多様な「読み」が出来る大著

本というのは、購入してすぐ読むものもあるが、大半の場合、寝かせておく。今回ご紹介するのは、「14年モノ!」の分厚い大著である。若い友人達が研究会で読みたいというので、学期末の死ぬほど忙しい時期に、なかば渋々・なかば時間がなくて必死になって読み終えた。でも途中からぐっと惹きつけられていった。

「当事者運動は、右派からの『偽善』という批判に対する一つの答となる。その意味論形式は、自らのポジショナリティを発話位置に捉えることを通して、<贈与のパラドックス>も『偽善』表象の発生も抑えることが可能である。『自分たちの政治的実践は、自分たちのため』であり、その意味で『当事者主権』は<交換(win-win)>の文法で語ることが出来る。それ自体として全く正当な『当事者主権』の論理は、しかし、右派も使用可能な意味論的形式である。右派は、今ある『私』から『われわれ』の範囲を所与の『国民』や『民族』に設定し、その範囲のみを擁護する。またいわゆるゲイテッド・コミュニティも当事者主権のレトリックで擁護可能である。
一方で、左派においては『当事者主権』を掲げる立場であっても、 抑圧されている他の立場との連帯を志向する場合が多い。つまり、自らが被抑圧者であることをアイデンティティ・ポリティックスの賭金としつつも、自らの抑圧性に対しても敏感であり、それを通して他者へと開かれる。また、亀裂を生み出す支配的な構造を構成的外部として、『われわれ』という共通のカテゴリー(=当事者性)が構築・拡張され、『当事者主権』の意味論が継続される。しかし、『当事者』概念が拡張すればするほど、<贈与のパラドックス>の観察—「左翼仲間であり続けるべく『弱者の味方』自己イメージにすがる、『ヘタレ左翼』」—が発動する余地を拡げることになるだろう。多くの左派にとって、その『当事者主権』論は、その論理だけでは自らを記述しきれず、所与のカテゴリーやアイディンティを組み替えて他者へと跳躍し続ける、という論理の外部こそが重要な賭金となる。」(仁平典宏『「ボランティア」の誕生と終焉—〈贈与のパラドックス〉の知識社会学』名古屋大学出版会、p435)

優れた著作とは、10年15年の時を経てもその分析内容が古びることなく、普遍的な価値を提供する作品である。僕と同じ1975年生まれの仁平さんが、東日本大震災の直前の2011年2月末に出版したこの本は、2008年に出された博士論文を書籍化されたものである。36才でここまでボランティアをガッツリ捉えていたのか、と思うと、本当に驚愕の論の深さである。あちこちに線を引きまくりながら読んでいたのだが、最も痺れたのが、終章で書かれた、僕が障害者運動の「アライ(=ally:仲間)」としてなじみ深かった当事者主権に関する論考だった。

「右派は、今ある『私』から『われわれ』の範囲を所与の『国民』や『民族』に設定し、その範囲のみを擁護する。またいわゆるゲイテッド・コミュニティも当事者主権のレトリックで擁護可能である。」

そんなこと、考えたこともなかった! が、言われてみたら、確かにその通り。直近の参議院選挙では「日本人ファースト」の旋風が一部吹き荒れたが、あれは「今ある『私』から『われわれ』の範囲を所与の『国民』や『民族』に設定し、その範囲のみを擁護する」「当事者主権のレトリック」そのものである。だが、そのレトリックの問題点も、しっかり仁平さんは指摘してくれている。

「自らが被抑圧者であることをアイデンティティ・ポリティックスの賭金としつつも、自らの抑圧性に対しても敏感であり、それを通して他者へと開かれる。」

そう「自らの抑圧性に対しても敏感」であるかどうか、が「当事者主権」が排除型になるか、包接型になるかの分かれ目であり、これが右派と左派の分岐点である、と。そして、優れた論考は、今振り返って読むと、その当時には主題化されていなかった別の議論との接続可能性をも内包している。

「多くの左派にとって、その『当事者主権』論は、その論理だけでは自らを記述しきれず、所与のカテゴリーやアイディンティを組み替えて他者へと跳躍し続ける、という論理の外部こそが重要な賭金となる。」

これは抽象度が高くてわかりにくいが、今ならインターセクショナリティとの接点として捉えることも出来そうだ。(インターセクショナリティについては、以前のブログも参照)

抑圧されていると感じる障害者男性も、実は女性差別という別の差別には加担しているかもしれない。障害のある女性であっても、例えば在日外国人や被差別部落の人には無関心かもしれない。このような、交差する様々な権力関係を前提に、「人種、階級、ジェンダー、セクシャリティ、ネイション、アビリティ、エスニシティ、そして年齢など数々のカテゴリーを、相互に関係し、形成し合っているものとして捉える」のがインターセクショナリティとして近年言語化されてきたが、このインターセクショナリティ概念の論点において、仁平さんの言う「所与のカテゴリーやアイディンティを組み替えて他者へと跳躍し続ける、という論理の外部こそが重要な賭金となる」のである。

そして、この本の主旋律は、ボランティアという言動に常につきまとう「偽善」という呪いとどう歴史的に向き合ってきたのか、である。それを<贈与のパラドックス>と述べている。

「近代的な権力は、善意を装い贈与するふりをして、決定的な負債を与える存在として概念化されてきた。<贈与>は、贈与どころか、相手や社会にとってマイナスの帰結を生み出す、つまり反贈与的なものになるというわけだ。この意味論形式を、本書では<贈与のパラドックス>と呼びたい。<贈与>表象は、<贈与のパラドックス>の意味論に準じた観察を不可避的に生み出す—これは本書の中核的な仮説/仮定である。」(p13)

