人間と非人間の関係性を捉え直す

「弱いロボット」という本が出ているのは知っていたけど、これまで自分には関係なさそう、と思っていた。ただその提唱者の岡田美智男さんが岩波ジュニア新書『<弱いロボット>から考える』を書かれたので、これなら読めるかも、と買ってみた。読み始めたら面白くて、気がつけば一気読みしていた。(岡田さんの取り組みを知らない方はこのウェブ記事もお薦め)

何が面白かったのか。岡田さんはロボット製作を通じて、人間のことをずっと考え続けている点である。というか、ロボット製作という触媒を通じて、人間的な振る舞いとは何か、人間とロボットの関係性とはいかにあるべきか、を徹底的に考え続けている面白さ、というか。

「大切なのは、人や行為、さらに世界を関係論的に捉え直してみようということです。たとえば、新たなロボットを生み出せたのは、その知識を自分のものにしたからではない。むしろ、他者とのかかわり、道具、アイディアの断片をリソースとして、より大きな関係の中で生み出せるようになったから。そんな見方をしてみようということです。
私たちの行為や学びも、こうした関係の網の中に埋め込まれたものであり、共同体の中に参加を深めていくとは、こうした関係の網の中での『行為者=アクター』となる、しかも『かけがえのない存在』になるということなのです。
これは、わたしたちだけでなく、『ロボット』も同じだろうと思うのです。その役割や意味は、そのものに固有に存在するというより、社会の関係の網の中に埋め込まれ、そこから立ち現れるものといえます。」(p130-131)

一見するとロボットというのは、機械仕掛けで、人間的な機微も知らず、人間の指示に黙って従う、という意味では、非人間的な存在の象徴である。そして、人間がロボットを指示・操作する、という意味では、道具であり一方向の働きかけに思える。しかしながら、ロボットを製作する大学のラボという現場にいる岡田さんにとって、ロボット製作というのは、実に関係論的なものである、という。「ひとりでできるもん」とは真逆の、色々な人が関わり合い、アイデアを出し合い、お互いの強みや出来ることを組み合わせながら、一つのコンセプトを生み出し、それを実装していくプロセス。そのなかで、そのロボット製作のチームメンバーそれぞれが『かけがえのない存在』になるのである。

そして「関係の網の中に埋め込まれた」のは、ロボット製作チームメンバーだけではない。他ならぬ作成されたロボット自体も、チームメンバーやそのロボットが置かれる場所という「社会の関係の網の中に埋め込まれ、そこから立ち現れるもの」である、と岡田さんは喝破する。人とロボットを切り分けず、ロボット製作を通じて人間と非人間の連続性やその変容プロセスを観察して、記述しておられる。ロボットと人を切り分けずに、その連続性を考えるところでは、アクターネットワーク理論にも通じている視点である。

「自動運転システムというのは、とても便利なものですが、ちょっと油断すると搭乗者は『たんなる荷物』といして扱われてしまいます。その利便性の影で、わたしたちの主体性をも奪ってしまうのです。もっと、わたしたちの主体性や意思などを反映させる方法はないでしょうか。
そこでシートに腰を下ろす際に、その重心移動で搭乗者の気持ちを反映できるようにしました。わたしたちの主体性を上手に絡ませることで、いわゆる『人馬一体』のような感覚を生み出すことができます。それに、肢体不自由児などの意思を自動運転の機能でサポートしながら、子どもの主体性や能動性を引き出すことも出来そうです。」(p139)

『人馬一体』のような感覚、ってめっちゃ気持ちよい。

それで思い出されるのは、20年近く前のこと。30才で山梨学院大学の常勤講師になり、初のボーナスで、車を買い換えることにした。当時は中古のトヨタ・ターセルハッチバックに乗っていたのだが、かなりガタも来ていたので、そろそろ新しいのが欲しい、と思ったのだ。色々な車に試乗しに出かけた。当初はカローラあたりで充分だ、と思っていたのだが、運転感覚がターセルと同じでつまんない、と思った。あちこちのカーディーラーを回り、妻とああでもない、こうでもない、と言っている中で、「ついでに」見に行ったマツダのディーラーで、出会ったのがアクセラ23Sだった。ハッチバックだし荷物は詰めそう、とか思いながら、石和の16号線でアクセルをいつものように踏んだら、恐ろしい加速力。こ、これや!と、はまってしまった。ターボ車なんて一度も乗ったことはなかったが、ペダリングに吸い付いてくれる走りにはまり、人生初の新車を即決で決めてしまった。以来子どもが生まれるまでの12年、濃紺のアクセラ23Sであちこちをドライブしまくっていた。

