この原稿は、日本知的障害者福祉協会の出している「さぽーと」第61巻第2号に掲載された文章です。入所施設で働く職員や施設長が読まれる雑誌で、お題は「共生社会の実現に向けて」だったので、少し踏み込んだことを書いてみました。長いので、お暇と時間がある方は、どうぞ。
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「私たちが目指す共生社会の実現に向けて」
<はじめに>
「共生社会の実現に向けて」とは、一見すると、支援現場で働く「あなた」にとっては、すごく遠い「お題目」に見えるかもしれない。だが、知的障害のある人と支援者が日々どう向き合っているか、という目の前の課題の「捉え直し」が、共生社会の実現という大きな社会構造にも少なからぬ影響を与える。そのことを、具体例に基づき、考えてみたい。
<フィールドワークの現場にて>
10年以上前、とある入所施設で調査研究を行う際、まずはその施設の実情を学ばせてもらおう、と「一日体験」をさせてもらった。私が受け入れられたのは「重度棟」と呼ばれ、強度行動障害を持つ方や、重症心身障害の方が入所されていた。その棟に足を踏み入れてまもなく、何も言わずにスッと近寄ってきて、私の手を握ってくれた男性がいた。仮にAさん、と呼ぼう。
Aさんは言語的コミュニケーションが難しい方である。私が色々話しかけても、何も答えてくださらない。でも、ずっと手を握って、施設内をあちこち動こうとする。「なるほど、今日は一日Aさんが私にお付き合いしてくださるのだな」と勝手に納得して、手をつながれるまま、施設内をぶらぶらしていた。その後、とある「事件」が起こることなど、全く予期せぬまま。
Aさんと私は、日中はデイルームとして開放されている、食堂の片隅に座っていた。やがて夕食の配膳の準備が始まると、支援スタッフがそこにいた当事者のうちの何人かを食堂の外に出し、食堂の扉の鍵を一旦施錠する。多くの利用者は、食堂の外からガラス越しにこちらを眺めている。私とAさんはその光景を、食堂の中からぼんやり見ていた。
そして、支援スタッフは当日の夕食の配膳を始めた。味噌汁にご飯、おかずと各テーブルに並べていく。Aさんと私が座っているテーブルにもその食事が並べられていった。すると突然Aさんは、目の前のおかずを猛烈な勢いで食べ出した。必死の形相で、目の前の一人分だけでなく、他の人の分まで食べようとする。私はオロオロして、「Aさん、食事時間まで待とうよ!」と語りかけ、ご飯を食べる手を押さえようとするものの、Aさんは食事に集中して聞いてくれない。するとベテランスタッフ達が「しまったなぁ」という顔でやってきて、暴れて抵抗するAさんを二人がかりで抱きかかえ、食堂の外に連れ出す。オロオロしながら後から私もついて行くと、「静養室」と書かれた部屋にAさんを入れ、外から鍵をかけた。Aさんは必死に扉をガンガン叩いているが、あるスタッフは「もう今日の晩飯は十分に食べたから、オシマイ」と言って、食堂に戻っていった。
後でそのスタッフに伺うと、食堂の配膳時には、きちんと食事まで待てる人以外は外に出ておいてもらわないと今日のようなことが起こるということ、そしてAさんは普段は外に出される人であるということ、今日は私が一緒にいたのでそれをしなかったこと、が語られた。私には、「静養室」の中から扉を叩きながら私を見つめるAさんの表情が、今でも脳裏に浮かぶ。そして、「静養室」から出された後のAさんは、私と目を合わせず、決して手もつないで下さらなかったことも・・・。
<どちらの視点で眺めるか>
このエピソードを誰の視点で眺めるか、によって、見えて来る風景は大きく異なる。
