ある意味”まっとう”すぎる、”恐ろしい”本

 

いやはや、恐ろしい本を読んでしまった。

「支配的なグループに属する人びとが、従属的なグループの人びとの家庭への立ち入りを許され、プライベートないとなみを観察し、自分たちが見たことを記録し、そして、自分たちの観察を他のミドルクラスの援助者のネットワークと共有した。これまでに見てきた事例と同じく、お定まりの主体/客体の二分法が成立し、ソーシャルワーカーはまったくそれに安んじることができる。支配的なグループのメンバーは能動的であり、従属的なグループのメンバーは受動的である。一方が見、他方は見られる。一方が書き、他方は叙述の対象になる。一方が知識と指示を調達し、他方は感謝しながら知識を吸収し、指示に従う。」(レスリー・マーゴリン著「ソーシャルワークの社会的構築-優しさの名のもとに」明石書店p398)

何が恐ろしいって、マーゴリン氏の言っていることは、残念ながら!?的はずれではない。というか、ソーシャルワーカーが「優しさの名のもとに」行ってきた、権力支配の問題を、実に赤裸々にしてくれているのである。

ソーシャルワーカーの問題を追いかけながら、不勉強にもこの本は「積ん読」状態だったのだが、今週少し余裕が出来てやっと読み始め、一気に読んでしまった。そして、最近読んだ本で一番赤線を引き、一番ドッグイヤーのページが多くなってしまった。自身も17年間ソーシャルワーカーをしていた著者が、リッチモンドの時代から現代までの山ほどの文献を系譜学的に分析し、技法やスタンスの変化の背後に、ずっと変わらないソーシャルワーカーの自己正当化と、クライエントを「誘惑しながら同時に拷問しなければならない」という「二つの矛盾する命令に同時に従わなければならない」(同上p407)という固有の問題性をあぶり出しているのである。「ソーシャルワーカーもまた犠牲者である」(同上p407)という視点を持ちながらも、これでもか、と年代を超えたソーシャルワーカーの根本的問題を次々と突きつけてくる著者の文体は、読み進めるうちに恐ろしいほどの迫力である。いくつか、キメぜりふをご紹介しよう。

「ソーシャルワーカーの陶酔によって、平等ではなく権力が作動しているという事実が覆い隠されている」(同上p384)

筆者はこの本の中で、「困っている人を助けたい」というワーカーの気持ちを否定しているのではない。そうではなくて、そのような気持ちを持って働いているワーカーの「陶酔」が、即「平等」へと繋がっていない現実をしめしている。実際には、対等な友人として付き合うのではなく、当事者からは、措置権限やサービス支給決定権、退院支援の権限・・・を持つ「権力」者としてワーカーが映っている、という「権力」の「作動」の「事実が覆い隠されている」という問題を指摘している。善意で行っていることも、こちらとしては平等で対等に接しているつもりでも、被援助者からは構造的に「権力者」と映っている、というリアリティをあぶり出しているのである。さらには、こんな言及もしている。

「貧しい人の否定的な特色について積極的なソーシャルワークの言説は、既存の社会秩序を正当化した。そして、それは、ある人たちをクライエントにし、別の人たちをその審判者にすることに貢献している社会的な資源と機会の不平等な分配から注意を逸らすことを通じて達成されたのである。」(同上p239)

ソーシャルワーカーが社会問題の「解決」のために積極的に支援していると本人も信じて疑わないとしても、実は自らが行うその手法やアプローチが、「既存の社会秩序を正当化」し、その秩序の序列の内部に「クライエント」と「審判者」を序列化することに、図らずも貢献してしまっている。つまり、「社会的な資源と機会の不平等な分配」という社会問題から「注意を逸ら」して、問題をクライエント個人の問題に内面化、矮小化している、という点に、権力側に構造的に立ちうるソーシャルワーカーの根本的問題が潜んでいる、とマーゴリン氏は指摘するのである。この重大な指摘を書き写しながら、私はあるフレーズを思い出していた。

「日本では、『お伺いをたてる』という卑屈な役割関係を踏まなければ生きていきにくい医療との関係を呪う人もいれば、逆にその支配力に依存し保護される事を求め続ける人もいる」(山本深雪「『心の病』とノーマライゼーション」ノーマライゼーション研究1993年年報, p103

精神医療のユーザー側から、その構造的問題を指摘し続ける山本氏のこの発言は、ソーシャルワーカーとの間だって同じである。まさに、相手が権力を持つが故に、「卑屈な役割関係を踏まなければ生きていきにくい」のである。いくら医師やワーカー個人が善人であっても、「お伺いをたてる」という構造的非対称の下側から眺めた時、そこには「卑屈な役割関係」という権力関係があるのである。先ほどの話しを繰り返すと、この構造的非対称性という社会問題から「注意を逸ら」して、問題をクライエント個人の問題に内面化することは、まさに「社会秩序」の強化につながるのである。援助者が被援助者と「友人」、ないし「平等」であろうとするならば、既存の構造化された社会秩序が抱える「社会的な資源と機会の不平等な分配」こそ前景化して、自らの「権力」も含めて再吟味しなければならないのだ。

支援者の権力支配の問題は、そういう意味では大変恐ろしい。この権力問題に無自覚でかつ当事者に権力的支配を及ぼしているワーカーも確かにいる。一方、この問題に自覚的で、「自分が抱え込んだ矛盾を首尾よく永続的に抑圧する能力がない」(同上p407)がゆえに「バーンアウト」するワーカーもいる。さらには、この二つのアプローチを取らず、権力に対して自覚的になりながら、「社会的な資源と機会の不平等な分配」を前景化し、地域でのオルタナティブと新たな社会資源の構築を実体的に作り上げているワーカーもいる。僕も京都で117人のワーカーにインタビュー調査をしていて、この三者が年齢や性別、経験年数を超えて混在していることを実感している。今、考えはじめている支援者論を突き詰める際も、この権力支配の問題は、中心点に据えなければならない、そう感じている。

ちなみに、このマーゴリン氏の邦訳のタイトルにもなっている「社会的構築」に関連して、訳者の一人で日本における社会構築主義の第一人者でもある中河伸俊氏の作品に関する書評論文に、興味深い一文があったので、最後にこれも引用しておこう。

