社会をマニコミオから解放する

「施設としての精神病院はなくしても、マニコミオは人々の頭の中にある。マニコミオは、考え方である。単にある具体的な場所ではなく考え方のことである。人々の頭の中や文化の中にある。社会をマニコミオから解放するのは、その考え方を壊す、ということでもある。」
先週の土曜日、大阪で開かれた講演会で、イタリアの社会学者、マリア・グラツィア・ジャンニケッダさんから発せられたメッセージは、僕の心に深く残った。彼女は、1970年代初期からバザーリアに誘われてトリエステで活動し、バザーリアが亡くなった80年代以後は、精神病院の新規入院を禁じた法律180号法をイタリア全土で機能させるための運動に携わってきた。その彼女が、イタリアでこの40年間大切にしてきたことは、「精神医療の近代化」ではなく、「社会をマニコミオから解放する」ことだ、と言い切った後に、彼女が説明したのが、冒頭の部分である。
マニコミオとは、簡単に言えば「狂った人を閉じ込めておく収容所」のことである。それと「精神病院」とはどう違うのか? 「精神病院」とは松沢病院や洛南病院など、固有名を持った一つの病院のことを指す。イタリアでは、こういう単科の精神病院を20世紀のうちに閉鎖した。だが、マニコミオはまだ残っている、という。それは一体どういうことか?
精神病院という箱物がなくなっても、リスクマネジメントや治安の維持、社会防衛の名の下で、精神障害者の自由を制限し、管理や支配下に置く、という考え方は、未だに残っている。これが、「マニコミオは人々の頭の中にある」という彼女の指摘の本質である。「人々の頭の中や文化の中に」はいまだに、何かオカシイ人、社会的に逸脱している(と他人から見なされる)人、社会に迷惑をかけた人や社会的秩序を乱した人は、どこかで管理され、自由を剥奪されても仕方ない、という考え方がこびりついている。
その最大の証拠に、2ヶ月前に起きた相模原での殺傷事件を受けて、厚労省が行った真っ先の「対策」が「措置入院(という強制入院)制度の検証や見直し(という名の強化施策)」であった。犯人の精神鑑定が終わっていない段階で、そもそも犯人が本当に精神疾患を持っていたかもアヤシイとされている段階で、警察の対応についての検証をすることなく、措置入院の強化だけを重点的に検討しているのである。これは、私たち日本社会が根強くマニコミオに囚われて、マニコミオ信仰に呪縛されている事を強く表していると感じている。
そして、この信仰は、実は相模原事件の加害者をも捉えていたのではないか、という「妄想」すら、浮かぶ。
障害者をある能力のある・なしで判断して、生きる価値がある・なしを査定や判断しようとする姿勢。この姿勢こそ、社会の標準的な基準や価値から逸脱している人は、自由を剥奪したり、管理や支配される存在であっても構わない、というマニコミオの思想そのもの、である。その意味では、入所施設、精神病院という場そのものの問題、というよりも、人間の尊厳や価値を奪う事を合理化する、その呪縛的な思考そのものと私たちは闘い、そういうマニコミオへの依存から社会を解放することが、求められている。
では、一体どうしたらよいのであろうか?
