方法論の刷新

タイトルは仰々しいが、中身は現実的だ。

ウメサオタダオ展に出かけた、という事を前々回のブログでご紹介した。
今回氏の著作を何冊か集中的に読む中で、以前読んだつもりだったけれど、ちゃんと記憶にも残っていないし、また書架にもなかった大ベストセラー『知的生産の技術』(岩波新書)を、東京出張のついで、昨日オアゾの丸善で買い求めた。
実は読み直す以前にも、改めて方法論の刷新が必要だ、と感じていた。みんぱくにつとめる大学時代の同期のO君から、展示会の折に『特別展「ウメサオタダオ展」解説書「梅棹忠夫 知的先覚者の軌跡」』を頂いたのだが、このガイドブックは非常に内容が濃くて、学ぶことが多かった。その中でも、方法論に関しては、山根一眞氏の『情報の整理と再構築の偉大な一歩』というエッセーに非常に心惹かれていた。その中で山根氏が梅棹氏から言われた言葉が、非常にあまたの中に残っていた。
「山根君は『B6カード』を使うことで、情報をどう扱うべきかを学んだ。それで、自分なりの方法や技術を産み出した。そういうことを想定して書いたのが『知的生産の技術』なんです」(p100)
つまり、ばらばらの情報をB6カードに「発想メモ」としてとり続け、何かのテーマについて書くときには、テーマや小見出しからそのカードを引っ張り出して、並べ直し、「こざね法」でカードなりメモなりを組み合わせ、論理を発展させていく。梅棹氏の友人、川喜多二郎氏のKJ法と共に、情報を帰納法的に集約していく中で、大きなテーマでのひとまとまりをつける、という編集機能を備えたやり方が、B6カードによる知的生産技術の要旨である。
このやり方を、パソコンやクラウド時代にどう活かせるのだろう? そう考えていた矢先、昨年の夏に人から教わったけれど、放置していたEvernoteを思い出した。そうか、あれはカードそのものだし、ファイルメーカーと違ってクラウドだから、アンドロイド携帯とも同期出来るのではないか、と。
ネットで調べてみたら、gmailと同時活用している人の本や、『知的生産の技術』との関連性で論じている人の本など、ちゃんと気づいている人は沢山いたのですね。上の二つの本も、早速アマゾンで購入。
仕事の方法論については、山梨県や三重県の障害者福祉のアドバイザーをし始めて、学外での社会貢献の仕事がかなり増え始めた3,4年前に、ビジネス書やライフ・ハック系の本、また「週刊東洋経済」「日経ビジネス」[The 21」などのビジネスマン向け週刊誌をかなり貪り読んだ。その中で、仕事の締め切りに対する意識や、常に先々の仕事を見据えた中で早め早めに処理する技術など、方法論的なものについて、ある程度学んだ、つもりでいた。事実、以前に比べたら、仕事の処理速度はかなり速くなっていたと思う。
ただ・・・。
それでは、事務仕事や講演のパワーポイントなどは早くこなせても、論文など、じっくり考えて文章にしていく作業に活かされていなかった。処理は出来ても、「知的生産」には至っていない、という不全感が、ずっと蓄積したままだった。本は以前より膨大に吸収し、昨年あたりから色々新たな気づきもあって、それをブログやツイッターで時に触れてアウトプットもしているけれど、それはあくまでも情報の断片であり、その情報の断片と、これまで研究してきた自分の研究テーマや主題との関連づけが非常に薄い、と感じた。つまり、以前、我が学科のM先生から言われた「雑学王をどう脱するか?」という壁を、超えられないまま悶々としたままの自分がいたのだ。
そんな中でのEvernoteくんとの出会いは、実は雑学王を脱するための、僕なりの処方箋にもなり得る、と勝手に夢想している。
僕は、いちおう障害者福祉政策の専門家、というタグが貼られているらしい。たしかに、障害者の地域移行や地域生活支援などで、文章も書いている。しかし、それにとどまらず、高齢者福祉や地域福祉、ボランティアやNPO、支援や新しい公共など、より広いコンテキストの中で、自分の研究が位置付いている、と感じている。また、最近どうもユング心理学系が気になって仕方がないが、もともと博論時代からの主題である、「精神障害者のノーマライゼーション」課題の、主観ー実存的問題と、社会環境(の障壁)との相互作用論も、自分の中でアクチュアルな主題となりつつある。複雑系やメタ認知理論、フーコーにメルローポンティも、単なる趣味を超えて、関係があるような気がして仕方ない。
そんな雑食家が、雑学王を超えて、ちゃんと情報を関連づけ、つなぎ直す方法。それが、クラウド環境やITメディアを活用した、現代版のこざね法的、KJ法的法的な「知的生産の技術」ではないか、と感じている。これまで試行錯誤しながら、「情報をどう扱うべきかを学んだ。」 その修行時期がそろそろ終わり、「自分なりの方法や技術を産み出」す時期に移行しているのではないか。そう感じていた。
ゆえに、今日からEvernoteは早速大活躍している。メモを書きまくり、そこで気づいた事はツイッターに加工したり、逆にツイッター内容を貼り付けたりして、メモをどんどん膨らませていく。研究室で死蔵しかけていた幾つかのキーブックも、「著者にとってのだいじなところではなく、自分にとってのおもしろいところ」としての「わたしの文脈」(「知的生産の技術」p112)でノート化していこうと決めた。
ここしばらく、情報をむやみやたらと吸収しているばかりでなく、きちんと分析して、考えて、アウトプットしたい、と思い続けてきた。それが、ウメサオタダオ展という媒介項で、知の巨人とつながり、そこから自分なりの方法論について刷新するチャンスをいただけた。なんとありがたい学恩。
出来の悪い一研究者だけど、氏から勝手に受け継いだと思い込んだバトンを手に、自分なりに知的生産の大海に漕ぎ出したい。

