原学級でのほんまもんの学び合い

仮住まいの我が家では本棚が足りず、段ボールに入れた本が落ちてきた。その本を拾い上げて何気なく読み始めたら、めちゃくちゃ面白くて一晩で読み終えてしまった。今日はそんな本のご紹介である。

「『ついてこれない』とは、その子どもがついてこなかったのか、ついてこれなかったのか、またついてこさせなかったのか、の状態の分析と原因を明らかにし、何とが子どもが意欲的に取り組むようにした。
また、ある集団から疎外されている子供を、その子自身の問題としてのみ受け止めるのではなく、むしろ、疎外・差別している集団の側の問題として受け止め、個々のケースでの研究、指導を行った。」(橋本直樹著『子どもを「分けない」学校(「ともに学び、ともに生きる」豊中のインクルーシブ教育)』教育開発研究所、p48-49)

橋本さんは、大阪の豊中市の公立学校教員である。そして彼が校長を務めた南桜塚小学校の研究紀要の1977年度研究に、上記の記述を発見している。

「ついてこれない」というと、どうしてもその子ども個人の問題のように、一見思える。だが、「ついてこさせなかった」と補助線を入れると、教員や学級など「疎外・差別している集団の側の問題として受け止め」る必要がある。このような視点を半世紀前から持っている学校なので、「すべての教職員がすべての子どもの担当である」という意識を持ち、「障害のある子どもが、通常の学級で他の児童・生徒とたちとともに学び生活することを保証する」「原学級」保証を半世紀かけて積み上げてきた。(その教育実践はルポ「教室から席がなくなるのはイヤ──「ともに学び、ともに育つ」大阪府独自のインクルーシブ教育、揺らぐ足元」などに詳しい)

この学校のことは報道で知っていたが、具体的な支援のあり方を読んで、すごい!と思ったのは、以下の部分だ。支援学級の先生が原学級に入ってアシストする「入り込み」について触れた場面である。

「支援学級に在籍する子どものなかには、子どもたちの人間関係や学級担任の配慮次第で十分学校生活を送ることができる子もいます。ほとんどの子どもが、学年が進むにつれて入り込みの時数を減らしていきます。人間関係の深まりや変化をよく見ながら、情報を教職員で共有し、議論もしながら、安心して学校生活を送ることができるように対応しています。
支援学級担任と3人の介助員の12人はインカム(無線)を常に身につけて、子どもたちの状況を共有しています。1日のうちに子どもの状況は変化していきます。たとえば、入り込みの時間にあたっていない教職員が廊下を巡回し、『○○ちゃんの状況がよくない』ことに気づけば、インカムで『○年○組の○○ちゃん、今入り込みないんですけど、気になるので入ることができる人いますか。いなければ私が入ります』と流すと『○○ちゃんなら私がいいと思いますので、行きます。こちら○年○組みのほうをお願いします』というようなやりとりをしています。また、緊急事態の際にも、すぐに集合して、早い対応ができます。」(p126)

この公立小学校では半世紀以上にわたって、「すべての教職員がすべての子どもの担当である」という理念が浸透してきた。だからこそ、支援学級担任も介助員も、自分の担当する特定の子どもだけに関わるのではない。インカムを通じたチーム支援が徹底していて、『○年○組の○○ちゃん、今入り込みないんですけど、気になるので入ることができる人いますか。いなければ私が入ります』と巡回中に変化に気づき、対応を始める。そして、この呼びかけを受けて、『○○ちゃんなら私がいいと思いますので、行きます。こちら○年○組みのほうをお願いします』と個別性の高いニーズへの対応を買って出てくれるのみならず、別のクラスのサポートにも回れる。この機動力と対応力がすごい。

「支援学級在籍の子どもだけでなく、応援があれば前に進める子どもがたくさんいます。子どもたちは入り込みの先生を『おたすけ先生』と呼ぶこともあります。支援学級担任が通常学級の担任と授業を交代し、通常学級担任が個別に子ども対応をすることもあります。とにかくそのときどきの最善を求めて柔軟に対応します。」(p127)