まず、支援者の視点で眺めてみるならば、私の行為は「招かれざる客」による、「秩序を乱す行為」に映ったのかもしれない。ただでさえ少ない人員配置基準で、特に夕食時の配膳にも時間がかかる。その際、Aさんのように支援者の制止が聞かない利用者は、外に出しておくしかない、というのは、この棟でのある種の「裏ルール」である。なのに、外部者(私)がそのルールを破ったが故に、面倒なことになった。こっちだってAさんの気持ちを尊重したいのは山々だが、管理栄養士が一日の栄養バランスをきっちり調整してくれている食事なので、みだりにその量や内容を変えたくはない。そもそも、Aさんにじっくり付き合いたいが、50人の入所者を数人のスタッフで支援する為には、その余裕はない。すると、申し訳ないが、手のかかる事態になった場合は、静養室で落ち着くまで居てもらうしかない。言葉でそのことを伝えてわかっていればいいのだが、あいにくAさんはそれもわかってくれないので、力尽くでもそうするしかない・・・。
この視点も、支援者側にとっては、一つのリアリティを構成している。だが、別の視点で眺めてみると、別のリアリティも浮かぶ。
Aさんには、重い知的障害があり、言語的なコミュニケーションは取れない。IQ測定不能、と言われる。気に入らない・思い通りにならない事が起こった時には暴力行為を起こす、と記録されている。だが、Aさんは、他者との日常的接点を求めている人かもしれない。他人と手をつないでいると、安心感が広がり、心穏やかでいられる。いろいろと感じることも、考えることもあるのだが、とにかくそれを言葉として表現する事が出来ない。また、支援者が言うことは聞こえていても、どう判断し、考えればいいのか、を落ち着いて整理出来ない。また、そのような経験も少ない。その昔、家族と共に暮らしていたときは、食事だって自分の分がしっかり用意され、自分のペースで食べる事も出来た。だが、今暮らしている施設では、他の人に取られてしまう心配もあるので、とにかく早く食べなければ、とガムシャラになった。あと、不安が強くなると目の前のことしか見えなくなり、言葉や行為で制止されても、その意味がわからず、ますます不安が強まり、必死に反発する。本人にとってはSOSの自己表現なのだが、それが「暴力行為」と見なされて静養室に閉じ込められる。でもAさんは、不安故に必死になっているだけなのに、なぜそれで閉じ込められるのか、さっぱり理解できず混乱は深まり、必死に扉を叩いて抵抗する。「ここは恐ろしいところだ」と恐怖を感じながらも、毎日を必死で生きている・・・。
<グレーの立ち位置から>
このような整理の仕方には、様々な「反応」が考えられる。
「Aさんの日常生活を支援していない『外野』は、好き勝手なことを言える」「現場の苦労も知らないくせに」「うちにもAさんのような人はいそうだ」「やってもいないものが、余計な口出しをするな」・・・
断っておきたいが、私は裁判官でも評論家でもない。どちらの、誰の見方が「正しい」「悪い」と査定・糾弾したい訳ではない。ただ、知的障害のある人との「共生」を考えるなら、上記の二つの見解の相違をつなぐ橋を架けなければならない、と考えている。その際、大切なのは、白と黒、善と悪を二項対立的に並べることではなく、むしろグレーの位置から考える、ということである。ジャーナリストの佐々木俊尚は、自らの新聞記者経験の自戒を込めて、次のように整理している。
本来われわれは絶対者ではない。絶対的な悪でもなく、絶対的な善でもない。その悪と善の間の曖昧でグレーな領域に生息している。しかしそのグレーな領域で互いの立ち位置を手探りでたしかめている状態、その状態こそが当事者である。われわれはそういうグレーな領域のなかに生息することで、つねに当事者としての立ち位置を確認する。グレーな領域こそが、インサイダーの本質なのだ。そしてこのグレーを引き受けることこそが、社会をわれわれ自身で構築するということにほかならない。(佐々木俊尚『「当事者」の時代』光文社新書、p361)
知的障害のある人に関わる支援者も、「グレーな領域に生息している」。ゆえに、徹底的に当事者主体を貫くことも、逆に徹底的に支援者主導を貫くこともできる。
当事者主体を本気で貫くならば、集団管理や一括処遇をしなければ運営が成り立たない入所施設の人員配置基準そのものを問わざるを得なくなる。2011年8月に出された『障害者総合福祉法の骨格に関する総合福祉部会の提言』のパーソナルアシスタンスの定義の中で言われた、「1)利用者の主導(支援を受けての主導を含む)による、2)個別の関係性の下での、3)包括性と継続性を備えた生活支援」こそが、知的障害のある人への個別支援にも必要不可欠な制度だ、と感じるようになる。すると、入所施設という構造そのものへの問いが生まれて来る。
