キンドルと「坊ちゃん」

今日は久々のぐうたら日曜日。旅の疲れが思いっきり溜まっていたので、思いっきり休むことにする。

なんせ16日に帰国して、17日は午前と午後に講演が一つずつ、18日はオープンキャンパスで模擬講義もあったのだが、どれも滑舌がよろしくない。パワポを事前に準備していた17日はそれでもまあまあ乗り切ったが、高校生とのやり取りを中心にしていた18日には、言葉を噛んだり言い間違えたりする。僕は割と舞台に上がったら強い方で、事前資料が無くてもその場のやり取りの中からまとめていくことは、まあまあ出来る方だから、こんなに噛み噛みになることはあまりない。やはり、疲れが全身に溜まって、言語運用能力にも悪影響を与えているのだろう。「こりゃ、あきまへん」と、早めに退散する。夜はニンニクと生姜をたっぷりすり下ろした鰹の刺身に、ミニチゲ鍋をシャンペン→白ワインで頂き、どっぷり眠る。今日も二度寝、三度寝して、ようやく復活。
そういえば、海外に行っている間に、キンドル3が届いていたので、昨日はそのセットアップ。本当は海外に持って行きたかったのだが、間に合わなかった。ロンドンでもipadを沢山見たけれど、僕のライフスタイルには、too muchのような気がする。何せ、国内であれ海外であれ、出張には必ずアンドロイド携帯とノートPCは持参する。ならば、メールやネット、パワポにワードにツイッターといった常用機能は殆どそのどちらかでカバー出来る。だが、こないだの出張でも一番かさばったのが紙資料と本。現地でもらう資料を捨てる訳にはいかないので、どうしても日本から持ってきたPDFの資料や、ガイドブック・イギリス本・趣味本…は捨てて帰らないと20キロ制限に引っかかる。今回も都合3~5キロ分くらいは捨てたはずだ。
こういう事態になるのであれば、キンドルにある程度、本や資料を放り込んでおけるのは非常に合理的。実際にツイッターで、それを実践しておられる同業者の文章を読み、初期投資の安さ(ipadの3分の1)と回線料がタダなのも決め手になって、キンドルにする。
で、そのキンドルだが、まだ肝心の洋書購入には至っていない。どの本から読もうか、が決まっていないから。新聞(ヘラトリ)を無料お試ししているが、まだちゃんと読んでいない。だが、早速活用したのが、青空文庫から落としてきた夏目漱石の「坊ちゃん」。実験のつもりで落としてきたのだが、読み出したら面白くて、昨晩読み終える。日本語表示も非常に綺麗で読みやすい。「坊ちゃん」を読んだのはもう20年くらい前だが、きっとその頃は、書かれている諧謔性の半分も理解していなかっただろうなぁ、と思う。今頃読むと、ちょうど面白く読めるのだ。まあ、松山人の悪口を書きすぎ、という気もしなくはないが・・・。
「坊っちゃん」は改めて読むと、非常にドライブのかかった小説だ。幕間に色んなスノッブな横文字をちりばめながらも、そんな横文字も分からぬ突猛進型の主人公の赴任先でのドタバタを、青春活劇のように書き進めていく。故郷を離れてはじめて乳母がわりだった清の有り難さがしみじみ実感されたり、派閥抗争に巻き込まれながら山嵐と徐々に友情を交わすようになったり、体裁を繕うだけの組織人と闘ったり、といった青春ストーリーが、100年以上の月日を越えた今日の社会的コンテキストにもそのまま当てはまる、これぞ「不朽の名作」と思う。思い浮かべてみれば、どんな組織にだって、赤シャツや狸、野だいこ的な奴はいるよね、と。
勢いづいたので、明日からの出張には「我が輩は猫である」を落としていこうと思う。これも高校生時代には何だか横文字がさっぱり分からず読めなかったが、もしかしたら一応漱石先生と「同業者」になったので、少しは理解出来るかも、と思ってみたりしている。あと、「阿Q正伝」とか「山月記」なども落としてみた。青空文庫は基本的に著作権が切れた作品が置かれているので、これまでちゃんと出会えていなかった明治期の小説に沢山触れてみようと思う。もしかしたら、キンドルは英語本よりこっちの方でヘビーに使いそうな予感、である。早く和書もキンドルで落とせるようになればいいのだが(特に雑誌は)。
というリハビリ文章を書いていたら、少し頭の解毒作用も出来てきたようだ。
