治療から歓待への価値転換

11月22日、精神病院をなくしたイタリア・トリエステの実践を世界に広めるロベルト・メッツィーナさんの講演会が大阪で開かれた。僕は、大学院生の頃から関わっているNPO大阪精神医療人権センターのボランティアとして、当日の司会を、大熊一夫師匠の横でさせて頂いた。当日興奮しながら書いたツイッターメモ書きはまとめて頂き、また、会場にお越しになられたフリーライターのみわよしこさんはその日のうちに!講演録メモ書きもつくってくださった。

そこで、詳細は上記のまとめやメモ書きに譲るとして、この日に考えたことを、忘れないうちに整理しておきたい。それは、精神障害による急性期症状を、「病気」と見るか、「人生の危機における大切な出来事」と捉えるか、というパラダイムシフトに関してである。(なので、前回のブログ「生きる苦悩から生きる喜びへ」と繋がっている)
メッツィーナさんのスライドで、もっとも対比的だったのは、OspedalizzazioneとOspitalitaの対比だった。イタリア語の表現の似ているこの二つ、前者は「病院化」であり、後者は「歓待」である。それまで急性症状の患者を治療を目的に収容することで、患者自身が「病院化」していったのに対して、トリエステで1970年代から実践し続けてきたことは、「病院化」をやめ、地域の精神保健センターで「歓待」することだった。この治療から歓待への価値転換によって、支援のあり方は大きく変わった、という。
この価値転換を、入院する精神障害者の内在的論理から眺め直してみよう。急性期で治療機関につれて来られる人は、錯乱したり、興奮したり、極度に落ち込んだり、自殺願望があったり・・・と、とにかく人生におけるとてつもない「危機」の状態にある。そのときに、本人は表面的な症状だけでなく、内心では自分自身がコントロールできないことへの不安・怒り・絶望・・・なども最大化している。また、そういう「いつもと違う自分」を「そうじゃないんだ」と否定したくても、それをうまく伝えられないコミュニケーション障害にも陥っている。周りから理解されず、自分自身も生じている事態の全容がつかめず、文字通りの「危機」的状態である。
この「危機」に際して、「あなたはオカシイのだから、治療しましょう」というアプローチと、「こういう大変な危機に、よくぞここまでこられた。まずはそれを歓待します」というアプローチでは、入り口が全く違う。前者は無能力な「一患者」として捉えるが、後者では「危機にある大切なあなた」という視点である。治療中心であれば、その標準化された治療枠組み(クリティカル・パス)の中に入ることが目指され、それが出来ない人は、縛る・閉じ込める・薬漬けにすることによって、とにかく沈静化することが目指される。でも、歓待を重視するなら、その人の危機的状況に共感しつつ、一緒にその危機を脱する為に側にいる、という約束をする。その中で、本人との信頼関係を構築し、対話の中から、薬も必要に応じて用いながら、急性症状の「嵐が過ぎ去る」のを共に待ち、落ち着いた後になって、「なぜそのような嵐が来たのか」を共に探る。
これまでの治療パラダイムであれば、とにかく症状を押さえつけ、沈静化させ、再び表面化しないようにすることがゴールとされた。だが、自傷他害や興奮、鬱症状とは、言語的コミュニケーションで表現できないほどの圧倒的な「危機」に際した人が全身で発してしまう、やむにやまれぬ非言語表現である。その際、その非言語表現「だけ」を隔離や拘束、薬物治療で取り去っても、その非言語表現に頼らざるを得ないご本人の「生きる苦悩」は消え去らない。「危機」とは「生きる苦悩」の「最大化」した状態であるだけに、そこから文字通りの「危機こそチャンス」ではないが、その「危機」と向き合う可能性を秘めている。だが、治療パラダイムは、この「危機」の沈静化を目標にこそすれ、その「危機」の意味を探り、「危機」を抱える本人がそれを乗り越える支援にまで、手を出さない。それは、標準化された治療枠組みを越えているからだ。
