準国家組織の岐路

 

今日は小雨の中、昼間の「かいじ」号のひとである。

先週は津のビジネスホテルの「天然温泉」だったが、今朝は遙かに「本物」に感じる赤湯温泉で長湯をしていた。昨日、山形の救護施設が主催された講演会に呼ばれ、生まれて初めて山形まで出かける。東京からの新幹線「つばさ」号はほぼ満席。確かに車窓の紅葉も美しいが、それでもまだ盛りの少し前なのに大変な繁盛。何でもご当地の方によると、某大河ドラマの影響だとか。そういえば、やっていましたね。僕は見ていないけど。

だいたい日曜の夜八時、といえば、夕方の合気道から帰ってきて、一風呂浴びて、夕食を食べる時間帯。僕はテレビがついていると、口を半開きにしてボーッと眺める依存的傾向があるので、食事時はテレビを消すことにしている。ゆったり出来る音楽をかけ、パートナーとのんびりオシャベリしている時間帯がちょうどそのテレビの時間帯なので、全く直江さんとはご縁がなかったのだ。なるほど、昨年は信玄効果で山梨の観光客は確かに多かったが、今年は山形なんですね。いやはや、ビックリ。

で、ビックリ、といえば、今回の主催者にもびっくりした。社会福祉事業団が設立した救護施設の、年に一度の福祉セミナー。毎年地域の風を施設にいれたくて、施設の体育館でやっていたが、今年は新型インフルをはやらせないために、隣の市の会館が会場だった。何がビックリ、って、実はこの主催者のSさんは、私のある原稿を読まれて、興味を持ってこのブログに辿り着き、今回セミナーに呼んでくださったのだ。普段、移動疲れの駄文と不勉強な読書メモ的なことしか書いていない当スルメブログを、懇切丁寧に読んでくださっているばかりでなく、私の紹介の際も、ご自身が気に入られた一節を読んでくださる、という過分なるご紹介。近年、最も照れた瞬間であった。多少は意味のあることを書かないといかんなぁ、と改めて、反省することしきり。

会終了後の懇親会で、ご当地名物の「芋煮」に美酒に、と舌鼓をうちながら、議論されていたのは、障害者福祉の今後のあるべき姿。同じ社会福祉法人内の同僚達による、熱のこもった議論の内容を今朝の長風呂で思い出しているうちに、「準国家組織」という単語の捉え直しの必要性を感じはじめた。

この「準国家組織」は、日本の市民社会についてロバート・ペッカネンがまとめた本(『日本における市民社会の二重構造-政策提言なきメンバー達』)に出てくるフレーズ。彼は、アメリカのワシントンに拠点を置く、ロビー活動を中心としたサードセクターが“advocates without members”と称されるの対比して、町内会や自治会に代表される日本のサードセクターを、“members without advocates”と名付けて整理している。

この議論は面白いのだが、そこで分析対象から社会福祉分野が外されていることが気になった。今その本が手元にないので、正確な引用は出来ないが、外した理由として、日本の社会福祉法人に代表される福祉分野のサードセクターは、国家からの統制と補助に大きく依存しており、para-state organization、つまり「準国家組織」だから、分析から外す、と書かれていたと記憶している。確かに、措置時代までの社会福祉法人が、現在のNPO法人などと比べて大きく守られた存在であったことは、何の疑いもない。だが、懇親会の席で繰り広げられていたのは、その「準国家組織」の内部であっても、サードセクター的な、運動に根ざした議論が、これまで続けられてきたところも、障害者福祉領域では少なくないのではないか、ということである。

今、同時多発的にいくつかの地域の社会福祉法人の改革プロジェクトに関わらせて頂いている。70年代・80年代に当事者運動に感化された若者達のうち、あるものは自ら作業所を作り、社会福祉法人に発展させた。別の者は既存の社会福祉法人に入って改革を志向した。一方で、作業所運動の理念に拘り、社会福祉法人にならずに無認可を貫き続けた人もいる。形態はどうであれ、障害当事者と出会って、少なからぬ影響を受け、市民運動的なマインドを持って当事者と関わる仕事を担い続けた人々が、一定の数、存在する。だが、こないだのブログでも書いたように、政府からの補助・委託の割合が高くなり、加えて準市場化の波にもさらされる中で、もともと持っていた市民運動的なマインドが萎み、いつしか「単なるサービス提供事業体」に「成り下がっている」という現状が、そこかしこでみられる。そして、そのことに対する危機感を持つ人が、今だいぶ増えてきた、ということが、私への依頼にも表れているし、昨日の議論でもそのことが議題の中心になっていた。

