癖の認識

 

部屋を掃除していたら、8月末のゼミ合宿のメモ書きが出てきた。その時に、「いじめ」問題を取り上げたゼミ生の話題を議論して、即興で浮かんだ内容が、何だか自分の今にピッタリのような気がして、慌てて書いたメモである。そのメモを、今日の自分の雑感に重ね合わせながら、少し膨らませてみたいと思う。(って書いたら、だいぶ違っていたのだけれど)

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ある人にとっての「体験的認識」と、世間一般で認識されている「集合的認識」に違いがある場合がある。例えば、いじめられている側の「体験的認識」と、周りの人が眺めた際の「集合的認識」に大きなズレがある。あるいは、小さな子供が生々しく感じているファンタジー的世界と、多くの「大人」と呼ばれる人の見る世界にもズレがある。このファンタジー的世界は、自閉症の人の世界観や、幻覚妄想を持つ人の世界観、とも置き換え可能かも知れない。あるいは環境問題や貧困問題、途上国支援などを「自分事」と考える人の認識と、それらの問題を「他人事」と考える人にも、同様のズレがあるだろう。

その時、マジョリティという名の「集合的認識」の圧力は、「体験的認識」を凌駕するほど、時として強くなる。昨日深夜、偶然見ていたNHKのイチローの9年連続200本安打の記念番組の中で、彼はオリックス時代に、自身の振り子打法が駄目だ、と否定され続け、涙を流し続けてきた、と語っていた。結局、その振り子打法が彼にとって良い、という「体験的認識」を、プロ野球界の常識という「集合的認識」の前でも屈することなく、例え二軍に落とされても貫いたから、今の彼がある。しかし、そんな超人イチローでも、時として、「集合的認識」の圧力は、涙を流すほど、凌駕しそうになったそうである。

何が言いたいのか。つまり、「集合的認識」と「体験的認識」にズレがあった場合、そのズレが大きければ大きいほど、個々人がその「体験的認識」を持ち続けるには、かなりハードな状況である、ということだ。

これを逆に捉えてみると、「集合的認識」の囚われの中に安住している人々には、その「集合的認識」の偏差を自覚し、自らの偏りを補正するために、自らの世界の外に存在する「体験的認識」をも否定せず、そのものとして認識することが大切だ、ということである。だが、「集合的認識」と「体験的認識」にズレがあればあるほど、前者が後者を認めることは、同様にかなりハードな状況である。

このことを指して、阿部謹也も次のように述べている。

「『世間』とうまく折り合うことができな人は『世間』の本質を知り、歴史と直接向き合うことができる。そのような意味で歴史はまず『世間』とうまく折り合えない人が発見してゆくものである。」(『日本人の歴史意識』岩波新書、p203

この阿部氏の文章の「世間」を「集合的認識」と置き換えると、どうなるだろうか。

「『集合的認識』とうまく折り合うことができな人は『集合的認識』の本質を知り、歴史と直接向き合うことができる。そのような意味で歴史はまず『集合的認識』とうまく折り合えない人が発見してゆくものである。」

「集合的認識」とうまく折り合えない「体験的認識」を持つ人がイチローだった、とすると、先のイチローのコメントが、すっと頭の中に入ってくるような気がする。

では、僕自身の立場はどうなのか。今の僕は、あるカナダ人研究者に教えてもらった言葉を使えば、boudary walker(境界線を歩く人)なのではないか、と感じている。昔から気になっていた色々な問題は、よく考えれば「集合的認識」と「体験的認識」の境界線や際(きわ)にあったような気がする。中心と周縁でいえば、後者のマージナルな領域。中心が定められた円の内部と外部が触れる接点あたり、というべきか。その外部に排除された側の視点に立つ人から、多くの事を教えてもらい続けてきたような気がする。そして、その視点から、「世間」という名の「集合的認識」であり、日本の「中心」を眺め続けてきたような気がする。

あと、僕自身が「しゃあない」(=仕方ない)という言葉が一番嫌いなのも、このことに関わりがあるかもしれない。仕方ない、というのは、「集合的認識」にとっては周縁であり、切り落としてしまっても、中心には影響が与えられない部分だからこそ、容易に切り落とされる部分である。しかし、周縁から眺めてみれば、切り落とされた「体験的認識」の中にこそ、「世間」のメガネに曇らされていては見えない「歴史と直接向き合う」可能性がある、ともいえる。確かに、現実問題として、全てを「しゃあない」と言わない、で生きていくことは出来ないかもしれない。だが、少なくとも自分が「わかる」範囲で、「自分事」としてのリアリティが持てる範囲では、「しゃあない」と言わずに、その「体験的認識」に耳を傾け続ける事が大切ではないか。これは、当為ではなく、しみついてしまった僕自身の癖のようなものかもしれない。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。