オープンダイアローグな4日間

木曜日から日曜日まで、フィンランドのオープンダイアローグにドップリ浸かっていた。『オープンダイアローグ』の著者、ヤーコ・セイックラさんとトム・アーンキルさんの二人のセッションが、木曜日は京都で、金曜夕方から日曜までは渋谷で、行われた。この濃厚な4日間に立ち会った記録を、友人向けにメモ書きしていたら、「それを公開してほしい」というご要望を頂いた。なので、皆さんにお裾分けさえて頂きます。なにぶん僕自身の感想なので、本当に学びたい人は、上述の本などをしっかり読んでくださいませ。

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<①5月13日:オープンダイアローグセッション@キャンパスプラザ京都>
僕は『オープンダイアローグ』の翻訳をされた高木さんにご指名を受けて、日本評論社主催のセミ・クローズドなセッションのファシリテーターとして立ち会う。即興性を大切にして、セッションをガチガチに組まなかったので、わりと緩い感じのセッション。対話がしっくり行き始めた段階で、2時間半のセッション終了、という感じ。
たぶん東京セミナーのかりっとした構造化とは違う、ゆるい枠ゆえに、まとまりも緩かったけれど、でもきらりと光る断片も色々伺えました。
特にメモしておきたいのは、感情を表現するということ。ある夫婦が関係性のしんどさを抱えていた。で、そのしんどさの源流をたぐるうちに、どうやら夫の父親が軍人で気持ちを表現しなかったことがわかってきた。また、お母さんは、ご本人が8歳の時に、「自分は他の男の人と付き合っている」ということを聞いて、ショックだったという。そこで、ヤーコさんが「私はその話を聞いて、心がズンと沈む」と話すと相手は泣き始めた。ヤーコさんも、一緒に泣いていた。そこから物語が動き始めた、と。
専門職は「泣いてはいけない」「巻き込まれてはいけない」と信じ込まされているけど、もっと感情を素直に表現しても良いのではないか。なぜなら、患者と医療者、ではなく、人間対人間、のつきあいであれば、そういう感情を表現するのもごくナチュラルなことだから。そう二人は言っていた。
そして、その時大切なのは「あなたは大変でしたね」と解釈することではない、という部分。「私はそれを聞いて胸が痛みます」と、自分を主語にして、自分の主観性を出した上で、相手の主観的話にコミットすると、お互いが相互作用的に「共進化」し始める、ということ。ようは、専門家と患者、という枠組みに縛られず、本気で本音で人間としてぶつかることが出来るか、という部分。ここが、オープンダイアログの鍵の一つなのかもしれない。そう感じた夕べだった。
<②5月14日:オープンダイアローグワークショップ@渋谷、一日目だん>
「ここで話されていることと、自分の人生とを結びつけていますか?」という問いが、最も本質的に感じられた。先にツイッターでも書いたが、自分を開いて、自己開示をして、相手と本気で対話するというのは、ある種の生き様が問われる話。とても、技法論やマニュアルうんぬんの話ではない。
目の前に、不安や心配で押しつぶされそうな人がいる。その人と接する私も、ある種の押しつぶされそうな気配を感じる。そういうダイレクトな感情を、相手にも伝わる形で、「私は○○だ」と自分を主語にして伝える事ができるか、という問い。そして、自分がそうやって教師とかセラピストとか立場や役割に固着化せず、それを隠れ蓑にもせず、一人の人間として、相手と「いま・ここ」で時間と空間を共有する覚悟を持っているか。それが、生き様が問われている、ということなのだろうと思う。
セミナーの後、森川すいめいさんとも話していたが、例えばホームレスのおっちゃんは、その覚悟がない人とは会話が成立しない。立場や肩書きなんて気にせず、人間として「なんぼのもんか」をしっかり見ているのが、おっちゃん達の強さ。それは、「私はこう思う」というのを、まず差し出す勇気を持っているかどうか、ということを査定する目でもある。
