中間項から媒介子へ

分厚い本を研究会のために読んだ。ラトゥールの『社会的なものを組み直す』(法政大学出版会)である。訳者の伊藤嘉高さんは、アーリの『グローバルな複雑性』の訳者でもあり、今回の本でも、非常に読みやすい翻訳をしてくださっている。でも、ラトゥールの議論内容自体が難しいので、現時点でも十分に理解したとは言い得ない。とはいえ、研究会で仲間と議論をしながら、少しずつこのアクターネットワーク理論の魅力のようなものを感じ始めている。それを一言で表現するなら、「中間項から媒介子へのパラダイムシフト」とでも言えようか。ラトゥールの説明をひもといてみよう。

「中間項は、私の用語法では、意味や力をそのまま移送する(別のところに運ぶ)ものである。つまり、インプットが決まりさえすれば、そのアウトプットが決まる。」「媒介子は、自ら運ぶとされる意味や要素を変換し、翻訳し、ねじり、手直しする。」「正常に作動するコンピューターは複合的な中間項の格好の例と見なせる一方で、日常の会話は、恐ろしく複雑な媒介子の連鎖になることもあり、そこでは、感情や意見、態度が至るところで枝分かれする。」「学会で開かれる非常に高度なパネルディスカッションが、どこかほかでなされた決定を追認するだけであるならば、まったくもって予測可能で問題をはらまない中間項になる。」(p74-75)

中間項が「単純な要素の複合」、媒介子が「複雑性」と結びついている、という注を読みながら、様々なことが頭に浮かんでくる。

コンピューターは確かに人間には処理できない課題をこなしているが、それはあくまでも「インプットが決まりさえすれば、そのアウトプットが決まる」という意味で、「複合的な中間項」である。その一方、「日常の会話」は、どんなインプットをしても、アウトプットが予期できない「複雑性」を抱えている。逆に言えば、どんなに「高度なパネルディスカッション」であっても、「どこかほかでなされた決定を追認するだけ」ならば、それはコンピューターと変わらない「中間項」であるのだ。一方「高度な議論の内容」ではなくとも、対話に関わるものが、「自ら運ぶとされる意味や要素を変換し、翻訳し、ねじり、手直しする」ならば、その関与者は、コンピューターや中間項ではなく、「媒介子」となる。

なぜ中間項と媒介子の違いに僕が興味を引かれるのか。それは、僕が関わっていた現場で、僕が見ていた現象を、中間項ではなく媒介子と捉えるなら、言語化できそうなものが沢山ありそうだ、という予感を持ち始めているのである。

例えば、書籍にもした岡山の「『無理しない』地域づくりの学校」。今年5期目だが、そこでは僕も想定していなかったような、関わる様々な人々による色々な活動が展開している。これは、インプットとしての学校の結果、こういうアウトプットが現れましたよ、という形で予測することの不可能な展開である。受講生の皆さんは、単なる中間項ではない。一人一人が、アクターとして、媒介子として、自らが学んだり考えたことの「意味や要素を変換し、翻訳し、ねじり、手直しする」プロセスに飛び込んでいる。だから、予想外の面白い動きが生まれ始めている。

これは、従来の研修がしてきた事との対比で考えてみるとわかりやすい。現在主流を占めている研修とは、いくらアクティブラーニングがはやっていたとしても、カリキュラムの標準的内容が明示され、その内容を知っている講師が、それを知らない受講生に教える、という旧来の知識伝達型モデルである。フレイレは、それを「銀行型教育」と喝破していた(そのことはこちらの記事も参照)。銀行型とは、学ぶ側は「空の箱」であり、先生の知識で空の箱を満たす、というたとえである。これはまさしく「意味や力をそのまま移送する(別のところに運ぶ)」という意味での、「中間項」的な学びである。そして、僕はこういう学び方に飽き飽きしていたし、研修講師としても、そういうスタイルを打破するためにはどうしたらよいか、を悩み続けていた。

