素麺、パンゴリン、そしてえにし

今日は久々のまったりとした休日。午前中、昨日、大阪出張のついでによった贔屓の酒屋で仕入れたワイン12本が届く。山梨はワインの産地でもあるのだけれど、自分の舌に合うワインを、しかも1本1000円程度で、というと、なかなか定番にたどり着けずにいる。でも、この贔屓の酒屋さんの店長Mさんは、ほぼ確実に、ドンぴしゃに美味しくコストパフォーマンスばっちりのワインを勧めてくれる。というか、単に彼も僕も飲んべえで、たまたま彼と僕の好みが似ているだけかもしれないけれど。でも、2,3年前からの知り合いで、山梨に引っ越した後も、必ず時間を見つけて色んな種類のワインを合計12本、買ってしまう。理由は簡単、12本(一ダース分)買えば送料が無料だからだ。

で、Mさんのお店でワインを買うのが楽しいのは、味が良いから、だけではない。半分はMさんとのやり取りに惹かれて、もある。お互い同じ年代のMさんと僕は、そこではワインの話しかしない。しかも、僕は未だにブドウの種類も産地の違いも、ようわからんビギナーである。でも、ワインをこよなく愛しているMさんの説明を聞いていると、何だかもう既にワインを飲んでいるような、少しほろ酔いの気分になれるのだ。前回買っておいしかったワインの話を枕に、この1ヶ月に入ってきたお勧めのワイン、インポーターやボジョレーヌーボーの話、ブドウの品種と味の相関関係・・・。やりとりをしながら、自分がすっかりワインの園奥深くに入っていることを楽しみながら、さて今回はどんなワインと対面出来るか、と思うとワクワクする瞬間なのだ。で、確か3万円だか5万円だか買うと、2000円キャッシュバックしてくれ、しかもこの日は10パーセント引きセール中だったので、某百貨店なら5000円もするワインを含めて12本で合計1万2000円なり。一本あたり1000円。ほんと、安くていい仕事、してはります。ちなみに、このお店の名前も、そのものズバリ、「コスパ!」といいます(http://www.cospa.jp/)。Mさんは高槻店の店長さんです。ワイン好きな人は、是非立ち寄って見てくださいませ。

で、お昼は、これもお取り寄せの素麺、「島の光」を堪能する。これはスウェーデン在住時に、陣中見舞いに来られたEさんから頂いたもの。この素麺を食べていらい、少なくとも100円ショップで売っている素麺は食べられなくなった。本気の素麺の奥深さ、を堪能させられた。Eさんは現在関東にお住まいなのだが、ご実家が四国で、実家から必ず毎年送られてくるそうな。四国はうどんといい、素麺といい、どうして麺類がこうもしっかりしているのか。根性の入り方の違い、に今日も脱帽させられながら、生姜ときざみノリ、だし巻きにおネギさんを添えて、腹一杯いだだく。休日なので、Mさんお勧めのリンゴのシードルを飲みながら頂くと、どっちも最高に美味しい。こういうぐーたらは、何とも格別である。日本のジュースのようなシードルとは違い、大人の淡い苦みが炭酸と絶妙に合うシードルは、生姜を絡めて食べる素麺の為に生まれてきたのか、とすら思ってしまう。

お昼以後は、田口ランディの「ハーモニーの幸せ」を読みながらの午睡。実は以前ハードカバーで読んだときには全然ピンとこず、途中で放棄して、挙げ句の果てに妻がブックオフに出してしまったのだが、お昼前に出かけたイトーヨーカドーの本屋で偶然遭遇。なぜか惹かれてまた買ってしまう。本ってほんとに面白いなぁ、と思うのは、2年前くらいに全然面白くなかった本が、今回はすっごく面白く感じてしまうこと。きっと感受性のレセプターの方向性が日々変わっていて、たまたま現在の位相に彼女のメッセージ性の在り方が見事にはまったんだろうな。うたた寝を挟みながらも、夕方までには読み終えてしまう。彼女の辿る心象風景にシンクロさせながら、彼女が書かずにいられない業の深さに思いを馳せる。書くことが癒しになる、とは彼女のような人にピッタリなんだろうなぁ。では、僕は何のために、こんなにブログに書き付けているのか。彼女ほど背負っている業も深くない僕が・・・。たまゆらに考えるけれど、月並みな理由以外に出てこない。あんまり簡単な答えに依存せずに、ぼんやり考え続けた方がいいのかな、とも思っている。

