月: 2010年8月
「自分の監獄」への気づき
旅に出る前は、しばしばとっちらかっている。今回は明日からスタートするのだが、物理的に見ればスーツケースは既に成田空港のホテルに送ってしまったので、余裕はある。だが、心理的にあれやこれや気がかりなことが詰まっている。
中身の問われる「ポジティブ」
前回のブログでギデンズ・渡辺氏の著作に基づいて「ポジティブな福祉」についてのコメントを書いておいた。何というシンクロニシティなのか、一昨日あたりにリリースされたばかりの今年の厚生労働白書をみてみると、「参加型社会保障(ポジティブ・ウェルフェア)の確立に向けて」とある。早速、中を覗いてみると、こんな風に整理されている。
「ポジティブな福祉」への道程
韓国から帰国した翌日から、スウェーデン・イギリス調査の仕込みを始める。気がつけば、来週行くんだものねぇ。まだ、全く予習もしてないし。
関連づけを意識する
今日は金浦空港から。行きは成田-仁川、帰りは金浦-羽田と飛行機を変えてみた。金浦空港は免税店はショボいが、市内からのアクセスは良い。奥さま向けの化粧品は金浦空港で買えたので、用は済んでしまった。あと1時間ほど待ち時間があるので、いつものように旅のまとめを書いておきたい。
亀のようだが進んでいます
In order to answer these questions, this paper analyzes JDP in comparison with LTCI in six points; coverage, fairness, benefits, service delivery, relationship with other sectors, and cost controlling. From this study, it was found that the weak side of LTCI was revealed when its system was partly adopted by JDP; for example, the failure of the assessment of mental status and the standard care time methodology. The differences between persons with disabilities under 65 and the aged ones in various areas also articulated LTCI’s defects; i.e. difference of the needs and wants, the attitude toward institutionalization, and the notion gap between the rights of “the beneficiary” and those “on an equal basis with others”. This study will contribute to the discussion not only on JDP but also shortcomings of LTCI in Japan.
<制度化>への「地すべり的」移行
まず自分の畑を耕せ
ずっと昔も書いた事があるかもしれないけれど、僕は休むのが上手ではない。
即効性と種まきの弁証法的統一に向けて
今日は最終の「ワイドビューふじかわ」。先週の土曜日に乗って以来なので、まだ一週間も経っていない。だが、先週のことが遠い過去のように、ここしばらくも濃密な日々が過ぎ去っていく。今日は三重からの帰り道。
以前から何度か触れているが、三重県の障害者福祉に関する特別アドバイザーの仕事をこの3年間、させて頂いている。山梨でも4年間させて頂いていて、両県の現場に関わることで、僕自身が学んだことは数限りない。山梨では明日、障害者の地域課題について議論をする場(自立支援協議会)の県・地域合同協議会が開かれる。こういった内容は、国から「すべし」と言われてするものではなく、山梨の実践のリアリティの中から、「あってもいいよね」というコンテキストが創発し、産み出されてきたものだ。そういう協議会作りに、ご縁あってその最初から関わっているので、山梨らしい、その地域に合わせた枠組み作りとは何か、をゼロから考える貴重な経験をさせて頂くことが出来ている。
そして、貴重と言えば、三重での経験も、山梨とは別の意味で貴重だ。山梨では、地元ということもあり、しょっちゅう打ち合わせをしたり、あちこちの市町村や現場で対話をする事が出来る。事実、多くの現場での対話を繰り返してきた。その中で、様々な新しいコンテキストも紡ぎ出してきた。だが、三重の場合、静岡経由、新横浜経由、塩尻経由のどの経由で出かけても、5時間近くはかかる。一時期は「週間ミエ」なんて事もあったけれど、そんなにしょっちゅう出かける訳にもいかず。なので、自ずと山梨での立ち位置と変えざるを得ない。その中で、ちょうど声をかけてくださった主催者(三重県庁の担当室長)の意向もあり、三重でこの3年間取り組んできたのは、人材育成に特化した支援であった。その原点になるメールを今探してみると、次の4点の問題意識が綴られていた。少し専門的になるが、そのままご紹介する。
①現在の障害者をとりまく新しい動きが行政職員にも十分に伝わっているのか。
②障害当事者に対する地域のケア会議や自立支援協議会が十分に理解されているか
③アウトリーチ(出前の福祉)が出来ているか。
④地域で暮らすのが困難といわれる対象者が市町の地域で暮らすにはどうしたらいいか
⑤行政職員が施設の実態を知っているか?在宅の障害者の置かれている状況を把握しているか?