うちの娘も算数が苦手で、まさに「応援があれば前に進める子ども」なので、「おたすけ先生」がいたらめっちゃ喜ぶだろうなあと思う。特別支援学級・学校で区切られた場所にいたら、物理的には特定の子どもにしか相手は出来ないが、普通学級に入ってきてくれたら、支援が必要な子の相手をしながらも、その周りの応援を必要としている子どもたちもサポートできる。また、こういう風に「おたすけ先生」が機敏かつ柔軟に対応してくれるので、障害のある子も、その周りにいる子も、困らなくて済む。分けていなければ、より広範に・柔軟に助け合えるのだ。

「私たちは、『ともに学ぶ』なかで何度も何度も子どもたちの言葉や行動のなかに奇跡を見てきました。当初は分離したうえでの訓練や学習を望む保護者もいますが、ともに学ぶなかで、しだいに、奇跡のような出来事に出会い、子どもの成長を感じ始めます。
子どもに対して担当者・係をつくらないということと、もうひとつ大事なことは、特別な場所をつくらないことです。どんな親しみのあるいい名前をつけた部屋であっても、そこが特定の子どもが先生と向き合い学習をしたり、活動場所として使用している限り、他の子どもたちにとっては自分とはまったく関係のない特別な場所になってしまうのです。すでに特別視(特別扱いではない)されている子どもたちと『交流』の名のもと通常学級で一緒に学ぶ時間があっても、しだいに心のなかで排除が始まり、偏見は子どもの心に定着していくのです。」(p172)

大学の講義でインクルーシブ教育について議論をするときに、学生たちのネガティブな記憶で必ず出てくるのが、「障害のある子どものお世話係をさせられて嫌だった」という経験である。これは、本来は教員がしなければならないサポートを「勉強の出来る子」に押しつけている、という意味で、本末転倒である。この小学校では、12人のインカムチームが「おたすけ先生」でいるので、そういう係は作っていない。それだけでなく、「ひまわり学級」であろうが「おおぞら学級」であろうが、「どんな親しみのあるいい名前をつけた部屋であっても、そこが特定の子どもが先生と向き合い学習をしたり、活動場所として使用している限り、他の子どもたちにとっては自分とはまったく関係のない特別な場所になってしまう」というのは、本当にそのとおりである。多くの大学生が、そしてかつての私自身が、障害のある子とない子が共に学ぶのは「理想論」だと思い込んでいた背景には、「特別視(特別扱いではない)されている子どもたちと『交流』の名のもと通常学級で一緒に学ぶ時間があっても、しだいに心のなかで排除が始まり、偏見は子どもの心に定着」したから、というのがある。ここを打ち破るためには原学級保証が必要であり、先日はイタリアのフルインクルーシブ教育を紹介したが、イタリアに行かずとも、伊丹空港のお膝元である豊中市でも半世紀かけて実現してきたのである。

そうすると、こんな学び合いのエピソードが生まれる。豊中で育ち、今は西宮のメインストリーム協会で活動している鍛治さんを巡るエピソードである。

「隣の席の友だちから『かっちゃんノート書きや!』と言われたので、『障害者やからノート書かなくてええねん』と返すと、友だちは『そっか』と言って、うまくさぼることができました。
鍛治さんは、『なんてすばらしい言い訳だろう』と思ったそうですが、その日の終わりの会で大変なことが起こりました。クラスの全員から、『鍛治君は都合のいい障害者だと思います。そんな都合のいいやつのために移動教室の手伝いとかやりたくありません』と言われてしまったのです。実際にそれから3日ほど、体育や音楽の移動教室の際に一人になってしまうことがありました。
『俺、小学校でやっていかれへんかもしれへん』と母親にこの間のことを相談すると、『それはあんたが悪い。障害者である前に一人の人間として、『鍛治のためやったら力になりたい』と思ってもらえる人間になりなさい』と諭されたそうです。
次の日、泣きじゃくりながらクラスのみんなに謝って許してもらいました。この間、担任の先生は見守ってくれていました。ここで担任が『みんな、鍛治さんは障害者ですよ。冷たいことを言わないで助けてあげて』などと言っていたら、その瞬間子どもたちの人間関係は切れてしまったでしょう。
『ともに学び、ともに生きる』なかで、子どもたちはお互いに批判できる関係、本気でけんかできる関係を育んでいるのです。」(p139)

