自治型地域福祉を推進する方法論

気がつけば、沢山の自治体や社協に、審議会や計画策定、アドバイザーなど様々な形でコミットし続けている。ただ、そのやり方を、大学院や研修会などで学んだわけではない。誰も教えてくれなかった。だが、たまたま30代前半で、山梨県障害福祉課の特別アドバイザーに就任して以来、見よう見まねで、現場の人と共に、必死になって模索してきた(そのことはブログにも書いたことがある)。

そして、福祉計画に携わる他の研究者はどうしているのだろう、と同業他者の論文や書籍を読みあさっていた。その中で、最も現場のリアリティに基づいた整理を行っておられるお一人が、2008年に出された平野隆之さんの『地域福祉推進の理論と方法』(有斐閣)だった。平野さんは現場の論理の言語化が非常に秀逸で、「読み解き→編集→組み立て」概念は、その後僕があちこちで講演する際に活用させて頂くものだった。

ちょっとだけ解説を加えると、個別支援に関わる支援者は、当事者のニーズを読み取りながら、その自治体ではどのような政策・サービスが足りないのか、を「読み解く」専門家である。一方、自治体担当者は事業化に向けた「組み立て」が得意だ。でも、両者が「編集」場面で出会えないと、当事者のニーズに基づかない政策形成になってしまう。そして、それが出来るのが、自立支援協議会だったり、地域ケア会議だったりする。そういう文脈で上記の図を沢山活用させて頂いてきた。

その平野さんの最新刊『地域福祉マネジメントと評価的思考』(有斐閣)を拝読すると、相変わらず整理や言語化が秀逸であり、かつ複数の自治体にガッツリ入り込んでの「評価的思考」が言語化されているので、めちゃくちゃ参考になる。平野さんは評価的思考の構図を、以下のように整理している。

「まず所管課の評価活動のプロセスのなで『評価を行うことで評価を学ぶ』という評価的思考が浸透する場が必要となります。その場では『評価を行うことで重層(的)を学ぶ』ことが2つの思考方法の相互作用を通して実現します。さらに地域福祉マネジメントの文脈でいえば、『加工の自由』に結びつくための『仮説的思考』の形成が求められ、地域福祉マネジメントがそれを支えます。地域福祉が前提とする自発的・自由裁量的な発想が、事業の構想に結びつくことで、仮説的思考が、事業の計画策定の場に持ち込まれることになります。」(p7)

この記述を読みながら思い出していたのが、行政学者の整理した「事業課程」と「政策形成過程」の関係図である。

この図を提唱した真山さんは、多くの市町村が事業過程の青色の部分で終わり、事業評価はおろか政策形成過程には全くコミット出来ていない、と書いていた。実際この20年ちかく行政に関わっていると、法や制度で必要とされ、議会も通って予算化された「事業」をどうやってしようか、事業案を考え、事業を決定して実施する「事業課程」だけで精一杯、うまくいってもいかなくても、飲み屋の端で愚痴を言って終わり、という「事業」が、なんと多いことか! 飲み屋の端での愚痴を、「出来ていないことに関する事業評価」に高めて、そこから改善すべき問題を発見し、それを分析しながら、政策課題の設定や政策の策定、既存事業の検討、などをする「政策形成過程」ができない、必要性があるとはわかるけどどうしていいのかわからない、という自治体が多いのである。

その際、先ほど引用した平野さんの整理がずいぶん役に立つ。

「『評価を行うことで評価を学ぶ』という評価的思考」というのは、飲み屋での愚痴に終わらせず、何が出来ていないのか、のダメ出しだけでもなく、「出来ていることや事業実施による良い変化」をしっかり出した上で、「残っている心配ごと」もセットで整理する、という評価的思考から始まる。そして「評価を行うことで重層(的)を学ぶ」とは、整理した現状と課題は、重層事業と関連付けたらどんな風に解釈できそうか、をまず所管課や担当者レベルで整理することである。p52やp268では芦屋市の担当者達が、評価シートを用いながら、自分たちが「既存制度=制度福祉」「モデル事業」「地域福祉やまちづくり」の三つのレベルで、重層的事業の5つの事業をどれくらい出来てきたか、課題は何か、を自己評価している。実はこの自己評価に基づく『仮説的思考』の形成が、「地域福祉マネジメント」において決定的に重要だ、というのは、リアルでお付き合いのある芦屋市の担当者を見ていても感じる。