「『正義と悪の二分法』による道徳的な研究・評論・報道を感情的に後押しし自己正当化しているものこそ「社会問題は解決しなければならない」というエートスである。この自明性に覆われた感情的前提が、研究する者の自己言及性を低くし、言説の社会学的洗練度を低めていると考えられそうだ。これをいったんペンディングして、別の『社会問題の言語ゲーム』に参加すること。構築主義の共通主張はこのあたりにあるようだ。」(野村一夫著「紹介と書評 中河伸俊『社会問題の社会学――構築主義アプローチの新展開』」大原社会問題研究所雑誌第497号)

「正義と悪の二分法」とは、ここでも何度も書いている“I am right, you are wrong.”の二分法だ。その二分法について、「この自明性に覆われた感情的前提が、研究する者の自己言及性を低くし、言説の社会学的洗練度を低めている」と野村氏は指摘している。構築主義は「これをいったんペンディングして、別の『社会問題の言語ゲーム』に参加すること」という「共通主張」を持つ。「感情的前提」によって「自己言及制」や「言説の社会学的洗練度」が低下することは、指摘したい問題点を前景化するどころか、逆に肯定する論理にすり代わりかねない。マーゴリン氏も、ソーシャルワークに内在する、またバーンアウトが起こりうる矛盾をあぶり出したいからこそ、ソーシャルワークは善意に基づく、という「自明性に覆われた感情的前提」を「ペンディング」にして、議論を構築し直したのだ。こういう仕事に、見習うべき点は大変多いと感じた。

発酵段階を超えて

 

今日はひさびさの休日モード。お昼までのんびり寝て、その後、大掃除モード。とにかくここしばらく、部屋が散らかりまくっていたので、BGMに「歌でしか言えない」(by中島みゆき)をかけながら、食器洗いからテーブル、居間とサクサク片づけていく。掃除モードに中島みゆき、ってのも何なのだが、まあ僕にとって、高校生のころから元気を奮い立たせるのが彼女の歌声だったので、別に何の不思議もない。しかもこのCD、一番最初に買った中島みゆきのアルバムだったので、汗びっしょりかきながら、色々思い出しながら、のお掃除モードなのだった。

その後、大学に立ち寄って、ある原稿を送ってしまって、とりあえず一息。やっと夏休み中の〆切一覧からほぼ、解消されたのだ。そういえば、夏は本当によく書きまくった。論文二つに翻訳原稿とミニコミ誌の原稿が一つずつ、それに結構大変な講演もあったし、昨日一昨日はソーシャルワーカーの皆さんの泊まり込み研修にも講師として参加したり・・・。ああ、夏休みはほんと、労働モード全開であった。

実は大学院生時代はなかなかアウトプットに至らず、博士論文審査の際にも「業績が少ない」とある先生に指摘されて、その時はひたすら「ごめんなさい」状態だった。院生のころは、とにかく吸収と咀嚼に精一杯で、なかなかアウトプットに至らなかった。中途半端な知識で、わかったようなことを書きたくない、という想いも強かった。それが今になって、集めてきた(寝かせてきた!?)情報が、ようやく「使える」段階になってきたのか、書きモードに突入している。知識が当時より飛躍的に増えたかどうかはアヤシイが、そろそろ発酵が完了したネタについてはある程度アウトプットしておかないと、次のインプットに繋がらない、と気づいたので、とにかく今、頭にあることは書きまくるモードになってきたのだ。ほんとはもう一本、まとめたい内容があるのだが、9月は海外出張もあるので、時間との勝負。なんとか二学期が始まるまでに、この調子で構想を固めて書き終えてしまいたいのだが、さてどうなることやら。

先ほど発酵、と書いたが、今は、大学院のころから「溜め込んできた」テーマの発酵段階が終わり、ちょっとずつ「製品」化へと至っている熟成段階といえる。で、この熟成、といえば、昨日一昨日と参加してきた、ソーシャルワーカーの皆さんとの一泊研修の場も、僕のテーマの一つである「職員研修」について熟成してきた色々な視点を皆さんにぶつける、という意味で、僕にとっても大変勉強になる場であった。

当事者のエンパワメント、という前に、その担い手と目されている支援者自体がエンパワメントされていない、と現場調査から常々感じていて、この研修の企画者側も同じ意見だったので、今回はこの点を焦点化すべく、セルフヘルプグループの手法を用いながら、参加者の皆さんに、次々とご自身の問題点を前景化していただくグループワークのセッションを開く。その中で、どうもソーシャルワーカーの皆さんが、忙しい業務をとにかく「片づける」、あるいはソーシャルワーカーとして「きちんとする」、という二点があぶり出されてきたので、このセミナーでは、話し合う内容について簡単に結論づけない(片づけない)でいいし、「きちんと」しなくてよい、それより議論の中身を深めるプロセスが大切だ、というメッセージを伝えた。すると、ボロボロと皆さんの中から色々なテーマや論点が熟成されていった。これぞ産婆術を目指すタケバタにとって、オモロイ瞬間。おかげさまで、少しはツボをつけたのか、参加者の皆さんも、少しは「気づき」を持ち帰って頂くことが出来たようだ。僕も得られたものが大きい研修であった。

あと、プロセス、というと、とあるグループの議論を聞いていて、実は現場の皆さんが「きちんと」「片づける」ことに追われる間に、現場で当事者とじっくり向き合う、という「プロセス」を飛ばしていないか、という点もニュルッと論点化されてきた。この「プロセス飛ばし」は結構その班の皆さんのツボにはまったようで、最終発表時にもこの論点を用いてその班は発表しておられた。

ある程度ルーティーン化されたり、結果が予期しやすいケースの場合、その予期した結末と反する当事者の訴えに基づいて動いても無駄になる場合が多い、と、その訴えに十分耳を傾けず、事例を「片づける」ケースが現場ではまま、あるという。結果が見えているので、それに添わない努力は時間の無駄だ、と。そういうやり方でも、表面的には「きちんと」片づくし、むしろ効率的な事もあるという。だが、何かを訴えたい当事者にとっては、味方になるはずのソーシャルワーカーが、自分の与り知らぬところで、「どうせ無理だから」と、自身の意見に耳を傾け模索する努力をはじめから放棄していては、それは自分の訴えの無視であり、大いなる「プロセス飛ばし」ではないか。この「プロセス飛ばし」の上にケースが「きれいに」「片づいた」としても、それは、土台がきちんとしていない、という意味で問題ではないか。一方、熟練したワーカーの中には、どれほど忙しくとも、この「プロセス飛ばし」をせずに、当事者の諦めていた想いや願いを実現するために、「どうせ無駄だ」と思われた現実を変えることに心血を注いできたのではないか・・・。

これらのストーリーは、現場の方々にも、一定の説得力があるようだ。実は、このストーリー、博論以来から追いかけているテーマでもあり、次にまとめたいテーマにも密接に関連している。やっぱり、9月はちょっとこのテーマを追いかけなきゃなぁ、と再確認させられた週末であった。

何のための研究?