確かにトレーニングも必要だし、技法論的な事もある。でも、やっぱり構えや生き様の部分もあるようにおもう。相手を変える前に、まずは自分が変わる。他者性を尊重する、ということは、自分自身の固有性とかユニークさを尊重することがないと、成り立たない。
「どれだけ会話を深めても、ヤーコはトムになれないし、トムはヤーコになれない。でも共有する部分が多くなり、ダイアローグがより豊かになる。」
この語りが教えてくれるのは、教師-学生、支援者ー対象者という切り分けた境界を越えて、つながることが出来るか、という問い。これが「共進化」の鍵なのだと改めて感じた。
<③5月13日:オープンダイアローグセミナーメモ その3>
昨日のセミナーでもう一つ印象的だったのが、「水平の対話」と「垂直の対話」。水平とは、会話している人々の間での横での対等なやりとり。そして、垂直とは、内なる声との対話。
そもそも、権威主義的な関係であれば、水平の対話がままならない。そのなかで、不満や違和感という内なる声が出てきても、「どうせ」「しゃあない」と蓋をしてしまう。すると、垂直の対話の回路も閉ざす。つまり、権威主義的な関係性であれば、水平方向にも垂直方向にも閉ざされた、二重の意味でのモノローグになるのだ。
だからこそ、その関係を変えるために、まず自分自身の内なる声に耳を傾けることが重要なのだろう。これは、言語的表現に限らない。ある対話環境の中で胃のむかつきや圧迫感、身体のだるさや哀しみ、不安などを感じたら、その身体表現が何のお知らせなのか、をちゃんと内なる声として主題化した方が良い、ということだ。そういえば、これって昔読みふけったアーノルド・ミンデルのプロセス心理学でも同じ事を言っていたな、と思い出す。
そう、内なる声としっかり対話が出来た上で、相手(集団)との対話を始めると、軸が定まる。だからこそ、それが権威的な関係でも、あるいはそうでないものであっても、その雰囲気そのものとの対話が可能になるのかもしれない。そして、このことに自覚的である事は、対話のファシリテーターとして、決定的に重要なのかもしれない。
「他人と対話する前に、自分の内なる声をしっかり聞いて、受け止めていますか?」と。
この「構え」が技法以前に決定的に大切なような気がする。
<④5月15日:オープンダイアローグセミナー感想その4>
木曜日からの移動続きの疲れがピークになったのか、昨日は10時半頃に寝落ち。結局朝7時まで寝ていたので、朝ランも断念。でも、すがすがしい朝。
昨日のセッションですごく心に残っているのが、「集合的モノローグ」という話。トムがチェーフォフの演劇を用いながら話していた事で、人が沢山集まっても、みんな自分の言いたいことや立場の話しかしていないと、それは集合的モノローグだ、と。多職種連携の会議でも、そんな集合的モノローグになっていませんか、と。
そういえば、参加していてつまらない会議って、集合的モノローグになっているのですよね。それは、「つまらない」という内なる声と、そこでなされている議論がアクセスしないから、結局モノローグで終わってしまう。
それから、ダイアローグは創造的なものであるとも言っていた。そう、何かお互いが知らない新しい価値なりアイデアが生み出される瞬間は、そこに存在する歓びのようなものがある。これは、文字通り創造的瞬間。そういう歓びは、自分が「いま・ここ」にしっかりとコネクトしている(結びついている)からこそ、生み出されてくるもの。裏を返せば、集合的モノローグとは、みんながその場にいるのに、「いま・ここ」とは時制の異なる自分の「過去」「未来」の世界(内なる声)に埋没して、そこには「いない」状態なのかもしれない。