このメールをくださったWさんは、県庁の一般職として向き合ったケースワーク業務を通じて障害者福祉の仕事の面白さにはまり、以来ずっと福祉職を続け、今はその現場でのトップとして活躍して来られた、という興味深い経歴をお持ちの方である。現場に精通している政策マン故に、ミクロとマクロの解離、ソーシャルアクションの不足・不在、専門家主導と当事者主体の違い、「援護の実施者」としての行政責任の所在、など、鋭い問題意識を持つ、カリスマ職員である。ただ、他の多くのカリスマ職員と同様、「職人芸気質」「背中で仕事を見せる」というタイプの方であり、僕とは真逆で自分の成果を伝えようとしない謙虚さが身に浸みている方でもあった。よって、「次代に伝える」という部分で弱点を持っておられた。僕が職員研修や組織改革の仕事をしていることを聞きつけ、そういう「次代に繋ぐ」人材育成をお願いしたい、と依頼された仕事であった。
そういうオーダーであったが故に、今から遡及的に振り返ってみると、「次代に繋ぐ」という長期的展望と、すぐに役立つという即効性という、相矛盾するニーズに応える必要があった。この年は障害福祉計画という自治体に作成義務のある計画の見直しの年だったので、それに焦点を当てて一回目は私が講演をしたのだが、事の始まりはこのときの次のような感想からだった。
・「計画の見直しについて具体的な内容に踏み込んだものを期待したい」
・「どこかの市町の計画を例に挙げて話をして欲しい」
・「計画の概要だけではなく、具体的にどこかの例をあげて、その数値をどのように検討していくのか、実際に計画に取り組む立場で悩むことなど教えてほしい。初めて書く分野について、より良いものや地域の実情に応じたものを考えていくにはどうすれば良いか。」
これらの感想を端的に言えば「もう大学の先生の理論的話は結構。具体的に役立つ話を次はしてほしい」ということになる。つまり、長期的展望云々より、まずは即効性のある内容をして欲しい、という切実な担当者の訴えだったのだ。
この感想を読んだのは、2回目の研修をする事になっていた前日の打ち合わせ。正直、読みながら目の前が真っ暗になっていったのを覚えている。だって、自分がデザインした内容とは、全然違うオーダーが受講者から出されたのだ。当然、かなり困った。だって、僕自身は自治体担当者だった経験はない。福祉計画作成に実際に携わった事もない。その中で、現場の人に求められてもいない研修を一方的にしても、百害あって一利なし、そのものだ。しかし研修は既に明日に迫っている…
そんな打ち合わせの中でふと、現場で実際に当事者の声に基づき政策形成にまで携わっている(ミクロとマクロソーシャルワークを両立している)人に話をしてもらったらどうだろう、と浮かんだ。一人は先述のWさん。もう一人、自治体からそういう人に話をしてもらい、僕が「徹子の部屋」ならぬ「寛子の部屋」として代表して話を伺っていけば、「現場の悩み」に基づき、それを乗り越えるエッセンスを引き出せるのではないか。まあ、そんな発作的な思いつきから、ある自治体職員であるMさんをWさんがご紹介頂き、結果的にはそのMさんにも一昨年、去年の研修デザインにずっと関わって頂く事になった。しかし、そうやって受講者代表のような存在も巻き込みながら、受講者の感想に基づいて内容を大胆に変えていったからこそ、双方向の研修が実現し、その研修の場で議論された量的・質的分析(圏域単位の個別給付の給付率分析や困難事例分析)の中から、三重県の障害福祉計画の圏域分析の原案が出来上がる(詳しくは次のHPの第三章 4.圏域の現状と課題を参照)など、結果的にはインターアクティブな研修が出来上がっていった。
(この研修のプロセス分析は、次の文献として整理しています。竹端寛「福祉行政職員のエンパワメント研修-障害福祉計画作成に向けた交渉調整型研修の試みより-」山梨学院大学『法学論集』。ご興味のある方にはお送りできますので、メールにてご一報ください。)