このアクセラは、明らかに僕という「主体性を上手に絡ませる」ことができる車だった。車は移動する手段で、ドライブは面倒だと思っていた僕の「主体性や能動性を引き出すこと」に長けた、秀逸な一台だった。それまで乗り続けて来たトヨタ車は質実剛健で頑強で性能は良かったが、「搭乗者は『たんなる荷物』」と感じさせるような、標準化・規格化された乗り心地だった。そのことに気づかせてくれたのが、アクセラ体験だった。

そして、子どもが生まれたあと、ベビーカーを入れたらハッチバックの荷物が一杯になるから、と新しい車を探しに出かけた時も、私たち夫婦は、質実剛健な車を選ばなかった。あれこれ試乗した上で選んだのは、アクセラの一回り上の、同じマツダのシルバーのアテンザワゴンだった(これは高かったので、2年落ちの認定中古車を買った)。ちょうど同僚が一世代前のアテンザワゴンを持っていたので、アクセラと交換してもらい、2泊3日で八ヶ岳のペンションに旅行に出かけたら、ベビーカーもスーツケースも積める容積もあり、室内も広く、1000mの高原を快走出来る馬力があった。これなら子どもがいても、『人馬一体』は続く、と思った。だから、スライドドアの車ではなく、敢えてスポーツワゴン車を買ったのである。そして、それから7年経って、今でも長距離走行するたびに、この車を買って良かったと思っている僕がいる(ついでに言うとハイオクからクリーンディーゼルに変えて、燃料費も本当に助かった)。

長々と個人的経験を綴ったが、ここでも、車やロボットという機械と人間を切り分けない発想が大切なのだと思う。娘も「アテンザさん」と呼んでいるこの車が我が家の中でしっかり位置付いていて、娘や妻、僕というチーム家族の主体性や能動性が、アテンザさんのおかげで引き出されている。それは車と人との関係性を切り分けず、アテンザさんは「こうした関係の網の中での『行為者=アクター』となる、しかも『かけがえのない存在』」になっているから、である。そのことに、この本を読んで改めて気づかされた。

そして、<弱いロボット>を巡る岡田さんの思考は、ぼく自身の別の回路も開いてくれる。

「わたしたちの行為は、自らの中に閉じこもることをあきらめ、外に開くという方略を取り始めたのでしょう。ちょっとドキドキしつつも、まわりに半ば委ねてみた。そこで、私たちの身体や行為が手に入れたのは、意外にも『しなやかさ』『強靱さ』でした。
一人で靴下をはかなければ・・・と、身体をこわばらせていては、すぐにバランスを崩して、靴下をはこうとする手元が狂ってしまう。そこで、その身体をまわりに半ば委ねてみたら、とてもスムーズに靴下がはけるようになった。まわりとの関わりの中で、結果として、しなやかな身体を手に入れたわけです。歩行の場合でも、『なんとか自分の力だけで・・・』との拘りを捨て、地面に半ば委ねてみた。すると、ぎこちなさや脆さがすっと取れて、とてもしなやかな歩行を生み出せるようになったわけです。」(p162)

これを書き写しながら思い出していたのが、合気道のことである。合気道は、力づくで相手を倒そうという気持ちになると、必ず失敗する。なぜなら、こちらの力みが相手にも伝わるからである。凱風館で内田先生や助教の方々の技を見ていて感じることなのでもあるが、合気道の美しいわざとは、「自らの中に閉じこもることをあきらめ、外に開くという方略」のなかにある。しかも、「自らの中に閉じこもる」=独り相撲的に力むのをやめて、相手を怖がらず、相手にも開かれていくことによって、「まわりとの関わりの中で、結果として、しなやかな身体」が生まれてくる。強靱さは一人で力むのではなく、相手との結び=接点を意識しながら、その接点を用いることによって、産まれてくるのである。

