2024年の三題噺

今年も大晦日。毎年恒例の、この一年を振りかえっての三題噺を書く日である。一つ目は決まっていて、あと二つはまだ思い浮かばないけど、多分書いているうちに湧き上がってくるだろう。

1,ダイアローグを活性化させる

11月に京都でトム・アーンキルさんの集中研修を久しぶりに受けた。7年前に「未来語りのダイアローグ」の集中研修を彼から受け、僕の対話実践の質は大きく変わったことは、このブログでも何度も書いてきた。今回、トムさんと4日間ご一緒して、ある晩はトムさんご夫妻と三人で夕食もご一緒する中で、ぼく自身の対話実践を改めて振りかえり、ブラッシュアップする時間となった。

そして、各地の実践共同体での受講生の皆さんとの対話の時間とか、最近は講演に呼ばれても事前にアセスメントのモヤモヤなどについて書いてもらい、受講生と対話していたりもする。あるいは、12月は三つの研修現場で、フィッシュボール形式で話したい人に真ん中の円に来てもらってお話して頂いたり。そういう意味で、対話的な時間を過ごすことが多い。そして、こないだVoicyでも話した「振り返り会」でてっちゃんやてっしーさんに「対話実践のなかで自分が問われることはありませんか?」と聞かれて、まさにその通りだよなぁ、と改めて思う。

思えば、今年もシビアな対話があった。自分を試される対話。権威や権力、知恵や知識で誤魔化そうとしても、それを見抜かれるような対話。丸腰で臨むけど、その先どうなるのか、落としどころも筋道も見えない対話。怒りや葛藤、困惑や疲労が最大化した対話。あのとき、僕はどうやってそれを切り抜けたのだろう、と思う。はじまる前は、深呼吸して、相手を歓待した。そして、こちらへの印象が最悪な相手に対して、丁寧にその人の考えていることを教えて欲しい、とお願いした。「こんなこともわからないのか?」と思われても、「申し訳ないけど、できる限り全体像を理解したいので、一から教えて頂けませんか?」とお願いした。そして、半時間以上かけて、じっくり丁寧に、相手の意見を聞き取り、それぞれの話に対して、「いま、わたしはこのように聞いた・理解したけど、それは合っていますか?」と確認し続けた。そのプロセスを踏まえた上で、「言いたいことは十分言えた」と相手に言ってもらってから、その相手の発言の内容について、一緒に考える時間を作った。発言の内容が、どのような事実や価値に基づいているのか、を1つずつ紐解き、ほぐし、分類する作業を共にしていった。そのプロセスの中で、一筋の光が見えた。そこから、相手も納得のいく筋道が広がっていった。

毎回、どんな対話になるか、わからない。使える武器もないので、丸腰である。だからこそ、前の晩によく眠ること、相手の話を遮らずにじっくり聞くこと、価値ベースで勝手にラベリングせずに相手の言葉通りに受け取ること、を大切にしている。そして、こちらがアドバイスや評価をしようと思わず、愚直に相手の論理を教わっているうちに、筋道が見えてくる機会が、何度もあった。逆に言えば、うまくいかなった対話とは、筋道が見えてくるまで話を聞くことなく、途中で話を遮ったり、あるいはか細い「声にならない声」に耳を傾けきらなかったばっかりに、相手の話の全体像を理解できないまま、何かを提案するモードになったのだと思う。これは次年度以後の宿題として、残しておきたい。

2,休みは意識的に取れた方?

夏休みに一週間、ルチャ・リブロの司書、青木海青子さんから教わって、東吉野村で一週間滞在する。子どもと共に、天気なら川遊び、雨が降ったら榛原の温水プールに出かけた。ガツンと一週間も休むことはなかったので、こういう長期休暇は良いなぁ、と改めて思う。3月にはコロナや台風で行けなかった沖縄に3度目の正直!で家族旅行に5日間行ったり、暮れはおじいちゃんおばあちゃんの金婚式の御祝いで淡路島の温泉宿に泊まったり、なんだかんだと旅行は出来ていた。

以前「休暇のマネジメント」を読んで、休みをゆったり取ることの大切さと、それに向けて意識的に動くことの大切さを教わり、それを実行したら、出来ていた。なので、次の正月休みは、この春と夏はどこで過ごそうか、の作戦会議をしたいと思っている。

ただ・・・それ以外の期間、ちょっと働き過ぎた傾向がある。特に10月から12月は、みっちりと予定が詰まって、それに身体がついていかず、3、4回は風邪を引いてしまった。睡眠時間が足りない+移動時間が多いと、てきめんに風邪を引く。同じことを毎年書いているが、この仕事を詰めすぎる悪いクセは本当に直さねば、来年50才になるので、身体がもたない。子どもが小学校に入ったあと、手のかかる部分がかなり減ってきたからと、週末は子どもと遊ぶ時間より仕事を詰め込んでしまっている。これは本当にマズイ。最近、お友達と遊ぶことも増えてきた娘が、父と遊んでくれるのは、あと数年と見積もった方がよいだろう。であればなおさらのこと、休日に仕事を入れる日数は減らさないと。来年は、このスケジューリングが出来るか、も問われている。

3,足踏みの一年

今年は次の展開への足踏み=仕込みと待ちの一年だったように思う。こないだ、オムラジ「生きるためのファンタジーの会」で青木真兵さんから「今年はどんな一年でしたか?」と聞かれて、自然と口に出していたフレーズだった。海青子さんや向山さんに「そうはいっても、まわりからみたら、めちゃくちゃ動いているように見えますよ」と言われた。それはそうなのだが、ぼく自身の中では、仕込みの時期であり、待ちの一年、だったように、思う。

何を仕込んで、どんなことを待っているのか? それは、正直、まだわかっていない。最近、以前なら伝わらないと思った相手にも、話が通じるようになってきた。相手の話を聞いていても、聞こえる内容の幅や奥行きが広がったように思う。それに連動するかのように、関連付けする思考も、だいぶ豊かになってきた。そうやって、目の前の一人一人の方と出会い、その場その場で話したり聞いたりしながら、こうやって原稿やブログをコツコツ書く。本との対話をし続ける。その積み重ねで、11月には共著『あなたとわたしのフィールドワーク』が出たし、12月にはお招きされた勅使川原真衣さんの対談本『「これくらいできないと困るのはきみだよ」?』も刊行される。1月には『「困難事例」を解きほぐす』の続刊も出るし、2月は晶文社の単著も出来る予定だ。

そういう文字通りの仕込み、だけではない。来年2月には50才になるのだが、40代の最後の踊り場のような一年で、50才以後どう生きていこうか、ということを、地べたで足を踏みながら、考えていたように思う。

対話実践に誠実に向き合いながら、ブラッシュアップしていたのも、50代で自分が注力したいことのチューンアップの1つだったと思う。バカンスを精力的に取り入れたのも、メリハリのある暮らしは、50代で身を滅ぼさないために大切だと思っている。何より、最近「嫌なものは嫌だ」「アカンもんはアカン」と社会的にも言い続けている。それは、自分自身が腐らないためにも、怒りや違和感には「肉体の反射」が大切なのだと、暮れの記事を読みながら改めて感じている。

ウダウダ書いてきたが、何だか次のフェーズに行くために、自分の心の持ちよう、行動原理、優先順位などをチューニングし、再確認し、引き締め直していたような一年だった。だからこそ、良い意味で足元を見つめ直す「足踏み」の一年だったのだと思う。

さて、来年はどんな50代に突入するのか。それは全くよくわからないけど、少なくと、家族三人で楽しんでいたいというのだけは、確かだ。

みなさま、佳い年をお迎えくださいませ

脈絡を把握し揺らす

土曜の夜から喉が急激に痛み出したのに、調子に乗って酒を飲んだのがダメだった。早めに寝たにもかかわらず、日曜日は声が出なくなり、月曜日は研修講師なので、これはまずいと一日伏せっていた。朝はいつも作る生野菜ジュース、昼夜は具なしのスープのみで済まし、一日プチ絶食して、なんとか復帰する。その間に読んでいた本が、心に染み渡る。