善意に基づく贈与としてのボランティアが「偽善」と見なされる。その背景には、「善意を装い贈与するふりをして、決定的な負債を与える存在」としての「近代的な権力」がある。それは、「ボランティアこそ私の敵 私はボランティアの犬達を拒否する」と痛烈にボランティアを拒否した、花田えくぼさんの「ボランティア拒否宣言」とつながっている。仁平さんはこの文章を引用した後、「無償の、愛情に満ちた<贈与>行為こそが、『障害者』を障害者役割にとどめ、その可能性を根こそぎ奪っていく」(p34)と付け加える。これが「善意を装い贈与するふりをして、決定的な負債を与える存在」としての「近代的な権力」行使的ボランティアなのである。まさに、一見正しく見えるが矛盾した表象としてのパラドックスそのものであると言える。

本書はボランティアという言葉がどのように用いられてきたか、奉仕という類似概念とどう交錯しているかを丁寧に辿りながら、ボランティアに常につきまとう<贈与のパラドックス>がその時代時代でどのように表象され、あるいはそれと向き合ってきたのか、を歴史社会学として辿っている。そして、第二次世界大戦後、一般市民の戦争への動員論である社会奉仕と線引きするための、「社会の民主化」の二要件として、ボランティアには二つの要件が求められる(p94-96)。

①国家に対する社会の自立:民主化の前提として、国家と社会の不分明地帯に切り込みを入れ、社会を独立した審級として自律させること
②国家による社会権の保障:国が責任を負うべき社会権の保障を、肩代わり・代替・補完しないこと

ボランティアを少しでも囓ったことがある人なら、この二要件の厳格な遵守は難しいとわかると思う。①確かに戦時中の隣組による相互監視は、ボランティアとしてなされていた。だからこそ、そのような権力監視・行使の内面化を防ぐためには、ボランティアは国家から自立することは不可欠だ。とはいえ、そうなると、ボランティアの募集や、ボランティアの運営に国の補助金などを投入することは、そのボランティアの自立性を疎外することになる。しかし実際にボランティアを継続する上で、財政面もボランタリーで継続するのは難しい。そこで、登場するのが中間支援組織としての社会福祉協議会である。本書は実は「ボランティアを通じた社協分析」としても優れている。

②については、「ボランティア拒否宣言」のなかでも、「ボランティアの犬達はアテにならぬものを頼らせる」と書かれていた。ボランティアはするもしないも自発性に任されている。障害者介助だって、ボランティアは、したくなければ、しなくていい。でも、介助を受ける障害者は、してもらわないと生活していけない。その意味で、「国が責任を負うべき社会権の保障を、肩代わり・代替・補完」されると、「アテにならぬものを頼らせる」状態が続き、障害者の生存権が脅かされたまま、国の責任放棄が認められてしまう。だからこそ、障害者運動は介助の公的制度化を求めて「当事者主権」論を主張してきたし、21世紀になってやっと重度訪問介護のような形で、ボランティアの介助は国レベルでの制度化にこぎ着けたのである。その意味で、民主化要件①と②はめちゃくちゃ重要なのである。

で、先に述べかけた、社会福祉協議会の成り立ちを、仁平さんは以下のように整理する。

「社協は『施設や地域社会との間に、より緊密な有機的組織を作るのが第一のねらい』であったが、同時にそれを通して—町内会とは異なり—地域社会を民主化していくことも期待された存在でもあった。この社会福祉協議会の思想基盤は—実は共同募金を支える理論的根拠ともされていたのだが—アメリカで盛んであったコミュニティ・オーガナイゼーション論であった。コミュニティ・オーガナイゼーションとは、その主要な紹介者の一人でもある牧賢一によると、『当該地域社会における各種福祉団体の参加を原則として、それらの団体のもつ専門的指導計画の立案、社会資源の造成と活用、連絡調整、住民の福祉教育、ソーシャルアクションなどの諸機能を総合的に実践すること』と定義される。この時期のコミュニティ概念は、アメリカからのコミュニティ概念を、日本で大正期に定着した<社会>の想像力の中で捕捉していたという側面があるが、そのイメージのもと、『「われら意識」を根底とした福祉の社会的有機体機構を育成すること』だという理解があった。この点から、地域住民は、「われら意識」に貫かれた<社会>=コミュニティに対して主体的・自発的に参加していくということが肯定され、社協はその構造を作り出していくという主要な存在になる。」(p110)

この本を、2011年でなく、2025年に僕は読んで本当に良かった。まず、社協がこういう成り立ちで設立されたのは、僕は不勉強でうっすらとしか知らなかった。にも関わらず、社協の研修とか地域福祉活動計画策定のお手伝いに結構関わってきた。つまり社協実践にこの15年くらいの間に濃厚に関わり、姫路に引っ越して、関西のコミュニティワークの実相に触れる中で、社協に関してモヤモヤしてきたことが、この本を読んでクリアになったからである。

社協は、民主化要件①と②をクリアし、またその当時危機として迫っていた「『過度』の『民主化』=社会主義化」も警戒し、「地域においてアメリカ型民主主義を着床させる役割」(p109)として「上からの民主化」の役割として期待された存在が、その設立経緯にあった。「地域社会を民主化していくことも期待された存在」であった。だからこそ、「アメリカで盛んであったコミュニティ・オーガナイゼーション論」がその思想基盤にあり、「地域住民は、「われら意識」に貫かれた<社会>=コミュニティに対して主体的・自発的に参加していくということが肯定され、社協はその構造を作り出していくという主要な存在になる」未来を目指して、社協がスタートしたのである。

そして、民主化要件①と②とも関わるこの設立の当初目的を、真面目に護っているのが、関西のコミュニティワーカー達だと整理すると、僕の中で非常に合点がいくし、先月の地域福祉学会の大会シンポジウムで死ぬほどモヤモヤしたことも、氷解する。

