秋の花粉症にやられた。しかも、風邪気味でもあるらしい。
24日から後期の授業が再開されたのだが、それにともなって、ヘビーな日々が再開される。「夏休み」とされている期間も、10日ばかりを除くと決して「休み」ではなかったのだが、講義再開でいよいよ飛ばし始める必要が出てくる。11月はじめには2年生ゼミのメンバーが「学生議会」で質問するので、それに向けてのプランニングや、ご助言頂く方々への依頼をしたり、後期の「ボランティア・NPO論」と「地域福祉論」のゲスト依頼もしたり。基本的に、講義は自分自身がワクワクしないとやる気にならないので、前年と全く同じネタのくり返し、はしない。もちろん、毎年外さない大事な項目もあるけれど、それもその年度の学生さんの関心事や授業の流れの中で、組み替える。
そんな依頼メールや電話をかけていた、金曜日午後から、急に鼻づまりに無気力感がおそってくる。クシャミもする。どう考えても花粉症だ。毎年秋の花粉症には多少やられる程度だったが、今年のきつさには、正直ノックダウン。何とか講義の目処だけつけて、家に帰って、花粉症の特効薬を家中探し回る。少しだけ残っていた錠剤を飲んで、多少ひどさが収まる。しかし、身体のだるさは消えない。どうも風邪の引きはじめも重なっているようだ。というわけで、鞄には週末の宿題を沢山入れて帰ってきたのに、結局土曜日は一日引きこもってベッドの友達。昏々と寝ても、まだ眠い、ということは、本当に弱っている証拠。日曜の午前まで、ダウンしておりました。
で、今回のダウンのお供には、ある書評につられて買ってみた『四方田犬彦の引っ越し人生』(交通新聞社)。正直この方の名前は知っていても、本も全く読んだ事はないし、同業者でもある、という知識すらなかった。僕は了見がわりと狭く、知らない著者の知らない作品を読むには抵抗感が結構ある方なのだが(だからいつまでも視野狭窄なのです…)、鼻づまりでボンヤリしている時に、仕事の本なんて読めるハズもない。なので、エッセイなら読めるだろう、と消去法的思考で読み始めたのだが、意外にハマる文体で、気がつけば読み終えていた。
「この地上には二種類の人間が存在している。できることなら自分が生まれ育った場所を離れようとせず、たとえ何らかの理由で家を離れなければならない事情があったとしても、つとめて近隣に住処を求め、その場所の土地の精霊に忠実に生きようとする類の者と、その逆に、機会がある度に次々と住む場所を変えていき、かつて自分が生きた場所に対しノスタルジアを感じることを固く禁じているものである。(略) 終の住処という観念を強く持っている人間と、それを持つことに躊躇し、できることならこの観念を回避して生きていたいと願っている人間の違いである。」(p199-200)
筆者は幼少期から現在まで17回の引っ越しをしているそうであるが、僕はそれに比べると、引っ越しの数は少ない。3才で京都の下町の長屋から今も両親・弟が住む桂川沿いのマンションの11階に引っ越した後から、僕自身の記憶が始まっているのだが、25才になるまで、ずっとそのマンションの住人だった。父親が出張の多い職業だった事もあり、「ここじゃない何処かへ」という憧れはあったようだ。小学生当時、何もすることがない日曜日が本当に退屈で、自転車でブラブラ彷徨いながら、もっと何かしてみたい、知らない場所に行ってみたい、という欲求を抱えていた思い出がある。小さい頃の自己暗示とは強烈なもので、結果今のようにドタバタ動き回る職業になるとは、当時のヒロシ君に教えてあげたかったくらいだ。
で、大学院生の頃、父親が退職して、日中家にいないはずの父がいるようになり、3LDKのマンションが窮屈に感じる。それまで家を出るなんて現実的に考えた事もなかったのだが、いろんな契機も重なり、大学(阪大)の近所の茨木に引っ越す。高校まで京都の、南区から出たこともなく、一応K大学を目指していたのだが、もし入っていたら、四方田さん言うところの「その場所の土地の精霊に忠実に生きようとする類の者」になっていただろう。京都については、文句も多いが、愛着も多分に感じていたからだ。
だが、浪人して大阪のキタの川向こう、十三にある予備校に通うようになって、様相が少しずつ変わってくる。高校までずっとチャリ通学だった人間が、電車で移動する民になると、世界観も自ずと広がる。なんせ、十三まで定期を持っている、ということは、大阪駅まで後一駅というところまで毎日通うのだ。当然、予備校生の鬱憤を晴らすため、梅田のあちこちを歩き回り、予備校の恩師には十三や難波(そっちに予備校の本拠地があったので)で飲む楽しみを(もちろん英語もだが)教えてもらうと、京都的矮小な思考に気づかされれる。それと、センター試験での大コケも重なり、実は予備校時代から密かに憧れていた阪大の人間科学部に。そう、「変人科」と呼ばれていたその雰囲気に憧れていたのだ。自分はごく普通のありきたり、というのが嫌だった、と当時うそぶいていたのだから、今から思うと何という自己認識のズレ…なのだが。
で、いったん京都という枠組みから解放されると、結局彷徨い人的思考に火がついてしまったのだろう。茨木に住んで数年後、結婚して西宮に引っ越し、その後スウェーデンにも半年住んで、また西宮に戻って1年ほどして、今度は現住所の甲府に引っ越す。今では新宿の雑踏に触れるたびに、「早く甲府に戻りたい」と思うほど甲府でしっかり根を下ろしながらも、毎月(前期は毎週のように)あちこちに出張でうろうろする。元々じっとしていられない性質だったのだが、高校くらいまではどうすればそれが解決出来るのかわからず、あるいは京都的閉塞感に良くも悪くも閉じこめられ、エネルギーの開放に至らなかった。しかし、大阪を媒介として「異国」を知ってしまった後(そう、京都しかしらないコドモにとって、大阪は本当に異国だったのだ)、パンドラの蓋が開いてしまったかのように、元来の性質である「じっとしてられない」に火がついてしまったのだ。
こうして風邪を引いていると、「やはりおうちがいいよね」なんてシュンとするのだが、元気が戻ればまた何処かに行きたい病がムズムズ出てくる悪い始末。この週末の宿題(だけれども未完に終わりそうなもの)も、もとはといえば、「夏休みにきちんとやるべきこと」だったのに、「何処かに行きたい病」にとりつかれて夏休みに出張続きのうちに、果たされなかったタスクなんだから、本当に何だか本末転倒、である。
こうやってダウンして、強制的にリセットされて、普段の不品行を少しは反省しても、また元気になれば元の木阿弥になる、というのでは、何も反省していないのに等しいのだけれど…。そんなことを想いながら、他人の引っ越し話をベッドでつらつら読んでいたのであった。