 

今週の前半は関西で調査をしていた。

以前から追いかけているフィールド地で久しぶりに丸2日、じっくり腰を据えて、色々お話を聞く。どんな現場でも「何となくブラブラする」なかで、色んな人とお話しする中で、様々な光景を垣間見る中で、少しずつ課題や論点を探っている僕にとって、この「ブラブラ」は大切な時間だ。今の自分の仕事のスタイルは、現場で伺う様々なエピソードから論点を絞り出し、何らかの考察に高めていく、というフィールドワークのスタイルなので、どうしてもこうやって「現場に入り込む」期間が必要になる。朝の会議から、送迎の車、夜の会議にその後の飲み会まで、丸2日、現場漬けになっていた。

質問紙を用意して、こちらが聞きたいことを効率的に次々と大規模に聞いて回る、というやり方の調査もある。僕もそういう調査研究にも関わっている。だが、それよりも僕の性に合うのは、今のところ、ブラブラする中で論点を探り当てる、という先ほどの方式だ。これは一見非効率で、ブラブラを何度か重ねる期間には、いったい何が見えてくるのか、自分自身でも予想がつかない。だが、ある瞬間、ある言葉やエピソード、ある光景などから、突如として「これってこういうことなんとちゃうんか?」という視点、というか、枠組みのようなものが舞い降りてくる。その瞬間から、ブラブラが俄然、枠組みやその作業仮説を検証するためのブラブラとなるのだ。この瞬間が、調査初日の朝一に降りてくることは、まあない。事前に用意しておいた枠組みを当てはめて見て、あたることもあまりない。それより、現場でブラブラして、一杯しゃべって、色んな人、色んな場面に遭遇する中で、ようやく見つかってくる。今回の場合は、フィールドワークの二日目くらいにある作業仮説が見つかった。

ただ、2日で見つかる、というのは、既にこの現場に何度も足を運び、一度は論文にもまとめ、という継続的おつきあいをしているからである。全く新しいフィールドでこんなに簡単に事は運ばない。そして、面白いのは、今回の視点、というか、枠組みは、実は前回論文にまとめたときの視点なり仮説を否定する、新たな作業仮説なのである。つまり、自分でそうだろう、と信じて、先行研究なども参考にしながらまとめ、当の現場の方々からも一定の評価を得られ、出来あがったつもりになっていた枠組みでは、肝心な部分が抜けているのではないか、というのが、前の論文から1年半ほど経って、見えてきたのだ。

これは、当然その枠組みについて考えている僕自身の変化によって見えてきた部分でもあり、現場自身の変化でもあり、その両方でもある。前の枠組みがあったからこそ、そのめがねでは不全感のある部分が前景化した、ともいえる。そういう意味では、今回の枠組みだって、仮説検証の中で、論文としてまとめる中で、あるいは新たにその後ブラブラする中で、否定されるかもしれない。でも、こうやって何度もやりとりをしていくうちに、そのうち、「否定されても残る」部分が出てくるかもしれない。それが、一定の普遍性なり理論化なりにつながっていくのではないか。今のところ、そう感じているし、この現場のことを扱った以前の論文でも、結果の部分については、一定の普遍性はまだある、と思っている。

何のための研究か、と問われると、僕は、こういう現場とのやり取りの中で、一定の普遍性を導き出し、そこから、少しは現場に返せる理論なり枠組みなり視点を提供するための研究、と今のところ、考えている。もちろん、これを通じて、学問体系や理論に一定の貢献はしたいし、出来うる、と思っている。ただ、あくまでも「現場に役立つ」、ということは、僕の中で前提条件であり続ける。理論にさえ貢献出来れば、現場になんて何にも役立たなくて良い、という考えは、他の人はどうであれ、少なくとも僕の研究では全くの想定外である。多少なりとも現場の方々に期待して頂いた上で、多くの現場の方々に協力いただき、現場で「ブラブラ」出来ているのである。研究を通じて何らかの「お返し」が出来ないようなブラブラは、単なる現場にとってのじゃまでしかない。研究と実践が結びついている社会福祉の分野だからこそ、この視点は、僕の中でははずせない枠組み、である。

想いを描く創作、とは

 

金曜の夜、あるドキュメンタリーに釘付けになっていた。

昔からテレビのドキュメンタリーが好きで、若い頃、こういう映像を作る人になりたい、と憧れていたこともある私にとって、この番組の主人公である木村栄文氏の語りには、グイグイ引き込まれていった。なによりも、一番心が揺さぶられたのが、次のフレーズ。

「ドキュメンタリーとは、自分の想いを描く創作である」

不偏不党、客観性、事実をありのままに伝える・・・こういった「縛り」に囚われて、すっかり面白くなくなっている最近のテレビに比べて、なんとはっきり、なんと分かりやすいメッセージか! そして、そういうが満載の木村氏の作品は、そのダイジェストを垣間見るだけでも、どれほどその世界に引き込まれていくか。今だときっと「やらせ」とか「虚実ない交ぜ」とかいわれそうだが、全くそういう批判は当たらない。木村氏の「想いを描く創作」として、見事に彼のドキュメンタリーは見る人をその世界に引き込んでいく。(このあたりは読売新聞の特集にも詳しい)

実はこの「想いを描く創作」というのは、何もドキュメンタリーに限ったことではない。優れた社会学系論文も、同じく「想いを描く創作」の部分が強いのではないか、と感じている。