真面目に事業を遂行している自治体なら、何もやっていない訳ではない。でも、十分に出来ている訳でもない。そのときに、「出来ていることや事業実施による良い変化」を、A「個々の支援事業」と「C系統的な体制整備」のマトリックスに当てはめ、この部分はやれているよね、と議論しながら当てはめてみることが大切なのだ。そうすると、それを書く中で「そうはいっても、この部分は出来ていない・課題がある・未着手だよね」という「残っている心配ごと」も同じように見えてくる。それを評価シートを埋めながら、部署内で対話的に整理していく。これこそが「『評価を行うことで評価を学ぶ』という評価的思考」の肝である。真山さんの図で言うなら、これは「事業評価」から「問題の発見」に当たる部分である。

平野さんはこの「評価的思考」における評価参加者の思考の変化を、「参加における深まり」「改善内容の深まり」「他自治体との相対化からの模索」という三点を指摘(p292)しているが、これはすごくよくわかる。事業評価から問題の発見、分析へと至る議論って、政策の振り返りだし、何がどこまで出来た・出来なかったかを俯瞰的に読み取る力量につながる。それは他の自治体と比較すると、本当にわかりやすい。そういう意味で、この評価プロセスを通じて、次の政策形成への一歩に繋がる。

その上で、次にすべきことは何なのか、という「問題の発見→分析→政策課題の設定」というのが、『評価を行うことで重層(的)を学ぶ』にあたる。これは自分たちの自治体政策の弱みや強みの分析(SWOT分析)でもあるのだ。その中で、平野さんは「支える体制整備の方法が評価対象」「リノベーション型の評価の採用」「地域作りとの連携の深まり」を「重層的思考」として提起している(p292)。

最近、厚労省の様々な部局、だけでなく、総務省でも国交省でも農水省でも、自治会単位で何かをしてほしい、と色々な施策が五月雨式に降ってくる。小さな自治体だと、似たような会議が違う部局から何度も開かれるけど、出ているメンバーが結構重複する、なんていうケースはざらにある。その際、地域作りとの連携のなかで、「これとあれの会議の会議が似ているなら、一緒にしてしまいませんか?」といったリノベーションが模索される。それは、そもそもその地域での支援体制を考えるうえで、その枠組みやスキームで良いのですか、という問いかけである。自治会長や民生委員のなり手が先細りする中で、地域の中で「すべきこと」をどう棚卸し・整理するか、という問いとも繋がる。

その上で、では次年度は具体的に何からどのように変えていこうか、という新たな施策を打つ際に必要になってくるのが、「政策の策定→施策体系の確認→既存事業の検討」という部分だ。ここで必要になってくるのが、平野さんのいう「仮説的思考」であり、それは「事業計画の目標・位置付けの深まり」「重層的な人材育成の発掘・育成の取り組み」と紐付いている(p292)。

自治体で何らかの「事業過程」を展開するためには、その法的・財源的な根拠が必要になる。福祉分野であれば上位計画としての地域福祉計画であり、障害福祉計画などの個別計画である。そして、地域福祉計画は自治体の総合計画とも紐付いていないと、説得力がない。事業評価の中から問題を発見し、評価型思考の中で問題の分析を行い、重層的思考の中で次にすべき政策課題の設定へとつなげる事が出来ても、既存の事業計画の目標や位置づけと紐付けない限り、財政担当部局や首長、議会は応援してくれない。

