夏休み期間もあっという間に過ぎ去り、大学では講義再開。
講義がない間も濃度が濃かった。2本の論文をほぼ書き終え(今日あたりに脱稿予定)、バンコク(結婚式)とパリ(休暇旅)に出かけ、総合福祉法は骨格提言までこぎ着け、何度か出張もした。そのガタが来たようで、このところ、身体の調子があまり良くない。
手荒れが治らず、発疹のようなものが手と足に出ている。タイ農村部での結婚式の後、戻ったバンコクで牡蠣にあたって、激しいめまい(ブラックアウト寸前)と全身のひどい蕁麻疹に見舞われ、ホテルで寝込んだ。そのときに比べたらたいしたことはないのだが、8月末くらいから、手や足や首筋に発疹が出ている。パリでこってりとした料理やフランスパンをバクバク食べた。フランスパンもよく考えたらバターがたっぷり入っているのですね。普段パンもあまり食べないので、たんまり身体の中に油を入れたことになる。そのせいもあって、パリ滞在の最後は胃腸の調子が最悪だったが、帰国後、野菜中心の生活に戻しても、発疹は治まらない。ちょうど先週末、普段通っている主治医(中国医学)の診察日だったので、その事を相談したら、こう言われた。
「もう身体は若くない。無理が利かない身体になった、ということです」
「人間は30を超えると、後は下り坂。決して登ることも、維持する事も出来ない。出来る事は,せいぜい、その下るスピードを遅くするのみ」
結構なショック。実年齢は36歳、気持ち的には大学院生、だったのだが、身体は無理が利かない、という引導を渡されてしまった。確かに日曜日にはお昼に恵比寿でランチミーティングに出かけ、夕方は甲府の道場で合気道、なんてしていると、翌日に相当疲れが残る。そして、この疲れへの気づきは、小さい頃からの習性(への修正)へと自らを導く。
小さい頃、鉄道少年だった僕は、時刻表とにらめっこしながら、どうしたらうまく乗り継いで、どんな風に遠くまで旅が出来るか、を空想するのが大好きだった。時刻表さえ眺めたら、それこそ何時間でも過ごせる子どもだった。今は「駅探」のようなツールに頼りっきりになってしまうけど、中学生くらいまではダイヤ改正の度に大判時刻表を買い求めるマニア、だった。
そのマニア的心性は、鉄道関係の本をすっぱり捨てた後も、心の中に残っている。例えば時間効率性の話。こないだのように、昼は恵比寿、夕方は甲府、で予定を入れることは、時刻表的には十分にあり、なので、僕はそれをこなして来た。だが、自分のペースで動きたい妻にとっては、「無茶なスケジュール」だそうだ。それを言われて、僕のことを気遣ってもらっているのはありがたいが、正直、何が「無茶」なのかわからなかった。先週木・金の出張だって、台風一過で身延線は線路が流され運休、新幹線は大混雑で新横浜から立ち席、の中で、朝一に八王子→新横浜まわりで京都まで出かけ、打ち合わせ。その後、大阪で4時間ほど研究会をして、夕方は講演の後に、朝3時まで久しぶりに激しく飲む。翌日はさすがに10時頃までホテルで休むも、梅田のジュンク堂で本を買い込み、ランチを人と食べた後、午後はあるセッションに司会者として参加し、帰りは名古屋→塩尻経由で9時半頃に帰宅、である。それを、当たり前のようにこなしている自分がいた。
だが、その「当たり前」こそ、実は問われるべき「無茶」だったのである、と気づくまでにだいぶ時間がかかった。それを、身体が発疹を起こして、知らせてくれたのだ。漢方医曰く、「熱が溜まっている」とのこと。この際の熱は、東洋医学的な熱であり、実際に体温が上昇している訳では必ずしもないそうだ。仕事のしすぎや悪い油などの理由で内熱が溜まり、それが発疹や花粉症症状として出るらしい。そういえば、パリについた当日も、ホテルでひどい鼻水・鼻づまりに悩まされた記憶がある。
つまり、時刻表的効率性を元に、仕事も予定もどんどん入れていたが、それが逆に己の自由度を奪い、心身ともに無理が溜まり、身体への発疹として警告になっているのだ。このコールサインを見誤ったら、生命も短くなる。正直、そう感じている。生き方を変える、まで言うと大げさだが、でも自らの行動規範をなにがしか変容させないと、早死にしそうだ。
そんな、ある種の曲がり角の際に、次のフレーズが心に突き刺さった。