障害のある子もない子も、ズルする子はいる。鍛治さんも、そんなズルをしていた。しかも自らの障害をダシにして。すると、クラス全員から『鍛治君は都合のいい障害者だと思います。そんな都合のいいやつのために移動教室の手伝いとかやりたくありません』と宣言される。これは、彼には死活問題であり、母親に泣きついたところ、『鍛治のためやったら力になりたい』と思ってもらえる人間になりなさい』と諭された。だからこそ、「次の日、泣きじゃくりながらクラスのみんなに謝って許してもらいました」という。障害の有無ではなく、クラスメイトとして対等に批判しあい、謝罪する。本気でぶつかり合うからこそ、ほんまもんの仲間になる。それを教員が応援している構図が、実に素敵である。

なぜ豊中でそんな実践が出来たのか。これは「すべての差別からの解放をめざす、民主的な人間の育成に努める教育」である「解放教育」のバックボーンがある(p11)。実際1971年に豊中市教育委員会によって定められた「同和教育基本方針」には、以下のような規定が書かれていた。

「同和教育を推進するうえで、障害児が人間として生きる権利、教育を受ける権利を保障することは重要な課題である。障害児の生活を守り、その社会的自立をめざし、障害の種類と程度に応じた教育内容と方法が創造され実践されなければならない。
しかし、現在まで、担当者による実践の積み重ねや問題の提起はあったとしても、障害児教育全体の充実にまで発展しなかった。すなわち、教育条件の不十分さと一般的な理解の不足などから、学校教育の中での正しい位置づけがなされないばかりか、重症障害児が教育を受ける機会の保障もきわめて不十分であり、父母や子どもの強いねがいを実現するに至らなかった。
したがって、障害児教育の総合的な推進をはかり、障害児の社会的自立への手だてを明らかにしなければならない。そのためには、系統だった教育施設の整備をすすめるとともに、関係者の研修機会を拡充するなど総合計画を樹立し、教師・父母・地域・医療関係者が一体となって推進しなければならない。」(p213-214)

この宣言に基づいて、「系統だった教育施設の整備をすすめるとともに、関係者の研修機会を拡充するなど総合計画を樹立し、教師・父母・地域・医療関係者が一体となって推進」してきた半世紀の積み上げがあるからこそ、豊中では「障害児教育の総合的な推進」が展開されてきたのだ。

インクルーシブ教育は、クラスを一緒にするだけではだめだ。原学級保証のような形で、障害がある子もない子も共に学び合い、担任の先生だけでなく、全ての先生が「おたすけ先生」として関わってくれる。そのような、目の行き届いた安心できる環境だからこそ、鍛治さんとクラスメイトのような本気のぶつかり合いが可能になる。そんな環境が豊中でも出来るのだから、全国に拡がって欲しい。本当にそう思う。

懲罰から対話と尊重へ

どんな内容かよくわからなくても、著者や訳者が信用できる人なら、ジャケ買いではなくても「ネーム買い」する本ってある。今回は、訳者に「プリズン・サークル」にも出てきた藤岡淳子さんと、同じ映画に登場し『刑務所に回復共同体をつくる』の著者である毛利真弓さんが並んでいたので、どんな内容かよくわからないまま購入して読み始めたら、めちゃくちゃ面白かった。

「誤解3:生徒は適切な振る舞い方を知ってから学校に来るべきです。
事実:多くの子どもや若者は、家や自分のコミュテニィの大人によって影響を受け、そこで示されたことを見て真似ています。もし彼らの生活の中にいる大人が適切な行動のモデルを示せなかったり、肯定的な社会的・情緒的行動をよく理解していなかったりすれば、生徒たちにそれらのスキルを持って学校に来ることを期待することはできません。私たちは教育者として読み書きや数学を教えるのと同じように、行動についても教える必要があります。」
『学校に対話と尊重の文化をつくる修復的実践プレイブック』明石書店、p30)

これは教育関係者がよく間違えやすい誤解であり、核心部分に触れる話でもある。

学校の先生は、子ども時代から「しっかり」「ちゃんと」勉強が出来た「優等生」が大半だ。つまり自分自身も「適切な振る舞い方」を身につけてきた経験を持つ。一方、学校をさぼりがち、遅刻しがち、嘘をつく、問題行動をする・・・といった子どもを目の前にすると、なぜそれが出来ないのか、が理解しにくい。そして、常識的な推論からして、「親が悪い」し、「適切な振る舞い方を知ってから学校に来るべきです」となる。

