『枠組み外しの旅』 一部公開

いよいよ10月27日に、人生初の単著が出る。『枠組み外しの旅-「個性化」が変える福祉社会」である。Amazonでもようやく予約を受け付けることになった。
ただこの間、講演の度に本のチラシをもって宣伝しているのだが、どうも最初はぽかんとされる。「難しい本ではないか?」「福祉と関係ないのではないか?」「福祉の話なら自分には関係ないな」など、反応は様々だが、もう一つタイトルとチラシ内容ではわからない、というご感想を沢山もらう。
確かに、2625円という高い本を買うとき、せめて目次や概要を知らないと、無名の新人の本なんて買う気にならない。僕だって、そう思う。そこで、出版社と相談の上、この本の概要とエッセンスを詰め込んだ「はじめに」と、「目次」を公開することにした。これを読んで頂いたうえで、ご興味があれば、是非ともご自身で購入頂くか、図書館でご注文頂ければ幸いです。では、どうぞ。
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はじめに
小さい頃から、「しゃあない」という言葉が嫌いだった。「しかたがない」を意味する関西弁である。
「どうせ・・・しゃあないやん」
なぜだかわからないが、この「諦め」のフレーズには反感を持っていた。宿命論的に可能性を閉ざす物言い、このフレーズを発語する時の歪んだ「したり顔」。そういう言葉や話し方を見ると、生理的な嫌悪感や反発を抱いていた。
今、改めてこの問題を考えてみると、「どうせ」「しかたない」というフレーズは、自らの潜在能力の最大化にとって最大の「蓋」であり、「呪縛」の言葉である。「どうせ」「しかたない」と述べることで、自分の、社会の、世界の変容可能性を拒絶し、旧来の世界に閉じこもることを容認している。しかも、変えられない現実に対して文句や不満を持ちながら、「でも、しゃあないやん」と、呪詛のように、「諦め」の言葉を発して、自分に言い聞かせようとしている。あたかも自己洗脳のように。そうして、それ以外の世界に蓋をすることで、自分の中に澱のように「諦め」を沈殿させ、その「諦めの沈殿物」によって、自らの魂は毀損され、内側から腐り続けていく。気がつけば若い日に持っていた溌剌とした気持ちはすっかり萎え、日常生活はパターン化されたものになり、余計なことに手を出さず、ため息をつきながら与えられた仕事に我慢して堪え、様々な事も「見て見ぬ振り」をして、感覚や感情にも蓋をして、「つつがない日々」を送ろうとする・・・。
こういう「どうせ」「しかたない」という「諦め」に支配された暮らしは、人間的ではない。人間誰もが持つ成長や変容可能性に蓋をするだけでなく、「諦め」の中で歪められた認知枠組みによって、魂が窒息してしまう。
では、どうすればその窒息しそうな現状、「諦め」に支配された暮らしを乗り越えることができるか?