そして、岡田さんの指摘は、合気道だけではなく、剣や丈を使う動きにも通じる指摘をしている。

「わたしたちの手はさまざまなモノが使えるように、その進化の過程で冗長な自由度をもった筋骨格系を選び取ってきました。自在に動かせる反面、自分で律するのも大変なくらいの自由度です。
しかし、ハサミを使うときには、冗長な自由度はハサミの構造によって上手に制約されます。ハサミの刃の回転方向にくわえ、どこに親指を入れればいいのか、人差し指はどうか。そうした制約によって、適切な動きを生みだすことが出来ます。手の制御の一部をハサミに内在する制約によって手伝ってもらっているわけです。」(p220-221)

合気道の練習の一環として、剣や丈を用いる。だが合気道は、そもそも剣や丈を用いる動きから、剣や丈を抜いた形だと理解したほうがよい。「自在に動かせる反面、自分で律するのも大変なくらいの自由度」をもった筋骨格系。それでは「しなやかさ」や「強靱さ」は生まれない。だが、剣や丈という制約要素を加えることにより、それらに内在する制約によって手伝ってもらい、手の制御が出来るようになる。

合気道で気持ちの良い動きをするためには、繰り返すが、「力づく」では絶対にうまくいかない。そうではなく、剣や丈を持って、その剣や丈による冗長な自由度の制約によって、手の制御がより細かくなる、と理解した方がいい。だからこそ、剣や丈を持っているイメージで、手さばき、足裁きをするほうが、遙かにうまくいく。そして、剣や丈を適切に扱うためには、手だけではダメだ。肩甲骨から手を動かし、それを股関節の動きに繋げる。そのことによって、剣や丈はダイナミックな動きをする。剣や丈に内在する制約を活かすためには、手の制御だけでなく、肩甲骨や股関節の制御にも繋げて考える必要がある。だが、それがななかな上手くいかないからこそ、合気道は面白い。

そして、ぼく自身がまさに合気道の上達の踊り場にいて、今伸び悩んでいる要素が、まさか<弱いロボット>の読書体験を通じて繋がっていくとは思いも寄らなかったので、これだからこそ読書っていいな、と改めて感じた。

筆者はこれに関連して、「まわりを味方につけながら、冗長な自由度の一部を減じてもらう」(p163)とも表現していていた。これは、子育てにも繋がってくる。

子どものケアをすることによって、僕の「冗長な自由度」はかなりの部分、減じることになった。それは7年間子育てをしていて、すごく感じる部分でもある。でも、「まわりの味方をつけながら」そのプロセスに身を投じることによって、ぼく自身の生き方の制御がだいぶできるようになってきたような気がする。仕事を何でも引き受けるのではなく、子育ての制約条件の中で、と限定することで、それは結果的に僕の寿命やQOLを高めることにも、つながっているのだと思う。42才までの、「はいかYESか喜んで」で何でも仕事を引き受けた働き方を続けていたら、今頃、ストレスで五大疾患のどれかにはひっかかっていたはずだ。49才でもルンルン読書が出来ているのは、ぼく自身の「冗長な自由度」を制限する娘という外部制約状況のおかげなのである。

という感じで、ロボットの本だと思い込んでいたら、それは人間と非人間の関係性であったり、ぼく自身と社会の関係性を捉え直す、リフレーミングするきっかけを与えてくれる優れた一冊だった。ジュニア新書で読みやすいけど、豊かな学びや考える契機を与えてくれる良書です。

アーギュメントを鍛え直す

ぼく自身は博士論文を書いた後、大学の教員になって20年になる。

いちおう、「研究者」という肩書きで暮らして居る。査読論文も書いているし、逆に査読する側になることも多く、去年から二つの学会で学会誌の編集委員もして、査読プロセスそのものにコミットしていたりもする。

ただ、僕は指導教員がジャーナリストだったので、アカデミックな論文の書き方は教わらなかった。今と違い、四半世紀前は大学院でもアカデミックライティング講座もなく、独学で書き方を試行錯誤してきた。論理的な文章の書き方を真似て学んだのは内田樹先生の著作やブログであり、論文の書き方については伊丹敬之さんの『創造的論文の書き方』(有斐閣)をボロボロになるまで読み返していた。

今回、阿部幸大さんの『まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書』(光文社)を読んで、自分が独学で試行錯誤してきたことを、実にロジカルでわかりやすく端的に書いてくれていて、心底納得したし、「僕が大学院生の時にこの本に出会いたかった!」と嘆息した。その理由は何か。論文の本質を次の一言で射貫いているからだ。

「論文とは、アーギュメントを論証する文章である。」(p27)