ただ、その親自体が「適切な行動のモデルを示せなかったり、肯定的な社会的・情緒的行動をよく理解していなかったり」する場合も、充分に考えられる。虐待やトラウマの連鎖ではないが、自らが養育不全のなかで育ってきた親の中には、子どもにどう関わってよいかわからない・大人自身がモデルを示せない親もいる。その際、「教育者として読み書きや数学を教えるのと同じように、行動についても教える必要」が学校にはあるのだ。そして、これは「貧困地区」に限ったことではない。

この本は、「学校に対話と尊重の文化をつくる」ことを目指した本である。ただ、実は「対話と尊重の文化をつくる」ことそれ自体を、僕たちは学校で学んでいない。だからこそ、親が子どもにそのやり方を理解していない可能性は充分にあるのだ。僕の場合は、ありがたいことに、娘の通ったこども園では毎月保護者学習会を開いてくれていた。そこでは「子どもをみたら、家庭環境や親と子の関わり方がすべてわかる」という明確な原理のもと、親が子どもにどう関わるか、について毎月理事長先生から教わっていた。そういう風に親が学んで変わる機会がなければ、そのチャンスを提供することも、学校に求められている、というのも、よくわかる。

そして、「問題行動」や「困難事例」と呼ばれる現象への、現状の学校への対応のあり方にも、この本は疑問を向ける。

「修復的実践は、80%は事前対応型/先回り型、20%は事後対等型/反応型という80/20モデルに基づいて構築されています。これまで学校の方針は懲罰的なものであり、正しい罰則を与えれば行動を変えられると信じてきました。しかし、幼稚園から高校までの学校で過ごしたことのある人なら誰でも、懲罰的な行動が必ずしも生徒に望ましい結果をもたらすとは限らないことを知っています。どこか上位の機関に送る、クラスから排除する、居残り、停学、あるいは退学といった従来の懲罰的な対処は、根本的な問題に取り組んでいないため、問題の解決にはなりません。」(p35)

これまで、学校で子どもが起こした問題は、子どもの問題とされていた。それは問題の個人化であり、発達障害や精神障害ゆえなどとラベルが貼られると、「医学モデル化」することにもつながる。そして、そのような現象に対して、「クラスから排除する、居残り、停学、あるいは退学といった従来の懲罰的な対処」がなされてきた。でも、「懲罰的な行動が必ずしも生徒に望ましい結果をもたらすとは限らないこと」は、自分自身の経験でもわかっていることである。つまりやってしまった結果に責任を取りなさい、と脅すだけの「事後対等型/反応型」の懲罰では限界があるのだ。だからこそ、「80%は事前対応型/先回り型、20%は事後対等型/反応型という80/20モデル」が大切になってくる。

では、どのような「事前対応型/先回り型」が必要なのか? この本の秀逸なのは、「事前対応型/先回り型」のアプローチの具体例がふんだんに紹介されている点である。

たとえば、能動的参加の連続体の図を紹介している部分について。授業に「参加する」がもっと意欲的になると、自分も積極的に関わる「投資する」モードになり、更にやる気になると、やったことへのフィードバックまでも求める「推進する」になる。他方、授業に気が乗らない場合は「撤退する」だし、更にやる気を失うと課題を「避ける」ようになり、もっとも強烈な場合は授業時間を「破壊する」行為にでてしまうかもしれない。このような能動的参加の連続体の鍵を教えてえいる学校では、こんなやりとりがなされているという。(p95)

「今日私は『参加する』ことを目標にしました。あまり実感はありませんが、これは重要なことだし、弁論エッセイを書く必要があることはわかっていたので、『参加する』にしたんです。でもその後、動物実験について話しているうちにとても面白くなってきて、『投資する』に移りました。」
「私は『避ける』でした。いろいろなことがあって気が散っていたんです。でも他の人に影響しないようにしていました」

これは、子どもたちが自分自身の授業への参加度を、自分自身に認識させる方法である。こうやって子どもたちは自分で決めた参加や関与度に自覚的になれるし、他者を邪魔しないでいることや、出来れば積極的に参加するきっかけにもなる。また、この連続体は教員にも役立つ。

