PSWに期待すること

 

というタイトルで8ヶ月くらい前に原稿を頼まれた。精神科ソーシャルワーカー団体のニュースレターか何かだそうだ。もう発行されているらしいが、その誌面は手元に届いていない。後期の授業が始まってしまい、「希望の公式」を今日のボランティア・NPO論で使うために、その原稿の事を思い出した。

せっかくなので、ここに載せておこうと思う。

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「PSWに期待すること」 山梨学院大学 竹端寛

最近、よく引用する「公式」がある。

『希望=精神的な意志の力+目的に至る方法を考える力』
“Hope=Mental Wiipower + Waypower for Goals” Snyder, The Psychology of Hope

精神疾患というとてつもない経験を受け止められず、混乱と不安の中で身も心もボロボロになっている人がいる。他人だけでなく自分自身を信じる「意志の力」をも失いかけている人もいる。自分の困惑の状況を打開する術を知らず、どうして良いのか途方に暮れている人もいる。「意志の力」と「方法の力」の双方が失われつつある中で、いつしか「希望」の灯火が消え、無力感、ひいては「絶望」の奈落へと落とされる人もいる。

そんな状況の中で、PSWの皆さんこそ、「絶望」を「希望」に変える触媒役なのではないだろうか。

例えば病棟で「一生ここに置いてください」という訴えに出会う。あるいは地域で「もう生きていても仕方ないんです」というつぶやきを耳にする。しかし、力量あるPSWならば、この声やつぶやきを安易に自己決定・自己選択などとは考えない。その「絶望」の声の裏側に、本当のところ、どんな思いや願い、本音が隠されているのだろう。そこから、どんな「希望」が導き出せるだろう。そのために、自分がこの人に差し出せる方法論とは何だろう。改めて考えてみると、私が出会ってきたPSWの人びとの仕事は、常にこの「希望の公式」に合致していたような気がする。

時代的に、厳しさや不安感が漂っている。自立支援法の問題、社会資源なさ、地域の偏見、職場の労働環境など、絶望に傾きがちな要素も少なくない。PSW自身が「希望」を捨てかねない状況が見え隠れしている。だが、PSWこそ、希望を紡ぎ出す専門家のはずだ。人びとの諦めや苦しみの背後にある、「声にならない希望」を引き出すことが出来るか。その上で、1人1人の希望を現実化するために、徹底的に方法論を考え抜くことが出来るか。希望はまさに、皆さんの仕事の中からこそ、紡ぎ出されるはずなのだ。

どんなに病状が重くとも、どんなにひどい社会環境であっても、人は希望を持っている。その希望に直接アクセス出来る専門家としてPSWに何が出来るのか。その役割と専門性が、今までも、そしてこれからも、大きく問われ続けている。With Hope!

善く生きる

 

一定以上の力で引っ張り続けると、バネは延びきってしまう。器の小さい人間が、それでも無理して頑張り続けると、摩耗して、気の抜けたサイダーのように延びきってしまう。

休み明けの先週、水曜日の教授会後から、4泊5日のツアーに出かけた。木曜日は三重で1日研修と次回の研修の構築打合せをし、金曜日は古巣のNPO大阪精神医療人権センターのオンブズマン研修のお手伝い。で、土曜の午前は、ある社会福祉法人さんの中堅若手の皆さんで構成される「職員研修プロジェクトチーム」とのミーティングをこなし、土曜午後から日曜午前は、西宮で濃厚なヒアリング。その後、日曜午後はDPI日本会議主催の「障害者総合福祉サービス法」に関するタウンミーティング。折しもその日の朝刊はどれも「自立支援法廃止」という長妻大臣の発言を載せていただけに、何だか時期的にピッタリあたってしまい、気持ち悪いくらい。そういう濃厚な仕事をして、山梨に帰ってきて、くたびれ果てた。

休み明けはボチボチ動くべき、なのに、最初から飛ばしすぎて、少しダウン。本当は寝込みたかったのだが、月曜日は同僚の若すぎる死を悼み、東京までお通夜に出かける。39歳、あまりにも早すぎるし、突然すぎる。水曜日に構内で見かけた時の「普通」の出で立ちが目に焼き付いている。心よりのご冥福をお祈りする。