つまり、確かに形態は「準国家組織」然としているかもしれないけれど、準市場改革の揺さぶりを受けて、単なる市場サービスの一つになるのか、あるいは市民運動的価値観を再び志向する、ミッションに基づく経営を重視したサードセクターとして自身を再規定するのか、の瀬戸際に立たされている障害者支援組織が少なくない。そして、その分岐点に立っていることを自覚した上で、どうしたら後者の道を歩めるのか、を真剣に模索している団体もあるのである。ペッカネンが単純に「準国家組織」と十把一絡げにしているが、内部では、そんな分裂の兆しが見えるのである。

とまあ、そんなことを風呂でぼんやり考えている内に、出立の時間があっという間に来てしまう。我が家へのお土産に日本酒も買い込み、美味しい豚丼!の駅弁も頂いた上で、今日も夕方5時半の合気道に間に合うように家路に急ぐのであった。

今宵もツアー帰り

 

ブログの更新が滞りがちになるハードな季節が到来した。秋はみっちり仕事が多い。今日は最終のワイドビューふじかわで、甲府からの帰還の車内。パソコンの合間に、難波のジュンク堂で買い求めた『ヤシガラ椀の外へ』というベネディクト・アンダーソンの自伝を読みふける。古典的作品である『想像の共同体』はちゃんと読んでいないのだが、小学生時代からの「自伝」ファン、としては、仕事疲れにるんるん読むにはちょうど良い。それにしても、3泊4日のツアーもなかなか濃密だった。

そもそも、旅の始まりは金曜日。福山で講演させて頂く事になったのだが、その前に京都駅で打ち合わせ。以前私が書いたレポートを読んで『納得のあまり、首が取れるほどうなづいてしまいました』と仰ってくださった方と、あるプロジェクトについての議論。この私のレポートは、社会運動の理念に基づいてスタートした団体が、その運動の一環として障害者へのサービス提供をはじめ、その規模が拡大する中で、サービス提供の「すべき事」に雁字搦めになってしまい、運動の理念を追求出来ず、組織的にも疲弊していく、という実態を解明したもの。このレポートに普遍性がある、という頷きの評価を頂くのは、研究者としては有り難いが、運動へのシンパシーを持つ一市民としては、大いなる憂慮の気持ちを抱いてしまう。自分が出来ることは何か、を議論しながら、考える。

実はこの課題は、今度国際学会で発表する事にして、ここ最近そのフルペーパー作りにウンウンと唸っていた。唸る、と言えば、これ以外にも、今日が〆切の国内と国外の学会発表のエントリーもそれぞれ重なっていて、文字通り死に物狂いな日々で書いて、何とか投稿も完了。東京のMさんには、また個人レッスンをして頂く。本当に、偉大なる友人には感謝してもしきれない。

で、京都から「のぞみ」に乗り換えて出かけた福山では、市の労働組合が主催した、福祉系職員の皆さんを対象とした研修。この間、山梨や三重で感じてきた、政策形成過程における自治体福祉職員の役割や課題について、お話しさせて頂く。政策課題の「読み解き」や「編集」過程を、自治体内部のデスクワークで処理するのか、住民の声に基づいた協働を時間をかけても目指すのか、で、その後のアウトプットが大きく違ってくる。現状の「福祉計画」のたぐいが、コンサルティング会社に「丸投げ」した結果、少なからぬ自治体で、作成者以外誰も目を通さない「紙くず」と化す危険性にさらされている実態にあって、真っ当に計画を作ることの大切さの話をした場面で、多くの方々が頷いてくださった。人口40万という中核都市で、都会ではないけれど、きっちりと住民の声に基づいた政策を作り出したい、という職員の皆さんの気概を大きく感じた研修であった。