でも、トリエステでは、その標準化された治療枠組みを超えた支援を行う。メッツィーナさんはそれを、能動的な市民となっていくプロセスを取り戻す市民権と表現していた。つまり、危機状態で、市民としての権利が剥奪された状態にある人が、再び能動的な市民として人生の豊かさを取り戻すプロセスを支援することこそ、トリエステの支援において大切にする価値である、というのである。これが、「歓待」の大きな意味合いなのだ。
だが、このような「歓待」は、当然のことながら、一人の医師、看護師、ソーシャルワーカーでは無理がある。ある人の人生の危機に際して、その「危機」を鎮め、危機の悪循環パターンを共に解明し、その悪循環パターンから逃れる方法論を一緒に模索するためには、精神医学的・心理的・ソーシャルワーク的な様々なアプローチを統合したチームでの支援が必要だ。そして、このチーム支援において大切なのは、本人と家族、支援者の「取るべき責任」と「取れるはずのない責任」を峻別することでもある。治療者が本人の「取るべき責任」を奪いすぎることをやめ、なるべく本人の持っている(潜在的な)責任を取る能力を回復させる支援こそ必要不可欠である。そうやって、本人が「取るべき責任」を回復する支援をすることは、支援者が「取れるはずのない責任」を取らずに済み、かつ、支援者の専門性を活かした「取ることの可能な責任」をとることへとエネルギーと資源を集中することが可能になる。そして、その支援者と当事者の役割関係がうまく分担できるから、両者に信頼関係が生まれ、そこからリカバリーに向けた協働作業が始まるのだ。
そして、繰り返しになるが、その際大切なのは、支援者がご本人に対して、「こんな大変な危機にもかかわらず、よくここまで来てくださった。大変だったでしょう。まずは、このセンターで歓待します。とりあえず、混乱の嵐が落ち着くまでここにいて、一緒にこれからどうしたら良いか考えましょう。悪循環を好循環に変えるお手伝いをさせてください」という「歓待」の価値観である。この「おもてなし」があるからこそ、危機のまっただ中にある人も、「ここにいても良いんだ」という基礎的安心感を持ち、そこから、ぐちゃぐちゃに絡み合った糸を、支援者や仲間、家族や様々な支援的ネットワークの中で、ゆっくりじっくりほどくプロセスを進めるのだ。それこそ、能動的な市民として地域社会の中で暮らす権利を取り戻す支援であり、生きる苦悩を生きる喜びに転換する支援の第一歩なのだ。
そして、この話は、狭い意味での精神医療の話に限らず、「困難事例」「多問題家族」とラベルが貼られ制度の狭間や複数制度が重複する事例と言われる人々や、来年度から始まる生活困窮者自立支援法の対象になる人々への支援においても、共通する課題である、と感じた。大切なのは、「歓待」した上で、生きる苦悩に寄り添い、その悪循環を好循環に変えるための、継続的で包括的な支援なのである。
そう考えたら、トリエステのアプローチは、海外で行われている特異なケア、ではなく、まさに我が国でも先駆的実践がなされ、あちこちで求められているアプローチそのものである、と感じた。さらに言うならば、私たちの社会が、目の前で最大級に困惑している人を、「異常な病人」と排除するのではなく、「危機にある隣人」と受け止められるか、チーム支援を受けながら地域に戻っていく人々を先入観で排除せずに仲間として「おかえり」と言えるのか。このあたりの価値形成の問題でもある、とも感じている。これは、簡単にできることではないが、意識化しておく必要のある課題だ。
追記:メッツィーナさんが講演で「トリエステモデルを取り入れた」と仰っていた、WHOのメンタルヘルスアクションプラン、なんと日本語に翻訳されていました。