そんな中で6年前に見に行った尾野寛明さんの「起業しない起業塾」は、「中間項」とは全く別の展開だった。受講生が毎回、マイプランを発表し、他者からのコメントやフィードバックを元に書き直していくプロセスは、受講生自身の実存的な問いをマイプランとして言語化する中で、その「意味や要素を変換し、翻訳し、ねじり、手直しする」過程そのものであった。つまり、上から言われたことをそのまま実践するロボット的な仕事に飽き足りずに、自分で何かやってみたい、と思っている、「中間項」的な働き方を脱出したい人に、「媒介子」として取り組めるような課題をマイプランとして課し、それを実際に小さな実践としてやってみることで、自らの媒介子としての力を蓄えている、そういう変容的主体になるための学びだったのかもしれない。だから、僕にとっては「これこそほんまもんや!」と思え、尾野さんとコラボする事を決め、岡山で僕と同じように「脱・中間項」としてもがいていた西村洋己さんと三人で、「『無理しない』地域づくりの学校」を展開していったのかも、しれない。

そして、実際自分たちが5年間、この学校をする中で垣間見てきたのは、そこに関わる人々が、「脱・中間項」を果たし、「媒介子」としての様々な活動にチャレンジしていく姿であった。

こんな風にラトゥールの用語を使うと、僕が関わってきた現場の結びつきを、より良い言葉で説明できそうな気がしている。さらに言えば、僕自身が社会現象を眺めるときに、「中間項」の因果モデルの複合系と捉えるのか、複雑な「媒介子」の予期せぬ結びつきと捉えるかで、世界の捉え方が大きく違うのだ、とも理解し始めている。

「他のアクターにあれこれさせることは、ある種の忠実な中間項として、ずっと変わらない力を移送することによってなされるのではなく、変換(transformation)を起こすことでなされる。そして、その変換は、後に続く他の一連の媒介子のなかで引き起こされる数々の予期せぬ出来事によって顕在化する。」(p201)

この本では、「社会的なもの」の社会学と、連関の社会学を対置させている。権力や社会関係資本などの概念を使うことで、「社会的なもの」の構造をあぶり出そうとするのが、「社会的なもの」の社会学である。ブルデューがその名手として引き合いに出されて、ラトゥールは執拗に批判している。その批判とは、社会の様々なアクターを、ある権力関係なり社会関係資本を作り出す「中間項」として捉えることに対する批判である。一方、連関の社会学とは、権力関係や社会関係資本などの概念を使わずに、アクターがどのような媒介子として結びついているのか、その結びつきを辿ることを目指している。

これまでは、「社会的なるもの」という上位概念があって、その中でアクター間にどのような移送(transport)があったのか、を説明しようとしてきた。だが、実際の現場では、「ずっと変わらない力を移送すること」は生じていない。教師と生徒、上司と部下のような上下関係であっても、単純な「移送」ではなく、上司や教師の発言をどう部下や生徒が理解するのか、は、「変換(transformation)」である。さらに言えば、命令や伝達であっても、実際の指示はコントロール可能なものではなく、メッセージの受け手という「一連の媒介子のなかで引き起こされる数々の予期せぬ出来事」をもたらす。難しく書いてきたが、一言で言えば、他者は思い通りにならないのである。それは他者は「忠実な中間項」ではなく、自律的な「媒介子」であるからだ。

そうすると、「中間項」に代表されるような「社会的なもの」で「わかったふり」をすることは、複雑な世界を複合的な因果関係に縮減して理解することでもある。他者の他者性を研究しようと思う僕にとっては、複雑な世界を複雑なままで描きたい。そして、それは著者の言う連関の社会学やアクターネットワーク理論で辿ることが可能そうである。

「社会も社会的領域も社会的紐帯もないが、たどることが可能な連関を生み出すであろう媒介子の間での翻訳がある」(p203)

因果関係に縮減して理解しようとせず、複雑な媒介子の連関を、そのものとして辿っていくこと。つまりは、中間項で世界を認識し、記述するやり方をやめて、媒介子を追うことによって世界を認識し、記述するやり方に変えることである。そういう意味で、本書は認識論的なパラダイムシフトを目指している本でもある。

具体的な話に落とし込んでみよう。岡山の「『無理しない』地域づくりの学校」では、僕自身や尾野さん、西村さんなどの媒介子が、どのような他の媒介子との連関を生み出しているのか。そこにどのような翻訳が発生しているのか。この結びつきを捉え直すこと。それこそが、『社会的なものを組み直す』営みかもしれない。そしてその素材は、遠くに新たに取材に行かなくても、僕たちが5年間耕してきて、その結びつきを辿ることが出来る現場でこそ、追いかけることが出来そうな何かである。