未来想起型ダイアローグなんかで、ファシリテーター役割に求められるのは、集合的モノローグから、ほんまもんのダイアローグに転換するための、「いま・ここ」へのチューニングなのだろう。それは、ファシリテーター自身が、ちゃんと自分の内なる声に従って、「いま・ここ」につながった上で、他の人が「いま・ここ」に繋がれるように、意図して「1年後、もしあなたの状況が劇的に改善されたら?」という「未来」の質問をして、みんなをその世界に誘うのかもしれない。そして、当事者や家族がその未来語りを共有し、専門職もその話の世界に調和していくなかで、「その未来語りをしている」という「いま・ここ」にみんなが乗ってくる。それが、トムが何度も言っていた「フロー」(流れ)に乗る、とういことなのだと思う。この流れに棹せず、うまく流すのを支えるのが、ファシリテーター役割なのかもしれない。
だからこそ、ファシリテーターは、その事例と関係のない人で良い、むしろ関係のある人なら、その人はそこに既に巻き込まれているから良くない、ということなのだろう。ファシリテーターに求められているのは、柔軟に流れに合わせて、その流れ全体に同期しながら、人々の語りの促す、ということなのかもしれない。
<⑤5月15日:オープンダイアローグWSメモ その5>
今日は会場内の仕切られた場所で実際のミーティング行われ、全ての参加者の音声が聞こえ、また映像にはヤーコさんが映し出されることで、オープンダイアローグの実際を感じるセッションだった。昨年9月にケロプダス病院では生のセッションに参加させてもらったが、その時はフィンランド語がわからなかったので、雰囲気を垣間見るだけだったので、今日の音声とつなぎ合わせながら思った感想を。
「大事なことは最初の1,2分で生じる」と言われていたが、1回目のセッションは、期せずしてその通りになる。冒頭では当事者に名前をお尋ねた際、自分が乗っ取られた幻聴の名前を話し始めた。なので、最初は訳がわからなかった。でも、ヤーコはその意味を聞き、悪魔の名前だ、という説明を聞くところから話がスタートした。
後で考えると、たぶん名前やその意味を最初にヤーコが聞くとき、こういう風に「乗っ取られた名前」を言う人もいるのだろう。そして、それは支援者に対して、「さあ、どうする?」という突きつけなのかもしれない。でもヤーコは当然のように、その乗っ取られた人の名前や意味を聞き、またボブやジミーなど、様々な乗っ取る人の話もスーッと聞いていく。日常の中でこの人はそういう多様な声に出会っているのだから、「その声のある日常」として接しているのが、非常に印象的だった。
とはいえ、そこには家族も参加している。家族には、「その声のある日常」についてどう感じているのか、を尋ねていく。事実確認でも、尋問でも、解釈でもない。あくまでも、「声のある日常」とはどういうものか、をもう少し詳しく本人から教わりたい、そしてそれを家族はどう感じているのかも知りたい、というアプローチだった。そういう意味で、専門性が日常性とスーッと結びついている感じがした。だからこそ、本人も家族も初対面のヤーコに対して、彼らの日常を沢山話してくれているようだた。
また、「あなたの話を聞いていて僕に思い浮かんだことは」とか、「僕がその場面だったから、こんな風に感じる」とか、「僕の経験では」という形で、自分の意見をあくまでも「いま・ここ」に結びつけて話をしているのも、印象的だった。
「相手を変えよう・治そう」というアプローチは、どうしても操作的になる。そして、それは特に困難を抱えている人にとっては、自分達のしんどさや不安、大変さを理解されることなく一方的・教条的なアプローチに映る。当然、反発も起こる。でも、「今日の話から○○を私は学んだ」というヤーコのフレーズに象徴されるように、自分が相手から学ばせてもらう、というのは、文字通りの双方向に感じた。支援者の聴き方が変わる・違うからこそ、その家族世界以外には開かれていない、「閉ざされた煮詰まり感」が少しずつその場に表現されていくのも感じた。
相手を変える前に自分が変わる、というのを、ヤーコは常に実践しているのだなぁ、という姿勢を垣間見た瞬間だった。
<⑥5月15日:オープンダイアローグWS感想 その6>
ある福祉現場の参加者の方から、会の終了後、「今回の経験をどう活かせば良いのでしょうか?」というお尋ねを頂いた。僕自身も一参加者なので、よくわからないし、そんな事は軽々しく言えない。でも、僕自身が活かせるなら、ということで、こんな事をお伝えした。