僕は、遠回りなように見えても、一人一人が自分自身の生き方を振り返るところから始めるしかない、と思っている。己の中に「マニコミオ」信仰がないか、を問い直す営みである。コミュニケーションがスムーズに行かない人、「空気」を読めない人、自分を傷つけたり他人に害を与える形でしかコミュニケーションが取れない人・・・こういう人を「○○障害者」と一括りにして自分とは別の存在と見なさず、一人の人間としてきちんと出会う、という営みである。
相模原事件の容疑者は、障害者施設の正規職員だったけれど、マニコミオ思想が支配的な入所施設という空間で、おそらくは「一人の人間」として「○○さん」に出会ったのではなく、「ただ介助され、他人から世話を受けるだけの、可動領域の限定された障害者」という「モノ」と出会って来たのであろう。そして、人間的に利用者と出会うための充分なトレーニングを受けることなく支援現場に放り込まれることによって、自分も決まり切った時間で介助を行うだけの、介助マシーン的な「モノ」になってしまった。安直な言い方をすれば、「モノとモノの出会い」、である。そこでは、ユニークな個性や価値を持った、かけがえのない「あなたと私の出会い」が生まれない。すると、モノ化された個人は、その貶められた価値を自ら取り戻す為に、自分より弱い存在を虐殺することで、自らをモノ化した社会に存在証明をしたり、反逆しようと企てたのではないか、という「妄想」が浮かぶ。
でも、こういうことは、絶対にダメだ。あかんもんは、あかん!のである。
マニコミオ信仰にはまることなく、人間が、人間と出会う。それが、今一番求められている。例えば、学校教育の場で、分けられることなく、障害のある子どもとない子どもが、普通に出会えているか? 「発達障害」や「○○障害」とラベルが貼られ、普通学級で集団管理や一括処遇が出来にくいから、と排除されていないか? 標準偏差的な思考に囚われて、ある基準値から外れた人を排除する、という思考は、日本社会の「同調圧力」として強く日本社会を縛り続けているのではないか? その中では、落ちこぼれてはいけない、頑張らなければいけない、世間に適合的でなければならない、という「裏返されたマニコミオ信仰」が強迫観念的にこびりつき、そこにのみ適応しようと必死になってはいないか? そして、適応できない人は、マニコミオ的空間に排除して、社会から見えないように隔離しているのではないか? そういう処罰的な思想でもあるマニコミオ信仰こそ、今の日本社会の「生きづらさ」を生み出す元凶ではないか? この信仰に「そんなの嫌だ!」とNO!を突きつけない限り、私たちの社会は、ますます生きづらく、面白くなく、しんどい社会になるのではないか?
そんな問いを持ち続けている。
今日は相模原事件から2ヶ月後にあたる。参議院会館で開かれた追悼集会に参加して、改めてオカシイものはオカシイ、あかんもんはあかん、と言い続けなければならない、と思いを新たにした。それと同時に、人間と人間が出会い続ける中で、マニコミオ信仰から自由になるために、自分からどう変わっていけるのか、を改めて問い直されたような気がした。僕自身が、心の内なるマニコミオからまず解放される。その上で、社会に蔓延するマニコミオ信仰から自由になるために、こうして文章を書いたり他人に語りかける活動をする中で、「社会をマニコミオから解放する闘い」にコミットし続けたい、そう思った。

向谷地さんへの反論、というよりも

向谷地生良さんといえば、精神医療のみならず障害者福祉の領域では超有名な「べてるの家」の支援者である。僕も当事者研究から多くを学び、毎年のようにゼミ生にも紹介している。師匠大熊一夫にくっついて、何度か浦河を訪問し、いろいろお話を伺い、臨床家としても尊敬している一人である。

その向谷地さんのインタビューを読んでいたら、気になる部分が出てきた。少々長くなるが引用したい。
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ーオープンダイアローグは、精神科病院をベースにしたシステムでは出来ないだろうという意見もありますが。
向谷地 それは逆で、全く可能だと思います。
ー現状の日本のシステムでも?
向谷地 この連載第一回で紹介したように、私は今全国3カ所の病院にお邪魔して、長期入院で治療やケアに一番困っている統合失調症の患者さんを紹介してもらって、スタッフといっしょに当事者研究のスタイルで患者さんとミーティングをしているんですけど、2年ほどのかかわりで、3人中2人が退院にこぎつけました。
 そこで思ったのは、その人達は、もちろん病状が悪くて退院できないわけですけど、それ以上に自分の人生に行き詰まっている人たちなんだと。彼らが退院する時にも、幻聴さんや妄想的な気分はそんなに変わっていないんです。むしろ当事者研究で話し合うことで、そういうところをかかえながら生きていこうとする土台ができていった。そんな気がしているんです。
(略)
 こういうふうに、幻聴や気分は変わらなくても大丈夫で退院できる人たちとの出会いって、現場の人間を励ましますよね。だから今の精神科病院の現場にこそ、オープンダイアローグ的なアプローチが求められている気がしますね。
(精神看護19(5)455-456)
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これを書き写していて、向谷地さんへの反論、というよりも、インタビュアーの「問い」への反論がしたいのだな、と気がついた。
ちなみに、「オープンダイアローグは、精神科病院をベースにしたシステムでは出来ないだろうという意見」を東大のセミナーで去年発表したのは、他ならぬ僕である。また「現状の日本のシステム」ではダメだ、と発言したのも、僕である。まず、僕自身の意図を表明した後、それに対しての向谷地さんのリプライを、僕なりに考えてみたい。
まず僕自身が「現状の日本の」「精神科病院をベースにしたシステム」では「オープンダイアローグ」が出来ないと思う根源的な理由。それは、圧倒的なマンパワーおよび基礎教育の違いである。そのことに関して、この5月に東京で開かれたオープンダイアローグのワークショップ時に書いた拙稿では、次のように整理していた。
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ケロプダス病院では、30人の病床(見学した時の入院者は20人で病床削減の計画もあり)に39人の看護師が働いています。1:1以上の人手がないと、上記の条件をクリア出来ないのです。あなたの病棟では、どのような人員配置基準で、何人の看護師が働いていますか?