まだまだ一読だけでは十分に理解できた訳ではない。でも、アクターネットワーク理論は、「中間項」ではなく「媒介子」として関わってきた様々な僕の現場経験を、より活き活きと言語化するために、多くのヒントを与えてくれそうだ。

 

 

対話とハラスメントの違い

ここ最近、対話とハラスメントの違いについて、考えさせられる案件が色々ある。

例えば香港で続くデモ。雨傘運動以来のリーダーの一人で、1996年生まれのアグネス・チョウさんは7月2日の朝日新聞朝刊に、こんなメッセージを寄せていた。

「デモ隊にリーダーがいないことも今回の特徴で、若者達がネットの匿名の呼びかけに応じて自発的に参加しています。政府は対話の相手がわからず困っているはずですが、対話しても意味がありません。市民の意見を聞いたとアリバイづくりに使われるだけ。これも雨傘運動の教訓です。」

僕はダイアローグを大切にしているが、でも今回のアグネスさんの主張も本当によくわかる。対話はお互いが相手の言葉を真剣に受け止める態度があって、初めて成立する。一方が聞く耳を持たず、相手を抑圧する主体であれば、それに対して決然とNOを突きつけることが、対話的主体と相手に認めさせるために必要不可欠である、と。

アリバイ作りの対話は、一方的な抑圧と同様、モノローグである。ちゃんと相手の意見に誠実に耳を傾ける主体に変容しない限り、対話は対話として成り立たない。このことに、香港人は怒っているし、強烈な反発と抗議をしているのだ。

もう一つ、今野さんと藤田さんの新刊の「挑発的」書き出し。

「近年、日本では『対立』や『対決』を避ける世の中の風潮がある。社会運動による要求行動や労使紛争は、社会・労働問題を解決しない、あるいは問題を複雑化する『厄介者』のように扱われがちである。何かの不正を批判したり、具体的な権利要求をしようものならば、『エビデンスはあるのか』、『全体の調整を考えていない』、『社会の分断を招く』などの非難にさらされる。」(『闘わなければ社会は壊れる』岩波書店

この本に関して、ダイアローグを大切にしたい僕の知り合いソーシャルワーカーから、こんなコメントも寄せられた。

「『戦わなければ壊れる』や、『対決』が必要だ!という思いに、ある意味納得しつつ、対決ではなく『対話(対話的に生きる)』を実践していく中で、対決と対話をどうコミュニティワーカーとしての実践に整理してばいいのか、と思っています。」

アグネスさんや今野・藤田さんが否定しているのは、「対話」ではなく、「対話のふりをしたハラスメント」である、とすると、話が伝わりやすい。それはいったい、どういうことか。少し長い引用をする。

「ここに、AとBという二人の個人がいるとしよう。二人が相互に学習過程を作動させており、『仁』の状態にあるなら、Aの投げかけるメッセージをBは心から受け止めて自己を変革し、そこから生まれるメッセージをAに返し、Aもまた同じ事をする。このとき両者の間のメッセージの交換は『礼』にかなっている。また、このときAとBとがそれぞれに解釈して把握する意味は、常に互いに異なっている。
(略)
これに対して、Bが『不仁』の状態にあるとしよう。すると、Aの投げかけるメッセージをBは表面的にのみ受け取り、学習することなく、それでいて学習のフリだけをして適当にBに返す。Aはそれを真剣に受け取って学習し、メッセージを返すのだが、それをBはまた適当に受け取って返す。こういうことを繰り返されると、AはBについての適切な像を描けなくなり、自分の学習過程への信頼を破壊されてしまう。こうしてAもまた学習過程を停止し、『不仁』の状態に陥る。」(安冨歩『生きるための論語』ちくま新書、p103-104)