夜は、早速届けられたワインの中から南アフリカのシラーという種類のブドウを使った「パンゴリン」というワインを頂く。ほんと、1000円でお釣りが来るこのワイン。夏場などちょっと冷やさないとくどすぎるくらい、こゆい。でも、うまい。今日はお世話になっている先生から頂いたインゲンとトマトを鳥の胸肉と煮込んだ「イタリアのマンマ風煮込み料理」を妻がつくってくれたのだが、まあそれによく合う。ペロッと平らげ、ゴクゴク飲んでいるうちに、一本がか~るく空いてしまう。これほどの至福はない。昼も夜もよく飲んでます。すんません。でも、気持ち良いのです。

で、少しほろ酔いの気分でパソコンに向かいながら、今日の一日を整理する。いろんなご縁があって我が家に集まった様々な食材のコラボレーションのおかげで、気持ちもおなかも満たされた一日であった。食べたり飲んだりすることを通じて、いろいろな人とのつながりが再認識された一日。ついでに言うと、田口さんの本の編集をしているのが、大学時代の友人だったりする。ほんと、つながりが生み出す拡がり、に支えられて生きている事に感謝の一日。そういえば今、酔っぱらいながら読んでいるのは「はじめたばかりの浄土真宗」。ついでに僕がもとより惹かれているのが、母校の高校のあった東寺をつくった空海。まさに、仏縁、ほどではないけれど、「えにし」を色々感じている。縁と言えば、本当にお世話になりっぱなしの指導教官が主催されていたのは「えにしの会」だっけ。拡散しがちな酔っぱらいの思考の中でも、「お顔の見える関係の拡がり」の豊かさが自分にとってどれだけかけがえのないものか、と再認識させられた7月の終わりの日であった。

丑の日とシンクロニシティ

昨晩は甲府に引っ越してきて初めての「はしご酒」だった。

この日は新任教員3人で「前期お疲れ様でした会」の飲みに行くことになっていて、朝メールをチェックしたら、高校からの親友のメール。「今日は6時に仕事が終わるので、その後なら大丈夫よ」 ま、まずい。そういえば霞ヶ関で働く彼が、山梨に出張だから飲もうよ、と誘ってくれていたのだ。7月頭に。ここ3週間ほど、新車が来たり、授業をまとめたり、入試委員のお仕事が忙しかったり、とバタバタしていて、すっかり彼との約束を忘れていた・・・。どないしょう?と思っていたが、よく考えれば、3人会のスタートはいつも決まって5時半過ぎ。ならば「8時頃に合流できそうだから、それまでほうとうでも食べて小腹を満たしておいてください」とご了解いただき、「はしご酒」を決め込んだのであった。

で、3人会なのだが、今日のお題は「土用の丑の日」。「やっぱりウナギでしょう」と仰る某先生。でも、甲府でウナギ屋って知らないよなぁ。まあ、ウナギも食べさせてくれる飲み屋を探そうか、と駅前を歩き始める。新聞ではウナギが高騰している記事も読んでいたので、正直、あんまり当てにしていなかった。で、何となくメインストリートでなく、路地裏の道が誘っていたので、「あっちに行ってみましょうよ」と言いながら歩いていくと、「鰻屋」の看板が。ほんとかよ、と思いながら、角を曲がると、なんと鰻屋さんに行き着いたのです。本日特別メニューと張り紙してあったけれど、上でも2000円。まあ、季節物ならいいか、と入ってみると、どの席にも「ご予約席」の表示が。だめかなぁ、と思いながら聞いてみると、「テーブルは一つ空いていますから、どうぞ」だって。5時40分から飲み始める人もおらず、早く来て良かった。

その後、前期の反省会などをしながら、ビールをちびちび鰻を待っていると、次から次へ、来るは来るは。お持ち帰り予約の人々がひっきりなしに訪れる。何気なく入ったこの鰻屋、知る人ぞ知る、の名店であったようだ。その店にいた2時間弱の間に、お持ち帰りの鰻は、少なく見積もっても100食分はあっただろうか。丑の日に鰻屋にいると、少し騒々しいけど、でも「旬のものを現場で!」という喜びも得られます。何だかグルメブログを書いている友人に似てきたなぁ・・・と思いながら、そのブログを見てみると、彼曰く、「肥満への階段」だってさ。いやはや、ごどうはい。あんさんきいつけな、僕と同じになりまっせ。

で、鰻屋で大満足して、予約席も一杯になったところで外に出てみると、件の友人が。別に待ち合わせた訳でもないのに、「あれま!」とばったり。「いやぁ、友人にあってしまったので、では・・・」などと言いながら、お二人の先生に別れを告げ、こないだ行った目抜き通りの居酒屋へ直行。友人と乾杯しながら、お互いの近況話に花を咲かせる。そうこうすると、携帯電話がルルルと。もしもし、と出てみると、その居酒屋と通りを挟んで真向かいの旅行会社の担当の方から電話。出張のチケットの打ち合わせをして、「夜遅くまでお疲れ様」と挨拶をして電話を切る。なんだか、数珠繋ぎのような夕方。シンクロニシティ(共時的)といってもいいし、お釈迦さんが数珠でつないでくださった、と言ってもよいし。何にせよ、ありがたき夕方であった。