バランスを考える

前回のブログを書いたのは大阪、上本町のホテル。その後、大阪で講演し、翌日と翌々日は三重県のお仕事で研修にみっちり関わって、帰ってきた時には、ひどく疲れて果てていた。それでも、翌日講義をしてから、東京での会議に行こうとしていた。だが、さすがに体力の限界一歩手前。ドクターストップならぬ、妻からの「倒れる前に休んだら」の一言で、仕事をキャンセルして、火曜水曜と静養する。

倒れるまで最善を尽くして働いても、その後、沢山の穴を開けることになるくらいなら、倒れる前に、休みを入れる。いや、その前に、4月末からの20日間の間に、金沢2泊3日、京都・岡山3泊4日、大阪・三重3泊4日、というタイトな予定を入れる事の方が、問題性が高い。連休で、同僚の結婚式に実家周り、それに講演が重なった事による無茶なスケジュールだが、もう少し1ヶ月とか半年とか、見通しを立てた日程調整をしなければ、とつくづく痛感。
火曜日も水曜日も、最低限の講義だけをこなして、家に直帰してゆっくり休んでいたら、何とか復活。やはり、寝不足と移動時間の長さが応えたようだ。何せ、一日5時間以上の移動が計7日、という強行スケジュールで、しかもずっと旅というわけではなく、その間に甲府に戻って講義もしたり、という環境を続けて来たので、平時と旅路の混ざり具合もしんどさに拍車をかけていたのだろう。何せ、オン・オフの切り替える暇もなく、ずーっと5速で走り続けて来たのと同じだから、そりゃあ、モーターも焼け焦げます。というわけで、先週後半はかなりセーブモードで過ごしていた。
そのクールダウンの時期に読んだのが、もう1年も前に買った次の二冊。
『未来を変えるためにほんとうに必要なことー最善の道を見出す技術』(アダム・カヘン著、英知出版)
『シンクロニシティー未来をつくるリーダーシップ』(ジョセフ・ジャウォースキー著、英知出版)
ちょうど一年前にカヘンの『手ごわい問題は、対話で解決する』ジャウォースキーの『出現する未来』を読んで、ブログにご紹介もしていた。そのときに買ってはいたのだが、書棚に寝かせていた両著者の別の本を、改めて読んでみて、なかなか刺激的だった。いつものように両方の引用をする、というよりも、印象に残っている事を、デッサンしてみようと思う。
この両者は、ロンドンのシェルの世界戦略を考える部門で共に仕事をした事がある、というだけでなく、ある共通点がある。それは、徹底的に論理的に考え抜いた上で、論理思考以外の何かを取り込みながら、自らの思考を発展させて来た、という点である。
カヘンはアパルトヘイト後のアフリカや内戦後のグァテマラなど、コンフリクトや対立の激しい現場において、方向性をまとめ上げ、コンセンサスを作るファシリテーターの仕事をずっと続けてきた。ジャウォースキーは、一流弁護士の立場を捨てて、リーダーシップを育てる為のフォーラムを組織したり、あるいはシェルでは90年代の激変期にシナリオ・プランニングの仕事を続けてきた。両者とも、科学的因果論で徹底的にロジカルに考えた上で、その論理だけでは突き抜けられない壁を、生成的複雑性やシンクロニシティの考え方を取り入れながら、バランス感覚や直観も大切にしながら、乗り越えていく。そのプロセスの物語自体が大変興味深いだけでなく、東洋人の僕からすると、西洋的思考の限界を東洋的叡智を吸収しながら乗り越えていく、という点でも興味深い。