この本で取り組むのは、この問いへの、僕なりの解決策や具体的方法論の提示であり、その方策を導く「枠組み外し」という認知転換の思想についての考察である。それは、人生における新たな段階への旅立ちであるがゆえに、『枠組み外しの旅』というタイトルをつけた。
「枠組み外し」とは何か。簡単に言えば、私達が「当たり前の前提」としている、「変えられない」と思い込んでいる「常識」「暗黙の前提」そのものを疑うことである。「どうせ」「しかたない」とわかった振りをせず、なぜ「しかたない」とされるのか、本当に変容可能性はないのか、どうすれば変える事が可能なのか、を徹底的に考え続けることである。これは、極めて個人的な、時として「反社会的」な営みである。なぜならそれは、あなたや僕の中に根ざした常識や社会通念そのものとの闘いでもあるからだ。決して楽な営みではない。だが、その枠組み外しをし続ける中で、穴が空く瞬間がある。絶対に変わらないと思っていた強固な常識の固い岩盤が崩落し、その下に、別の新たな可能性を見つけ出さす瞬間が訪れる。この別の可能性との出会いのことを、分析心理学の開祖、ユングは「個性化」と名づけた。この「個性化」を果たす中で、実はあなたや僕自身が、より大きな社会の中で開かれていき、そこから社会が少しずつ変わり始める。つまり、あなたや僕自身の「個性化」を通じて、あなたや僕という一主体が、社会を変える渦の発生源となることも可能なのだ。
この渦のことを、本書では「学びの渦」と呼ぶことにする。
「学びの渦」とは何か。それは、渦の主体となる個人が、自らが囚われている枠組みの限界に気づき、その枠組みを外す学習プロセスに身を置くことから始まる。それが個人の中での「枠組み外し」にとどまらず、その気づいた認知転換に基づいて、行動や態度を変え、世界に対してのアプローチを変える。このような「創発」から、少しずつ渦が拡がり、やがてその「渦」が、「どうせ」「しかたない」と諦めていた固い岩盤を地すべりさせ、その下にある新たな可能世界を発掘する機縁をもたらす。そんな、拡大し変容する渦的存在としての「学びの渦」。
本書では、その「学びの渦」の生成の中で、その「渦」作りに関わる個人が「個性化」を果たすということ、そしてその「個性化」が、福祉社会の変容にも大きく関わっていること、そしてあなたや僕自身も、そのような「学びの渦」に巻き込み・巻き込まれる変容主体になれること、それが「どうせ」「しかたない」という「諦めの壁」を超える方法論であること、といった物語を展開していこうとしている。そして、その「枠組み外し」の論理を支える現象学的還元についても考察したいと考えている。以下、簡単に各章の概要を示しておく。
第一章では、僕自身の「学びの渦」への気づきのプロセスを整理した。ダイエットや花粉症治療という、自分の中では「超えられない壁」と思い込んでいた「悪循環構造」。それらを乗り越える中で、そのフィジカルな変容が、実は「魂の脱植民地化」とつながっていた。また僕自身の変容プロセスの背後には、エクリチュールという枠組み構造への呪
縛がある。そのことに気づき、その枠組み構造という「箱の外に出る勇気」を持てば、自らの変容過程の中からこれまで知らなかった新たな「知」と出会う事が出来る。それは、「学びの渦」を駆動させる学習過程である。
第二章では、個人と福祉社会の相互変容プロセスについて考察した。支援現場が「支配構造」に簡単に転化しやすいことを、教員―学生関係との類同性から検討した。「反―対話」の構造は、支配者側の歪んだ枠組みの押しつけであり、それを超える「対話的プロセス」では、教える側・支援する側が支配的関係性を捨て、新たな関係作りに向けた相互変容過程に、教わる側・支援される側と飛び込むことである。その相互変容過程という学びの渦を開く中で、「地すべり的移行」が可能になり、社会が変わり始める。
第三章では、学びの渦がどう福祉社会を変えていったか、実例を用いて検討した。入所施設や精神科病院でのケアが当たり前、とされた重度障害者でも、地域で暮らせるはずだし、その方法論を模索しなければならない。今では当たり前になったこの概念を、「ノーマライゼーションの原理」として整理して提示し、当時の施設収容が当たり前という常識の固い岩盤を突き崩したベンクト・ニィリエ。彼の足跡を辿る中で、個人の「出現する未来」への気づきと変容が、どのように社会を変える起爆剤となったのか、そして実際に渦はどのように拡大していったのかを捉え直す。
