の本や論文もたくさん出てきた。その一方で、堅田さんは、自分も路上で色々な出会いをしながらも、調査対象者として改めて「「声」を「聞」」き、それを「書く」ことにためらいがあった。その背後には、「ただ自分が聞きたい「声」を「聞く」のみである」ということへの独善性を感じ、さらには、「「調査」を立ち上げ、カネ(研究費)を取り、それを自分たちの「業績」にしていくと言う行為が、彼らの存在と、その「声」を「業績」のために消費している」「あさましさ」を感じていたという。なんという素敵な感性だろう。

ただ、ぼくもそれはわかる部分がある。

ぼくは大学院時代、精神病院でフィールドワークをしたのを皮切りに、作業所とか当事者活動グループとかで、精神障害を持つ当事者の方からお話を伺う機会を結構数多く持ってきた。堅田さんのように、研究者になる前から出会っていた訳ではない。でも、そんな僕でも当事者の「声」を「聞いて」「書く」という、研究者の枠組みに当てはめるために聞く事へのおこがましさ、というか躊躇があった。だからこそ、いっぱい学ばせてもらったし、色々な話は聞いてきたけど、それは全然「書く」ことにつながらなかった。よって、大学院生の頃は、本当に全然何もかけなかった。(実はその後も、伺った「声」そのものはほとんど言語化できていない)

あと、蛇足的になるが、学生時代は臨床心理や精神医学も読み囓っていたが、院生時代は中井久夫も神田橋條治も河合隼雄も読むのを封印していた。中途半端に「分析」や「解釈」をしていては、当事者の声をそのものとして聞けない、と直観で感じていたからだ。だからこそ、ただ聞くだけで、ノートに書き留めたけど、それらの言葉は、全然活字にならなかあった。自分の言語化能力の低さとか、研究者としてのアウトプットの出来なさに、情けないな、と感じることもあった。

でも、いま堅田さんの記述に出会い、当時のぼくも「彼らの存在と、その「声」を「業績」のために消費しているようで」、後ろめたさ、というか、なんかちょっとそれは違うよな、と思っていたのかも知れない。だからこそ、それはぼくだけじゃなかったんだ、と思うと、勝手に同志的連帯、というか、似た感じ方の人がいたんだ、と嬉しくなった。

ただ、彼女の感受性の鋭さは、ぼくは到底及ばない。

「私にとって、かれらについて「書く」ということは、私と路上の友人との間に「書く」者と「書かれる」者との非対称性をはっきりと生じさせるだけではなく、かれらを物理的に「殴る」ことと同等の暴力であり、とても受け入れられなかった。なにより、路上の友人達のほとんどはおそらく一生読むことがないであろう「学術論文」を、かれらの「声」に基に書き「業績」をあげる、ということをしたくなかった。」(p89)

ここまで、書くことの暴力性について、ぼくは自覚的でもセンシティブでもなかった。確かに非対称性は感じていたし、精神病院のことを考えると、自ずと権力関係への自覚はあった。でも、ぼくの場合、当事者の声を聴いても、それをそのまま論文にする回路が結びついておらず、途方に暮れていただけかもしれない。そういう意味では、彼女はぼくなんかより、はるかに筋金入りで、ちゃんと路上で人としてホームレスの友人と出会っていたのである。

だからこそ、だと思うのだが、彼女がフェミニズムやベーシックインカムなどの理論を取り上げるとき、「お勉強のできる情報処理人間」とは違う回路やスタンスでの書き方だと感じる。筋が通っている、というか、彼女が友人と出会ってきた経験やプロセスが、理論や概念の解釈に結びついているようにも感じるのだ。

「ベーシックインカムの要求も『家事労働に賃金を』も、私たちに、労働に—賃労働にも家事労働にも—隷従しない生のあり様を示し、欲望に満ちた主体の可能性を開いていくだろう。パンが欲しければバラを引き換えにせねばならない、パンを我慢すればバラが与えられる、そうした交換の論理を軽々と超越していく。魔女は禁欲も隷従もしないのだ—パンも、バラも、よこせ!」(p41)

気持ちよいほど射貫く文章である。

パンは「生きる糧」でありバラは「尊厳」のこと(p15)だが、過労死寸前まで働いたら「生きる糧」は得られるかも知れないけど、「尊厳」は踏みにじられる。逆にエッセンシャルワーカーと呼ばれる人は、仕事に「尊厳」を持っているけど、「生きる糧」があまりに過小評価されている。パンかバラ、生きる糧か尊厳は、二者択一の問題ではない。「パンも、バラも、よこせ!」 それは、「労働に隷従しない生のあり様」を考える上で必要不可欠な理論的帰結であり、彼女が出会ってきた路上の友人のことを想うこととも直結しているのである。

また、ぼくはベーシックインカムについては、近年、新自由主義的価値前提に親和的な人々がその導入を口にしていて、胡散臭いと感じていたのだが、彼女はそれとは全然違う視点で見ている。

「ベーシックインカムとは一般に、『すべての人に、個人単位で、資力調査や労働要件を課さずに無条件で定期的に給付されるお金』と定義されているものである。ただしこの定義では、給付水準についての言明がなく、社会保障給付のコストダウンを志向する陣営からしばしば提案されるような低水準の給付がベーシックインカムと呼ばれることもある。これに対し、本書では、『生活に必要な所得』を保障する水準(以上)のものをベーシックインカムと呼ぶ。」(p45)

これも、「労働に隷従しない生のあり様」としての「生活に必要な所得」を保障せよ、「パンも、バラも、よこせ!」という主張で一貫している。実にロジカルで、かつ路上の友人たちのことを思い浮かべながら、の背景がしっかりしている論理である。

「社会の「役に立つ」とみなされればマイノリティも積極的に包摂するが、「能力」の「活用」を拒否する「怠け者」や貧乏人は、「役に立たない」とみなされ徹底的に排除され、ネオリベラル資本主義の秩序は維持される。要するに、ネオリベラリズムが差異に“寛容”なのは、体制の側が変わらなくてもよい、体制の側が「コスト」を引き受けなくてもよい、その限りにおいてなのである。」(p29)

彼女のこのマクロ政策への理論的な解釈は、路上の友人たちとの出会いに裏打ちされているがゆえに、本当に迫力がある。新自由主義的価値前提に「役立つ」「役立たない」という判断軸でわかりやすく分断され、ネオリベラル資本主義の秩序維持、のために、人々は包摂されたり切り捨てられたりする。その構造的な暴力、体制側の不作為を、彼女は真っ直ぐ見据え、居抜き、ズバリと言語化する。

この本は彼女の初の単著だという。これは、確かに表面的にはわかりやすい文体でまとめられた、読みやすいエッセイである。だが、その中に、軽く読み流せない、ほんまもんの問いかけがたくさんある。ブログでは紹介しないが、彼女は自分自身の痛みもそっと言語化し、差し出している。そして、ご自身の痛みや苦しみと、彼女が出会ってきた路上の友人の痛みや苦しみを交錯させながら、論理を展開し、言葉を紡いでいく。そういう意味では、素敵なエッセイであるばかりか、魂のこもった学術書でもある、とぼくには受け取った。そして、こんな大作は、並大抵の人間にはかけない。

そういう意味でも、実に読み甲斐のある本だったし、多くの人が手に取って、自分の痛みと交錯させながら読まれてほしいな、と思わせる一冊だった。

「学力工場」と偏差値序列

気になっていた『学力工場の社会学』(クリスティ・クルツ著、明石書店)を読み終えた。イギリスの貧困地域における公設民営の中学校(ドリームフィールズ校:仮称)において、厳格な規律遵守と学力工場に向けたガリ勉的な仕組みを導入したところ、学力テストでうなぎ登りになり、それが移民地域で白人中流階級の子どもたちも受験に殺到するようになった。そんな学校でのフィールドワークやインタビュー調査に基づき、ブレア政権以後、「教育」に力を入れるようになったイギリスでの新自由主義的改革が、どのような能力主義的な序列化に繋がったか、を解き明かしていくモノグラフ。サンデルの『実力も運のうち』を取り上げたブログでも書いたけど、ここのところ、能力主義は僕にとって一大テーマなので、食い入るように読み進め、読み続けるうちに自分の過去を思い出して心苦しくなりながら、読んでいた。

この学校の校長は、多文化が共存する下町の中等教育の現場で秩序を維持する戦略として、次のように述べている。

「6人とか7人の生徒のグループが集まっていることを認めていません。万一、生徒の大きなグループが集まっているのを見たら、その生徒たちがバカなことや暴力を起こさないよう、〔グループを〕解散させなくてはなりません。」(p91)

そして、規律を破った場合は、肺活量の大きい教員によって「大声での叱責」が行われたり、学校での居残りをさせられるのであった。また、放課後も学校周辺で街路を回り、制服の正しい着用や買い食いなどをしていないか、も厳しくチェックしていた。そこには「数量化できる学習成果を確実に絶えず生み出せるようにするための監視・強圧・分断・監査」(p116)が働いていた。そして、この「監視・強圧・分断・監査」は学生だけでなく、教員にも向けられていた。校長や経営層は、会社のように各個人のクラスの成績を査定するし、教員達が連帯しないように、職員室も置かず教科ごとの控え室しかなく、教員の労働組合もなかった。それは全て、ダウンタウンにおいて「掃き溜めの学校(sink school)」(p170)に陥らないための、学校全体を通じての「総力戦」的なやり方であった。

「アンビバレントな感情が、ドリームフィーズル校のプロジェクトの中心に位置付いている。すなわち、幸福と楽しさを約束する将来の幻想が、高いレベルの統制や規律、治安主義化に対する今現在の忍耐と結びついている。ドリームフィーズル校は数多くのテクニックを融合して、感受性の強い若者たちを、市場への参加を通して価値を獲得することに自ら投じる、自己構築型の個人へと成形しているのである。このトレーニングは、ますます日常化し、不安定でしばしば搾取されるポジションに進んで適応しようとし、それと同時に、自分の伝記を執筆する個人として自己を理解する主体の生産を奨励する。この個人化は、人種化され階級化された不平等が、学校教育の軍隊化にどのように関連し、またそれを強化しているのかを積極的に認識することを非常に困難にしている。」(p225)

僕はこの本に書かれている「テクニック」を知っている。というか、僕の中学や高校時代を通じて、このテクニックがぼく自身にも行使され、それを内面化・身体化してきた過去がある。

以前のブログに書いたように、僕が生まれ育った京都のダウンタウンの公立中学校は、ある種の問題のるつぼであり、「掃き溜めの学校(sink school)」に類似した部分もあった。不良がボンタンを着ているとかシンナーの話が出たり、原付バイクの盗み方、なんていう話も聞いたことがある。そんな学校における秩序維持のためには、大声で叱責する教員が何人かいた。激高して机を蹴り倒す教員もいた。そして、今回この本を読みながら思いだして真っ青になっていたのだが、その教員の恫喝の論理をぼく自身も内面化している部分がある。大教室で学生たちがガヤガヤしている時に、「やかましい」と恫喝的に声を上げたことが、大学教員になってから、何度もあったのだ。あれって、よく考えたら、中学の時にうけた「治安主義化」の「テクニック」の再生産だったのだ、と、この本を読みながら気づく。