一方、支援者主導を重視するなら、重度障害者の安心・安全や「親亡き後の我が子の幸せ」を現実的に護るセーフティーネットの機能として、入所施設は必要不可欠だ、と整理出来る。その入所施設の人員配置基準そのものが低い現行法内で対応するには、少ない人数で効率的に当事者を支援する事も求められるため、時には「支配」的な関わりをしても、「しかなたい」とされる。そして、集団管理と一括処遇を続け、なかなかじっくりと一人一人に関われない中で、支援者の口頭での指導で応じない当事者に対しては、時として強制的な「指導」をすることも「やむをえない」雰囲気が出てくる。
支援をする「支援当事者」も、「グレーな領域に生息している」。ただ、支援者のあなたがそのグレーを「どう」引き受けるか、で、どのような「社会をわれわれ自身で構築する」のか、が変わってくる。そして、それはあなた自身が、社会をどのような「枠組み」で捉えているか、で変わってくる。
<二つの視点>
具体的に考えてみよう。私はしばしば講演で次の「二つの視点」を用いて皆さんに問いかける。あなた自身は、普段どちらの視点で物事を眺めていますか、と。
①「○○法・制度・体制での現実」の分析
・ 法自体やその枠組みを自明で変えられないもの(暗黙の前提)とし、「出された法・制度・体制の中でどう今の現実・事業・問題に適用しようか」と考える
・ 社会システム適応的視点(目の前のものを見る)
② 「法・制度・体制の枠組みや問題点」の分析
・ 制度や法内容を知った上で、その内容・説明を「鵜呑み」にしない。「私や私たち、地域の皆が豊かで自分らしく生きていける社会を作るためには、どこが問題・ツボなのか?」という視点から、法や制度、データを検討する
・ 社会システム構築的視点(鳥の目でものを見る)
「現実主義」を標榜する人ほど、①の視点で見ているかもしれない。確かに、②は一見すると理想論を追いかけるだけで、現実と乖離しているように、見えなくもない。だが、ここで問いかけたいのは、「法自体やその枠組みを自明で変えられないもの(暗黙の前提)」とする、という視点である。実は、知的障害のある人との共生を妨げているのが、法や制度の枠組みそのものである、としたら、どうだろう?
一人一人の支援当事者が、一生懸命、心を込めて知的障害者に向き合いながら支援をしていても、その現場の、一法人や一個人の努力だけでは解決出来ないことがある。それが、「重度障害者は入所施設での支援が『当たり前』」とされる制度設計であり、入所施設では個別支援が不可能で集団管理型一括処遇をせざるを得ない人員配置基準である。また、グループホームも20人以上の大規模型でも「しかたない」とされる論理である。
率直に申し上げて、これらの法制度の枠組みには「どうせ」「しかたない」の壁が立ちはだかっているように、私には見える。「昔から決まっているから(社会保障費はこれ以上増やせないから、知的障害者は生産性が低いから、国民の理解が得られないから・・・)」「どうせ」「しかたない」の壁。だが、これらの「出来ない100の理由」こそが、知的障害のある人との「共生」を妨げる最大の壁ではないのだろうか?
<枠組み外しの旅>
こう書くと、「そんなこと言われても、一人の支援者が法や制度、システムに関わる事など出来る訳がない」という批判が来るかもしれない。確かに、あなたや私「だけ」では、マクロな現実は変わらない。でも、社会やシステムの総体を変える前に、まず、あなたや私の関わり方そのものを、変える必要はないのだろうか? 社会システムに対する「どうせ」「しかたない」という「諦め」や「出来ない100の理由」を、知的障害のある人への支援の際にも、無批判に適応・転嫁していないだろうか? そうではなく、現場レベルから、「出来る一つの方法論」を徹底的に考え抜く実践を展開出来ているだろうか?