そして、実際に政策形成過程から事業過程につなげるには、単に自治体内だけで頑張っても無理がある。社協やまちづくり、町内会や自治会、商工会など様々なアクターがどれくらい新規事業に一緒になって考えてくれるか、が肝となる。その際、平野さんの本の中では、久留米市の「AU-CASEプロジェクト」の魅力的な事例が紹介されていた(p239)。たとえば移動支援が必要となったとき、行政的発想であれば、「買い物支援や訪問介護、車椅子レンタル」などの制度的対応が浮かぶ。だが、移動が出来ることで何をかなえたいのか、というと「もっと自由にでかけたい」というニーズであり、それを通じて「気の合う居場所に出かけたい」とか「一緒に出かけてくれる人とコミュニケーションを取りたい」かもしれない。そういう意味で、前者の制度的支援を「解決する道路」とすると、後者は「叶え合う道路」であるという。そして後者には、官民協働、というか、民間主導のプラットフォーム形成の方が、うまくいくかもしれない。こういう新たな可能性を考えるのが、「仮説的思考」の醍醐味なのだ.

そして、この政策形成過程については、これまでブラックボックスというか、職人芸的なやり方とか、カリスマ公務員とか、スーパー研究者の助言とか、ばかりが目立ってきた。それは、「その人がいなくなったらオシマイの壁」という限界を抱えていた。だが、今回平野さんが「評価的思考」を具体的な自治体での実践を元に言語化してくださったことで、政策形成過程における「地域福祉マネジメント」とはどうしていけばよいのか、先ほどの評価シートなどに基づき自治体の職員が自分の頭で考えることが出来る。これはめちゃくちゃ大切であり、これからの自治体職員に求められる、再現性の高い思考プロセスの解説と言語化だと思う。こういう本を待っていた!

最後に、平野さんの本は「自治型地域福祉」を展開する方法論であり、「自治体型地域福祉」ではない、という点も、確認しておきたい。今回、平野さんの本を読むに当たって、彼の師匠である右田紀久恵さんの本も併せて読んでいてので、繋がってきた部分でもある。

「地域福祉の立場からの参加論は、福祉国家の大量性や画一性のアンチ・テーゼであり、生活の場としての地域を問うことに原点があり、それは代表民主主義の限界や空洞化に対する人間の復元作用ということでもある。いわば、ポスト・モダンにおけるローカル・デモクラシーへの模索と接近である。
それは、地域福祉が人間としての生活権思想やノーマライゼーションを原点とするかぎり、参加論もそこから出発するのが当然であるからである。福祉行政の限界や補充に地域福祉を位置づけたり、『地域福祉=ボランティア活動・福祉の風土づくり』という認識のレベルでは、参加はサービス供給のみに直結してしまう。地域福祉は自律的個人=主体の存立を前提とし、その社会性を組織化することによって、福祉コミュニティ=福祉社会を構築しようとする。ノーマライゼーションの思想を具現化するシステムとしての参加の形態やレベルには多様なものが考えられるが、いまここで重要なことは、形態やレベルの本源、すなわち現代における参加の意義を問い、確認しておくことであろう。」(右田紀久恵『自治型地域福祉の理論』ミネルヴァ書房、p25)

地域福祉を自治体が展開する時に、「福祉行政の限界や補充に地域福祉を位置づけたり、『地域福祉=ボランティア活動・福祉の風土づくり』という認識のレベルでは、参加はサービス供給のみに直結してしまう」。それは、住民達の主体性の尊重や、住民自治につながらない。「地域福祉は自律的個人=主体の存立を前提とし、その社会性を組織化することによって、福祉コミュニティ=福祉社会を構築しようとする。」重層的支援の展開にあたっても、この「自律的個人=主体の存立を前提」と出来ているか、を評価する場面で問う必要があるのだ。簡単に言えば、我が町の地域福祉は、当事者主体や住民自治を目標として掲げられているか? その目標を実現するための、重層的支援という方法論を組もうとしているのか? この当事者主体や住民自治という目標がないと、「自治型地域福祉」は簡単に「自治体型地域福祉」にすり替わってしまう。