実は帰国直後は、出張中にネットが使えない間に来ていた仕事、あるいは出張中に取り組めなかった仕事、も含めると、9月末〆切の査読の書き直しやら論文執筆やらの仕事が溜まっている事に気づき、かなり焦っていた。それと疲れと多忙が重なって、言語運用の乱丁に繋がっていたようだ。昨日の土曜日など、焦って朝5時頃から起きてみたけれど、キンドルの設定が終わったら二度寝して、結局オープンキャンパス前には何にも仕事が出来なかった。
そう、焦っていても、疲れていたら集中出来ないのが自分の癖。うちの妻に言わせると、「あんた、そんな事も気づかへんなんて、アホやなぁ」と。そう、疲れている時ほど「アホ」なんです。ならば、まずはバッテリーチャージが何より先決。こういう時は、美味しいものを沢山食べて、よく寝て、一日休養するに限る。キンドルも充電しないと使えないように、バタ君も充電しないと頭が働かない。そういう基本的な事は、特に疲れたり焦ったりすると忘れやすい。それを「アホやなぁ」とお知らせしてくださるパートナーに感謝しながら、今日はぐーたら寝て食べて、をしていた。さて、夕方には半月ぶりの合気道。みっちり身体を使って楽しんで、明日からの出張にモードを切り替えるとするか。

ロンドン雑記

ヒースロー空港でようやくWiFiがつながる。10日間くらい、ネットとご縁のない世界。最低限はホテルそばのネットカフェから連絡していたが、久しぶりにネットを断つと、現地での生活がより楽しめたようだ。以下、その備忘録を貼り付けておく。
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ロンドンのホテルについて初めて、このホテルではネットが使えないことがわかった。近所にネットカフェがあるから、急用は何とか済ませることが出来る。だが、それ以外のメールのやりとり、ツイッター、ウェブサイトのチェックから離れることになった。ま、それならそれでしゃあないよね、と諦める。むしろ、不平を言っても始まらないので、日本から離れるチャンスだと思いこむことにする。すると、余計な情報がカットされ、純粋にこの調査旅行を楽しみ始めている自分がいた。以下、その雑記録を綴っておこう。
9月4日(日)~7日(火)
新しい土地に馴れるのには時間がかかる。特に馴れたスウェーデンから、15年ぶりに訪れるロンドンに移動したから、なおさらのこと。20万人の小都市から100万を超える大都市に移ったこと、ホテルの質が落ちたこと、イギリス調査は初めてであること、ネットが使えないので連絡に不具合があること、疲れと時差ボケが重なっていること…こういったことが重なって、何とも覚束ない最初の数日であった。ただ、調査がうまくいっていることと、ロンドンの食事が以外と美味しいことだけが、救いであった。最初の数日間はPCに向き合う気力も起こらず、これも後からの備忘録にすぎない。そして、水曜日あたりから、ようやく備忘録を取り始める。
9月9日(水)
ブリストルに一泊二日の調査に出かける。ダイレクトペイメントに関する調査がもちろんの主目的だが、ロンドンを脱出するのも裏目的だった。
われわれの調査チームが泊まっている大英博物館近くのホテルT。大変ロケーションがよく、かつバスタブもあるホテルなのだが、冷蔵庫もなく、ネットも使えない、古いホテル。古きものを大切に使うのは良い伝統だが、中の作りも古いのは単なる手抜きと思えてしまう。セーターも着込んだスウェーデンからすれば「ぬくい」ロンドンで、ホテルも何となくジメッとしている。確かにバスタブは魅力だが、何となく黴くさい雰囲気で、かつ朝食がすこぶるまずい。というわけで、ちょうどブリストルで2日間予定が入ったことを幸いに、ロンドンを逃げ出したのだ。パディントン駅までタクシーで出かけ、そこから2時間の列車旅。
ブリストルのヒアリングも大変興味深かったが、心象風景も印象的だった。調査の後、風光明媚なホテルのガーデンでビールを片手に、現地の研究者と議論。イギリスのカントリーサイドの美しい夕暮れの光に当たりながら、参加型調査にずっと携わる彼女の話に耳を傾けるなかで、イギリスまでやってきてよかった、というタイミングに出会う。月曜日から彼女を含め、様々なご縁を頂きヒアリングを続ける中で、少しずつ、イギリスの社会的コンテキストの中で、ダイレクトペイメントやケアのパーソナライゼーションという横文字が、自分の身体の中にしみこんでくる。以前なら調査に専心することしか能がなかったが、実はこうやって飲みながら、現地の空気を吸いながら、ぼんやりとした時間がある中で、その地における社会的コンテキストがじんわりと身体の中にフィットしてくるのだなぁ、と感じた瞬間であった。
