「偶有性」から始まる旅の途上

今朝の甲府は気持ちがいい朝。昨日は一日、ひきこもって読みたい本を読み続ける「研究日」だったし、熟眠も出来たので、すこぶる調子が良い。こんな朝は、珍しく二日続けてブログに向き合う。どうしても、現時点での感想を書き付けておきたい一冊に出会ったからだ。

「自分の人生にまとわりついている偶有性の目眩く深淵に思いを致すと、私は不安の中に投げ込まれる。同時に、何故かは知らないが、根源的な生の喜びの中に人知れず胸がときめく。すっかり固定化したもののように思えていた自分の人生が、揺れ動き、ざわめき、甘美な予感に満ちた風が吹き始める。その時、私は『まさに生きている』と感じる。
『私は、全く他の者でもあり得た』
自分に時々そう言い聞かせることは、人生をその『偶有性』のダイナミックレンジの振れ幅のすべての中で味わい、行動し尽くすためにどうしても大切なことである。そして、私たちは往々にしてその呼吸を忘れてしまう。」(茂木健一郎『生命と偶有性』新潮社 p35)
「風が吹き始める」瞬間。その瞬間と、今年になって出会ったが故に、このフレーズに出会った時に電気が走った。「あ、あのことを指している」と。
何度か書いているが、35歳の今年、僕自身は大きな変容の渦の中にいる。直接的には、体重が10キロ落ちた(1月の80.8キロ→今朝は70.2キロ)とか、旅先の香港で気づきを得られた、とか、いろいろ理由を述べられる。だが、実際に僕の身の中で起こった事は、『まさに生きている』という実感を取り戻したことであり、それは『私は、全く他の者でもあり得た』という気づきをえたことでもあったのだ。他者の「○○だから仕方ない」という決めつけが大嫌いな筈の自分が、自分自身のダイエット出来ない事に関して、その呪縛をはめていた。それが体重の変化という形で、信念体系を揺るがす変化として現前化すると、「仕方ない」という言い訳が呪縛であったことや、「全く他の者でもあり得る」という「偶有性」そのものに気づき、「自分の人生が、揺れ動き、ざわめき、甘美な予感に満ちた風が吹き始め」たのである。
「目的に『居付いて』はならない。心身を柔らかく保たなければならない。何よりも、脳や身体の運動は、あらかじめ意識的に『目標』を設定し、それに向かって『制御』するいう形式にそぐわない。どのような事態に至るかわからないという『偶有性』を前提とし、柔軟に対応できるような構えでなければ、脳の潜在能力が発揮できないのである。」(同上、p176-177)
ひとたび「風が吹き始め」ると、上記のフレーズもしっくりと心の中に染み込んでくる。僕自身のこれまでは「目的に『居付いて』」いる場面が多くはなかったか。狭い意味での線形的な因果関係に引きずられ、ガチガチで狭い「目標」を設定し、それを「制御」することに必死になってはいなかったか。そして、その「目標」に「居付く」ことによって、その「目標」以外の周辺世界を見ないようにしてはいなかったか、と。
それを実感したのは、ちょうど昨日の晩にやっていた、NHKの「世界ふれあい街歩き」を見たときのこと。ちょうどスウェーデンの首都、ストックホルムの旧市街、ガムラスタンから南の島、スルッセン近辺へとカメラが進んでいった際のこと。僕はストックホルムにではないけれど、スウェーデンに半年住んだこともあり、ガムラスタンやスルッセンには何度も出かけている。見知った風景もある。だが、そこで取り上げられたスウェーデン人の生活の一コマとまったくといっていいほど出会っていなかった。何度もスウェーデンに訪れるのに、スウェーデン人の友人はごくわずか。福祉の調査で出かけるのだが、調査するという「目標」の「制御」に「居付く」あまり、それ以外のスウェーデンのリアリティにぜんぜん気づけていなかったのだ。「木を見て森を見ず」とは、まさに当時の自分自身を指していたのである。「風が吹く」前の自分は、「偶有性」の大海から目をそらし、狭い範囲の「目標」に必死になってしがみついていたのだ。
そういう以前の自分自身の愚かさ、視野狭窄状態が今なら分かるが故に、次のフレーズも心に響く。
「そう簡単に、自分の正体を知られてはいけない。自分でも決めつけてはいけない。見通す事のできない暗闇の中に倒れ込み続けてこそ、私たちの生はその本分を発揮する。
見知った領域から離れた精神の異界への飛躍を敢行しなければならない。次から次へと。倦まずに、停まらずに。自らの存在を脅かされる時に、もっとも純粋な形で生の悦ばしき知識を得ることができるのだ。」(同上、p55)
僕自身、昔から「自分の正体」を「わかったふり」をして「決めつけて」いた。ある狭義の「目標」を設定して、そこに向けてのみ自分を投射する形で、自分自身への限定(呪縛)をかけていた。だが、この春の「偶有性」の「風が吹」きはじめて以来、「見知った領域から離れた精神の異界への飛躍を敢行」しはじめている。この「命がけの跳躍」(quantum leap)が僕をどこに運ぶのか、僕自身にはさっぱりわからない。だが、その「わからなさ」の中にこそ、「純粋な形で生の悦ばしき知識」があるのではないか、と感じ始めている。だからこそ、「わかる」範囲に居付くことをやめ、「見通す事のできない暗闇の中に倒れ込み」はじめている。
この「跳躍」によって、どこに運ばれるか、はわからない。でも、ふと振り返ればどこか知らない、以前とは違う地点に立っているのではないか、と予感している。そんな旅の途上である。