「東アジア医学では、脈をとられる患者の、今現在の状況が重要だ。患者の状況は常に変化するため、脈を捉えるとき、まさにその瞬間にあらわれる様相および出来事が重要となる。流れの様相を読もうとする東アジア医学にとって、これは当然の傾向だろう。」(キム・テウ著『二つ以上の世界を生きている身体 韓医院の人類学』柏書房、p100)

僕の今回の風邪は、西洋医学的に言えば喉の炎症であり、炎症を抑えるうがい薬等を用いて、炎症を抑えることが目指される。でも、ぼく自身の炎症が現れたときの「様相および出来事」としては、仕事がハイシーズンで十分眠れておらず、連日移動も多く、暴飲暴食気味で、冷え込んで足先も冷たい日が多くて・・・と、風邪に至るまでの状況が十分に構築されてきた。そういう「流れ」の延長戦の中で、「喉の炎症」が現れる。そういう意味では、喉の炎症が単独で生じているのではなく、ここ数ヶ月の繁忙期の限界が、炎症という症状として到来した、とも読むことが出来る。

この本は、東アジア医学の一つである韓医院についてのフィールドワークの記録である。ぼく自身は、10年以上前から、漢方治療にお世話になっているので、実に親和的な世界であるが、韓国に独自の体系が進化していることは知らなかったので、めちゃくちゃ面白かった。しかも著者は医療人類学者なので、西洋医学と東アジア医学の対比が実に秀逸である。

「近代西洋医学の空間化が特徴的なのは、それが幾何学的な想像力にもとづく空間化であるためだ。座標を通して点で位置を特定するように、近代西洋医学の空間化は人間の身体に点を打とうとする。すなわち、病気の位置を指定しようとする。近代西洋医学は、病理解剖学という名の下に、解剖学的な空間(すなわち身体)の上に点を打つ方法を体系化した。これは疾病が身体という空間上に固定可能な現象であり、くり返し示すことができるという前提で身体を理解する方法だ。」(p91)

確かに昨日の僕は声が出ないという形で、喉の炎症があった。これは、「座標を通して点で位置を特定するように、近代西洋医学の空間化は人間の身体に点を打とうとする」考え方である。そして、その炎症に対して、消炎鎮痛剤などを投与する、という方法論をとる。これは「疾病が身体という空間上に固定可能な現象」であるという「疾病独立体」の認識前提に基づいている。でも、東アジアの医学は、それとは異なる視点をもっている、という。

「韓医師は主体の位置にあるが、受動的に患者の状態を受け入れてもいる。すでに決まっている疾病独立体を『発見』し、確認するのではないことから、『血糖値が145です』といった断定的な表現は使わなかった。主体と客体が出会う瞬間のゆらぎがあり、東アジア医学はこの状況を言葉に込めようとする。存在を消去されない主体が身体の状況を充分に受け入れることで成り立つ知が、『感じられます』という表現に込められている。」(p102)

西洋の医学は、喉の炎症なら喉の炎症と部位を特定する。その際、医療的対象(患者)の特定の部位に炎症がある、という判断主体は、病院においては患者ではなく医者である。そこでは「対象を確実に把握しようとする強力な行為者」(p96)として医者は存在している。だがら「『血糖値が145です』といった断定的な表現」を「客観的」に用いる。一方、脈を診る東アジアの医師達は、この「強力な行為者」のような断定はしない。「すでに決まっている疾病独立体を『発見』」する営みではなく、脈を診ながら、患者さんの話を聞き、状態や様子を確かめながら、「受動的に患者の状態を受け入れ」ようとする。

喉に炎症がある。カラオケで歌いすぎたからなのか、疲労や寒気が蓄積されたからか、何らかのポリープなどの可能性があるのか・・・表面に出来ている現象の背景には、様々な要因がある。それを、「疾病独立体を『発見』」するために探るのか、「その瞬間にあらわれる様相および出来事」という「流れの様相を読もうとする」のか、で解釈者の視点は大きく異なる。前者であれば、「幾何学的な想像力にもとづく空間の特定」が目標とされ、その空間に位置する「疾病独立体」の各個撃破が目指される目標になる。でも、後者であれば、喉の炎症に至る「流れ」を理解する必要がある。これは主観的な行為であり、受動的な行為であるからこそ、「主体と客体が出会う瞬間のゆらぎ」のなかで、『感じられます』という表現が立ち現れる。

「基本的に脈絡という単語は、脈が経路に従って流れるという意味だ。ある物事を『脈絡の中で眺める』ことは、その物事を全体的な関係と流れの中で見るということだ。それに合わせて対応する、ということだ。脈絡の中で眺め、その脈絡に合わすように動けば事はうまくいくだろう。問題も解決するだろう。鍼を通した治も同じだ。身体の全体的な関係と流れの中で問題を眺め、手助けする。」(p136)

10年以上前、不妊治療で煮詰まっていた頃、人に教わって恵比寿にある呉澤森先生の治療院に通っていた。呉先生は『鍼灸の世界』という著書もある、中国医学の名医である。精子の運動率が悪い、という「疾病独立体を『発見』」されたが、それは西洋医学では何ともしようがない。そのとき、呉先生に診てもらったところ、精子だけでなく、気の流れが悪い陰陽両虚だと言われた。そういえば、その頃講演で2時間喋り倒すと、終わったあとぐったりしていた。文字通り、精も根も尽き果てる状態だったのだ。

そこで呉先生のところで、鍼灸治療をして頂いたのだが、あのとき受けた治療はまさに『脈絡の中で眺める』治療だった。精子の運動率が悪い、という問題「だけ」だとその当時の僕は思っていたが、腰が悪いことも発覚し、手足の冷え性など、色々な問題に関連付けて状況を見ながら、「脈絡の中で眺め、その脈絡に合わすように動けば事はうまくいく」ようにサポートしてくださった。僕だけでなく妻も一緒にかよい、夫婦の身体の「脈絡」をうまくサポートしてくださったからこそ、高齢出産だったにもかかわらず、8年前に待望の娘が来てくれた。まさにそのような布置に至るための「脈絡」を導いてくだったのだと感謝している。

そして、「ある物事を『脈絡の中で眺める』」というのは、精神障害者の地域生活支援でも重要なのではないか、と感じている。幻覚や幻聴、妄想、躁や鬱といった状態は、「疾病独立体を『発見』」してそこに効果的な製薬で対応しようとしてきた。でも、何度もブログで書いているように、その状態に導かれるに至った「最大化された生きる苦悩」はそれでは減らない。それを減らしていこうと思ったら、「脈絡の中で眺め、その脈絡に合わすように動」く必要がある。そして、それは「「疾病独立体を『発見』」し、そこにアタックする薬を投薬する、という標準的な医療では出来ないことである。

こないだ、僕が関わりがある、重度な精神障害者の包括的地域支援チームであるACT−Kの訪問に、久々に同行させて頂いた。ACTは、移動支援や行動援護、重度訪問介護などの標準化された障害福祉サービスにのらないような、病状が重くて生きていくのがやっとの人を、病院ではなく地域の中で支え続けるチームである。その日の訪問で、例えば怒っている人とか、素っ気なくてすぐに帰ってほしい、という人も、粘り強く支援をし続けていた。同行させて頂いた職員の方と車でしゃべっていると、その方だけでなく、ACT−Kのスタッフ達はまさに「脈絡の中で眺め、その脈絡に合わすように動けば事はうまくいくだろう。問題も解決するだろう」という視点で動いていた。「「疾病独立体を『発見』」し、そこにアタックする薬を投薬しても、状況は改善されない。であれば、その方の生きてきた人生、暮らしている家族との関係性、その人の叶えられなかった夢、いま・ここで感じている焦燥感などの「脈絡」を把握し、「主体と客体が出会う瞬間のゆらぎ」のなかで、支援者は対象者の「身体の状況を充分に受け入れることで成り立つ知が、『感じられます』という表現」のかたちで表されていた。そのような協働性や相互作用が、鍼灸の世界だけでなく、ACT−Kでも垣間見ることができた。

ということは、この東アジア的な医学の思考は、実は中国医学や韓医学、漢方だけに限らず、生きる苦悩が最大化した精神障害者の地域生活支援にも充分に応用可能なのではないか、という妄想が生まれている。