2012年に出版した『枠組み外しの旅-「個性化」が変える福祉社会』(青灯社)の中で、私自身が問い続けてきたのは、これらの問いであった。「支援当事者」は、支援対象者と関わり合う中で、支援を構築している。その際、支援制度やシステムという「所与の前提」の中で、関わり合うことが基本とされている。だが、その支援現場で、「支援当事者」であるあなた自身の関わり方を変えたら、個人やシステムそのものに影響を及ぼすことも、不可能ではない。あなたや私が変わる事で、あなたや私が関わる世界に変化をもたらすことが出来る。その渦は、最初は小さくても、やがて渦が拡大する中で、あなた自身の「個性化」にもつながり、それは社会変容とも重なるのではないか。それを論じた。
その実例が、スウェーデン人のベンクト・ニィリエである。彼は、知的障害者の家族会(FUB)のオンブズマンをしていた1960年代に、知的障害者が処遇されている数多くの入所施設・特殊病院を訪れた。そして、入所施設の個々の支援(現象)に共通するパターンや構造が集団管理型一括処遇である、と気づき、それは「アブノーマル」である、と結論づけた。それを変える為に、1969年、「ノーマライゼーションの原理」(注1)を発表した。
1,ノーマライゼーションは、知的障害者にとっての一日のノーマルなリズムを意味している。
2,ノーマライゼーションはまた、ノーマルな生活上の日課も含んでいる。
3,ノーマライゼーションはまた、本人にとって意味のある休日や家族と一緒に過ごす日々を含む、一年のノーマルなリズムを経験することを意味する。
4,ノーマライゼーションはまた、ライフサイクルにおけるノーマルな発達的経験をする機会を意味している。
5,ノーマライゼーションの原理はまた、知的障害者本人の選択や願い、要求が可能な限り十分に考慮され、尊重されなければならないことを意味している。
6,ノーマライゼーションはまた、男女が共に住む世界に暮らすことを意味する。
7,知的障害者にできるだけノーマルに近い生活を獲得させるための必要条件とは、ノーマルな経済水準を適用することである。
8,ノーマライゼーションの原理で特に重要なのは、病院、学校、グループホーム、福祉ホーム、ケア付きホームといった場所の物理的設備基準が、一般の市民の同種の施設に適用されるのと同等であるべきだという点である。
ニィリエが提示したこの「8つの原理」は、「出来ない100の理由」ではなく、「出来る一つの方法論」の提示であった。この原理に基づいて、欧米でも、日本でも、知的障害者本人の「ノーマルな生活環境」の構築が進められてきた。スウェーデンでは、1999年12月31日までに入所施設を全廃する法律まで作り、実際に2003年にはゼロになった。それは、パーソナルアシスタンスなど地域で支援する制度を知的障害者の権利として保障するLSSという法律が作られたからこそ、実現した成果であった(注2)。
つまり、ニィリエ個人の「枠組み外し」は、それが「原理」として示される中で、多くの人や社会に影響を与えた。1960年代には入所施設ケアという「枠組み」は、世界的に変えられない「常識」であった。だが、このニィリエの「枠組み外し」の「原理」は、その後たった30年で、スウェーデンでの入所施設ケアを終焉に導く原動力になったのである。あなたの支援現場では、この8つの原理は護られているだろうか? 「出来ない100の理由」と「出来る一つの方法論」のどちらが重視されているだろうか? これらの問いかけは、知的障害を持つ人との共生を考える上で、大切な問いとなる。
<セルフアドボカシーについて>
ところで、このニィリエの提唱した8つの原理の中で、当時、家族会から最も反発が強かったのが、5の自己決定・自己選択の原理であった。「自分独自の意見や考えを持つこと」は、親の支配下からの「巣立ち」を意味している。「そんなこと出来るはずがない!」と思い込んでいた家族達の眼には、ニィリエはある種の「危険思想」を吹き込む人に見えたのだろう。彼はこの原理を提起してまもなく家族会から実質的に追い出されるのだが、その背景にも、「知的障害者はあくまでも親の主導に従うこと」という信念体系があった。
この信念体系について、「対岸の火事」と笑い事に出来るだろうか?
「支援」現場において、「する・される」の関係は、「グレーな領域」である。たとえ言語的コミュニケーションが殆どとれない対象者と相対しても、支援される側の表情や眼の動き、行動パターンなどから支援者が学び続け、本人の笑顔や心地よさが増える支援を心がけることも出来る。一方、支援者の都合に合わせて、当事者をコントロールすることも可能である。「支援」は、「支配」に転嫁する可能性を多分に秘めている。意思決定支援も、その支援に携わる支援者が「支配的」な支援をしているならば、本人の意思決定を豊かにするどころか、身近な抑圧者にすり替わってしまう危険性を孕んでいる。これでは、知的障害を持つ本人にとっては、「共生」社会ではなく、「強制」や「矯正」を強いられる事態となりかねない危険性もある。
そこで大切な視点が、セルフアドボカシーの考え方である。