「物語」を紡ぐために

今日は久々に研究日らしい研究日。

大学の教員の仕事としては、教育、研究、社会貢献と3つの役割が一般的に課せられている。ま、それだけでなく、近年はどこの大学でも「学内業務」というのも時間・役割的にも重くなってきている。僕もご多分に漏れず、入試委員なので、明日の土曜日もオープンキャンパスで出勤。また、福祉業界は秋は研修が多いので、授業のない月曜とか金曜は、研修の講師をしている事も多い。例えばこの月曜日は、三重での市町職員エンパワメント研修だったし、来週月曜日は精神保健福祉ボランティアの研修、金曜日のサービス管理責任者研修初日。さらには来週火曜の午後は障がい者制度改革推進会議総合福祉法部会もある。そうそう、とある市の移動支援の会議の打合せも水曜日だったっけ。社会貢献も、大切な仕事だ。
そして、忘れてはいけない本業である教育も、後期が始まったので、もちろんエネルギーを注ぐ。後期は講義としては「地域福祉論」「ボランティア・NPO論」。あとはゼミ・演習系が4コマ。このうち「地域福祉論」は、生きづらさ、をテーマにし始めたらナラティブ論に進み始めているので、「当事者の語りから見える生きづらさとコミュニティ」をベースに再構築し始めている。自殺や精神障害、引きこもりに認知症、社会的排除やホームレス問題を全部扱おうとするので、かなり昨年度と結果的に内容を入れ替えてしまい、面白いけど予習が大変。また、「ボランティア・NPO論」は「もしドラ」のケーススタディーから入ったので、非営利組織のマネジメントをサブテーマに進める。これも、昨年とは違う展開なので、火入れが面白いけど、大変。さらに3・4年のゼミはいよいよ卒論に向けた議論がスタートし、毎週2コマぶっ続けで連続ゼミ。とまあ、ちゃんと教育も力をいれている。
すると、恐ろしい事に、義務や強制力が一番少ない所に、最もしわ寄せが来る事に。それはどこかって? 研究なのです。だって、やるのもやらないのも自由。共同研究だったらお相手から声がかかったり、依頼原稿だったら〆切もあるけど、それ以外については、勉強する自由(としない自由)があるため、忙しいとどうしても「先延ばし」。それが、自分自身の「知の劣化」に繋がると、ひしひし分かっていながらも、なかなか緊急・重要な案件に縛られ、「緊急でないけど重要」な研究が置いてけぼりになる。こういう事態が続いてきた。で、これではアカンと一念発起して、ここしばらく、海外の学会発表をしたり、査読に投稿をしたり、と、バーを自ら上げて闘って来たのだが、ようやく一区切り着いたので、ちょっとここらで「頭の中の棚卸し」。今日は〆切仕事から離れ、ここ最近気になる事象について、着想的に言葉を拾う旅に出たのだ。キーワードは「物語」と「メゾ」、そして「社会起業家」。少し、今日潜ってみたさわりを書いておきたい。
フックはツイッターからだった。ちょうど障害福祉領域における社会起業家についての論文の校正を終えた後、山梨県での相談支援専門員の研修会や三重県での市町エンパワメント研修などを通じて、あれこれ考えが沸き起こってきたのを、備忘録的にツイートしておいたのだ。たとえば、こんな感じ。
この5,6年、支援組織の改革や人材育成、自立支援協議会の支援などをしているが、どれもメゾレベルの支援という共通性がある。マクロな福祉計画、ミクロの個別援助の専門家はいても、メゾレベルの支援に長けた専門家やコーチが決定的に不足している。だから僕みたいな若造にもお鉢が回ってくる。
 
福祉分野の、現場に役立つ非営利組織論や組織開発、人材育成論が少ない。本人中心の個別支援計画の作成プロセスを通じた職員・当事者の相互エンパワメント、ミッションの(再)定義に基づく支援組織の改革など、考えるべき課題は沢山あるというのに。ま、批判の刃は自分にも突き刺さるのですが。
 
メゾの議論、というのは難しい。マクロの圏域・県レベルの全体像と、ミクロの個別の相談支援のリアリティの双方を理解した上で、その双方の解離を解きほぐす必要がある。ただ、ミクロとマクロは独自の動きを持っており、両者の出会いは同床異夢になる可能性が少なくない。どうすれば同じ夢になるのか。
 
メゾは一番理解されにくい。マクロな「大きな物語」も、ミクロの「個人の物語」も、他領域の人にもストーリーとして理解しやすい。だが、その二つがどうつながっているか、についての物語は、メタ物語的であり、下手をすれば「空理空論」「タコツボ理論」になりやすい。つなげる物語のリアリティとは?
 
「以前の活動家は外からの変化を求めてアクションするのに対して、社会起業家はシステムの内と外の両側からの変革をもたらそうとしている」というフレーズを、ボーンスタインのSocial Entrepreneurshipの中に見つけた。今、活動家ではなく、社会起業家を目指す自分がいた。
 