アーギュメントとはなにか。これも一言で表現してくれている。

「アーギュメントは反証可能なテーゼでなければならない」(p21)

そして、弱いアーギュメントと練り上げられたアーギュメントを、以下のように対置させている。

弱いアーギュメント:「アンパンマン」は男性キャラクターばかりを描く(p23)

練ったアーギュメント:「アンパンマン」においては、男性中心主義的な物語が女性キャラクターを排除している(p24)

この二つの違いはなにか。阿部さんによると、それは英語の他動詞(SVOにおけるV)の役割だ、という。主語と目的語の関係性をどのような他動詞として表現するか、の違いである。弱いアーギュメントであれば、「描く」という他動詞だが、練ったアーギュメントであれば「排除している」という、より限定的で具体的な他動詞が表現されている。それと共に、アンパンマンで男性キャラが多い、というぼんやりとした問題意識ではなくて、「アンパンチ」がばいきんまんを駆逐するという「典型的なオチ」を指して、「男性中心的な物語」と主語にしてみると、その物語形成では、女性キャラが周縁化=排除されている、という他動詞が生まれてくる。そして、練り上げられたアーギュメント(=反証可能なテーゼ)を「それは本当か? どういうことか?」と、事実と論理で説得的に論証していくのが論文である、というのだ。

それを早く知りたかった!

論文は書いているけど、ずっと不全感があり続けていた。書きたいことは一杯ある。でも、それをどう書いたら、アカデミズムのなかで通じるが、未だに分かっていなかった。日本の精神医療に関して、障害者福祉政策について、支援者エンパワメントについて・・・言いたいことは一杯ある。でも、学会発表をしても、みんなあっけにとられて、まともに話を聞いてもらえない。質問もしてもらえない。そんなトホホな日々が続いていた。それについても、阿部さんの言葉にドキッとさせられる。

「アカデミックな価値は、多くの読者が『面白い』と思ったときに発生するのではない。それは、先行研究を引用し、自分のアーギュメントが現行の『会話』を刷新するものであることを示すことによって、自分でつくるものである。それを評者が間違いなく把握できるように書くことは、筆者の責任なのだ。」(p33)

そして、この「会話」については、以下のように表現されている。

「この「会話」とは、特定のトピックに興味を持つ論者たちが現在どのようなことを話していて、現状どんなコンセンサスが取れているかという、トピックの周辺をとりまく意見の総体のようなもの」([33)

僕はアカデミックな価値や「会話」を重視していなかった。申し訳ないけど、学会誌にはあまり興味の持てる議論が載っていないので、それよりも自分が面白いと思うことにエネルギーを集中してきた。だから、学会発表をしても、その学会・領域の先行研究を充分に押さえることより、自分が面白いと思う内容の発表に集中する。すると、一部の人に面白いと思ってもらえる一方、「現行の『会話』」を熟知している人々に、白い目で見られてきた。全然興味を持ってもらえなかったのだ。いや、それだけではない。僕が研究テーマにしている福祉領域は、支援現場の実践がある。そっちの方に興味関心が向いていて、その支援実践に関するアカデミズムの議論や会話への目配せは、正直なところ二の次になっていたのだ。学会にはもう縁がないのかな、と半分諦めていた。

で、そんな学会とか査読論文はつまらない、と興味関心が遠のいていった反面、伝えたい何かはあるので、単著を出したり、最近ではエッセイや新書を書いてきた。6冊目の単著は、このブログが元になった本で数日前に脱稿したところだし、7冊目に今書いているのは、新書である。ありがたいことに依頼論文もコンスタントにお受けするし、共著も2冊もうじき出る予定である。だが、査読論文はしばらくご無沙汰である。こうやって「面白さ」を重視していると、査読論文にエネルギーが注げない自分自身がいた。

ただ、昨年から社会人院生が入ってきてくれ、来年からの院生希望の人も出てきた。そのタイミングで、指導のため、というより、率先垂範するためには、もう一度学会発表や査読論文にもエネルギーを注がないとな、と感じていたところだった。だから、この本も読んでみた。

このアーギュメントに関するテーゼだけでなく、パラグラフやイントロダクション、結論をどう練り上げていけばよいか、も非常にプラクティカルで役に立つ助言だった。実際学部生や院生指導においては、この部分で学生たちとディスカッションしたり、演習問題に取り組んでもらうと、かなりの力になると思う。でも、おっさん研究者の僕がもっともしびれたのは、最後に述べられた、以下の部分だった。