第四章では、「枠組み外し」がどうすれば可能か、について現象学的還元をキーワードに考察した。「どうせ」「しかたない」で済ます常識世界の強固な蓋のことを、精神科医のレインは「一次的存在論的安定」と命名した。その呪縛的な安定を哲学者メルロ・ポンティは「世界の定立」と名づけたが、その「世界の定立」という「枠組み」を外す現象学的還元の旅をする中で、新たな可能世界が立ち上がる。東日本大震災や原発災害という未曾有の危機は、「どうせ」「しかたない」と蓋をして見ないようにしていた「一次的存在論的安定」に亀裂をいれた。これは日常世界崩壊の危機であるが、「世界の定立」構造そのものと向き合い、「枠組みの外」に拡がる新たな可能世界への旅立ちのチャンスでもある。後者に飛び出す「哲学する行動」に必要な視座とは何か、についても整理した。
その上で、第五章では「個性化」と「社会変革」を主題とした。「○○らしく振る舞う」というエクリチュールの呪縛を飛び越え、箱の外から捉え直すためには、一人一人が自らの内奥にあるユニークさを豊かにする、という意味での「個性化」を果たす必要がある。その極めて個人的な「個性化」の営みは、「諦め」を吹き飛ばし、他の個人を変え、地域社会を変容に導く原動力となる。個々人が宿命論的呪縛から「自由」になり、開かれた魂で他者と「かかわり合い」をする中で、新たな何かが創発される。その創発プロセスこそが、学びの渦の正体でもある。
ここに書かれた概要は、書いてみて僕自身も初めてわかった・気づいた動的プロセスである。あなたは、これを読まれて「ほんまかいな?」と疑念を持たれているかもしれない。でも、「どうせ」「しゃあない」と最初から諦めるよりは、たった一つの可能性でもいいから追い求めたい。そんな心意気で本書を書き上げた。よろしければ、この「枠組み外しの旅」にご一緒頂きたい。
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目次
序 深尾葉子
はじめに
第一章 渦を産み出す
 1.悪循環プロセスからの離脱
 2.香港でうがたれた窓
 3.窓の外に見える「魂の脱植民地化」
 4.常識の捉え直し
 5.私自身の悪循環構造
 6.復讐から贈与へ
 7.箱の外に出る勇気
 8.魂の植民地化という悪循環構造
 9.学びの回路とは何か
 10.論語の基本構造
 11.学びの渦
第二章 「反―対話」的関係を超える
 1.五つのステップ 
 2.問題の一部は自分自身
 3.反-対話から対話へ
 4.コミュニケーションシステムに着目する
 5.まず自分から変わる
 6.渦の生成と発展
 7.地滑り的移行
 8.相互変容過程としての私と渦
第三章 渦が拡がる
 1.ノーマライゼーションの育ての父
 2.ニィリエの目指したもの
 3.アブノーマルな現実
 4.析出されたノーマライゼーション原理
 5.U理論
 6.出現する未来を切り拓く社会起業家
 7.ノーマライゼーションという「出現する未来」
 8.渦の拡大と収束
 9.ノーマライゼーションと地すべり的移行
第四章 どうしたら「枠組み」を外せるか
 1.共通する要素
 2.枠組み外しの論理
 3.当事者主体というたたかい
 4.事実と価値の取り違え
 5.正解と成解
 6.構造的制約を括弧に入れる
 7.哲学する行動
 8.呪縛を解き放つということ
 9.渦巻きに必要なこと
第五章 「個性化」と「社会変革」
 1.エクリチュールと心的肥大
 2.箱の外から捉え直す
 3.個性化の先にある共生的価値創出
 4.地域全体の社会復帰
 5.関係性や場全体から読み取る
 6.社会を変える、の誤謬
 7.「諦め」からの解放
おわりに

単著に向けた旅立ち

この連休は、やっとゆっくり休めている。

