意識ではなく時間配分を変えられるか

新聞の書評で面白そうだった『N女の研究』(中村安希著、フィルムアート社)を一気読み。この本は、一流企業でもバリバリ働く能力があるキャリア志向の女性が、NPO業界に転職している現状を捉え、社会運動の論理だけではなく、そこでの働きがいを求めている「NPOで働く女子=N女」へのインタビュー集である。僕自身も、この定義に該当する「N女」を何人か知っているので、実感を持って読めた。だけでなく、この本は日本社会の労働政策の本質を突く指摘がちりばめられている、と感じた。

「働く母を持つ子はかわいそう。働く妻を持つ旦那はかわいそう。仕事も家庭もと頑張る女たちのせいで、日本の家族が崩壊する。多かれ少なかれ、こうした考えを内面化しているのが日本社会ではないだろうか。専業主婦並みの家事・育児レベルを標準とし、それを女性たちに要求する社会では、その基準を満たせない女性は、すぐに『ダメ母、ダメ妻、ダメ嫁』の烙印を押されてしまう。保育園のお迎えがあるからと早めに会社を出ただけで、これだから女は甘い、使えない、とすぐにダメ社員のレッテルを貼られてしまう。そうした社会のプレッシャーが、一部の特殊な女性たちを非の打ち所がないスーパーウーマンへと駆り立て、それ以外の女性たちを労働市場からの脱落へと追い込んできたのである。」(p256-257)

僕自身、日本社会は、「男は外で働きすぎ、女は外で働く機会がなさ過ぎ」な社会だと思っていたので、この指摘は本当にその通りだと思う。20年ほど前、こんな僕でも就活を一応したことがあるのだが、僕がエントリーしたとある会社は、女性でも対等に働ける教育産業として、女性の憧れの的、の会社だった。その会社説明会で「企業を通じて社会貢献をしたい」と目をきらきらさせている女子大学生に対して、その会社のいかにも「やり手」そうな女性課長が「うちは株式会社ですから、営利が第一です!」とキッパリと言ったことを強烈に思い出す。その課長は、その説明会で他の女子大学生から、「あなたにとって、充実感ややりがいを感じる時って、どんなときですか?」と聞かれて、横にいた係長の女性と目を合わせてにやりと笑い、その女性課長はこう断言した。

「そうですね、犬のようにクタクタになるまで働いて、帰りの新幹線の中で、缶ビールをプハーっと空けたときですね」

僕は、新幹線の中で女性が飲むのがダメだ、と言っているのではない。だが、その時に直観したのは、「なるほど、この会社は男も女もクタクタになるまで働かせる、という意味で『対等』のだな」ということ。そんなネガティブな気持ちを持っていたから、一次面接で当の課長にこちらの不信感が見抜かれたようで、「あなたにとって仕事って何?」と厳しい質問を浴びせられる。「えーっと、生計を維持していくための一つの手段です」とドギマギしながら応えたら、見事一次面接でアウト。そりゃ、そうですね。

で、なぜこのエピソードを思い出したのか、というと、その大手教育産業の女性課長はまさに、「一部の特殊な女性たちを非の打ち所がないスーパーウーマンへと駆り立て」た、その「成果」だったのだ。男性と同じように、いや男性以上に仕事に命を燃やす「非の打ち所がないスーパーウーマン」だった。とはいえ、彼女を個人的に責めたいのではない。そのような「一部の特殊な女性たち」に違和感を抱いたのは、「それ以外の女性たちを労働市場からの脱落へと追い込んできた」構造が看過されているからだ、ということを、この本を読みながら20年たってやっと言語化する事が出来た。

「専業主婦並みの家事・育児レベルを標準とし、それを女性たちに要求する社会では、その基準を満たせない女性は、すぐに『ダメ母、ダメ妻、ダメ嫁』の烙印を押されてしまう。」

この「烙印」は、えげつない。僕も子どもが産まれて以後、家事や育児の分担をする中で、「専業主婦並みの家事・育児レベルを標準」とするのは、かなりキツイと感じているからだ。大学教員のような裁量労働で、授業や会議がない日は在宅勤務が出来る職種であっても、子どもの世話を中心とした生活に、原稿書きや雑務が重なると、手一杯になる。ましてや、女性は授乳というとてつもない重労働までくっついている。この家事や育児と、仕事の両立は並大抵なことではない。子育てするようになって、自分事として痛感するようになった。その上、「専業主婦並み」をデフォルトとされたら、働く女性はたまったもんではない、とつくづくそう思う。