こういう時、改めて「善く生きる」ことの大切さ、を、深く認識する。志を持ち、原理原則を大切にし、時流に逆らってでも一貫して生きてきた人も、あっけなく死の扉の向こう側に逝ってしまう。残された私たち、という言い方は使い古されているが、しかし、私自身、自らの生を「善く生きる」ことが、「いのち」への尊厳を保つためにも、足下から出来ることなのだ、と思う。日々の実践の丁寧さと誠実さ、が何よりも問われている。

思えばしばらく、無理を重ねていると、延びきったバネ、による金属疲労を繰り返していた。器を広げる為に仕方ない、という見方もある。それも、一方で正しい。しかし、他方で「善く生きる」限界を超えるのであれば、それはバネが切れたり、劣化する、下手したらバネの持続力を、ひいては「いのち」を縮める逆効果につながる。一皮むけるべく必死になりつつ、ひとつ一つの取り組みを雑にしない。一見矛盾に見えるこの命題を、何とか両立させるために、自分に問い続けること。「善く生きる」ために、忘れてはいけないスタンドポイントなのだと思う。

癖の認識

 

部屋を掃除していたら、8月末のゼミ合宿のメモ書きが出てきた。その時に、「いじめ」問題を取り上げたゼミ生の話題を議論して、即興で浮かんだ内容が、何だか自分の今にピッタリのような気がして、慌てて書いたメモである。そのメモを、今日の自分の雑感に重ね合わせながら、少し膨らませてみたいと思う。(って書いたら、だいぶ違っていたのだけれど)

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ある人にとっての「体験的認識」と、世間一般で認識されている「集合的認識」に違いがある場合がある。例えば、いじめられている側の「体験的認識」と、周りの人が眺めた際の「集合的認識」に大きなズレがある。あるいは、小さな子供が生々しく感じているファンタジー的世界と、多くの「大人」と呼ばれる人の見る世界にもズレがある。このファンタジー的世界は、自閉症の人の世界観や、幻覚妄想を持つ人の世界観、とも置き換え可能かも知れない。あるいは環境問題や貧困問題、途上国支援などを「自分事」と考える人の認識と、それらの問題を「他人事」と考える人にも、同様のズレがあるだろう。

その時、マジョリティという名の「集合的認識」の圧力は、「体験的認識」を凌駕するほど、時として強くなる。昨日深夜、偶然見ていたNHKのイチローの9年連続200本安打の記念番組の中で、彼はオリックス時代に、自身の振り子打法が駄目だ、と否定され続け、涙を流し続けてきた、と語っていた。結局、その振り子打法が彼にとって良い、という「体験的認識」を、プロ野球界の常識という「集合的認識」の前でも屈することなく、例え二軍に落とされても貫いたから、今の彼がある。しかし、そんな超人イチローでも、時として、「集合的認識」の圧力は、涙を流すほど、凌駕しそうになったそうである。

何が言いたいのか。つまり、「集合的認識」と「体験的認識」にズレがあった場合、そのズレが大きければ大きいほど、個々人がその「体験的認識」を持ち続けるには、かなりハードな状況である、ということだ。

これを逆に捉えてみると、「集合的認識」の囚われの中に安住している人々には、その「集合的認識」の偏差を自覚し、自らの偏りを補正するために、自らの世界の外に存在する「体験的認識」をも否定せず、そのものとして認識することが大切だ、ということである。だが、「集合的認識」と「体験的認識」にズレがあればあるほど、前者が後者を認めることは、同様にかなりハードな状況である。

このことを指して、阿部謹也も次のように述べている。

「『世間』とうまく折り合うことができな人は『世間』の本質を知り、歴史と直接向き合うことができる。そのような意味で歴史はまず『世間』とうまく折り合えない人が発見してゆくものである。」(『日本人の歴史意識』岩波新書、p203