「彼女がどこにいたのか教えてくれて感謝しています。もし私が少しだけでも彼女の位置を動かすことができたら、『撤退する』に移ってもらうことができて、『参加する』になるのもそう遠くはないでしょう。これを知ることで私の不満が解消されれば、私自身と私の生徒たちの目標設定ができます。そうすれば、私たちの間でそれほど大きな争いもなくなるでしょう」

教員の仕事は、子どもたちが積極的・能動的に授業に参加出来るようなデザインである。だが、子どもの状況によって、授業から「撤退する」「避ける」「破壊する」タイプの子どもたちもいる。その言動に対して、教員が懲罰的に排除したり叱責しても、根本的な解決にはつながらない。その際、子どもたちがこの「能動的参加の連続体」モデルを知っていて、自分がどの位置にいるのか、に自覚的だと、教員もその子どもの状態に寄り添うことが出来る。一方的に叱ったり、相互が理解し合えず対立するのではなく、共に「撤退」から「参加」に向かうためにはどうすればよいか、を一緒に考え合うことができる。これが修復的アプローチの特徴だと感じた。

そして、より「ややこしい」子どもと教員が良い関係を作るためには、教員が10分間、子どもとともの一緒に時間を過ごす「バンキングタイム」が重要であることも、書かれていた。その中で、教員が何かを蓄える(バンキング)するためのアプローチとして、以下のような内容が示されていた。

・生徒がリードすることについていく:教師型質問、方向づけ、指示は制限しましょう。安全であれば、むしろ生徒が活動を方向づけ、使うものを彼らの選択で決定するとよいでしょう。
・観察する:生徒の行動、感情、言葉、行動について心のノートを作りましょう。また、あなたの反応と相互作用についてもメモを取りましょう。
・ナレーションする:生徒がしていることを説明する言葉を使いましょう。(略)例えばプレーごとに描写するようなスポーツキャスター、生徒の言葉にコメントしたり繰り返したりするリフレクション、生徒のしていることを真似する模倣などがあります。
・感情にラベルをつける:生徒が示したポジティブ・ネガティブな感情について言葉にします。生徒の表現は言語的な場合も非言語な場合もありえます。あなたの役割は、それに気づき、触れることです。
・関係性についてのテーマを発達させる:これらのコメントは、あなたにとって彼らが重要で、その関係に価値を置いているというメッセージを生徒に対して送ります。
(p148)

これを読んでいて、支援困難事例に関してのソーシャルワークの関わり方のコツでもある、と感じた。「ゴミ屋敷」などに関わる場合、「ゴミを溜めることは悪いこと」という「常識的理解」が先行して、相手のしていることを冷静に「観察する」ことが出来ない。すると、対象者の言動を「ナレーション」なんて出来ない。ついつい「ゴミを捨ている」ということにしがみついて、相手が「リードすることについていく」ことができない。すると相手の「感情にラベルをつける」こともできない。結果的には相手との「関係に価値を置いているというメッセージ」を送ることができず、「関係性についてのテーマを発達させる」こともできない。

逆に言えば、ここに書かれている5点って、相手の内在的論理の把握の方法そのものである。例えば娘に関わる父である僕にとって、こちらの注意に従わない娘にガミガミ言いたくなる局面で、娘を観察することができるか、は大きな問いだ。注意や叱る行為をせずに、彼女がやっていることを実況してみれば、彼女もその行為に気付いてくれる可能性がある。そうやって、本人がリードすることについていきながら、彼女のポジティブ・ネガティブな感情に言葉を与えつつ、父と娘の関係性をよりよいものにすることも、できそうだ。親が変われば、子どもも変わる。教師が変われば、生徒も変わる。その具体的な方法論が示されていると読んでいて感じた。

そして、本書の原題は”The Restorative Practices Playbook”である一方、訳書タイトルは『学校に対話と尊重の文化をつくる修復的実践プレイブック』となっている点も、非常に興味深い。「修復的実践プレイブック」という原題に「学校に対話と尊重の文化をつくる」という修飾語が足されているのである。これが、味噌である。