この1週間の自分のツイートをいくつか抜き出してみたが、ツイッターは思考のフックとしては適した媒体だと改めて感じる。140字というのは、書けないようでいて、そこそこの内容が伝えられる。まとまった内容以前の、アイデア出しの段階で、インタラクティブに考えを深めていけるのも、このツイッターの魅力なような気がする。妻からは「ついったーヒロシ」という嬉しくないあだ名を頂いてしまったが、決して遊んでばかりいるわけではありません(笑)
閑話休題。
前々回のエントリーで村上春樹の物語論に触れていたが、小説家が自身の内奥から沸き上がるストーリーの具現化を目指すとして、研究者である僕はどういう立ち位置で、何を書きたいのだろう、とずっと考えていた。ちょうど、1週間前にはこんな事も書いていた
僕自身にとって、ある物語を、それが論文という形式を通じてであれ書くことの切実さ、を感じ始めている。今は少し疲れたので、これから
再びインプットの時期に戻るつもりだが、また遠くないどこかで、次の物語を書きたい、と漠然と思っている。どういうテーマになるかは、まだ内的必然性を持って迫ってこない。でも、書くべきときに、書くべきことを、書き残しておきたい。
僕によって書かれることを求められている「物語」とは何だろう。そう1週間前に問いかけて(外在化させて)みた。そして、この一週間の間に浮かび上がってきたのが、どうやらメゾレベルの物語であるらしい、ということだ。というか、僕自身がずっと興味関心を持ち、かかわり続けているのが、このメゾレベルの物語なのである。それに関連して、今朝めくっていた本の中で、興味深いフレーズに出会う。
「臨床的知識と科学的知識が別の観点のものであることは、末期的状況を考えてみれば明白です。<何が道理に適っているか(reasonable)>と<何が筋道が通っているか(logical)>は別物です。(略)<語り>があつかう知識も、状況のもつさまざまなロジカルな矛盾のなかでリーズナブルな解を探すものです。<語り>の生み出す知識は、ロジカルなものではないとすれば、状況というパラドックスに満ち、多義性や曖昧さに溢れた複雑さに直面し、人間の分厚さ、豊穣さを知る具体的な人間だけが、相互に打ち合うことによって発展させることができるものだということになります。」(高井俊次「ことばが人に届くとき」『語りと騙りの間』ナカニシヤ出版 p16)
「状況のもつさまざまなロジカルな矛盾のなかでリーズナブルな解を探す」というフレーズは、僕自身がずっと追いかけて来たことである。例えばとある福祉組織の組織論的な問題に取り組んだ事があったが、これも、その施設の職員達の<語り>の中から、「リーズナブルな解を探す」取り組みの一つであった。あるいは、山梨や三重でやっている地域自立支援協議会の立ち上げ・運営支援も、その地域毎によって違う、「状況のもつさまざまなロジカルな矛盾のなかでリーズナブルな解を探す」場とそこで探索する主体者のエンパワメント支援をし続けているのかもしれない。そして、それは現場で求められている「相手と共に語る」専門家の人材育成に絡む事でもある。
「専門家は専門家としての知識や意見があるにもかかわらず、それが相手を黙らせてしまわないのなら、共同の目標に向かうための資源に活用されるのなら、『会話のパートナー』になれるはずです。それは、水平かつ民主的、権威的や父権的ではない関係の中で、会話は成立し推進力を得て行きます。両者にとっての未知の領域に足を踏み入れることが可能になります。」(野村直樹『ナラティヴ・時間・コミュニケーション』遠見書房 p58)
この「会話のパートナー」という発想は、もちろん本人中心という意味で、個別支援の際には大切なポイントであるだけでなく、地域作りというメゾレベルにおいても、非常に大切だと思う。今、地域自立支援協議会がうまく行っている所とうまくいっていない所の差も、実はここにあるのではないか、と思う。例えば行政の担当者が、マクロレベルの福祉計画や財政のみに目を奪われ、ミクロレベルの当事者・支援者の<語り>を「よくわからない」と突き放したり、逆に「わがままだ」と耳を塞いだり、「指導しなければ」と上から目線で考えていれば、どうしたって垂直関係になる。一方、ミクロレベルの当事者-支援者関係が水平でなければ、マクロレベルの行政担当者が「そういうものだ」と思いこむのも無理はない。つまり、ナラティブセラピーに代表される「物語的真実」とは、個別支援の部分だけでなく、地域の社会資源作りのコンテキストにおいてもすごく大切ではないか、と思い始めている。そう、僕が今まで出会ってきた「地域を変える先駆者」って、「共有出来る物語」を産み出す語り部でもあった。
こう考えてみると、実はメゾレベルで地域を変えている人々は、社会的起業家(Social Entrepreneur)でもあるのだ。そういえば、社会的起業家について最も定評ある定義を用いると、社会起業家は次の5つの行動を通じて、社会セクターにおけるチェンジ・エージェントの役割を果たすという(Dees2001:4)
・(単なる私的な価値ではなく)社会的な価値を創造し維持する使命を採用する
・そのミッションに貢献する新たなチャンスを認識し、執拗に追求する
・継続な創造、適応、学習のプロセスに従事する
・現在手に入る資源に限定されることなく、大胆に行動する
・対象とする顧客層への、また創造する結果に対して高い説明責任を果たす
この中で、「社会的な価値を創造し維持する使命」とは、これもひとつの「物語」とみなすことが出来る。その地域のローカルなコンテキストに基づきながら、「現在手に入る資源に限定されることなく、大胆に」望ましい、あるべき姿を模索する「物語」。専門家と当事者が「共同の目標に向かうため」の道しるべとなる、そんな「物語」。そういう「物語」を紡ぎ出そうという使命がある人間だからこそ、「状況というパラドックスに満ち、多義性や曖昧さに溢れた複雑さに直面し、人間の分厚さ、豊穣さを知る具体的な人間だけが、相互に打ち合うことによって発展させることができる」存在に昇華していくのではないか。そう考え始めているのである。
まだ今日はとっかかりなので、決してブログの文章もこなれてはいない。だが、メゾレベルで物語を紡ぎ出す社会起業家が障害者福祉領域にこれまでもいた、だけでなく、これからも求められるのではないか、と思っている。それは、当事者・家族・支援者・行政・・・どういう立場であってもいい。少なくとも民主的・水平的な「会話のパートナー」として、メゾレベルの場を切り盛りしていく存在。その中で、その地域における解決が困難な事例を、地域のシステムとして昇華させていく「物語」を紡ぎ出せる存在。あるいは、地域の中でバラバラになった夢や関係を紡ぎ直し、共有出来る「物語」として再構築出来る存在。そういう存在・物語について、もう少し整理したり、追いかけたりしなければいけない。今日、一日のんびり考えていて、ここまでは整理出来た。

溺れずに泳いでいくために

一昨日は東京、昨日は三重と仕事続き。なので、今日は身体がだるい。火曜は東京の仕事が良く入るが、今日はたまたまその予定もなく、1限の講義の後も、学内でなんやかやと雑用をしている。なので、お昼の時間にアップ出来る。