インプットの時期

ここしばらく、「インプット不足」を痛感している。

大学の教員となり、大学だけでなく、現場で、地域で、アウトプットするチャンスが増えてくる。しゃべっていて、一応の体系をなしていることもあるけれど、深みが足りない、拡がりが薄い。これは、しゃべっている自分が一番よくわかることである。これほどまでにインプットを切実に感じることは、これまでなかったかもしれない。とにかく切実に「調べなきゃ」、「読まなきゃ」、「まとめなきゃ」、と思っているキーワードが山ほど目の前で点滅しているのだ。

今日あたりから、ようやく自分のペースでインプットできる期間になりはじめた。よく考えたら、この数年間、現場をほっつき回る、あるいはある論文を書く、という限定的な目的のために集中的なインプットをする機会はあったけれど、広く深く、自分が今気になっているターゲットに対してインプットに集中できる時間的・精神的・金銭的余裕がなかった。これが、大学に所属することの、教員としての大きなチャンスなんだと思う。もちろん、休み期間中もテストの採点や、あるいは研究プロジェクトのお仕事など、色々片づけなければならない事もある。でも、それをしつつ、いかにインプットに邁進できるか? それが、これから9月末までの、自分の課題だ。

台風一過のあとは、富士山もきれいにみえ、研究室の前からは蝉の大合唱が聞こえてくる。リフレッシュも上手に入れながら、いかにインプットにこの夏集中できるか? 甲府での初の夏休み、新たなインプットのチャンスに、今からワクワクしている。

「えいやっ」の瞬間

今日は早起き。妙にリアリティのある夢を見て目覚める。人間気になっていることについては、その予測含めて夢の中でまで予行演習するようだ。推測するのは勝手だけれど、どうせ始まってみなければわからない話なのに。僕は結構、「やってみる前にネガティブに推測する」ということが、まま、ある。

「嘘つけ。おまえのこれまでを見ていると、『やってみなければわからない』派に決まっている」

僕のこれまでの言行を知っている人からは、そう言われそうだ。確かにあれこれ色々手出ししてきた。でも、いつも「やる直前」には相当逡巡しているのだ。「どないしょう。うまくいくかな?」「失敗したら・・・」「そこまで引き受けられるかな」・・・頭の中で、否定的な言葉が流れていく。一言で言えば、びびり、なのだ。それで「ほな、やめとこ」となることもあるけれど、ある瞬間に「えいやっ」と飛び越えて、気づいたら「ああ、やってもた」状態になり、引くに引けなくなって、色々引き受けていく、ということが、あったりするのだ。この流れを変える瞬間が、どういう理屈で、なぜそうなるのか、よくわからない。でも、「えいやっ」と清水の舞台を飛び降りると、気づいたら自分を此方から彼方へと運んでしまうのだ。なるほど、今日見ていた夢も、あれをすると、また一つ、彼方に行くことになるよ、という箴言なのかもしれない。でも、多分引き受けてしまうんだろうなぁ・・・。

昨晩も、一つ「えいやっ」の瞬間を経験する。ここしばらく懸案になっていたことに、気づいたら一つの提案をまとめていた。言語化しにくかったことなのだが、これも「えいやっ」と書いてしまうと、案外書けてしまうものである。昨日からのトリガー(引き金)は「共通言語」。昨日の案件も、夢で出てきたことも、このトリガーが結びつけてくれたもの。そういえば、最近研究と教育と学務とが、何だか三位一体状態になって、進んでいる。こっちで考えていることが、あっちで使えたり、逆にそのことで悩んだ経験が、こっちで大きな教訓になったり。僕は関西弁で言う「がめつい」性分なので、たぐり寄せて引っ張れるなら、とことん地引き網漁のように引き続ける傾向にある。例えば共通言語という網にも、ヒトデさんやフグさんやらタイやらヒラメやら、いろいろなものが引っかかってくるのだが、「これでおしまい」とせず、潮時の局面が向こうからやってくるまで、今回も引き続けている。パチンコには詳しくないのだが、玉がジャンジャン出るまで長く仕掛けて、出始めたら打ち止めになるまで粘り続けるそうな。あれと似ている。つまり、「行けるところまでいくぜい」ということなんだろう。