ぼく自身も様々な形で自治体の地域福祉にコミットしている。だからこそ、この平野さんの方法論はめちゃくちゃ参考になる。でも、それは「福祉行政の限界や補充に地域福祉を位置づけ」るためにあるのではない。あくまでも「自治体型地域福祉」の推進・発展のための方法論であるべきだ。その点を、僕は忘れてしまいやすいので、自戒の念を込めて、最後に付記しておく。

子育てと人類学的思考

夏休み期間には、割とガッツリした大著が読める。この夏はなぜか研究会で二冊の人類学の大著を読んだ。一冊は以前ご紹介した、アナ・ツィンの『摩擦』。その次に読んだのが、デヴィッド・グレーバーの『価値論』(以文社)である。(グレーバーといえば、以前『ブルシットジョブ』を読んでブログも書いている)

人類学の分厚い記述は、迫力はあるのだが、正直読むのに骨が折れる。途中でお経を読んでいるような苦しさを何度も味わう。にも関わらず、異なる文化・異なる社会の記述を通じて気づいた人類学者の発見・分析には、目を見開かされるものがある。

「ほとんどの人々は、広い意味での社会化にずっと多くの時間を費やしている。ここでいう社会化には、育児に限らず、人間をかたちづくるために必要なすべての行為が含まれる。このような定義によると、社会化は、青年期で終わるものでも、それ以外の無理やり決められた、恣意的な期限で終わるものでもない、継続的なプロセスとなる。人は一生を通して、ほとんどつねに自己の社会的位置や役割、地位を変化させる過程にあり、変化した新しい立場においてどう振る舞うのかを、そのたびことに学ばなければならない。つまり、人生とは絶え間ない教育の過程なのである。
私自身は、このことが無視されてきた一つの大きな理由は、単純な性差別ではないかと思う。」(p118)

このフレーズの迫力に気づけたのは、ぼく自身が子育てするなかで、「絶え間ない教育の過程」としての「社会化」してきたと痛感するからである。そして、42才で子育てをはじめる以前は、「単純な性差別」の眼差しを内面化し、この「社会化」の側面を「無視」してきたひとりだと感じる。

近代社会、特に戦後日本社会は「育児に限らず、人間をかたちづくるために必要なすべての行為」を「ケア」と名付け、それを女性に押しつけて「不払い労働・再生産労働」と押しやってきた。カネにならない、仕事に付随する労働なのだから、女にさせておけ。男は金に直結する生産労働をしているのだから、再生産労働をしている女より価値があるのだ。そういう発想が、能力主義や生産性至上主義と結びつき、この社会の支配的な認識になっていった。

だが、それは一面的な考え方である。賃金や対価を生み出さない「社会化」は、人を成熟に導く。

「人は一生を通して、ほとんどつねに自己の社会的位置や役割、地位を変化させる過程にあり、変化した新しい立場においてどう振る舞うのかを、そのたびことに学ばなければならない。」

これって、例えば会社や組織でポジションが上昇した時、権威や権力を持つようになった時、それを適切に行使できるのか、ハラスメントをするダメ上司になるのか、現場感覚を抜け出せず自分で抱え込んで自滅するのか、という人の振る舞いの差異にも直結する話だと思う。

49才の今年、教授に「復帰」した。前任校で39才で教授になったが、43才で現任校に移った際、准教授に「降格」採用された。多くの人は驚いたし、何でそんなことをするのですか、とも聞かれたことがある。確かに年収は150万以上下がったし、その面ではトホホ、だった。でも、42才で子育てをはじめた際、中間管理職になっていた僕は、あのまま前任校にいると、きっと「○○センター長」とか役職に就いていただろう。それは、子育て中心に舵を切れないということだった。現任校に移動し、降格することで、給与は減ったが、それと同時に責任も減り、時間的余裕が増えた。そのことによって、子育てにじっくり向き合うことが出来たからこそ、子どもや妻との関係性のなかで、ぼく自身は沢山のことを学び続けた。給与と肩書きを手放す代わりに、「変化した新しい立場」において、ケアに関する学びを深めることができた。その6年間の時間的余裕があったことは、僕にとって、ある種のサバティカル、というか、成熟へと導くきっかけになった。