ニュートン・デカルト的な心身二元論的思考は、産業革命や大量生産・大量消費というパラダイムシフトをもたらし、ヨーロッパ・アメリカ主導型の20世紀型文明を構築する事に高く貢献した。だが、その因果論的な思考の枠組みそのものが、実験・論証可能なものに限定する事によって成り立つ世界である。メタ認知的に考えた時、認知可能なものしか認識せず、それ以外のものについては口を閉ざす、というあり方は、確かに知的には誠実かもしれない。だが、「だからこそ、それ以外のものはない」という思考は、実はそれ以外の可能性のふたを閉ざす可能性があるのではないか。そのことは、これまでバーマンの『デカルトからベイドソンへ』、あるいは佐藤優の『国家と神とマルクス』などの著作に引き付けて、ブログでも書いた事がある。20世紀の後半、特に複雑系の知識が広まった後に明らかになってきたのは、因果論的科学思考の外側にも、何らかの世界観がある、ということであり、それは仏教哲学やユング心理学、老荘思想などでは、ずっと前から言われていたことを再発見する過程でもあった、ともいえる。
とまあ、小難しいことを書いていたが、結局のところ、自然と人間、論理と直観、心と身体、男性と女性、文明国と発達途上国、一神教と多神教、などを二項対立として浮きだたせ、そのどちらかを優位だと盲信するところに、問題の複雑化、絡まり具合のさらなる混乱化がある、ということは、どうやら間違いないようだ。だが、だからと言って、今傾いている一方を否定して、もう片方に傾けば、オカルト主義か、あるいは逆のイズム信奉者で終わってしまう。大切なのは、自分がどの領域に偏っているのか、それ以外の何が足りない(見えていない)のか、という己の偏差を自覚し、吸収できそうなものがあれば、適宜吸収する、というバランス感覚なのだと思う。
そのバランス感覚で言えば、合気道をするようになって今月で3年目に突入するが、身体の声をちゃんと聴いてこなかった、ということが、最近は以前より、よくわかる。身体が固い、凝っている、疲れて悲鳴を上げている・・・などのことは、以前は全くセンサーを切っていたので、気づけなかった。だが、先週のダウン時も含め、限界でヒューズが飛ぶ・ブレーカーが落ちる前に、危機を察知することが、少しずつではあるけれど、できるようになってきた。そして、昨日の朝は、急に緑が恋しくなって、近所の武田の森まで車を走らせ、午前中は森林浴。すっごくエネルギーを充填できたので、その後は仕事もはかどり、今日は模様替えや書斎の整理まではかどった。
ことほど左様に、バランスを保とうと意識することが、何らかの歪みやひずみを補正し、邪気を払い、まっとうな魂の感覚を保全するために、実に大切なのだ、と、昨年から感じつつあるし、今年はとみにそれを意識している。
さて、そろそろ合気道の時間なので、今日はこの辺で。