つまり、病棟であろうがなかろうが、対等な人間関係を指向し専門家主導から当事者主体へと生まれ変わるための専門職の覚悟と、不確実な「対話」に柔軟に対応するために十分な人手を確保しトレーニングを積むことが出来る組織改革とが、日本の現場でオープンダイアローグを実践する上で問われていると、私は思います。
(竹端寛「日本の現場でオープンダイアローグを実施するための条件」)
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さて、このスタンスを示した上で、向谷地さんの発言を読み解いていきたい。
向谷地さんの仰るように、「長期入院で治療やケアに一番困っている統合失調症の患者さん」は、病状「以上に自分の人生に行き詰まっている人たちなんだ」というのは、僕も全くその通りだと思う。これはトリエステでも言われ続けてきたことである。また、「当事者研究で話し合うことで、そういうところをかかえながら生きていこうとする土台ができていった」ことにより、向谷地さんが関わった「3人中2人が退院にこぎつけ」たことも、頷ける。向谷地さんの実践そのものにケチをつけるつもりはないし、良い仕事をしておられるのだと思う。
ただ、気になるのは、「なぜ、向谷地さんが出かけないと退院できなかったのか?」という問いである。向谷地さんが訪問する以前のその患者さんには、なぜ「治療やケアに一番困っている統合失調症の患者さん」というラベルが貼られていたのか? そのラベルにその病棟のスタッフは疑問を抱かなかったのか? そして、なぜ向谷地それさんだけが、その病院の因習を突破して、「それ以上に自分の人生に行き詰まっている人たち」とラベルを貼り替える事が出来たのか?という問いである。
僕は、ここにこそ日本の「精神科病院をベースにしたシステム」の「まま」ではオープンダイアローグが実現「出来ない」と思う理由が詰まっていると考える。
簡単に言えば、目の前の患者さんに対するモノの見方を変えることなく、単にオープンに話し合いましょう、なんてやっても、患者と家族、支援者の関係性は変わらないのではないか、という問いである。精神科の一般病棟は3:1の基準である。ケロプタス病院の3分の1以下、である。そのような中で、従来の医学モデル的な看護スタイルで「病気や症状を診る」ことを重視している看護スタッフが、病気や症状と直接関係ない(と一見思える)「自分の人生に行き詰まっている」内容を、ちゃんとそのものとしてじっくり聞けているか、という問いである。向谷地さんのような、「治外法権的な外部者」がやってきて、「当事者研究」という触れ込みで介入できたからこそ、やっとその人の「本当の困りごと」が病棟内部であってもみえてきた。それを、「では皆さんもどうぞ病棟でやってください」と言われても、そう簡単に病棟の因習は変わらないのではないか。そう疑っている。
「今の精神科病院の現場にこそ、オープンダイアローグ的なアプローチが求められている」という点については、僕自身も同意する。でも、今の「精神科病院をベースにしたシステムでは出来ない」とも思う。それは、以前のブログにも書いた一言に収斂する。
「本当に精神病院の中でオープンダイアローグをしようとするなら、『その矛盾を社会ネットワーク全体の問題とみた上で、その関係性の不全に踏み込む』なら、精神病院という構造の『矛盾』をも、自由に話すことが出来なければならない。」
僕が「今の精神科病院の現場」にまず求めるのは、「オープンダイアローグ的なアプローチ」を真面目に実現する為の「専門職の覚悟」と「組織改革」である。向谷地さんは、浦河の地で、何十年とかけてその二つを実践してきた。それが、今の病棟現場にできるのだろうか? そこが、最大の疑問である。

「迷惑をかけない」「いい子」の「蓋」

岡本茂樹さんは、刑務所や少年院で長年、心理教育や更生支援をしてきた経験を元に、表面的な「反省」が逆効果になることを示した新書を何冊か出している。昨年亡くなられた彼の遺作『いい子に育てると犯罪者になります』(新潮新書)は、本当に力作だった。