「論文を書くとは、世の中になんらかの新しい主張をもたらし、それを説得的に論証することで、人びとの考えを変えようとする行為にほかならない。
そこそこ論文が書けるようになり、『とにかく書けるものを書かなければならない』という切羽詰まった状態を抜けると、なにを書き、なにを書かないか選択できる余地がうまれる。だが、これは『余裕』であるばかりではない。『なぜ、ほかならぬ自分が、その特定のアーギュメントを提出し、人びとの考えをそちらの方向へ導こうとするのか』という問いに直面させられることでもあるからだ。
このような意味で、人文学とは本質的にポリティカルな営為である。論文は、あなたが『言いたい』かどうかにかかわらず、なにかを言ってしまうことになる場なのだ。自分はなにを『言いたい』のか、どんなことを主張する研究者として生きてゆきたいのか。それは、目先の論文を書くためのリサーチ・クエッションなどよりも、何倍も重要な『問い』であるように思われる。」(p150-151)

阿部さんは1987年生まれで今年37才である。ぼく自身が37才だった2012年にはじめて出した単著は『枠組み外しの旅—「個性化」が変える福祉社会』(青灯社)だった。この本は、阿部さんの語りを用いるなら、「自分はなにを『言いたい』のか、どんなことを主張する研究者として生きてゆきたいのか」を問い続ける中で、書かざるを得なかった一冊である。論文としてそれをどうまとめてよいのかわからなかったので、気がつけば単著として仕上がってしまった一冊でもある。

そして、阿部さんはアカデミックライティングに関する非常に役立つ=実践的な教科書の最終章に、敢えて実存的な問いを差し出された。これは、決定的に重要だと僕は思っている。もちろん、査読論文を沢山書いて、業績を積んで、アカデミックキャリアを積み重ねること「も」、研究者として「飯を食う」ためには大切だ。でも、一体なんのために研究者を続けているのか? この再帰的な問いは、『なぜ、ほかならぬ自分が、その特定のアーギュメントを提出し、人びとの考えをそちらの方向へ導こうとするのか』という問いにも繋がる。

「論文を書くとは、世の中になんらかの新しい主張をもたらし、それを説得的に論証することで、人びとの考えを変えようとする行為にほかならない。」

そう、ぼく自身は今の生物学的精神医学が跋扈する、精神病院大国である日本の精神保健福祉がおかしいと思っている。精神病院では虐待が起こり続けているのに、いまだに「必要悪」とされてしまうのはなぜか? ケアマネや相談支援専門員などの支援者が精神障害者を怖いと思い、地域生活支援が不十分で、何かあったら精神病院送りになってしまうのは、なぜか? どうやったら病院中心主義から、地域生活支援中心に制作を転換出来るか?・・・と、言い出したらキリがないほど、変わってほしいことは沢山ある。だからこそ、「世の中になんらかの新しい主張をもたらし、それを説得的に論証することで、人びとの考えを変えようとする行為」とちゃんと向き合わなければならないと思っている。それは、最初の単著を書いた12年前も今も変わらない。でも、簡単には変わらないから、と、ここしばらくは精神医療の論文を書くことからも遠ざかってきた。

そんな僕でも、この阿部さんの本に出会ったことによって、やっぱりもう一度、日本の精神医療に関するぼく自身のアーギュメントを、この本を補助線に鍛え直し、「人びとの考えをそちらの方向へ導」くような論文を書けたらいいな、という欲望が生まれてきた。そういう意味では、最近査読論文から遠ざかっていたおっさん研究者への「欲望形成支援」をしてくれる、優れた一冊でもあった。10月に授業が再開される前に、自分自身のアーギュメントを鍛え直す練習から、はじめてみたい。

「社会モデル」を生きる一冊

松波めぐみさんが書かれた『「社会モデルで考える」ためのレッスン:障害者差別解消法と合理的配慮の理解と活用のために』(生活書院)は、二重の意味で、味わい深い1冊である。PART1はまさに「合理的配慮や差別解消法をどう理解し活用できるのか」を具体的なエピソードで描くレッスンである。この12のレッスンを読む中で、障害の社会モデルの価値前提がじわじわ読者に染みこんでいくしかけになっている。そして、後者は、書き手の松波さんが「障害の社会モデル」にどのように惹かれていったのか、のライフヒストリーが綴られている。二つのPARTにそれぞれの魅力があるので、分けて書いてみる。

