タオとの対話

年末の振り返り会をしていて、自分自身が葛藤の最大化にあったこの秋から冬にかけて何をしていたか、を言語化していた。その際、ふと口をついて出てきたのが、「雨乞い」のエピソードだった。確かユング関連の本で読んだけど、何だっけ? それを正確に辿るには、生成AIが役立つ。早速教えてもらった『統合の神秘』の日本語訳は持っていないけど、それを引用している本は手元にあったので、引用してみる。

「大変な旱魃(ひでり)があった。何ヶ月もの間、一滴の雨も降らず、状況は深刻だった。カトリック教徒たちは行列をし、プロテスタントたちはお祈りをし、中国人は線香をたき、銃を撃って旱魃を起こしているデモンたちをおどろかせたが、何の効果もなかった。最後に、その中国人が言った。『雨乞い師をよんでこよう』。そこで、別の地域から、ひからびた老人がよばれてきた。彼はどこか一軒の静かな小さい家を貸してくれとだけ頼み、三日の間、その家の中に閉じこもってしまった。四日目になると、雲が集まってきて、大へんな吹雪になった。雪など降るような季節ではなかった。それも非常に大量の雪だったのである。町中は、すばらしい雨乞い師の噂で持ちきりだった。そこでリヒアルト・ヴィルヘルムは出かけて行って、その老人に会い、どんなことをしたのかとたずねた。彼は、まったくヨーロッパ風にこうきいたのである。『彼らはあなたのことを雨乞い師と呼んでいる。あなたがどのようにして雪を降らせたのか、教えていただけますか?』。すると、その小柄な中国人は言った。『私は雪を降らせたりはしません。私は関係ありません』。『では、この三日間、あなたは何をしていたのです?』『ああ、そのことなら説明できます。私は別の地方からここへやってきたのですが、そこでは、万事が秩序立っていたのです。ところがここのひとたちは秩序から外れていて、天の命じている通りになっていないのですよ。つまり、この地域全体がタオの中にないというわけです。ですから、私も秩序の乱れた地域に居るわけで、そのために私まで物事の自然な秩序の中に居ないという状態になってしまったわけです。そこで私は三日間、私がタオに帰って、自然に雨がやってくるまで、待っていなくてはならなかった、というわけなんです。」(C.G.ユング『統合の神秘』 ジーン・シノダ・ボーレン著『タオ心理学』春秋社、p186-187から重引)

雨乞い師は、雨や雪を降らせるために、直接的に祈りを捧げたり、行列をしたり、銃を撃つことはなかった。雨を降らせるために直接的な働きかけを、何もしなかった。それにもかかわらず、一滴の雨も降らなかった大地が、季節外れの「大へんな吹雪」になった。そこに、ユングの友人のヨーロッパ人が訪ねてゆき、何をしたのかを尋ねると、「雪を降らせることには、関係がない」という。ではこの三日間何をしたのか、と聴くと、「この地域全体がタオの中にない」ことに気付いたので、「私は三日間、私がタオに帰って、自然に雨がやってくるまで、待っていなくてはならなかった」という。

その際、雨乞い師が「ここのひとたちは秩序から外れていて、天の命じている通りになっていないのですよ」と述べたことが、非常に印象的だ。ここで言う秩序とは、人為的な、あるいは道徳的な秩序のことを指していない。「天の命じている通りになっていない」という意味で、「大いなる道」と訳されているタオの通りになっていない、と雨乞い師は述べるのである。だからこそ、「私がタオに帰って、自然に雨がやってくるまで、待つ」ということを彼は行った。すると、自ずから雨が降ったのだ、と。

このエピソードを河合隼雄も引用していると思い、生成AIで出典を調べて、読み直した本には、こう書かれていた。

「ここで注目すべきことは、彼は因果的に説明せず、自分に責任はないと明言した上で、自分が『道』の状態になった、すると自然に(then naturally)雨が降ったという表現をしているのである。ここで、中国人がヴィルヘルムに言うときにどのような用語を用いたかは知るよしもないが、彼が『道』のことを語る点からみて、老子『道徳経』に用いられる『自然』の語を用いたものと推察される。(略)
自然(じねん)は福永光司によると、『「オノツカラシカル」すなわち本来的にそうであること(そうであるもの)、もしくは人間的な作為の加えられていない(人為に歪曲されず汚染されていない)、あるがままの在り方を意味し、必ずしも外界としての自然の世界、人間界に対する自然界をそのままでは意味しない』のであり、『物我の一体性すなわち万物と自己とが根源的には一つであること』を認める態度につながるものである。
こんなことを言うと、まったく非科学的と言われるかもしれない。そのような点については、第三章に論じるが、筆者の実感で言えば、この『雨降らし男』の態度は、心理療法家のひとつの理想像という感じがある。かつて棟方志功が晩年になって、『私は自分の仕事には責任をもっていません』と言ったとのことだが、似たような境地であろう。治療者が『道』の状態にあることによって、非因果的に、他にも『道』の状況が自然に生まれてくることを期待するのである。」(河合隼雄『心理療法序説』岩波書店、p14-15)

ここで河合隼雄は自然(じねん)の考えを、西洋の自然(しぜん)とは違うものであると指摘する福永光司の論を引いている。それは「オノツカラシカル」である、と。「本来的にそうであること(そうであるもの)、もしくは人間的な作為の加えられていない(人為に歪曲されず汚染されていない)、あるがままの在り方」が「自然(じねん)」である。そして、そのような「オノツカラシカル」になっていない状況こそ、人為に歪曲され汚染された状態である、と言える。それが、雨乞い師が「ここのひとたちは秩序から外れていて、天の命じている通りになっていないのですよ」と述べたことともつながる。