セルフアドボカシー(self-advocacy)とは、一言で言えば「自分自身や同じ経験を持つ仲間による権利擁護」である。従来型の権利擁護やアドボカシーは、「必要なことなら何でもしてくれる擁護者(advocate)」にお任せする形が主流であった。ここでは擁護者の専門性と性善説に基づき、あくまでも依頼者は「援護の客体」として擁護者に全面的に依存する、という流れのなかに位置する。あたかも弁護士や医師に対して「全面的にお任せ」するように。
一方、セルフアドボカシー支援では、問題解決の主体は擁護役ではなく、本人自身であると位置付ける。ただ、自分だけでは解決できない(しにくい)から、「自分の問題を解決するために必要な戦略や技術を学ぶのを助けてくれる人」(the self-advocate)に頼る。しかし、それは一時的・部分的なものであり、セルフアドボカシー支援の目標はあくまでも「自分のために発言し、自分の人生に影響を与える決定に参画できるよう力をつけること」である。
ただ、このセルフアドボカシーの考え方については、「身体障害者や軽度の知的障害者には当てはまっても、重度の知的障害者にはそぐわないのではないか?」という疑問を抱かれるかもしれない。しかし、私が出会ったAさんだって、セルフアドボカシーの視点で支援を考えていれば、その後の展開は随分異なったのではないか。今なら、そう言えそうだ。
<権利擁護が支援を変える>
Aさんが必死の形相で目の前のご飯を、他人の分まで食べていた。それまで落ち着いて私の手を導いてくれていたAさんとは、全く他人のように豹変した姿。そこには、食事に対する強いこだわりや、あるいは切迫感のようなものがあった。それを「職員の制止が効かない逸脱行動」と捉えるのは、本人の行動を管理・支配したい支援者側の欲望が現れた視点、とは言えないだろうか。普段落ち着いている人が、なぜ食事に関してだけは、落ち着きをなくすのか。そこに、本人なりの強烈な「○○したい」という思いや願い、切迫感のあるSOSの自己表現が存在する。そう捉えるならば、その「問題を解決するために必要な戦略や技術」を支援者と支援対象者が一緒に考え合うのが、セルフアドボカシーに基づいた支援戦略、とは言えないだろうか。
繰り返し述べるが、支援と支配は紙一重の関係にある。「問題行動」を制止する事が目的になれば、支援は簡単に支配に成り下がる。2013年の暮れに発覚した千葉県の袖ケ浦福祉センター養育園の虐待事件でも、暴行行為の理由として、「支援がうまくいかず、手を出してしまった。安易な方法に頼ってしまった」と職員が答えていた、という(注3)。「支援がうまくいかない」というのは、支援現場でしばしば見られることだ。この際、チーム支援や相談できる関係性が組織的に保たれていないと、抱え込み・燃え尽きや、今回のような虐待・暴行などの結果を生み出しかねない。支援現場とは、常に「グレーな領域」なのである。
だからこそ、対象者がどのような障害・状態であろうとも、支援現場で常に求められるのは、ご本人が「自分のために発言し、自分の人生に影響を与える決定に参画できるよう力をつけること」というセルフアドボカシー支援である。自傷他害や問題行動という形でしか「自己表現」(=発言)が出来ない人が、その命がけの自己表現で何を伝えようとしているのか、を、支援チームで探る姿勢である。その中から、ご本人の人生によい影響が生まれるように、本人と支援チームが一緒になって共同決定していく姿である。一人の支援者が本人の気持ちを勝手に代弁して意志決定支援をせず、支援チームと本人が想いを共有するなかで、より良い支援の方向性を一緒に模索する、「出来る一つの方法論」を探る姿である。そういう権利擁護に基づいた仕事の仕方こそ、支援現場を変えていく。
そんな思いを込めて、昨年、『権利擁護が支援を変える-セルフアドボカシーから虐待防止まで』(現代書館)という本も上梓した。支援現場では、矯正・強制の方向にも、また共生の方向にも進みうる、「グレーな領域」である。であるからこそ、「出来ない100の理由」も、「出来る一つの方法論」も展開しうる現場である。制度やシステムを変えるのは簡単ではない。だが、支援者であるあなたが、セルフアドボカシーを学び、権利擁護に基づいて支援を変えていく中で、支援現場は少しずつ、変わり始める。その姿勢が、社会を変える第一歩となる。支援現場のあなたが、権利擁護実践をどう展開出来るか。この個別支援の試行錯誤が、知的障害を持つ人との共生に向けた、大きな一歩となるはずだ。
注1・・・Nirje, Bengt. 2003. Normaliseringsprincipen.
Studentlitteratur. (ハンソン友子訳 2008『再考・ノーマライゼーションの原理 : その広がりと現代的意義』現代書館)
注2・・・竹端寛「スウェーデンではノーマライゼーションがどこまで浸透したか?」平成15年度厚生労働科学研究障害保健福祉総合研究推進事業 日本人研究者派遣報告書
http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/resource/other/takebata.html
注3・・・毎日新聞 2013年12月15日 『袖ケ浦の少年死亡:施設虐待「最も悪質」 実態解明を要求』 http://mainichi.jp/select/news/20131216k0000m040009000c.html