今回もどうやら気がつけば既に、「行けるところまでいくぜい」と覚悟を決めた、つまり「えいやっ」と飛び越えてしまったようだ。まぁ、しゃあないか。地引き網には、引くか、引かないか、という選択しかない。一度引くなら、とことん引く。引かないなら、あっさり諦めて、別の潮時を待つ。その判断が頭だけでなく、身体的な感覚できちんと出来ていれば、途中の漁が大変であっても、まあ何とか収穫を迎えることが出来る。フィールドワークで培った勘と経験は、船乗りタケバタにとって大海原を渡り歩く貴重な羅針盤だ。

お外を眺めると、まさに「台風一過」の極上の晴天。「出漁」するにはいい日より、である。ビルトインされた感覚を大切にして、さあて、漁に出てみますか。

評価の目的とは?

今日からテスト週間。学生さんのテスト監督のお仕事である。

自分もそういえば、テストの時きりきりまいだったよなぁ、と思いながら、試験監督にあたる。試験を前にして、必死に格闘する人、余裕な人、全く絶望的な人など、監督をしながら多くのタイプをみるにつけ、自分の今やっている課題に思いをはせる。今、ある組織のempowerment(やる気や自信、力をつけてもらうこと)を目的としたevaluation(評価)の方法はないか、を模索中だ。評価、といっても、ネガティブな、あら探しのような評価ではなく、その評価がきっかけとなって、その組織のモチベーションや仕事の中身が高まっていく、そういったempowermentが導かれるような評価方法はないだろうか、それを模索している。

学生さんの試験だって、同じ事がいえるかもしれない。どうしたらテストやレポートを通じて、学生さんがempowermentされ、力がついた上で、その努力を評価し、さらに高めていけるようにもっていけるか? 高校までのように○×問題で評価出来ないが故の、面白さと困難性がつきまとう。でも、彼ら彼女らのempowermentを目的としない評価は、devaluation(価値の引き下げ)につながり、無気力と大学への不信感を募らせる結果を導く以外にはない。ならば、「この大学に来てよかった」と思ってもらうための、彼ら彼女らの自信と勇気につながる評価、それが大切なんだと思う。その尺度として、評価基準として、方法論として、どのようなempowerment evaluationの方法を編み出せばいいのか。これがここしばらくのタケバタの研究と実践の両方の面での課題だと感じている。

明日以後も、テスト監督が続く。いろいろ考えながら、知恵を絞りながら、の監督作業をしてみようと思う。

ようやくの出会い

風呂読書は、たまに珠玉の言葉を導いてくれる。

「かつては作者の独創性、他に少しも依存しない独創性こそが創造の根源であり原動力であると考えられていた。それに対して引用の理論の目ざしているのは、ほかのテキスト(プレ・テキスト)からの直接、間接の引用、既存の諸要素(先立つほかのテキストの諸部分)の組みかえのうちに、作品形成の仕組みと秘密を見いだすことである。」「引用においても既存の諸要素の自由な組み替えという点で、創造活動はまぎれもなく働いている。むしろ引用の理論は、創造活動が決して真空の中で無前提に行われるのではないこと、創造活動の実際の在り様は既存の諸要素を大きく媒介にしていることを、かえってよく示しているのである。」(中村雄二郎・山口昌男著 『知の旅への誘い』 岩波新書、p32-33

単に「知」そのものに憧れていた10数年前、古本屋で見つけたこの本をワクワクしながら読んだ記憶がある。とはいえ、その記憶はあくまでも「ワクワク」というボンヤリした印象でしかなかった。引っ越しを期に、大方の本を研究室に運んでしまい、たまたま自宅に残していた本の中から久々に手に取った一冊。それを読んでいて、よもや自分が最近納得しつつあることそのものが書かれていた、とは思いもよらなかった。

論文の書き方がわからず試行錯誤していたとき、「先行研究のレビュー」なるものの意味がよくわからなかった。一期生で教えてくれる先輩がいるでもなく、「どうして誰も手をつけていない分野を勉強しているのに、レビューなど必要なのだろうか?」「どうせこの分野でろくな論文もないし・・・」などと、恐ろしい戯言をわめいていたような気がする。しかし、論文の杜の中に深く分け入るうちに、なぜ分野を特定せずにレビューが必要なのか、がようやくおぼろげながらわかってきた。他の人がこれまで考えて来たことに基づきながらどこまで辿れるか、他の論文が(ホントにダメならば)何処がどのようにダメなのか、に峻別をつけ、結局どこからが誰も言っていない自分のオリジナルなのか、を考えるのが論文なのだ・・・そんな至極「常識」を「納得」するまで、何年もの日々がかかった。論文に対する姿勢が定まらないから、何をどう書いていいかわからず、当惑するばかりだった。でも、大学時代にすでに読んだ文章の中に、その答えはちゃ~んと載っていたのだ。何を読んでたんだか。

