「弱さに開かれる」ために

650ページ以上ある大著を、久しぶりにむさぼるように読み終えた。それが、アーノルド・ミンデルの最後の作品になった『Conflict(コンフリクト)――関係性の4つのフェーズを見極め、あらゆる対立の場に変容をもたらす』(英治出版)である。

ミンデルの本は10年くらい前に集中的に読んでいて、それをブログで取り上げたこともある。プロセス志向心理学の創設者であり、身体症状化している何かといかに対話出来るかを説いている本は、非常に興味深かった。今回はそのボディワークも含めて、葛藤の最大化状態にある他者化された何か(X)と私(u)の関係性を、ミクロからマクロまで包括的に取り扱っている大著である。

この本で今回整理された中心概念は、以下の四つのフェーズ理論である。

・フェーズ1:楽しむ。対立を扱いたくない。
・フェーズ2:緊張と対立。
・フェーズ3:ロールスイッチ。自分と相手の境界を越えられる。
・フェーズ4:デタッチメント。宇宙が自分を動かすのを感じる。

コンフリクト=葛藤とは「私たちではない、切り離された「X」のエネルギー」(p62)と、自己中心的な「自分が、自分が、自分が!」と主張する「u」との緊張と対立の最大化されたフェーズ2のことを指す。そして、このフェーズ2にとどまると対立関係が続くが、ここからフェーズ3やフェーズ4に移行できるか、が課題であり、どうやったらそれが出来るのか、を色々なパターンや実例を通じて何度も繰り返し述べている。

「あなたにとって最高の教師は、誰でしょうか? 私は教えることが好きですし、教師のように振る舞っていますが、本当の教師とは、あなた自身の身体です。他の人も助けになりますが、フェーズ4における自分自身の身体こそが、最も偉大で信頼できる教師なのです。私にできるのは、あなたにそのことを思い出してもらうことだけです。」(p551)

僕にとっての最高の教師は、足の冷えである。冬になると、足がキンキンに冷える。このことについて、10年前の段階で、こんな風に整理していた。

「自覚化出来ていないストレスが溜まったり、緊張したり、身体がへとへとになったり、という「身体自身の自己主張」に、僕が耳を傾けようとしないまま放置したとき、エッジとして、つまり「身体の声の代表選手」として、猛烈に「抗議」しておられるのである。それを、僕はこれまで「足にはるカイロ」や「登山用靴下」で、冬場は誤魔化してきた。でも、それ自体がそもそも、「何とかしろよ」という抗議の内容に耳を傾けることなく、抗議の声を押さえ込むために、「まあまあ、今日はこれでお引き取り下さい」となだめすかし、騙して、沈静化させていた。エッジを「意識的にキャッチ」しようとしないから、「心身相関的な問題」は最大化しつつあるのではないか、という仮説を抱くようになった。」

10年後、本書を読みながら、足の冷えという「私たちではない、切り離された「X」のエネルギー」は何を訴えかけようとしているのか、を、本書を読みながらずっと考えていた。そこで思い出したのは、子ども時代の「冷えの隠蔽」のエピソードだった。

僕は子どもの頃、しょっちゅう風邪を引いていた。お腹を下す下痢になることがしばしばあり、母親に「また風邪ひいたの?」と言われることがしばしばあった。そして僕は母親になじられたくないばっかりに、夜中に下痢をした際は、こっそり正露丸を飲むことがしばしばあった。今から思うと、母はなじっていたのではなく、単に事実として尋ねていただけなのだと思う。彼女は頑強で風邪を引くことがめったにないからこそ、なぜ息子が何度も風邪を引くのか、が理解出来なかっただけだと、今なら思う。でも、その当時の僕は、何度も風邪を引くのは自分の自己管理の甘さであり、弱さであり、ダメなことだと深く内面化していた。もっと強くならなければ、風邪を引かないように注意しなければ、しっかりしなければ、と追い込むようになっていった。

今回、僕の冷えを、自己中心的な「自分が、自分が、自分が!」と主張する「u」と葛藤し対立する「私たちではない、切り離された「X」のエネルギー」としてみる。足先をキンキンに冷やしながら、自己中心的な「u」に何をどのように異議申し立てしようとしているのか。それをずっと考えていた。

Xは自分の内側にあり、抑圧していた、認めようとしていなかった脆弱さや不安定さ、不確実性、弱音・・・のようなものの総体だと仮説を置いてみよう。そういえば、中学くらいから、僕は強くあろうと努力してきた。小学生の頃はめっちゃテレビ好きで、だらだらと夏休みにテレビ漬けになっていたのに、猛烈進学塾に入った中学以後、依存症状態だったテレビと必死に距離を取り、苦手な受験勉強に必死になって順応していった。弱音を吐かず、弱肉強食の競争の中で勝ち残ろうと、過剰に自分を追い込んでいった。確実に安定して点数が取れるように、不確実な弱さの要素を封印し、強くなっていった。

大学院生の頃まで、それでも不確実さや弱さ、脆弱性がポロポロ出てくることがあり、それも遠因となって、同じ講座の教員から「あなたのような弱い人間は、大学院を辞めてしまいなさい!」とパワハラを受けたこともある。その当時の僕は、もっと強くならなければ、このパワハラの圧にくじけるようではダメだ、と更に強くなろうと自分を追い込んでいった。

そして、大学教員になってから20年。気がつけば、脆弱で不確実性の高い僕のXの部分は、表面的なインターフェースから見事に消えていった。大学の中堅教員として、学会でも仕事をしたり、本も出したり、中間管理職をしたり、と手堅く仕事をしていった。それが板に付いてきたあたりから、足の冷えがどんどん先鋭化していった。つまり、ぼくの中での脆弱性や不確実性がuの表層から抜けていくほどに、足の冷えという形でXが反撃してきたのである。葛藤が最大化してきた。さて、どうするか?