今、地域福祉の業界では、コミュニティ・ソーシャルワーク(CSW)とコミュニティーワークの両者を巡る言説争いが激しい。前者の方は、NHKのプロフェッショナルにも出た、豊中市社協の勝部麗子さんに代表されるように、支援が必要な個人に寄り添い、その中から地域課題を見つけて解決していくアプローチである。彼女たちの活動は社会的に評価され、国もそのCSWの活動に着目し、重層的支援体制整備事業の中で、「断らない相談支援」「参加支援」「地域づくり」として制度化も果たした。そして、全国社会福祉協議会も、今年に改定した「社会福祉協議会 基本要綱 2025」のなかで、この重層的支援体制整備の担い手の主要なアクターとして活躍出来るように、名乗りを上げている。

ただ、これに対して、主に関西の社会福祉協議会の有志(関西社協コミュニティワーカー協会)が中心になって、反論している。

「社会福祉法の改正以降、特に包括的支援体制の自治体努力義務化により、地域福祉の政策化・施策化が進められました。その中で、社協が制度福祉の委託機関として位置づけられる傾向が強まり、社協の存在意義が「生き残り」の観点で語られるようになっています。事業委託による官民関係の主従化、また、地域福祉計画と地域福祉活動計画の行政主導の一体化が進むことで、社協の自律性・民間性が低下していることも課題です。」(「基本要項改定からこれからの地域福祉を考える研究会」報告書

2017年に姫路に引っ越してきて以来、関西の社協は住民自治や住民主体をすごく大切にしていて、それまで僕が付き合ってきた東の地域の社協とはずいぶん違うなぁ、と漠然と感じていた。それは単に関西が独特なのではなく、「事業委託による官民関係の主従化、また、地域福祉計画と地域福祉活動計画の行政主導の一体化が進むことで、社協の自律性・民間性が低下していること」への危機感である。そして、「地域住民は、「われら意識」に貫かれた<社会>=コミュニティに対して主体的・自発的に参加していくということが肯定され、社協はその構造を作り出していくという主要な存在になる」という社会福祉協議会の成り立ちが変質することへの異議申し立てを、関西のコミュニティワーカー達は行っているのである。そして、それは仁平さんの示した「「社会の民主化」の二要件」とも重なる。

①国家に対する社会の自立:民主化の前提として、国家と社会の不分明地帯に切り込みを入れ、社会を独立した審級として自律させること
②国家による社会権の保障:国が責任を負うべき社会権の保障を、肩代わり・代替・補完しないこと

今回、「社会福祉協議会基本要綱2025」は「国家と社会の不分明地帯」をより大きくするモーメントが働いている。それは、国家に対する社会の自立からの決別であり、「地域福祉の「推進」組織から福祉の「支援」機関化」への変節への危惧である。また、「福祉の「支援」機関化」になるということは、 「国が責任を負うべき社会権の保障を、肩代わり・代替・補完」する可能性の余地を拡げることへの危惧である。そう捉えた時、住民自治や住民の主体的活動を支援してきた関西のコミュニティワーカー達が、今回の基本要綱改正のどこに危惧を抱き、何に反発しているのかを理解する為にも、この仁平さんの優れた大著は補助線になるのである。

あれ、気がついたらボランティア論ではなく社協論を縷々述べてしまっていた。本書はボランティアと政治の関係について、あるいは右派と左派のボランティアがどのように変遷していったかも辿っていて、議論したい内容はいろいろある。なんせ、僕自身も阪神淡路大震災の後のボランティア経験が大きなきっかけになり、卒論は『ボランティアと政治』というタイトルで書いたし、その後入った大学院は、大阪大学大学院人間科学研究科ボランティア人間科学講座、というまさに震災後に出来たボランティアの学際的講座だった。だが、僕は東日本大震災の後の震災現場でボランティアをすることが出来ず、そのモヤモヤも抱えたままだった(その僕自身のボランティアへの挫折やモヤモヤは、『モヤモヤのボランティア学』の中に一章書いております)。そして、自分が所属した講座も、大阪外大の吸収合併に伴う阪大の学部改組の中で消滅してしまう。そういう意味では僕は「ボランティア講座の誕生と終焉」も垣間見てしまうのだが、そんな背景を持っているが故に、本書は他人事として読めず、自分事として読んだし、また読み返したい一冊である。

僕自身の前提を揺らす入門書

ある人を表題に掲げた優れた入門書とは、論じる対象者だけでなく、その対象者が追いかけているテーマについてもよい見通しを付けてくれる。今回、ふと気になってよくわからなずに読んだ一冊は、そんな読後感をもたらしてくれた。バトラーという思想家が『ジェンダー・トラブル』という本を書いているのは、クイズ王的知識で知っていた。でも、バトラーという人がどんな人で、その本は何を書いているのか、さっぱり分からない中で読んだ本は、目が覚めるような鮮やかな記述で一杯だった。

「ラディカル・フェミニズムが『家父長制』という男性優位主義を問題にしたとすれば、レズビアン・フェミニズムはさらに、『家父長制』が社会の基盤的な制度といての『異性愛』と密接に関わっていることを問題にし、批判するものだった。つまり、ラディカル・フェミニズムは男女間の非対称な関係を問題にはしたけど、『異性愛』に関しては自明視していて、『異性愛』を家父長制という制度の根本問題として焦点を当てたのがレズビアン・フェミニズムだったと言える。」(藤高和輝『バトラー入門』ちくま新書、p32)

家父長制や強いパターナリズムという男性優位主義は確かに変だしおかしいと思っていた。でも、自分自身はいまのところ異性愛と自認しているがゆえに、この自らの前提自体を疑うこと、つまりは「『家父長制』が社会の基盤的な制度といての『異性愛』と密接に関わっていることを問題にし、批判する」ことを、してこなかった。そして、それ自体が問題を作りだしている、とロジカルに指摘されると、全くその通りなのである。