こういう双方向の研修をするためには、当然濃密なコミュニケーションが必要とされる。結果として5回シリーズの研修だったのだが、そのための打ち合わせに3週連続で、しかも祝日に打ち合わせする、という非常識な事もしたけれど、研修チームの皆さんは「何とかええもん作りたい」と乗ってきてくださった。その中で、終わってみれば、次のような感想が出てきた。
・福祉一年生にとっては、かなり難題であった。課題(宿題)をじっくり考える時間的余裕が欲しい。
・結局、最後まで「困難事例を捉え直して…」ができませんでした。(現場を知らないからですね)でも計画の見直しにあたっての考え方などはよくわかりました。何とかこの5日間の研修をもとに実行にうつします。ありがとうございました。
・かなりハードな5回の研修でしたが、参加してよかったと思っています。福祉担当職員としては必要な知識(心構え)ばかりだと思います。
今から振り返ると、これらの感想にあるように、結果的には相当ハードで高いハードルになった研修をやりきってしまった。何せ、企画したわれわれ研修チームには、全くの前例も参考事例もない中で、文字通り全パッケージを作り上げたのだ。今から思えば、よくやるよ、という世界である。だが、そういう事をしながら、種を蒔き続けたのに、反応が出始めている。昨年頃から、三重のいくつかの現場で「行政の担当者が『当事者の声を聞く』という言い出した」「自立支援協議会の形だけでなく、中身についても考えようとしはじめている」という声が出始めた。芽があちこちで出始めているのである。
とはいえ、一年の研修だけでは勿論終わりではないので、昨年は「個別支援計画から自立支援協議会へ」、そして今年は「当事者の声を聞くとは何か」とテーマを変え、3年間の研修で重なり合う部分も持たせながら、研修を続けている。そして、一年目の研修チームでは、僕自身がかなりイニシアチブをとったが、二年目から三年目にかけては、どんどんチームの構成員メンバーでのイニシアチブの範囲を増やす方向にシフトしてきた。たとえ僕自身が「カリスマ講師」になっても(実際はそうではないが)、「タケバタがいなくなったらオシマイ」であれば意味がない。であれば、県のチームの中で持続できる研修作りが必要だ。この思想は、今年度から、県独自研修だけでなく、県が必須事業として行う研修にも拡大し、人材育成チームとして機能し始めている。つまり、人材育成の研修という点が、チーム作りという面に、そして継続的な研修体系作りといった立体に機能し始めているのだ。その中で、「特定の人格のエンパワーメント」(安冨歩)が行われ、そこから「カリスマ職員」の「職人芸」を引き継ぐリレーが行われつつあるのである。
こういうリレーに関わるのは、勿論時間がかかる。一方で、毎年毎年の即効性が求められる。だが、その両者が調和しながらも両立する時、拡大する螺旋階段的な、とでもいうような、渦やコンテキストの創発と拡大が進んでいく。それこそが、人材育成の仕事の醍醐味である。それを、フィールドプレーヤーとして学ばせて頂きつつある、というのが、偽らざる実感だ。まとめてみるならば、即効性と種まきの弁証法的統一への気付き、とでもいえようか。
さて、今年の研修では、どんなワクワクを形作ろうか。今日の仕込みにその片鱗が見えていたので、来月からのスタートが楽しみである。
ミッションを考える
今日の身延線は遅れている。市川大門の花火大会の影響だそうだ。そういえば何年か前、北海道からの帰りの高速バスが、石和の花火大会の終わった直後に突っ込んで、大変な思いをしたことがある。ま、夏は仕方ないよね、と思いながら、亀山郁夫訳の「カラマーゾフの兄弟」を読み始める。昨日今日と大量のアウトプットをしたので、全く別のコンテキストのインプットを心から求めていた事がわかる。おかげで、小説はするすると心に染み入り、僕自身もようやく疲労モードから回復しつつある。それにしても、この二日間は、よくしゃべった。
昨日はあるNPOの将来構想計画について議論する為に、大阪入りする。ドラッカーの『非営利組織の成果重視マネジメント』という自己評価のハンドブックを片手に、そのNPOの使命や顧客、顧客が価値あると感じるもの、などを問い直していく。NPOの専従スタッフと、その現場から多くの事を学び、ボランティアとして関わり続けている若手研究者達による議論。その中で、大きな議論の一つとなったのは、「成果とは何か」であった。これについて、先述のハンドブックでは次のように書かれている。