9月10日(木)
ブリストルで午前中のヒアリングを終え、夕方、ロンドンに戻る。ロンドンに来て5日目にして初めての楽しみ。そう、ディケンズの名作「オリバー」のミュージカルを見に出かけたのだ。
パディントン駅からコベントガーデンまで地下鉄を乗り継ぎ、劇場で当日券を求める。なんと前から5列目がとれた。しかも僕が座った席は、一番のど真ん中。砂かぶり、ではないが、歌い手の地声が十分聞こえる大変よい場所。原作は上巻しか読めていなかったが、ちょうどその上巻に焦点を当てた出し物だったので、内容もばっちりわかった。だが、それ以上に、子役の出演者の見事な踊りに感激する。一人一人の出演者の躍動感がびしびし伝わってくるし、子どもと侮れないほど、みんなすてきな踊りと歌で観客を魅了する。実はミュージカルをちゃんと見たのは、子ども時代に見たアニー以来だが、こんなにミュージカルが面白いものだとは知らなかった。また、新たな世界を発見する。
僕は小説や映画、ドラマが苦手だ。嫌いなのではない。むしろ逆で、あまりにもその世界に同期しやすいので、しんどくなる。現に旅先でディケンズの原作小説を読み始めたのだが、途中あまりにもかわいそうに思えたシーンで「胸つぶれる」思いがして、それ以上読み進められなかった。ドラマでも映画でも、主人公になりきってしまうので、その後主人公が不幸な目にあう、というのが予想出来る状況に出会うと「あぁぁぁ」と思わず逃げてしまいたくなるのだ。そう告白すると、同じ研究チームのI先生に「意外と乙女なのね」と笑われて気づいたが、そう、外見はオッサンでも、中身は乙女なのである。
なので、映画もドラマもほとんど見ないし、小説もあまり読まないのだが、ミュージカルは非常に娯楽的要素が強いので、「胸つぶれる」思いはせずに十分に楽しめた。そして、ミュージカルの世界に触れると、踊りと歌と物語の相互作用に子どものように虜になり、すっかり手を叩いて大喜びしている自分がいる。いやはや、生まれ変わりの今年は、物語とも出会い直しの年なのだな、と改めて感じ入る。
頭の中はまだ音楽が鳴り響いているが、明日は朝7時にホテルを旅立ち調査に出かけるので、そろそろビールの残りの飲み干して寝るとしよう。
9月11日(金)
朝7時にホテルを出る。パティントン駅から2時半、汽車に揺られて、イギリスの南西部、ドーチェスター郊外の障害当事者団体へのヒアリングに出かけた。ヒアリング自体は実に興味深かったのだが、僕自身に馬力が出ないうちに終了してしまう。前日のオリバーを夢中になって見た為、疲れが取れていなかったからだろうか。都合5時間以上列車に揺られていたのだが、日本でのようにパソコンに向き合う気力が沸かない。何となくだらだら寝たり、調査チームのメンバーとオシャベリしたりして、時間を潰していた。そういえば、日本から9月末が〆切の校正原稿1本、新たに書くべき原稿1本の資料も持ってきたのだが、全く手が着いていない。毎日みっちり調査が入り、かつ調査チームの皆さんとのやりとりも楽しんでいるうちに、時間がどんどん過ぎていくのだ。
今回は4人での調査チームだが、毎日顔を合わせ、議論をし、同じレストランで食事をし、たまに部屋でワインを片手に「反省会」をし続けているうちに、すっかり合宿状態になりつつある。たしか内田樹氏が合気道の合宿のエピソードを指して、同期していく楽しさ、というような事を書いていた。今回もチームの4人が調査対象と向き合いながら、共同戦線で調査を作り上げていく、という意味では、同期のプロセスにある。毎日、夕食を共にしながら、でも飽きることなく話は続いていく。しかも3人とも高名な研究者仲間。吸収出来ること、学べることが、研究にしろ、生き方にしろ、実に沢山あって、毎日スポンジのようにギュッと吸収し続けている。しかも、それは文化の吸収でも貪欲だった。