「そしてまさに、この『不確実性』—つまり、オスに生まれたら男になるというわけではな必ずもないこと、男だったら女性を性的な対象とするわけでは必ずしもないこと、男っぽかったらベッドで能動的であるというわけでは必ずしもないこと、メスに生まれたら女になるというわけでは必ずしもないこと、女なら男性を性的な対象にするというわけでは必ずしもないこと、女っぽかったらベッドでは受動的であるというわけでは必ずしもないこと、等々—、その肯定こそ、『ジェンダー・トラブル』の核心にあるものだ。あるいは、この『不連続性』の観点からジェンダーを読むこと、それが『ジェンダー・トラブル』の試みなんだ。」(p96-97)

この短い文章で、著者は6回も「ない」を強調している。逆に言えば、異性愛規範が染みついているマジョリティ(例えば僕自身)は、こうやって一々否定されないとわからないほど、当たり前の認識として刷り込まれているのだ。おちんちんがついているのだから男であるのは、当たり前。その男が性的な欲望を持つのは当たり前。女のひとはベッドでは受動的なのは当たり前・・・。こういう「当たり前」の価値前提にくさびをうつ。

ちなみに「不連続性」とは「欲望のスタイル」と「ジェンダーのスタイル」との間の「不連続性(discontinuities)」と筆者は表現しているが、女っぽかったとしてもベッドでは能動的な人がいるし、男でも男性を性的に対象にする人もいる。その意味で、「欲望のスタイル」と「ジェンダーのスタイル」が必ずしも連続している訳ではないというのが、「不連続性」だし、私たちがジェンダーってこういうものと思い込んでいることを不確定にさせ、異性愛規範の常識を困惑させる(トラブルに陥らせる)のが『ジェンダー・トラブル』だと言われると、バトラーの当該本を読んだことがなくても、なるほどと頷く。それはぼくたちのジェンダーの価値前提を激しく揺さぶっているのだと。

「一般に『生来の本質』が『外側』に表出されたものとして考えられがちなジェンダーという『行為』だが、実は、その『行為/パフォーマンス』の反復や積み重ねによって、『内側』にあるとされている『本質(と想定されているもの)』があたかも最初から存在するかのように事後的に作られていく、というのがバトラーの見方だ。」(p74)

これは娘の服を見ていると、わかる。赤ちゃんのころの「おくるみ」はユニセックスというか、男女の見分けがつかない。そして、乳幼児で男の子っぽい服を着せている子は、女の子には見えないときがある。ただ、親はその子のジェンダーに合わせた服を買おうとする。我が家のパートナーは、そこを意識して、ピンクなど女の子っぽい色味の服を買い与えようとしてきた。僕が青色の靴などを買おうとすると、「それはダメ!」と即答していた。これは、「『生来の本質』が『外側』に表出されたもの」ではなくて、女の子なんだからかわいい服じゃないと、という異性愛規範の親がピンクの色の服を買って子どもに着せるという「『行為/パフォーマンス』の反復や積み重ね」があって、娘の「『内側』にあるとされている『本質(と想定されているもの)』があたかも最初から存在するかのように事後的に作られていく」プロセスを、親の僕自身が見てきたので、めっちゃわかる。

そして、バトラーはこのことを「ジェンダー・パフォーマティヴ・モデル」と命名した。なるほど、パフォーマンス(行為)によってジェンダーが事後的に作られていくんだね。確かに。

「今風に、そして皮肉を込めて、言い換えるなら、『あいつは女じゃない』とジャッジするあれらの連中、『女の子らしくしなさい』と余計なお節介を働く人たちは語の厳密な意味で社会構築主義者なのである。つまり、彼/女らは(自覚はないだろうけどさ)、『ジェンダーが生まれつき決定されるものではなく社会的に構築されるものであるという事実』を私たちに実は教えてくれていることになるんだ(どうもありがとう!・・・なんてね)。」(p109)

ルビンの壺の例も出てくるが、これぞ文字通り図と地の反転のような鮮やかな整理である。『あいつは女じゃない』『女の子らしくしなさい』と何の疑問もなく・考えることなく口から出てしまう人って、「これこそが女だ」「女らしさはこうだ」というのには何の疑いも持っていない、という意味で、本質主義者のように社会的に評価されてきただろうし、本人もそこを一ミリも疑っていない。でも、その言説はまさに先に取り上げた、ジェンダー・パフォーマティヴ・モデルそのものなのである。女らしい仕草を躾ける、強制することによって、女らしい行為がその人に身につき、その人は初めて女として認定される。これは、社会の中で女として構築されていく、という語の厳密な意味で、社会構築主義者なのである。本質主義者と自分でも思い込んでいる人が、社会構築主義者だったとは!

「彼/女らは(自覚はないだろうけどさ)、『ジェンダーが生まれつき決定されるものではなく社会的に構築されるものであるという事実』を私たちに実は教えてくれていることになるんだ(どうもありがとう!・・・なんてね)。」

なんと痛快で、今風で、皮肉を込めた、かつ論理的でぐうの音も出ないステートメントだろう。そして、藤高さんは「はい、論破」と切り捨てるような決めぜりふの場面でこそ、「自覚はないだろうけどさ」とか「どうもありがとう!・・・なんてね」という「柔らかい言葉」を意図的に差し挟む。ジェンダーに関係なく、ロジカルな文章は言い切りで強い言葉(敢えてそれを男性的な・家父長的な言葉、と使ってみたくなる)で運用するのが「当たり前」とされている学術界を熟知しながら、決めぜりふで「どやさ!」とぐうの音も出ないほど見得を切る場面で、きちんと「自覚はないだろうけどさ」という言葉を差し挟み、アカデミックな文章とはこういうものだと思い込んでいる人の常識を揺らす(トラブルさせる)。このあたりも、さすが!である。