そんな働く女性に対して、一番厳しい目を注ぐのは、他ならぬ女性であり、女性間の分断が生じている、とも筆者は指摘する。

「結婚の壁、所得の壁、育児の壁、103万円の壁、働き方をめぐる壁、時代の壁、制度の壁、階級の壁、夫の理解度の壁、居住地域の壁・・・、女性社会を分断に追いやる壁は山のように存在する。そして分断の根底には、『自分の大変さをわかってもらえない・もらえなかった』という孤独感や不満感が渦巻いている。ここで問題となるのは、不満の矛先がどこへ向かうのか、ということだ。隣の女性に向かえば、女性社会はそこら中敵だらけという終わりのなき潰し合いへと転がり落ちていくだけだろう。」(p273)

確かに僕の母親世代は、一部の例外を除き、専業主婦→103万円のパート世代、だったので、「専業主婦」をデフォルトに感じている。すると、専業主婦の「標準」を果たすことが出来ない「働く母親」への目は、厳しいものになる。なぜこのような厳しい目線が、女性間で注がれるのか。中村さんはその理由を、「孤独感や不満感」の「不満の矛先」にある、と指摘する。「自分はキャリアの道を絶って専業主婦になったのに・・・」「必死になって職場で働きながら保育園にお迎えにいくのに・・・」という「・・・」の部分にある、「『自分の大変さをわかってもらえない・もらえなかった』という孤独感や不満感」。これを最も理解してもらいやすい「隣の女性」に向けるとき、「私だって」という別の「孤独感や不満感」とぶつかり合う。すると、本来は家事や育児を女性にのみ構造的に過度に押しつける、男性稼ぎ主中心型の日本の労働・社会構造こそ「敵」として、女性同士が連帯し合う方がよいのに、遠くの「敵」ではなく、身近な、共感も出来るが故に差違が目立つ「隣の女性」が「不満の矛先」となってしまうのだ。

これは、女性にとってはあまりに不幸だ。だが一方、自分の働き方を変えたくない、変えられると思っていない多くの男性にとっては、このような「内ゲバ」は実に好都合である。男性自身の働き方、育児や家事との向き合い方を変えることなく、「所詮女同士の争い」と高見の見物が出来るからだ。『ダメ母、ダメ妻、ダメ嫁』の烙印が、「ダメ父、ダメ夫、ダメ婿」と反転しないためには、男性にとって必要不可欠な烙印なのである。つまり、女性がこのような評価・査定の厳しさを必死にクリアしようとすればするほど、男性は「不労所得」的に、何もしない自分の地位を保持する事が出来るのである。だからこそ、もっともっと女性同士で内ゲバしてほしい、と願うのだ。

「女のライフキャリアは複雑だ。キャリア志向を持つ女性の多くは、できることなら第一線で仕事をしたいと思いつつも、男性と同じように100%では走り続けられないことを知っている。キャリアの中断や減速を受け入れながら、仕事にもプライベートにも、どうにか折り合いをつけて生きてかなくてはいけないことに気づいている。焦りもするし、不安にもなる。この先どうやって生きていけばいいのか、走ればいいのか、止まればいいのか、貫けばいいのか、諦めればいいのか、キャリア志向が強ければ強いほど混乱は大きくなり、ときに自暴自棄になったり自信を失ったりして、意味もなく行き詰まってしまう。」(p61)

実は、本当は「男のライフキャリア」だって「複雑」なはず、である。子どもが産まれる・育てる、だけでなく、うつ病で休職したり、介護休暇が必要になったり、人生には様々な「キャリアの中断や減速」があるはずなのである。しかし、それらのことは、全て女性(=専業主婦)に丸投げして、「100%で走り続け」、24時間戦い続けることを前提にしたのが、「男性稼ぎ主型モデル」なのである。本来ならキャリア志向の男性にもあるはずの「不安」や「焦り」を思い出せないほど、長時間労働で仕事にかじりつかせることによって解消しようとしたのが、日本型雇用ではなかったか。そして、そこには女性という犠牲者の存在を、必要不可欠としていなかったか。

だが、右肩上がりの経済成長もバブル経済もとうの昔になった今、このような「なかったこと」にした「不安」や「焦り」が男性にも明らかになっている。だからこそ、一部の男性は、その不安や焦りを鎮めるためにも、育児に積極的に参加しようとしている。それと同じ動機で、一部の男性は、「働く母を持つ子はかわいそう。働く妻を持つ旦那はかわいそう。仕事も家庭もと頑張る女たちのせいで、日本の家族が崩壊する」という復古的なフレーズに共感してネトウヨを応援する。どちらも、男性自身の「不安」や「焦り」が前提にあるのだ。そして、この男性自身の「不安」や「焦り」を真正面から見据え、どうするのがよいのか、が問われている、「移行期混乱」の社会にいるのである。