木曜日のミュージカルに続き、ドーチェスターから帰ってきて、荷物を置いてから、夜間延長開放でまだ開いていた大英博物館に飛び込む。何せ滞在先のホテル。中身はショボいが、大英博物館が徒歩圏内という地の利と、バスタブがある、ということが、唯一?の利点なのだ。なのに、毎日調査に忙しくて大英博物館にたどり着けていない。骨董品マニアのK先生は木曜夕方から早速行っておられたが、われわれも一日遅れでたどり着く。世界中の秘宝を一堂に集めたこの博物館に関しては、各国から返還要求が出ていて、それも頷ける程の素晴らしい作品の数々。夜間開放だったので、そんなに人混みに押されることなく、エジプトのミイラやギリシャ彫刻のすばらしさをじっくり堪能出来たのがよかった。
9月12日(土)
土日はようやくの休日。友人に会いに出かける人、一日大英博物館に籠もる人、もいる中で、僕はI先生と共にお買い物ツアーに出かける。骨董市をぶらついた後、お昼にハロッズで美味しいサーモンとワインを頂き、その後、ポールスミスのセールショップでお値打ちスーツと出会ってしまう。さらにはコベントガーデンでパートナーの所望するお土産を見つけ、大満足。一旦ホテルに荷を解いた後、再び出かけたコベントガーデンのインド料理屋も抜群にうまかった。
9月13日(日)
毎日こうして調査に議論に文化に食事に、と沢山吸収しているうちに、疲れも蓄積してきたのであろう。朝からだるく、午前中に訪れた大英博物館の朝鮮・日本館では、楽しみながらも寒気がしている始末。お昼に博物館近くのタイ料理屋でメンバーから「顔色悪いよ。午後は休んだほうがいいんじゃない?」と言われ、ようやく確かに調子が悪いと自覚。だが、タイ料理をバクバク食べ、シンハービールをごくごく飲めているのだから、まだ初期段階なのだろう。ホテルに帰って、3時間ほど休んだら、少し調子を取り戻した。
ただ、他の仲間も疲れ気味なので、夜はホテル近くのイタリアンにまた訪れる。ロンドンはイタリア料理店がここ10年で沢山増えているそうだが、イタリアンの質の良さが、イギリスのレストラン全体の質向上に貢献しているのではないか、というのが、われわれの一致した意見。ま、僕はどうやら少しは「鼻がきく」らしく、これまでの旅で入ったレストランはどこも正解だった。体重計を持参して計っているが、少しずつ増え始めている傾向。朝ご飯で調整したいところだが、腹ぺこで現場に出かけて元気がなくなるのも都合が悪い。何より風邪の初期兆候なので、ここで調子を崩したら元も子もない。これは帰国後に調整、ということだろうか。
9月14日(月)
午前中は精神障害者支援の現場、午後は障害当事者団体へのヒアリング。前者では、現場に勤めて34年、という生え抜きの施設長から話を伺え、イギリスの精神保健福祉の変遷を大変わかりやすい口調でお話頂く。1930年代の民間精神病全盛期の時代から始まり、第二次世界大戦後の1947年に出来たNational Health Serviceによって、医療は全て公営・無料の原則にされ、精神医療もそのスキームの中に組み込まれたこと。その後、1950年代からの脱施設化、60年代からのコミュニティーメンタルヘルスの導入に、70年代以後の社会サービスの導入、などのなかで、漸進的(incremental)に精神保健福祉の改革が進んできた、という歴史をわかりやすくお話し頂く。こういうバックボーンがわかっていないと、政府の白書や報告書を読んでも、その文脈を知ることが出来ない。もちろん、文献にはこのような歴史的事実は書かれているが、現場の生き字引の人から、現場のリアリティに基づいた歴史を学ぶことは、日本では絶対出来ないことである。我が国での地域移行の問題も、彼の話を聞きながらあれこれ考えていた。
午後の当事者団体でのインタビューも大変興味深かった。今回、10日間の調査期間の間に、3つの自治体で、区から委託契約を受けたサービスブローカー役を行っている当事者団体の担当者から話を聞くことが出来た。イギリスは福祉分野でも地方分権が進んでおり、政府が大枠を指し示し、その大枠の中で各自治体毎の裁量が託されている。ロンドンでも各区毎に、大枠の実践のあり方に独自の工夫が見られる。だが、幾つかの自治体の話を伺う中で、大枠として変わらない、鍵となる要点とそれ以外の部分、ということのより分けが出来てくる。そういう意味でも、自治体間の比較は、制度そのもの理解にもつながるのだ。