「何を測定し、モニターするか。どのような尺度が適当か。成功のために欠くことのできないものは何か。非営利組織が自らの成果を定義するために、このような問いかけが必要だ。そのためには、使命に戻らなければならない。自らの能力、働く環境、そして活動分野に関する既存研究や事例について熟考する必要がある。
第一の顧客の声に注意深く耳を傾け、彼らが誰であり何を価値ある者と思っているかについてのあなたの知識を使って考えてみるといい。つまり、対象の定性的および定量的側面について考えるのである。このような方法で努力すれば、ボトムラインを決めることができ、その結果、組織の何を評価し、判断すべきかがわかってくる。」(ドラッカー&スターン編著『非営利組織の成果重視マネジメント』ダイヤモンド社,p42-43)
そのNPOでは、設立して年月が経ち、今、新たな方向性を巡っての転機の時期にいる。それはつまり、これまでの成果尺度の限界と、新たな成果やゴールについての模索である。更に言えば、顧客についての再定義と、顧客に向けて何を使命として仕事すべきか、の非営利組織のビジョンの見直しそのものでもある。僕自身、その団体から様々な恩恵を受け、現場のリアリティについての沢山の示唆を受け、自分自身の今を形作る上で少なからぬ影響を受けてきた。それゆえに、第三者の外部の研究者、という一歩引いた視点ではなく、大切に引き継ぎたい、守り続けたい叡智・宝をどう捉え直せば、次の20年、30年へと活かせるのか、を我が事として考えている。そして、それを考える場に立ち会えた事の喜びと、社会的責務や使命のようなものも、同時に感じていた。そう、そのNPOの使命について考え直す中で、改めて研究者としての自分自身の使命についても考え直していたのだ。
それは、実は今日の会合にもつながる。今日はこの春からの自分自身の変容に大きな影響を与えてくださったF先生とランチをご一緒させて頂いた。夏休みの高槻西武のレストランは恐ろしく騒々しい空間で閉口しながらも、先生にお話したいこと、伺いたいことが色々あった。自分自身、この半年弱の中で、殻を破り、とらわれからの脱皮を試みつつある。以前は馴染みのあるフィールドに関してはインターアクティブだったが、それ以外の場ではアクティブかリアクティブかの一方通行だった。わあわあと他人事として批判するか、あるいは防御反応的に殻に閉じこもるか、の、二極分解だった。普段の職場や親しくさせて頂いている人はあまり信じてもらえないかもしれないが、僕がインターアクティブであるのは、あくまでも自分が守られていると思う局所的範囲での振る舞いだった。そして、それが自分の可動領域や可能性を狭める、一番の理由だった。
だが、この春以後の変容の中で、ベイドソンやポランニー、モランなどの著作を媒介にしながら行いつつあるのは、自分自身が作っていた殻や壁を取り払う作業であった。社会的立場や役割の鋳型に絡め取られ、自分の論理性の薄さへの引け目から論理的であろうと過度に強ばっていた事も加わって、本来の自分の魅力である「直感に基づく編集能力」に蓋をしていた。それが、昨年から始めた合気道、この半年で実ったダイエットなどの、主に身体の変容によって蓋が開き始め、固着した考えの蓋を取ることができはじめた。もっと様々な分野で、心の強ばりを外し、インターアクティブになってもいいのではないか、と思い始めた。それが、自分自身の「直感に基づく編集能力」を活かすことであり、ひいては自分自身の使命を全うする上でもダイレクトにつながっている、とようやく自信を持って言えるようになってきた。そして、その歩みに背中を押してくださるのが、F先生とのやりとりであったのだ。
そう考えると、この二日間は、強く自分自身のミッションについて考え直す旅であった。電車は15分遅れになったが、花火も見れたし、考えもまとめられたので、結果的には程よい遅れであった。