「感受性の強い若者たちを、市場への参加を通して価値を獲得することに自ら投じる、自己構築型の個人へと成形している」というのも、ぼく自身の中高時代に当てはまる。「良い高校、良い大学に入り、良い会社や良い職業につくことが未来を切り開く唯一の道だ」と信じて猛烈進学塾で夜中まで勉強していたし、頑張り続け、自らの偏差値を上げないと、人生は上手くいかないと思い込んでいた。それは、偏差値の序列という「市場への参加を通して価値を獲得することに自ら投じる、自己構築型の個人へと成形してい」くプロセスそのものだった。

その後、進学校の高校に入った後、勉強は本当につまらなくなってしまい、どんどん成績が急降下していった。それを今振りかえってみるならば、「幸福と楽しさを約束する将来の幻想が、高いレベルの統制や規律、治安主義化に対する今現在の忍耐と結びついている」という事へ心身の反発や疲労、だったようにも、思う。中学校までは勉強が楽しかったのだが、高校で写真部に入って仲間と議論する(「隠れ作業」のp232)楽しさに気づくと共に、「高いレベルの統制や規律」での「勉強しなければならない」という「忍耐」が受け入れられにくくなったのだ。

「教師と生徒は、来たるべき未来に奉仕するために、現在の労働に耐えるべきだとされている。しかし、現在の残虐性はいつ終わるのだろうか? より寛大な『後の時間』はいつ始まるのか?」(p328)

中学や高校の頃は、大学に入れば、「今現在の忍耐」=「現在の残虐性」は「終わる」と思っていた。だが、何を何を。「後の時代」はそう簡単には始まらない。

「ドリームフィールズ校の一部の生徒は労働市場で成功できるだろうが、数多くの副作用がこのアプローチにはある。権威に対する無批判な従属、想像力の欠如、および狭隘な意味での主体性の感覚を養う従順さの修練は、それなりの危険性を孕んでいる。批判的思考や批評は、ベルトコンベアの進行と学力テスト結果の生産を妨げるだけの、乱雑で、時間を食う、破壊的な活動とされている。」(p329)

この「副作用」は、僕にもその後20年近く強い影響力をもたらしてきて、現時点でもそこから自由になりきれていないし、また、大学で出会う学生たちにも影響力を与え続けていると思う。それが、先に書いた「偏差値信仰」である。

「市場への参加を通して価値を獲得することに自ら投じる、自己構築型の個人」であった僕は、偏差値の高い大学に入ることを絶対的な価値だと思い込んでいた。だからこそ、その当時、「京大に日本一学生を送り込んでいる進学校」に入っていたのにも関わらず、センター試験で現役も浪人も良い点が取れず、京都大学を受験すら出来なかった段階で、自分自身を「落ちこぼれ」だとセルフ・スティグマを張っていた。入学した当時の阪大では、「周りはバカばかり」と思い込む、一番最低な人間だった。

また20代の間、ずっと大学受験の予備校や家庭教師をし続けてきたのだが、偏差値を30代からどう50代、60代にあげるか、という事に熱血になって指導して、それなりの成果を上げてきた。教師の教え方が下手だから学力が上手く向上しない高校2年生や高校3年生に、「今からでも頑張れば出来る!」と元気づけ、実際に彼等彼女らの成績を上げる支援をしてきたのだが、「来たるべき未来に奉仕するために、現在の労働に耐えるべきだ」という論理を、大学生の頃から高校生に教師として教える役割を担い続けてきたのだ。そのなかで、偏差値至上主義の論理を捨てられるはずもない。

だが、その呪縛を相対化出来るようになったのは、30才の時に就職した山梨学院大学で過ごした13年間だった。「Fランク大学でも行ける公務員」とか、週刊誌にひどい書かれようをしていたが、実際には魅力的でオモロイ学生が多く、勉強の面白さや学びのコツを理解していないだけで、実際にそれを理解すると、進んで面白がって学びを深める学生たちと出会い続けてきた。前任校の学生たちは、良い意味で「権威に対する無批判な従属、想像力の欠如、および狭隘な意味での主体性の感覚を養う従順さ」を鍛えていなかった学生さんが多かったので、ともに批判的思考を学びあいながら、深い議論をし続けることが出来た。僕は山梨学院大学で教員をさせてもらったからこそ、「稼げる大学」などもっともらしく喧伝する大学教育改革の胡散臭さを、肌身を持って理解できるようになった。

そして、今の職場の県立大学に移ると、確かに受験勉強をコツコツ積み重ねてきた、「よい子」が多いことに気づいた。だが、その修練は、「権威に対する無批判な従属、想像力の欠如、および狭隘な意味での主体性の感覚を養う従順さの修練」と結びついているようにも感じる。前任校と現任校では、基本的に同じようなスタンスで講義をし続けているのだが、「批判的思考や批評は、ベルトコンベアの進行と学力テスト結果の生産を妨げるだけの、乱雑で、時間を食う、破壊的な活動」だと認識している学生の数は、今の大学の方が遙かに多いので、僕の授業は最初、ものすごく感情的に反発を受ける。それは、今まで「従順さの修練」に必死になり、それが教員やテストで評価されてきたのに、「あなたはこの社会問題についてどう考えるの?」という問いは、僕は「模範解答」を一切言わないこともあって、全く通用しないのだ。つまり、批判的思考や批評をするクセを付けず、それを封印してきた学生たちが、その視点を獲得するのは簡単ではない、ということである。

そして、それは20代までのぼく自身の姿でもあったのだ。

「ドリームフィールズ校がより優れた質を備えるためには、この変容のプロセスの外部に、問題のある『他者』が存在しなければならない。生徒たちは、ドリームフィールズ校に通うことを誇りに思うかもしれないが、これは、学校の内と外の双方に根強くあるヒエラルキーというより広い問題に対処するものではない。病理はこのゼロサム・ゲームのどこか他の場所へと移動する。そして、ドリームフィールズ校が偉大になるためには、危険視された空間が継続的に存在しなければならない。」(p320)

能力主義やメリトクラシーの最大の問題点が、ここに詰まっている。誰かより秀でている、と比較優位で認めるためには、「問題のある『他者』が存在しなければならない」のである。偏差値が上がった、と喜んでいるが、それは他の誰かが下がることによって成し遂げられるものなのである。そうして、偏差値という一元的な評価尺度で序列化することによって、「危険視された空間が継続的に存在しなければならない」し、「病理」を他者に押しつけておしまい、になってしまう。僕はそのことに、20代まで全く無自覚であり、30代からの大学教員になって、やっと少しずつ、学生から学ばせてもらった。

そう言う意味では、この本は現代イギリスの人種や階級格差と学力格差の問題を主題化した本なのだけれど、日本の教育にも通底するし、日本の「学力工場」的な問題は、イギリスよりずっと以前から根深く起こり続けている問題かも知れない、と感じている。なので、この本は能力主義や日本の教育を問い直す上でも、お勧めです。

最後に、個人的なメモワールを二つ。実は、能力主義に関する古典的名著であるマイケル・ヤングの『メリトクラシー』は、僕が通っていた当時の学部の選択必修の教科書であって、僕はその名前を知っていたけど、その当時は教育学が面倒だと思い込んでいて、読んで来なかった(なんと視野狭窄な学生!)。でも、今回の本も、サンデルの本も、このメリトクラシーの議論が下敷きになっているし、有り難いことに最近再版されたので、そのうち四半世紀放置した宿題として、読んでみようと思っている。

それから、訳者のお一人、濱本信彦さんは、20年程前、学部の「学生控え室」という名前の溜まり場でお目にかかったことのある、後輩である。あの当時は、のんびりとした・朴訥な性格の好青年というイメージだけが記憶に残っているのだが、20年後にこんながっちりとした学術書を、しかも読みやすくてわかりやすく翻訳してくださる立派な研究者になられているとは、思いも寄らなかった。そんな彼が、訳者解説でこんな風に書いている。

「我々の『学力向上』の取り組みの行き着く先を『学力工場』にしたくなければ、『よい教育とはなにか』という問題について、教育に関わる多様な主体が対話に参加し、学校という制度とその民主的価値に関する言説を豊かにしていくことが重要であると言うことが、本書を読み改めて感じられる点である。」(p387)

この濱本さんのまとめについては心から同意するし、濱本さんや、大学院の仲間であり以前ブログでご紹介した「ケアする学校」の著者の柏木さんと、じっくり学校に関する対話をして学ばせてもらいたいなぁ、と思った読後感だった。

ケアとしての人間

こないだ、現象学者の村田久行さんの著作を読んで「魂の傷つき」=スピリチュアルペインについて考察した。その後、精神科医の熊倉陽介さんの連載を読んで、トラウマが魂を傷つけ、「問題行動」をもたらすにもかかわらず、医師の意識の志向性の方向性が「治療」「病態」にのみむいて、生きる苦悩に向き合わないことにより、不適切な支援が生み出されていることを書いた。

そして、村田久行さんの別の著作を読んでみて、読み始めたら引き込まれて、一気に読んでしまった。そして、こんなフレーズに出会った。

「ハイデガーは、その著書『存在と時間』で人間存在を「気遣い(Care)」として規定している。
『現存在の存在は気遣いとして露呈する。』
人間存在を『現存在』としてとらえるハイデガーの『存在と時間』での膨大で強力な存在論的探求の議論についてはここでは扱わない。われわれはただ、人間存在の存在が『ケア(Care)』として現れるというハイデガーの指摘に注目したいのである。
“care”という語には、『気にかかること』『心配』『不安』という意味(気がかり)と『気にかけること』『注意』『配慮』『世話』『保護』という意味(気遣い)がある。ケア(care)は『気遣い』であると同時に『気がかり』でもある。」(村田久行『改訂増補 ケアの思想と対人援助』川島書店、p61)

「気がかり」と「気遣い」から構成される「ケア(care)」として、「人間存在の存在」が現れる。言われてみたらその通り、だけど、その言葉の意味深さを今、ようやく理解出来るのは、子育てをしているからかもしれない。子どもと共にいて思うのは、常に「気がかり」と「気遣い」の連続である、ということだ。親のぼくは「子どもとうまく関われているだろうか」という「気がかり」が常にあり、そのなかで、子どもの具体的な要望や危なっかしい行動に「気遣い」をし続けている。生まれたばかりの頃は「気がかり」も「気遣い」も最大限必要で、親二人はパンクしそうになっていたが、4才くらいになると、その量は以前に比べて少しずつ減ってきたようにも思う。

村田さんは、こう続ける。

「そもそも人間存在が、気がかり、憂慮であり、ケア(Care)なのだというのはどういうことなのだろうか。それは人が有限な存在としての本来的な自己存在のあり方を避けて、『空談と好奇心と曖昧性によって導かれて』この世界に親しみ、没入し、頽落しているとき、その非本来的なあり方に露呈する人間存在の根本的な現れなのである。元気で健康で活動的なとき、人は自己の人間存在を日常性に没入させ、その有限な存在であるという本来性を忘却してしまっている。そのようなとき人は、よほど鋭い感受性を持たないかぎり、その胸に憂慮の影を覚えることはない。しかしひとたび、老い・病い・死に直面し、輝く日常性から逸脱した状態に陥ったとき、それを避け、それに直面することを拒む人間の非本来的な存在様式は、その胸をかえって不安と憂慮に満たすのである。」(p63)