例えば以前書いたが、マックス・ウェーバーだって、「想いを描く」ための分析であった。

「具体的な実践的提案を科学的に批判する場合、その動機や理想を明らかにすることは、その根底にある価値基準を他の価値基準、とりわけ自分自身の価値基準と対決させることによってのみなされうるということがきわめて多い (中略)ある実践的意欲の『積極的』批判は、必然的にその根底にある価値基準を自分の価値基準と対決させつつ明らかにすることである。」 
(大林信治著、『マックス・ウェーバーと同時代人たちドラマとしての思想史』岩波書店 p51)

ウェーバーは、「自分自身の価値基準と対決させること」の中から、様々な価値基準や歴史的事実に対しての「『積極的』批判」を続けてきた。でも、これは「自分の想いを描く」ための、「創作」の一手段として整理することが可能だろう。また、こないだのコラムで書いた阿部謹也氏は、「それをやらなければ生きてゆけないテーマ」の模索の中で、中世のドイツ史に行き当たり、そこから自身が「それをやらなければ生きてゆけないテーマ」へと見事な連絡、結びつきを続ける中で、ハーメルンの笛吹男などの「創作」へと結びついていかれた。この際、木村氏はフィクションで、ウェーバーと阿部氏はノンフィクションだ、なんて単純に分化出来ない。どちらも、ご自身の切実な「想い」に端を発し、その表現方法が、映像か文章か、ドキュメンタリーか歴史分析の論文か、の違いだけだ。かつて大熊一夫氏は繰り返し、「優れたドキュメンタリーはすぐれた論文と全くひけを取らぬ価値がある」といっていたが、まさに木村氏の作品を見ていて、これほど立派に論文が対象に迫れているか、を反省させられる内容だった。

大熊さんや木村さんはジャーナリズムの世界から、阿部さんやウェーバーは研究者の立場から、ともに「自分の想いを描く創作」としての大作を作り上げられている。富士山の頂上はひとつ。でも、登り方は色々ある。論証の仕方、ストーリーの組み込み方、ロジックや表現方法、には、各登山路で、独自のやり方がある。それに拘泥するのではなく、あくまでも「創作」の向こう側にある「自分の想い」に目を向け、それをやり遂げること、そこらあたりに、ノンフィクションや論文が持つ特有の「面白さ」があるような気がしている。

小手先の地域移行?

 

この間から折に触れてこのブログでも書いていた、問題の多い「退院支援施設」について、ここ最近様々な動きが出ているので、まとめてご紹介しておこう。

まず、この問題のことをよくご存じない方は、昨日、今日と読売新聞が丹念に取り扱っている。
【短い版】 
【詳しい版】 
取材をされた大阪科学部の原さんは90年代の大和川病院事件からずっと取材を続けてこられた敏腕記者。内容も、迫り方も、まさしく本質を突いている。僕も原さんの記事ではずいぶん勉強させて頂いた。そんな大先輩の記事に、僕もチョコちょこっと載っていたいりする。

精神病棟を1億円!かけて改築して、福祉施設にしてしまえば、72000人の社会的入院患者は、あっという間に名目上退院出来る。だが、敷地内にずっと住んでいれば、そこは鍵があってもなくても、管轄が医療だろうが福祉だろうが、ご本人の意識としては、「入院」状態であることにはかわりない。こういう状況を作らないために、病院からの地域移行に94億円の予算を使うのならよくわかる。しかし、同じ94億円が使われるのは、半永久的な病院敷地内の4人部屋の「住まい」。なんだかこの政策は、本当にずれている、としかいいようもない。本来この政策にのってもよいはずの病院経営者団体だって、「手薄な体制の施設に変えるのは、我々の要望とは違う」というくらいなのだから。

で、当事者団体も当然の事ながら、大反対である。この間、3障害の当事者が集って、共同歩調をとりながら自立支援法の政策課題に意見表明をし続けてきた「障害者の地域生活確立の実現を求める全国大行動」実行委員会が、今回、この「退院支援施設」に反対の動きを示すことになった。
【その詳細】

従来知的障害者と身体障害者は支援費制度、精神だけ別制度、と別れてきたので、3障害の共同歩調がなかなか取りにくかったのだ、3障害のサービスが一元化される自立支援法制定の動きを「奇貨」として、障害当事者団体で声を揃え始めた。で、今回、精神障害者のこの問題に、かつてないほどの注目が、他障害からも集まっている。それは、この呼びかけ文の下記の部分が本質を突いている。

「これは精神障害者だけの問題ではありません。入居施設はこれから5年後には現在の入居者の1割以上を地域移行し、施設入居者を7%削減すると言っています。しかし、『精神障害者退院支援施設』のように、実質的にまったく地域移行していないのに、看板だけ書き換えて、地域移行完了!とやりかねません。」

まさしく、どこかで「例外」が出てくれば、例外は瞬く間に拡大する。
自立支援法で掲げた「地域移行の促進」という大原則も、こういう「例外」を精神病院で認めたら、知的障害者や身体障害者の入所施設に「飛び火」することは、間違いない。

この呼びかけ文にあるとおり、8月24日に行われる障害福祉関連の重要な会議(障害者福祉施策担当主幹課長会議)の前日の8月23日、厚労省との交渉の中で、おそらく何らかの厚労省の案が出てくるはずだ。というのも、この「退院支援施設」は4月末にぽっとその概要が「案」として示されたわりに、何にも議論しない中で、10月から実施、という無茶なスケジュールで動いているからである。すると、何が何でも10月から強行するなら、24日にその細かい内容を出さざるを得ない。

「国は、小手先ではなく、まっとうな退院促進対策に取り組まないといけない。」という原さんの言葉は、「小手先」に流れかねない今だからこそ、大変重要で、かつ重みのある言葉だと思う。

評価の難しさ

 

今日もあっという間に時間が過ぎていく。

朝一番から研究室に籠もり、午前中は紀要の追い込み。もともと「予定枚数40枚」なんて書いて提出していたが、出てきたものは、その倍の80枚! 実はまだ止まらず、さらにある視点で書き続けることも不可能ではないのだが、なんぼなんでも長すぎるし、少しバテてきた。とりあえず80枚で止めることにして、残りの部分はしきり直して、次回の宿題とする。こうして宿題原稿は延々と積み重なっていくことになるのだが、とにもかくにも一区切り着いた(まだ微調整は残っているけど・・・)。まあほぼ確定稿なので、とりあえず「はじめに」の部分をくっつけておこう。