以前スウェーデンに住んでいた時も、イエテボリの23の自治区のソーシャルワーカーを尋ね歩き、各地区のソーシャルワーカーの障害者への査定の現状を調べ歩いた。その時にも、比較のめがねの中で、スウェーデンの障害者支援の全体像をおぼろげながら掴んだ事を思い出す。そういえば博論だって、精神科ソーシャルワーカー117人への聞きとり調査だった。昔から、方法論的にはこのやり方が自分に合っているようだ。月曜日の朝はまだ調子は今ひとつだったが、馴染みの聞き取り調査の世界にはまっていくうちに、エンジンが入って元気が復活してくるのだから、現金なもの。ワーカホリックそのもの、なのだろうか…。
9月14日(火)
調査最終日。今日は朝から3つの団体へのヒアリング。知的障害者の就労支援組織、女性障害者当事者活動、自治体の知的障害者支援部門と調査が続く。しかも、10時→12時→14時とアポが入っていたのだが、どれも2時間みっちり話を聞いて、後ろ髪引かれる思いで次の調査現場に走って出かける案配。ここまで真面目に仕事をするか、というくらい、濃厚に話を聞いて、仕事をした気分だ。
今回のイギリス調査の中で、多くの発見があった。拡散と収斂、ということを、改めて強く感じる。イギリスが第二次大戦後すぐのベヴァレッジ報告以後、福祉国家を構築していくなかで、早くからNational Health Serviceの仕組みを構築してきたこと。また、行政のソーシャルワークの仕組みも含め、官による体制構築を一貫して築き上げてこと、という部分は、日本と大きく違う拡散の部分だ。また、日本より遙かに多い移民も含めた多国籍国家で、文化的多様性を政策に掲げる必然性が強くある、というのも日本と違う部分だ。
だが、そのイギリスも、ブレア政権以後、そして保守党と自由党の連立政権になった後は特に、民営化とコストカットの嵐の中にいる。話を聞いていて、さすがイギリス、と思う部分もあれば、何だかアメリカや日本の議論に近いなぁ、と思う部分もある。特に、本人中心のロジックがコストカットに変容する可能性について、アメリカや日本の論理と同じ危険性を感じた。こういう部分で、他国の制度政策をマネする中での収斂性も感じる。
さて、このスウェーデンとイギリスの知見を、どう日本に活かせるか。頭をそろそろ日本モードに切り替えながら、帰りの飛行機で考えることにしよう。

森を見るために

マルメのホテルもそろそろ出る時刻。簡単にスウェーデン滞在を振り返っておきたい。

スウェーデンには、気が付けば二年に一度のペースで来ている。最初に訪れたのが大学院の修士2年だった11年前。それから、いろんな調査やご縁があって、7,8回は来ているだろうか。今調べていたら、随分昔に書いたレポートもネットに載っていた。2003年には5ヶ月滞在するチャンスもあった。今回の滞在は、これまでの調査の延長線上だが、違った色合い、質感として捉えられる部分も少なくなかった。
スウェーデンの障害者福祉政策は、17年前に出来たLSSというものに、今も基づいている。このときに構築された対象となる障害者の3つのカテゴリー、10のサービス体系などは、ある程度の完成度が高かったようで、現在でもそのまま使われている。2003年にイエテボリに滞在した際、障害者へのサービスの支給決定の流れなどのシステム的現状を調べたが、このときの報告書は、内容にはアップデートすべきものがあるものの、大枠としてはまだ使える、ということもわかった。(その報告書は次のHPに
今回わかったのは、スウェーデンではその体系をうまく活かすために、様々な積み重ねをしている、ということ。例えばサービス内容に不服を持つ当事者は行政裁判所に訴えるが、その行政裁判所の判例の17年分の積み重ねが、システムの安定性や公平性を保つために大いに活用されている、ということ。障害程度区分といったコンピューターシステムに頼らなくても、一定の公平性は担保出来ることが見えてきた。その時、例えば判断が分かれる長時間介助などについては、支給決定のレベルで三重のチェックを行っていることや、その中で過去の判断基準のデータベースがかなり活用されていることなどもわかってきた。繰り返し言うが、一定の公平性は、コンピューター判定をしなくても、別の方法で十分に実践されている、ということだ。
今回、それに加えて特に興味深かったのは「標準化」を巡る議論。日本では、ケアマネージャーや支援の質の標準化について、様々な議論がなされている。今回、スウェーデンのソーシャルワーカーに、アセスメントにおける標準化について質問をした。その答えが、ある種の「あっぱれ」であった。