この整理と、「治療者が『道』の状態にあることによって、非因果的に、他にも『道』の状況が自然に生まれてくることを期待する」という結論を、どう結びつければ良いのだろうか。そのために、河合隼雄は「似たような境地」として、「かつて棟方志功が晩年になって、『私は自分の仕事には責任をもっていません』と言った」エピソードをあげている。

実はこの部分も書き写していて、うっとなった箇所である。「自分の仕事には責任をもっていません」というのが、何を訴えているのか、を考えた時に、うっとなったのだ。それは一体、どういうことか。

普通、「自分の仕事には責任をもっていません」という人のことを、「無責任」とラベルを貼りやすい。もちろん、板画や民芸運動の牽引役を務めた大家が、責任逃れをしていたとは、想像しにくい。すると、棟方は仕事に責任を持つという考え方自体に、「人間的な作為」で操作するイメージを抱いていたのではないか。そして、自分の仕事=創作とは、そういう人為的な作為を越え、「物我の一体性すなわち万物と自己とが根源的には一つであること」であると捉えると、「自分の仕事には責任をもっていません」というフレーズにも合点がいく。自分が木版に働きかけ、能動的に木を彫るのではなく、木と合気しながら、「オノツカラシカル」状態に至るプロセスにいるだけだ、と。

この話を、「治療者が『道』の状態にあることによって、非因果的に、他にも『道』の状況が自然に生まれてくることを期待する」をパラフレーズしてみてみよう。

「棟方志功が『道』の状態にあることによって、非因果的に、彼の作品にも『道』の状況が自然に生まれてくることを期待する」

棟方志功が「オノツカラシカル」状態になると、なぜだかわらかないけど(因果の連関があるとは思えないけれど)、彼の作品も結果的に「『道』の状況が自然に生まれてくる」かもしれない。これは、雨乞い師が「オノツカラシカル」状態になると、なぜだかわらかないけど(因果の連関があるとは思えないけれど)、その地域も「オノズカラシカル」状態になり、それが季節外れの吹雪につながった。治療家が「オノツカラシカル」状態になると、なぜだかわからないけど、クライアントやその関係者も「オノズカラシカル」状態に鎮まっていく。

ここまで書いてきて、なるほど!と思う。

ぼく自身は、自分ではこれ以上の人為的な操作も介入も出来ないような、でも自分の関係性の中での心配ごとが最大化していたときに、他者を非難や説得することは封印し、ひたすらしていたことは、これだったのだ、と。他責的に・あるいは自罰的になりそうなタイミングで、雨乞い師のように、自分自身が乱れていることに気付いて、自分自身を整えていた。それは何の根拠もない非因果的な直観だったが、後から振り返ってみると、「私も秩序の乱れた地域に居るわけで、そのために私まで物事の自然な秩序の中に居ないという状態になってしまった」状況に置かれていた、と言える。

そのときに、「僕は悪くない」とか「あいつのせいだ」とか、そういう人為的な因果の連関を探したくなる(=問題解決志向の)僕がいなかったといえば、嘘になる。でも、ひたすら、「これはぼく自身の課題であり、僕が試されている」と言い聞かせてきた。この間、ミンデルの本を読み進め、以前の本を読み返し、ユングの言葉に揺さぶられながらずっとしてきたことは、己を鎮めることであった。その中で、この一週間くらいのあいだに、様々な関係性が動き始めた。悪循環の固着状態から、良い循環性へと、流れ始めた。

不遜な言い方を承知で言えば、ぼく自身が「オノツカラシカル」状態になると、なぜだかわからないけど、僕と葛藤が最大化した人々も、「オノズカラシカル」状態に鎮まっていった、のかも、しれない。

これを指して、タオとの対話、とこれまた不遜なタイトルを付けてみる。でも、そうとしか思えないような、自らの影と向き合い、怒りや苦しみも含めて、自分自身を見つめ直し、自己否定もせず、対立や葛藤そのものの存在を認め、それを眺めている時間が過ぎていった。「オノツカラシカル」方法なんてさっぱりわからないから、本を頼りに、本と対話し、それを通じて自分と対話しながら、過ごした日々だった。絶対に他人のせいにしない、でも無理に自分を責めない、という宙ぶらりんのスタンスで、このプロセスを生きてきた。それが、もしかしたら「『道』の状態にあること」の入口に立てたのかも、しれない。

これは、嵐でうねる海の中を、羅針盤なく漂うような状態であった。それは「生きるためのファンタジーの会」で以前課題図書として読んで議論したゲド戦記シリーズの『さいはての島へ』を彷彿とさせる。実際にはこの間、姫路で暮らしていたので、航海はしていない。でも、僕の心の中は、見通しが全く見えない、嵐の真っ只中だった。だからこそ、ただひたすら、己を信じて、「私がタオに帰って、自然になにかがやってくるまで、待っていなくてはならなかった」のだ。そして、ここ数日のあいだに、その「なにか」がやってきている。これが、おそらくタオとの対話の入口なのかもしれない。

これは、他者との対話としての「水平の対話」でもないし、自分自身の振り返りや内省としての「垂直の対話」とも違う。別次元での、「オノズカラシカル」状態に至るまでの、そのプロセスを信じて待つ、タオとの対話のような気がする。

とりあえず今日の・ここまでの気づきを言語化しておきたかったので、今日のブログは備忘録メモである。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。