「今朝の新聞になにが載っていたか、友達はだれだれなのか、だれに借りがあり、だれに貸しがあるか、そんなことを一切忘れるような部屋、ないし一日のうちのひとときがなくてはなりません。本来の自分、自分の将来の姿を純粋に経験し、引き出すことのできる場所です。それは創造的な孵化場です。(略) いまの私たちの生活は、その方向性において非常に実際的、経済的なものになっています。だからみんな、ある程度の年齢になると、次から次へと目先の用事に追いまくられて、自分がいったいだれなのか、なにをしようとしていたのか、わからなくなってしまう。二六時中、しなければならない仕事に追われているのです。あなたにとって幸福は、無情の喜びは、どこにあるのか。あなたはそれを見つけなくてはなりません。ほかのだれもが見向きもしない古くさい曲でもいいから、とにかく自分が大好きなレコードを聴くとか、あるいは好きな本を読むとか。聖なる場所では、あなたは、例えば平原の人びとがおのれの住む世界全体に対して持っていたような、生きた『汝』の感覚を持つことができるのです。」(ジョーゼフ・キャンベル&ビル・モイヤーズ『神話の力』早川文庫、207-208頁)
僕にとっての「聖なる場所」「聖なる時間」は、どれだけ保てているだろうか。
この問いは、「非常に実際的、経済的」に動いてきた己自身にぐさりと刺さる問いである。外に出かける事は多くても、自分の内側の為に使う時間は、本当にごくごく限られていた。その限られた時間も、「聖なる場所・時間」として使えていたか、というと、大いに疑問である。どちらにせよ、「目先の用事に追いまくられて」いることは、確かだ。現に今も、月末〆切りの3つの課題が終わるか、で、ひやひやしている。そしてその事で、内なる熱気がクールダウンする場も時間もなく、結果的に「内熱が溜ま」り、発疹としてのSOSを出しているのである。これを「自分を見失う」と言われたら、文字通り、見失っていると言えるだろう。そして見失っていた間でも、30代前半の間は、身体に負荷をかけても引っ張り続けてこれたが、30代後半になり、いよいよそういう「経済・効率」一辺倒の生き方では、身体が悲鳴を上げているのだ。
脳中心の、時刻表的効率性では、身体がついて行かない。むしろ、身体のコントロールの及ぶ範囲内で、心身を文字通り何とかする(マネージメントする)ための、「聖なる場所」「聖なる時間」の確保。忙しいからこそ、自分以外でも出来そうな仕事は断る勇気をもって、「自分のための時間・予定」を確保する。勘定する。講演や研修も、月あたり、ある一定以上の数になれば断る。そうしないと、本当に自分を見失いそうだ。
こう書いていて、以前ブログで書いた、福田和也氏が指摘する「やりたいこと(志望)と、出来ること(能力)、そして世間が求めること(世間の都合)」の三つを思い出した。
「出来ること」が少しずつ増え、それにつれて「世間が求めること」に忙殺されるようになってきた。だからこそ、「聖なる場所」「聖なる時間」を自分のために確保しないと、「やりたいこと」が摩滅し、気も減退していくのだろう。それを、身体は発疹として警告してくれているのである。40代で燃え尽きる「会社人間」の中には、おそらくこの「出来ること」「世間が求めること」に過度に傾斜して、「やりたいこと」から遠ざかり、「聖なる場所」「聖なる時間」が確保できなくなる中で、鬱や自殺という選択肢以外が見えなくなってしまう人もいる。それは、他人事ではなく、僕自身も、もしかしたら薄皮一枚の隣り合わせの局面なのかもしれない。世間からは割と「好きなことをして」と言われ、自分でもその気になっていたが、「好きなこと」と思い込んでいる事の中にある、「出来ること」「世間に求められること」を引き算して、どれだけ本当に「やりたいこと」が残っているのか、の見極めが必要だ。そのためにも、「聖なる場所」「聖なる時間」が必要とされているのだと思う。
「やりたいこと」の最大化という目標。「出来ること」「世間が求めること」に引っ張られている(つまりは「やりたいこと」が気づけば最小化しかねない)30代後半だからこそ、真剣に考え、追い求める目標のような気がする。