「男女間での育児・家事に対する感じ方も違う。育休を取得し、育児や家事を手伝う男性たちが、『イクメン』とプラスに捉えられるのに対し、女性にとっての育児や家事は、できて当たり前のところから、少しでもできないと『ダメ母、ダメ嫁、ダメ妻』のレッテルが貼られるマイナス材料にしかなっていない。また、男性にとっての育児参加が、短い育休取得期間で終了するのに対し、女性にとっての育児の大変さは、むしろ育休からの復帰後に始まり、その後も半永久的に続く。育児への参加度合いとは、そもそも『育休を取ったかどうか』だけで測られるべきものではなく、日々の生活の中で、どれだけ家事・育児労働に責任を感じ、継続して時間を割くかという基準で測られるべきなのだ。」(p196)

「女のライフキャリア」と「男のライフキャリア」。これを二項対立的に考える限り、損得勘定の負の連鎖から抜け出しにくい。夫も妻も、そして子ども、家族一人一人のライフキャリアが、それぞれに豊かになるような社会こそ、少子高齢化を乗り越え、安心して子どもが産み育てられる環境として、必要不可欠である。男性は「短い育休取得期間」で「『イクメン』とプラスに捉えられ」、その一方、女性は半永久的に「『ダメ母、ダメ嫁、ダメ妻』のレッテルが貼られる」という非対称性こそ、問い直す必要があるのである。そうしないと、男も女も、子どもも大人も、ハッピーにはなれない。

14年前、スウェーデンに半年間住んでいた時、朝は7時過ぎから集合住宅の真ん中にある保育園に親が子どもを連れて行き、4時頃には迎えに来る、という風景を当たり前のように見ていた。しかも、午後3時半を過ぎると、必死になって職場を出て子どもを迎えに行く父の姿をしばしば目にした。また当時から、普通のオフィス、だけでなく、バスの運転手とか車掌とか、いろんな分野で当たり前のように女性が働いていた。そんな国の日常に馴染んだ後、たまに日本に帰国したときに、夜の11時頃までオフィスに煌々と灯りがついている風景をみて、改めて驚く。「なんで、早く帰らないの?」と。そして、日本では男性は過剰に働かされ、女性は「母・嫁・妻」役割を逸脱しない形でしか働けないのがデフォルトな社会である、という先述の違和感を抱くようになった。

子どもを育てる父としては、なるべく早く家に帰りたい。妻も職場復帰をして、自分のライフキャリアも追求してほしい。すると、敵は専業主婦でもワーキングマザーでもない。それらを女性内分断させる事で、「疾病利益」を得ている社会構造こそが、共通の「敵」であるはずだ。いや、それは「敵」ではない。男性だって、子育てや家事を通じて、走りっぱなしでなく、立ち止まる時間も必要不可欠なのだ。女性だって、良妻賢母の呪縛から解き放たれ、自分自身の人生を生きることも必要不可欠なのだ。それが出来なかった・させなかった祖父母の世代が、「私たちだってそうしたかったのに」「今の若い人は贅沢だ」と嘆きたくなる、その不安感や孤独感もわかる。でも、その不安の矛先は、「隣の女性」に向けてはならない。不満や不安をぶつけるべきは、日本社会の労働環境であり、労働構造である。官僚や政治家、産業界が一致して働き方改革を率先し、男性と女性の「時間の使い方」こそ、変える必要がある。

そういえば、昨晩、ツイッタを見ていたら、大前研一botが面白いことを書いていた。

「人間が変わる方法は3つしかない。1番目は時間配分を変える。2番目は住む場所を変える。3番目はつきあう人を変える。この3つの要素でしか人間は変わらない。最も無意味なのは、『決意を新たにする』ことだ」

大半の人はスウェーデンに移り住むことも出来ないし、今いる会社をすぐに辞めることもできない。住む場所とつきあう人を変えるのは、容易ではない。だが、「時間配分を変える」ことは、同じ職場であっても可能なはずだ。問題は、それを面倒がる人に限って、「意識改革」で話を済まそうとすることだ。ワークライフバランスも、この骨法で誤魔化されやすい。そしてそれは、「最も無意味」なことである、と断言しておく。