毛利さんと藤岡さんは、刑務所における回復共同体づくりにおいて、かなりの苦労をされてきた。それは、硬直した刑務所文化を変えることへの抵抗感との闘いであったことは、毛利さんの本を読んでいても感じた。そして、その二人がこの本を訳す時に、「対話と尊重の文化をつくる」ことの重要性を痛いほど感じていたことも、想像に難くない。それは、刑務所でもまさに同じであり、もっといえば学校で修復的実践が展開されていれば、「問題行動」や「困難事例」にも予防的介入を果たせるようになり、結果的には少年院や刑務所に送られる若者が減るかも知れないのだ。

そのような「対話と尊重の文化をつくる」ことができるか、は非常に現代的課題だし、本書はその具体的な方法論や、教員や支援者が自分のアプローチを見直せるワークシートもついていて、非常に有用的である。それだけでなく、懲罰から対話と尊重を基盤にすることで、学校文化を変えうる、という意味では、認識論的な枠組みの掛け替えを実践を通じて目指している、濃厚な1冊である。学校の教員、だけでなく、対人直接支援に関わる多くの人が読んでみて、気づきや発見のある1冊だと思う。

差異を肯定するインクルーシブ教育

日本で特別支援学校の教員をしていて、かつイタリア留学経験のある人って、ほとんどいないと思う。そんな逸材、大内さんが書いた本を読んでいたら、こんなフレーズに出会った。

「インクルーシブな教育を前提としているイタリアでは、特別なニーズのある生徒への配慮は、『いかにしてインクルーシブな学習環境をつくりだし、生徒がクラスの中に包摂されるようにするか』という集団的、社会的な包摂におのずと向けられることになる。まさしく、イタリアの支援教師に課せられた任務は、障害のある生徒がクラス集団に参加するための支援を、いかに有効かつ適切におこなえるかということにある。
その一方で、分離した教育を前提とした日本では、特別なニーズのある生徒への支援は、『いかに自分のことは自分でできるようにするか』といった、『個人的な自立や成長』を促すことに偏りがちになる。しかし、日本のこうした方向性での支援や配慮には、社会的な包摂への希薄さもあいまって、極端にいえば、かえって社会的な分離を推し進めてしまうというパラドックスに陥りかねないリスクも含まれている。」(大内紀彦『フルインクルーシブ教育見聞録――イタリアの現場を訪ねて』現代書館、p38-39)

イタリアでも日本でも、障害などの特別なニーズのある生徒への支援や配慮はなされている。ただ、『いかにしてインクルーシブな学習環境をつくりだし、生徒がクラスの中に包摂されるようにするか』と、『いかに自分のことは自分でできるようにするか』では、問いの向き先が全く違う。前者は特別なニーズのある生徒が普通学級で包摂されるように、クラスの学習環境を変えようというアプローチである。ただ、後者の問いは、特別支援学級での目標が「『個人的な自立や成長』を促すことに偏りがち」であるという警句である。そして、僕はこのイタリアと日本の支援観の違いは、ノーマライゼーションを巡る解釈の対立を思い出していた。

ノーマライゼーションの育ての父と言われるスウェーデン人のベンクト・ニィリエはノーマライゼーションについて、以下のように定義している。

「ノーマライゼーションとは、正常という意味ではないのだ。これは、人間を“ノーマルにする”べきであるという意味ではないのだ。これは、誰かに誰かの特別な基準(例えば隣人の51%の人たちがすることであるとか、“専門家”が最善であると考えること)に従うような行動を強制されるという意味ではないのだ。これは、知的障害のある人が“ノーマル”であるべきとか、その他の人たちと同じように振る舞うよう期待されるという意味ではないのだ。ノーマライゼーションとは、知的障害者が、可能な限り社会の人々と同等の個人的な多様性と選択性のある生活条件を得るために、必要な支援や可能性を与えられるべきであるという意味だ。ノーマライゼーションとは、“ノーマル”な社会で、障害も一緒に受け入れられ、他の人たちと同じ権利と義務、可能性を持っているという意味だ。」(ベンクト・ニィリエ『再考・ノーマライゼーションの原理-その広がりと現代的意義』現代書館 p178-179、強調は引用者)

ここで太字の部分をみてほしい。「知的障害者が、可能な限り社会の人々と同等の個人的な多様性と選択性のある生活条件を得るために、必要な支援や可能性を与えられるべきである」というのは、『いかにしてインクルーシブな学習環境をつくりだし、生徒がクラスの中に包摂されるようにするか』というのと通底している。