そして、この本は人類学の多自然主義の理論を用いながら、韓医学や鍼灸とは東アジアのアナロジーのネットワークで捉え、そのネットワークをゆらし、流れを通す治の道である(p157)とも述べている。これは因果論的な「疾病独立体を『発見』」するメカニズムとの対比で面白いし、実はこの「アナロジーのネットワーク」をゆらすのは、悪循環にある家族システムをネットワーク的に揺り動かすオープンダイアローグや家族療法とも通底しているのではないか、と思うが、これを書き出したら今の倍ほど書かねばならないので、とりあえずその思いつきをここに置いておこう。

最後に一言。この本はすごく読みやすくて、優れた訳である。訳者の酒井瞳さんは、大学で韓国語を学んだ後に、漢方に興味を持って、大学院で医療人類学的な日韓比較をした経験がある。こういう訳者だからこそ、この本が実に読みやすく、訳注も丁寧にされている優れた仕事に仕上がったと思う。この本は何度も読み返したい名著である。

「届けたい教育」と未来語り

作業療法の実力というか面白さが詰まった1冊を読む。それが仲閒知穂さんの『学校に作業療法を』(クリエイツかもがわ)である。何が良いって、「問題行動」に着目せず、「届けたい教育」とその可能性に着目するのが、問題の外在化であり、オープンダイアローグの思想と親和性が強いところだ。

106ページに掲げられた、「問題行動」としばしばラベリングされる「悩み事」を、「届けたい教育」にどのように変換するか、が非常に見事だった。

「友達への暴力と多動」「教室から出て行く」「いつも泣いている」「大きな声を上げる」・・・これらは、学校の先生からすれば、秩序を乱す「問題行動」「困難事例」である。でも、それは本人自身も困っている状況でもある。しかし、本人、親、先生だけでは、そのような「問題行動」や「困難事例」を鎮めることが出来ず、みんな困り果てている。そのときに、作業療法士の仲閒さんが学校に関わる事になる。

だが、仲閒さんは「問題を解決すること」を目標としない。なぜなら、その「問題を解決する」枠組みでは上手くいかない事例が、彼女の元に寄せられるからである。その際、発想と視点の転換がなされる。

「先生が子どもに何か『問題』を感じるのは、『こうなってほしい!』『いまのうちにできるようになってほしい!』という期待があるからです。それは親や本人も同じです。親は子どもにできるようになってほしいと願うから、それが上手くいかないことに『問題』を感じます。本人は、自分がこうなりたい、これがしたいという思いがあるから、上手くできないと不安やいら立ちを示すのです。
私たちは先生、親、本人が直面している『問題行動』の解決ではなく、その問題を感じる行動の先にある『届けたい教育』に焦点を当て、それをかなえるための関わりをしています。」(p105-106)

「友達への暴力と多動」をする子も、「苦手な算数も教室で頑張ってほしい」。「教室から出て行く」子だって、「係活動で協力し合う経験をさせたい。「いつも泣いている」子も「身の回りのことをできるようになってほしい」。 「大きな声を上げる」子も「社会科見学に参加させたい」。つまり、教員には学校の中で「『こうなってほしい!』『いまのうちにできるようになってほしい!』という期待」があって、それが上手く実現出来ないから困っている。それは、親や本人も同じである。

であれば、「先生、親、本人が直面している『問題行動』の解決ではなく、その問題を感じる行動の先にある『届けたい教育』に焦点を当て、それをかなえるための関わり」をすればよい。このコペルニクス的転換がなされたのである。これによって、作業療法士などの外部の専門家が立つ位置づけが、本当に大きく変わる。そのことはp109の図に以下のように書かれている。

専門家が知っていて、先生や子どもは知らない、という左側の立ち位置で専門家がいても、「友達への暴力と多動」「教室から出て行く」「いつも泣いている」「大きな声を上げる」は解決できない。それは、専門職の立ち位置が間違っているからである。学級運営は教師の専門性があり、保護者には親の専門性、そして子ども自身は自らの経験専門家である。そう位置づけると、専門家がすべきなのは、三者の目標や見立てを「届けたい教育」と整理し、それに向かって三者が協力できるようにお手伝いすることなのである。

そして「届けたい教育」の目標が「友達と休み時間に楽しく遊ぶことができる」であれば、ここからが作業療法士の真骨頂なのだが、活動単位ではなく工程(行為)単位で作業遂行を評価し、工程を以下に分けて、何ができる、できないを観察し、出来るためにどうしたらよいか、を一緒に考えるという。(p138-139)

工程1 友達を誘う・誘いに乗る
工程2 友達と1つの遊びを共有する
工程3 意見の違いを相談する
工程4 遊びが変わっても再度、その遊びに乗る
工程5 また遊ぼうと約束するなど

こうやって整理されると、一つずつの工程で出来ることが明確に見えてくる。そして、一つ一つの工程で出来ないことがあれば、「かなえるための作戦会議」を行い、それぞれの工程はなにをどうしたら出来るようになるのか、をみんなで考え合うのだ。

これは、僕が学んできた「未来語りのダイアローグ」の手法と共通している。この中では、次の三つの質問をして、話し合っていく。

①「一年がたち、ものごとがすこぶる順調です。あなたにとってそれはどんな様子ですか? 何が嬉しいですか?」
②「あなたが何をしたから、その嬉しい事が起こったのでしょうか? 誰があなたを助けてくれましたか? どのようにですか?」
③「一年前、あなたは何を心配していましたか。あなたの心配事を和らげたのは、何ですか?」

問題がこじれてどうしようもない悪循環に陥っている時に、問題や困難に目を向けるのではなく、「一年後にすこぶる順調である未来」を、本人や家族、支援者などが集まって、まず想起してもらう。これは「届ける教育」を決めるプロセスである、といえる。その上で、誰がどのように協力したらそれが実現出来るのか、を一緒に考えるのは、「かなえるための作戦会議」のプロセスである。それらを話し合った上で、一年前=現時点での心配ごとを語ると、「届けたい教育」や「かなえるための作戦会議」が既に話し合われた上で、なので、その心配ごとの悪循環に巻き込まれずに済むのだ。

なるほど。「届けたい教育」という叶えたい未来を先取りすると、問題行動や困難事例に巻き込まれている本人や家族、先生はその悪循環とは違う「希望の持てる未来」が見えてくる。すると、「問題行動を解決する」というモードではうまくいかず、絶望的・悲観的になっていた人々にも、希望の炎が再び灯る。本人と親、教師の三者が目標を共有することができる。その上で、では具体的にどうすればよいか、を「かなえるための作戦会議」をすることで具現化していく。そのファシリテーターとして作業療法士が機能するだけでなく、その後、希望を叶えるために、作業遂行評価に入るのだ。

ただ、ここで大切なのは、最初から作業遂行評価をしない、という点である。作業遂行評価から入ると、問題点の指摘になる。それだと、本人や親、だけでなく教員も「出来ていないことをネガティブに評価される」というモードに陥る。すると作業療法士は「私の現状を否定する人」と映り、一緒に協力できる相手ではなくなってしまう。だからこそ、先に三者の「叶えたい未来」を伺い、それを「届ける教育」として共通化することができれば、その「届ける教育」を実現するチームの一員に、外部の作業療法士が入ることが出来るのだ。

この位置づけの転換は、非常に魅力的だし、こういう形で学校に作業療法士が積極的に関わってくれると、社会的障壁としての障害が大きく減っていく可能性がある。これは、就労支援にも同じ事が言える、と同書に書かれていたが、確かにと頷く。仲閒さんはこの「届けたい教育」に焦点を当てた次の本『「届けたい教育」をみんなに』があるので、これも早速読んでみよう。

マイプランに基づく実践共同体

自分がやってきた事が概念化されている本に出会うと興奮する。松本雄一さんの『学びのコミュニティづくり:仲間との自律的な学習を促進する「実践共同体」のすすめ』同文館出版を読み進めるうちに、どんどん興奮度が高まっていった。だって、10年やってきたことが「実践共同体」だと、ようやく言語化された=わかったからだ。