さて、一昨日は東京駅でI先生とワインを二本も飲んでしまった後、津まで向かったのだが、近鉄電車で乗り過ごしてしまうし(幸い戻って来れた)、気がついたらipodくんが探しても見つからないし、とんだ顛末だった。昨日仕事の合間に、新幹線にも近鉄にもタリーズにも飲み屋にも会議場にも電話したけれど、どこからも出てこず。まあ、なくした直後に何となくご縁が切れたような気がしてしまったので、やっぱり…と思いつつ。しかもipodくんは第6世代に移行していて、小さくはなったけど、バッテリーの持ちも悪くなったとか。ごめんよ、以前のipodくん。離別して知るその有り難さ。
気を取り直して、音楽なく松坂から東京にまで戻り、「かいじ」乗り継ぎの途中で寄った本屋で見つけた一冊に引きこまれ、久し振りに一気に読み終えてしまう。
「自分の交際範囲の構成者とその連なりのパターンは、かけがえのなく世界に唯一のものである。人々が一人一人固有に持っている、過去からの人間関係の蓄積。それまでの生涯で出会った他者が与えたすべての影響の結果として、私たちは存在している。それはアイデンティティともパーソナリティとも見なしうる。私はこれを『ネットワーク・アイデンティティ』と呼んでいる。(略)ネットワーク・アイデンティティこそが、その人の行動や思考を形作り発動させる。あなたが日本語をしゃべるのは、たまたまあなたの両親や周囲の人々が日本語を話していたからにすぎないのだ。あなたの言語しかり、動作や、趣味しかり。能力や資質でさえ、生まれて以来、出会ったありとあらゆる人々とのインタラクション(相互作業)の賜だ。」(『「つながり」を突き止めろ』三宅雪著、光文社新書p42-43)
ネットワーク・アイデンティティが行動の準拠枠にある、という視点は、言われてみたら確かにそうだよな、と思う。自分の行動や思考のかなりの部分は、「出会ったありとあらゆる人々とのインタラクション(相互作業)」の中で形成されている。著者が言うように、能動的に切り開ける「誰かとの繋がり」だけでなく、管理やコントロールしにくい「誰かからのつながり・影響」も含めて、多くのネットワークの網の目の中で、自分が形成されてきた。家族や学校の担任などは、自分から選べないような「誰かからの繋がり」だし、友人関係を作り直したり、転職したり、ひっこししたり、等はネットワーク・アイデンティティの能動的リセット、ともいえる。
ちょうど今日の地域福祉論では「ひきこもり」についてべてるの家の「ひきこもりのすすめ」というビデオを観ながら考えるコマだったので、早速このネットワーク・アイデンティティの概念を講義の説明の中に取り入れてみた(まさにfrom hand to mouthそのものだ)。現前にあるネットワーク・アイデンティティに対して疑問や怒り、辛さや不満を持った時、尚かつそのネットワークを能動的に切る(=筆者なりに言うと「橋を燃やす」)ことが出来ない人の場合、自発的に・あるいは何となく、そのネットワークから退却すること。それが「社会的ひきこもり」の一つの側面とは言えないか、と。あるいは引きこもるのも、「橋を燃やす」行為の一形態か、とも。
現にビデオに出てくるべてるの家の当事者のみなさんは、浦河に来たら話せるようになった、つながるようになった、と複数の人が述べている。切れてしまったネットワークの再生が、セルフヘルプグループのような「わかちあい」の出来る場だからこそ出来るのではないか。そういうインキュベーションの器にたどり着かない限り、これまでの自分のネットワーク・アイデンティティに納得も積極的再構築も出来にくいからこそ、「ひきこもり」という形での積極的な行動化に出るのではないか。また、逆に言えば、日本社会のネットワークに対する同調圧力の強さが、自殺や引きこもりといったそのネットワーク・アイデンティティからの「逃走」「退却」を助長しているのではないか、と。
ただ、そうはいっても、このネットワークには、直接対面したネットワークだけではなく、本当は本や映画などの二次元ネットワークの影響も入れた方がいいような気がしている。例えば僕の今の仕事のスタンスは、実際に師事した指導教官や親しくさせて頂いている諸先輩方といったリアル空間のネットワークから、もちろん大きな影響を受けている。だが、僕自身の生き方・考え方は、こういったリアルネットワークだけでなく、このブログにも何度も紹介しているが、全巻を読み続けた村上春樹、池田晶子、内田樹といった作家からも、文章を通じて大きな影響を受けている。お三方とも勿論逢ってみたいが、池田晶子さんは会わないうちに夭逝され、村上春樹氏や内田樹氏とも今のところネットワークでつながっていない。しかし、つながりのある程度深い友人よりも、僕はこのリアルな繋がりのない3者から大きな影響を受けている。そして、これらの著者が僕と同じように本を通じて多くの影響を受けているドストエフスキーやソクラテス、レヴィ=ストロースからも、間接的に大きな影響を受けているし、改めて自分で読んでみても大きな出会いを感じている。
そう考えると、一方的な出会い(ファン)も含めたネットワーク・アイデンティティが自分自身なんだな、と改めて感じる。先の社会的引きこもり論に戻ると、リアルな世界でのネットワーク・アイデンティティから一度退却した引きこもりの当事者は、ネットやビデオ・ゲーム、漫画や映画といったネットワークの網の目の中で何とか自分を保っている、という。このあたりも、現実のネットワークからの遊離を、バーチャルなもので代用しているという実態と、それだけでは代用出来きれない限界、また実際のネットワーク・アイデンティティを再構築したいけど出来ない、という当事者の想いとズレ、なども見えてくる。
ついでに言えば、バーチャルな世界でのネットワークが、自分自身のアイデンティティにとっての大きな構成要素となるためには、リアルな世界でのネットワーク・アイデンティティとのインターアクションを通じての活性化が必要なのかも知れない。単にゲーム好き、マンが好き、読書きです、というだけでなく、実際にその作家からの影響を何らかの形で外在化させ、現実の言動の中に入れ込み、それを通じた他者とのコミュニケーションの中に反映させることを通じて、初めて自分自身のネットワーク・アイデンティティに昇華するのかもしれない。
今年僕は特に意識して、これまで読まなかった新たなジャンルの本を取り入れようとし、自分の可動領域を拡げようとしている。その中で、新たに「つながった」人だけでなく、本や考え方も少なくない。そして、気づいた中身をこうやってブログやツイッターに書きながら、またその書いた内容についてメールやツイッター、お会いした方との議論などを通じて影響を受けながら、変容の途上にいる。また、国の制度改革推進会議にコミットすることになった結果として、「自分に向けられていて自分がまだ気がついていない、他者からの潜在的な援助や愛情、避けるべき悪意や妨害も含めて、他者から自分に向けられてくる関係」(同上、p235)も加速度的に増えていると感じている。
関係づけ、関係づけられる。このインターアクティブな関係の大海の中で、溺れずに泳いでいくために、改めて自分から外部に求めるネットワークの意識化、だけでなく、「行為者が受けている関係、そして関係の性質」(p237)にも目を向けねば、と気づかされた一冊だった。