有限=命に限りのある存在としての人間は、「気がかり」や「憂慮」に支配されやすい。だが、それでは身が持たない。だからこそ、普段は「空談」(=おしゃべり)や自分の外側に目を向ける「好奇心」、そして命に限りがあるという自覚を先送りにする「曖昧性」を持つことで、「この世界に親しみ、没入し、頽落」していくことができる。それが、日常性への没入である。でも、「生・老・病・死」に直面した際には、おしゃべりや好奇心、先送りなんて言っていられないような「輝く日常性から逸脱した状態に陥」いるし、その時に心をもたげるのは「不安と憂慮」なのである。これも、子どもが生まれた頃は、本当にそうだった。そもそもGCUで経過観察をしていた頃から始まり、家に帰ってきても一日中泣いていたし、他者の命を支えながら仕事との両立なんて果たして出来るのか、など「不安と憂慮」だらけだった。

「AがBに≪援助≫を前もって想定し与えるのではなく、AとBが出会い、共に患者・クライエントの気懸かり(care)や不安を共有するからこそ、そこにそのA、Bに固有の≪援助≫が創出されるのである。そしてそのような出会いと人間的交流の結果、援助者と被援助者の関係が形成され、しかもその受け持つ役割も、かならずしも固定的・一方向的なものにならないのである。こうして他者を援助することにより、自らもケアされるのだという人間存在の真実にしたがい、援助者も被援助者も共に互いに人間的な援助を享受することを経験するのである。」(p89)

僕は娘に対して「援助者」として現れたのではない。娘が生まれてきてくれたことで僕は娘と出会い、娘や彼女をケアする妻のことが「気懸かり」で「気遣い」が必要不可欠だったからこそ、「出会いと人間的交流」のなかで、ある種の「援助関係」を作り始めた。でも、子育ての経験で感じているのは、己の無力さや卑小さ、至らなさであり、自分の不安や憂慮が最大化するときに、他者に気遣われることのありがたさだった。そういう意味では、ぼく自身も「援助者も被援助者も共に互いに人間的な援助を享受することを経験」してきたのだと思う。

そして、前回や前々回のエントリーに引きつけてみる。トラウマ的体験によって生きる苦悩が最大化した人の「魂の傷つき」とどう向き合うのか。それは、「AとBが出会い、共に患者・クライエントの気懸かり(care)や不安を共有するからこそ、そこにそのA、Bに固有の≪援助≫が創出される」というプロセスを立ち上げる事が出来るか、という問いにもつながる。

この「出会い、共に」に関して、村田さんは次のように書いている。

「われわれ近代人に特有の他者認識の困難をケア概念によってのりこえる。認識を主観と客観に分割し、すべての他者を対象化して共感と理解を分断する近代の認識様式をのりこえるには、ケア(Care)である自己と他者の存在を深く認めなければならない。像を映し出す鏡のように、空虚な大瓶のように、対人援助に臨むものは受動性と有限性を自覚していなければならない。この『共存在』は対人援助の技法であるとともに、技法以前の援助者の基本的態度として、次のことを含んでいる。
・患者・クライエントを見放さない。
・患者・クライエントの苦しみとケア(気懸かり)を受容し共有する。
・他者との関係において、関係存在としての自己の発見を心がける。
・ともに有限なる者として互いの存在を尊び、可能な援助を探求する。」(p82)

娘から僕が4年かけて学びつつあるのは、「気懸かり」と「気遣い」にもとづく「ケア」の領域で求められるのは、新自由主義的合理性とは真逆の思考回路である、ということである。他人(娘)のことはさておいて、業績をバンバン出す、とか、メールを素早く返信するとか、依頼された仕事に笑顔で答え続ける、とか、そんなことはとても出来ない。むしろ、「いまメールの返事をしなくちゃいけないんだけどなぁ」と思いつつも、娘が「おしっこ行きたい」「おなかすいた」「しんどい」「眠たい」「遊んで」と関わりを求めてきた時に、僕の意識の志向性の方向性を、仕事モードから娘にちゃんと切り替えられるか、が問われている。それは、能力主義的価値前提を脇に置き、「像を映し出す鏡のように、空虚な大瓶のように、対人援助に臨むものは受動性と有限性を自覚していなければならない」のである。

ここで大切なのは、「他者との関係において、関係存在としての自己の発見を心がける」という点だと思う。新自由主義的価値前提や能力主義に陥っていると、自己責任の罠に陥り、「頑張らないのは自分が悪い」という自責的回路に陥る。だからこそ、強迫的に頑張らねばと我慢をして、歯を食いしばる一方、頑張れていない他者や自分に邪魔する(と思えてしまう)存在を邪険に扱う。だが、「気懸かり」と「気遣い」にもとづく「ケア」をしていて感じるのは、「娘との関係において、関係存在としてのぼく自身の自己が発見されていく」ということである。

娘に一方的に時間や生産性や効率性を奪われているのではない!!!

そうではなくて、娘との関わりの中で、生産性や効率性に引きずられてしまい、ぼく自身が忘れ去っていた「関わりの喜び」のようなものを、娘は思い出させてくれるのである。論文を何本書いても、単著が三冊出ても、「もっと頑張らなければ」「まだまだだ」「他の活躍している人に比べて・・・」と、不安や憂慮はずっと自分を支配し、それが己のガンバリズムをドライブする、という、ある種の依存症状態に陥っていた。でも、娘や妻との関係存在としての自己を(再)発見することによって、自分自身の「魂の傷つき」から快復しつつあることに、改めて気づかされる。それは、家族の中での「苦しみとケア(気懸かり)を受容し共有する」プロセスを深めていったからこそ、やっと僕が気づき始めたことなのかも、しれない。

そう、ぼくはやっと自分自身が「ケアとしての人間」であることを、直視しようとし始めているのかも、しれない。

その視点に立つと、改めて今の医療や福祉や教育の現場のありようが、気になるのだ。援助や教育をする側の人間が、「ケアとしての人間」という自覚があるのか。まず、自分自身の「気懸かり」や「気遣い」と丁寧に向き合えているか。仕事に忙殺されて、自分自身が「ケア出来ていない」状態ではないか。そして、向き合う相手を「見放さない」「苦しみとケア(気懸かり)を受容し共有する」ということを、「意識の志向性の方向性」の重要なポイントに出来ているのか。そして、相手「との関係において、関係存在としての自己の発見を心がける」ことを仕事の重要なミッションだと思えているか。

こう書くと、「いやいや、わたしはプロとして対象者を援助するのが仕事なので、そこに私情を挟むというか、わたしの苦しみとかを巻き込んだら、仕事にならないのでは?」という問いも聞こえてきそうだ。でも、それこそ「認識を主観と客観に分割し、すべての他者を対象化して共感と理解を分断する近代の認識様式」の限界そのものなのである。あなたの苦しみはあなたの主観的なものであって、わたしの客観的な見立てとは切り分けられた(関係のない・薄い)ものである、という主客二分論的な視点の中で、身体的な治療の一部は可能かも知れない。社会的な支援もある程度は可能かも知れない。精神的な問題にも部分的には対処出来るかも知れない。でも、それでは対応出来ない「魂の傷つき」(スピリチュアル・ペイン)があって、それは援助現場で「困難事例」という形で析出してはいないか。あるいは、「魂の傷つき」を抱えていても、援助者に言ったところでなんともならない、と諦めたり抱え込んだり、絶望的になっている人はいないか。

その時に、「ともに有限なる者として互いの存在を尊び、可能な援助を探求する」という原点が、死活的に重要になると思う。あなたにも「不安や憂い」があるように、わたしだって不安や憂いがあるし、もしかしたら「魂の傷つき」も抱えているかもしれない、有限な存在である。でも、いま・ここ、という場において、あなたとわたしは出会い、共にあなたの気懸かり(care)や不安を共有することができた。そこから、何が出来るかわからないけど、共に考えていきましょう。それこそが、対象を区別する主客二元論的な(about-nessの)発想を乗り越えた、「共存在」(=with-ness)としての支援なのかも知れない。

脱施設化や地域生活支援、権利擁護などの諸課題を語るときに、これまでの僕はシステムの構造的欠陥(政府の無策、支援組織の虐待的対応など)をずっと批判的に言及してきた。だが、その批判だけでは、何も変わらない。その時に、当事者だけでなく、家族も支援者も支援機関も、それぞれが「魂の傷つき」を抱えて、内ゲバ的に自らの正統性を巡るヘゲモニー争いをしてきたのではないか、という仮説を抱く。そして、そのような「内ゲバ」を越えて、「ともに有限なる者として互いの存在を尊び、可能な援助を探求する」という原点に立ち返って、援助関係を再構築して、対話的なチームを作ることが出来れば、結果的に脱施設化も進むのではないか、とも思い始めている。

「魂の傷つき」と向き合う「ケアとしての人間」論は、対人援助の基本でもある。だが、それはミクロな1:1の関係に閉じない。いや、援助する組織、援助を必要とする社会、それらを支える法制度の意識の志向性の方向性が、「魂の傷つき」と向き合う「ケアとしての人間」にむいているかどうか、が問われているような気もしている。

トラウマと権威勾配

精神科医の熊倉陽介さんが雑誌『精神看護』に連載されていた「連載 トラウマインフォームドな精神保健医療福祉のパラダイムシフト」を読み終える。ホームレス支援に取り組み、ハウジングファーストの思想や実践を日本に広めようとする、俊英の若手である。文章もめちゃくちゃ面白くて、示唆深かった。

彼はダイアローグの前提として「権威勾配」を自覚化せよ、と指摘する。それは医師と患者さんの間にある、非対等な関係のことを指す。

「強制入院という文脈がある中で共同意思決定を医師が語っていることなんかが時々あると思うんですけど。それってそもそも対等な関係性を語る前提が成り立っていないと思うんですよね。歴然と公権力の代理人として強制入院させて自由を奪っているわけなんで。存在している権威勾配を、あたかもないかのように対話が持ち出されることには、注意しないといけないですよね」(連載5「話し合おう」)

すごく、頷く。そして、これを精神科医が語ることの重要性を感じる。僕は6年ほどまえ、東大で開かれたオープンダイアローグのセミナーで、「オープンダイアローグは、精神科病院をベースにしたシステムでは出来ないだろう」と発言し、業界の人から総スカンを食らった記憶がある(そのことはブログにも書いた)。だが、この時書いた以下の視点は、全く撤回する必要は無いと思っている。

「病棟であろうがなかろうが、対等な人間関係を指向し専門家主導から当事者主体へと生まれ変わるための専門職の覚悟と、不確実な「対話」に柔軟に対応するために十分な人手を確保しトレーニングを積むことが出来る組織改革とが、日本の現場でオープンダイアローグを実践する上で問われている」(竹端寛「日本の現場でオープンダイアローグを実施するための条件」)

熊倉さんの原稿を読んでいて頷いたのは、「歴然と公権力の代理人として強制入院させて自由を奪っている」ということをはっきり宣言した上で、「そもそも対等な関係性を語る前提が成り立っていない」のだから、「存在している権威勾配を、あたかもないかのように対話が持ち出されることには、注意しないといけない」と書いている点である。自らがどのような権力構造・権力関係の中に位置付いているのか、取り込まれているのか、に自覚的になり、そこにどのような「権威勾配」があるのか、を読み解いた上で、できる限り対話を成立させるために、「対話しない権利」も利用者が持つべきだ、と指摘している。これは、言われてみればその通り、の指摘である。

その上で、権威勾配が最もハラスメント的に立ち現れる場面の一つとして、生活保護の申請場面でのトラウマの発生を、以下のように読み解く。

「単純なことばとことばが組み合わさって、より複雑なことばを作る。言葉って進化していくんですね。言葉は単にコミュニケーションのためだけではなくて、思考するために進化しています。複雑なことばを操ることで、思考することを可能にしていきますよね。それと同時に、ことばを操る能力が、権力と結びついてもいます。試験をしてことばをうまく操れる人が選別されて、公権力の代理人として官僚制を担っていくわけですので。端的に言えば、文章を管理する公務員には権力があるということです。生活保護の申請場面でトラウマが起こりやすいのは、申請する人とその対応をする公務員との間に権威勾配があるからという要素があります。診断書を書く医師ももちろんそうだし、強制入院の判断をする精神保健指定医は特にそうですね。ことばや文章を操る能力と権力が、密接に結びつているんです。ことばが権力と結びついて、格差を維持したり拡大させる装置となり得ることに、自覚的でいる必要があるんですね」(連載5「話し合おう」)

めちゃくちゃ、鋭い!