この藤高さんの下敷きがあるからこそ、バトラーの『ジェンダー・トラブル』の序章の言葉が響いてくる(引用は藤高さんの本から)。

「『可能性を開くこと』がいったい何の役に立つというのかと疑問に思う人もいるかもしれないが、社会的世界のなかで『不可能な』もの、意味不明なもの、実現不可能なもの、非現実的なもの、おかしなものとみなされながら生きるということがどんなことであるか理解している人の中にはそのような疑問を投げかける人はいないにちがいない。」(p168)

この記述を読んで、この社会において「狂った人」とラベルが貼られた人が置かれている状況と構造的同一性がある、と繋がってきた。

幻覚や妄想、幻聴がある状態の人をさして、そうではない人は、あの人はオカシイとラベルを貼る。すると、ラベルを貼られる側は、「意味不明なもの、実現不可能なもの、非現実的なもの、おかしなものとみなされながら生きる」ことを強いられる。これはその人の内在的論理や唯一無二性を毀損されることでもある。一般の人に聞こえない声が聞こえたり、感じ方が違っても、それは間違っている訳でもオカシイ訳でもない。その人なりの内的真実(=アクチュアリティ)がありありとある。それを「不可能」だと閉ざすことは、マジョリティの横暴である。(このことについては昔、「「合理性のレンズ」からの自由 : 「ゴミ屋敷」を巡る「悪循環」からの脱出に向けて」という論文を書いたことがある。) 

だからこそ、クィア理論はmad studiesとある種の価値前提を共有しているのだな、とやっと繋がってきた。

「クイア(queer)というのはもともとは『変な』とか『奇妙な』とかを意味する形容詞なんだけど、そこから派生して、セクシュアル・マイノリティに対する侮蔑語として用いられるようになった言葉だ。日本語に直訳すれば『おかま』とか『変態』と訳すことができる。他者をいじめたり、傷つけたり、侮辱するために用いられるから、基本的には他称として用いられる言葉だ。ということは、『クィア・セオリー』とか『クィア・スタディーズ』というのは直訳すれば、『変態理論』とか『おかま研究』になるだろうか。なかなかインパクトのある“きつい”言葉だということがわかると思う。」(p219)

この文章を書き写しながら、藤高さんは実に知的に誠実で、相手にわかってほしいという思いに溢れていると感じた。「これくらいわかって当然だろ!」と自分の価値前提を相手に押しつけることなく、相手のわからないところに関して、相手がわかるレベル・理解できる価値前提まで立ち戻って、丁寧にひもとく。「変な理論」であれば、その言葉の意味性がわからない。でも、『変態理論』とか『おかま研究』とまでハッキリ表現してくれることで、そう自称することは、「なかなかインパクトのある“きつい”言葉だということがわかる」のだ。この知的誠実さによって、ぼくはクィア理論の名称の背景が、やっと少しずつ、わかりはじめた。そして、精神病院を廃絶した医師フランコ・バザーリアの言葉に行き当たる。以前書いたブログを引用しておく。

『精神疾患が存在しないなんて、私は言ったことはない。精神疾患という概念を私は批判するが、狂気を否定しはしない。狂気は人間的な状況だからである。問題は、この狂気にどのようにして向き合うかということである。この人間的な現象を前にして、われわれ精神科医はどんな態度をとり、そしてこの[狂気の]必要性にどう応えることができるだろうか。』

バザーリアが言った「狂気」を「クィア」と言い換えてみたくなる。

「精神疾患という概念を私は批判するが、クィアを否定しはしない。クィアは人間的な状況だからである。問題は、このクィアにどのようにして向き合うかということである。この人間的な現象を前にして、われわれ精神科医はどんな態度をとり、そしてこの[クィアの]必要性にどう応えることができるだろうか。」

実は半世紀以上前までは、同性愛を異常性愛とか倒錯などのラベルを貼り、精神疾患と同定し、治療の対象としてきた。実際には治療は出来ないので、隔離収容の対象になってしまっていた。その意味では、政治犯を精神疾患とラベルをはるのと同じような、「政治的倒錯」を精神科医は同性愛者に対してしてきた。その背景には、家父長制の前提である異性愛を所与の現実として受け入れて、同性愛者を抑圧してきた歴史に、精神医療も加担してきた。その意味で、精神疾患という概念は厳しく批判されなければならないが、クィアは人間的な一つの状況として肯定されるべきだ。バザーリアの狂気の肯定の論理は、同じように『変な』とか『奇妙な』とされてきたクィアにも当てはまる。

その意味で、普段無意識・無自覚に使ってしまう「私たち」という表現そのものをも、藤高さんは問う。

「『家父長制』が“すべての女たち”に対する差別や暴力を説明する概念として振りかざされてしまうと、例えば『白人女性』と『黒人女性』『第三世界女性』・・・、それらの『女たち』の経験はみな『家父長制によって性差別を受けている女性』として一様に同じものとして扱われてしまうことになる。その結果、それらの『女たち』のあいだにある際は無視され、それどころか、西洋フェミニズムの下に『植民地化』されてしまう。」(p107)

家父長制を糾弾するために“すべての女たち”と使うことによって、異性愛のフェミニストはレズビアン・フェミニストの異性愛原則を押しつけられ、異性愛フェミニズムに「植民地化」されていた。そのことへの強烈な異議申し立てはこのブログの冒頭でも述べた通りである。同じように、「白人で中・上流階級で健常者の女性」のフェミニズムが是とされると、別の経験をしている「黒人の」「下層階級の」「障害のある」女性の差異のある経験が無視され、「植民地化」されてしまう。このような一元的な植民地化に抗うために、「交差する権力関係が、様々な社会にまたがる社会的関係や個人の日常的経験にどのように影響を及ぼすのかについて検討する概念」としてのインターセクショナリティ概念が出てきた(このことについてはブログでも検討しています)。