「確かにトイレ介助などは、一人何分、など標準化しやすいと言えるかも知れない。でも厳密に言えば、トイレ介助だって、その人の障害の状態によって時間は変わるし、そうやって標準化することは出来ない。私たちは、標準化に力を入れるのではなく、個別のニーズをきちんとアセスメントすることを重視している。」
ごく当たり前のことなのだが、目から鱗、でもある。確かに医療においては、エビデンス・ベースドや質の標準化はある程度可能なのかも知れない。身体器官や臓器は、ある程度の標準的体系を持って動いている。だが、その身体器官をどのように活用するか、という部分は、その文化や社会、というマクロだけでなく、その人の家族関係や考え方、生き方といった、個人レベルでの差異にも大きく左右される。これを標準化するのは、同じ障害であればAさんとBさんが同じ人だ、というのと同じような愚考。頭でわかっていても、標準化の魔力に何となく引っかかっていると、それ以外の有り様を示された時に、そうだよね、と改めて納得する。
また、こう書いていくと、物事をどう捉えるのか、についての己が文化の限界が見えてくる。標準化に代表される考え方は、効率を重視するものの考え方だ。だが、効率は、必ずしも標準化でのみ達成出来る訳ではない。例えばスウェーデンでも障害者のニーズを判定する際にコンピューターを活用する。だが、それは日本のようにADLを機械的に判定するのではなく、これまでどのような障害の、どのような状態のひとに、どういう判断をしてきたのか、という実際の判断内容についての情報を蓄積し、データベース化してきたのだ。つまり、我が国の標準化は、標準化の一つの手段であって、他の手段だってあり得るし、その標準化にもかなりの蓄積と説得性があるのである。
こういう風にみていくと、スウェーデン人の論理構築のあり方や、制度構築の考え方もかいま見えてくる。現場の判定員が、考えながら制度のリアリティを積み重ねていき、その叡智を他とも共有しようという姿勢が、このシステムの継続性を支えている。ワーカーが自分で考える事よりも、障害程度区分という判断基準の「客観性」を担保することを重視する我が国とは、考え方が違うのだ。
別にスウェーデン人が素晴らしくて日本人が劣る、ということを書きたいのではない。この国のシステムにも、固有の問題は色々あるようだ。ただ、他国の制度構築の考え方やその社会的コンテキストを読み解いていくなかで、我が国の制度構築の考え方や、その社会的コンテキストを否が応でも意識せざるを得ない。その中で、どういう歪みやズレが他国と自国で生じた結果、今に至っているのか、についても、おぼろげながら見えてくる。そして、その文化的コンテキストや制度構築のプロセスを理解した上で、出来上がった制度比較をしない限り、「木をみて森をみず」になることも、よくわかってきた。
さて、ロンドンでもちゃんと森がみれるかしら。今から、旅立ちます。

砂時計の周りの風景

砂時計を見るのは随分久しぶりだ。誰もいないサウナで、朝から汗を流す。今日は10時間以上のフライトなので、朝から汗を流せるのはありがたい。今回、前日も東京出張なので、成田空港側のホテルに泊まっている。スーツケースも運ばれており、朝もよく眠れ、ラクチン。朝4時とか5時のバスに3時間半揺られて空港に着くと、それだけでグッタリしていたので、えらい違いだ。
で、えらい違い、と言えば、最近ようやく、海外に行くときは、調査や発表の直接資料だけでなく、滞在先に関係のある本も旺盛に読み始めたことだ。蒸し暑いサウナで砂時計を見ていると、それ以外のものが目に入らなくなる。学会発表でも調査でも、そのことだけに目を向けると、他のことが目に入らない。だから、砂時計の背景の、直接目的以外の、その国のリアリティについて、少しでも目を向け始めたのである。その中で、自分の直接の目的にも関わりのある記述にも、当然出会う。

今回ご紹介するのは、イギリスに出かける前に人に勧められて読み始め、昨晩成田空港のレストランで読み終えた一冊。