支援が必要な状態にある人が、行政窓口や診察室を訪れる。この時、本人の混乱や困惑、不安や苦しみはマックスな状態である。だが、行政の窓口担当者や医師は、聞いた内容をカルテやケース記録などの書類に落としこむ必要がある。昨日のブログで書いた「意識の志向性の方向性」に引きつけるなら、「アセスメントしてカテゴリーに分別したり適否を判断する」ことに意識の志向性の方向性が向いていると、その認定基準やDSMなどの「より複雑なことば」の体系の中で、相手の話の当てはまりそうなところを掴もうとする。それは、コミュニケーションのため、というより、アセスメントの思考を展開するための言語運用である。一方、目の前の困惑している人は、何をどう話せば良いのかわからないくらい切羽詰まった状態だ、という切迫感に意識の志向性の方向性が向いている。すると、両者の意識の志向性の方向性は完全にズレる。かつ、冷静なルーティンワークとして記入し慣れている公務員なり医師に、明確に権威勾配がかかっている。それが、「ことばが権力と結びついて、格差を維持したり拡大させる装置となり得ること」なのである。これでは、確かに対話は成立しない。

では、どうすればよいのか。熊倉さんは、「とりあえず自分の小さな話から始めてゆっくり降りていって、そろそろと、見たくないものを見ていく」戦略を、治療実践でも、あるいはこの連載でも、展開している。(ずっと「締め切りトラウマ」を連載の毎回の前半に書き続けて、若干くどいと思ったのだが、そういう背景があったのですね(^_^))

「初診では、トラウマティックなエピソードがグルグルと繰り返されつつも、本丸的な話題には一切触れない人もいれば、語ると夜中に具合が悪くなることを自分でわかっていいて、努めて客観的に淡々とライフストーリーを語る人もいます。まずは身体疾患の治療方針から考えつつ、足の爪を切ることなど、なるべく物理的なことから診察を始めるようにしています。解離させて存在を無視してきた身体の末端を、少しずつ取り戻していくべく、足の爪を何度かに分けて切り、足浴をして温め、水虫の軟膏を塗りながら、きれいな爪が生えてくるのを待ちます。靴を履いて、地に足をつけて『立つ』こと、そして、『歩く』ことの回復することが、どこかに出かけて行って好きなことをしたり、誰かと出会うことの権利を保障することになります。
身体のケアから始めて、背景に鳴り響いていたシャーク・ミュージックが少し遠のいて小さくなったように感じられたら、言語的にトラウマ記憶を扱う準備ができたかもしれません。」(連載4「足の爪を切ろう」)

ホームレス支援の現場で出会う、足がどろどろで、靴もあるかないかの状態で、爪も伸び放題だったり巻き爪だったりして、皮膚もガサガサ、水虫が出来ている・・・。そういう状態の人を、「不潔で清潔概念に乏しい人」とみるか、「解離させて存在を無視してきた身体の末端」の保持者とみるか、で意識の志向性の方向性は全く異なる。前者であれば、だらしない・ややこしい・「問題行動」のある・面倒くさい・・・そういう存在だと、個人の性格の問題に矮小化してしまう。でも、その足に、「解離させて存在を無視してきた身体の末端」とラベルを貼り替えることによって、本人は辛いことやしんどいこと、トラウマ的体験を、解離や無視によってやり過ごしてきたのだな、と捉え直す事が出来る。すると、ご本人には様々なトラウマ的体験が重なってきたのかもしれない、という予測を立てる事が出来る。

事実、熊倉さんが勤めることぶき町簡易宿泊所(ドヤ)街にある診療所では、多くの人が「母親と末っ子の自分だけで父親に毎日殴られていた」「ガラス戸に投げつけられて血だらけだった」「熱いストーブの上に裸足で立たされた」「酔った母親にレイプされた」などのトラウマ体験を語る、という。そして、このような、だらしない・ややこしい・「問題行動」のある・面倒くさい・・・と片付けられてきた人々の背景にあるトラウマの物語をじっくり聴くためにも、しかも診察室という権威勾配が強く働いている場面で、医師としてその語りを聞こうとするからこそ、彼は対話する前に、爪を切るのである。そして、身体の不調を整え、身体の解離を再統合するように治癒や心身の余裕を取り戻すキュアのプロセスを経た上で、トラウマの物語をこの人になら語ってもいいな、という信頼関係を構築していくのであろう。

「トラウマインフォームドな支援組織や文化をつくるためには、トラウマの影響を受けている人と共に居ることができる場を作る事から始める必要があります。対人支援の場を、誰一人排除しないように構築し、持ちこたえることでしか、真にトラウマインフォームドな支援を行うことは出来ません。逆説的に言えば、自分たちの支援は誰を排除することで成り立っているか、と、常に問う必要があります。」(その3「ただ『居る』ことを保障しよう」)

この連載を読んでいて感じたのは、トラウマインフォームドとは、トラウマがあるという前提で物事を見ていく・捉え直す視点かもしれない、ということである。だらしない・ややこしい・「問題行動」のある・面倒くさい・・・と片付けられてきた人々は、「トラウマがあるという前提」で捉え直すと、様々な解離や退避行動を取らざるを得なかったことが、見えてくる。それを、ルールに従わない・他人に迷惑をかける・場を乱す・・・人、と排除していては、何の解決にもならない。「自分たちの支援は誰を排除することで成り立っているか」という問いは、それほど強い問いとして、僕自身に突き刺さる。

実は、僕の前任校時代のゼミ運営においても、「結果的な排除」はあった、とこの原稿を読みながら、思い返す。

前任校のゼミでは、魂の脱植民地化を主題として、自分自身の生きる苦悩や挫折、抑圧をオートエスノグラフィー的に問い直す内容の卒論を書くゼミ生が増えてきた。その中で、カレッジアスリートとしての挫折体験や、「空気を読む良い子」の苦悩を言語化してくれるゼミ生など、彼女ら彼らの卒論から沢山のことを学ばせて頂いた。だが、ある時期から毎年一人は、途中でドロップアウトする、というか、「ゼミから遁走する」学生が出始めたのだ。全くゼミや僕の前から存在を消す学生、ゼミには来るけど卒論草稿を「白紙」で出す学生、何を聞かれても殆ど何も答えられずに緘黙状態の学生・・・など、色々な形での「遁走」があった。

当時の僕は正直そのような学生に対して、「問題学生」というラベルを貼っていなかったか、といえば嘘になる。でも、熊倉さんの連載を読んで、やっと思い至ったのだ。彼らにトラウマがあるという前提で向き合う事が出来たら、少なくともトラウマの知識がその当時からあったなら、もう少し違う接し方、アプローチが出来たのではないか、と。僕の前から遁走する「困難事例」なのではない。他のゼミ生が自らの魂の植民地化と向き合う時に、自分にはそれが強烈にしんどくて、でもそのしんどさを言語化することも出来ずに、僕から遁走や解離することでしか、彼らは対処できなかったのではないか、と。

すると、大学のゼミでもそうなのだから、トラウマを前提とした、トラウマインフォームドなアプローチは、結構あちこちで普遍的に必要とされていることなのだ、と改めて感じる。つまり、「ややこし人」「他人に迷惑をかける人」とラベルを貼られている人と出会うときに、トラウマの可能性も視野にいれながら、でもそれを最初から前景化させることなく、本人が落ち着く・信頼関係を持てるような関わりをどうできるか、が支援や教育の現場では求められているような、気もする。

ハウジングファーストの思想の原点に「non judgement」があるとも連載ではくり返し書かれていたが、「ややこし人」「他人に迷惑をかける人」というjudgementを手放して出会い続ける事が出来るか。それは、僕自身に問われた課題でもある。

「魂の傷つき」と向き合うために

こないだのオンライン研修で、鹿児島大学の的場康徳先生とご一緒させて頂いた。なぜ消化器外科の先生と相談支援の研修でご一緒するのだろう???と疑問に思っていたのだが、先生の話を聞いて、深く納得。緩和ケアという、身体疾患の治療ではどうしようもない場面において、どのように患者の生きる苦悩と向き合うのか、というお話だった。それは、「病気から生きる苦悩へのパラダイムシフト」という論考を書いたこともあるので、めちゃくちゃよくわかる。そして、的場先生が依拠しておられる、現象学者の村田久行先生の本に目を通して、目からうろこ、体験をたくさんしている。今日はそのことを、言語化してみたい。

「援助とは苦しみを和らげ、軽くし、なくすることである。なぜ医療者の意識の志向性はせん妄患者の≪苦しみ≫にではなく、≪身体≫≪治療≫≪病態≫に向けられるのであろうか> その理由は、≪身体≫≪治療≫≪病態≫であれば見た目で捉えやすく、対処できるが、せん妄患者の≪苦しみ≫は捉えにくいからである。」(『シリーズ 現象学看護1 せん妄』村田久行・長久栄子編、日本評論社、p17)

これは、せん妄に限った話ではない。せん妄という言葉を抜いて、医師と治療場面で向き合う全ての患者でも、同じ事が言える。医師は治療(cure)をするのが仕事である。すると医師の意識の志向性は、≪身体≫≪治療≫≪病態≫に向けられる。そうすべきであるとトレーニングを受けてきている。だから、「患者の≪苦しみ≫は捉えにくい」。これは僕自身もわずかな患者経験をしていて感じることである。確かに治療をしてほしくて、医者の前に行く。でも、身体や病態として表出されているつらさの背後にある、ぼく自身の生きる苦悩にも目を向けてほしい。でも、これまで出会った医者の中で、僕の<苦しみ>もじっくり聞いてくれたのは、山梨時代にお世話になった漢方医の中田先生だけだった。

なぜそうなのか。現象学者は「意識の志向性の方向性」について語る。

「意識は同時に2つの物・事を意識できない。あるものに意識が向けられ、それが意識に顕在化すると、それ以外のものは背景に沈み、非顕在化する。この意識の対象の顕在化と被顕在化の相互移行は『ルビンの杯』の顔と杯、〔図と地〕の関係にもたとえられる。」(p35)