でも、多分これを最初に読んだ大学1年生の頃、自分が「創造活動」に関わる、などとは思ってもいなかったんだろうな。おそらく、「他人事」としてのテクスト解釈の文脈で読んでいたから、記憶の端にも残らなかったのだろう。それから一回り弱。講演をしたり、論文を紡ぎ出す、という「創造活動」にまがりなりにも携わるようになり、プレテキストの解釈や組み替えが、どれほど自分のオリジナリティにつながるか、を深く実感する。同じ本、同じ資料、同じ法案、同じ論文を読んでいても、そのテキストへの関わり方や視点の違いで、その解釈は驚くほど変わってくるからだ。

その際大切にしなければならないことは何か。それは、自分がどのようなプレテキストを、どのような文脈で、どういう角度から解釈し、どのように組み替えようとしているのか? その組み替えている主体である自分自身の有り様に意識的であること、だと思う。つまり、情報を切り貼りしながらある論を構築して際に、自分が意識的・無意識的に取っている戦略(メタメッセージ)に自覚的であれ、ということなんだろう。自分の言葉に酔ってしまいがちのタケバタは、特にこのメタメッセージに自覚的でないと、墓穴を掘りかねない。そういえば最近も掘っていた・・・。やばい。

こういう至極真っ当なこと、学者としての当たり前のルールを、30にしてようやく出会い、気付けているのだから・・・いやはや、ほんと、まさにひよっこなんだなぁ。風呂読書で今日は少し謙虚になってきた。

真剣な眼差しを受けて

今日は大学のオープンキャンパス。入試委員のタケバタの今日の担当は模擬面接。合計20人弱の高校生の真剣な眼差しを受けていた。最初、1分間スピーチをしてもらった後、その中から出てきた学生さんの様々なキャラクターに合わせて質問をしながら、学生さんがどんな人なんだろう、と想いを巡らす。奈良や京都、宮城からもわざわざやってきて下さる方もいて、この大学にかけられた期待の大きさに、改めて教員としてちゃんと答えねば、と襟を正す瞬間でもあった。

学生さん達の話をずっと聞き続けて感じた共通点、それは「自分の感じている事」と「理想像」をつなぐ言葉が出てこない、ということ。このご時世なので、政治行政学科志望の学生さんの多くが「警察官」や「消防官」になりたい、と言っていた。確かに両方とも立派な仕事であり、何らかの仕事に憧れを持っていることは素敵なことだと思う。「では、なぜ今のあなたが“○○になりたいと思うようになったの?」「それは○○にならなければ出来ないことなの?」「○○の仕事のどういう所にあなたは惹かれているの?」「それを政治行政学科で勉強したい理由は?」と問うていくと、多くの学生さんが黙り込んでしまう。自分の「なりたい」直感がしっかりあっても、それを他者を説得できるような論理構成で構築していく、という作業に慣れていない学生さんが多い、ということがわかってきた。

確かに、なぜ学者になったのか?と問われても、本当のところ、後付の理由しか出てこない。でも、後付でもいいから、言葉に出して、声に出して、その理由を考えてみること、そこから現実規定としての○○になっている自分の位置づけが見えて来る、僕はそう思っている。「○○になってしまった」地点から、その理由を後天的に模索していくことも、時には必要だ。同じように、「○○になりたい」場合でも、とにかく現時点での理由を先天的に模索することは大切。5年後実際に○○には全然違うモノが入っているかもしれないけれど、それを今も、そして5年後も考え続ける中で、自分らしさが形成されていくのではないか、僕はそう感じている。だから、本音を言えば、確かに「○○になりたい」と現時点で思っていても、それは一応「」つきで、現時点でなりたい、のであって、大学に入った後、様々な授業や本や友人と出会い、語らい、経験を積む中で、その都度修正していって欲しい、そう願っている。あまり最初から「○○」にのみ束縛されてがんじがらめになるのではなく、とにかく現時点では○○、そんなスタンスの方がきっと学生さん自身にとっても楽なのではないか・・・。お話を聞きながら、そんなことを感じていた。

猛烈な3日間

ここ3日間、猛烈に忙しい日々だった。

火曜は、前回書いたけれど、夜に頼まれた講演の直前までその内容に逡巡して、話し始めたら止まらずに帰ってきたのは午前様近く。その後何だか2時頃まで眠れず、夜も何度か目覚め、フラフラとした足取りのまま、水曜朝に大学に向かう。