「人はしばしば間違った判断を下す。間違った人と恋に落ちる。どんな社会階層のどんな家庭にも、多かれ少なかれアリソンのよう例はある。ただ、裕福かそうかないかで、その先が違ってくる。ミドルクラスの人間なら、若気の至りで少々失敗しても貧困生活に陥ることはまずないが、労働者階級の場合はアリソンとその子どもたちがそうであるように社会の厄介者、つまり社会保障の対象者になってしまう。『市民』なら仲間の失敗も大目に見てくれるかもしれないが、『納税者』の目は厳しい。」(トインビー&ウォーカー『中流社会を捨てた国』東洋経済新報社、p101-102)
日本ではない、イギリスの事情についてである。だが、裕福かどうか、で「失敗」か「社会の厄介者」にカテゴライズされるかがわかれる、という事態は、日本でも拡大しつつあるような気がする。虐待の連鎖が、単なる個人的環境よりも、教育の欠如や低賃金労働の結果として現れている例など、わかりやすいし、残念ながらそういう事情は日本だって増えていると感じる。そして、「市民」としての連帯より、「納税者」としての批判の方が、マスメディアによって喧伝されている、という指摘も、まるで我が国について示しているかのようだ。
日本はもともとイギリスに比べて社会階層間の格差が遙かに少なかったし、階級意識のようなものも彼の国に比べて低かった国であった。そういう視点で見ると、ニューリッチとこれまでのアッパーミドルの間にあるズレや格差、というニュアンスはわかりにくい。だが、納税に対する信頼感のなさ、節税に必死になる高所得者の実態、子どもの貧困が親(特に一人親)の貧困と密接に結びついている、だが特に高所得者ほど社会保障の対象者は努力不足や怠惰が理由であると信じ込んでいる…。こういったストーリーは、我が国でもそこかしこで起こっている事である。社会階層の格差が元々大きかったかどうか、の歴史的歩みの違いがあるのに、中流とよばれる階層が減り、ごく一部の富めるものと、大多数の貧困者に二極化しているという流れは、とても対岸の火事に思えないし、グローバル化の結果として、どこの国にも起こりうることだと感じた。
今回、スウェーデンにも調査に出かけるが、スウェーデンはイギリスや日本より、まだ中流社会が残っているような気がする。それは、所得の再分配機能が強いからであり、消費税も所得税も日本より遙かに高い。納税者背番号制をとっており、税金の補足率も高いし、オンブズマン制度に代表されるように、政治の透明性も高い。それが政治への信頼にも繋がり、納税への信頼感にもつながる。
僕はマクロの福祉国家論の研究者ではない。あくまで障害者政策の実態を両国で調べようとしている。だが、イギリスやスウェーデンでどのような障害者政策がなされているか、という現在の一点のみを分析しても、歯車がかみ合う議論にはならない。どういう歴史や制度的蓄積があるのか、という拡散にも、グローバル化の結果としてどのような同じ方向性に向かいつつあるか、という収斂にも目配りが必要だ。
ただ、だからといって、この前読んだ政治学者の批判は、何だか腑に落ちない。確かにスウェーデンの「国民の家」構想は、誰が国民かを規定しているからこそ出来た部分もある。あるいは優生学的系譜も、彼の国にもあった。だが、日本よりもその反省に基づく政策転換は遙かに進んでいる。隔離収容政策から地域生活支援に大きく舵を切っているし、移民の子どもであっても障害者支援の恩恵は十分受けている。どこの国にも恥ずべき過去はある。問題は、その過去とどう向き合い、どう政策転換を図ろうとしているか、というプロセスだ。ユートピアがないのには同意するし、スウェーデンでもイギリスでも、どこか他国の制度をそのまま持ってきて我が国が薔薇色になるわけがないのも、よくわかる。だが、わざわざ他国を「○○がわるい」とあら探しするより、僕はその国がどう変わったか、どう過去からの問題に現在向き合い、未来をどう描こうとしているか、から学びたいと思う。ま、これは価値観の違いなだけかもしれないが。
そういえば、7年前に半年スウェーデンに住んでいた時に書いレポートは、あくまでもスウェーデンのその当時の現状報告であり、そうなるに至った社会的コンテキストにまで、ほとんど触れることは出来なかった。今回だって準備不足だし、そういう視点はまだ欠けている。だが、以前には見ようとさえしなかった視点に、今回少しずつ気付き始めている。砂時計の周りに、多くの世界が拡がっている。今回の出張はほんの一瞬の滞在だが、なるべく広い領域から吸収してこよう、と思う。