一方、このノーマライゼーションの原理をアメリカで受けいれられるように「改竄」したヴォルフェンスベルガーは、以下のように定義している。(ちなみに両者の価値前提の違いについて詳しくは拙著『当たり前をひっくり返す』(現代書館)参照)

「対人処遇の手段は、できるだけその独自の文化を代表するようなものであるべきであり、逸脱している人(その可能性のある人)は、年齢や性というような同一の特徴をもつ人たちの文化に合致した(つまり、通常となっている)行動や外観を示しうるようにされるべきだ、ということである。『通常となっている』という用語は、道徳的というより統計的な意味であり、“標準的“とか“慣例的“と同じと考えられよう。『可能な限り通常となっている』という語句が示唆しているのは、何が、どれだけ『可能な限り』ということになるかは、経験をしていくプロセスで決定されるということである。」(ヴォルフェンスヴェルガー「対人処遇における逸脱の概念」『ノーマリゼーション』学苑社、所収、強調は引用者)

ここでも太字の部分をみてみよう。「年齢や性というような同一の特徴をもつ人たちの文化に合致した(つまり、通常となっている)行動や外観を示しうるようにされるべきだ」というのは、『いかに自分のことは自分でできるようにするか』という「『個人的な自立や成長』を促すことに偏りがち」な視点そのものである。

そして、前者は差異を抱えた(障害があるまま)でも自立しているというノーマライゼーションの「異化的側面」と整理され、後者は障害がある人が『可能な限り通常となっている』という意味で、ノーマライゼーションの「同化的側面」と言われている。そして、この二つは本質的に対立する。なぜならば、後者は障害の差異を肯定せず、健常者に近づけること=ノーマル、と標準化を目指す思想だからである。一方、前者は障害という差異を肯定し、その差異がある人を標準化するのではなく、差異がある人でも馴染めるクラス環境をどう構築するか、と環境を変えることに主眼を置いているからである。

こう整理していくと、日本の特別支援教育はイタリアのインクルーシブ教育と真逆である理由が見えてくる。それは、学校教育において、障害者を健常者に近づける「同化的側面」を重視する日本に対して、障害のある子どもが普通学級で安心して学べるようにクラス環境を変えるイタリアは、障害という差異を肯定する、ノーマライゼーションの「異化的側面」を重視しているからである。

そして、障害という差異を抱えた子どもたちも普通学級で学ぶためには、当然環境を大きく変えていく必要がある。大内さんが見学した小学校の1年生はこんな風に構成されていた。

「40人弱の生徒がいる小学校の第一学年は、『パンドーロ』クラスと『チャンベッラ』クラスの2クラスに分けられていた。どちらのクラスにも、イタリアを代表するお菓子の名が用いられていた。(略) 最初に足を踏み入れたのは、算数をやっていた『チャンベッラ』クラスだった。2名の障害児を含む20名弱の生徒のクラスに、4名の指導者が配置されていた。もう一方の『パンドーロ』クラスには、1名の障害児を含む20名弱の生徒がいて、3名の指導者が配置されていた。」(大内、前掲書、p21-22)

普通学級のクラスサイズが基本的に20名前提でやっている! これはOECD諸国の平均(21.9人)であるが、日本は小学校1年で35名である。娘の通う小学校は1年生の時に105名がいたので、35名マックスだった。正直、障害があろうとなかろうと、こないだまでこども園や保育園で走り回っていた子どもたちを45分なり50分なり座らせておくだけで、先生はめちゃくちゃ大変である。(そのあたりについては『ケアしケアされ、生きていく』でも分析した)

一方、イタリアでは20名がクラスサイズで、複数担任制をしいていて、さらに障害のある子ども一人に指導者が一人つく。だから、2名の障害児なら4名の指導者がつく。こう書くとめちゃくちゃ贅沢なようだが、じつは日本では特別支援学校の建設費に20億とか40億円!もの費用をかけている。箱物の建築費にそれだけの費用をかけ、運営コストも考えると、その費用を人件費に充当すれば、十分に可能なようにも思われる。