似ていたのはトーンだけでなく

いつのころからだろうか、講演の際、「ジャパネットたかたのような語り口で」と言われるようになっていた。確かに、たまーに自分の声を録音されたものを聞く、という「地獄」のような絶望的経験をすると、自分の自覚症状よりもかなり甲高い声のようだ。それが、高田社長のような絶叫に似ている、とのこと。妻曰く、「普段はトーンが低いけど、興に乗って来たり、勢いづいてくると声のトーンがそっくり」だそうな。ということは、講演時はおそらく「ジャパネットさん」なのだろう。

というわけで、勝手に親近感を持っていた高田社長の初の自著を読んでみた。テレビショッピングで鍛え上げられた話法は、自伝でも本領発揮。あっという間に読み終えるほど、おもろかった。そして、似ているのは声のトーンだけではなく、目指そうとすることや、視座が似ている、と僭越ながら感じ始めた。

「小さな町で、つても何もないのに、55万円の月商をたった1年で300万円なんて無理だと思われるでしょう。できない理由を探せばいくらでもあるんですよ。でも、私はできない理由ではなくて、できる理由を探そうと考えました。そして、やれることやできることを考えて、工事現場を回って集配ルートを作ることや、出張販売を企画しました。一生懸命にやっていると、できることが見えてきたんです。」(高田明『伝えることから始めよう』東洋経済新報社、p34)

「できない理由ではなくて、できる理由を探そうと考えました」

これこそ、55万円の月商だった会社を、年間1000億を超える売上高の巨大企業に成長させた極意である。そして、この極意は、僕自身が大切にしていること、そのものである。(もちろん、僕の売り上げは比較にもならないけれど)。

何か新しい挑戦をしようとした時、「できない理由」を探す人はいくらでもいる。前例踏襲主義、とは、「新しい事をできない理由を探す主義」である。前例を沢山知っている偏差値秀才や、経験だけが長けている人々は、この「できない理由」を探すのに必死になる。だが、そもそも前例踏襲主義で何とかならないから、新たな何かに挑戦するのである。それに対して「できない理由」を探す人は、簡単に言えば、何も変えたくないし、自分が責任を取りたくないのである。世の中につまらない会議が沢山あるのは、新たな何かに挑戦の際、したり顔で「できない100の理由」を述べ立てる人が多いからである。

しかし、高田社長は、2004年の顧客情報流出事件の際にも、前例踏襲主義には陥らなかった。全ての営業を自粛して、前例を改める「できる一つの方法論」を探ったからこそ、その後業績がスピード回復し、事件後2年で1000億円の売り上げを超えた。ここに見られるのは、彼の柔軟さや「自己更新」の精神である。ご本人もこんな風に語っている。

「私は、できないと決めているのは、その人自身だ、やろうとする前から、できないと決めつけていては何もできないと思っていました。」(p234-235)

人は、自分自身の固定観念の牢獄の中にいる。ということは、その牢獄の中でうめき続けるのも、そこから脱出するのも、自分次第。大切なのは、「できないという決めつけ」を「決めつけ」であると認め、そこから抜け出す勇気や覚悟を持てるかどうか、なのだ。また、こんな風にも語っている。

「ミッションは変えてはいけない。パッションも失ってはいけません。ただ、アクションは時代に即して、むしろ変わっていくべきだろうと思います。」(p249)

これは至言である。

アクションを変えるのが嫌な前例踏襲主義者こそ、気づけばパッションを放棄したり、ミッションを誤魔化したりしている。そのうちに、何のために、誰のために働いているのか、が不明確になり、方法論の自己目的化に陥る。だが、高田氏はずっと「企業は人を幸せにするためにある」というミッションを抱き、それを「伝える」パッションを失わないがゆえに、伝え方や見せ方というアクションを時代に即して不断に変えて来た。40年前に温泉旅館で記念写真を撮っていたのと、佐世保でDPEの同日渡しを始めたのと、六本木でスタジオを構えてテレビショッピングをしたのは、企業の規模や形態、売り方といったアクションは変われど、ミッションもパッションも変わらず一貫しているのである。これが、「ぶれなさ」なのだ。つまり、ぶれない、とは、アクションは柔軟に変えながらも、パッションやミッションが不動だからこそ、護られるのである。逆に言えば、アクションを固定した段階で、パッションやミッションは死に至る病に陥るのである。

「できる一つの方法論を模索する」「そのためには、パッションやミッションではなく、アクションを変える」

これは、どんな領域でも、新たな何かを成功させるための、必要不可欠な普遍的法則である。僕はこれを徹底できていないが、高田氏の本を読んで、頷くことしきり、だった。声のトーンは似ているが、まだこの普遍的法則を貫徹できていない。さて、次はどんな風に「アクションを変え」たらよいか? そんな「できる一つの方法論を模索する」エネルギーをもらえる、めちゃ良い本だった。