藤高さんもこのインターセクショナリティが産まれてきた背景についても言及している。

現実に存在しているのに『いないことにされる』ことになってしまうという差し迫った状況があったんだ。まさにそのような『抹消』に抗して生まれのが『インターセクショナリティ』なのである。」(p181)

これも以前ブログに書いたが、米津知子さんという女性障害者運動家が「モナ・リザ」にスプレーした事件を思い出してみても、米津さんは障害があり女性であるという二重の抑圧経験を持ち、「現実に存在しているのに『いないことにされる』ことになってしまう」というリアリティに対して、まさに「抹消」に抗してああいう行動を取ったのではないか、という妄想すら浮かぶ。

長々と書いたが、最後に藤高さんの知的誠実さが現れている場所をもう一カ所だけ引用しておきたい。それは『ジェンダー・トラブル』の日本語訳者である竹村和子さんへの言及箇所である。藤高さんは、原著を読んだ上で、竹村さんの翻訳とは違う解釈をいくつか提示している。その上で、以下のように言明している。

「読者のなかには私が竹村さんの訳に“いちゃもん”や“難癖”をつけているように思う人もいるかもしれない。でも、私は竹村さんの翻訳を介してバトラーに出会ったし、竹村さん自身の著作や論文に多大な影響を受けた人たちのひとりだ。もし竹村さんがいなければ、研究者としての私の存在は影も形もなかったにちがいない。だから、私が竹村さんの訳に“いちゃもん”や“難癖”をつけているにしても、それは私の竹村さんへの愛の表明、彼女に対する私なりの恩返しと考えて欲しい。」(p121)

この本を通じて、藤高さんはものすごく聡明でロジックもクリアだ、と受け取った。だが、自分の情報処理能力やCPUの高さを「はい、論破!」という形で相手を毀損するために用いていない。「私が竹村さんの訳に“いちゃもん”や“難癖”をつけているにしても、それは私の竹村さんへの愛の表明、彼女に対する私なりの恩返しと考えて欲しい」という言明は、自らの「すごさ」を賢しらに主張するのではなく、竹村さんの翻訳があったからこそ自分がいま・ここにいるのです、という先達への敬意溢れた表現である。そしてまさにそれこそ、アカデミズムの「正統派」なのである。

「『引用とは』、とサラ・アーメッドは語っている。『アカデミックなレンガであり、わたしたちはそれを使って家を建てる』。たとえば、『哲学』は明白に、白人の、異性愛者の、シスジェンダーの、健常者の男性たちからの引用=レンガから成る建造物である。その建造物はある人たちにとっては居心地のよい住処であり、ある人たちにとっては居心地の悪い場所であり、目の前に高く聳え立つ堅牢な壁である。引用—誰を、何を、どのように引用するのか—は決して事実中立的な行為ではない。それは政治的な行為なのだ。」(p257)

先行研究を引用する事は、一見すると価値中立であり事実中立的な行為に思える。でも、「『家父長制』が社会の基盤的な制度といての『異性愛』と密接に関わっていることを問題にし、批判する」論者の先行研究を引用しなければ、気づいたら異性愛規範を前提としている可能性がある。狂気を否定し精神疾患のみを肯定する言説を引用するうちに、生物学的精神医学の狭隘な枠組みから出られなくなってしまう(この問題点も、他のブログに書いてみた)。

つまり、藤高さんやバトラーは、「政治的な行為」として意識的・自覚的に引用している。だからこそ、本書の冒頭でファックやブッチやフェムなどの、学術書ではあまり見ない表現を引用して議論して、最初面食らったが、読み終えてみれば、そこに面食らう僕自身が「ジェンダー・トラブル」に面食らうという意味で、大切な通過儀礼への誘ってくれたのだ。この力量、しかもこの軽やかな文体で、本質を射貫く文体は、ほんまにすごいと思った。藤高さんの他の著作だけでなく、おずおずとバトラーの『ジェンダー・トラブル』も注文してみることにした。読めるかはわからないけれど。

二項対立的な枠組みをずらす

オンライン研究会で何年もご一緒している増渕あさ子さんの『軍事化される福祉(ウェルフェア) 米軍統治下沖縄をめぐる「救済」の系譜』(インパクト出版会)をやっと読み終えた。

軍事(warfare)は一見すると福祉(welfare)と相反するように思える。だが、米軍統治下だけでなく、そもそも戦前から地続き的に、沖縄では「救済」的な視点の中に「植民地支配」の暴力が内包されていた、ある種の同時並行であり時として共犯関係にあった歴史を丹念に辿っていく。一章では「アメリカ人宣教師」、二章では「公衆衛生看護婦」、三章では「ハワイ沖縄移民」、四章では「土地闘争の主体者」である。誰が救済の主体か、によって、その内実が大きく変化している。

一章「『神に見捨てられた島』で」では、「聖書とともに生きる村」というキリスト教的物語(ミショナリー・フィクション)の構造的問題が描かれている。

「聖書に象徴されるキリスト教信仰が『敵』と『味方』を峻別する文化的指標として機能している。誰が生きて、保護される価値があり、誰が『戦争の惨禍』の中に放置され、死ぬ運命にあるかを裁断する境界線として機能するのである。キリスト教は、米国社会において他者に関する公的言説を形成してきただけでなく、実際に冷戦政策構想の上で重要な役割を果たした。」(p45)