岡山で2014年に始めた「無理しない地域づくりの学校」。全国で「週末ヒーロー的な担い手養成講座」を展開する尾野寛明さんとコラボして、僕が校長、尾野さんが教頭、そして主催者の岡山県社協の西村さんを事務局ではじめたら、めちゃくちゃ面白かった。で、三年後には『無理しない」地域づくりの学校「私」からはじまるコミュニティワーク』として書籍化もした。今は紆余曲折を経て、岡山では「ふくしのえんがわ」として続いている。

そして、この学校の動きは各地で伝播している。今続いているものだけでも、長崎県社協では「フツーの人のまちづくりの学校」が三年目を迎える。この内容は一期生で運営も手伝ってくれる平畑隆寛さんが見事に言語化してくれている。今年からは、兵庫県養父市でKANAUカレッジもスタートした。そして、これらの学校でやっていることを一言で言えば、「マイプランに基づく実践共同体」なのである。

まず実践共同体の定義から。

「あるテーマにかんする関心や問題、熱意などを共有し、その分野の知識や技能を、持続的な相互交流を通じて深めていく人々の集団」(p2)

そうそう、僕たちが10年続けてきたのは、「マイプランシート」の作成という共有ツールを用いて、持続的な相互交流や相互学習を続ける実践共同体である、といえる。この機能とメリットについて、著者は以下のようにのべる。(p21-27、番号は僕が付けた)

①学びに関心のある人々を集める
②参加者間の学びを促進させる
③もともと所属している組織と、同時に所属できる
④もともと所属している組織に影響を与える
⑤実践によって相互理解を促進し、また学習にいかせる
⑥学びのモティベーションが高まる
⑦境界を越えさせる
⑧学んだことをすぐ実践にいかせる
⑨問題解決のために多様な立場の人々を集め、協働させる
⑩知識や技能も学べるし、価値観やものの見方も変えられる
⑪参加する人々の居場所を作る

10年コミュニティが続いてきたのも、まさにこの11この要素だと書き写しながら思う。どの学校でも仕事として職場から派遣される人もいれば、個人参加する人もいる。いずれでも、①学びに関心のある人々の集まりであるし、③もともと所属している組織と、同時に所属できる講座である。尾野さんはよく「遠くの異業種、近くの同業種」と言っているが、とにかく異なる立場・所属・専門性を持つ参加者間での学び合いを促進させている(②と⑦)。尾野さんはずっと「自治体や地域の枠組みを超えた対話や自分なりの取り組み計画(マイプラン)の作成を重視」してきたが、受講生は毎回マイプランを発表してもらい、講師だけでなく、受講生や聴講生から付箋のコメントシートという形でのフィードバックをもらう。これが、⑥学びのモティベーションが高まることにつながる。また、毎回のプラン発表や、講師・OBOGとの面談などを通じて,受講生は⑤実践によって相互理解を促進し、また学習にいかせるし、それらのプロセスは⑨問題解決のために多様な立場の人々を集め、協働させる仕掛けにもなっている。そして、私が色々お話を伺っているうちに、価値変容が起こったり、目から水を出す受講生も毎年いるが、これは⑦境界を越えさせる体験であったり、⑩知識や技能も学べるし、価値観やものの見方も変えられるからだと思う。⑧学んだことをすぐ実践にいかせる人もいれば、3年5年と放牧期間の人もいる。でも、結果的に⑪参加する人々の居場所を作ることは間違いがなく、OBOGがこの展開を応援してくれている。

そして、この本では実践共同体には4つの学習スタイルがある、という(p74)。

・熟達学習は参加と濃密な相互作用から、知識をお互いに学びとっていく学習スタイルです
・複眼的学習は多重所属のメリットをいかし、自身やキャリア、企業を客観視することで学ぶ学習スタイルです
・越境学習は境界の外の人々と交流し、学びと人脈を得る学習スタイルです
・循環的学習は職場と実践共同体の間に学習ループを生み出し、連続的に学ぶ学習スタイルです

4〜6ヶ月間の講座開催期間、毎月1度を原則に集合研修で集まって、マイプランを毎回発表していく。その中で、マイプランシートを少しずつ書き足しながら自分のやりたいことを言語化し、講師に深掘りされ、参加者や聴講生からフィードバックをもらいながら、自分の興味関心と仕事のいま・ここを重ねていくプロセスは、「参加と濃密な相互作用から、知識をお互いに学びとっていく学習スタイル」としての熟達学習なのだと思う。

その際、バラバラな所属、肩書き、専門性の人々が集まることによって、「多重所属のメリットをいかし、自身やキャリア、企業を客観視することで学ぶ」複眼的学習が進んでいく。さらに言えば、尾野さんや僕、OBOGや他の受講生など、自分の職場や専門と違う人との「境界の外の人々と交流し、学びと人脈を得る」越境学習をしている。

それが、「職場と実践共同体の間に学習ループを生み出し、連続的に学ぶ」循環的学習であることも、実例が思い浮かぶ。尾野さんや僕がおたずねするのは、「日々の実践を違う視点で眺める問い」である。例えば福祉現場でのプレイング・マネージャーをしている人なら、そのマネージャー業務におけるモヤモヤをマイプラン課題にするように応援し、整理して言語化しながら、深掘りしていく。その中で、一ヶ月の間に自分の仕事を見つめ直し、さらに翌月の発表で言語化することによって、「職場と実践共同体の間に学習ループを生」まれている。そして、これら4つの学習が有機的に重なっていくからこそ、たった半年の間に、大化けする、大きく変容する、ご自身のモヤモヤを言語化出来る人が続々と出てくるのである。

そして、この実践共同体の特徴は「変容的学習」でもある点だ。筆者はそれを「価値観や信念等を獲得・変容していく学習」(p56)と定義している。これも、ご紹介したい実例が沢山ある。

岡山で「ふくしのえんがわ」を主宰している圓山典洋さんは、無理しない地域づくりの学校のマイプランで「みんな食堂」を掲げ、実際に岡輝みんな食堂を毎月開催して7年が経つ。同じく岡山のOBの森亮介さんは、その後仕事も変えただけでなく、「MONJUnoCHIE」という任意団体も主宰している。長崎の学校のOGの久保田渚紗さんは、マイプランのゴミ拾い散歩を見事に面白く展開させているし、先述したOBの平畑さんと共にSocial Good Circleを続けている。あるいは岡山のOGの難波衣里さんと伊東陽子さんはお勝手ふらふらという居場所を100回以上続けている。これ以外にもご紹介したい「変容的学習」から産まれてきたあれこれが色々あるのだ。(ちなみに岡山で10年前にこの企画を一緒に立ち上げた西村洋己さんは、今、僕の研究室で社会人院生として更なる変容的学習の真っ只中にいたりする)

ここで取り上げている人々は、最初からカリスマだった訳ではない。「マイプランに基づく実践共同体」の中で、言語化を何度もして、色々な人からフィードバックをもらい、受講生同士でモヤモヤ悩み、尾野さんや竹端との面談で深掘りをして、その後試行錯誤を沢山続けるなかで、自分自身の一皮むける経験をするなかで、変容的学習を遂げていったのである。そういう意味では、10年続けてきたこの取り組みは「変容的学習を可能にする実践共同体」(p56)そのものだったのだ。

この本では、具体例として陶磁器三業地の実践共同体、公文指導者や学習療法を学ぶ介護施設の実践共同体などが出てくる。これら3つは本業にダイレクトに直結している。一方、「マイプランに基づく実践共同体」は、本業に結びついている人もいれば、そうではない人もいる。でも、その人のマイプランを通じた「変容的学習」が産まれ、結果的に色々な場や機会が創出され、「週末ヒーロー」的な担い手として育っている。そういう場を作りづけてきたのだなぁ、だから面白いんだ、と改めて合点がいく読書体験だった。

評価や査定を手放して聞く

最近、色々な現場で対話のファシリテーションをさせてもらっている。昨日は曽爾高原のそにっとキャンプで、保護者の方々とのダイアローグ。一昨日はウェブ上で、とある社協の中長期計画作りに向けたワークショップ。それに加えて、この時期、岡山で10年、長崎で3年続け、そして養父で今年初開催の「無理しない地域づくりの学校」系列講座で、受講生との個別面談もずっとやっている。とにかく何だか対話漬けの日々。