そういう良いリスナーにかこまれ、ついつい1次会から2次会までハシゴし、ホテルに帰ったのが午前1時。シャワーだけ浴びて速攻で眠り、翌朝は6時半おき。9時過ぎから心斎橋で次の打ち合わせのため、レールスターのサイレントカーに乗りこむ。ほとんど眠らなかったが、ぼんやりしている内に、あっという間に新大阪。疲れているときに、2列シートは、本当に有り難い。

で、心斎橋で大阪のMさんと、打ち合わせもそこそこに、積もる話をあれこれしている内に、あっという間に先方が出立する時間に。たまにこのブログを覗かれるMさんから、「また本屋に行くの?」と呆れられながら、13時半の近鉄特急の時間まで、なんば花月の向かい側のジュンク堂にやはり吸い寄せられる。本当は、梅田のブックファーストかジュンク堂に行こうと思ったのだが、今回はこちらにして大正解。サクサクと8冊ほどの大収穫。今回はキャリーケースがあるから、と、本は送らず全部持ち帰ることにしたら、久しぶりにジュンク堂の袋をもらった。そうそう、Mさん、たまに東京や大阪に出張すると、大規模書店で本の「立ち読み」が出来るありがたさを実感するのです。確かに普段はアマゾンや大学の丸善の本屋を通じて注文するけど、それは必要な本の「ピンポイント作戦」。でも、対象をあまり特定せずに、ブラッと書棚を駆けめぐるからこそ、出会う一冊もあるのです。今回のアンダーソンの本なんて、まさにその範疇。そういう出会いを求めて、相も変わらず、フラフラ本屋に彷徨うのでありました。

その後、買った本に満足して、アーバンライナーの中で熟睡している内に、津に到着。その土曜の午後から、日曜、月曜も、まあ普段より3倍くらい濃縮した日々。半日のシンポジウム(日曜午後)に、2時間程度のミーティングや委員会が3つ、今日の午後は鳥羽市での仕事だし、その間土日とも打ち上げもあった。しかも、そのどれも、内容が濃くて、数珠繋ぎで、チャレンジングな課題。疲れた車内で一つ一つの内容を書いていたら息切れしそうなので、省いてしまうが、まあとにかく「濃厚」でありました。

で、あと10分ほどで甲府なのだが、今日は家に帰ったら、待望のあるモノとの「ご対面」が待っている。待ち遠しくてワクワク、なのだが、そのレポートは、次の機会に譲るとしよう。

カチャカチャとコリコリ

 

風邪の初期症状のようである。鼻水が出て、何となくだるい。

昨日から甲府もグッと冷え込んできた。しかも、昨日久し振りに講義で「スベって」しまい、冷や汗をかき続けた結果、アンダーシャツだけでなく、Yシャツもぐしょぐしょになった。こりゃヤバイ、と思って、さっさと帰宅し、一寝入りした後、快復したので合気道に出かける。11月は6級の昇段審査を受けるので、行ける時に手を抜くわけにはいかない。両手取二教の裏、ってどうするんでしたっけ、と、有段者の大先輩に教えて頂きながら、汗をぐっしょりかいて、遅めの夕飯を頂く。そして、今朝になって鼻がシュンシュン。どうも夏用の布団+毛布、では、もう足りないようだ。

で、そんな身も心もあまり優れない中、何となく書架の「積ん読本」になっていた一冊を読み始めると、なかなかしびれるフレーズに出逢う。

「タイプライターで書くことは、鍛冶屋が鉄のかたまりから何かを作り出す作業に似ているといえるかもしれない。つまり、書くことは、ある意味では、ハンマーの代わりに、キーボードによって、何か対象を形作っていくことであり、いったん作った形が、つぎに、どこをどう削るべきか、可能な道筋を示しているのである。ときには、削ってしまった対象が、袋小路のように、つぎに削るべきところ、あるいは、行きべき場所を示さないように見え、作り直す必要があるにしても、行くべき方向性は、そのつど形作ったものの中に探すほかはない。そして、この書くという作業は、キーボードを打つという行為と同期した行為なのである。」(上野直樹『仕事の中での学習-状況論的アプローチ』東京大学出版会 p28-29)