まずPART1は「合理的配慮」や「差別解消法」に具体的にどう向き合えば良いのか、を知りたい自治体や企業担当者にも是非ともお薦めしたい内容がてんこ盛りである。これらの解説本は割と法解釈から始まる固い内容なので、類書は理解しにくい。でも年間80回!もこの差別解消法や合理的配慮について講演している松波さんだからこそ、具体的でわかりやすいエピソードをてんこ盛りにしながら、でも障害の社会モデルの主軸をずらさない解説が書かれている。

その上で、僕が気に入ったのは、たとえばこの部分など。

「『社会モデル』の回路を持てるようになる、とは、どういうことだろうか。たとえば、人工呼吸器をつけて生活している車椅子ユーザーを、見た目から『大変そう』と勝手に判断するのではなく、本人の地域生活がどのように(本人の意志を中心にしながら)営まれているのかに興味を持つことだ。そうすると、かれらと街中でばったり出会えたりすることの積極的意義も感じられるだろう。また、白杖を手に単独で歩行している視覚障害者は、『助けてあげないといけない存在』ではなく、『これまでに蓄積してきた経験を駆使して、(音や空気の流れ等を手がかりに、危険を予知しながら)街に出かけている人」だと見なしてほしい。そのうえで、それでも視覚障害者が歩行時に危険に直面するのはどのような場面なのか、それはどんな社会的障壁によるものなのかをともに考えてほしい。」(p210)

書き写していて改めて惚れ惚れするような社会モデルの解像度のきめ細かである。

まず文章の中に、人工呼吸器をつけている車椅子ユーザーや白杖で単独歩行する視覚障害者へのリスペクトがガッツリある。最初から「困った人」「かわいそうな人」と温情主義的に見下していない。対等な人間としての相手への敬意を持った上で、その敬意ある相手が困っている状況にはどのような社会的障壁があるか、を考えようとする。実は、合理的配慮の根源に、この視点が求められる。

「『合理的配慮』とは、障害のある人への一方的な恩恵ではなく、そもそも排除的だった職場の環境をより平等なものに変えて行く手段の一つだ。まずは『対話』を始めることが大切だが、社会全体が障害のある人を排除してきた歴史が長く続いてきたため、障害のある人と率直に対話するのは難しいと感じる企業関係者は多い。けれども、最初はぎくしゃくしていても、時間をかけて、障害のある人の経験や思いに耳を傾けてほしい。さらには『障害平等研修』(DET)を起こっている団体等にも対話の先を広げてみてほしい。
『できるだけ変わりたくない』というこれまでの姿勢から一歩踏み出す時、『多様な人がいること/対話があること』を強みとする新しい企業文化の芽が出るのではないだろうか。」(p19)

さらりと書いてあるが、実はかなり本質的な内容を松波さんは指摘している。「できるだけ変わりたくない」と思う人は、実は「既に優遇されている人」なのである。そういうマジョリティ特権的なものに無自覚で、自分が出来ていることを相手が出来ないのはおかしい・能力が劣っていると思い込み、「できるだけ変わりたくない」と思い込んでいる。ここには、出来ない・うまくいかない相手への敬意が不足しているし、そういう相手との対話が不在である。

しかも、自分たちが無意識・無自覚にであれ排除してきた・見下してきた相手と対等に対話をしようとすると、排除した・見下した側による恐れ(フォビア)が産まれる。わがままなのではないか、クレーマーではないか、理不尽な要求を呑まなければならないのか・・・。だがそこには対等な相手との対話の不在、という厳然とした歴史があるのだ。それを、バニラエア問題やインクルーシブ教育だけでなく、性の多様性など、様々な実例から紐解いていく。

しかも、松波さんは完璧な人ではないのが、この本を通じて現れていていい。パターナリスティックな反応をする自治体担当者にがっくりきたり、障害者ヘイトやバッシングで心を痛めて寝込んでしまうような、ご自身の感情も露わに表現していく。そんな、ごくありきたりな隣人としての松波さんが、権利条約や社会モデルを知り、合理的配慮や差別解消法と出会うなかで、どのように認識をアップデートできるのか、を描写したのが、PART1の魅力だ。