フィールドワーカーの原点

常々、僕の師匠から言われ続けた事がある。
「足で稼げ」
師匠大熊一夫は、朝日新聞記者からジャーナリストを経て、大学教員になった経歴を持ち、今は再びジャーナリストに戻った。幸いなことに僕は大学院生として彼に師事し、ジャーナリストに戻られた後も、折に触れご指導頂き、その謦咳に触れている。師は、『ルポ・精神病棟』などの名作で知られる、対象にギリギリ迫って本質を平明な言葉で鷲づかみにするジャーナリストである。
それまで弟子も持たず、最前線のジャーナリストであり続ける為にも早期退職した師匠が、自らの体験知や方法論を後人に伝えたい、と3年間だけ教育職に就かれた。一方、新聞記者に憧れながら就職活動にも躊躇っていた僕は、「一流ジャーナリストの弟子入り出来る」という安直な気持ちで、大学院の門を叩く。あれから14年。たぶん僕は大熊一夫という師匠に弟子入りしなければ、大学教員として働くことはなかっただろうと思う。それを、再認識したのが、師匠に学んだ校舎(阪大人間科学研究科)の目と鼻の先にある「みんぱく」である。恥ずかしながら、昨日が「みんぱく」デビューの日でもあった。目指すは、国立民族学博物館で開かれている「ウメサオタダオ展」。様々な原点を垣間見た半日だった。
事のきっかけは、連休中に仕事先の秋葉原駅のエキナカ書店で偶然眼にした梅棹忠夫氏の『裏返しの自伝』(中公文庫)。大学院生の頃に月並みに『知的生産の技術』(岩波新書)は読んだけれど、B6カードに挫折する、と言う「定番」学生であり、それ以外の膨大な著書に触れるチャンスもないまま、だった。しかし、何気なく読み始めたら、彼の「ごっつさ」というか様々な魅力に引きこまれる。さらに挟まれていたしおりは、6月まで彼が作ったみんぱくで開催されている「ウメサオタダオ展」の案内。ちょうど5月の第二金曜日はみんぱくのお向かいの古巣で学会の仕事もある。これは、行かない理由がない。よって、早速彼の表の自伝である『行為と妄想』(中公文庫)も買い求め、甲府から大阪に向かう移動旅で読み進めながら、ワクワクとみんぱくに出かけた。その期待は、勿論裏切らなかった。
今回二冊の自伝を読んで、みんぱくの展示を眺めて、改めて感じたこと。それは、会場二階にある「はっけんデジキャビ」に「参加」している時に浮かんだ。体験型博物館の重要性を感じていた梅棹氏の思想を受け継ぎ、この特別展示では、観る者が触ったり体験出来たりする展示資料が少なくない。その最たるものが、梅棹氏の開発した先述のB6版カードに、入館者が自分の感想やお勧めを書き込み、デジ刈るアーカイブとして取り込んで、それも展示の一つとしてしまう、という内容。ちゃんとB6カードと鉛筆も用意されている。10数年ぶりに手にしたB6カードに、気が付けばこんな事を書いていた。
「『帰納論の大家』
足で稼いで、現場でじっくり観察し、現地の人・モノ・歴史に耳を傾ける。それを収集するだけでなく、共通項を抽出し、組み替え、編集し、紡ぎ合わせる。時には捉え直す。今回よく分かったのは、この知の巨人が帰納論的方法論の大家であったという事。この技芸と学問魂を、僕も見習いたい。」
本質は細部に宿る。だが、細部にばかり没入していると、大きな地図の中での位置づけを見失う。もうお一人の師である大熊由紀子さんはよく「鳥の眼、虫の眼、比較の眼、歴史の眼」と表現しておられたが、梅棹忠夫氏もまさにこの4つの眼を縦横無尽に駆使した巨大フィールドワーカーだった。今回自伝を読んでようやく知った東洋と西洋の間の「中洋」概念にしても、西アジアから南アジア、東アジアに至るまでのフィールドワークをしながら、現地の声に耳を傾けながら、それを日本や中国、ヨーロッパと比較する中で出てきた概念である。足で稼いで、その現場で見聞きし、感じた事を、B6カードに書き記し、編集し直し、組み替える中で生まれてきたアイデアである。我が師は足で稼いだ現実の積み重ねを多くのルポとして結実されたが、梅棹氏はその方法論を基に独自の文化・文明論を打ち立てていったのだ。だが、私自身、このウメサオタダオ展に触れ、足で稼ぐ、という二人の共通点と、私自身の原点を改めて再認識させられた。
もちろん、足で稼いでいても、ルポとしても、文明論としても、ちゃんとした仕事(作品化)は不肖の弟子にはまだ出来ていない。しかし、今回改めて「知の生産技術」の方法論にも触れながら、今現在自分が向き合っている仕事を「フィールド」として捉え直したら、出来うる仕事はあるのではないか、その中でちゃんと記録や整理が出来ているか、といった事を色々考えさせられた。まずは、B6カードの電子化であるファイルメーカーかエバーノートあたりの活用を考えねば。そういう研究欲をすこぶる刺激した、原点回帰の展示会であった。