「書き残さなくてはならないもの」

昨日、「最後の夏休みの宿題」を脱稿。夏休み明けに宿題を泣きながらやる学生そのものの気分が、ロンドンから帰って1ヶ月、ずっと続いていた。へとへとだった。

何だか今年は様々なものが一気に引き寄せられる。国際学会に7月8月と連続で出かけたのだが、エントリーする時には、そんなに忙しくなるとは思いもしなかった(いや、少しは想像しろよ、と突っ込みたくもなるが・・・)。そして9月は半月ほどスウェーデン→イギリスと調査旅。
そんな中で、4月から7月に書き続けた論文2本の査読が、スウェーデンに発つ直前と、イギリスにいる間に帰ってきて、「若干の修正をすれば掲載可」と言われる。ただ、査読者のコメントを読んでみると、どちらも「ある程度書き直した方が良いよ」というメッセージ。頭の固い僕は、パッと文面を読んだ時、全面的な改訂を求められているのかと勘違いし、目の前が真っ暗になる。だが、こういう時に、「大阪のお母さま」と敬慕する方から言われた、頭に入ってくる秘密を思い出す。「頭に入ってこうへん文章は、一字一句違わず書き写してみたらいいのよ。」 この助言を思い出し、コピペをせずに、査読者の文章を一字一句、ワードで書き写す。すると面白いもので、査読者の方が、どういう論理展開で、どういう思いで、この文章を書いているのか、がジワジワこちらに伝わって来るではないか。更に言えば、どちらも「もうひと頑張りしたら良くなる」という励ましの思いまで伝わってくる。
なので、ロンドンから帰国した後、まずは査読者の思いを理解した上で、何度もそのコメントを読み直し、対話するつもりで、自分の文章を削って、新たな視点を書き入れていった。そう、ワインバーグの文章作法について書いた以前のブログを思い返しながら、15%くらい文章を削り、指摘されたポイントについて、自分なりのレスポンス(応答)という形で書き入れていく作業。削った中身については、結構自分の主張やこだわりが全面に出ている部分も含まれていたのだが、逆にそれに囚われて、文全体の主旨から逸脱しているようにも見えるところは、バッサリと切った。だが、ワインバーグ氏の言う「たまねぎ風味のバター」よろしく、「もうそこにない言葉の風味がとじこめられている」言葉や文章の方が、味わいが深くなったような気がする。そんな書き直し作業を、この1ヶ月、ずっと続けながら、間に12000字の依頼論文も書いていたので、本当に書く事に追いつめられたような1ヶ月だった。
だからこそ、前回にも引用した村上春樹インタビュー集に出てくる文章論には、本当に引き込まれている。彼の本は時期を置いて何度か読み返すのが通例なのだが、今回は間をおかずに読み返している。その中で、ちょうど文章書きに一区切りが着いた今だからこそ、ビビッと来る部分がある。
「僕に言えるのは、音楽を作曲したり、物語を書いたりするのは、人間に与えられた素晴らしい権利であり、また同時に大いなる責務であるということです。過去に何があろうと、未来に何があろうと、現在を生きる人間として、書き残さなくてはならないものがあります。また書くという行為を通して、世界に同時的に訴えていかなくてはならないこともあります。それは『意味があるからやる』とか、『意味がないからやらない』という種類のことではありません。選択の余地なく、何があろうと、人がやむにやまれずやってしまうことなのです。」(村上春樹『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』文芸春秋 p177)
これは欧米の研究者の世界で言われる”publish or perish”(書くか、消えるか)というのとは、性質が違う表明だ。この”publish or perish”というのは、あなたが発見した事を書かなければ、あなたの業績は誰にも記憶されない、という意味合いがある。「発見した事」に焦点化しているようでいて、結局は「あなたの業績」という属人的要素に還元する論理が見え隠れする物言いだ。だが村上春樹氏は、自身の小説を指して、「人がやむにやまれずやってしまうこと」という。つまり、書き残される事を求めるストーリーを、媒介者として立ち上げていく、というのが、彼のメッセージである。もちろん、そこに村上春樹という人物を通じて、という属人的要因がかなり絡んでいる。だが、それが優先順位の第一位ではなく、あくまで立ち上がる物語が第一位にある、という点が、先の”publish or perish”とは大きく違う点だ。
そう考えていくと、ささやかながらこの1ヶ月間で書き直していた論文という名のストーリーについても、それも書いている私より、書かれている対象世界について、「書き残さなくてはならないもの」という思いを強く持って書いた内容だった。どちらも僕が沢山の事を学ばせて頂いた現場・人物のストーリー。僕はそれを小説という形式では書けないので、事実と理論から構成される論文という媒体で書き表した。そこには「客観性」「再現性」などのルールがある。そのルールを守りながらも、「たまねぎ味のバター」のように、自分自身の両者への思いを仮託させながら書き直した。そういう意味合いでは、村上春樹氏と立っている場所は勿論違うけど、自分なりに書くという事に真剣に向き合った1ヶ月だったような気がする。だからこそ、次のフレーズも、今の僕には、よくわかる。
「本を書き終えたあとの僕は、本を書きはじめた時のぼくとは、別人になっている、ということです。小説を書くことは、僕にとって本当にとても重要なことなんです。それはたんに『書くこと』ではありません。数ある仕事のうちのひとつというわけにはいかないんですよ。あなたがおっしゃったように、それは通過儀礼のひとつのあり方でしょう。さまざまな障害に直面する主人公とともに、僕も進化するんです。」(同上、p155)
僕自身、どれほど進化したかどうか、別人になっているほどその論文世界に入り込めたか、というと、正直覚束ない。だが、その通過儀礼を経て、少なくとも「たんに『書くこと』ではありません」という心境については、自分事として理解出来るようになってきた。僕自身にとって、ある物語を、それが論文という形式を通じてであれ書くことの切実さ、を感じ始めている。今は少し疲れたので、これから再びインプットの時期に戻るつもりだが、また遠くないどこかで、次の物語を書きたい、と漠然と思っている。どういうテーマになるかは、まだ内的必然性を持って迫ってこない。で
も、書くべきときに、書くべきことを、書き残しておきたい。この1ヶ月を経て、気づけばそう思い始めている自分がいる。

凡庸で退屈な文章を越えるには

週末に伊豆に出かけてきた。選んだのは、楽天で評価の高かった「海童」というお宿。3部屋しかない民宿だが、居間とは別にベッドルームもあり、また食事もそれぞれ専用の食事スペースで食べられるので、温泉宿特有の、仲居さんに急かされるパターンは皆無。非常にのんびりできた。金目鯛も目茶旨く、海をみながらのお風呂も最高だった。