日本では30万人以上の精神障害者が精神科病院に入院中であり、そのうち半数以上が5年以上の入院と、社会的入院患者の数は先進諸国の中で飛び抜けて多い。また、地域で暮らす精神障害者にとっても、頼りになる地域の社会資源はまだまだ少なく、安心して地域で生活できる体制にはほど遠いのが現状である。そんな中で、病院を退院して地域で自分らしく暮らしたい精神障害者のノーマライゼーションを保障する権利擁護の取り組みの重要性は、今ますます大きくなってきている。
だがこの問題を考えるにあたり、まずはっきりさせなければならないのは、日本の精神障害者の権利がどの程度擁護されているのか(いないのか)である。もし、大きく権利が擁護されていないなら、具体的にどのような権利がいかに擁護されていないか、を明確にすることから、この権利擁護に関する研究は始まる。そこで、本稿では、精神障害者の権利擁護の実態を、精神病院に入院している「入院患者の声」の分析をもとに明らかにする。その後、「入院中の精神障害者の権利に関する宣言」で謳われる10の項目を縦糸に、「入院患者の声」分析の内容を横糸に見立て、横糸が縦糸とどのように絡み合っているのか、の分析の中から、現状と課題を明らかにしたい。

今回はネットリじっくり縦糸と横糸を織り込んだ、つもりだ。乞うご期待。というか、明日最終的な詰めをちゃんとせねば・・・。

午後は採点に追われる。今回のテストでは初めてレポート形式をやめて論述テスト形式にした。というのも、昨年レポート形式にしたら、ネットからの剽窃や一部コピペが相次いだからだ。授業とは全く視点の違うノーマライゼーションについての小難しい論考や、自立支援法について全く授業で紹介した視点とは違う、しかも高尚な言葉遣いのレポートを発見すると、そのキーワードの一部をパソコンで打ってみる。すると、ほぼ百発百中で、ネットの全文剽窃、あるいは一部剽窃の繰り返し、などが見て取れたのだ。当然そういうレポートは不可にするのだが、採点しているこちらの気持ちが片づかない。何だかなぁ、と、教育目標とは裏腹な結果に、落ち込んでしまっていた。そこで、色々な先生方にリサーチして出てきたのが、小問題を多めに記述してもらう方式。実際に今回採点してみて、びっくりした。

4問の出題で、積み上げ方式の配点を作っていったら、合計90点満点になった。で、一問毎に部分点をちりばめながら、ここまで出来たら何点、と作っていくと、結構小論文に関しても適切な配点評価基準が定まってくる。平均点が34.5点と全体の4割に届かなかったのはガックリだが、得点調整をしながらならしていくと、高得点と赤点がほぼ同じ数になった。丸付けをしている最中は、小問の採点で必死で全然「意図せざる結果」なのだが、偏差の分布としてはまあまあよいようだ。最終的に、不可にするかどうか迷った時には出席状況を加味して、すっきり採点をし終えることが出来た。何より、不正行為に出会わなかったことが、身体に良いようだ。後期以後も、しばらくこのスタイルを続けてみよう。

このあたりのことを色々考えたくて、この前は『テストの科学』なる本を読んだ。この本のことを教えてくれたHPには大学教育についての有益な情報が載っているのだが、この池田氏の本も、テストの作り手としてはまだひよっ子の僕にとって、収穫は大きかった。この中で、「少数大課題設定方式が良くない」という筆者の主張はよくわかるのだが、地域福祉論のような分野では、一元的な(選択肢から選ばせるor○×形式の)問題設定は、正直しにくい。以前放送大学の問題を見る機会があったが、それでも佐藤学先生は果敢にマークシート問題を作っておられた。でも、あれは教育学の、しかも歴史的に評価が定まっている対象だから出来うるような気がする。そのため、地域福祉論では「多数小課題」な、短い論述の積み重ねを設問で出すことが、現時点での妥協点のような気がしている。

問題を解くよりも、作り、採点することの方が遙かに大変だ、と、今さらながらに知り始めたタケバタであった。午前中に一応書き上げた権利擁護の論文も、最後は権利侵害をどうチェックするか、という審査や評価の問題になってきた。どの分野でも、公正で効果的な評価、は難しいのである。

あ、結局昨日のもう一冊にたどり着く前に息切れだ。でも、その著者に関連してもう一冊紹介したいのだが、研究室に置き忘れてきたので、また明日。

一人で開けて入る

 

日曜日は京都駅前のホテルで高校時代の同窓会に出ていた。
何人かの連れとは2,3年に一度は飲んだりするのだが、同窓会自体は10年ぶり。「ひとをつなぐ」というお仕事をしている副委員長のハヤシ君が、ご丁寧にはがきや電話で知らせてくれたので、10年ぶりなのに結構多くの人々の消息がつかめた。ハヤシくんの議員秘書としての有能さも推測出来る。残念ながら当日やってきたのは15人程度だったが、でも大いに盛り上がる。

有能な、と言えば、某鉄道会社で働く旧友タナハシ君にもお世話になりっぱなし。甲府の僕と、東京からやってくるタナハシ君と、久しぶりに車中でじっくりしゃべりたかったので、特急券の手配をお願いしたら、ちょちょいのちょい、と送ってくれる。行きも帰りもお盆で車内は大混雑だったし、夏場は甲府駅の「みどりの窓口」もとんでもなく混んでいるので、こういう電話一本でお願い出来るのは、ありがたい限りだ。静岡からの車中では鰯かまぼこをアテに、早速1次会。京都駅前でハヤシ君とも合流して、同窓会が始まる前に近鉄名店街の飲み屋でプチ2次会。そして同窓会が終わった後、またもや近鉄名店街で3次会とおさかんである。でも、3次会も9時半には閉店で店を追い出されて終了。流れ解散となったのだが、そう言えば、と最近京都に引っ越したナカムラ君の顔を見に自宅まで押しかけ、お酒のない4次会。その後、恩師のお一人TA師と京都駅前に戻って5次会。ふー。ごくろうさま、である。