そのうえで、PART2は、この本が産まれるに至った、松波さんの個人史が魅力的に綴られている。

世の中ではすいすいと学びを深めて、すぐにそれをアウトプットや業績として出すタイプの人もいる。そういう人は情報処理能力が高く、英仏独などの原書をガシガシ読んで、あれはこれだ、と横から縦に翻訳して伝える力が高い。一般的に「賢い人」と言われて皆さんが想像するのは、このタイプだろう。そして、僕はこのタイプではない。

これに対置する学びとしては、自分の経験と理論や知恵を結びつけて理解するタイプの学びがある。これは、前者に比べると、とにかく時間がかかる。色々な人に出会い、経験し、その出会いや経験を反芻しながら、理論書で書かれていることや概念的な整理を、出会いや経験をくぐらせた上で、自分の言葉として記述していくタイプの知である。ぼく自身は、それしか出来なかったので、色々なことを言語化するのにずいぶん時間がかかる。

そして、前者のタイプの知識は、一点突破、というか、一つの哲学や理論、概念、研究対象を深掘りすればするほど、文章がどんどん書けてしまうので、こっちは論文化が早い。他方、後者の場合、多様な経験と学びがないと、言葉がうまく出てこない、関連付けが出来ない。だから自ずと時間がかかるし、前者に比べてアウトプットも遅くなってしまう。他の人から見れば、何が専門なのかよくわからない人、と言われてしまう。

特に、自分が現時点で明示的な障害を持っていないけれども、障害のある人や、障害者への差別、あるいは障害の社会モデルが気になった場合、障害を持つ当事者から沢山教わりながら、学んでいくしかない。だからこそ、法律用語ならすぐに言葉に出来るが、その法律用語が障害のある人にどのように結びついているのか、を自分の言葉で語るにはめちゃくちゃ時間がかかる。僕も、未だに精神医療だけで単著が書けていないのも、そのせいだ。そして、松波さんも時間をかけて、本書を言語化された。

この本のPART2は松波さんが「どのような経緯で『障害の社会モデル』を知って納得したのか、そしてなぜ『障害者権利条約』に関心を持ち、なぜ京都の条例づくり運動に関わったのか、そしてどのように現在のライフワーク(研修などを通した、『社会モデル』の考え方の普及)にたどりついたのか」(p7-8)を、インタビューされながら語り下ろす形式である。

自分で語るのではなく、障害当事者の仲間に聞いてもらうという作戦があるのか、とその方法論に一本取られた。自分語りは放っておくと冗長な自慢になりかねないが、尊敬する仲間に語る場合は、そのような過剰な自意識は引っこ抜かれるし、何より、他者に聞かれることによって、自分語りなのにポリフォニックになる。これがいいなぁ、と思った。

その上で、実は松波さんは同じ大学院の別講座で学んでおられ、障害を研究テーマにし、障害者政策にもコミットして、という意味で、僕とは結構近い領域だけれど、なかなか接点を持てなかった。阪大の大学院で人権教育を学んでおられて、障害学の翻訳も書かれ、ニューヨークで権利条約の成立過程も見ておられ、京都で介助者をしてはるけど、どんな人なのだろう、というボンヤリしたイメージしかなかった。

それが、この本を読むことで、「なるほど、彼女はご自身の生き様を、ライフワークにつなげておられるのか」と繋がってきた。障害者運動にコミットすること、介助をすること、講演や執筆活動をすること、という目に見えていることの背景に、ご自身の家庭における宗教問題や、アムネスティで学んだ人権意識など、様々なバックボーンがあって、同和教育や人権教育の研究へと松波さんが突き進んでいく、生き様のうねりのようなものが、読んでいて体感できる。そして、そういうバックボーンがあるからこそ、障害者の仲間(ally)として、どのように社会モデルを自分事にしていかれたのか、が体得できる。そして、松波さんは多くの障害のある友人と出会い、障害者運動や社会モデルと出会うことで、彼女自身も自己解放されていったのだろうな、とPART2を読みながら感じることもできた。

というわけで、読み応えがありまくりな1冊である。合理的配慮や差別解消法の勉強会にはもってこいの1冊だし、自分たちで読書会をして、松波さんに研修講師で来てもらったら、めっちゃ学びがいがありそうだ。ぼくの3年ゼミでも早速後期の課題本にしてみようと思う。久しぶりに自分の専門で、魅力的な1冊に出会えた。