さらに、これは昔スウェーデンで聞いた話を思い出す。スウェーデンでも障害のある子がいるクラスの方が保育園や小学校では人気だ、と聞いていた。それって、スウェーデンの親が意識高い系だから、と思った人、いませんか? もちろん、そうではなくて、教員の数が多いほど、障害がない子どもへの目配りも増えるのだ。だって、20人しかいないクラスで、4人の先生がいたら、障害のある子が2人いても、その指導員はつきっきりで障害のある子に関わっていたとしても、その周りの子どもたちに声かけとか、躓いている部分をアドバイスすることくらいできる。すると、よりきめ細やかな指導が、障害のない子へも与えられるのだ。

さらに、一人の教員が指導する状況は、ミニ王国を作り出し、指導力のない教員だと学級崩壊の危機がある。でも、複数担任でチーム支援にすると、クラス全体の指導力がある。インクルーシブ教育を進めるにあたって、こういう形でクラスサイズや学級運営の形を変えていくことは、現実的な選択肢である(複数担任制についてはこの記事も参照)。

そして、障害のある子を支援する「支援教師」養成講座の様子が書かれた部分でも、非常に興味深い箇所があった。

「注目すべきなのは、各々のグループの中で支援の対象の生徒が抱えている『困難』や『問題』が、クラス全体の活動の中に明確に位置づけられていることである。こうすることで、支援対象の生徒の課題は、クラスメイトの目にも見えやすくなり、クラス全体に共有することになり、さらには、この課題にどう対応し、解決し、乗り越えていくのかを、一緒に考える機会が生み出されていくことにもつながっていく。
たとえばグループAであれば、『電動車いすを活用するステファノの移動の不自由さ』、グループBであれば『見通しのもてなさに由来するエンマの不安』、グループCであれば、『生徒Pの人間関係づくりの不得意さ』といった事態に対する課題はクラス全体の協働学習を通じて改善されていくように道筋が立てられている。クラスの雰囲気や環境やルールに障害のある生徒を適合させていくのではなく、彼らの特性をクラスの側で受け入れて共有し、一緒に共存のための対処法を考え、解決策を講じるという方法がとられているのである。そして、この活動をいかにサポートするかが、まさに支援教師の腕の見せどころになっている。」(p54-55)

これは、障害がある子どもがクラスのなかにいることを前提として、障害のある子とそうでない子がどう協働学習をできるのか、をクラスの成長課題と捉えている部分である。障害のある子は差異がある=標準化されないので、他の子どもと同じ協働学習は出来ない、と切り捨てず、むしろ差異のある子との協働を、クラス全体の学びのチャンスと捉えている点が、非常に魅力的だ。その際、大内さんのこの指摘が本質的だ。

「クラスの雰囲気や環境やルールに障害のある生徒を適合させていくのではなく、彼らの特性をクラスの側で受け入れて共有し、一緒に共存のための対処法を考え、解決策を講じるという方法がとられているのである。そして、この活動をいかにサポートするかが、まさに支援教師の腕の見せどころになっている。」

同じ事が出来ないから排除するのとは、真逆である。障害という差異があり、違いがある子どもと協働するために、「一緒に共存のための対処法を考え、解決策を講じるという方法」が模索される。そして、そのためにこそ、支援教師がいるのだ。支援教師は、『いかに自分のことは自分でできるようにするか』ではなく、いかに障害のある子とそうでない子が協働するか、をサポートするために存在するのである。

実は、このことは、日本の義務教育でも求められている。学校教育法第21条では、以下のように規定されている。

「第二十一条 義務教育として行われる普通教育は、教育基本法(平成十八年法律第百二十号)第五条第二項に規定する目的を実現するため、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
一 学校内外における社会的活動を促進し、自主、自律及び協同の精神、規範意識、公正な判断力並びに公共の精神に基づき主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。」

義務教育の目標の第一優先順位は、教科教育ではなく、「自主、自律及び協同の精神」を育てることにある。そのために、チーム教育、チーム学習は基盤である。そして、それは学校を分ける分離教育では出来ない。日本の学校教育法第21条を真面目に遵守しようとすれば、同化的側面で障害者をノーマルにしようとするのではなく、差異のある障害のある子とそうでない子が協働できるようにクラスサイズや学校運営のあり方を変える、ノーマライゼーションの異化的側面が求められている。そして、それこそ大内さんのいう、フルインクルーシブなのである。

まだまだ書きたいが、長くなったので、この本の紹介はこの辺で。すごく読みやすくて、イタリアのインクルーシブ教育がすごくわかりやすくわかるので、この本はオススメです。