増渕さんはフーコーの生政治の概念を本書の下敷きに用いているのだが、これはまさに「誰が生きて、保護される価値があり、誰が『戦争の惨禍』の中に放置され、死ぬ運命にあるかを裁断する境界線」を当事者以外の誰か=権力側が保持している状況を指す。一般にキリスト教ではその裁断主体者は「神=キリスト」なのだが、植民地においては宣教師や軍隊が、その神の代理人として、神の論理に従順な人を「味方」とし、その論理に従わない・脅威となる人を「敵」と見なす。沖縄においては「ユタ」が最大の「敵」であった。戦後沖縄にキリスト教が他の植民地ほど根付かなかったのは、沖縄戦で生まれた膨大な「不幸な死をとげた者の魂(マブイ)」を鎮魂するためには、宣教師ではなく、ユタの需要が急増していったからである(p61)。植民地的な救済には相容れない鎮魂が、沖縄では求められていた。

第二章では、医療者が極端に不足していた戦後沖縄で養成された公衆衛生看護婦(公看)を主題化する。その際、注意しなければならない視点を増渕さんは指摘する。

「戦後沖縄の歴史学では、植民地主義に関する他の分野と同様、沖縄の人びとと米軍の関係を記述する際、しばしば『抵抗/協力』という二項対立図式が用いられてきた。鳥山は、このような枠組み自体が、沖縄社会の分断を再生産し、悪化させてきたと批判し、こうした分析枠組みから慎重に距離を置いている。そして、軍事主義の論理がいかに沖縄の現実を形成しており、人びとが米軍に協力せざるをえない状況を生み出しているかに焦点をあてている。」(p86-87)

先に「「聖書に象徴されるキリスト教信仰が『敵』と『味方』を峻別する文化的指標として機能している」と引用したが、「『抵抗/協力』という二項対立図式」も、まさにキリスト教的な植民者の論理である。だが、実際には「人びとが米軍に協力せざるをえない状況」という抵抗と協力の「あいだ」の状態があり、その中で人びとは協力しつつもその枠内に収まらないという形で抗ってきたのである。その「あいだ」の存在として公看を描こうとしている。

「公看は、占領下沖縄社会が抱えていた矛盾をより鮮明な形で体現し、またそれを間近で観察していた。彼女たちは、慢性的な医師・医療施設不足に悩まされていた米軍統治下沖縄社会で、地域医療の重要な担い手となった。米軍からは主として、基地周辺のいわゆる『キャンプタウン』における性病管理の担い手となることを期待されたが、実際の彼女たちの任務は生活改善、母子保健指導、衛生教育、結核予防、限定的な治療に至るまで多岐にわたるものであった。生活福祉に関わるあらゆる住民が必要とするもの/要求(ニード)を見つけ出し、自分たちの任務(ケース)として引き受けていった。」(p87)

自分たちは戦後沖縄の地域医療を支えたいと、アメリカ式の教育を受けて、公看になった。そのプライドを持って、「生活福祉に関わるあらゆる住民が必要とするもの/要求(ニード)を見つけ出し、自分たちの任務(ケース)として引き受けていった」。医師不足で日本の法律が適用されないという例外状況の中で、離島や郡部においては、この自由裁量に基づいた、創発的な仕事を展開できた側面「も」公看にはあった。でも、その一方、米軍が公看にミッションとして求めたのは、「『キャンプタウン』における性病管理の担い手となること」であった。この二重性は、公看内部でも矛盾や葛藤を生み出す。

「沖縄における性病対策は、占領者と被占領者の間だけではなく、沖縄女性たちの間にも境界線を引き、それを強化していたことがうかがえる。そこで公看は、職業行為を通して家父長制的異性愛規範を反復し再生産することによって、『敗戦の女達』との間に境界線を引いていた。」(p110)

「敗戦の女達」も公看同様、戦争の犠牲者である。だが、一方は植民地政府の庇護下の中で公看という性病管理の「専門職」として、他方は生活の糧としてキャンプタウンで自らの身体を売らざるを得ない売春婦として、境界線が引かれていく。それは、公看の内面であった差別意識、だけではなく、「職業行為を通して家父長制的異性愛規範を反復し再生産する」ことであり、その家父長制的異性愛規範は、まさにキリスト教的な前提に基づく支配者の米軍が求めたものでもあった。これも『抵抗/協力』という二項対立図式では描けない世界である。

第三章では、主にハワイに戦前に移住した沖縄人が、戦後の沖縄を救済しようと同胞として救済しようとしたプロセスが描かれている。ただ、ここにも、「軍事化された潮流」があったと増渕さんは述べている。

「『命を生かす』ことを本来の目的にしていた生政治的なプロジェクトは、実のところ、冷戦期アジア太平洋を横断するように拡大した軍事化・軍事介入による、いわゆる『殺す権力』の回路と緊密に連携しながら実施されていたのである。」(p149)

「命を生かす」ことと「殺す権力」の回路との緊密な連携とはどういうことか。増渕さんは「救済運動が帯びていた両義的な性格」として整理する。

「郷土の救済と解放を望めば望むほど、少なくとも公的には被占領民の救済と民主化を掲げていた米軍の沖縄統治計画と限りなく接近してしまう。」(p179)

アメリカに移住した沖縄人にとって「郷土の救済と解放」は、同じ郷土の同胞たちの「命を生かす」プロジェクトだった。だが、その救済と解放という理念そのものが、「公的には被占領民の救済と民主化を掲げていた米軍の沖縄統治計画」と通底している。その意味では、「拡大した軍事化・軍事介入による、いわゆる『殺す権力』の回路」と、繋がってしまうし、その影響力の範囲の中に組み込まれてしまう。占領者の論理や磁場に強く引きつけられてしまうのである。

第二次世界大戦中、敵国民と見なされたドイツ系や日系アメリカ人が、「モデル・マイノリティ」の兵隊として志願し前線で戦っていた。それと同じように、日系移民も「米国への忠誠を示す日系人」という「モデル・マイノリティ」(p169)として振る舞うことが期待されていた。その期待の内面化は、実は公看に求められた期待と同一地平上であった。これはまさに「救済と解放」が持つ米軍統治への協力の論理と同じである。その一端を担ってきた湧川清栄は、この矛盾について以下のように語っていた。