「ピアジェにとって、成熟するとは、自己を『脱中心化』することである。つまり、自己の関心や観点は、単により大きな全体性の一部であること、そしてそれが他の関心や観点に比べてなんら本質的な重要性を持たないと理解することである。」(p111)

能力主義や生産性至上主義の虜になっていると、自己中心的になる。自分の業績、自分の成果、SNSでの自己アピール、自分への評価・・・といったものに囚われてしまい、自分のことで精一杯になる。自己責任論の蔓延する社会では、それが称揚される。

だが、成熟すること、つまり社会化することは「自己を『脱中心化』すること」だと理解すると、大きく視点が異なる。ぼく自身も、家事育児というケアを通じて、娘や妻のおかげで、三人でケアしケアされるなかで、ものすごく強固だった自己中心性を、少しずつ脱中心化しはじめている。確かに次の本の原稿が書けた、とか、講演が上手くいった、とか、それはそれで満足である。でも、それと同様に、それ以上に、娘が綺麗な字を書けるようになった、繰り上がり・繰り下がりの計算ができるようになった、家族三人で温水プールでガッツリ泳いだ・・・といった、娘の、そして家族関係でのなにかが、自分の業績や成果と同じように、大切になる。そういう経験の積み重ねの中で、「自己の関心や観点は、単により大きな全体性の一部であること、そしてそれが他の関心や観点に比べてなんら本質的な重要性を持たないと」やっと「理解」出来るようになったのだ。

成熟や社会化が遅すぎるではないか、と突っ込まれそうだが、「人生とは絶え間ない教育の過程」なので、今頃でも気づけただけ、よかったと自分で勝手に評価している。

「政治の究極的な課題は、ターナーによれば、価値を領有するための闘争でさえもないのだ。それはなにが価値であるかを確立するための闘争である。」(p147)

これもめっちゃわかる。僕は子どもが生まれる以前は、業績中心主義こそが価値である、と思い込んでいた。だからこそ、論文を書きまくらなければならない、講演を引き受けねばならない、と必死になっていた。でも、子育てをし始め、生産性至上主義から戦線離脱をせざるを得なくなってはじめて、「なにが価値であるか」を再考せざるを得なくなった。放っておけば死んでしまう赤子、その赤子のケアに必死になる妻を放置して、自分だけが業績を積み重ねることに本当に価値があるのか? この問いは、ではぼく自身がどのような価値観を手放し、新たな別のいかなる価値を大切にするのか、を、突きつけた。まあ子どもが1,2才になるまで、そんなことを考えも出来ないほど、怒濤の日々だったけど、そこから少し余裕が出てきた段階で、自らの価値の再定義、というか、認識のアップデートをし始めた。それは「人間をかたちづくるために必要なすべての行為」にコミットするからこそ、見えてきたことであり、「変化した新しい立場においてどう振る舞うのか」を必死になって考えてきた。

だからこそ、僕にとっては『家族は他人、じゃあどうする?』というエッセイは、ある種の「価値の選び直し」を宣言する一冊になった。この本を書いている数年間は、これまでの自分の生産性至上主義の価値観の、どの部分は手放し、残すのか? それ以外の価値観をどう自分の中に組み込めば良いのか、を書きながら考えていた。そういう政治的営みの言語化だったので、今となっては「子育ては親の育ち直し」という副題は、なかなか言い得て妙なフレーズとして仕上がったと思っている。

「市場が存在しないところでは、孤立して暮らしたいと望まない限り、自由とは主に、誰と、どのような義務関係に入りたいかを選ぶ自由である、ということを人は必然的に知っている。」(p347)

このフレーズも、身にしみる。僕はそれまで、自分を社会的に評価・承認してくれる外部者との関係性を豊かにしてきた。だからこそ、講演や研修は嫌がらず、そこで評価してくれる場合は継続的に仕事を引き受けてきた。

