関係論的時間という妙味

子育てをしながら、子どもという他者とどう向き合うか、をモヤモヤする時がある。めちゃくちゃ可愛い、でも、とんでもなくややこしい。そして、思い通りにならずに腹が立つ時がある。その時に、娘は自分と違う他者である、という娘の「他者の他者性」を理解出来ていないのだな、と痛感するときがある。だからこそ、磯野真穂さんが独立後に初めて書かれた新書『他者と生きる リスク・病い・死をめぐる人類学』(集英社新書)は、興味を持って読んだ。

この本は、往復書簡『急に具合が悪くなる』(晶文社)のお相手であり、亡くなられた哲学者の宮野真生子さんから託された「問い」を、磯野さんが全身全霊を込めて、人類学的知をかき集めながら深めて、考え抜いていくプロセスが書かれている。その最終章で、統計学的人間観と個人主義的人間観、関係論的人間観の三つの人間観が対置され、深められていく。その考察が、非常に興味深かった。

「私たちが誰かと共にいるという『共在感覚』を持つ時、それは規則性をそこに感じ取っているからだけではない。目の前の相手が手持ちのいくつかの選択肢の中からひとつを選んで相手にそれを投げ放つ。それを受けて自分も同様の選択を行い、相手への投射を行う。このようなやりとりが互いの間でなされているとの実感が持たれる時、共在の枠は初めて双方の相互行為を支える枠として立ち上がる。」(p246)

年長組の娘と、最近はボールけりをしばしばする。単にパスをし合うだけ、なのだが、それは非常にありありと娘と共にいる「共在感覚」をもたらす。この記述をトレースするならば、彼女がボールをどんな風に蹴るとか、あるいは「ちょっと休憩する」とお茶を飲み出すとか、「サッカーはもう止めとく」とジャングルジムに行くか、親は予測できない。もうちょっとボールを蹴っていたいのに、「もう止めとく」と突然宣言されることもあるし、「上ボールを蹴って!」と、バウンドするボールを蹴るよう指示されることもある。彼女がどのような選択肢を用いるか、は、ぼくには直前までわからず、そのたびに微調整が迫られる。

これは、ぼくのコントールが出来る範囲内を超えている、という意味で、時には面倒くさい。娘と共にいると、つねに臨機応変さが求められる。標準化・規格化された対応とは全くかけ離れていて、振り回されている感覚もある。でも、変な話だが、そうやって娘と遊んでいる時、ありありと「娘と共にいる」という「共在感覚」を持つのだ。面倒くさいけど、面白い。

そして、その共在感覚を、宮野さんはこんな風に深めていく。

「相手の投射を引き受けるという選択は、相手の投射が自分を生み出すことを許容し、そこで生み出される自分を発見することである。関係論的人間観において、関係を持つ自己と他者はあらかじめ確定していない。投射によって互いが互いを生成し合い、それを見いだすことで『私』/『あなた』という存在が初めて生まれる。その『私』/『あなた』の生成の瞬間こそが関係論的時間における時間の萌芽であり、その関係性が維持され、その踏み跡が振りかえられたとき、そこで私たちは関係性が編み出した時間という生のラインを発見する。」(p250-251)

仕事をバリバリこなす、とか、業績をじゃんじゃか生み出す、という生産性至上主義の枠組みにはまり込んでいると、その論理に合う形で統計学的人間観に己を切り捨てるか、あるいは他者との関係を切り捨てる形での個人主義的人間観に埋没しやすい。ぼくも、恥ずかしながら子どもが生まれるまで、そうだった。

でも、夜中だろうがお構いなしに泣き叫び、親がそこで関与しないとあっさり死んでしまう、究極の脆弱性(Vulnerability)を抱えた赤ちゃんである娘を目の前にすると、こちらの勝手な都合は、まさにお構いなしになる。娘が泣き出す、という形で「投射」してきた何かを親のぼくが引き受けないと、娘は下手をしたら命を失いかねない。そんな娘の存在や彼女の投射が、父親というぼくを生み出すのだし、それによって「父」が生み出されたことを発見するのである。泣き出す娘と、そこに対応しようとするぼくという投射関係によって、「『私』/『あなた』という存在が初めて生まれる」。これはまさにケア関係が生み出される瞬間である。

そして、関係論的時間とは、ケアを主軸にした時間であり、それは統計学的人間観や個人主義的人間観における時間感覚とは違うものである、とも磯野さんは指摘している。

「統計学的時間は過去と未来を一直線に結び、まっすぐに進むが、関係論的時間は必然領域と偶然領域の間を揺らめきながら未来に向かって進む曲線である。このため感じ取られる時間の長さにおいては後者は前者より常に長いが、日常生活においてふたつの時間は近似するため、統計学的時間を関係論的時間とすることの違和感は生じない。ただこの二つの時間に大きな乖離が生じることがある。それが関係論的時間の直線が大きく偶然領域に沈降し、その後上昇カーブを描きながら必然領域に立ち上がる場合である。このとき行為者が実感する時間は、沈降し上昇した分だけ物理的な時間に比して大幅に伸長するため、統計学的時間を凌駕する。」(p251-252)