認知科学の専門家による学習過程に関する概説書。Learning Organization論の文献を読む中で引っかかってきた本、だと思う。バタバタしていて、何故この本を買ったのか、覚えていないのが、お恥ずかしい限り。でも、読み始めたら、その分析の鮮やかさに、ワクワクし始める。

確かに、このブログがその典型例だが、書く前にモチーフや結論が明確に決まっている、なんてことはあまりない。鍛冶屋が火をおこし、鉄の塊を入れて溶かし、ハンマーを叩くプロセスと、考えてみれば似ていることをしている。とにかくPCを立ち上げて、テキストエディーターを前に、カチャカチャ打ち込み始める。書き始めて、何となく流れに乗れると、「いったん作った形が、つぎに、どこをどう削るべきか、可能な道筋を示しているのである」。でも、その流れを感じられずに、あてど無く打っていると、時として、「袋小路のように、つぎに削るべきところ、あるいは、行きべき場所を示さないように見え」ることもある。でも、「行くべき方向性は、そのつど形作ったものの中に探すほかはない」のである。そこで、形作られたものを見直す中で、「こりゃ、使えん」と削除するにせよ、こう書いてみようか、と新たな方向性が浮かぶにせよ、選択肢が立ち上がってくるのである。

そして、経験的に言えば、自分の元々のアイデアや想念から一旦離れて、「そのつど形作ったものの中に」「可能な道筋」を見出す方が、時としてブレイクスルーとなるようなアイデアや考えにつながる事もある。まさにブリコラージュ的な、何のために使えるのかよく分からないものを集めて組み合わせる中で、思わぬ効用をもたらすのと、似ている。そういう、自分自身に風穴を開けるようなキーボード打ち、は、その作業があるからこそ、まさに書くという創作行為が開けてくると言う意味でも、「同期」しているのである。キーボード打ちより、あるいはペンで書くことより、「書く」という実態が前に来ることはあり得ない。

そう、キーボード打ちだけでなく、ペンで書いていても同様の事を、強く思う。原稿や学会発表の初期段階の構想は、PCではなく、ノートに万年筆で、というアナログチックな取り組みを初めて1年あまり。ミヤモトさん辺りから「また形から入って」と苦笑されそうだが、さにあらず。実際、ノートにコリコリと書くのは、PCよりも遙かに負荷がかかるが、何かを生み出さなければならない、一定のテンションが必要な時には、実は必要な負荷なのではないか、と感じる。また、一覧性の強い紙面に、見開きレベルでコリコリと書きながら考えあぐねているうちに、つながりと見通しが出来てくる事もしばしばある。つまり、カチャカチャであれ、コリコリであれ、実際に手を動かしてみることによって、初めて世界が見える形で立ち現れてくるのだし、その立ち現れた現物を眺めながら、次の行路が、「可能な道筋」が、見えてくるのである。

その際、実社会でも同じだが、耳をそばだてることが大切なのだろう。この「いったん作った形」は何を求めているのだろう。どういう「可能性」を秘めているのだろう。これを、自分の思いこみだけでなく、対象化(=活字化)された形を眺めながら、そこから出される声なき声にチューニングを合わせる。それが上手くできたら、独りでにキーボードに次なる言葉が打ち込まれる。言葉が出てこないのは、そのチューニングが出来ていなかったり、あるいは聞こうとせずに自分の思いこみだけを勝手に打ち込むからだ。

そういう意味では、書いている私と書かれている活字、とは、私という媒介項を接してはいるが、同じではない。その際、どちらかだけを重視すると、「行き止まり」になる。「書いている私」の我が強い時ほど、「書かれている活字」の方にも気を配ると、案外デッドロックを切り抜けるドアが、ちらりと開いていたりするのである。自動書記、というと、イタコやシャーマン的になるが、書かれた文字と対話しながら、その文字の書かれる即興感の流れを止めない形で、「書くに任せる」というのも、時として大切なのだと思う。ほうら、今日もそうしているうちに、こんなにウダウダ叩いてしまった。