この本は、「問題行動」といわれるものには、その行動に至る理由があり、その理由や行動に駆り立てる内在的論理を分析しない限り、どのように叱ったり、厳罰化したりしても、そのような行動は抑止できない、とハッキリいう。こう書くと、「わがままや逸脱行為に甘い」と思われるかもしれない。でも、それは「急がば回れ」。実は本当に犯罪や問題行動を減らしたい、と思うなら、その行為に至る根本的理由と本人が向き合うのを支援しない限り、そのような行動は減らず、「表面的反省」に終わり、再発を繰り返す可能性が高い、というのである。
それを、タレントの酒井法子さんの事例を元に分析している。彼女が一連の経緯を綴った手記(『贖罪』)を分析しながら、岡本さんはこう指摘している。
「覚醒剤に手を出したのは、『軽い気持ち』とは『安易』とか『自分が弱かった』という理由ではありません。人に素直に頼れなくなって、ストレスをモノ(覚醒剤)で埋め合わせていたからです。」(p166)
つまり、その時の彼女には「薬物が必要だった」(p146)と指摘している。だが、彼女は薬物が「必要だった」とは語らず、「自分は弱い人間だった」と語る。一方、岡本さんは、酒井さんの内在的論理を次のように読み解く。
「酒井さんの『自分の弱さや悩みをどんなときも一切見せない』姿は、周囲の人からは『芯の強さ』と映るでしょう。しかしこれはまったくの誤りです。酒井さんの内面を考えれば、『芯は脆い』と言うべきです。本当に『芯が強くなる』ための条件は、誰かに心を開いて悩みや苦しみを話して、人からエネルギー(=愛情)をもらうことです。そうして心はたくましくなる(=芯は強くなる)のです。」(p149-150)
酒井さんがどうして「弱みや悩みをどんなときも一切見せない」のか。それは、岡本さんによれば、彼女の幼少期の経験による、という。出生後に両親が離婚し、親戚に育てられ、7歳との時に「実の子ではない」「父が引き取ると言っている」という事実を突きつけられ、その後、父と2番目の母、3番目の母と暮らしてきた、という辛い幼少経験を持つ酒井さん。彼女は父に一度見捨てられた辛さや苦しさ、怒りを素直に表現せず、「良い子」として父や義母に認められたい、受け入れられたい、と必死になってきたという。そして、岡本さんによれば、犯罪者の中にはこのような幼少期の別離や過酷な体験により、「いい子」を必死で演じたり、逆に不良行動をしていくパターンが極めて多い、という。
岡本さんは、このような幼少期を持つ子どもが全て犯罪者になる、と言っている訳ではない。だが、このように「弱みを見せない」「迷惑をかけない」「いい子」が陥りがちな、次の特性が問題だ、と指摘する。
「酒井さんには『~ねばならない』という完全主義的な価値観があるのが分かります。『~ねばならない』という価値観は自分自身を追い詰める危険性があります。こうした考え方を貫こうとすると、どこかで自分に無理をすることになるので、生きづらさやストレスをもたらします。」
「大切なことは、『いい大人』を子どもに見せるように努めることよりも、親である酒井さんが息子に『ありのままの自分』を見せることです。そうすれば、子どもも『ありのままの自分』でいられます。」(p168)
そう、酒井さんも「ありのままの自分」を素直に出せず、「良い子」を演じてきたのである。その中で、数多くの「~ねばならない」を必死に演じ、その努力の甲斐があり、日本のみならずアジア圏にも人気が出るスターになった。だが、彼女は人に頼ることが出来ない生き方を、「芯が強い」と誤解したがゆえに、ストレスや苦しさも自分でため込み、薬物が「必要」になるほど、「芯が脆い」状態に追い込まれていったのだ。そして、こういう構造は、多くの犯罪者に共通している、という。つまり、「人に迷惑をかけない」「弱みをみせない」「いい子」だからこそ、その論理的帰結として、ストレスをため込み、自分を傷つけたり、他人に害を与える可能性がある、というのである。
では、どうすればよいのか。
岡本さんは、「ありのままの自分」を素直に認めることだ、という。そして子育てにおいては、子どもと親の相互関係のなかで、まずは親から変わるべきだ、という。