そんな日々の間に、対話実践の原典に当たるような本を、ぼちぼち読み進める。

「クライアントは専門家であると言うとき、わたしは、クライアントが彼ないし彼女の人生の専門家であると言っているのです。クライアントは、何について話すことが重要であり、重要でないかについての専門家です。クライアントは専門家であると考えることで、わたしは学習者になります。クライアントが教師で、わたしはクライアントから学びます。わたしの経験では、わたし自身が相手に対して本当に興味を持ち、その人に関心を向けているときには、私の興味と探究心が自然とその人を、共通のないし相互の探求や共同作業へと招き入れるようになります。言い換えれば、一方向の探求やプロセスから始まったと思われるものが、クライアントとセラピストが共に学習し探求する双方向のプロセスへと変化するのです。」(ハーレーン・アンダーソン「コラボレィティヴ・アプローチの可能性」『会話・協働・ナラティブ』金剛出版 p127)

ハーレーンのいうことは、本当にその通りだと実感する。グループでの話し合いの場でも、個人面談でも、僕がしていることはただ一つ。「わたし自身が相手に対して本当に興味を持ち、その人に関心を向けている」だけなのだ。でも、そうやって相手の世界観を面白いと思いながらお話を伺っているうちに、「私の興味と探究心が自然とその人を、共通のないし相互の探求や共同作業へと招き入れるようになり」はじめる。そこから、接点ができて、話が深まっていく。これは1:1の場、だけではない。昨日は金魚鉢(フィッシュボール)スタイル(ググって見つけた解説はこちら)で、しゃべりたい人が話すのを、他の人が聞くスタイルだった。一昨日は、Zoomの画面越しに、僕が参加者全員とおしゃべりし、それを他の人が聞いているスタイルだった。いずれにしても、そうやってじっくり話を聞いていくなかで、何かが開かれていく時間が生まれていく。それは「クライアントとセラピストが共に学習し探求する双方向のプロセスへと変化する」プロセスなのだと思う。

以前の僕は、面談なので、何か解決案を示さないといけない、とかアドバイスをしなければ、と力んでいた。それが上手くはまれば良いが、自分の得意げになった見立てほど、相手の実像とズレていた。そして、得意げなアドバイスほど、相手は命がけで反発してくる場面もあった。その際、僕は講師や教師として権力行使をして、相手をねじ伏せようとして、更にドツボにはまり、悪循環にはまることもあった。そのたびに、「相手はわからやずだ」「あの人は批判的意見を受け入れられない人だ」と、相手の責任にしていた。でも、それが一番ダメだと、ダイアローグの実践を学ぶようになって、気づき始めた。何がダメって、「クライアントが彼ないし彼女の人生の専門家である」という敬意を払えていなかったのだ。一般的なアドバイスは出来ても、それが彼女や彼の人生に当てはまるかは、その人自身が決める。その大前提に経つことができなかったのだ。これは、クライアント、だけでない。娘や妻に対して、父や夫として色々アドバイスしたくなっても、彼女たち自身の人生の専門家は、僕ではなく妻であり娘である。そのわきまえを持てるかが、ぼく自身に問われている。そして、それはそう簡単ではないことも、よーくわかっている。

だから、ダイアローグの目的は、ダイアローグし続けること。僕は、色々な人の話を聞き続けながら、聞き方を学び続けている。対話の中で、それぞれの人生を伺いながら、そこから無知の姿勢(Not Knowing)で学ばせてもらうことが出来るか、が問われている。

ダイアローグの名手三人の対談集のこの本の中で、マイケル・ホワイトはこんな風に言っている。

「規範的な考えの弊害について、今の話には引き込まれたよ。職業的規律・訓練の文化においては、人々を規格化するアイデアに服従させるような励ましが山ほどあるからね。『結局、この問題は家族から君を分離しているんだ。それは惨めなことに違いない』とか『そうした努力において君はあまり生産的じゃないようだね。この立場にいることは、君にとってあきらかに困難でしょう』。規範的な考えから一歩退く中で、重要な会話を開く質問をすることができるようになる。『家族から分離していることは嫌ですか、もしそうなら、それはなぜですか?』とか『公式な教育から分離していることは、どんな感じですか? もしもそれが問題なら、なぜそうなのか私が理解出来るように教えてくれませんか?』と問うことができるのです。『これを達成するための努力において行き詰まりに来たと言ったけど、その経験は君にとってどんな感じなの?』」(p260)

僕はずっと「規範的な考え」や「規格化するアイデア」に縛られてきた。それを信じて遵守することが正しいと信じてきた。それは、「社会性」とか「協調性」と呼ばれるものである。そして、それ自体を否定するつもりはない。でも、何らかのモヤモヤを抱えている状態においては、そのような「規範的な考え」や「規格化するアイデア」にうまく適合できなくて、それを無理に当てはめようとすると問題が生じる場合もある。そのときに、話の聞き手の僕が規範的な何かに縛られていると、相手のモヤモヤの本質を封じ込めてしまう。『結局、この問題は家族から君を分離しているんだ。それは惨めなことに違いない』とか『そうした努力において君はあまり生産的じゃないようだね。この立場にいることは、君にとってあきらかに困難でしょう』などの決めつけフレーズを用いて。

この際、断定的な価値判断からどう自由になれるのか、が、対話における聞き手に問われている。なぜなら、査定・評価・糾弾する/される、の関係性であっては、対等な対話を続けて行くことができないからだ。すると、聞く側こそが、査定や評価や糾弾の根拠となる「規範的な考え」や「規格化するアイデア」を手放すことができるか、が問われる。これは、オープンダイアローグでは「不確実性への耐性」という概念で言われていることにあてはまる。聞く側の慣れ親しんだ世界観やパターンを横に置いて、話し手の人生の物語を、そのものとして伺うことが出来るか、という問いである。

そのとき、例に出された別の質問を、ちょっと分解して考えてみよう。

『家族から分離していることは嫌ですか、もしそうなら、それはなぜですか?』
→これは、家族から分離していること、に対してどのような感情を抱くのかを教えてほしい、という中立的な質問である。分離に関しての評価を相手に委ね、その理由もその人から学びたい、という質問である。

『公式な教育から分離していることは、どんな感じですか? もしもそれが問題なら、なぜそうなのか私が理解出来るように教えてくれませんか?』
→不登校など「公式な教育から分離している」ことについて、「どんな感じですか?」と評価を相手に委ねている。その上で、それを「問題だ」と相手が解釈するのであれば、その解釈の理由も教えてほしい、と相手にお願いしている。

『これを達成するための努力において行き詰まりに来たと言ったけど、その経験は君にとってどんな感じなの?』
→相手が「行き詰まりに来た」と評価する経験についての語りを聞いて、「そんなことはないよ」「大丈夫だよ」「思い込みに過ぎないよ」などの声かけをすると、それは聞き手の評価を相手にぶつけていることになる。その評価的な声かけは、その人の経験の否定に繋がりかねない。だからこそ、相手の語りを正確に受け止めた上で、「その経験は君にとってどんな感じなの?」と、相手自身がその経験をどう評価しているのかを聞くのだ。

これらの言い換えは、「規範的な考え」や「規格化するアイデア」を手放すことによって可能になった、別の可能性である。たぶん、相手の話を聞いていて、「むかつく」時って、自分自身の「規範的な考え」や「規格化するアイデア」に抵触する瞬間である。そのときに、その自分自身の価値観を横に置いて、相手自身の内在的論理を理解することができるか、が問われている。

ハーレーンは、こんな風にも語る。

「対話は、ある特定の話し方だと考えています。対話の参加者が互いに、そして自分自身に関与し、その会話の焦点やそこに集まった目的について相互の、ないし共同の探索に携わる話し方です。対話には目下の問題についての探索を伴います。共に検討し、問いを立て、コメントし、考え、リフレクトします。それは、互いの意味を理解しようとするプロセスです。そしてこのプロセスで新たな意味が生成されるのです。わたしは、すべての会話は対話(ダイアローグ)だと考えますが、教える時や書く時には、対話との比較対象のため独白(モノローグ)という用語を用いることもあります。わたしは対話を一つの連続体として捉えます。会話はその連続体上を行き来し、ある時はより対話的で、またある時はより対話的でないというわけです。」(p123)