スウェーデン・ノルウェーでの夏休みから帰って来たのが、8月中旬。そこから、単著のゲラを何度も何度も読み直して校正し、紀要論文を書くためにバザーリアの英語論文をコリコリ読み進め、色々な原稿を書きまくり、週に1度は研修に呼ばれたので、パワポを仕込みまくり、喋りまくっていた。合気道の合宿に初めて出かけ、こってり練習し、こってり飲みもした。そうこうしているうちに大学は再開し、大学に出かけた日には溜まった仕事をバッサバッサと片付けていった。そろそろ心身ともにくたびれたな、と思うタイミングで、奇跡的に連休に遭遇。睡眠もうたた寝もたっぷりして、ようやく息吹を取り戻しつつある。
そういえば、単著のことをあまりブログでご報告していなかったので、今日は裏話も含めてご報告を。
(リンク先では、青灯社さんのHPに掲載されている宣伝HPに飛びます。)
この本は、生まれて初めての単著である。
これまで、障害者福祉論精神保健福祉論の教科書、あるいは例の『障害者総合福祉サービス法の展望』の編者はしたことがある。でも、どの本もコンセプトが決まっていて、その中で僕に与えられた範囲で書く、ということから、脱していなかった。あるいは権利擁護脱施設化の本の共著者になったこともあるが、これも部分的参画、である。単著を出すこととは、全く重みが違っている。
実は、本当は9年まえに、単著が出てもおかしくはなかった。外見的には。
2003年の3月に、僕は大阪大学から博士号を頂く。
『精神障害者のノーマライゼーションに果たす精神科ソーシャルワーカー(PSW)の役割と課題-京都府でのPSW実態調査を基にして』
というタイトルで書き上げたのだ。
立派な博士論文を書き上げた人の中には、それを一般読者向けにリライトして、学術書として出版される人もいる。僕の友人や同僚も、そのような形で出版され、評判になった著作もある。それだけ、完成度とまとまりが高い論文なら、そういう事になる。あるいは、出版社からのオファーがなくても、自分の中での区切りをつける為に、学術助成や自費を突っ込んで、出版という形に高める方々もおられる。その中には確かにすごい本もあるのだが、昨今の博士号の急増と共に、博論本デフレ、とでもいうような出版ラッシュの中で、あまり面白くない本も出ていることも確かだ。
で、肝心の僕はどうだったのか?
博論の内容自体は、僕にとってすごく面白かったし、その後の僕自身の研究の糧になる、羅針盤の役割を果たしてくれている。でも、それはあくまでも僕自身に対して、であって、とてもそのまま書籍という形で社会化できるとは思っていなかった。117人の方にお話を伺った事を、その生の声のまま届けるのも一つの作戦であり、博論自体はそういうまとめの中から僕自身の発見を「5つのステップ」としてまとめたのだが、それをそのまま一般の人が読んでも面白い、という形で出すことは、難しかった。何よりも、僕自身の当時の力量が圧倒的に不足していた。というか、僕が発見した面白さや大切さを、その業界の事に全く関心がない人にもスルスルと読んで理解してもらうだけの文章力や器が足りなかった。ゆえに当時は、紀要論文にしただけで、お蔵入りにした。
それから10年弱。
この10年弱は、脱施設・脱精神病院や地域移行、権利擁護、コミュニティーソーシャルワーク、障害者地域自立支援協議会、地域包括ケアシステム、福祉組織・現場職員のエンパワメント、障害者制度改革・・・などと関わってきた。どれも、博論を書く事を通じて得られた問題意識を開いていくなかで、様々な現場との関わりを頂き、その関わりの中で考えを拡げていったものである。その中で、各種の媒体で書かせて頂いた文章もたまり、「権利擁護」に関してなら、一冊分にするだけの原稿が、既に3年まえの段階で揃っていた。それを持って、恩師のとある先生のところにご相談に出かけた時、強烈な問いかけをされる。
「これは、一冊目の単著として相応しい内容ですか? だいたい、人は一冊目の単著が面白くなかったら、他の本は読んでくれない。もっと言えば、いつも同じような内容の焼き直しをしている○○さんとか、△△さんの本とか、君も読んでいないだろう? そうならないためには、最初の一冊はきちんと時間をかけ、手をかけた内容にすべきだ。今まで書いた原稿をまとめて出すのは、その後で十分だ。」
まさに、仰るとおり。何も言い返せない自分がいた。