「生きる苦悩」から「生きる喜び」へ

こないだ、関西大学の研究会にお呼びがかかった。「アクションリサーチと枠組み外し」というテーマで、自著や自分がやってきたことを語ってほしい、という有り難いオファーである。現場での講演は沢山あれど、大学の研究会に呼ばれる事は、実はこれまでなかった。一匹狼的な研究を続けてきたので、こういう同業者を前にしたプレゼンは、めちゃ緊張するものである。

で、そのプレゼンを終わらせた後、ホストの草郷先生から、こんなことを言われた。「『生きる苦悩』より、『生きる喜び』の方がいいんじゃない?」
草郷先生は、ブータンの国民総幸福(Gross National Happiness)の研究をしておられる方である、ということは、一応知っていた。だが、僕自身の研究とそれが直接関係する、とは思ってもいなかったが、言われてみれば、その通りである。それは一体どういうことか?
僕が「生きる苦悩」という言葉を使うとき、それは、以前論文にも書いた「病気から生きる苦悩へのパラダイムシフト」というフレーズが頭にあった。これは、イタリアで精神病院をなくした原動力になった医師のフランコ・バザーリアの言葉から取っている。彼は、精神障害と安易にラベルを貼って、「縛る・閉じ込める・薬漬けにする」ことを良しとしなかった。ただ、反精神医学のように、精神病がない、と否定する訳でもない。幻聴や幻覚、妄想や自傷他害のような形でしか、自分自身を表現できないくらいにまで「追い詰められた」人の、その「生きる苦悩」にもしっかり向き合おうとした。病気しかみようとしない医師、ではなく、病気という形で「生きる苦悩が最大化」した人の全体と向き合うことで、本人と医師・家族・社会との関係性そのものに踏み込んだ関わりをしようとした。そうしないと、病状は収まっても、根本原因である生きる苦悩は減らないのではないか、という視点である。
バザーリアが1970年代にイタリアで提唱した、この「病気」から「生きる苦悩」へのパラダイムシフトは、21世紀の我が国でもキュアからケアへのパラダイムシフトが提唱され始め、今日的課題として位置づけら始めている。だが、「生きる苦悩」に「寄り添う」ことを支援目標にしても、それを抱えた当の本人は、そんなに嬉しくないかもしれない。「生きる苦悩」が減るだけではなく、具体的にどう変わるのか、の目標がないと、生きていく希望が生まれない。その時、「生きる苦悩」から「生きる喜び」へのパラダイムシフト概念が、大きな補助線になりそうである。でも、これとて、僕のオリジナルではない。
ここ半年くらい、ブリーフセラピーの本を読みあさってきた。このブリーフセラピーって、以前ブログでご紹介した本のタイトル通り、『“問題行動の意味”にこだわるより”解決志向”で行こう』という考え方である。不登校や摂食障害、自傷他害、「ゴミ屋敷」など、周囲との関係性がうまくいかず、周囲の人々から「問題行動」とラベルを貼られる事態。これらの「問題行動の意味」に「こだわる」のは、本人も支援者も同じである。だが、そこにこだわればこだわるほど、そこに「居着いて」しまい、その固着した関係性から抜け出すことが出来ない。であれば、その「問題行動の意味」は理解した上で、そこに「こだわる」より、現実的にその状態から抜け出す「解決」方法を一緒に模索した方が良いのではないか。それが、ブリーフセラピーの考えたかである。(たぶん)
で、この「問題行動」を「生きる苦悩」と置き換えた時、同じ事が言えるのではないか、と思い始めている。「生きる苦悩」が最大化した人を前にして、まずはその苦悩の内容やご本人にとっての意味を支援者が理解することは、必要不可欠なことだ。だが、伴走型支援と呼ばれる支援において、その「苦悩」ばかりに目を向けていると、当事者と支援者が共に隘路にはまり込んでしまう。そこから目を転じて、「生きる喜び」を一緒に探そうと模索する同伴者になるとき、従来の価値観が一転する。それは、GNHの本にも出ていた「地元学」の表現を借りるならば、「『ないものねだり』から『あるもの探し』」へのパラダイムシフト」である。精神障害者支援の領域では、人々の出来ないことをベースにした欠損モデルから、その人が持っている強みを活かすリカバリーモデルへの転換、でもある。
これは、個別支援だけにとどまらなパラダイムシフトである。過疎化や高齢化、核家族化などが進み、町内会や自治会など旧来のネットワークも弱まってきた地域においては、孤独死や老々介護など、「生きる苦悩」が最大化した事例が沢山出てきている。それを、個人の欠損や病気と捉えるのではなく、地域社会の弱み、と捉えた時、その地域で「生きる苦悩」を、その地域で「生きる喜び」にどう転換できるか、という課題とも重なってくる。その際に、改めて「我が町の強み」を探る、「あるもの探し」の視点が大切になってくる。「これはダメだ、あれも足りない」と問題構造の原因追及をしていても、ため息しかでない。でも、「うちにはこんな魅力や強みがあるから、これを活かして何とか解決出来ないか」と「解決志向」で望んだ方が、悪循環は好循環に転換しやすい。
「生きる苦悩」の悪循環構造の分析も、もちろん大切だ。だが、その構造を分かったところで、それを好循環に変えることがなければ、単なる批評家で終わってしまう。悪循環にはまっている人・地域・社会は、「わかったふり」をして上から目線で指導してくる評論家を求めてはいない。「ほな、どないしたらええん?(では、どうしたらよいの?)」という解決策を求めているのだ。ただ、これは、「誰かに答えを差し出してもらいたい」という他責的思考では、苦しい。一緒に解決策を考えて、これでやってみる、と主体的に自ら解決を望む、解決志向型のアプローチが求められる。それは、個別支援でも、コミュニティ支援でも、変わらないはずだ。
ただ、付言しておくなら、「生きる苦悩」や「ないものねだり」から、「生きる喜び」や「あるものさがし」へと転換する際に、従来の価値前提も変える必要があるだろう。新自由主義的な競争原理で「生きる苦悩」や「ないものねだり」の悪循環回路にはまり込んだのなら、それ以外の「生きる喜び」や「あるものさがし」をする必要がある。この従来の価値前提を捨て去ることが出来るかどうか。これが、実は苦悩を抱えた人にも、最も難しい部分かもしれない。べてるの家が提唱している「降りていく生き方」というコンセプトも、この価値前提の転換と、大きく関係しているのかもしれない。自分の当たり前にしていた価値前提から「降りる」プロセスを経ないと、「苦悩」は「喜び」に転化できないのかも、しれない。