でも、子どもが生まれた際、本当に身を切るような思いをしたが、一旦、大概の仕事を断ってしまった。それは本当に圧倒的な危機の中にいる赤子と妻との義務関係に入る以外の選択肢がない、と、子どもが生まれて気づいてしまったのだ。でも、妻子との義務関係を選び取ったからこそ、僕は仕事や社会的評価への虜・あるいはワーカホリックという依存症から距離を取る「自由」を得られた。この自由を得られた後だからこそ、また姫路に引っ越して、降格して、責任も関係性も一度リセットされたからこそ、「誰と、どのような義務関係に入りたいかを選ぶ自由」を手に入れることができた。そして、40を越えてから、この自由を手に入れられたのは、まさにプライスレスな価値であるとも、遅まきながら気づきはじめている。

嫌なものは嫌、とはっきり言えるようになってきた。無理して仕事を引き受けたり、詰め込むこともなくなってきた。子どもや妻との時間を最大限に確保したいからこそ、仕事は選んで引き受け、誰とどのように義務関係が出来るのか、を吟味するようになった。それは、自分にとっての余裕にもつながってきた。

「人間はなにかをつくる前に、それがどのようなものになってほしいのかを心の中で思い描く。だから私たちは別の可能性も想像できる。その意味で、人間の知性は本質的に批判的なものである。」(p102)

そう、僕が子育てやケアに関与するなかで、「脱中心化」のプロセスを通じて、成熟=社会化の機会を得られた。それは、生産性至上主義にはまり込んでいたぼくにとって、「別の可能性を想像」する機会につながった。そしてグレーバーはこの別の可能性を想像することを、「批判的」と述べる。ここも決定的に重要なポイントだ。

批判的、という言葉は、ディスるとか、論破とか、人格攻撃とか、とにかく否定的に捉えられやすい。でも、本当は、「別の可能性の想像」こそが批判的なるものの本質なのである。生産性中心主義の社会は何だか変だ、という批判は、今その論理にはまっていて、生きづらさを抱えている人を、ディスったり、論破したり、ましてや人格否定をするためにしているのではない。そうではなくて、もっと別の可能性を想像した方が、生き心地はよくなりませんか、という建設的な提起なのである。対案が出ていなくても、何だか変だ、と口にしてみることで、ではその変な何かはどのような価値に基づいて形成されているのか、別の価値前提に置き換えるとしたら、どのような可能性や選択肢があるか、を考えてみることができるのである。これこそが、創造的な行為としての批判なのだ。

というわけで、書き上げてみれば、グレーバーの価値論の読書案内や書評ではなく、本の一節に感応したぼく自身の「社会化」や「脱中心化」に絡めらながら、結構沢山のことを書いてしまった。グレーバーはマダガスカルの民族誌で博論を書いたあと、最初の単著としてこの価値論を書き上げた。かれは、人類学者として、マダガスカルという異なる文化や価値の体系を分析した上で、別の価値のありように気づいた。それと比較は出来ないけど、もしかしたらぼく自身は、子育てを通じて、生産性至上主義とは異なる文化や価値に出会い、それを通じて考えを深めてみた、という意味では、人類学的思考をちょびっとだけ、し始めているのかも、しれない。

二律背反な専門家

発売された当初に読んで、その時には理解出来なかった部分が、後に読み直してやっとわかる。そんな読書体験をした。それが三嶋亜紀子さんの『社会福祉学の<科学>性』(勁草書房)である。

この本は2007年に出されたが、僕は2008年の6月に読んでいる。なぜわかるか、というと、実はこのころ、東洋大学で教鞭を執っておられた北野誠一さんの大学院ゼミに混ぜてもらっていて、この本が課題図書になっており、社会人院生さんが発表されたレジュメが本に挟まれていたのだ。