で、こんなに予定がうまく繋がった日の翌日は、その正反対。1時半の新幹線に乗る前に、とある人とお昼をご一緒できる、かも、という未定の予定であったが、結局電話してもつかまらず。眠い目をこすって朝10時に京都駅に来てみたが、ぱっくり3時間半空いてしまった。あと2人ほどに電話をかけるが、すれ違いでアウト。こういう場合は、じたばたせずに、久しぶりに、と京都駅前のアバンティー・ブックセンターで久しぶりにじっくりゆっくりたむろする。

前々回に「すっかりジュンク堂のお得意様状態になっている」と書いたが、高校時代から京都を離れる前まで、僕の中で本屋といえばアバンティー・ブックセンターであった。実家からチャリで30分弱、バスでも1本でいけるし、京都駅の真ん前。しかも、このアバンティーは大規模書店のはしりでもあったので、中学生の頃から本当にしょっちゅう通った。写真部の友人とワイワイ語らいながらやってきた高校時代、参考書コーナーの前で苦い顔をしていた予備校生時代、哲学書をボンヤリ眺めてため息をうっていた大学生の頃、塾の教え子と一緒に参考書ツアーなんぞ企画した院生時代・・・折に触れ、この本屋の記憶は探せば探すほど、どんどん出てくる。同窓会ついでに郷愁に浸れたひとときであった。

で、収穫は郷愁だけではなかった。じっくりアテもなくふらついたので、収穫も多かった。で、お盆ラッシュで大混雑の帰りの車中では、軽めの本を数冊鞄に忍ばせる。昨日読んだ本は、実にあたりだった。1冊が「北の街にて-ある歴史家の原点」(阿部謹也著、洋泉社) 阿部先生といえば「ハーメルンの笛吹男」で有名な歴史家だが、ことあるごとにご自身の学問のスタイルについても語っておられる。そういえば「苦い顔をしていた予備校生時代」に、別冊宝島「学問の仕事場」で阿部先生を初めて知った際、阿部先生が恩師から、「それをやらなければ生きてゆけないテーマを探せ」といわれた、という逸話が胸に突き刺さったことを思い出す。だいたい行きたい学部自体があまり決まっていなかった僕にとって、一生かけるテーマが大学で見つかるのだろうか、とため息まじりに、でも羨望の眼差しで、彼の文章を何度も読み返している自分がいた。そう言えばこの本には網野善彦、白川静、廣松渉といった錚々たる「第一人者」の学問へのスタンスや方法論も載っていて、大学への憧れと、当時の自分の「勉強したくない」という現実への絶望の、両方を抱かせてくれた本だったような気がする。

懐古調になるとどうも話しがそれるので、本題に。
そう、阿部先生の初めての勤務校での小樽商科大時代からドイツ留学、そして再び小樽で頭角を現される間での逸話を縦糸に、阿部先生の恩師との手紙のやり取りを横糸に置いたこの本は、扇情的な書き方とは対極の静かな語り口だが、その核心は文字通りラディカルであり、静かな熱さを感じる事が出来る。

「ある学者が著書を出したときのことである。その人は自分の学問の方法について後書きで語り、後進に対して『一人で開けて入れ』という言葉を付記した。ところがこの著者が歴史学界で注目されたとき、人々が一人で開けて入れと言うのは独善的で良くないといい、学問は皆で営むものであって、共に開けて入ろうという姿勢でなければならないといったのである。それに対してこの学者がそれを認め、自己反省をしている文章を読んだことがあった。私はこれはたまらないという感じで、このようなことをいう人々の気持ちが理解出来なかった。(中略)自分の内面に深く降りていって何故自分がこのような課題に関わらなければならないのかを考えることから出発しない学問は私には無縁であった。」(同上、p234)

「それをやらなければ生きてゆけないテーマ」と巡り会い、そのわずかなきっかけから光が見え始めるまでの10数年以上もの間、ずっと「一人で開けて入」り、奥深くまで単独で掘り続けてきた著者にとって、その営みが「独善的」といわれるのは、全く思いもよらず、信じられないことであった。このくだりは決して僕にとっても他人事ではない。自分が選んだテーマが、実は僕自身の深い内面的関心とリンクし、「それをやらなければ生きてゆけないテーマ」であると気がつくまでに長く時間がかかったし、そのテーマは世間では「マイナー」と見なされ、深い部分まで議論出来る相手は、大学内では指導教官を除いてほとんどいなかった。僕の場合は「共に開けて入ろうという」仲間が誰もいなかったので、仕方なしに「一人で開けて入」らざるをえなかった、というのが本音だろうか。でも、一人で深く入り込んでいったおかげで、どうもこの分野で従来論文として書かれていることが「何だか変」なのもよくわかったし、先行研究より、むしろ現場の声の方が面白い、ということも体当たりの中で気づいていった。結果論としては、大変よかった、ということになる。

で、体当たりの経験、といえば、実は阿部先生の本を読み終えた後に手に取ったもう一冊の本をご紹介したいのだが、そろそろ家事の時間なので続きはまた明日。

「くだ巻くだけじゃなくて」

 

昨日は東京に一日出張で、暑くてグッタリ。
今朝は久しぶりにゆっくり寝る。お昼は素麺を湯がき、午後は大学で〆切がとうに過ぎている紀要と格闘。

精神病院の入院患者の権利がいかに「剥奪」されているか、を、NPO大阪精神医療人権センターに寄せられた「入院患者さんの声」の分析から明らかにする、という縦糸は定まっていた。だが、論文として分析するには、横糸となるもう一つの柱が必要だなぁ、と感じていたら、数日前にその「横糸」を発見。今、サクサク整理が出来ている。横糸の中身や、実際の分析結果は、書き上がったらまた、ご紹介しようと思う。結構この横糸が効いて、面白い分析になりはじめた。いつも論文にコメントくださる大阪のKさんにメールで途中経過を報告したら、「面白いけれど、あいかわらず濃ゆいですねぇ」とのこと。ならば、まあ方向性は間違っていないだろう。

山梨も夏真っ盛りで連日暑い。夕方は真っ赤な夕日だったのだが、現在はゴロゴロの雷がなっている。この妙に蒸し暑いのは、雨降り前の証拠。連日じっとりしていてグッタリなので、一雨来てほしい。でも、奥さまはただいまテニス中なので、もう少し待ってあげてくださいませ。