安冨先生の明快な解説からわかるように、対話とは『仁』の状態が前提とされており、『不仁』の状態であれば、対話とは言わない。そもそも対話とは「Aの投げかけるメッセージをBは心から受け止めて自己を変革し、そこから生まれるメッセージをAに返し、Aもまた同じ事をする」という構造がAとBの双方になされていなければならない。つまり、互いが相手の投げかけるメッセージを心から受け止めて、自己変革し、それを相手に投げ返す、というプロセスこそが、対話なのである。それを安冨先生は「学習過程」である、という。

一方、このAとBの相互の学習過程が働いていない「不仁」の状態であると、どうなるだろうか。Bが「学習のフリ」だけして、Aの発言を真剣に受け止めずに、適当な返事しかしない。でもAはそれを真剣に受け止めてメッセージを返す。この悪循環が続くと、「AはBについての適切な像を描けなくなり、自分の学習過程への信頼を破壊されてしまう」という。そう、どちらか一方が、学習過程に身を置いているのに、もう片方が「学習のフリ」をし続けて、相手の学習過程を破壊することを、安冨先生は別の本でハラスメントだと定義している。

「相手をパッケージ化して、そのパッケージに対する働きかけを現実に存在している相手に対して行うのは、ストーカー行為と同じ悪質さを持っている。自分が勝手につくり出したイメージを他人に押しつけた上で、そのイメージに対してメッセージを投げかけるという行為は、相手の人格への攻撃以外のなにものでもない」(安冨歩・本條晴一郎『ハラスメントは連鎖する』光文社新書、p177)

アグネス・チョウさんや今野さん、藤田さんの発言を読んでいて、僕自身が受け取ったのは、「対話のフリ」をしたパッケージ化やハラスメントからの決別宣言であった。何かがおかしい、許せない、と感じた時に、声を挙げる。これ自体は「仁」の行為である。それに対して、「『エビデンスはあるのか』、『全体の調整を考えていない』、『社会の分断を招く』などの非難」は、相手の声を聴いているフリをして、実は聴いていない。「相手をパッケージ化して、そのパッケージに対する働きかけを現実に存在している相手に対して行う」行為そのものである。パッケージとして捉える時点で、「Aの投げかけるメッセージをBは心から受け止めて自己を変革し、そこから生まれるメッセージをAに返」す、というプロセスを停止している。つまり、BはAのメッセージに対して、心から受け止めることなくパッケージ化して受け止めることで、学習過程を働かせることなく、むしろAの学習過程を破壊することにエネルギーを注ぐのだ。これこそ、ハラスメントなのである。

僕は昔、アカデミックハラスメントを受けたことがある。だが、それを受けている当時、「僕が悪いことをした」と感じ、よもやハラスメントをされているとは思ってもみなかった。確かに最初、僕がした間違いをしたのだが、何をどのように謝っても許してもらえず、無視され、「あなたのような弱い人間は大学院を辞めてしまえ」と罵倒された後、その教員の車を見るだけで、怖くなって校舎に近づけない時期が合った。あのときは、対話が全く通じず、対話的な関係を否定されることで、僕という個人の学習過程そのものが破壊されていくプロセスでもあった。そして20年たって振り返ると、あの当時、相手が僕に対して行ったことは、「勝手につくり出したイメージを他人に押しつけた上で、そのイメージに対してメッセージを投げかけるという行為」であり、「相手の人格への攻撃以外のなにものでもな」かったのである。

この経験があるからこそ、「対話」と「対話のフリをしたハラスメント」の違いは、今ならよくわかる。そもそも「対話のフリをしたハラスメント」をする人って、対話をする気がないのだ。「Aの投げかけるメッセージをBは心から受け止めて自己を変革」する気がないのだ。非正規労働者が賃上げを要求しても、「この経済状況では無理だ」と最初から決めつけて聞く耳を持たない。香港の市民や学生達が中国政府の圧力にNOを言っても、「今の香港では北京の意向に従わざるを得ない」と、諦めた答えしか返ってこない。これらは、「いやだ」「何とかしてほしい」というAの心からのメッセージに対して、学習過程を作用させることなく、「そんなことを言っても何も変えることは出来ない」「お花畑の理想論であって現実には無理だ」という結論を最初から決めつけ、決めつけたパッケージに対しての返信しか行わない、という意味で、人間的な対応ではない。そして、アグネス・チョウさんや今野さん、藤田さんが「対話」ではなく「対立」や「対決」の重要性を説くとき、彼女や彼らは、「対話」を否定しているのではない。むしろ、ほんまもんの「対話」空間に相手を引き出すために、「対話のふりをしたハラスメント」を断罪し、「対立」や「対決」も辞さない覚悟を示すことで、「パッケージ化」した相手の硬直性を打ち破ろうとしているのである。