なるほど、そりゃそうだ。一つの見立てをする、ということは、そっちに意識が向けられ、他の視点は「背景に沈み、非顕在化する」のである。身体症状や病態に意識の志向性が向き、その治療方針をどう組み立てるか、を必死になって考えているときに、患者の苦しみの話は、診察室で聞いていても「非顕在化」して頭に入ってこない。患者は、身体疾患だけでなく、それを患うことによる生きる苦悩をも語ってるのに、そのうちの≪身体≫≪治療≫≪病態≫しか聞かれないと、「わかってもらえていない」と、医師に対して不信感を持つ。一方、先述の中田先生は、治療にじっくり時間をとって、患者の苦しみの話を聞こうと意識の志向性を向けていた。その苦しみが、≪身体≫≪治療≫≪病態≫にどう作用しているか、に意識を向けようとしていたのだと思う。それだけで、患者の医師への信頼度は随分異なる。

そして、患者の苦しみに目を向けるときに大切なのは、スピリチュアルペインだと、引用した同書では書かれている。

「スピリチュアルペインは、『自己の存在と意味の消滅から感じる苦痛』と定義され、それはたとえば、生の無意味、無価値、無目的、孤独、疎外、虚無と言った苦しみのことをいう。これはかならずしも終末期がん患者に限るものではない」(p31)

この定義を読んで、改めて「そうだったのか」と深く頷く。今まで字面しか知らなかったので、スピリチュアルペインとは、死ぬ間際の際に、人生の喪失に直面して、宗教的な助けを求める、そういう苦しさのことであって、いま・ここ、の自分には関係のないことだと思い込んでいた。でも、「生の無意味、無価値、無目的、孤独、疎外、虚無と言った苦しみ」と言われると、「終末期がん患者に限るものではない」。いじめ等のハラスメント、ひきこもり、親しい人との不和・別れ、失業や生活苦、「ゴミ屋敷」状態・・・など、様々なトラウマ的体験にもとづく絶望的状態って、それによって「生の無意味、無価値、無目的、孤独、疎外、虚無と言った苦しみ」に襲われ、その「対処行動」としての「薬物依存」だったり「自殺衝動」だったりするのである。それは、「精神症状」と言われるものにも、広く通底するような気もする。

ただ、以前の僕は、精神的苦痛とスピリチュアルペインの違いがよくわからなかった。苦痛には、身体的苦痛、社会的苦痛、精神的苦痛とスピリチュアルな苦痛の四つがある、と言われている。ただ、最後の苦痛を「霊的苦痛」と訳してしまうと、全く意味がわからなくなってしまう。身体的苦痛は病気そのものの痛みや、治療に伴う痛みであり、社会的な苦痛とは家族関係の悪化や仕事の喪失、貧困などの社会状態の悪化による痛みをいう。そして、精神的な苦痛とは「恐れ、怒り、不安、孤独感、抑うつ、せん妄」などをいう。これと、「生の無意味、無価値、無目的、孤独、疎外、虚無と言った苦しみ」を比較すると、精神的な苦痛は、スピリチュアルな痛みが表面化し、他の人にも把握しやすくなり、治療の対象になりやすくなったもの、とも言えるかも知れない。そして、スピリチュアルな痛みは、身体的・社会的・精神的苦痛の背後にある、その人の生きる苦悩の最大化したもの、と捉えると、これまでの僕の把握はがらりと変わってきた。

身体の痛み、社会的な痛み、心の痛み・・・それらが重なるなかで、魂が傷ついているのである! それが魂の(スピリチュアルな)痛みなのである。ならば、これまでぼくもずっと考え続けてきた、魂の植民地化は、まさに魂の痛みをもたらす構造的暴力であり、魂の脱植民地化とは、そのスピリチュアルペインからどう脱することが出来るか、の思考回路を開くプロセスなのかもしれない。

そして、村田先生はスピリチュアルペインには三つの側面(三次元)がある、という。時間制、関係性、自律性の三側面である。それをこんな風に整理しておられる。(p37-38)

①時間性のスピリチュアルペイン—将来の喪失から生じる生の無意味
②関係性のスピリチュアルペイン—他者との関係の喪失から生じる空虚や孤独
③自律性のスピリチュアルペイン—不能と依存から生じる生の無価値、無意味

①は「もう先がない」「終わりだ」と感じる、将来の喪失への絶望感だが、これは末期がん状態だけではない。失業や失恋、大学受験の失敗など、それまで専心していたもの・入れ込んでいたものを失った時、そうなる可能性は充分にある。②については、「言いようのない孤独」や「さびしさ」という表現が同書ではなされていたが、僕も20歳前後の時、この「言いようのない孤独」と「寂しさ」にさいなまれていた。③の「何の役にも立たない」「もう自分では何も出来ない」というのは、子育てをはじめた時、仕事とほんとど両立不能状態になった時に、そうやって自分を責め続けていた。

つまり、時間性・関係性・自律性の三次元での「魂の傷つき」は、僕にだってたくさんの記憶がある。「生の無意味、無価値、無目的、孤独、疎外、虚無と言った苦しみ」は、僕にとって他人事ではない。ただ、有り難いことに、何とかそれを乗り越える、というか、周りにサポートされながら、傷つきから快復することが出来たから、いま・ここ、の自分があるのだ、と改めて感じる。

では、この「魂の傷つき」からの快復に、他者がどう関われるのだろうか? 同書では以下のように説く。

「スピリチュアルケアとは、スピリチュアルペインをケアすることである。このことを現象学看護は『自己の存在と意味の消失から生じる苦痛(スピリチュアルペイン)』を『関係性にもとづき、関係の力で和らげ、軽くし、なくすること<ケア>』と理解している。(略) スピリチュアルケアの独自性は、<傾聴>と<共にいる>という<基盤となるケア>を土台にして患者のスピリチュアルペインをケアするものでなければならない。」(p47-48)
「患者は困難に遭遇し、現在の対処方法が無効なとき、自分自身の不完全さや無力を自覚する。しかし、その無力の自覚が患者を内的自己の探求に向かわせ、日常の自己から内的自己への超越が試みられる。患者はこれまでの生き方や価値観を見直し、病気や死に翻弄されない自己を探求するのである。日常の自己が他者・超越者・自然との関係のなかで新たな自己を見いだすとき、この価値観の再構築がスピリチュアルな覚醒であり、成長である。その結果、患者は新たな統合をなしとげ、病気に意味と目的を見いだして、新たな強さ、安心、愛、希望を獲得する」(p48)

この記述を読みながら、僕はアルコホリックアノニマス(AA)や当事者研究、ピアカウンセリングなど、障害当事者が主体となった、治療とは違う、オルタナティブな関わり方(ケア)のことを強く思い起こしていた。CILはピアカウンセリングを次のように定義している。

「ピアカウンセリングは1970年代初め、アメリカで始まった自立生活運動の中でスタートしました。自立生活運動は、障害を持つ当事者自身が自己決定権や自己選択権を育てあい、支えあって、隔離されることなく、平等に社会参加していくことを目指しています。ピア・カウンセリングとは、自立生活運動における仲間(ピア)への基本姿勢のようなものです。」(ピアカウンセリングとは

障害者は健常者に比べて劣る存在だと認識され、差別され、教育や社会参加の機会から疎外されていた時代に、「ありのままのあなたでいい」と障害当事者が捉え直すことを、一人ですることは簡単ではない。多くの仲間と話し合い、関係性を豊かにするなかで、障害にまつわる世間的価値観に「翻弄されない自己を探求するのである」。それは、こないだ読み終えたジュディス・ヒューマンの感動的な伝記からも、ヒシヒシと感じる。

人が「困難に遭遇し、現在の対処方法が無効なとき、自分自身の不完全さや無力を自覚する。しかし、その無力の自覚が患者を内的自己の探求に向かわせ、日常の自己から内的自己への超越が試みられる」。これを一人でやるのは、気が狂いそうになる。現に、東日本大震災の直後、ぼく自身も「自分自身の不完全さや無力」に強く襲われ、本当に気が狂う一歩手前までいった。

その時、僕が救われたのは、先述の中田医師であり、魂の脱植民地化概念との出会いであった。当時は、不妊治療が八方塞がりで先の見えなさも重なっていたので、漢方治療にすがってみようか、と出かけたのだが、ゆっくり話を聞いてくれる中田医師の前で、話し出したら溢れるようにしんどさや苦しさといった、「魂の傷つき」が出てきた。その後も1年くらい、毎回受診するたびに、そういうしんどさを話し続けたのだと思う。そのなかで、暴飲暴食や仕事のし過ぎ、といった「これまでの生き方や価値観を見直し」はじめたのだった。

それから、魂の脱植民地化概念との出会いも衝撃だった。これは311の一年前、今日との学会で深尾葉子先生と出会ったことに遡る。当時、こんなことを書き連ねていた。

「自分が納得して、その通りだよな、と思いこんでいて、かつ「自分らしさ」と思いこんでいる、自分の中での支配的な言説なり視点なりの少なからぬ部分が、ストックフレーズや手垢にまみれた思想の焼き直し・刷り込みに過ぎないのではないか、ということである。しかも、それを主体的に選び取った、と思いこんでいるけど、どこかで「選び取らざるを得ない」場面に構造的に追い込まれていませんか、とも、この「植民地化」から読み取れる。」(食毒から、魂の脱植民地化へ

ぼく自身が必死になって構築してきた「これまでの生き方や価値観」そのものの中に、「魂の植民地化」があったのではないか。それが、自らの魂を蝕み、苦しめているのではないか。そう気づき始めた1年後に311が発生し、文字通り自分自身が瀬戸際に追い詰められたところから、書いて考えて表現する作業をはじめ、それが初の単著『枠組み外しの旅』につながった。あの本を書くプロセスは、ぼく自身にとって、「日常の自己が他者・超越者・自然との関係のなかで新たな自己を見いだすとき、この価値観の再構築がスピリチュアルな覚醒であり、成長である」という軌跡そのものであった。

だからこそ、表題に戻るなら「魂の傷つきと向き合う」ことが、コロナ危機においても、ものすごく大切なのだと感じている。

このコロナ危機において、僕も含め多くの人が、「困難に遭遇し、現在の対処方法が無効なとき、自分自身の不完全さや無力を自覚する」のである。その際、「魂は傷ついている」のである。だが、これまでの治療やCureの場面においては、身体的・社会的・精神的な痛みや傷つきしか、着目されてこなかった。だが、明らかに今も多くの人が「魂の傷つき」に苦しんでいるのである。意識の志向性を、身体や社会、精神的な傷つきだけに留めず、その背後にある、生きる苦悩が最大化した姿としての「魂の傷つき」にも向けることができるのか。この視点の切り替えは、一人一人の人生にとっても、大きな価値転換になりうるのではないか、と思っている。

「日常の自己が他者・超越者・自然との関係のなかで新たな自己を見いだすとき、この価値観の再構築がスピリチュアルな覚醒であり、成長である」

これを、一人一人の「いま・ここ」にどう置き換え、自分自身の「魂の傷つき」と向き合う契機にするのか。これは、実に探求しがいのある課題だと感じている。

不幸な二項対立に陥らないために

今更ながら、児玉真美さんの『殺す親 殺させられる親』(生活書院)を読み終える。読ませる本なのだけれど、ウッと胸に迫るものがある。

「医療職に『正しい医学的知識を与えてやれば親は正しい選択をするはずだ』という思い込みがあるように、障害者運動は『自立生活の実例があると知らせてやれば、親はその正しい道を目指すはずだ』という思い込みがあるように思えてならない。その思い込みが裏切られると『頑なだ』『無知だ』と医療職が親を上から目線で決めつけてきたように、障害者運動もまた『正しさ』による判定のまなざしで『できない』親を断罪し、それによって親の側の事情を語ろうとする声を封じてきたのではなかったか。『できない』背景にある親の知見や思いは、誰にとっても簡単には語ることができない複雑なものばかりだ。まずは否定も批判もせずに聞いてみようとする姿勢と出会うことがなければ、それらの『なぜ』はこれからも語られないままだろう。」(p305)