その旅先で読み続け、昨晩読み終えた本に、読後の今も揺さぶられている。
「僕は僕の心の中に深く暗い豊かな世界を抱えているし、あなたもまたあなたの心の中に深く暗い豊かな世界を抱えている。そういう意味合いにおいては、たとえ僕が東京に住んでいて、あなたがニューヨークに住んでいても(あるいはティンブクトゥに住んでいても、レイキャビクに住んでいても)、我々は場所とは関係なく同質のものを、それぞれに抱えていることになります。そしてその同質さをずっと深い場所まで、注意深くたどっていけば、我々は共通の場所に-物語という場所に-住んでいることがわかります。」(村上春樹『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』文芸春秋 p188)
村上春樹の小説に初めて心かき乱された(disturbed)のは、大学年生の夏休みだったろうか。「ねじまき鳥クロニクル」を読んでいて、井戸の中にいるオカダトオルに同期したような気がして、竜巻の中に身を置くような、かき乱された気分になった。若気の至り、とは別の種類の、パンドラの箱が開かれたような気分。それはインタビューに答える村上春樹氏の言葉を借りたら「あなたの心の中に深く暗い豊かな世界」と、「ねじまき鳥」で展開される「僕」の「深く暗い豊かな世界」がアクセスした瞬間、であろうか。良い子ぶりっ子していた自分の中に、こんなに「深く暗い」世界が潜んでいる事に驚きながらも、むさぼり読んでいたような気がする。
「作家が物語を立ち上げるときには、自分の内部にある毒と向き合わなくてはなりません。そうした毒を持っていなければ、できあがる物語は退屈で凡庸なものになるでしょう。ちょうど河豚のようなものです。河豚の身はとてもおいしいのですが、卵巣、肝臓などの部位には致死量の毒を含んでいることもあります。僕の物語は、僕の意識の暗くて危険な場所にあり、心の奥に毒があるのも感じますが、僕はかなりの量の毒を処理することができます。」(p424)
僕自身がこないだから苦しんでいたのは、自分自身が書いている文章が「退屈で凡庸なもの」である事に対して、だった。毒もピリリとした刺激もない、誰が書いても代替可能な文章。顔のない文章。書いている当時はワクワクして、一所懸命書いたはずなのに、時間が経って見直してみると、非常にreader friendlinessに欠けていることがわかってきた文章。自分の語りと、他者(査読者)の視点が重なり合わない文章。陳腐な規範的な物言いの文章・・・。
直接的にはこの夏の宿題となっていた原稿類についての思いだが、そもそも文章を書くということ全体に対しての懐疑的な気持ちが、今になって極大化しつつある、という方が、正鵠を得ているだろうか。とにかく、文章を書いていて楽しくなかった。・・・ということに、彼の本から改めて気づかされる。
「まあ確かに人生には、楽しいこと面白いことがいろいろあるとは思うんです。たとえば女の人と遊んだり、賭け事をしたり。ただ僕はたまたま他の何よりも、うまく小説が書けるわけ。女の人もべつに口説けなくはないけど、それでもやはり女の人を口説くよりは小説を書く方が得意ですね、どちらかと言えば(笑)。そしたらやっぱりそのいちばん得意なことを、少しでもいいからもっと奥まで突き詰めていきたいじゃないですか。小説以外で、翻訳はやってますけど、それ以外のことはあまりやりたいと思わないんですね。小説書くか翻訳するか。小説はいつ書いてられないから、小説を書いていないときは翻訳をするし、小説を書きたくなったら小説を書く。『注文を受けては小説を書かない』というのは、ほとんど最初から通していることです。何月何日までにという締め切りができちゃうと、ものを書く喜びがなくなっちゃうから。自発性も消えてしまうし。」(p516)
「ものを書く喜び」が文章の中にないと、その文章は死んだ魚のような腐臭がしてくる。「毒」にき合う覚悟がないと、背骨の書けたクニャクニャな文章になる。「奥まで突き詰めて」いない文章は、「退屈で凡庸」であり、深みと拡がりにかける。自分自身がある文章表現を通じて「心の中に深く暗い豊かな世界」に降りていかないと、他者と「共通の場所」にたどり着く事が出来ない。そんな陳腐な文章は、小説であれ論文であれ、読んでいて面白くない紙屑以外の何ものでもない。そして、僕自身、締め切りに焦って、「ものを書く喜び」から遠ざかり、非自発的な「紙屑製造器」と化しているのではないか・・・。
手あかの付いた理論、言語、フレーズに自己陶酔していると、その時には「楽しい」ようにみえても、後で読み返したら、実に陳腐な文章であることが少なくない。自分が何かを伝えたい、と思うなら、わかりにくいフレーズに自己陶酔するのではなく、わかりやすいメッセージに書き直す・書き換える自己洞察が必要だ。
「何かを人に呑み込ませようとするとき、あなたはとびっきり親切にならなくてはならない。『いや、自分さえわかていればそれでいいんだ』という態度では、ほとんど誰もついてきてくれない。」(p201)
自分自身の「深く暗い豊かな世界」をを掘り下げ、「もっと奥まで突き詰めて」いくこと。そして、それを表現する時には、「毒」を排除せずに腑分けしながら、向き合っていくこと。その上で、「とびっきり親切」にわかりやすく書いていく事。
単に自分自身のこだわり、といった私的な次元での掘り下げで終わらず、普遍的な課題にアクセスするまで掘り下げた上で、それをユニバーサルな(簡易で分かりやすい)言語として書き示す事。これはなにも小説だけでなく、僕自身の文章にだって求められている。
恥ずかしながら、この本を読むまで、僕自身、文章を書く際の「書く喜び」を忘れかけていた。それをどう呼び覚まし、かつプロとしての書き手、でいられるか。これは僕自身の実存にも結びつく課題である。

魂に出会うこと、『自分を巻き込む』こと

海外出張から帰った後の馬車馬のような日々も、ようやく昨日で一区切り、大学も始まったし、〆切仕事も一つを除いて片づいて来たので、ようやく日常モードに戻る。やれやれ。そこで、ブログも通常モードにもどります。

