移行期の支援

 

日曜日に長野で知事選があった。
その日は丁度長野で調査の日。田中知事の県政下で、入所施設から地域移行を果たした知的障害を持つご本人への聞き取り調査をしていた。

選挙結果はご案内の通り、現職の田中知事が破れ、村井氏が新しい知事となることに決まった。
長野で聞き取り調査を終えて帰宅した我が家でこの速報を眼にしながら、「新しい知事でもこの地域移行の取り組みはずっと続けてほしいな」と思っていた。

政策は時の為政者によって変わる。例えば宮城では、浅野知事時代に続けてきた「脱施設宣言」も、次の知事では事実上の撤回となった。そう言えば浅野知事の次の知事も「村井知事」。同じ名前だから、といって、同じような政策を続けてほしくない、としみじみ思う。それは、グループホームで暮らす人々の意見を伺っていても、すごく感じる。

グループホームで暮らす当事者にお話を伺う際、必ず聞くことがある。それは「西駒郷の生活と今の生活のどっちがいいですか?」という事である。この質問に、実に多くの当事者が「そりゃあ今の方がいい」とお答えになる。「なぜ?」と聞くと、多くの人が一人部屋になった、自由が増えた、という答え。それほど多人数で集団一括処遇では自由がなかったのか、と思い知らされるエピソードだ。しかも、お話してくださる方々は、20年30年と集団生活をしてこられた方々が少なくない。その方々が、地域に出て、初めて個室を持ち、自分らしい生活スタイルを一歩ずつ築かれている様子を垣間見ていると、この地域移行の政策の普遍性をすごく感じる。

この地域移行というギアチェンジについて、前回の記事でも書いた村瀬さんは、映画レインマンの解説に寄せながら、実に適切な表現をされている。以下、少し引用してみよう。

「『町に出る』ことで、社会の持つ『規則的なもの』とぶつかりながら、少しずつ自分の流儀(儀式)を曲げて、社会の規則を受けいれてゆこうとする主人公の生き方である。施設の中だけで暮らしていたら、そんなふうに自分の流儀(儀式)を曲げることはなかったであろう。
 でもそうするためには、弟のように、彼に付き添って町の中で暮らす人の援助がいる。そういうことを含めて、この映画が作られていることを私は見ておくべきだと思う。つまり、この映画の『解説』をするのに、弟チャーリーの役割に一度も言及しないで、ひたすら『自閉症のレイモンド』を描いた映画のように説明するのは間違っているのである。」(村瀬学「自閉症-これまでの見解に異議あり!」ちくま新書p138)

そう、施設という「保護的」な場で、自分の流儀(儀式)と社会との接点がなかった当事者の方々は、今、地域移行という局面で、はじめて「社会の持つ『規則的なもの』とぶつか」る場面に遭遇している。でも、グループホームを訪ねていって感じるのは、実に多くの方が、「社会の規則を受けいれて」いきながら、自分らしく暮らすことも両立されておられる、という姿である。施設内での「訓練」でなく、実際に社会に出て、グループホームで暮らしながら、苦労を重ねながら、社会に「復帰」していく。これと同じ事を、精神科リハビリテーションの現場で活躍されている方も次のように整理していた。

「まず実際に地域のアパートや事業所に行って、そこでの生活や就労に必要な技術を、専門家の援助を受けながら学ぶほうが、保護的な環境での訓練よりも、より実現適応が良い」(香田真希子 「社会的入院者の退院支援にACTモデルから活用できること」OTジャーナル 38(12) 1097-1101

入所施設という「保護的な環境」で、ずっと「訓練」を続けているより、「まずは実際に地域のアパート」に移り住んでしまい、「そこでの生活や就労に必要な技術を、専門家の援助を受けながら学ぶほうが」よい。これは、ごく当たり前のことなのだが、「専門家」が支配する福祉や医療の分野では、このごく当たり前が、ごく最近まで「当たり前でない」というアブノーマルな現実が続いていた。

そして、このレインマンの逸話でもう一つ大切な点、それは村井氏が指摘するように「弟チャーリーの役割」である。つまり、「彼に付き添って町の中で暮らす人の援助」をどう組み立てていくか、という点である。先に移り住んだアパートで「実現適応が良い」結果になるためには、それ相応の移行期の支援、移行後の支援、というものが求められる。

障害を持つ人でなくとも、「少しずつ自分の流儀(儀式)を曲げて」他の別の「規則を受けいれてゆこうとする」ことは、並大抵なことではない。当然、入所施設からの地域移行においても、この部分での濃厚な支援が真に求められている。宮城ではこの部分への支援に対する利用者家族の不信感が募っていたようだが、幸いにも長野では、各圏域全てに地域移行の連携窓口となる障害者自立センターがあり、グループホームへの独自の助成制度などもある。また、西駒郷の支援チームが移行時や移行後に、ご本人の移行期を支える支援にも入っている。

まさにこのご本人の移行期、「社会の規則を受けいれてゆこうとする」その局面の障害当事者の「しんどさ」や「生活のしづらさ」に着目し、それをどう支えていけるのか、このあたりに支援のプロと言われる人々の、プロの本質というものが問われているような気がする。支援のプロではない「弟チャーリー」でさえ、「弟」とじっくり関わる中で、見事に移行時の支援が出来ていたのだ。まかり間違っても、支援者自身がこの問題から逃げて、ご本人も大変だから施設の方がいい、なんて安逸な結論にはまりこんではならない、そう感じている。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。