水曜日は1~3限が授業で、1限はテスト、2限は2年生ゼミの発表会、お昼休みに会議を挟んで、3限は新入生の夏休みの課題について議論、と濃厚だった。このうち2限の学生の発表は、「甲府のバリアフリーチェック」と題した企画で、大学から学生チャレンジ制度として認められ、10万円の資金も頂くことになった企画だ(http://www.yguppr.net/050708cha/050708cha_main.html)。このチャレンジ制度に応募することになってから、2年生ゼミは急に盛り上がり、学生達が自分たちで企画書を書き上げ、交渉や下調べもし、大学と甲府市内のバリアフリーチェックも既に1度、行っている。今回は、その経験を、他のゼミの時間をお借りして発表する「キャラバン隊」の企画の実行だ。このゼミ企画は、実際にバリアフリーチェックを重ねるだけでなく、その経験を、車いす体験のない人々に広く知って貰う「普及・啓発活動」も二大柱に掲げているだけに、学生達も、予行演習や事前準備もして、当日の発表会に至った。

当日は、司会も進行も発表も、全部ゼミのみんなで切り盛りしてもらうことにした。タケバタのしたことと言えば、写真をスキャナーで取り込んで、パソコンで写す係、と他のゼミとの調整や教室変更のお願いのみ。2年生のスキルアップも目的にしているので、基本的に「できないこと、困ったことのみをアシストする」という姿勢で臨んでいる。最初、学生達は相当とまどった様子だったが、少し助言をしたら、自分で気づくことが出来たら、少しずつ前進し始めた。その後、お昼休みに反省会をしたのだが、僕は会議とかち合っていたため、要点のみを伝えて、夏休みの計画などについては学生達に話し合って決めてごらん、とだけ伝えて退散。でも、彼ら彼女らはきちんと話し合い、この夏に新たなバリアフリーチェックや、インタビューなど色々計画しているらしい。何だかいい感じになってきた。

その後、水曜日は会議が重なり、終わった後もある先生と立ち話をしていたら、気がつけば夜7時。昼飯抜き、っていうのがこんなに疲労困憊につながるとヘロヘロになりながら、翌日の準備をして、早々に退散する。

木曜日。この日は2限にロースクールの学生さんに話をする機会を与えて頂く。精神障害者の権利擁護に法曹界が果たすべき役割、という内容を準備したのだが、さすがに司法試験勉強をしている皆さんだけあって、質問も鋭い。あたふたしながらも、頭をフル回転させながら、しゃべりまくってしまった。質問の中で「現場の大変さはわかるけど、もっと普及啓発をしなければならないのでは? 先生はしているのか?」と尋ねられたので、「この場がまさに普及啓発です」とお答えする。冗談ではなく、障害者の権利擁護に理解関心のある弁護士の数はまだまだ少ない。なので、未来の法曹界を担う方々に、現時点での問題点や、今成立や施行されようとしている障害者自立支援法案、医療観察法などについて、その問題点や論点をお伝えするのも、私の大切な「啓発活動」だと思っている。やはり、どちらの法律についても初めて耳にされた方も多かったようで、これをきっかけに少しはご関心を持って頂ければ、と願うタケバタであった。

で、お昼休みには前述の2年生ゼミの学生2人が昨日のお昼休みの話し合いの報告に訪れる。彼らとじっくり話していて、最初に出逢った4月の時点より遙かにたくましくなっていることに気づく。これまで塾、予備校、専門学校や大学で色んな学生さんに出逢ってきたけれど、どこでも学生さんの「成長の瞬間」に立ち会えるほど、嬉しいことはない。「しんどいけれど楽しい」と評価して貰えるのは、何よりも教師冥利に尽きる瞬間だ。そして、彼ら彼女らが授業にコミットする率が高くなればなるほど、現状では満足できなくなるのも、どこでも共通した事実。件の2人も、「ちょっと先生に頼りすぎているような気がする」「もっと俺たちがしっかりしなきゃ」と話してくれていた。いいぞ、いいぞ! その感じ。はじめの一歩、は踏み出してくれた。そこからもう一歩、もう二歩、と歩んで行くうちに、自分らしい何かが彼ら彼女らの中に生まれてくるはずだ。そしてそんな彼ら彼女らのヨチヨチ歩きをどうアシストするか、もタケバタの課題である。