神戸大学の金井壽宏先生は、面識はないけれど、勝手に個人的に尊敬している研究者のお一人。リーダーシップ論や組織の変革マネジメントがご専門なので、一見すると僕の専門から離れているように捉えられるかもしれないが、福祉現場の職員研修・エンパワメントの仕事に携わっていると、福祉の本棚に役立つ本は少ない。以前とある組織のフィールドワークをする中で、その組織の職員研修や組織体系についての問を持って以来、この5,6年あまり、マネジメントや組織論の本も我流で読み漁っている。その中でも、金井先生と伊丹敬之先生の本からは学ばされる事が多く、お気に入りの本も少なくない。
今回とりあげるのは、金井先生が、複数のグローバル企業で人材育成を手がけてこられた増田弥生さんと書かれた共著。増田さんの視点は僕にもスッと入ってくるものであったが、一番フィットしたのが、次の部分。
「『今ここ』の瞬間のありのままの自分でいると、自分の魂レベルと感情レベルと思考レベルがいずれもずれないので、周囲から見ても軸のぶれていないリーダーとなり、職場の判断軸も明らかになってきます。リーダーがありのままでいないと、周囲の人も居心地が悪く感じて、自分のありのままを出しにくくなり、本来持っている力を発揮しづらくなると思います。」(増田弥生・金井壽宏著『リーダーは自然体』光文社新書 p218-219)
この中で増田さんがいう、「魂レベルと感情レベルと思考レベル」というフレーズにピンときた。そう、思考と感情については、誰でも思いめぐらすことがあっても、魂レベルまで、普段から意識しているだろうか。ちょうど、昨日の地域福祉論の講義で、認知症の当事者である、クリスティーン・ブライデンさんのDVDを学生と一緒に見ていたのだが、その中でも、彼女はこんなことを言っていた。
「私に出来ないことは多くなっても、一瞬一瞬を楽しみ、感情や魂を持つ一人の人間としてみてほしい」
そう、感情と魂とは別であり、感情が乱れても、その奥底にある自分の魂自体には一貫性がある。確か、夭逝した哲学者、池田晶子も「私とは何か」の根元を追いかけていったときに、最後にたどり着くのは「魂」だと言っていた。思考で考えるだけ考え詰めても「考えているところのこの私とは何か」については、思考ではたどり着けない。五感をとぎすませても、その感覚が沸き上がってくる泉の源泉には触れられない。その部分に魂がある。そう考えた時に、リーダーシップを「自然体」で発揮する為には、「感情」や「思考」だけでなく、自らの「魂」を意識して、情や思考だけでなく、魂も含めた「「『今ここ』の瞬間のありのままの自分でいる」ことによって、風通しのよいリーダーが生まれる、という文脈に、私は受けとった。また、彼女は次のようにもいう。
「自己受容は、人を巻き込んでいくプロセスにも欠かせません。なぜなら、自分自身を巻き込めない、つまりその気にさせられない人に、他者を巻き込んで、その気にさせることはできません。『自分を巻き込む』とは、表現を変えれば、自分が心の底から何かを信じて行動できる状態であり、そういうときに、他の人はその人を信じてついていこうという気になるのです。」(同上、p246)
何かを変えたい、と思う前に、まずは自己受容して、自分自身を巻き込んで、自分自身を変えるための行動が出来ているか。この問は、先ほどの魂レベルの話とも繋がってくる。本当に「自分を巻き込む」人は、「心の底から何かを信じて行動出来る状態」、つまり思考や感情のレベルだけではなく、いわば「肝が据わった」状態で、魂のレベル、その人の存在の根底の部分から動こうとしている。すると、なまっちょろい思考や口先レベルの行動とは全くことなり、渦が出来ているが故に、そこに他の人が引きつけられ、そこから巻き込みの渦が広まり始まるのだと思う。
これは、もちろん相手に直接接している場面を想定して書かれているが、僕自身は、文章においても同じ事が言えるのではないか、と思う。つまり、このブログも含めて、自分自身が書く文章が、自分の魂レベルとアクセスしているか、「自分を巻き込む」文章になっているか、ということである。
9月末〆切の原稿の幾つかで悩んでいる時、この問題に直面していた。規範論的な文章を概説的に求められると受けとったある原稿でのこと。だが、自分自身では「教科書」的な当たり障りのない文章を書きたくない。それでは「魂」まで「巻き込む」ことが出来ない。ゆえに、書く視座が定まらず、海外出張中に全く書き出せず、帰国後もなかなか書けなかった。辛くて、久し振りに土俵際まで追いつめられたような気分だった。
だが、こないだのゼミ合宿中、学生達の実存の悩み、というか、魂の部分が前面に出た議論を聞いているうちに、ふと気づいたのだ。彼ら彼女らの魂のレベルでの問に比べて、己の課題は本当に魂の問題にアクセス出来ているだろうか、と。魂にちゃんと触れるような書き物をしようとしているだろうか、と。依頼された相手や、査読者の顔色をうかがって、自分自身の魂のレベルでの「自分を巻き込む」文章から後退してはいないか、と。そう思うと、張りつめた雰囲気が消え、いつもの自分に戻っていった。その中で、ゼミ合宿の議論も渦ができはじめ、よい収束の方向へと向かっていった。その後、査読論文の校正は3日で、半分くらいで筆が止まりきあぐねていた12000字の特集論文も4,5日で書き上げてしまった。そう、思考や感情のレベルだけでなく、魂のレベルにアクセス出来てはじめて、自分で納得出来る文章が出てくるのである、と。
このブログも、思考と感情になるべく制限を付けずに書き続けている。それは、魂の部分にまで降りていき、ノックをしている文章なのかもしれない。そして、コンコンと魂の扉を叩き、扉の中から薄明かりが見えた時、書く前の自分とは違う位置にいる自分を発見したりする。そういう意味での思考の整理なのだが、それは感情を深め、魂に出会うことを通じて、『自分を巻き込む』作業をしているのかもしれない。
さて、今からは〆切を延ばしてもらった、別の原稿の修正と格闘。ちゃんと「自分を巻き込む」作業に正面から向きあってみよう。

馬車馬の9月後半

随分ブログがご無沙汰していた。ロンドンから帰国後、文字通り馬車馬のように働いていただから。備忘録的に書き出してみる。(実は6時間前にアップした時、あまりに走馬燈だったので、一日分書くのを忘れていた。こっそり書き足しておく)

20日:大阪であるNPOの将来構想委員会でディープな議論→その近くにあるイタリアンのお店での宴会。同世代でそのNPOから沢山の恩恵を受けた仲間達が、先達の叡智をどう引き継げるか、ミッションをどう発展させられるか、を自分事として議論する。毎回一参加者として、議論をワクワク楽しめ、かつ学びの多い会合。毎回沢山飲んでしまいます。
21日:20日の夜は、いつものように実家にもご挨拶+静岡&ロンドンのお茶を運ぶ「茶貿易」をした後、翌日はネットが繋がるのぞみ号で仕事をしながら、厚労省である総合福祉法部会に。いよいよ来月から作業部会が始まる人選表も発表される。10月から3月までの作業部会の議論如何で、この私たちの目指す「総合福祉法」という新法の骨格が出来るかどうか、が決まる、大切な作業チーム。僕は「地域生活支援事業と自治体の役割」というチームに所属。「障害者福祉におけるあるべき自治体の姿と責務」とは何か、を考え、現実・実態との格差の中から、どうしたらそれが実現するか、を考えるセクション。山梨や三重で、県の仕事をさせて頂く中で学ばせて頂いた事を活かせるセクションであり、身が引き締まる思い。
22日:午前は県の会議、午後は教授会、ついでに久しぶりに大学に行ったらわんさか学内業務が溜まっていて、ひたすらメールを打つ。

23日:9月〆切の原稿書きに追われる。だが、切り口や視座が定まらず、四苦八苦。自分の内的な実感と、与えられたテーマとがうまくアクセス出来ていない。その中で文章を書いても、単なるshould/mustの規範論で終わってしまう。それなら、僕ではない他の誰かの文章になってしまう。別に「己が己が」というつもりはないけれど、自分が納得いく文章として立ち現れてこない。多分に思考不足なのだろう。途中で諦めて、文章を寝かせることにする。