2005年に山梨学院大学の教員になったものの、僕は社会福祉を本でしか学んでおらず、ソーシャルワークや社会福祉学の学問的背景や文脈の理解が全然足りないと感じていた。そこで、障害者福祉の理論研究の大家で、後に『ケアからエンパワーメントへ』という大著を出される北野誠一さんのところに外弟子的に関わらせていただき、カリフォルニアでの権利擁護に関する調査にも連れて行っていただいた。その北野さんの大学院ゼミでは、僕が知らない、でも重要な文献をどんどん読んでいく授業で、三島さんの本も北野さんから教わって読んだ。でも、当時はこの本を全然読めていなかった、と再読して気づく。

逆に言えば、当時の僕がそれでも読み込めていたのは、反専門職主義や脱施設化運動など、博論に関連する領域の部分のみだったと思う。このあたりは一読目で赤線が一杯引いてあった。だが、今回の二読目では、以前ほとんど赤線を引いていなかった部分に、赤線を引きまくりながら読んだ。

例えば社会福祉の歴史を見ていると、子どもの権利にはパターナリスティックなものと、子どもの自由を最大化するものと、二種類の子どもの権利がある、と指摘している(p95)。無垢でタブラ・ラサ的か子ども像を描き、親などの保護を受ける法的地位の確率を目指すのが、子どもの権利(P)である。これが、アリエスが指摘するように、産業革命以後、「工業化が進む中、不当に搾取されたと目された子どもを保護し健全に育成するために、ようやく勝ち取られたものであった」。

だが1979年の国際児童年や1989年の子どもの権利条約は、「児童の最善の利益」を図る成人の義務に対応する児童の「保護を受ける権利」という「受動的権利」ではなく、子どもの自律的権利や自由といった成人とほぼ同質の権利を保障するものである。これを子どもの権利(C)と位置づける。そして、こんな風に指摘しているう。

「社会福祉士養成の教科書の一部である『児童福祉』に、子どもの権利(P)と(C)が共存する。しかし双方の存在感は同一ではない。なぜなら、一方は他方を凌駕する関係にあるからだ。」(p99)

この当時はこの意味がよくわかっていなかったが、その後子どもが生まれ、ケアや児童福祉を囓るようになり、「こども庁」が政治家の圧力で「こども家庭庁」と名称変更された経緯を知るにつれ、この指摘の迫力がよくわかる。子どもの権利に関しては、まだまだパターナリスティックなものが多く、子どもの意思表明や意思決定支援が尊重される場面が、学校や家庭では、蔑ろにされがちな現状は変わっていないからだ。それを2007年の段階で射貫いておられる。

そして、一読目ではよくわからず「?」を付けていた箇所が、今回めっちゃ迫ってきた。例えばこの部分。

「オートノミーとしての子どもの権利を主張する児童解放運動家はこぞってアリエス・テーゼを多用する。アリエスの論は『<子供>の誕生』の1973年度版序文のなかでも彼が自覚しているように、その歴史認識はイリイチのいう『脱学校化』論と近似している。しかしながら、こうした子どもの権利(C)の終着点に照らすと、このアリエステーゼは「家族を遠隔地から統治する目的」のために利用されていると言えなくもない。
イマニュエル・カントは、自由とは二律背反であると断言したが、この1990年代を目前にした子どもの自由(C)の称揚は、その後の諸学問における『反省的学問理論』に見られる二律背反を予言するものであった。」(p166)

書き写していてわかるのは、ずいぶん抽象度が高く、濃縮度も高い議論である。16年前のぼくは、そういう抽象度の高い議論について行けていなかった。だが、この間、ある程度の抽象度の高い本も読み続けて、また三島さんが下敷きにしているフーコーの議論も多少は囓ってきたので、今なら理解出来る。

子どもの自由や自律性を最大化する「子どもの権利(C)」を尊重する議論も、虐待介入などの子どもの安全の保証(=子どもの権利(P))の上に初めて成り立つ、という議論と結びつくと、「家族を遠隔地から統治する目的」という形でのパターナリズムによる間接統治に変容する。そしてそれは、「反省的学問理論」を抱いたソーシャルワークにとって必然的結果だった、と三島さんは整理する。「反省的学問理論」とはエンパワメントやストレングス、反抑圧的実践などのように、専門家支配を批判し、専門家と利用者の関係性を変革しようとする、旧態依然とした専門家に反省と変容を迫る学問理論である。