出張の折りには毎回大型書店に顔を出すのだが、昨日もご多分に漏れず、顔を出すために早めの電車で新宿に出かけた。東京ならジュンク堂新宿店、大阪ならジュンク堂堂島店、とすっかりジュンク堂のお得意様状態になっている私。1万円以上買うと無料で送ってくれる、と知って以来、「一万円は買わなくっちゃ」という変な買い物ゲームの様相を呈して、よろしくない。でも、荷物が重くなることを思ったら、どれだけ送ってもらうのは楽か。と、ウダウダいっているが、気になる本をほいほい手にとっていくと、結局軽く超えてしまうのである。今回も6冊お買いあげ。うち1冊を、帰りの電車用に手持ちとする。その1冊とは、少し難しくて敬遠していた立岩真也氏の新著。自分自身で「くどい」と仰るほど、議論をじっくり重ねていくタイプの著者なので、今回の短めの文章をコンパイルしたこのエッセイ集?は、電車で読むには丁度良い。早速のっけから、1960年代から70年代と現代を比較した面白い箇所を発見。

「『近代(社会)を問う(問い直す)』というたぶんに大言壮語的な問いが示されたことはあった。私はそれを馬鹿にしてはならないと思う。いろいろな大切なことが言われた、少なくとも呟かれた。しかしそうであるがゆえに、どこをどう詰めていくか、理論的にも面倒なことになってしまい、それ以上に現実的な展望が見えない。それで先が続かなかった。」(「たぶんこれからおもしろくなる」立岩真也著『希望について』青土社所収、17-18

この60から70年代の立岩氏なりの総括の注釈の所で、氏はこんなことも書いている。

「私の出自は単純で、そして古色蒼然としている。1960年代後半、1970年前後が私の出発点になっている。その時私は小学生だったから、すこし遅れて知ることにはなったのだが。その時期の人たちは私に大きなものを与えてくれたのだが、しかし途中で止まってしまったり、いなくなってしまったり、なんだかよくわからない。酒ばかり飲んでないで(いや酒を飲むのはよいのだが、酒飲むときにくだ巻くだけじゃなくて)もうちょっときちんとあの話しを続けてくださいよ、考えてくださいよ、と思うのだが、なかなか。では自分で考えてみよう、みるしかない。そんなところでものを考えているのだと思う。」(同上、p24)

立岩氏から15年あとに生まれた僕も、団塊の世代に対して立岩氏と全く同じ視点を持っている。「飲み屋の端でくだを巻く」だけじゃなくて、若い時に「人間の幸せ」について議論し、「闘った」ことを、もう少ししつこく追い求めてほしい、あのころは若かった、なんて簡単に青春時代に追い求めたことを「なかったこと」にしないでほしい。前言撤回はありだけれど、白紙撤回ではなくて、連続性を考えてほしい。「みんなの幸せ」のために「運動」をしてきた世代が、自己否定的猛烈サラリーマンに変化していく過程を、そう眺めていた僕にとって、立岩氏のこの注を本屋でぱらっとめくった瞬間、これは買って読まねば、と思ったのであった。

30年前の若者が、当時勝ち取ろうとしたもの、追い求めたこと、それは「たぶんに大言壮語的」で、「どこをどう詰めていくか、理論的にも面倒なことになってしまい、それ以上に現実的な展望が見えな」かった、かもしれない。でも、だから間違いだった、わけではないのだ。まさに、立岩氏が上の世代の残した荷物を見て、「自分で考えてみよう、みるしかない。」と接ぎ穂をし始めているように、継承していくべき叡智の一つだと僕は思っている。

福祉の世界では、この団塊の世代で、その当時の「追い求めたこと」を捨てずに、きちんとご自身で消化しながら、80年代の国際障害者年以後、90年代の「障害者プラン」、2003年の支援費に向かって、入所施設ではなく地域で障害のある人の自立を支えていこう、という「想い」に人生をかけてきた先人達がいる。90年代以後の地域福祉の急激な発展には、当事者運動と共に、情熱と給料と休みの時間まで傾けて地域支援にこだわった一部の支援者達の動き、も重なっていたことは、否定出来ない事実である。だが、その団塊の世代もぼちぼち定年の時期にさしかかり、さて、これからどうその叡智を継承していくか、という時期に、運悪く自立支援法の大波が押し寄せている。若い世代の私たちが、上の世代や国の批判に終始するのではなく、「指示待ち族」になるのでもなく、「自分で考えてみよう、みるしかない」と接ぎ穂出来るかどうか? これは当事者運動の世代間継承でも、支援者組織の継承でも、事態は全く同じ。次の世代が、逃避せず、「くだ巻くだけじゃなくて」どう接ぎ穂出来るか、そこにかかっているのだと思う。

忘れずに考え続けるために

 

先ほど、公開初日の「ユナイテッド93」を見てきた。

この映画や「ユナイテッド93」の事件に関しては、実に様々な角度から、正反対のコメントや指摘がされている。それらの評価を紹介する前に、僕の感想を少し述べておくと、「2時間全く息つく間もなかった」「映画終了後の数時間後の今も、心にズシンと残っている」ということである。

この映画や事件に関する主な賛否のコメントは次の通り。
Takuya in Tokyo:「ユナイテッド93」(2006)
「ユナイテッド93」は究極のジェットコースター映画
今日も明日も映画三昧:「ユナイテッド93
ユナイテッド93便をめぐる「ダイ・ハード」なミステリー
『ユナイテッド93』@ぴあメールマガジン/シネマ
ピッツバーグでの墜落旅客機の美談は本当なのでしょうか
MovieWalker – 「ユナイテッド93

真相がどうだったのか、この映画のストーリーと違う何かがあったのか、今となっては全くわからない。ただ間違いなく言えるのは、ユナイテッド93便の乗客全員が死亡した、という事実である。どこまでが真実で、どこまでが虚偽で、あるいは何らかの陰謀があったのか、を的確に判断するには、あまりにも多方面の情報で溢れすぎている。ただ、そこに居合わせた乗客、ユナイテッド93の行方を追い続けた管制塔の職員、のリアリティだけは、どのようなストーリーが背後に横たわろうとも、そのリアリティの現実性は少しも損なわれることはないと思う。この部分だけでも、この映画には十二分過ぎるほどの価値があると思う。