ぼく自身も、うまく相手と対話出来る時もあれば、独白寄りになってしまう場合もある。うまくいかない時って、「目下の問題についての探索」するモードから始まるのに、気付いたら、「こうすべきだ」「こうした方がよい」という「規範的な考え」や「規格化するアイデア」を押し付けている場合が多いのだ。

そういう時に軌道修正したければ、「互いに、そして自分自身に関与し、その会話の焦点やそこに集まった目的について相互の、ないし共同の探索に携わる話し方」をするように、モードを切り替えた方がよい、ということになる。相手との探索が上手くいかない時には、「いま、何だか話がうまくかみ合っていないようで、ぼく自身は対話相手として大丈夫か不安です」といった「自分自身に関与」する言語を出してみてもいい。それをする余裕がなくて、「あなたは○○すべきだ」なんて言ってしまったら、対話は独白になってしまう。この間、そういう独白的な対話に成り下がった場面を経験したゆえに、ぼくは「いてて!」と思いながら、敢えてそれを書き付けておく。

「共に検討し、問いを立て、コメントし、考え、リフレクト」するプロセスを通じて、「互いの意味を理解しようとするプロセス」を開けるか。その際に、相手に自分の価値観を押し付けるのではなく、当惑したらならばその自分の価値観を「アイ・メッセージ」で相手にそっと差し出してみることができるか。それが、「互いの意味を理解しようとするプロセス」なのかも、しれない。

そして、対話はつづく。

「あなたとわたしのフィールドワーク」序文公開

研究者仲間の鈴木鉄忠さん高橋真央さんと共に『あなたとわたしのフィールドワーク』(現代書館)という本を出した。この本は、編集者の向山夏奈さんにも二年近くにわたって議論に加わってもらって生まれた一冊であり、ブックデザイナーの木下悠さんが実に素敵な装丁をしてくださったので、「ジャケ買い」したくなる、美しい一冊になった。「新たな学びの地平を等身大で描く人文学的エッセイ集」という新たなジャンルも確かにその通り、な一冊である。

鈴木さんはイタリア地域研究が元々のフィールドで、『バザーリア講演録 自由こそ治療だ』の訳者でもある。高橋さんはボランティアや国際教育が元々のフィールドで、女子教育への造詣も深い。そういう意味では、一見すると接点のない、バラバラな三人である。

でも、この三人で、8年前から研究チームを組み、二回の科研研究班で議論をし続けてきた。特に、2020年春からのコロナ・パンデミック以後は、毎月一度、Zoomで研究会を続けながら、お互いの授業実践のモヤモヤも対話をし続けてきた。その中で、研究者や教育者としての「あるべき姿」というよりも、等身大の、実存のモヤモヤを出しながら、対話を重ねてきたチームである。

だからこそ、今回の著書は敢えて「人文学的エッセイ」という形で、研究や教育、そして人生というフィールドにどう向き合い、試行錯誤してきたか、を格好付けずに描いてきたつもりである。読んでくれた友人達も、こういうエッセイは読んだことがない、とか、研究者ではなくても面白く読めた、などの嬉しい感想もボチボチ頂いている。

11月に刊行したのだが、ここ最近本当に忙しくて、全く告知が出来ていなかった。そこで、以下には鈴木さんに書いてもらった「はじめに」を公開する。

また、来月以後、この本に関する出版イベントを対面やオンラインでもする予定で、さっき作戦会議をしていた。そちらもお楽しみに♪ (リアル書店さんで、ポップなど書かせて頂けるなら、どうぞお声がけくださいませ<(_ _)>)

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はじめに:「あなたとわたしのフィールドワーク」の旅へようこそ!

鈴木鉄忠

「あなたとわたしのフィールドワーク」ってどういうことだろう? 本の題目を不思議に感じた人は多いかもしれません。普通の理解だと、「あなた」は情報提供者(インフォーマント) で「わたし」はフィールドワーカーです。前者が調べられる側で、後者が調べる側であり、この関係は基本的には変わらないとされます。しかし、実際の現場では、双方の立場が入れ替わったり、相互の関係が変化することが往々にして起こります。なぜならフィールドにいる「あなた」は、「わたし」の予想を超える存在として立ち現れるからです。そうした「あなた」は、現場にあるモノやにおいのような人間以外の存在かもしれません。フィールドで出会う「あなた」の存在を真剣に受け止めることによって、「わたし」の存在が揺らいでいきます。この本では、ひとりの人間としての「わたし」に変化をもたらす「あなた」との学びの過程を広く「フィールドワーク」と捉えることを提案しています。そこから見えてくる学びの新たな地平を等身大で描こうというのがこの本のねらいです。

ここで文化人類学者のティム・インゴルドの議論が参考になります。インゴルドは、フィールドでの参与観察法は民族誌という学問成果の手段である、という従来のフィールドワークの理解に異を唱えました。参与観察法が手段で民族誌が目的なのではなく、それぞれが別の目的をもつ方法であると主張しました。つまり、民族誌が異文化フィールドの「他者について知る方法」であり、その目的が「資料の「記録 (ドキュメンタリー)」にある」のに対して、参与観察法は「他者とともに学ぶ方法」であり、その目的は「生成変化」にあるとしたのです (ティム・インゴルド著、奥野克巳・宮崎幸子訳『人類学とは何か』亜紀書房、二〇二〇年)。

インゴルドのいう「他者とともに学ぶ方法」としての参与観察法は、この本の「フィールドワーク」の理解に近いものです。この本の三人の書き手は、データの収集方法としてではなく、フィールドの「あなた」と共に学ぶ方法を身につけながら、「わたし」が「生成変化」する過程を描きたいと思いました。三人はそれぞれ福祉社会学、地域コミュニティ、国際協力というように、普段は異なる分野で調査や研究をしています。ただしフィールドの「あなた」から学ぶという過程には、領域を横断した大事な共通点があるのではないかと考えるようになりました。それを一言でいえば、「あなた」と「わたし」の間で起こる「生成変化」になります。それゆえに本書全体を貫くテーマは「あなたとわたしのフィールドワーク」であり、私たちが読者のみなさんを招待したいのは「関係性の変容から始まる旅」なのです。

この本の旅の行程をご案内します。第1部の「あなたとわたしの相互変容」は、大学での教育場面がフィールドです。ここでの「あなた」は学生で、「わたし」は教員になります。通常の教員―学生の関係は、教える―教えられるという役割と立場の違いが明確にあります。しかし学生と接する場面を「他者とともに学ぶ」フィールドと捉えるならば、教室であれ、課外学習で訪れた国内外の現場であれ、学生と教員の双方に「生成変化」が起こり得ることを伝えます。

第2部は、「他者とともに学ぶ方法」としてのフィールドワークをどう体で覚えていったのかを描きます。「体で」と書きましたが、文字通り「頭で」勉強したというより、フィールドで出会った「あなた」から全身で学び、生きる方法を見つけるために変化する過程です。その意味では「実存のフィールドワーク」といわざるを得ないものになります。

第3部の「他者と出会い、共に変わる」は、自分の価値観では理解できない「あなた」にどう向き合うかを考えます。想定を超えた相手や状況に接したとき、それを見ないことにして自分を守るか、もしくは勇気をもって対話するかが問われます。後者の選択には、時にほろ苦い失敗や楽しいだけではない大変さが伴います。ですが同時に、自分の当たり前を脇に置き、「いま・ここ」に焦点を合わせた出会いは、対話的な二者関係や新たなコミュニティが生まれる幕開けになり得るのです。

エゴイズムのアノミー的追求と無力

野口裕二さんの『新版 アルコホリズムの社会学:アディクションと近代』(ちくま学芸文庫)が文庫で出たので、初めて読む。30年前にでた元の本を「書誌情報」として知っていたが、読む機会がなかった。家族療法やオープンダイアローグ、信田さよ子さんの本を読み漁ってから本書にたどり着いたら、30年前のこの本の迫力がやっと理解出来るマインドセットになっていたようだ。おかげで、赤線引きまくり、ドッグイヤーしまくり、である。