その後一呼吸置いて、今度は3年生のゼミ学生が訪れる。先週でゼミ自体は終わったのだけれど、たまたまボランティアやNPOの現場に精通されている方が今大学院にいらっしゃり、先週ゲストスピーカーに来て頂いたら、学生さんたちも鼻が膨らむほど!おもしろがってくれた。終わった後もその方のところに押しかけて話を繰り広げていたので、「それなら今週も」と時間を取って頂いたのだ。たまたま僕が秋に講演の依頼を受けたある町の福祉事情の事に端を発し、都会と地方の「我が町への愛着度」の違い、自治会活動へのコミットメントの問題、社会福祉協議会の現在のあり方、はたまた地域福祉ってなに、という根源的問題まで、2時間近く、濃密な議論が続いた。こういう「場」は、僕自身にとってもすごく大きな学びになるし、学生さんにとってもきっと刺激的で、知的好奇心がそそられるんだろうなぁ、と思いながら、気がつけば次の会議の間際までしゃべっていた。来週もまたご足労願えることとなり、泣く泣く閉会した。

猛烈な3日間だったけれど、吸収するものもすごく多い3日間だった。特に後半2日間では、学生支援についてたくさん考えていたと思う。学生達の中には、大学に入って以降、「しんどいけれども楽しい」という体験を積んでいない人々もいる。そういう彼ら彼女らに、自分自身が体験することや、あるいはホンモノに触れる経験を積んでもらうなかで、いかに「はじめの一歩」を踏み出す支援を教員側が提供できるか。夏以後の大きな宿題を、僕も夏休み前にもらったような気がした。

しゃべればしゃべるほど

さっきまで現場で話をするチャンスがありました。

そこは地域で障害者を支援していらっしゃる拠点の場。その現場だけでなく、同じ職種で働いていらっしゃる方々が、新しく変わる予定の「障害者自立支援法案」に関する勉強会に多数ご参加くださいました。僕はこの法案に大いなる疑問を抱いているのですが、それを含めて「ゼロからわかる自立支援法案」というお題を頂き、久しぶりにこの問題を話すチャンスが与えられました。この法案が出てきた昨年秋の「改革のグランドデザイン案」からずっとこの問題を追いかけて来たのですが、関西での講演のチャンスはあったものの、山梨での講演は初めて。はらはら、どきどき、で現場に赴きました。

でも、実は今日は万全、ではなかったのです。レジュメも、直前にファックスすればいい、と伺い、ギリギリまで逡巡していました。現場を離れて、ちゃんと最新情報も復習しなければならないし、何より聞き手の皆さんにちゃんと価値あるお話が出来るか、と不安でした。レジュメをファックスしたのが、ギリギリの講演1時間前。結局レジュメ作りに逡巡して、くたくたになって、現場に赴きました。あんパンとおにぎりを食べながら来たモノの、ちゃんと現場でお話がまともに出来るか、かなり不安に思いながら、研修会は始まりました。ついでに言うと、しゃべる直前は、夜遅いスタート、っていうのもあって、ぐったりしていました。

ただ、自分で言うのも何なのですが、現場に強いタケバタ。というより、単にしゃべり好きなだけかもしれません。講演を始めるや否や、エンジンがかかってしまいました。現場の方々が業務を終えて駆けつけてくださったので、スタートが8時過ぎ、でしゃべり始めたらとまらず、9時半ましゃべり続け、その後質疑応答でも1を聞いて20倍しゃべ利続けて、気がつけば10時半。現場の方々との真剣勝負が楽しくって、ついついしゃべりたくってしまいました。長い研修会になって、現場の方々、すいません。

でも、何が嬉しいって、講演の後、現場の職員の方々から「現場でもがき苦しんでいる、その実感にそって話をしてくれた」という評価をいただけたこと。現場から離れて象牙の塔に籠もりがちのタケバタにとって、現場の方々からこのように評価されるほど、嬉しいことはありません。まだまだ、腐っちゃいないな、と再認識するチャンスを与えられた一日でした。だから、しゃべればしゃべるほど、現場の方々からのエネルギーをいただいて、どんどん元気になっていく私。話す前にぐったりしていたのがまるで嘘のよう、話し終わる頃にはめっちゃテンション高く、終わった次第であります。

僕は、亜流かもしれませんが、現場と理論の往復を絶対自分の基本スタンスにしたい、と願い続けています。その際、現場の方々の「もがき」「苦しみ」を、何とか抽象的普遍的言語に置き換えながら、制度政策の改善につながるように、言語化のお手伝いをする、というのが研究者の役割だと思うのです。なので、現場の方々とのやりとりのチャンス、そして、現場の方々の実際の「もがき」に触れ、伺うチャンス、これほど貴重な機会はないと思っています。あくまでも、しつこく、しぶとく、現場発、を守り抜いていきたい。そう願っているタケバタでした。

生まれて初めて・・・

山梨に来て、生まれて初めて、の経験が多い。
大学の専任になった、法学部で教えている、僕の方がパートナーより収入が多い(今までヒモ状態でした、パートナーに深謝!!)・・・そんな「初めての○○」に、もう一つ嬉しい○○が、この七月から加わっている。それが、生まれて初めての新車!である。