予期せぬ偶然に支配された時、直線的時間感覚は歪み、「揺らめきながら未来に向かって進む曲線」に変化する。磯野さんは、宮野さんが死にゆく存在となったときに、向かい合ったことだとおもわれる。そして、実はぼく自身も、義父の死を通じて、そのことを経験し、それを言語化してみた。(「死にゆく者が生者を束ねゆく:アクターネットワークセオリーで辿る義父の死」

他者の死は、もっとも偶然領域に近づく出来事だが、それほど極端ではなくても、偶然領域に支配されることは沢山ある。それは、2年前のCOVID19初期における学校の突然の休校期間(「ケアを軽んじていないか」)であり、子どもが突発的に風邪を引いたり、調子を崩すことである。想定外の出来事で、当初思い描いていたストーリーなり段取りがなぎ倒しにされることは、子育てで本当にしばしばある。

新刊『家族は他人、じゃあどうする?』にも書いたエピソードだが、子どもが夜泣きしている時に、朝の3時とかに、子どもを抱っこしながら子守歌として「線路は続くよどこまでも」を歌っていた。今から考えると、この夜泣きはいつ収まるのだろうと寝ぼけ眼で絶望的な気分になっていた父の無意識の反映が「続くよどこまでも」の歌詞に投影されていたのだと思う。子育ての先輩からは、「大変な時期って一瞬で過ぎるのよ」と何人もから言われた。そして、実際に過ぎ去ってみると、確かにその通りである。だが、その渦中でパニック状態にいる時は、「なにが一瞬やねん!」とその言葉にもキレていた。永続的に続く大変さのように感じていた。そう、あの夜中の三時は、「関係論的時間の直線が大きく偶然領域に沈降し、その後上昇カーブを描きながら必然領域に立ち上がる」瞬間であり、だからこそ、永遠に続くかのように、長く長く感じていたのである。確かに、時間は歪んでいた。

「関係論的人間観の中で時間を捉える時、時間を生み出す自他は偶然から生まれ出た存在であるゆえ、『この私』『このあなた』が生まれ出る様相は直線では捉えることができない。それは偶然領域から必然領域に上昇する曲線を引くことで初めて現すことが可能となる。」(p262)

生産性を高めるため、時間管理術の本を必死に読み漁っていた30代前半のぼくは、時間は標準化・規格化されたものであり、であるがゆえに、コントロール可能だ、と思い込んでいた。でも、子どもという具体的な他者と共に生き、彼女自身も標準化・規格化された時間を生きる前の状態であるならば、『この私』『このあなた』によって織りなされる時間は、直線的時間から大きく異なる。

関係論的時間は、想定外で「読めない」がゆえに、ぼくをいらだたせたり、不安にさせる。だが、そんな時間があるからこそ、『この私』と『このあなた』を、ありありと実感させる。それはアンコントローラブルだ。でも、だからこそ、豊穣な時間なのかもしれない。そして、生老病死とは、そのようなアンコントローラブルな時間が増えることである。

先日、難病のタニマーのお二人と食事をしていたが、難病を抱えて生きる、とはアンコントローラブルな自己と向き合う日々だ、と深く教わった。そして、私自身は、子どもが産まれてから、ようやっとそのようなアンコントローラブルな日々とは何か、を自分事として理解出来るようになった。そして、アンコントローラブルな時間領域を切り離した標準化・規格化された時間の表層性と暴力性、を改めて考えるようになった。

最近、ケアを主軸にした社会としてのケアリングコミュニティがぼく自身の一つのテーマになっている。それは、「24時間働けますか?」という昭和的おっさんの価値観がバリバリ出ている弱肉強食主義の社会とは対極の、か弱い者、想定外に行かない事態、を織り込んだ社会のありようである。でも、日本社会の失われた30年とは、「24時間働けますか?」がドミナントな社会ではなくなった、にも関わらず、それ以外の時間感覚を獲得出来なかったがゆえの課題ではないか、とも思っている。それは、昭和的価値観を適切に弔うことが出来なかった、という風にも言えるかもしれない。

失われた30年を取り戻すために必要なのは、そして結果的に日本社会がイノベーティブでオモロイ社会になるためにも、「24時間戦えますか?」的なマインドセットを「これまでありがとう。でも、もうそれでは生きていけないから」と適切に弔った上で、関係論的な『この私』と『このあなた』を大切にする生き方に変えていくことができるか。それが問われているようにも感じる。