色々しびれるフレーズがあるので、それを引用してみたい。

「欲求を意思で制御するという考え方は、まさしくわれわれの生きる時代を支配する理性主義にほかならず、同時に、われわれの常識をかたちづくっている近代合理主義とも通底している。つまり、意思の敗北を認めることが自己否定を意味してしまう時代にわれわれは生きている。だからこそ逆に、『意思の病』というアディクションが、ある種の信憑性をもって成立してしまうのである。この意味で、アルコホリックとはまさしく時代の犠牲者であるといえよう。アルコホリズムとそのスティグマは、われわれとわれわれの時代を映し出す鏡のような役割を担っている。」(p41)

「欲求を意思で制御する」=自制心、とは、確かに言われてみれば、「理性主義」であり「近代合理主義」の支配下にある。コントロール可能なものとしての自己を想定する。逆に言えば、自己がコントロール不能な状態になると、「意思の敗北」とされ、自己否定もするし、他者からも当然否定や非難の眼差しを浴びる。これは、アルコホリズムだけではなく、摂食障害や薬物依存など、依存症全般に対して貼られるスティグマである。あるいは、ダイエットが出来なくて肥満体であるとか、ゴミ屋敷状態とか、そういうものにも貼られるスティグマである。「意思の敗北」に対して「ちゃんとしていない」という日本語が付与される。

だが、「ちゃんとする」=「欲求を意思で制御する」ことが出来ない人は、そうしたくてしている訳ではない。そうしたいのだけど、出来ない状況に構造的に追い込まれている。この本は、その構造を解き明かす本である。

アルコール依存症の当事者グループ出るAA(アルコホーリクス・アノニマス)についての説明の中で、以下のような記述がある。

「ここで参加者は認識論上の転回点に立たされている。規範を探り当て、適応を果たし、なんらかの報酬効果を得ようという発想自体が間違っていたのではないかという疑念を抱く。これが『底付き』とは別のもうひとつの転換点にほかならない。そもそも、お互いに『言いぱなしの聞きっぱなし』という非日常的なルールの中では、質問と応答という日常的コミュニケーションがもたらす評価や同意や賞賛といった報酬は期待できないという当然の事実に気づく。結局、日常の集まりにおいて要求される規範探索活動がこの場では無効であること、規範探索による『適応』が実は不適応であるという逆説に辿りつくのである。
こうして、他者や環境から何かを引き出すのではなく、ただ自分自身のために参加し、自分が表現したいことを表現し、その結果を自分で引き受け、そうすることの心地よさを経験すること、それ以外に参加を動機づけるものが何もないことに気づかされてゆく。それは、酒をはじめとして感情や行動をコントロールすることのみに集中していた意識が、そうしたコントロールを諦めて何らかの状況に身をまかせ、それをそのまま引き受けることを認める状態に移行したことを意味する。これこそが、対人関係パターンに関する認知レベルの変化にほかならない。」(p131-132)

「規範を探り当て、適応を果たし、なんらかの報酬効果を得ようという発想」というのは、「欲求を意思で制御するという考え方」そのものである。空気を読んで、同調圧力に従うのも、村八分にされないという意味で、他者評価という報酬効果を得ようとしている。この発想を常識と捉えて、それが出来ないと自己否定するのが、アルコホリズムである。一方、アルコホリズム当事者の自助グループであるAAでは、『言いぱなしの聞きっぱなし』の原則がある。これがなぜ効果的かといえば、「質問と応答という日常的コミュニケーションがもたらす評価や同意や賞賛といった報酬は期待できない」状況を作り出すからだ。それは、一言でいえば、「規範探索による『適応』が実は不適応である逆説」と直面するからである。

この表現を書き写しながら、アルコール依存症で亡くなったある人のことを思い出していた。彼は、人生の最期において、「酒をはじめとして感情や行動をコントロールすることのみに集中していた」。そして、悪循環に陥っていた。そして、彼の家族を振り回していたのもあって、彼自身には『意思の病』というラベルが貼られていた。しかし、彼自身が「日常的コミュニケーションがもたらす評価や同意や賞賛といった報酬」を必死で得ようと頑張っていたことも知っている。いや逆に、常に他者の目を気にし、「規範を探り当て、適応を果たし、なんらかの報酬効果を得ようという発想」に縛られていたのではないか、と思う。彼はアルコール病棟に入ったけれど、断酒会やAAには繋がれなかった。その背景には、彼自身の生きる苦悩の最大化した姿があった。

あまりにも過酷な現実から逃れようと、思春期で家出をして以来、彼は、「ただ自分自身のために参加し、自分が表現したいことを表現し、その結果を自分で引き受け、そうすることの心地よさ」を持てないままでいた。結婚し、子どもが産まれ、孫に恵まれた後も、「他者や環境から何かを引き出す」ことでしか自分は承認されない、と思い込んできた。過剰に他者評価に怯え、「「規範探索による『適応』」を過剰に求めるも、それがうまく得られず「飲むしかない」という形での「不適応」に陥っていた。おそらくは、彼は必死になって他者評価に過剰適応しようとし、他者評価とは関係のない自分自身の「心地よさ」を見つける回路を見失ったまま、命を終えたのだと思う。

「ギデンズは、アディクションを近代に特有の概念と捉える。なぜならば、伝統的な社会においては、毎日が同じことの繰り返しであり、その繰り返しをことさらあげつらうことは意味をなさないからである。近代以降、単なる繰り返しではないみずからの選択に基づく生活のスタイルが称揚されるようになってはじめて、単なる繰り返しがネガティブな意味をもつようになる。したがって、『アディクションは、自己を再帰的に形成することが近代後期において中心的な課題になってきた度合いをネガティブなかたちで示す指標となる』。ここでいう『再帰的』(reflective)とは、不断の反省と修正ということを意味する。単なる繰り返しであってはならないという規範が浸透すればするほど、単なる繰り返しがネガティブなものに見えてくる。」(p194)

もともとの農業や漁業、あるいは工場労働でもベルトコンベア式労働までの時代は、「毎日が同じことの繰り返し」であった。辛くてしんどくても、反復さえできれば、それで生活がなりたった。だが産業革命以後の近代では、「単なる繰り返しではないみずからの選択に基づく生活のスタイルが称揚される」。この自己選択と自己決定の時代においてのキーワードが、「不断の反省と修正」を意味する『再帰的』(reflective)である。そして、同じことを繰り返すことが苦痛ではない人にとって、「単なる繰り返しであってはならないという規範が浸透すればするほど、単なる繰り返しがネガティブなものに見えてくる」というのは、恐怖に近い。

ぼく自身は、受験勉強という「不断の反省と修正」が必要とされる再帰的な営みに放り込まれ、サバイブしてきたので、「自己を再帰的に形成すること」を内面化してしまった。(だから子育てでも、「とほほ話」ばかり書いている)。一方、先ほど触れたアルコール依存で亡くなった彼は、逆に「同じことの繰り返し」が得意だった。僕はそれがめちゃくちゃ苦手なので、性格特性の違い、とも言える。ただ、「単なる繰り返しであってはならないという規範」が他者評価と結びついた時、自分が苦手なことをし続けなければならない、という恐ろしい恐怖にさいなまれる。そして、その恐怖と向き合うために、アルコールという「薬」を必要としていたとも言える。そして、アルコールに頼り続けるという「単なる繰り返しがネガティブなものに見えてくる」ことがわかっていても、その悪循環から抜け出せなくなってしまったのかもしれない。

でも、これはぼく自身にも当てはまる話である。

「許容されるアディクションと許容されないアディクションという問題も、同様の論理で説明がつく。仕事は長いあいだアディクションという非難を免れる聖域のひとつであった。アディクティブであることが、むしろ、当然視され推奨される数少ない領域のひとつであったとさえいえる。このように考えると、ここで生じている変化とは、仕事とその達成によって定義される自己から、仕事と仕事以外とをバランスよくこなすことによって立ち現れる自己へという自己像の転換であることがわかる。ワーカホリックの概念の登場もまた、共依存の概念と同様、自己というフィクションに課される達成課題の変化を示しているのである。」(p202)