僕自身、自分が考えて来たことを、そろそろまとめたい、と熱望していた。もっとミーハーな感覚で言うと、同世代が単著を出しているのに、まだ僕自身は出せていないことに、若干の焦りも感じていた。だが、そこに冷や水をかける恩師の一言により、そういうミーハーな熱気は冷め、本当に僕が書きたいことは何か、どうしたら熱気だけでなく、中身まで伝わる内容になるか、を考え始めた。きちんと考え抜いた内容を出せるまで、自分から単著の持ち込みなどをすべきではない、と心に誓った。
そして、その1年後あたりから、このブログでも書き続け、今回の単著のタイトルにもなった、「枠組み外しの旅」がスタートする。きっかけは、香港で読んでいた一冊の本と、その1週間に出会った「魂の脱植民地化」概念であった。そこから、ブログ上で「枠組み外しの旅」の連作を書き続け、それを東洋文化の特集号の中に入れて頂けた。そして、この東洋文化の特集号が出された直後に東大で開かれた合評会の席で、安冨先生から「竹端さんも、今度青灯社から出す『魂の脱植民地化シリーズ』で一冊書きませんか?」とオファーを受ける。「もちろん、喜んで!」と即答している僕がいた。それはなぜか。
それは、やっと僕自身がこれまで考えて来たことをまとめる方向性が見えてきた、というのが一番だろう。東洋文化に「枠組み外しの旅 : 宿命論的呪縛から真の<明晰>に向かって」を書き進める中で、ブログで書いてきた内容と、論文の枠組みがオーバーラップしてきた。これまで、論文というメディアでは、確定的な事実に関してのカリッとした論考、という範囲から逸脱しない自己規制が働いていた。一方で、ブログでは、特に「魂の脱植民地化」概念に出会った後は、自らの関わる現場と、僕が刺激を受ける哲学や思想、そして僕自身の実存を重ね合わせて、深掘りするような文章を書き続けていた。例えば「授業における枠組み外し (連作その7)」、これは単著に入れなかったブログの内容だが、この文章に代表されるように、自分が関わる現場とそれに関連する理論や思想、自らの実存を重ね合わせ、僕自身の見解を書き始めたら、止まらなくなった。これまでブログは本の内容を紹介する事が多かったのだが、それにフックをされつつも、気付いたら論を展開し始めていた。
ゆえに、3月末にオファーが来た時も、すぐに出来そう、という根拠のない自信がむくむくとわいていた。実際、6月末〆切りだったのだが、6月にはイタリア調査に出かける予定でもいたので、2ヶ月弱という短期集中決戦で、原稿を書き上げた。その中で、改めて考え続けていたのが、僕自身の「個性化」の課題である。
これはその時期のブログにも書いたことだが、本というのは、肩書きでも立場でもなく、中身での勝負である。その時に求められるのは「やりたいこと」を全力投球で文章の中に放り込み、それを僕とは立ち位置も考え方も違う読者のあなたに届ける、ということだ。つまり、自分自身の「できること」や「世間に求められていること」にのみ埋没・迎合するのではなく、あくまでも一冊の本という物語を書き進める中で見えて来た世界観を突き詰めること、それが僕自身の「やりたいこと」につながるのである。そしてこの本の最終章を書き始めた時、そのことをユングは「個性化」と表現していた事に、再び出会う。そう、僕はソーシャルアクションとか、社会変革とか、どうしたら「どうせ」「仕方ない」と諦めずに、社会を変える渦を作り、展開することが可能か、を問い続けてきた。この本に書き直して入れた論文の中でも、渦が自生する仕組みを解き明かそうとした。
だが、本を書き進めた最終局面で、「社会を変える」という一方通行的な、上から目線の考え方自体のおかしさ、にも気づけた。自らの個性化を貫く中で、その個性化が他者にも開かれ、他者との真の対話が進む中で、社会をも変える渦が勝手に自生し、廻りはじめるのではないか、と。すると、これまで自分が見たこともなかった地平に、文章が僕を運んでくれた。そして、気がつけば、一冊の本として、原稿が仕上がっていた。
そういう9年あまりの「廻り道」の末に、やっと単著の出版にたどり着けたので、本当に素直に嬉しい。願わくば、より多くの方に手にとって読んで頂きたい。著者としては、それを願ってやまない。