「琉球大学は急速に延びて大変立派な大学になりました。この大学はあくまで封建主義、天皇崇拝、軍国主義の温床である文科省によってあやつられている、いわゆる御用大学であります。(略)琉球大学の益々の発展を私は希望しますが、ただ植民地大学には転落しないでください。」(p203)

彼は戦後初期のハワイで沖縄の救済と再建のために大学設立に奔走した。だが、占領政府主導で出来た琉球大学は「植民地大学」であり、沖縄返還後に文科省に引き継がれた後も、「封建主義、天皇崇拝、軍国主義の温床である文科省によってあやつられている、いわゆる御用大学」である。この叫びは、「命を生かす」ことと「殺す権力」の回路との緊密な連携への苦痛の表明でもあるといえそうだ。

そして第四章では、「救済と解放」に抗う土地闘争を「『命』を乞う」という形で主題化している。自分たちが先祖代々受け継いできた土地を、強制的に「私有財産」として米軍による「買い上げ」の対象となった際、命がけで拒否する伊江島の住民が取ったのは、「乞食」だった。

「乞食することを、法に触れる恥ずべき行為としながら、それ以上に、武力でもって土地を取り上げ『乞食させる』ことこそが恥であると、米軍の暴力を糾弾している。土地から追い出され、生活基盤を奪われた人びとにとって、『法に触れる』乞食こそが、生きのびるための戦略となった。逆説的にいえば、『乞食する』という行為の、その無法性(lawlessness)ゆえに、米軍が行使し続けている主権権力に抗い、異議申し立てをする発話行為となりえた。すなわち、米軍によって強制された補償を受け入れて、『救済の法』の対象になるかわりに、自ら『乞食する』ことを選びとることで、強いられた『チョウダイ』という行為を、生への意思を表明する政治的・主体的行為へと転倒させたのである。」(p240)

先の公看やハワイに移住した沖縄人たちは、モデル・マイノリティとして、『救済の法』に協力し、その枠組みに従いつつも、植民地主義に抗おうとすき間を探していた。その一方、強制的・暴力的に土地接種をされていた伊江島の住民達は、「乞食」という形で触法行為をしながら、「武力でもって土地を取り上げ『乞食させる』」米軍の暴力を浮き彫りにさせる。法に触れる行為をさせるのは、法制定をして統治する米側にある。そこから、「『乞食する』という行為の、その無法性(lawlessness)」が浮き彫りになってくる。その無法性を際立たせるための「米軍が行使し続けている主権権力に抗い、異議申し立てをする発話行為」=パフォーマンスとしての「乞食」だというのだ。そして、この「生への意思を表明する政治的・主体的行為」は、終章におけるキャンプタウンの「コザ騒動」にもつながっていく。

僕は個人的に沖縄が好きで、プライベートで沖縄に毎年のように通い、昨年あたりから、沖縄の地域福祉や障害者福祉の人びとと仕事で交流をするようになってきた。その中で、沖縄に関する論考もぼちぼち読み進めてきた。沖縄こども調査などで、「いまだ2~3割の世帯が困窮世帯で深刻な状況にあるといえる」と指摘されていることも、眺めてきた。

その沖縄の貧困や困窮、生活支援の困難性の福祉課題のルーツとして、「軍事化された福祉」があり、『抵抗/協力』という二項対立図式がもたらした分断の歴史がある。このこんがらがった糸をほぐして理解するためには、沖縄の福祉の辿った道のりを歴史的に分析する増渕さんのような視点が必要不可欠だ。そして、この本では日本への返還以前の沖縄の歴史が整理されているが、その地続きとして、そこから半世紀の日本政府のアプローチの仕方を眺めていく必要があるのだと思う。

そういう意味で、沖縄の福祉を考えるのは、トランスパシフィックな視点に立った文脈と、日本政府の残余的福祉のあり方の交差性を捉える必要がある。

「戦後沖縄に関する学術研究はこれまで、協力と抵抗、支配と被支配の二元論に回収されてしまうか、あるいはそのいずれかの立ち位置に重心を置く傾向にあった。このような枠組みは、ある人びとがなぜ『基地との共存』のように見える道を『選択』したのか、そもそもなぜ『基地による経済発展』か『抵抗』か、いずれかを選択するように仕向けられているのか、といった問いの立て方を阻んでいく。
本書は、福祉と軍事主義の連携を分析するとともに、こうした状況でも、住民をケアし、命を守ろうとした人びとの日常的な抗い—『生への意思』—に焦点をあてたが、こうした視座が、これまでの二項対立的な枠組みをずらすことに少しでも寄与できればと願っている。」(p289)

そう、二項対立のほうがわかりやすいが、そのわかりやすさでは見えなくなっていることや、二項対立の図式を選択させるように仕向けた統治権力への問いを覆い隠していることを、本書では実感することができた。それと共に、日本人宣教師も、公看も、ハワイやアメリカでの沖縄人も、「乞食」闘争の人びとも、「二項対立的な枠組みをずらす」営みを続けている。そして、それは現在の沖縄の地域福祉や障害者福祉の現場でも、その潮流は続いているのではないか。そんな妄想を抱くこともできる。今度出張した時には、そういう議論もしてみたいと思った。

増渕さんの本は、本当に豊かな問いを生み出してくれるし、考えるきっかけを与えてくれる魅力的な一冊だった。

追記:ちなみにいきなり学術書を読むのはハードルが高いと思う人は、増渕さんのインタビューポッドキャストおすすめ。「第91回 増渕あさ子さんインタビュー『軍事化される福祉(ウェルフェア)〜米軍統治下沖縄をめぐる「救済」の系譜』」