どう、いいでしょ? マツダからやってきたアクセラ号です。(ちなみに奥様もどこかにちんまく写っておられます)

これまで十年以上車に乗ってきたけれど、最初に買ったスプリンタートレノ(85トレノというレアもの、でもマニュアルでなくオートマ)は親父がいつも使うガソリンスタンドの下取りモノで、とにかく20万円前後で!という希望を伝えるとやってきた。トレノ君には大学時代ずっとお世話になってぶんぶん走り回ったのだけれど、大学院に入るとき「これからは貧乏になるだろうから、その前に買い換えよう」と思って、友達にトレノ君を託した。

そのとき、ほんとは経済性と安定性を考えて中古のカローラを買うつもりだった。というのも、NGOの関係でよく出かけるタイでは、タクシーのほとんどはカローラなんだけれど、バンコクの運ちゃんの手荒な運転でも、カローラは本当に元気。で知り合いに紹介してもらった自動車に出かけると、出てきたのはサニー。確かにこれも経済的だけれど、内装もちゃっちいしなぁ、と二の足を踏んでいたら、「見ていくだけ見ていったら」と横に止まっていたビスタ君も紹介される。内装の良さや乗り心地の良さで、ビスタ君に即決め。5年半乗っている間に塗装ははげるし、パワーウインドウはは2,3枚落ちるし、大変だったけれど、仲良く乗っていました。

で、スウェーデンに引っ越す際に知り合いに譲り、帰国後、「金はないし、妻も乗るので、小回りの効く車がほしい」と、修理工場をやっている元教え子のお父さんに相談すると、ひっぱて来てくれたのがスターレットさん。この車にも1年数ヶ月、よくお世話になりました。夜中に奥様を仕事場まで迎えに行ったり、都会に住みながら1年数ヶ月で2万キロ弱、乗りました。

つまりまとめると、これまでの僕の人生の中で、車選びの際、「選択肢が非常に限られていて」「格安の予算の範囲内で」決めた車は全て「中古のトヨタ車」だのだ。それが、「いろんな選択肢の中から」「以前より格段に高い値段(をローンで組ん)で」「新車のマツダ車」に乗った!のだから、そりゃあ、わくわくも広がります。一応、他の候補でキムタクの宣伝しているカローラフィールダーにも乗ったのだけれど、このクラスのトヨタ車にない「わくわく」「ドキドキ」感がアクセラ号に合って、何度か乗り比べて、アクセラ号に決定!なのでした。

20代は車は本当に足以外の何者でもなかった。スポーツカーやジープなどで楽しんでいる人もいたけれど、僕は本業の足下を固めるのに精一杯で、車はあくまでも実質的手段。おそらくアクセラなら2,3台買えるカネを、調査と本と現場を動き回る交通費につぎ込んで来た。未来への投資に精一杯で、今を楽しむ余裕はあまりなかった。確かにあちこち出かけたけれど、ドライブを楽しむ、というより、車で誰を乗せて楽しむ、という事がメインで、運転はあくまでも目的遂行のための手段だった。常に走り回るけれど、セカセカした走り回り、だったような気がする。車に乗ることも、それに合わせてセカセカと乗っていた。

それが30になって、ようやく仕事の拠点も定まり、腰を落ち着けて仕事をし始めた今、余暇もすごく楽しみたい、と思い始めている。「真面目も休み休みに」じゃないけれど、仕事にグッと集中して、いいアイデアを出して形にしていくためには、お休みに楽しむことも大事なファクターだと思っている。家と大学の往復が主流をしめる日々だから、お休みの日は色んな新しい発見をするためにどんどん出かけて、「わくわく」「どきどき」体験をしたい、と思っている。そんな気分だったから、どっしり落ち着いて乗れて、しかも運転がワクワク出来るアクセラ号がぴったり自分に来た。

昨日は、霧ヶ峰に美ヶ原までドライブ。高校時代に写真部の仲間と夜行列車で訪れた懐かしの地だ。あのときは8時間以上かけて美ヶ原までやってきたのに、甲府からは渋滞とお昼ご飯を挟んでも2時間半で到着。しかも、途中の白樺湖近くにあったイタリア料理店はめっちゃうまかった。食事も、風景も、そしてアクセラ号でのドライブも、どれも大満足な一日。しかも帰ってきて、お風呂につかっていたら、新しいアイデアまで浮かんでしまった。何と「ありがたや」。こりゃ、これから何かに詰まるたびに(そう言い訳して!?)「ドライブ三昧」だねぇ。