誰が正しくて、誰が間違いで、どの説が真実か、の虚偽判断は容易ではない。ただ、多くの遺族のインタビューに基づいて、分厚いリアリティを集積して作られたこの映画が、一見の価値があることだけは、紛れもない僕にとっての真実だと思う。その上で、この事件を忘れずに、考え続けることが、私たちには必要とされていると思う。そして、イランの泥沼化、イスラエルとレバノンの戦争激化、今週のロンドンのテロ未遂事件も含めて、この911にまつわる様々な出来事を、決して忘れることなく、様々な立場から、様々な角度で、しつこく考え続ける必要がある、それだけはハッキリした映画であった。

移行期の支援

 

日曜日に長野で知事選があった。
その日は丁度長野で調査の日。田中知事の県政下で、入所施設から地域移行を果たした知的障害を持つご本人への聞き取り調査をしていた。

選挙結果はご案内の通り、現職の田中知事が破れ、村井氏が新しい知事となることに決まった。
長野で聞き取り調査を終えて帰宅した我が家でこの速報を眼にしながら、「新しい知事でもこの地域移行の取り組みはずっと続けてほしいな」と思っていた。

政策は時の為政者によって変わる。例えば宮城では、浅野知事時代に続けてきた「脱施設宣言」も、次の知事では事実上の撤回となった。そう言えば浅野知事の次の知事も「村井知事」。同じ名前だから、といって、同じような政策を続けてほしくない、としみじみ思う。それは、グループホームで暮らす人々の意見を伺っていても、すごく感じる。

グループホームで暮らす当事者にお話を伺う際、必ず聞くことがある。それは「西駒郷の生活と今の生活のどっちがいいですか?」という事である。この質問に、実に多くの当事者が「そりゃあ今の方がいい」とお答えになる。「なぜ?」と聞くと、多くの人が一人部屋になった、自由が増えた、という答え。それほど多人数で集団一括処遇では自由がなかったのか、と思い知らされるエピソードだ。しかも、お話してくださる方々は、20年30年と集団生活をしてこられた方々が少なくない。その方々が、地域に出て、初めて個室を持ち、自分らしい生活スタイルを一歩ずつ築かれている様子を垣間見ていると、この地域移行の政策の普遍性をすごく感じる。

この地域移行というギアチェンジについて、前回の記事でも書いた村瀬さんは、映画レインマンの解説に寄せながら、実に適切な表現をされている。以下、少し引用してみよう。

「『町に出る』ことで、社会の持つ『規則的なもの』とぶつかりながら、少しずつ自分の流儀(儀式)を曲げて、社会の規則を受けいれてゆこうとする主人公の生き方である。施設の中だけで暮らしていたら、そんなふうに自分の流儀(儀式)を曲げることはなかったであろう。
 でもそうするためには、弟のように、彼に付き添って町の中で暮らす人の援助がいる。そういうことを含めて、この映画が作られていることを私は見ておくべきだと思う。つまり、この映画の『解説』をするのに、弟チャーリーの役割に一度も言及しないで、ひたすら『自閉症のレイモンド』を描いた映画のように説明するのは間違っているのである。」(村瀬学「自閉症-これまでの見解に異議あり!」ちくま新書p138)

そう、施設という「保護的」な場で、自分の流儀(儀式)と社会との接点がなかった当事者の方々は、今、地域移行という局面で、はじめて「社会の持つ『規則的なもの』とぶつか」る場面に遭遇している。でも、グループホームを訪ねていって感じるのは、実に多くの方が、「社会の規則を受けいれて」いきながら、自分らしく暮らすことも両立されておられる、という姿である。施設内での「訓練」でなく、実際に社会に出て、グループホームで暮らしながら、苦労を重ねながら、社会に「復帰」していく。これと同じ事を、精神科リハビリテーションの現場で活躍されている方も次のように整理していた。

「まず実際に地域のアパートや事業所に行って、そこでの生活や就労に必要な技術を、専門家の援助を受けながら学ぶほうが、保護的な環境での訓練よりも、より実現適応が良い」(香田真希子 「社会的入院者の退院支援にACTモデルから活用できること」OTジャーナル 38(12) 1097-1101

入所施設という「保護的な環境」で、ずっと「訓練」を続けているより、「まずは実際に地域のアパート」に移り住んでしまい、「そこでの生活や就労に必要な技術を、専門家の援助を受けながら学ぶほうが」よい。これは、ごく当たり前のことなのだが、「専門家」が支配する福祉や医療の分野では、このごく当たり前が、ごく最近まで「当たり前でない」というアブノーマルな現実が続いていた。

そして、このレインマンの逸話でもう一つ大切な点、それは村井氏が指摘するように「弟チャーリーの役割」である。つまり、「彼に付き添って町の中で暮らす人の援助」をどう組み立てていくか、という点である。先に移り住んだアパートで「実現適応が良い」結果になるためには、それ相応の移行期の支援、移行後の支援、というものが求められる。

障害を持つ人でなくとも、「少しずつ自分の流儀(儀式)を曲げて」他の別の「規則を受けいれてゆこうとする」ことは、並大抵なことではない。当然、入所施設からの地域移行においても、この部分での濃厚な支援が真に求められている。宮城ではこの部分への支援に対する利用者家族の不信感が募っていたようだが、幸いにも長野では、各圏域全てに地域移行の連携窓口となる障害者自立センターがあり、グループホームへの独自の助成制度などもある。また、西駒郷の支援チームが移行時や移行後に、ご本人の移行期を支える支援にも入っている。

まさにこのご本人の移行期、「社会の規則を受けいれてゆこうとする」その局面の障害当事者の「しんどさ」や「生活のしづらさ」に着目し、それをどう支えていけるのか、このあたりに支援のプロと言われる人々の、プロの本質というものが問われているような気がする。支援のプロではない「弟チャーリー」でさえ、「弟」とじっくり関わる中で、見事に移行時の支援が出来ていたのだ。まかり間違っても、支援者自身がこの問題から逃げて、ご本人も大変だから施設の方がいい、なんて安逸な結論にはまりこんではならない、そう感じている。