ここまで書いていくと、僕が学んだ障害者運動のあの有名なテーゼの現代的意味も理解出来る。

「一、われらは、問題解決の路を選ばない。
われらは、安易に問題の解決を図ろうとすることが、いかに危険な妥協への出発であるか身をもって知ってきた。われらは、次々と問題提起を行なうことのみが、われらの行ない得る運動であると信じ、且つ、行動する。」
日本脳性マヒ者協会全国青い芝の会行動綱領

青い芝の会の障害者達が40年前に突きつけたこの行動綱領。「安易に問題の解決を図ろうとすること」とは、「対話のフリをしたハラスメント」に応じることだ、と現代的に解釈も出来る。それは、学習過程の破壊という意味で、「危険な妥協への出発」でしかない。なぜなら「パッケージ化」される段階で、相手の結論は決まっていて、それをどう相手に飲み込まさせるかという「危険な妥協」しか、道はないからである。

「次々と問題提起を行なうこと」は、「対立」や「対決」を辞さないことである。これは、結論ありきの相手にとっては、非常に面倒である。そこに一定の理があった場合、下手をしたら自らの結論そのものの正当性が、第三者によって問われかねない。これはパッケージ化の瓦解である。実に恐ろしい。だからこそ、「『エビデンスはあるのか』、『全体の調整を考えていない』、『社会の分断を招く』などの非難」をして、火を消そうとする。対話をすることは自らの変革の必要性に向き合う必然性が出てくるし、それは大変なので、相手の学習過程を破壊するハラスメント的言説だけを必死で返している。それが、「対立」や「対決」への違和感として表明される内容である。

そうすると、「対立」「対決」ではなく「対話」を、という発言自体の正統性も、問わなければならない。こういう言説自体の中に、「安易に問題の解決を図ろうとすることが、いかに危険な妥協への出発であるか」という根本的問題がはらんでいる可能性があるのだ。そして、以前の、ハラスメントを鵜呑みにしていた時代の僕は、「安易に問題の解決を図ろうとすること」こそ「対話」だと思い込んでいた。

「対話のフリをしたハラスメント」から抜け出すためには、40年前のテーゼが今日的にも役に立つ。

「次々と問題提起を行なうことのみが、われらの行ない得る運動であると信じ、且つ、行動する」

出来る一つの方法論

BBCがトリエステの今を4分の映像で分かりやすく紹介している。イタリアや日本で何度もお話しを伺った、トリエステの精神保健局長、ロベルト・メッツィーナさんのお元気な様子も久しぶりに見ることが出来た。

Mental health: ‘The best place to get sick’
Ideas from a mental health ‘revolution’ in Trieste in the 1970s are helping patients recover today.

僕自身はイタリアで沢山の事を学んだし、その一部は拙著『当たり前をひっくり返す』にも紹介したけど、たまに「イタリアイタリアって、海外の事ばかり言う人は大嫌い」「トリエステにも良くない部分がある」「日本にだって良い実践はある」という業界関係者と出会う。この映像を見ながら、そのことを考えていた。

僕は、トリエステ礼賛をしたいのではない。ただ、「誰も白衣や制服を着ていない」「精神病棟の中では人権が抑制される」「隔離拘束を前提としない、自由で対等な市民としての治療が必要不可欠だ」って、ごく当たり前のはずなのに、今の日本では実現できていない。そう言うと、反論されるのは「出来(て)ない100の理由」なのだ。

でも、フランコ・バザーリアに限らず、トリエステでも日本でも、「出来る一つの方法論」を模索している人びとがいる。「イタリアでは」、と権威を笠に着て僕が偉そうにしたいのではない。そうではなくて、別の場所で出来ている「より良いこと」を日本でも可能にするためにエネルギーを注いだ方が、創造的であり、やりがいもあるのではないか、と思うのだ。