この阿部氏の文章の「世間」を「集合的認識」と置き換えると、どうなるだろうか。

「『集合的認識』とうまく折り合うことができな人は『集合的認識』の本質を知り、歴史と直接向き合うことができる。そのような意味で歴史はまず『集合的認識』とうまく折り合えない人が発見してゆくものである。」

「集合的認識」とうまく折り合えない「体験的認識」を持つ人がイチローだった、とすると、先のイチローのコメントが、すっと頭の中に入ってくるような気がする。

では、僕自身の立場はどうなのか。今の僕は、あるカナダ人研究者に教えてもらった言葉を使えば、boudary walker(境界線を歩く人)なのではないか、と感じている。昔から気になっていた色々な問題は、よく考えれば「集合的認識」と「体験的認識」の境界線や際(きわ)にあったような気がする。中心と周縁でいえば、後者のマージナルな領域。中心が定められた円の内部と外部が触れる接点あたり、というべきか。その外部に排除された側の視点に立つ人から、多くの事を教えてもらい続けてきたような気がする。そして、その視点から、「世間」という名の「集合的認識」であり、日本の「中心」を眺め続けてきたような気がする。

あと、僕自身が「しゃあない」(=仕方ない)という言葉が一番嫌いなのも、このことに関わりがあるかもしれない。仕方ない、というのは、「集合的認識」にとっては周縁であり、切り落としてしまっても、中心には影響が与えられない部分だからこそ、容易に切り落とされる部分である。しかし、周縁から眺めてみれば、切り落とされた「体験的認識」の中にこそ、「世間」のメガネに曇らされていては見えない「歴史と直接向き合う」可能性がある、ともいえる。確かに、現実問題として、全てを「しゃあない」と言わない、で生きていくことは出来ないかもしれない。だが、少なくとも自分が「わかる」範囲で、「自分事」としてのリアリティが持てる範囲では、「しゃあない」と言わずに、その「体験的認識」に耳を傾け続ける事が大切ではないか。これは、当為ではなく、しみついてしまった僕自身の癖のようなものかもしれない。

夏の終わりに

 

遅めの夏休みも終わった。今日からみっちり仕事の再開である。

10日間の夏休みのうち、1週間はインドネシアのバリ島にいた。そのうちの殆どをスミニャックのビーチでボンヤリしていた。もちろん、クタやデンパサールにお買い物に出かけ、ジンバランのビーチで夕日を見ながら魚料理(イカンバカール)に舌鼓を打ったりしたことは、断片的記憶として残っている。だが、それ以外のことは、ぼんやりしている。

毎日予定らしきものはあまり入れず、文字通りボーッとしていたからだ。偶然宿泊先のホテルは、日本人が殆どいなかったことも幸いして、すっかり日本的なものから離れ、ということは必然的に仕事の事も忘れた。出かける前は、「パソコンでも持って行ってこれからのことを練ろうか」などと阿呆なことを考えていたが、あんな重い塊を持って行かなくてよかった。毎日、海を眺めて、本を読んで、うたた寝して、ちょっとだけ泳ぐ。そうしている内に、ノートにメモを取るなんて事も出来なくなり、ただただボンヤリの繰り返し。そういう徹底した「放電」状態が、逆にバッテリーチャージに大変重要だ、と、帰国して気づく。そう、帰国後、ここしばらくとらわれていた、あの嫌な切迫感から解放されていたのだ。

なるべく、日常的なものから離れるため、旅のお供本もすこし毛色の変わったものばかりを持参した。例えば、こんな感じ

「われわれは、今日の大衆人の心理図表にまず二つの特徴を指摘することができる。つまり、自分の生の欲望の、すなわち、自分自身の無制限な膨張と、自分の安楽な生存を可能にしてくれたすべてのものに対する徹底的な忘恩である。この二つの傾向はあの甘やかされた子供の真理に特徴的なものである。そして実際のところ、今日の大衆の心を見るに際し、この子供の心理を軸として眺めれば誤ることはないのである。」(オルデガ・イ・ガセット『大衆の反逆』ちくま学芸文庫、p80