そこで、ミンデルの提案するのが「フェーズ3:ロールスイッチ。自分と相手の境界を越えられる」である。自分と相手の境界を越えるための、役割の転換。つまり、足の冷えというXは、自我中心的な僕=uに何を訴えようとしているのか。その他者の合理性を、そのものとして主張するのを聞いてみる、というフェーズである。足の冷えというXは、僕に何を伝えようとしているのだろうか。

「弱さや不確実さ、脆弱性は、あなたの中にも、確実にある。強がるな。無理するな。弱さを認めよ、自分の至らなさとか愚かさも、そのものとして引き受けよ。なんでそんなに弱いのだ、ではなく、人はそもそも弱いのだ。おまえも小さい頃、冷えや下痢という形で脆弱さを引き受けてきたではないか。自分自身の弱さを否定するな。弱さを弱さとして認めよ。自分自身の弱さを認められないのに、他者の弱さも認められないのではないか。誰にでも、自分が認めたくない弱さがあることを、まず自分自身が認めよ。強がらず、弱さに開かれよ!」

上記は、何も考えていないのに、勝手に言葉が出てきて、打ち込んでみたまでである。「弱さに開かれる」。それは、己の中にある他者性と出会う、ということでもある。ぼく自身が認めていなかった、気付こうとしていなかった、ないものだと思っていた他者性。それが、冷えという形で、ありありと迫ってきた。そして、この冷えが必死で訴えていることは、己の排除してきた脆弱性をそのものとして受け止める、ということである。

「フェーズ3の観点から言うと、あなたが出会う人は、すべて自分自身であるということになります。自分の中にない問題に、外界でぶつかることはあり得ません。(略)例えば、あなたにとって不快な人と出会ったとしましょう。その人は、あなたの「X」です。その「X」に当たる人の動きが足を踏みつけるような動作で、あなたの普段の「u」の動きが柔らかく流れるようなものだとします。手放して、動かされると、あなたが自己同一視する動きがその中にあるのと同時に、相手の「X」の動きも自分の中のダンスに表れていることに気付きます。ある意味、その人特有のエネルギーが、あなたのダンス全体にとっては必要なのです。深いところからみれば、対立は存在し得ないのです。」(p552)

他者化されたXは、自分の身体症状に表れるだけでなく、実際に特定の他人にも表れている。自分が不快に感じたり、葛藤や対立が生じる相手とは、その相手の中にぼく自身にとってのXが存在している、とミンデルは言う。そのXを他者化し、他責化し、叱責するのではなく、自分の中の抑圧した、見たくない何かだ、と受け入れることによって、他者化されたXと、自らのuをロールチェンジしたうえで、一緒にダンスすることができる。「手放して、動かされると、あなたが自己同一視する動きがその中にあるのと同時に、相手の「X」の動きも自分の中のダンスに表れていることに気付」くのである。

そして、Xとuが対立を越え、両者の役割を自覚化した上で、ダンスをしているうちに、フェーズ3からフェーズ4に移行していく。

「フェーズ4
無限の何かに動かされるときに起こります。このように動かされているとき、その自然発生的な動きの中にある「u+X」のエネルギーに気付くことができ、あなたのそれぞれの部分が流れ始めるでしょう。フェーズ4では、「X」と「u」の体験が、個別のu+Xの部分に分解されない、流動的なプロセスの中で起こります。ワールドワークと同様に、ボディワークのフェーズ4は、u+Xの統合の可能性と共に、そこに含まれる多様性を明らかにすることで、u+Xの対立を解決するのに役立ちます。」(p147-148)

このフェーズ4は一即多であり多即一であるような、相即相入の思想にも通じている。自分自身や相手の中にある他者性をそのものとしてうけいれたうえで、己の唯一無二性とも統合していくプロセスである。具体的にボディワークで身体を動かしながら、自他=u+Xの動きを同期させていくことができるか。これが、本書でも様々なワークを通じて追求している。

おそらくぼく自身は、この10年の間に、他者の合理性や他者の他者性という言葉を手に入れたことにより、「フェーズ3:ロールスイッチ。自分と相手の境界を越えられる」については、理解することが出来るようになった。でも、それが自分の中の冷えの正体であるXなのだ、とは、理解できていなかった。

そして、このフェーズ4を、どう実践できるか、ということが問われていると改めて思う。この本は何度も読み直しながら、他者の他者性や己の唯一無二性を重視しながら、少しずつ、フェーズ4のu+Xのダンスを、自分なりに踊り始めてみたい。そう感じている。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。