児玉さんは、重症心身障害という、知的障害と身体障害を重複して、自ら意志表示がしにくい状態である娘の海さんの母である。障害のある子どもの親となることで、子どものケアのために大学の英語教員の職を辞めざるをなくなり、以後は子どもの療育をサポートしながら、海外における尊厳死や意志決定支援を巡る恣意性や医学モデルの歪みに関する議論を追いかけ、それを『アシュリー事件』のような形で著作にしたり、障害学を学んだ生命倫理学者の著作を翻訳をされるなど、文筆家としても活躍しておられる。そのプロセスの中で、障害の社会モデルや障害者運動にも出会い、親という立ち位置の持つ支配の可能性にも、自覚的に感じておられた。

そんな児玉さんにとって、相模原での障害者殺傷事件の後、入所施設のあり方を糾弾する障害者団体の主張の仕方に、「もうものを言えなくなった」という。彼女の娘の海さんも療育園という入所施設に入っていて、そこでの医療職のアプローチに対して、社会モデル的な観点から色々伝え続け、時には施設職員からモンスター的に思われても、海さんに最適な支援を目指してこられた児玉さんにとって、上記の言い様は、障害者運動が否定してきた、障害の医学モデルの独善性と共通していた、という指摘である。

これは、すごく辛い構図である。

障害者団体は、治療という名の下で障害者を管理・支配し、当事者の声を聴こうとしなかった医学モデルに強烈な異議申し立てをした。そのプロセスの中で、医師の言うことに従順に従い、「本人のために」と子どもを入所施設に入れた親の行いを批判した。だが、そのプロセスにおいて、親は医者だけでなく、障害者団体からも批判され、糾弾されている、と、児玉さんは異議申し立てしている。「『できない』背景にある親の知見や思いは、誰にとっても簡単には語ることができない複雑なものばかりだ。まずは否定も批判もせずに聞いてみようとする姿勢と出会うことがなければ、それらの『なぜ』はこれからも語られないままだろう」と。

それを、別のページでは、端的に次のように語る。

「障害を社会モデルで捉えるように、親の様々な思いや行動もまた、社会モデルで捉えてもらうことはできないでしょうか。『親は一番の敵だ』で親をなじって終わるのではなく、『親が一番の敵にならざるを得ない社会』に共に目を向けてもらうことはできないでしょうか。」(p264)

僕はこれを魂からの叫びであり、悲痛な懇請だと受け取った。

現象的には、子どもを入所施設や精神病院に入れるのは、親や家族である。すると、不本意にそこに入れられた側にとっては、『親(や家族)は一番の敵だ』となりかねない。でも、それは不幸な二項対立であり、内ゲバ的な展開であり、問題を個人間の、家庭内の問題に縮減して考える、という点では、障害の医学モデル・個人モデル的な視点ではないか、と児玉さんは言う。親や家族は喜んで子どもを入所施設や精神病院に入れている訳ではない。『親が一番の敵にならざるを得ない社会』があるからこそ、そうせざるを得ないのである。

その「『できない』背景にある親の知見や思いは、誰にとっても簡単には語ることができない複雑なもの」だと理解した上で、「まずは否定も批判もせずに聞いてみようとする姿勢」がなければ、その背景は語られず、真の問題は解決しないのではないか、と児玉さんは訴えかける。

この問いかけは、入所施設や精神病院批判を一貫してし続けてきた、僕の喉元にも突き刺さる。

以前から論文にも書いているが、日本の障害者政策は「家族丸抱え」が基調で、それが限界を超えた場合は、「入所施設や精神病院に丸投げ」であった。家族が丸抱えすることもなく、入所施設・病院に全てを押しつけるのではなく、地域の中で、親元から離れて、安心して暮らせるような居住支援や生活支援、医療的支援などを整えてこなかった。しかも、医療保護入院に代表されるように、その入所の可否の決定も、親に丸投げされていた。つまり、ケアが必要な障害者の支援に関して、行政責任が最小化される一方、家族責任が最大化されたまま、家族か施設か、の二者択一だった。そして、それは沢山の親や家族を介護やケアでギリギリの状態に追い込んでいった。

この構造的な悪循環を踏まえることなく、『親(や家族)は一番の敵だ』というのは、こういう言い方をするならば、敵を間違えている。本来は、親に丸抱えさせる、施設に丸投げする、行政の不作為こそ、問わなければならないのだ。それがない中だからこそ、前回のブログで書いたように、医者が社会の秩序維持を抱え込まざるを得なくなり、そういう歪んだ状態が固着してしまうのである。

その固着した構造の歪みの中で、相模原事件の入所施設では構造的な虐待が起き続け、その素地の延長線上で、相模原事件という恐ろしい大虐殺があったのだ。ことは一人の死刑囚の問題だけではなく、入所施設の組織構造的な歪みであり、そういう歪んだ施設をそのまま温存させてきた行政の不作為が重なるのである。その本丸について糾弾することなく、『親(や家族)は一番の敵だ』というのは、本質を外すだけでなく、行政からしたら、当事者団体と家族会が内ゲバ的に対立してくれたら、自らの責任が免責される、オイシイ展開なのである。これは、あかん!

さらに、児玉海さんは医療的ケアが必要な重症心身障害者であり、医療と福祉、リハビリという多方面からのケアを充実させる、という点において、日本のグループホームでは福祉的支援に偏り、不十分であると児玉さんは指摘する。だからこそ、入所施設の拠点的役割を家族としてヒシヒシ感じて、その入所施設の医学モデル的価値前提と常に闘いつつも、そのケアの重層さの重要性も感じておられるという。そんな児玉さんと初対面の相手が、名刺交換をしながら、「すぐに施設に入れてしまうからいけないのです」(p281)と教条的に児玉さんに伝えた場面を読みながら、残念ながら脱施設・脱精神病院と唱える人々の中にも、医学モデル的価値前提を持つ専門職と同じような、『正しい医学的知識を与えてやれば親は正しい選択をするはずだ』という不遜な思い込みと同種のものがあったのではないか、と思う。そして、自分自身はどうなのだろう、と自問する。

なぜ児玉さんのお子さんは、入所施設に住んでいるのか。そこに預けるまでのプロセスで、海さんと母の真美さんにはどんな葛藤や苦しみがあったのか。そういった様々な、「『できない』背景にある親の知見や思いは、誰にとっても簡単には語ることができない複雑なものばかり」なのである。それは本書全体を通じても、痛切に伝わってくる。そのような複雑に絡まり合った内容を「まずは否定も批判もせずに聞いてみようとする姿勢と出会うことがなければ、それらの『なぜ』はこれからも語られないままだろう」という児玉さんの指摘は、重い。

ケアラーである家族や親に、あまりに丸抱えをさせてきた歴史がある。そのケアラーの声は、入所施設や精神病院に入れさせられた当事者の声と共に、なかったことにされている。どちらの声も聴かれていない。両者は、時として二項対立的な、というか、利益相反的な立ち位置に捉えられる。でも、児玉さんが言うように、「『親は一番の敵だ』で親をなじって終わるのではなく、『親が一番の敵にならざるを得ない社会』に共に目を向けてもらう」ことがないかぎり、この二項対立的・利益相反的な不幸な関係性は解消されないのである。

障害の社会モデルが大切だと思うなら、この二項対立的・利益相反的な不幸な関係性が、なぜ維持されているのか、それは誰にとってどのような利益になり、誰が消極的にであれ加担しているのか、を分析する必要がある。そして、児玉さんも本書の中で指摘しているが、それは社会保障費を削減したい国の思惑であり、家族なんだから最後まで責任を取れと突き放す世間の視線である。これらのものにNOと言い返すとき、『親は一番の敵だ』と言わされている社会構造そのものを、捉え直す必要があると、改めて感じている。

隔離収容とコロナ危機

7月31日に放映されたETV特集「ドキュメント 精神科病院×新型コロナ」を遅まきながら見る。日本の精神医療の構造的問題が1時間にぎゅっと詰まっていて、その悪循環がコロナ危機で高速度回転している様子が手に取るようにわかり、見ていて辛かった。

一番辛かったのが、民間精神病院の団体の長である山崎學氏の発言

「精神科医療っていうのは、僕はよく話をするんですけど、医療を提供しているだけじゃなくて、社会の秩序を担保しているんですよ。町で暴れている人とか、そういう人を全部ちゃんと引き受けているので、医療と社会秩序を両方精神医療に任せておいて、この(診療報酬)点数なんですか?って言っているわけ。一般医療は医療するだけじゃないですか。保安までも全部やっているわけでしょう、精神科医療って。(入院を)断ってたらどこもとらないし、一番困るのは警察だと思うよ。警察と保健所が困るだけだよね。」

彼は以前から「精神科医に拳銃を」と団体の機関誌に載せるような筋金入りの確信犯なので、正直想定外の発言ではなかった、残念ながら。だが、テレビカメラの前でもそういうことを堂々と言ってのけるのは、俺たちが「社会の秩序」なるものを担保しているのだ、という強烈な自負心があるからだ、と見ていて改めて感じた。その上で、「医療と社会秩序を両方精神医療に任せ」ていることが問題だ、と言うのではなく、「この(診療報酬)点数なんですか?」=つまり一般医療と違って保安も全部やっているのだから、もっとカネをよこせ、と堂々と述べているのは、本当に銭ゲバというか、あきれ果てた。それは、半世紀以上前に日本医師会の当時の会長である武見太郎が「精神科医は牧畜業者だ」と揶揄していたが、結局の所、警察と保健所の代わりに患者を隔離拘束して「社会の秩序を担保」するのが精神病院なのだから、カネをもっとよこせ、という帰結で、医療とは全くかけ離れた牧畜業者の論理が21世紀も続いていることを、まざまざと見せつけられた気分である。

そして、危機こそその人なり組織の本質が垣間見れる、というが、それは山崎発言だけではなかった。

この番組は、コロナ危機における精神科治療の受け入れ病院になっている東京都立松沢病院に密着取材していたのだが、都内の民間病院からのクラスター患者が転院してくて、そこには隔離収容の様々な縮図がてんこ盛りになっていた。褥瘡がひどいレベルであるお年寄りの話は、介護保険が始まる前ならいざ知らず、今はふつうの老人施設でもなるべく褥瘡を減らす努力をしている。あるいは、コロナで転院してきたけど、精神症状はほぼ喪失している、30年以上の入院患者。家族が帰っていてほしくない、というので、転院前の病院の病室しか居場所がない、ともいう。そういえば、この番組は原発事故で病院閉鎖した福島の精神病院に長期入院し、のちに退院した時男さんのドキュメンタリーを撮った青山さんが制作チームにおられたが、原発がコロナ危機に変わっただけで、構造は非常に共通していると感じる。つまり、普段は外からうかがい知ることが出来ず、外部の目が入ることない、がゆえに、「牧畜業者」に長い間飼い慣らされ、病状が消失しても、そこからでれない人がたくさんいて、コロナ危機や原発災害で、外に出ざるを得なくなって、そういう状況が初めて「発見」される、という構図である。