こういうことを言うと、最近では「お花畑」と言われる。出来もしない理想論であり、現実的でない、と。でも、眼の前の現実だけをみて、全体構造の変化を諦めて現象だけを変化させようとするのは、近視眼的でもある。現時点では「お花畑」のようにも思える「全体構造のパラダイムシフト」をイメージしながら、眼の前の現象をそのパラダイムシフトに結びつける「結び目」(ティッピングポイント)を探る複眼思考を持てたら、現象のとらえ方・働きかけ方はだいぶ違ってくる。そして、その複眼思考をするために、トリエステの実践とか、オープンダイアローグとか、違う現実を一方で見据えた上で、この日本の現実を捉え直す必要がある、とも感じている。

この映像をみながら、トリエステに二度訪問した時のことや、メッツィーナさんに東京で教わったことなどを、思い返していた。そして改めて、「出来る一つの方法論」の模索が大切だと思っている。僕にとっては、その手段の一つとして、未来語りのダイアローグ(Anticipation Dialogue: AD)のファシリテーターとしての実践もあるのだろうな、とか、色々なことを感じた。

相変わらず、同じ事を書き続けているけど、大切だと思ったので、改めて書いておく。

稽古と守破離

ライフサイクルの心理学などの著作がある西平直さんの最新刊は『稽古の思想』。合気道の稽古を姫路でもやっと再開し始めたところなので、めちゃ興味を持って読み進めた。彼の稽古論は、合気道や研究など、色々なところで大いに頷く内容である。

「稽古は『わざ』を習う。技術を学び、技芸を身につけ、その道の『わざ』を完全に習得することを目指している。ところが、『わざ』の習得が最終到達点ではない。その先がある。『わざ』に囚われることを警戒し、『わざから離れる』ことを勧めるのである。」(『稽古の思想』西平直、春秋社、p10)

これは、有段者になるまでと、その後、と言い直すと、すごくよくわかる。

合気道の稽古を始めてちょうど10年立つ。2009年5月に甲府の合気道三澤塾に入門した時、こんなに長く続くとは思っていなかった。テニス、水泳、柔道など、色々なスポーツを中途半端な形で挫折し、どちらかと言えば運動音痴だったからだ。でも、合気道が僕に合っていたのは、スポーツの練習ではなく、武道の稽古だったからかも、とこの本を読みながら、改めて感じる。それは、「技術を学び、技芸を身につけ、その道の『わざ』を完全に習得することを目指している」のに、「『わざ』の習得が最終到達点ではない」という所にある。

合気道でも、最初の頃、先生や有段者の方々の見本を見ても、さっぱり意味がわからなかった。一生懸命まねて、学んで、わざを習うのだが、身体が全然思うように動かず、何度もなんども注意された。「力みすぎ」「肩の力が入りすぎ」「間合いをみて」など、注意されている事は日本語ではわかっているのだが、それをどう理解し、実際の行動につなげてよいか、までわからなかった。だから、何度も何度も練習し、同じ事を注意されながら、少しずつ、ほんとうに少しずつ、出来る身体に変容させていった。

そして、有段者の試験を受ける前あたりから、先輩に言われ続けた事がある。「有段者になるということは、型を自分のものにすることですよ」と。それを、西平さんは「似せぬ」(=脱学習)と呼ぶ。それはいったいどういうことか?

「稽古の思想は『わざ』に囚われることを危惧する。『型』に縛られる危険を語り、『守破離』という仕方で、『離れる』ことを、稽古プロセスの中に最初から組み込んでおくのである。」(p51)

黒帯を取る、ということは、免許皆伝、という訳ではない。どういう技も一応は出来る、というレベルの、ある種の「次の入り口」に立つ。だが、それが「到達点」ではない、というのは、初段を取って本当にそう思った。その次の世界として、『わざ』への「囚われ」から自由になる、という意味での『離れる』が、本当に難しいけど、必要不可欠なプロセスとして待ち構えている。そういう「入り口」なのだ。

なぜその「わざ」はそうなのか。こういう「型」はどういう流れでこうなっているのか。自分がその「わざ」をすることに必死になって、流れや自分自身の軸を見失っていないか。「わざ」への「囚われ」を離れて、無理のない自然な動きをするなかで、全体像を取り戻すプロセスが、次の入り口になる。