「反省的学問理論の登場によって、専門家は<社会の周辺部にいる弱者=福祉サービスの利用者>の場まで降りてきた。利用者は専門家と対等な関係にあり、両者が紡ぎ出すナラティブも同等に意味があることが確認され、利用者の自己決定は尊重されるようになった。しかしながらハートマンが危惧するように、そこにリスクがある場合、『適切』に処遇するための力は執行される。こうしたパワーの行使の『客観』的信頼性を高めるためにも、社会福祉実践のデータベース化は、より精緻化されることが望まれるのだ。またそこにデータに基づく根拠がある場合、特定の実践の方法に磁力が働いてくることも予想される。
専門家は、反省的学問理論に拠って利用者の生きている場に降りてきたようで、支配的なパワーに裏付けられた実践への水路も確保している。先に、専門家は一方の手に反省的学問理論、もう一方の手にデータに基づく権限をもって実践に臨んでいると述べた。二律背反の関係にある両者を並べるには、ハートマンが明らかにしたような閾値の設定が必要不可欠なのであろう。本書で『ポストモダン』のソーシャルワーク理論を反省的学問理論と言い換えている理由もここにある。」(p203)

子どもの自由や自律性を最大化する「子どもの権利(C)」を尊重するために、アドボカシーやエンパワメントなど、子どもの声を尊重し、子どもと共にというwith-nessのアプローチで対等な関係性を目指すことが、子ども支援でも重要とされている。その一方で、虐待の疑いがあるケースの場合、子どもは親と一緒にいたい、と思っても、時には専門家の権力行使をして母子分離などの強制措置を執らなければならない。これは虐待介入などの子どもの安全の保証(=子どもの権利(P))の優先である。そして強制措置を執る際には、根拠に基づく介入(データベース化による介入)が求められる。つまり、本来は相反する反省的学問理論モデルとデータベース化による介入モデルが、一人のソーシャルワーカーの中で共存している、という二律背反状態にあるのだ。

ここで両者をどのように統合的に位置づけられるのか、一方と他方の閾値はどのあたりにあるのか。この裁量がワーカーに託されており、これこそがソーシャルワーカーの専門性の最たる所、とも言えるのかも知れない。

そして、それは子どもの権利だけではない。80才の認知症の母親に、50才の統合失調症の息子が暴力を振るう、というケースに直面した時、ソーシャルワーカーはどうするだろうか? 息子の病名や入院歴をみて、精神病院への強制入院や、母親の入所施設への逃避を、これまでの先行事例と比較検討する(客観的なデータベース型介入をする)だろうか。あるいは息子は母親の介護に役割や誇りを感じているけど、母が子どもをなじった時には逆上して母を殴る、とアセスメントを通じて理解できたのであれば、息子さんのエンパワメントとして就労継続支援などのサービスに繋げながら、母親を説得して訪問介護など家庭に第三者に関わってもらい、母子間の悪循環を改善する方向で支援を組む(本人の主観によりそう、反省的学問理論モデルでの介入をする)ことだって出来る。

つまり、介入モデル的にも、エンパワメントやストレングス方向(反省的学問理論モデル的)にも、どちらにも関わりうる裁量を、ソーシャルワーカーは持っているのである。その「科学」をどのように活かすのか? それをソーシャルワーク教育でどう教えているのか? このあたりが鍵となっているのだが、僕が現場で出会うケアマネや相談支援専門員に話を聞いていると、このあたりの二律背反に自覚的になっているワーカーは、実は少ない。このあたりは、「子どもの権利(P)と(C)が共存する」が「一方は他方を凌駕する関係にある」という現在の社会福祉士教育の限界点を示しているようにも、今なら気づける。

というわけで、三島さんの本は17年経っても全く古びていない、学びの多い一冊です。