「くだ巻くだけじゃなくて」

 

昨日は東京に一日出張で、暑くてグッタリ。
今朝は久しぶりにゆっくり寝る。お昼は素麺を湯がき、午後は大学で〆切がとうに過ぎている紀要と格闘。

精神病院の入院患者の権利がいかに「剥奪」されているか、を、NPO大阪精神医療人権センターに寄せられた「入院患者さんの声」の分析から明らかにする、という縦糸は定まっていた。だが、論文として分析するには、横糸となるもう一つの柱が必要だなぁ、と感じていたら、数日前にその「横糸」を発見。今、サクサク整理が出来ている。横糸の中身や、実際の分析結果は、書き上がったらまた、ご紹介しようと思う。結構この横糸が効いて、面白い分析になりはじめた。いつも論文にコメントくださる大阪のKさんにメールで途中経過を報告したら、「面白いけれど、あいかわらず濃ゆいですねぇ」とのこと。ならば、まあ方向性は間違っていないだろう。

山梨も夏真っ盛りで連日暑い。夕方は真っ赤な夕日だったのだが、現在はゴロゴロの雷がなっている。この妙に蒸し暑いのは、雨降り前の証拠。連日じっとりしていてグッタリなので、一雨来てほしい。でも、奥さまはただいまテニス中なので、もう少し待ってあげてくださいませ。

出張の折りには毎回大型書店に顔を出すのだが、昨日もご多分に漏れず、顔を出すために早めの電車で新宿に出かけた。東京ならジュンク堂新宿店、大阪ならジュンク堂堂島店、とすっかりジュンク堂のお得意様状態になっている私。1万円以上買うと無料で送ってくれる、と知って以来、「一万円は買わなくっちゃ」という変な買い物ゲームの様相を呈して、よろしくない。でも、荷物が重くなることを思ったら、どれだけ送ってもらうのは楽か。と、ウダウダいっているが、気になる本をほいほい手にとっていくと、結局軽く超えてしまうのである。今回も6冊お買いあげ。うち1冊を、帰りの電車用に手持ちとする。その1冊とは、少し難しくて敬遠していた立岩真也氏の新著。自分自身で「くどい」と仰るほど、議論をじっくり重ねていくタイプの著者なので、今回の短めの文章をコンパイルしたこのエッセイ集?は、電車で読むには丁度良い。早速のっけから、1960年代から70年代と現代を比較した面白い箇所を発見。

「『近代(社会)を問う(問い直す)』というたぶんに大言壮語的な問いが示されたことはあった。私はそれを馬鹿にしてはならないと思う。いろいろな大切なことが言われた、少なくとも呟かれた。しかしそうであるがゆえに、どこをどう詰めていくか、理論的にも面倒なことになってしまい、それ以上に現実的な展望が見えない。それで先が続かなかった。」(「たぶんこれからおもしろくなる」立岩真也著『希望について』青土社所収、17-18

この60から70年代の立岩氏なりの総括の注釈の所で、氏はこんなことも書いている。

「私の出自は単純で、そして古色蒼然としている。1960年代後半、1970年前後が私の出発点になっている。その時私は小学生だったから、すこし遅れて知ることにはなったのだが。その時期の人たちは私に大きなものを与えてくれたのだが、しかし途中で止まってしまったり、いなくなってしまったり、なんだかよくわからない。酒ばかり飲んでないで(いや酒を飲むのはよいのだが、酒飲むときにくだ巻くだけじゃなくて)もうちょっときちんとあの話しを続けてくださいよ、考えてくださいよ、と思うのだが、なかなか。では自分で考えてみよう、みるしかない。そんなところでものを考えているのだと思う。」(同上、p24)

立岩氏から15年あとに生まれた僕も、団塊の世代に対して立岩氏と全く同じ視点を持っている。「飲み屋の端でくだを巻く」だけじゃなくて、若い時に「人間の幸せ」について議論し、「闘った」ことを、もう少ししつこく追い求めてほしい、あのころは若かった、なんて簡単に青春時代に追い求めたことを「なかったこと」にしないでほしい。前言撤回はありだけれど、白紙撤回ではなくて、連続性を考えてほしい。「みんなの幸せ」のために「運動」をしてきた世代が、自己否定的猛烈サラリーマンに変化していく過程を、そう眺めていた僕にとって、立岩氏のこの注を本屋でぱらっとめくった瞬間、これは買って読まねば、と思ったのであった。

30年前の若者が、当時勝ち取ろうとしたもの、追い求めたこと、それは「たぶんに大言壮語的」で、「どこをどう詰めていくか、理論的にも面倒なことになってしまい、それ以上に現実的な展望が見えな」かった、かもしれない。でも、だから間違いだった、わけではないのだ。まさに、立岩氏が上の世代の残した荷物を見て、「自分で考えてみよう、みるしかない。」と接ぎ穂をし始めているように、継承していくべき叡智の一つだと僕は思っている。

福祉の世界では、この団塊の世代で、その当時の「追い求めたこと」を捨てずに、きちんとご自身で消化しながら、80年代の国際障害者年以後、90年代の「障害者プラン」、2003年の支援費に向かって、入所施設ではなく地域で障害のある人の自立を支えていこう、という「想い」に人生をかけてきた先人達がいる。90年代以後の地域福祉の急激な発展には、当事者運動と共に、情熱と給料と休みの時間まで傾けて地域支援にこだわった一部の支援者達の動き、も重なっていたことは、否定出来ない事実である。だが、その団塊の世代もぼちぼち定年の時期にさしかかり、さて、これからどうその叡智を継承していくか、という時期に、運悪く自立支援法の大波が押し寄せている。若い世代の私たちが、上の世代や国の批判に終始するのではなく、「指示待ち族」になるのでもなく、「自分で考えてみよう、みるしかない」と接ぎ穂出来るかどうか? これは当事者運動の世代間継承でも、支援者組織の継承でも、事態は全く同じ。次の世代が、逃避せず、「くだ巻くだけじゃなくて」どう接ぎ穂出来るか、そこにかかっているのだと思う。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。