「テストで悪い点を取ってもOK、試合で負けてもOK、勉強でも運動でもお兄ちゃんに負けてもOKと伝える事で、子どもは『自分は今の自分でいいい』と思えます。そして、子どもが『自分は今の自分でいい』と思ったときこそ、自分から『頑張ろう』という気持ちを持てるのです。」(p215)
これは「ありのままの子ども」を、そのものとして受け止めること。親の価値観に当てはまった時にのみ褒める、という「条件付きの愛」では、子どもに我慢を強いたり、あるいは親の顔色をうかがう子どもに育ててしまう、という。だからこそ、「今の自分でいい」というメッセージを大人が子どもに伝えることで、子どもは安心して育ち、「頑張ろうという気持ち」が持てるという。
では、酒井さんのような事件を起こしてしまった人は、どのようにして回復していくのか。岡本さんは、こう語る。
「(自分は出生時に親に捨てられたという:引用者注)悲しい現実を、わずか7歳だった少女は『一人で抱え込』まざるを得なかったのでしょう。本当はつらいので避けて通りたいことですが、事件を起こした酒井さんが向き合わないといけないのは、このときに封じ込めた否定的感情なのです。」(p152)
「心の傷は、身体の傷と同じで、外に出さない限り消えることはありません。結局、否定的感情を出せないまま出所して、彼らの半数はまた何かのトラブルでカッとなって大きな事件を起こしてしまうのです。」(p163)
「酒井法子さんは、本当はものすごく傷ついていたのです。それもわずか7歳の時に。それをきっかけに人に甘えられなくなった(頼れなくなった)酒井さんは否定的感情をどんどん抑圧させ、長い時間をかけて傷は深くなっていきました。大きくなった心の傷は今も癒やされているとは思えません。」(P164)
「ありのままの自分」を承認する。そのためには、まず「ありのままの自分」を出せない原因になっている「否定的感情」を「抑圧」せずに、封印を解く必要がある。しかし「迷惑をかけない」「いい子」にとって、これこそが最も苦しいことである。一人でそれを行うのは、そう簡単ではない。また「弱みを見せることが出来ない」という表面的な「芯の強さ」=実質的な「芯の脆さ」を抱えていると、なおさらそれはしにくい。
でも、本当に更生しようと思うなら、「世間に迷惑をかけた」と謝罪する前に、自分の中での許せない・悔しい・惨めな・辛い「否定的感情」の蓋を開ける必要がある。この蓋をしたまま、表面的に強がることこそ、深尾先生の「蓋」概念そのものである。
「社会でよりよく生きるために、自分の本性に『蓋』をして、獲得された人格を懸命に生きようとする場合、もっとも恐れるのは、自分本来の本性を覗き見ることであろう。自分でも本性の姿を忘れてしまえるほど分厚い『蓋』を構築し、社会の期待する自己を首尾よく演じた場合には、もはや自分自身の本来の魂は、暴力的な発露の機会でもうかがう以外に表出する可能性はまずない。あるいは、それが内側に向かって蓄積されてゆく場合には、身体を蝕み、自己の崩壊を招く。」(『魂の脱植民地化とは何か』深尾葉子著、青灯社、p24)
酒井さんが、「身体を蝕み、自己の崩壊を招く」プロセスとは、「自分の本性に『蓋』をして、獲得された人格を懸命に生きようとする」プロセスそのものだった。だが、それを生真面目に追い求め続けた結果、自分自身の人生が破綻した。ゆえに、その後彼女が同じようにまた「本姓に蓋」をしたまま「いい子」を演じると、元の木阿弥になる。
彼女にとっては辛いだろうが、本当に必要なのは、「抑圧」し「蓋」をした「否定的感情」を、そのものとして眺めること。「社会の期待する自己」という「体裁」を脱ぎ捨て、「ありのままの自分」を捉え、「本来の魂」を取り戻す事である。そして、本当に犯罪者を更生させたければ、単に厳罰化したり、家族も含めてさらし者にしてバッシングするのではなく、このように「否定的感情」と向き合う支援をすることが、一番大切なのだ、と改めて学ぶことが出来た。
更にいえば、「それでも厳罰化が必要だ」と言う人もまた、「迷惑をかけてはいけない」という「いい子」の呪縛や「蓋」が強く、「自分自身の本姓をのぞき見る」ことが怖い、人なのかも、しれない。