24日:門屋充郎さん、玉木幸則さん、北野誠一さんという超豪華な講師陣を迎え、山梨での相談支援従事者初任者研修2日目の開催。聴けば、この3者が一堂に会するのは初めてだそうな。3障害の違いを超えて、本人中心の支援とは何か、という根源的な骨格が同じなのだ、と3者のお話を聴きながら、改めて実感する。門屋さんは柔らかい物腰の中に、「病院中心主義では絶対にダメだ」という熱い想いが迸っている。玉木さんは「ただ地域で普通にくらしたいだけ」というシンプルな主張が、如何にこれまで出来てこなかったのか、そしてそれを構築するためにどのような仕掛けが必要か、について分かりやすくお話頂く。北野さんには、障害者福祉の大きな歴史的変遷の中で、何を基準に仕事をすべきか、について伝えてくださる。僕自身にとっても、大きな学びとなる研修だった。
25-26日:ゼミ合宿。3,4年生合計10名と僕、だったので、3台の車に別れて、清里のペンションへ。今年は学生の都合が合わず、後期の頭にゼミ合宿だったが、思い出深かった。何より、10人が自らのテーマについて発表し、たっぷり時間をとって、全員で議論する。いつものゼミと違い、90分という時間的制約がないので、焦らずゆっくり議論が出来る。その中で、色んな事を「実は…」とカミングアウトする学生がいたり、自分の心境の変化を語り出す人がいたり。のような同じ時間を多人数で共有する、という形態は、親密性を増す非常によい機会となった。学生さんは夜遅くまで盛り上がっていたようだが、僕は早々にダウン。ま、教員がいないほうが学生さん達も盛り上がったようだし、結果オーライ、であります。合宿から帰ってきて、合気道に出かけたら、流石にクタクタで、肩から息をしていました…。
27日:日帰りで三重! 3年目になった、市町職員エンパワメント研修。この日は、2つの地域自立支援協議会の試行錯誤を「聴く」というセッションから始めた。この地域自立支援協議会という器は、障害者自立支援法で作ることになっているが、どう運営するか、については、各自治体の裁量に任されている。なので、真面目に地域課題を議論するところもあれば、とりあえずやってみたけれど、尻すぼみ、という自治体もある。ならば、理念やあるべき姿を外部者(例えば私のような研究者)が伝えるのではなく、今、実際に試行錯誤している内容を発表してもらったらいいのではないか。このような意図で行ったのだが、その後のグループディスカッションも含め、非常に盛り上がった。「よそも同じような悩みを抱えていた」「楽しんでやろうとしてもいいのだ」「自分のところの改善のヒントになった」といった感想が沢山寄せられた。そう、このようなピアサポートグループが、自治体レベルでも足りないのだ、と改めて実感。また多くの感想に「ちゃんと当事者の声を聴かねば」というフレーズが寄せられていたのも、印象的だった。以前は「当事者の声なんて聴いてしまっては大変だ」という声もあったのに・・・。
28日:講義のあと、東京に。本来一つの会議に出るはずだったのだが、数珠繋ぎ的に打合せがもう一本入る。東京にいると、確かにそういう急な打合せでも対応出来るので便利だが、逆に言えばドンドン仕事が入れられてしまう。やはり、山梨のような、東京から「ほどよい距離」が大切だ、と改めて思う。
29日:1~3限まで講義、その後、学科のFD会議。講義アンケートをもとに、授業のやり方や学生対応についての、教員同士の話し合い。こういう話し合いの中で、先生方の教育実践の姿勢や具体的な対応策などを情報交換しあうことが出来、大変有益だった。この中で考えさせられたのが、「大学の講義や大学生のあるべき姿」と、「講義アンケートなどで出てくる現実」の落差について。
確かに私たちは「あるべき姿」を追い求めたいとおもう。それが出来ていない学生を「なっていない」と言うのは簡単だ。また、アンケートを絶対視することは、現実に単に追従することであり、質の劣化を招く、という議論にも、十分に耳を傾けるべき部分はある。だが、僕は現時点でも、やはり「現実」を無視した「あるべき姿」は危険だ、と思っている。目の前の学生達に届けるという営為を通じて、「あるべき姿」は構築されるはずだ。たとえ講義内容を全部理解することは出来なくても、学生達は教員の「伝えたい」という想いは、受け取ってくれる。その中で、議論を少しずつ引き上げていくと、ちゃんと学生達はついてきてくれるのだ。ただ、入口の階段は、教員にとっては1段に見えるところでも、学生にとっては10段くらいなら、少なくとも5段分くらいに細かく分けて、よじ登れるような回路を創る必要がある。そうしないと、彼ら彼女らは、よじ登る前に、「どうせ無理」と諦めてしまう。それでは、せっかくのご縁が活かせないのだ。
ま、まだ僕も試行錯誤であり、この講義の在り方の模索は今後も続く事になる。
30日:講義は1,2限と続き、4限5限はゼミ。後期のゼミは二コマ連続で卒論に向けた集団討論も始まるので、研究室を片づけて置かなければならない。なんせ、8月の中頃以来、余裕無く散らかした書類がわんさかある。僕は幸いに元小教室を研究室に改造してもらったので、テーブル二つに椅子12脚が研究室に入っているので、ゼミは可能。だが、10名+私、が座るためには、何が何でもこのエントロピーの増大しまくった机と椅子の上にある様々な内容物を処理せねばならない。次から次とゴミ箱に放り込み、シュレッダーにもかけ、3限まるごと使って、ようやく綺麗に出来る。でも、「ゼミをやるから」といった公的なエクスキューズがないと、部屋は絶対に綺麗にならないのも事実。お陰でその後のゼミは、後期第一回目から内容の濃いものとなり、結局6時くらいまで続く。
で、ゼミが終わった頃、今年県庁に就職したOGからお電話。研修の帰りに遊びに伺うとのこと。何でも今日が試用期間最後の日で、明日から正社員、とのこと。なるほどねぇ、と思いながら、スーツ姿も板に付いてきたOGさんのお話を伺う。何よりゼミ生が、卒業しても遊びに来てくれるほど、教員冥利に尽きる事はない。今度卒業生の飲み会をするから、日程を合わせよ、ということ。もちろん、喜んで伺います。
10月1日:この日は朝から相談支援従事者初任者研修3日目。千葉から中核センターがじゅまるの朝比奈さんにもお越し頂き、山梨の三障害のケアマネの実際、と、千葉の実践とを掛け合わせるセッション。社会資源の少ない山梨でも、結構頑張って実践を行っているな、という実感と、でも千葉のような、制度や支援体制の網の目から零れた「困難ケース」への真摯な取り組みから学ぶ事が多いな、という実感の両方を抱いたセッションだった。朝比奈さんの柔らかい物腰と、そう簡単には諦めない、という粘り強い姿勢に、改めて感じ入ることが多かった。
とまあ、こんな風に2週間走り続けたので、昨日はポン酒を飲んで、ひっくり返っておったのでありました。さて、今日は楽しい休日。原稿もあるけど、まずは野菜の買い出しだぁ。