ぼく自身は、子どもが産まれる以前はワーカホリックというアディクションに陥っていた。だから、子育てをはじめて、仕事が出来ないときに、禁断症状が発症して、「今日は何も出来ていない!」と深いため息をついた。そのことは『家族は他人、じゃあどうする?』でも描いている。そして、それは昭和的働き方のデフォルトだった。だが、90年代から30年以上かけて、「仕事とその達成によって定義される自己から、仕事と仕事以外とをバランスよくこなすことによって立ち現れる自己へという自己像の転換」が進んでいる。それは、「自己というフィクションに課される達成課題の変化」である。ちょっとキツい言い方をすれば、ぼく自身は子育てを通じて、「不断の反省と修正」を意味する『再帰的』な振る舞いができ、「達成課題の変化」に結果的に適応出来てしまった。でも「仕事とその達成によって定義される自己」から逃れられない多くの人は、「ワーカホリック」という同じパターンの繰り返しの悪循環に陥っている、と見なされる。それは、前回のブログを参照するなら、学習Ⅱを刷新する学習Ⅲの機会から疎外された状態であるとも言える。そして、先に例に挙げた彼も、アルコホリズムという学習Ⅱの悪循環から逃れることは出来なかった。

「アディクションの概念は、エゴイズムとアノミーが相互にからまりあう現在の状況をうまく指し示すものであると考えることもできる。再帰性の規範が強まる現在において、エゴイズムのもたらす苦悩は、自己以外に献身対象をもてないことではなく、自己への献身を手抜きできないこと、自己への献身に最大の関心をはらわなければならないことへと焦点を移している。そして、その自己への献身に終わりはなく、まさに『無限性の病』という状態におかれる。一方、現代におけるアノミーは、欲望の対象を『自己』や『身体』へと移すことで、エゴイズムとの境界を曖昧にしている。つまり、現代的自己のおかれた状況は、エゴイズムのアノミー的追求、あるいはアノミーのエゴイズム的展開として描けるような性格をもっている。」(p208)

アルコール依存症の彼は、人工透析をしながらも、最もしてはいけない飲酒をし続けて、亡くなった。それを指して「意思が制御できなくなる病」とラベルを貼ることに、違和感を感じ続けていた。でも、野口さんの説明するように、彼はどんな状態でも酒を飲むことによって、「自己への献身を手抜きできないこと、自己への献身に最大の関心をはらわなければならないこと」にはまっていた。しかもそれが、死ぬと分かっている透析患者になった後でも、無間地獄のように強迫的に追い立てられた、という意味で、「『無限性の病』という状態におかれ」ていた。まさに、「エゴイズムのアノミー的追求、あるいはアノミーのエゴイズム的展開」は、彼の辿った人生でもあった。

「問題を解決しようとするからこそ、問題が解決しない。しかも、そのような行動を選択させているのが、ほかならぬ再帰性という規範である点が、さらに重要な点である。問題解決のための行動をみずからの判断で選択してよいからこそ、そして、選択しなければならないからこそ、こうした反復が生ずる。再帰性という規範は、しばしば、ある種の無限等比級数のようにわれわれの選択の幅を狭め、それを一点に収斂させていく。再帰性の規範それ自体が実質的にアディクションの行進を促す原動力となっているのである。」(p209)

にっちもさっちも行かない現実がある。そして、「問題解決のための行動をみずからの判断で選択してよいからこそ、そして、選択しなければならない」。この時、無限等比級数というのは、選択肢が無限大に発散するか、1つに収束するか、のいずれかである。そして、選択肢がありすぎてもなさ過ぎても、結局は「酒を飲む」という以前のパターン以外の選択肢を選べない状況に追い込まれてしまう。不断の反省と修正を促す「再帰性」が、「エゴイズムのアノミー的追求、あるいはアノミーのエゴイズム的展開」を生み出し、「再帰性の規範それ自体が実質的にアディクションの行進を促す原動力」として彼を追い込んでいったのだとも言える。

では、どうしたらこの悪循環から逃れることができるのだろうか。「自己=アディクション」という仕掛け=ゲームに対して、野口さんはこんな風に整理する。

「このいつ果てることのないゲームにとって、最大の敵は、人々がゲームの仕掛けに気づき、ゲームから降りようとすることであろう。AAが、そして、ベイトソンがいち早く見抜いたのは、このことだった。自己という信憑のもつ特権性を廃棄し、自己と世界という区分方法自体を相対化していくこと、それが、AAがわれわれに示しているもう一つの道である。」(p213)

これは、AAの12のステップの一番目と直結する。

「私たちはアルコールに対し無力であり、思い通りに生きていけなくなっていたことを認めた。」

「無力」であることを認めること。これは「エゴイズムのアノミー的追求、あるいはアノミーのエゴイズム的展開」から決別する第一歩であり、アディクションに陥っている人にとって、最も恐ろしいことである。なぜなら、自己保持の手段としてのアディクションを手放し、丸腰の自分の「無力さ」を認めなければならないから、である。そんな怖いことが出来ないから、僕の知っている彼も、透析患者であっても飲み続けていた。

でも、ベイトソンが見抜いたように、悪循環の循環構造にいる限り、その無間地獄から抜け出ることは出来ない。すると、「人々がゲームの仕掛けに気づき、ゲームから降りようとする」ことしか、別の道が見出せない。そしてそのための一丁目一番地に「無力」を認めることが出てくる。それは「もっと強くなければ」という「有害な男性性」でしか問題が解決出来ないと思っていた彼にとっては、かなりキツい事態だったと思う。でも、「自己という信憑のもつ特権性を廃棄し、自己と世界という区分方法自体を相対化していくこと」しか、解決策が見出せないのだ。これは、『ケアしケアされ、生きていく』でも描いた、生産性至上主義からケア中心主義への転換にも関係しているかもしれない。

そして野口さんは、30年後の補論の中で、AAや断酒会のようなグループに適合しない人でも、オープンダイアローグのようなネットワークで、このような悪循環から逃れうる、と指摘している。

「グループであれネットワークであれ、大切なのは、成瀬が指摘する『安心できる居場所』と『信頼できる仲間」 、そして『お互いが癒やされお互いが暖かい気持ちになれる関係』が存在することではないかということである。(略)
アディクション臨床は、自助グループが生み出した概念を活用しながら独自の理論と実践を発展させてきた。一方で、そうした理論と実践は自助グループがもつ限界をそのまま引き継いでおり、自助グループにつながらない多くの人々に対する有効な理論と実践を見出せずにきた。しかし、いま、オープンダイアローグやその他の新たな動きがそうした限界を乗り越える方向性を示している。それは、これまでのようにグループにすべてを期待するのではなく、ネットワークのもつ力にも期待する方向である。グループとネットワークはともに、われわれにとって大切な『居場所』や『仲間』や『関係』を生み出す貴重な場として位置づけることができる。」(p238-239)

四半世紀前の大学院生の頃、精神障害者の当事者活動に顔を出していたことがある。鴨川でピザを食べながらだべりんぐする集まりである。そこは、家族や立場や社会的な自己を横に置いて、素の自分が受け入れられる、という意味で、「大切な『居場所』や『仲間』や『関係』を生み出す貴重な場」としての自助グループになっていた。だが、そのグループに入るには、「無力さ」を認める必要があり、それが出来る人はそのグループに継続的に来れたが、プライドやエゴイズムが邪魔をして、そのグループに入れない・継続的に参加出来ない人もいた。それは「自助グループがもつ限界」でもあった。

でも、オープンダイアローグでは、ソーシャルネットワークの中での対話的なミーティングを大切にしている。これまでのソーシャルネットワークを断絶させた上で、新たなグループに入るのとは違う。でも、AAや自助グループが大切にしてきた、『安心できる居場所』と『信頼できる仲間」 、そして『お互いが癒やされお互いが暖かい気持ちになれる関係』を、膠着したネットワークの中で再生させようとする。そのために、本人と家族や支援チームが一同に会したオープンダイアローグや、組織内の不全を解消していくような未来語りのダイアローグが展開される。それらの対話を通じて、『居場所』や『仲間』や『関係』が再生されるきっかけが生まれる。

亡くなった彼がまさに必要としていたのも、『居場所』や『仲間』や『関係』だった。そのことに、僕は生前気づけなかったし、気づけたとしても、たぶん上手く関われなかっただろうと思う。そういう自分自身の「無力さ」に自覚的になった上で、本書といま・ここで出会えて本当によかった、と思う。