さらに、そこに保健所や行政も、結果的に加担している構図も見えてくる。

クラスタが発生したY病院では、大部屋に陽性患者を集め、急遽大工道具で鍵を設置し、外から南京錠をかけていた。ナースコールもなく、居室内の囲いのないポータブルトイレで用を足すことが求められ、水などを求めて患者が絶叫していたという。しかも、保健所が指導に来る日だけ、南京錠は外されたが、その居室の前は通り過ぎたので、閉じ込められた人の声は聴かれないまま、放置されていた。そして、保健所が帰った後、再び南京錠で閉じ込められたという。これは明確に精神保健福祉法違反であり、厚労省の担当者も一般論として指導を徹底する、と述べてるものの、保健所や東京都は具体的な回答を拒否し、病院も取材に応じなかった、という。

そして、残念ながら、このような杜撰な行政指導も、いまに始まったことではない。医療監視や実地指導の当日だけ、隔離拘束がとかれたり、施錠された部屋が開放されたり、ということは、コロナ以前からも、よろしくない病院あるある、であったのだ(この実地指導の問題は20年近く前の院生時代に論文に書いたが、本質的には変わっていない・・・)。そして、これは精神医療業界の「常識」で、であるがゆえに、このY病院に実際に訪問して、南京錠施錠を発見した松沢病院スタッフ達の会議の後で、一部の医師が「コロナを治療した後、その病院にそのまま帰すだけでいいのか?」と当時の院長であった斎藤医師に詰め寄った所、「そういう病院が潰れてしまったら、今の社会は受け入れないので、もっとひどい病院に行くだけだ」と苦渋の表情を浮かべていた。

この斎藤院長の煮え切らない発言にモヤモヤしたのだが、これはこの院長や松沢病院の責任ではない。結局のところ、医療だけでなく社会の秩序維持までも精神病院にお任せしてしまい、少ない予算でお願いするから中身については特に問わない、という形で戦後ずっと民間病院に強制入院をほぼ丸投げしてきた(9割の病床が民間病院)、日本の精神医療の宿痾が、コロナ危機に極大化しているのである。

そのことは、4年ほど前に記事(誰のため、何のための「改正」? 精神保健福祉法改正の構造的問題)を書いたのだが、その際に書いた論点は、残念ながらこの番組でも活用できてしまう。僕はこの記事の中で、「精神医療の目的は犯罪予防ではない」と書き、精神科医に治安の責任を負わせるべきではない、と書いたが、現状では先の山崎発言にあるように、犯罪予防や治安の責任を精神科医や精神病院に追わせているのである。だから、他科で見られる重大な人権侵害も、精神科病院ならずっと見過ごされてきたのだ。これは、神出病院など最近の虐待事件でも、繰り返し現れ続けていることでもある。

斎藤院長は番組の中で、こんなフレーズも述べていた。
「見たくないんだよ、自分が怖いものは」「ひずみは必ず脆弱な人に現れる」

精神病院に患者を閉じ込めて、そこで何が行われているのか、直視しない。これは、家族関係などの極端な悪化の中で生きる苦悩が最大化した人を、家族だけでなく支援者もうまく見る事が出来ないから、精神病院にお任せしてしまう、という現状である。「町で暴れている人」も、意味なく暴れているのではなく、暴れざるを得ないほど、生きる苦悩が最大化したのだが、そのときに、町の中でそれを鎮める術を日本ではうまく構築してこなかったから、そうなっているのである。一方、オープンダイアローグだとか、トリエステ方式だとか、世界の様々な地域では、急性期の人も、家族が丸抱えするのでも、病院に丸投げするのでもなく、地域の中で、医療者と家族と本人が共に、急性症状を鎮め、よりよい関係性を再構築するための支援をやりながら、隔離拘束を最小化している地域もある。

つまり「医療と社会秩序を両方精神医療に任せておいて、この(診療報酬)点数なんですか?」という「問い」に対するまっとうな答えとは、「社会秩序は警察に戻した上で、まともな医療をちゃんとやってください」ということに、尽きるのだ。それが出来ないなら、病院経営から退散してほしいのだが、厚労省はそういう病院の持続可能性には妙に配慮してしまう(僕は以前、それをワープロ業者への補助金と批判した)。

そこで、コロナ危機で改めて浮かび上がった、脆弱の人に直撃したひずみとしての現状をどうするべきなのか? 隔離収容での集団管理型一括処遇が、クラスタ感染をもたらした大きな要因であることは、まず間違いない。そして、その陽性患者に適切に対応出来ない古い病棟体質が、二次被害ももたらした。そういう意味で、結局の所、やっぱり社会的入院の患者さん達を、国の責任で退院させていく、強力な戦略が必要不可欠だ、という帰結に尽きる。そして、それをどうやったらいいのか、は10年前に関わった国の障がい者制度改革推進会議総合福祉部会で既に整理している(そのことはブログに以前書いた)。

こういうことを放置していたからこそ、今回の精神科病棟におけるクラスタ感染だとするならば、これは自然災害なのか? 人災の部分はないのか? 改めてこの番組を見ながら、モヤモヤが強まるばかりである。

わたしたちの怒りが社会を変える

アメリカの障害者運動のリーダーで、後にアメリカ政府や世界銀行でも活躍したジュディス・ヒューマンの伝記『わたしが人間であるために 障害者の公民権運動を闘った「私たち」の物語』(現代書館)を読む。そこには、差別され、排除されてきたがわだからこその悔しさと、絶対に諦めない不屈の精神が溢れている。そして、彼女の言葉はほんまもんの力強さで、読む人を揺さぶる。(彼女の語りはTEDでも見れる)

この本は、公民権運動から疎外されていると感じていた障害者達が、自らの市民としての権利を獲得するために、連邦政府ビルを占拠して激しい抗議活動を行いながら、政府高官や政治家と交渉を続け、障害者の権利を認めさせてきた、その闘いの内実や、そうせざるを得なかったジュディスの憤りがひしひし伝わってくるし、物語としてめちゃくちゃ面白いので、あっという間に読んでしまう。そして、障害者運動の歴史的意味に即した解説は、巻末に日本の障害者運動のリーダーのお一人、尾上浩二さんがバッチリ書いておられる。なので、ぼくは個人的に揺さぶられた部分をご紹介してみたい。

「 あなたのことを無視する時、相手は意図的に力を誇示している。相手は基本的にあなたが存在しないものとして振る舞う。そして、そう振る舞う理由は、それが可能だからだ。それをしても、自分の身には何も起こらないと思っているからだ。
無視は人々を沈黙させる。無視することで、意図的に和解や妥協を回避する。そして、自分が無視されても仕方がない存在だと感じさせることで、「自分は価値のない人間だ」 と言う最も嫌な恐怖心を植え付けるのだ。その結果、無視された間は、騒ぎを起こすか、黙殺される状況を受け入れるか、の二択を必然的に追い込まれてしまう。
もし、無視をする相手に対して立ち上がり、困らせるようなことをすれば、あなたは礼儀正しい言動の規範を破ったことになり、最終的にはもっと嫌な気分にさせられ、力を削がれ、おとしめられた気分にさせられるのがオチだ。」(p213)

彼女は障害を理由に学校への入学を拒否され、大学卒業後もニューヨーク市で教師になりたいと願うも障害を理由に拒否され、あるいは飛行機に乗るときに介助者がいないから搭乗拒否をされ・・・と様々な場面で拒否され続けてきた。それだけでなく、彼女や障害者運動の仲間達が、不公正な現状を変える法改正を訴えても、役人や政治家は彼女たちの発言を無視し続けてきた。そもそも普通高校に進学した折にも、彼女はふつうの同世代の友人として見なされていなかった。「基本的にあなたが存在しないものとして振る舞う」一般人と、ずっと出会い続けてきた。

でも、彼女は泣き寝入りしたり、自分の夢を諦めたりしない。「自分が無視されても仕方がない存在だと感じさせることで、「自分は価値のない人間だ」 と言う最も嫌な恐怖心を植え付ける」という構造をそのものを理解し、それはおかしい、許されるはずがない、と小さいときから感じていた。怒りに蓋をしなかった。だからこそ、「騒ぎを起こすか、黙殺される状況を受け入れるか、の二択を必然的に追い込まれてしまう」状況では、必ず彼女は声を挙げた。それは、彼女が「存在しないものとして振る舞う」一般社会に対する異議申し立てであり、おかしいものはおかしい、というごくまっとうな姿勢からであった。

とはいえ、彼女は最初から「礼儀正しい言動の規範を破」ることを平気でやってのける人物だったのではない。

「 成長するにつれ、私は2つの真実を経験した。私の母は闘士だった。同時に、母は父には従順だった。 自分の意見を通すためなら、当局に疑問を突きつけるためなら、自分のために立ち上がるためなら、なんでもしろと教えられてきた。同時に、私はいい子になるように育てられた。」(p235)

ジュディスの母は、彼女が学校に入れるように、教育委員会や近隣に働きかけることを惜しみなく続けてきた。その意味では、その当時の「障害のある子どもに普通教育は必要ない」という社会規範に異議申し立てをする闘士であった。その一方で、家の中では夫に従順である、という意味で、家父長制的価値規範には従順であった。これは、障害があることを理由にして人生を諦めるな、という意味で、「自分の意見を通すためなら、当局に疑問を突きつけるためなら、自分のために立ち上がるためなら、なんでもしろ」という闘士の精神である。その一方、家父長制的な価値規範の中で「いい子になるように育てられた」。

そして、ジュディスは障害のある女性、ということで、複合差別を受ける事になる。最近は交差性(intersectionality)という言い方もしているが、複数のアイデンティティ(障害者であることと、女性であること)の両方が重なる=交差する事によって、複合的な差別にあう、ということである。ジュディスの場合は、戦う障害者運動のリーダーとして、様々な異議申し立てをしてきた。だが、仲間とともに作った当事者組織(WID)の共同代表を降りることが求められ、男性リーダー(エド・ロバーツ)に一本化することが、彼女のいない理事会の場で決められてしまう。彼女は「でしゃばり」と言われたが、エドは「でしゃばり」とは言われなかった。(p237)

「本音を言えば、わたしはエドみたいに自分を前面に出したことはなかった。エドはそれを自然とやっていた。物事は動き、自分は歓迎されて当たり前だとエドは思っていた。特権はそこにあるものだった。でも、わたしにとって、それは働きかけて初めて得られるものだった。わたしの考え、わたしの存在そのものでさえ、受け入れられて当然だと感じたことは一度もなかった。意識していなくても、男性とは異なる振る舞いをするようになっていた。」(p235)

エド・ロバーツも、ジュディス・ヒューマンも、世界的に知られた障害者運動のリーダーである。そして、2人で共闘する中で、アメリカ社会での差別禁止の法制度を実現させていった。だが、この2人の間にも、男性と女性という違いゆえの、交差性問題が生じていた。ジュディスは主張することだけでなく、いい子になるよう育てられたゆえ、エドのように自分を前面に出す機会を逸して、それゆえ、共同代表の座から下されたのである。これは、障害者運動の中でも、男性の無自覚な特権性に基づき、女性障害者に「でしゃばり」とレッテルがはられる風潮が続いていたのである。