「まず、誰かへの直接支援の現場で、いきなりこれを使おう、とは思わない方が良いと思います。それは、百害あって一利なし、だから。そうではなくて、自分の職場の中で、例えば同僚とか、連携する同業者に対する自分のアプローチを変える。そういう練習から始めてみるのも、一つかもしれません」
これはヤーコとトムの本でも、繰り返し書かれていることだ。「相手を変えるのは難しい。それより、自分が変わることの方が簡単だ」と。逆に言えば、自分を変えることも出来ない人が、他者の変容に立ち会えることは無理だ、という厳しい警句とも言える。このセミナーで学んだことを、自分の日常世界にどう取り込むことが出来るのか。これが、専門性と日常性を切り分けない、専門性を日常性の中に取り入れる、という事の真意なのだと思う。
高木俊介さんは『オープンダイアローグ』の訳者解説の中で、仏教の「往相」と「還相」の話を引き合いに出している。「往相」が専門性を学ぶ時期であるとするならば、専門性を身につけた後、日常世界の中で専門性を前面に出さずに仕事をする構えを導き出すのが「還相」である、と。そういう意味では、ワークショップで学んだ時間を「往相」とするならば、それを日常に生きる、普段の仕事の場面で、まずは同僚や同業者など、比較的害のないところで、そのスタンスを「日常の構えとして生きてみる」ということが「還相」に近いのかもしれない。そして、それは行きつ戻りつ、を繰り返すプロセスなのかもしれない。
これは実は、僕自身のこれまでの生き様と重なる部分も少なくない。僕は、大熊一夫師匠や大熊由紀子さんなど、何人かの方々に弟子入りし、知識や経験のみならず、先達の生き様を学ばせて頂いてきた。特に、大熊一夫師匠には、文字通り「内弟子」として、大学院生の頃、行動を常に共にさせて頂き、ご飯をご一緒し(ごちそうになり)、師匠があちこちに出かけるのにずっとくっついていった。その中で、師匠の生き様を文字通り習得しようと、必死になった。そして、師匠のもとを離れ、大学教員として、ある種の「真打ち」になってしまった後も、折に触れ考えるのが「師匠だったらどう考えるだろう」という点である。大学院生として師匠に弟子入りしていた頃が「往相」だとしたら、大学教員になった後の僕は、「還相」モードに入った。でも、師匠に学ばせて頂いたり、今回のような新たな叡智を学ぶ時には、学び手として再び「往相」に戻る。そして、明日以後の日常の中で、今日の学びをどう生きることが出来るか、の模索が始まる。
一日目、トムから「あなたの人生にどうコネクトしていますか?」という問いがなされた。その問いは、ワークショップでの学びを、あなたの日常の中で、どう生きますか、活かせますか、という問いなのだろうと思う。僕自身は、授業やゼミの場面で、あるいは会議や事例検討会などでも、もっと「いま・ここ」に結びつこうと思う。なるべくそこに参加する多くの人の声との多声性やポリフォニーと響き合う水平の関係を大切にしながら、一方で自分の「内なる声」との対話という垂直の関係も、常に意識しようと思う。特に、「焦っている」「いらだっている」「操作的・支配的になろうとする」という、不安や否定的な声を蓋したり、見ないふりをすることなく、もっとその声に素直を聞き、その声とも対話しようと思う。これが、WSという往相で得た学びを、明日以後の生活という「還相」において生きるための、僕にとっては大切なポイントなのだと思う。
そのためにも、力んだり、勢いづいたり、必死になっている時ほど、「少し落ち着け」と自分に語りかける必要がありそうだ。もっとリラックスして、自分の声と相手の声に耳を傾けてみようよ、と。ネガティブな思い込みに支配されず、水平と垂直の関係性をもっと大切にしてみようよ、と。そういう実践の積み重ねが、少しずつ、自分の「還相」と結びつくように、生きてみたい。
帰りの「あずさ」の中で、そんなことを感じた。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。