障害者福祉の領域だけでなく、福祉全般に言えるとおもうのだが、大局観を描く、あるいは個の支援やその関係性の機微を表す、ことは結構多くの論者がやっている。でも、大局観と個別支援の間にあるメゾ支援の事はあまり描かれない。着目もされにくい。だが、そのメゾ支援こそ、結構大事なのではないか、と僕は思う。
たとえば税と社会保障の一体改革に代表される、国レベルの社会保障のあり方。あるいは、私もその一員として関わった内閣府障がい者制度改革推進会議の総合福祉法部会の骨格提言。それらは、これからの社会保障や障害者福祉の国レベルの「あるべき姿」を描く場所である。それはそれで必要であるし、私が関わった編著もあるが、マクロ政策の話として、経済学者も福祉社会学者もいろいろな人が論じている。
あるいは、ミクロ支援について。当事者主体や障害の社会モデルが浸透してくる中で、あるいはクリスティーン・ブライデンさんに代表される認知症の当事者の語りや、べてるの家の「当事者研究」などを通じて、さらには障害学やエスノメソトロジーなどの深化によって、障害者福祉領域でも、個別支援の内容について、当事者側からの見立てや、当事者と支援者の関係性について深めた議論が、かなり面白くなってきている。それについて雑誌も創刊されたり、あるいは特集論文が商業誌でくまれたり、ということもよく見るようになった。それもそれでよいことだ、
ただ、その間をつなぐメゾレベルの記述を探すと、どこかの地域の先進事例を取り上げるか、あるいは教科書的な堅い記述は多くても、そのどちらでもない、メゾレベルの、かつ興味深い言説が、本当に少ない。
個別支援では解決しない地域課題について、国レベルのマクロ計画ではない地域のリアリティに基づく支援について。ミクロとマクロをつなぐ要になるはずのメゾレベルの支援の議論は、地域福祉の業界内では論じられているのであろうが、あまり興味深い論考にお目にかかるチャンスがない。たとえば障害福祉計画や地域自立支援協議会は、国レベルのマクロ計画と個別支援のリアリティをつなぐ大切なハブ役割を担っているはず、なのだが、それらについて、きちんと言及される事も少ないし、されていても教科書的(=厚生労働省のパワポの引用的)記述に終わっていて、興味深い内容があまりない。このあたりが、実は一番腹立たしいと感じている。
なぜって? それは、自分自身が実践者としてコミットしていて、お手本になるようなものが、本当にないのである。
たとえば今日は山梨県障害者自立支援協議会の全体会であった。今年度は障害福祉計画の見直しの年にあたり、山梨県では、その作業の中で、県自立支援協議会の提案を聞いてくれるチャンスができた。これは、地域課題の県政への政策提言という、画期的なチャンスだ。僕はこの県自立支援協議会の立ち上げ支援をした関係で、出来た当初から座長の仕事をさせて頂いている。全体をどう切り回していくのか、について、他県や先進地の話を聞こうにも、市町村レベル(ミクロ)での好事例はあちこちで聞けても、都道府県というメゾレベルでの好事例の話は聞かない(あれば、教えてください)。だから、協議会メンバーで毎年試行錯誤を繰り返しながら、手策繰りで方向を描き出すほかはない。少し手前味噌な話になるが、都道府県レベルの障害者自立支援協議会としては、山梨県は日本でも屈指の真面目さで取り組んでいると思うのだが、そもそも厚生労働省は国レベルの協議会のあり方について、「あるべき姿」すら示せていないし、好事例を集めようという気もあまり無いように見える。
あるいは、国政策の現場への具体化としての人材養成や研修について。これも、僕がずっと関わっているが、この領域にもマニュアルはない。国や世界的な理念の変遷、あるいは個別プログラムの解説の本はいくらでもあるが、その両者を、研修という場でどうつないで、現場の人に理解してもらうか、という事が書かれた本もない。ゆえに、来週から相談支援従事者の初任者研修が始まるのだが、結局これも自分でミクロとマクロをひっつける、メゾレベルの講演をすることを心がけて、研修を受ける人にその両者がどうつながっているか、を体得してもらわないと、なんだか一体感も統一性もない研修になってしまう。
事ほど左様に、メゾレベルでは、ある程度の実践者が頼ったり指針に出来る「お手本」が本当にないのである。
また、メゾレベル支援の記述も、問題がある。単純にメゾだけに焦点を当てると、無味乾燥で、組織図的表現しか出来ず、教科書的、厚労省の事務分掌的表現になってしまう。本当に魅力ある形で表現しようと思ったら、実はマクロ的な政策の大局観と、ミクロの個別支援のリアリティの双方がわかっていて、それをつなぐ形での表現が出来ないと、メゾレベルの支援のダイナミズムは描けない。不勉強な僕が、その両者のダイナミズムを描けている本として頭に浮かぶのは福岡さんの本や、こないだご紹介した西田さんの本のような、実践家のリアリティを普遍化していく本くらいしか思いつかない。研究者サイドから、それを普遍的で、かつリアリティと面白さもある内容として整理している本に出会わないのである。
そして、21世紀に入って、マクロな福祉政策の本も、ミクロな支援の関係性の本も、割と勉強になったり面白い本が沢山書店にならんでいるのに、その間をつなぐメゾレベルの面白い本が、本当に少ない。論文も少ない。たぶん書き手も少ないだけでなく、編集者や出版社サイドも、個別支援のリアリティや大局観のような「わかりやすさ」がない、白と黒の中間色のような本は「売れない」「需要がない」と思っているのかもしれない。でも、たぶんちゃんとしたメゾ支援の本なら、ニッチ産業なので、需要もありそうなのだが・・・。
こう書けば、「おまえが書けよ」と言われそうだ。
もちろん、チャンスがあれば、書きたい。できれば、研究者対象の論文ではなく、現場の支援者やもっと多くの読者層に届く何かとして。
ようやく総合福祉法部会の仕事が終わったので、そろそろ自立支援協議会の課題とか、メゾレベルの職員研修の問題とか、個別支援と障害福祉計画をどうつなげるか、というメゾの話を、本当に論じていかないと、いつまでたっても国のパワポや無味乾燥な教科書議論ばかりしか参考書がないと、メゾ支援が成熟しない、と感じている。(その入り口のデッサンは2年前に書いたが、その年の後半あたりから制度改革の話に巻き込まれ、どうもきちんと書けないでいる。) ただ、ミクロとマクロの両方を見つめたメゾの話なので、まとめるのはそう簡単ではないだろう。でも、稚拙でもいいから、書いて示していかないと、ミクロとマクロの問題が乖離したまま、どちらも蛸壺的に話が進んで行きそうなのが一番心配だ。正直、現場のリアリティのないマクロ議論も、あるいは理念や政策の方向性とのリンクのないミクロ支援の話も、どんどんオタク的な専門分化をしていく様相が、障害者福祉領域では見られる。このことを危惧している。そうではなくて、その両者をつなぐような仕事(最近では大野更紗さんがその視点で書いておられるが)を、研究者の方からも、していかないとアカンよなぁ、と思い始めている。
というわけで、今日は何だか半分は実践者の愚痴、半分は研究者としての反省、を込めた、モノローグでした。