だが、ジュディスは、その自分の中の「いい子性」を、少しずつ脱ぎ捨てていった。「でしゃばり」と言われようと、怒ることをやめなかった。

「この怒りは間違っているのだろうか? 小さいときに教え込まれたように、これらは女性らしくない、自分勝手な振る舞いなのだろうか? わたしはそうは思わない。私たちの怒りは、根深い不平等によって焚き付けられた憤りだ。憤りに値する、数々の過ちがあったのだ。そして、その憤りがあったからこそ、私たちは現状に風穴を開けることができたのだ。」(p237-238)

これはアメリカの、カリフォルニアの、1970年代の障害者運動だけの課題ではない。日本のいま・ここにおいて、障害者運動だけでなく、女性差別や、様々な社会問題が放置されている中で、「根深い不平等によって焚き付けられた憤り」がTwitter上には溢れている。だが、ジュディスはそれを匿名で誰かに罵詈雑言を投げつけて終わるようなことはしなかった。そうではなくて、良い子の仮面を脱ぎ捨てて、あかんもんはあかん、と立ち上がり、実名で抗議活動に取り組み、実際に社会的な不平等を変えていき、現状に風穴を開けていった。彼女は怒りに蓋をしたりなかったことにして、「いい子のふり」をしなかった。そうではなくて、おかしいことはおかしい、と怒り続けることで、それを社会変革のパワーに変えて来たのである。

手前味噌であるが、今年出した拙著との共通点を思い出していた。『脱「いい子」のソーシャルワーク:反抑圧的な実践と理論』という共著を、この本と同じ現代書館でこの春出した。そのタイトルを考える際、反抑圧的実践を日本で伝えるために、どんなタイトルが良いかを著者チームで相談した際、「体制にとって都合のいい子」をやめよう、という意味で、「脱いい子」というタイトルをつけた。実は、福祉研究者の一部から、このタイトルにモヤモヤする、という声を仄聞していた。だが、今回ジュディスの伝記を読んで、改めてこのタイトルで良かったと思っている。障害者であれ支援者であれ、「でしゃばり」と言われたくないので、おかしいと思っても「いい子」の仮面を脱ぎ捨てられない人は多い。でも、本当に社会を変えたいなら、福祉用語で言えばソーシャルアクションに取り組みたいなならば、「いい子」でいること、というのが、自らにつけられた足枷であり、自己呪縛である、ということに気づく必要がある。先達のジュディスは、悔しい思いを重ねる中で、その悔しさが、複合的な差別要因を内面化し、自覚化できていなかったゆえのものである、と気づいた。その上で、それを言語化し、憤りを怒りとして表現し、社会に訴えかける事により、社会を変えてきた。あかんもんはあかん、と怒りを表明しても良いのである。それを地で証明してくれたのだ。

その彼女たちの怒りを、障害が現時点ではなくて、男性という特権を持っている僕が、どう理解できるか、受け止められるか。彼女たちの怒りの声に真摯に耳を傾けられるか。その上で、何ができるのか? そういうことが問われていると思うし、それが昨今の日本でも使われ始めたally(同盟者)に求められている課題なのだと思う。

そして、最後に翻訳についてひとこと。この本の訳者、曽田夏記さんは、次世代の障害者運動のリーダーのお一人である。その彼女が訳した文章は、実に読みやすい。実はぼくも原著を持っていて、でも曽田さんが訳されると聞いて「積ん読」だったのだが、今回翻訳を読み終えて、改めて原著をパラパラ拾い読みしてみた。どの部分もスッと頭に入ってくる。翻訳を読んでいるのだから当たり前だろう、と言われるかも知れないが、さにあらず。翻訳がひどいと、原著のテイストと全然違う場合が少なからずあるのだ。「え、こんなことを言いたかったんだ、意味がわからないのは翻訳のせいだったんだ」とがっかりすることも、数知れず。でも、この本の場合、原著のヴォイスが、そのものとして日本語に変えられている。それは、「障害のある仲間たちが日々の活動の中でわたしに聞かせてくれた経験や感情」(p326)を血肉化した曽田さんだからこそ、選び取ることができた表現だったのだ、とも感じられた。

そういう意味では、ジュディスやアメリカの障害者運動の息吹が、日本の障害者運動の息吹と交差するなかで、すぐれた翻訳作品としてできあがった傑作である。夏の読書のお供に、是非ともオススメする。少なくとも、障害者関連で読んだ本では、文句なく古典的名著になる一冊である。

処「法」箋の威力

青木志帆さんの新刊『相談支援の処「法」箋—福祉と法の連携でひらく10のケース』(現代書館)を読む。この本、法律の解説本でもあるのだが、そのジャンルのなかでは破格の読みやすさと、面白さ。それは、福祉現場の様々な「困難事例」に、法のアプローチならどう関われるか、を書いているからである。

青木さんは明石市役所に勤める弁護士で、社会福祉士で、ついでにいうとタニマーの活動もされている、魅力的でオモロイ人である。ぼくも以前から仲良くさせてもらっていて、2019年の年末に姫路の飲み屋で昼酒(コロナ危機では出来ないけど)をあおりながら、おしゃべりする中で、「こんな本を書いてみたい」と構想を伺い、めっちゃおもろいやんと、現代書館とお引き合わせをさせて頂いた。そして、出来てみたら、ほんまにオモロイ本で、ぼくもめちゃくちゃ勉強になった。

例えばケース7で出てくる「万引きを繰り返す高齢者」の話。青木さんは、福祉現場でソーシャルワーカー達と仕事を共にする弁護士、というニッチな立ち位置ゆえ、下記のようなエピソードが書ける。

「「なぜ悪いことをした人の支援をしなければならないのか」「私たちが支援をすることで、刑が軽くなるのはおかしいと思う」。
私が、法律相談を聞きながら更生支援をしていたときに、現場の専門職からよく聞いた意見である。私は、これはもっともなことだと思う。ただ、刑事手続きの登場人物たちが福祉的支援を求める目的は、「あるべき刑罰を軽くするため」ではない、ということはどうかわかってほしい。
たとえば、逮捕・拘留をきっかけに、その人の生活を困難にさせていること(障害、認知症、財産管理能力、親の介護と子育てのダブルケアなど)が外部に初めて明らかになることは実際多い。その人を犯罪に走らせたものが、そうした支援で社会内で更生できたほうが本人にとっても社会にとってもメリットが大きい。刑事手続きの関係者たちは、そうした思いで被疑者・被告人への福祉的支援を求めている。」(p133)

これは、法務省の視点だけでも、厚生労働省の視点だけでも、書けない文章である。そして、日本のお役所は一般的に縦割りであるがゆえ、省庁が違うと言語だけでなく価値前提も異なる。そのため、特にこのような罪を犯した障害者・認知症者のように、司法と福祉のどちらのアプローチも求められるけど、両者のアプローチがそもそもだいぶ異なる時に、この二つのアプローチをうまく接続させることは、そう簡単ではない。これは、現場でよく聞く話でもある。

そして、青木さんは、その両方の視点や内在的論理を知る、優れた通訳者的存在でもあるため、お互いの誤解を解くために、すごくわかりやすい例で解説してくれる。上記の場合なら、因果応報的な懲罰の論理に過度に囚われる福祉支援者に対して、「その人を犯罪に走らせたものが、そうした支援で社会内で更生できたほうが本人にとっても社会にとってもメリットが大きい」という論理をわかりやすく教えてくれる。そしてその背後にある「再犯防止推進法」の存在を挙げた上で、「なぜ更生支援を自治体でやらなければならないのか」も説く。そう、実はこれは福祉関係者と行政の間の価値観や認識のズレを埋める本でもあり、青木さんは市役所勤務ということもあって、自治体の論理と福祉・司法の論理の通訳もしてくれる。さすが、マルチタレント!

こういう認識のズレがなぜ生じるのか。青木さんはこんな風にも解説している。

「法律の世界は、原則として『合理的な判断能力のある人』をプレーヤーとして念頭に置いている。このため、福祉の当事者をめぐるケースマネジメントと法律とは、それほど相性が良くない。合理的な判断が難しい状況になる人に用意されている制度は、成年後見制度くらいしかない。医学的な意味で判断能力が低下している場合は成年後見制度を利用すればいい。でも、環境的要因のせいで『なんでそうなるのかなぁ』という選択をしてしまう当事者たちの場合、その困難を解決するのに法律は本当に使いづらい。
だからといって、『解決ニーズがないんじゃ仕方ないね』と権利救済を諦めてしまうのはいかがなものなのだろうか。すぐに分離できなくても、家計を立て直すのに時間がかかりそうでも、『法律にあてはめたら本来はこうなる』という結論を支援方針の軸としてチームで共有することができれば、少なくとも現状よりも権利侵害の度合いが深まってしまうことは防げるはずだ。将来生ずるかもしれない、深刻な法的な危機を予想し、そこから逆算して支援者としてできることを考えられたらよいと考えている。予防医学、予防法務的発想に近かもしれない。」(p187)

そう、福祉の分野でややこしいのは、意思決定支援が必要な状態にある人である。それは、「合理的な判断能力」なるものが、一時的であれ、部分的であれ、損なわれている状態にある人のことだ。その理由は千差万別。単に高齢者や障害者だから、だけでなく、そこに多重債務や虐待、DV、8050問題、あるいは周囲の差別的対応など、色々な問題が重なるなかで、「どうしてよいのかわからない」状態に追い込まれる。そういう時に、「福祉の当事者をめぐるケースマネジメント」が求められているのだが、青木さんはその状況は、「合理的な判断能力」を前提とした「法律とは、それほど相性が良くない」とも言う。

でも、この本の良いところは、『法律にあてはめたら本来はこうなる』という方針を支援チームで立て、そこに法律家も協力することで、「少なくとも現状よりも権利侵害の度合いが深まってしまうことは防げるはずだ」と明快に述べる点である。そう、法は福祉的支援に万全ではないが、使えるものはトコトン使おうよ、とその使い方を教えてくれる、道先案内人なのである。事実、弁護士と一緒に仕事をするにはどうしたらよいか(ケース10)とか、債務整理の類型と具体的な違い(ケース2)とか、虐待防止法とDV防止法の使い勝手の違い(ケース6)とか、法学部で勉強するか、公務員試験を受けるとかしないとお目にかからないような知識を、本当にわかりやすく解説してくれていて、ぼくも勉強になる(前任校では法学部に13年勤めたけど、不勉強で知らないことだらけだった・・・)。

そして、こういう具体的な知識を福祉現場の人が身につけることによって、「将来生ずるかもしれない、深刻な法的な危機を予想し、そこから逆算して支援者としてできることを考え」る、事前予防的なアプローチが取れるのである。さらに言うと、弁護士や司法書士クラスタの人は、この本を読むことにより、福祉現場の人が何に困って、法律クラスタの人と近づきにくいか、とか、福祉現場の支援者が大切にしている価値前提や、連携の際に躓きやすいポイントとはなにか、を知ることも出来る。行政職員であれば、これからの自治体行政において、福祉と法がどう連携してことに当たる必要があるか、を理解することもできる。

そういう意味では、一粒で何度も美味しい処「法」箋なのであった。