「それまでは、『図』だけが浮き上がり、『地』は背後に沈んでいたのだが、今や、あらためて、『地』が姿を顕す。ということは、『場の全体』が姿を顕わし、『場の全体』が見えてくる」(p132)

型を覚えている段階は、この「図」を必死になって見て、この図をまねて、この図に近づこうとする段階である。だが、ある程度「わざ」の基本を真似ることが可能になった段階で、今度は「図」を浮かび上がらせてきた「地」に着目し直すことになる。それは、図=型をパフォーマンスする自分の身体であり、この道場で、この先生から、この型を学んでいる僕自身という「場の全体」である。眼の前の型しか見えていなかった時から、相手の動きや、相手と自分の調和・不調和や、道場全体の流れや、そういう色々なものが、俯瞰的に見えてくる。これが「『地』が姿を顕す」という段階である。

僕は今、稽古の場所を甲府から姫路に移し、しばらくの間、移行期混乱にいた。子育てが忙しいこともあり、なかなか新しい道場に稽古にいけていなかった。でも、それは、9年間なじんだ甲府の道場という場から離れ、新しい姫路の道場での「場の全体」になじむまでの、移行期混乱、ともいえる。単に「型」をするのではなく、どのような「地」を意識して、型を滑らかにしてけるのか、という問いだったのかも、しれない。

そして、世阿弥を援用しながら、西平さんは「二重の見」をこんな風に説く。

「ひとつの図柄に縛られない。しかし『地』に巻き込まれ、『地』の中に埋もれてしまうのでもない。そうではなくて、場の全体の流れの中で『自分』を保っている。場の全体から切り離された自分ではなくて、場の全体の流れの中でそのつど変わりゆく自分、あるいは、そのつど新しく変わってゆく自分を体験している」(p133)

合気道ではまだこの境地にはいけていないが、講義では、もしかしたら今、ここに差し掛かっているのかも、しれない。主題のテーマ(=図)と、それを語る自分という「地」を重ね合わせながら、「場の全体の流れの中で『自分』を保っている」。すると、山梨学院大学でやっていた内容を、兵庫県立大学で全く同じ事を再生するのではなく、さりとて全然別メニューにするのではなく、「場の全体の流れの中でそのつど変わりゆく自分」がいる。

西平さんは守破離の破を「型に縛られない、型を使わない」段階、離を「型を使うことも、使わないこともできる」と書いていたが、合気道ではまだ破の段階だが、講義では「型を使うことも、使わないこともできる」段階へと、少しずつ移行しつつあるのかもしれない。そんなことも思い浮かぶ。

そして、10年前を思い出したのだが、合気道を始めたのは、研究者として10年目、教員になって4年目だった。ある程度、研究者や教員としての型を覚え、「研究者や教員というエクリチュール」や「型」に埋没することに、漠然とした不安を感じ始めた頃だった。誰も僕のことを先生と呼ばず、色々な人に一から教わり、出来なさや無力さを感じ続けるなかで、僕自身が仕事で型にうぬぼれつつあったことを相対化したり、補正していたのかもしれない、と後付け的に思う。そして、合気道の「道」について、西平さんはこんな風にも書く。

「『タオ(道)』の思想に倣えば、『道』とは宇宙全体のエネルギーであり、そのエネルギーが顕れ出ることである。とすれば『書道』とは、『書』という営みにおいて『タオ(道)』が顕れ出る出来事、書における『道の顕現』となる。」(p136)

僕はまだ「『合気』という営みにおいて『タオ(道)』が顕れ出る出来事」にまで、出会えていない。でも、彼が言わんとすることは、なんとなくわかる。型を学び、型から離れ、型を使うことも、使わないこともできる段階へとプロセスを経ていくなかで、『道の顕現』を目指していく。それは、他者の中に、とか、外形的に獲得する所有物なのではない。自分のなかでの変容であり、それによって、「場の全体の流れの中でそのつど変わりゆく自分、あるいは、そのつど新しく変わってゆく自分を体験している」状態なのだろうと思う。

それが、どういう心境なのか。まだよくわからないけど、僕の稽古の日々は、それを求めて続いていく。