80年前の警句にみちたこの本を、最初に手にしたのは15年前。大学生の頃、他大学の思想史の有名人教員のゼミに「もぐり」をした時の、指定書籍だった。ただ、忙しかったのと、その先生との相性が合わなかった事もあり、ゼミも出席は数回で、オルデガのこの本も結局読まずに「積ん読」となっていたのだ。今回初めて通読してみて、ジャーナリストでもあるオルデガの、その読みやすい文体と、内容の普遍性に驚きながら、頷いていた。なるほど、「甘やかされた子供」とは、言い得て妙なフレーズ。「無制限な膨張と徹底的な忘恩」に浸ると、確かに会社は潰れ、社会は駄目になる。世襲政治に代表される今の日本社会の多くの断片に当てはまるだけでなく、別に二代目三代目ではないけれど、先達からの叡智への忘恩がないか、と問われると、己自身にもグサッとくるフレーズ。あと、脈絡はないが、別の本のこんなフレーズも気になった。

「かつては作者の独創性、他に少しも依存しない独創性こそが創造の根源であり原動力であると考えられていた。それに対して引用の理論の目指しているのは、ほかのテキスト(プレ・テキスト)からの直接、間接の引用、既存の諸要素(先立つほかのテキストの諸部分)の組み替えのうちに、作品形成の仕組みと秘密を見出すことである。(略)たしかに<引用>の観点が導入されることによって、かつてのような素朴で牧歌的な<独創性>の観念は崩れ去るであろう。けれども実際には、引用においても既存の諸要素の自由な組み替えという点で、創造活動はまぎれもなく働いている。むしろ引用の理論は、創造活動が決して真空の中で無前提におこなわれるのではないこと、創造活動の実際の有り様は既存の諸要素を大きく媒介にしていることを、かえってよく示している。」(中村雄二郎「ブリコラージュ」中村雄二郎・山口昌男著『知の旅への誘い』岩波新書p32-33

この本も、1981年の著作なので、もう30年近く前になる。以前に書いたが、確か予備校生か大学1年頃の、「知」そのものへの憧れを持っていた頃に古本屋で買い求め(後ろに200円と書かれていた)、憧憬の眼差しで読んだ本である。十数年ぶりに読み直し、改めて二人の「智の巨人」の叡智に触れ、最近の自らのタコツボ的閉塞感を反省しながら読んでいた。また、オリジナリティにこだわりたくとも沸いてこない哀しさを感じていたのだが、改めて「既存の諸要素の自由な組み替え」こそが「創造活動」なのだ、と後押しを得た。これなら、僕にも出来るし、ささやかながらし続けてきた事でもある。結局、無から有を作る天才型、ではなく、目の前のものをウンウン唸って組み合わせて、何とか形を整える「ブリコラージュ」型なのだ、と改めて再認識する。

あとは、まだ読み終えていないのだけれど、600頁もあるThe wind-up bird chronicleの3分の1は読み進めた。2月のカリフォルニア出張の際に買い求めた、村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」3巻分の英訳合本、である。日本語版は2,3度読んでいたので、筋は頭に入っている。むしろ、場所と言語を変えて読むと、新たな発見も少なくない。特にこの本は、大学生の頃に読んだ一読目ではその世界にのめり込んでしまい、読み終わった後、しばらくその世界から出られなかった思い出がある。それだけ、引きずり込む力の強い本であるがゆえに、慣れない言語で突っかかりながら読むと、読み流せない、引っかかりが出来る部分がある。言語的な未熟さによる引っかかりが勿論大半なのだが、でも一部で、諸要素間の関係について再考を促す引っかかりも出てくる。村上作品を「味読」したい場合には、こういう読み方も「アリ」だ、と再認識させられる。

そんなこんなで、仕事の事は考えずに、プラグを抜いてボンヤリできた。で、今日からグーグルカレンダーをのぞき込むと、また、みっちり詰まっている日程に逆戻り。休みボケもまだあるのだが、今から夕方まで、二つの会合に出ずっぱり、である。さて、寝言はこれくらいにして、そろそろ起きなくては。