「社会モデル」を生きる一冊

松波めぐみさんが書かれた『「社会モデルで考える」ためのレッスン:障害者差別解消法と合理的配慮の理解と活用のために』(生活書院)は、二重の意味で、味わい深い1冊である。PART1はまさに「合理的配慮や差別解消法をどう理解し活用できるのか」を具体的なエピソードで描くレッスンである。この12のレッスンを読む中で、障害の社会モデルの価値前提がじわじわ読者に染みこんでいくしかけになっている。そして、後者は、書き手の松波さんが「障害の社会モデル」にどのように惹かれていったのか、のライフヒストリーが綴られている。二つのPARTにそれぞれの魅力があるので、分けて書いてみる。

まずPART1は「合理的配慮」や「差別解消法」に具体的にどう向き合えば良いのか、を知りたい自治体や企業担当者にも是非ともお薦めしたい内容がてんこ盛りである。これらの解説本は割と法解釈から始まる固い内容なので、類書は理解しにくい。でも年間80回!もこの差別解消法や合理的配慮について講演している松波さんだからこそ、具体的でわかりやすいエピソードをてんこ盛りにしながら、でも障害の社会モデルの主軸をずらさない解説が書かれている。

その上で、僕が気に入ったのは、たとえばこの部分など。

「『社会モデル』の回路を持てるようになる、とは、どういうことだろうか。たとえば、人工呼吸器をつけて生活している車椅子ユーザーを、見た目から『大変そう』と勝手に判断するのではなく、本人の地域生活がどのように(本人の意志を中心にしながら)営まれているのかに興味を持つことだ。そうすると、かれらと街中でばったり出会えたりすることの積極的意義も感じられるだろう。また、白杖を手に単独で歩行している視覚障害者は、『助けてあげないといけない存在』ではなく、『これまでに蓄積してきた経験を駆使して、(音や空気の流れ等を手がかりに、危険を予知しながら)街に出かけている人」だと見なしてほしい。そのうえで、それでも視覚障害者が歩行時に危険に直面するのはどのような場面なのか、それはどんな社会的障壁によるものなのかをともに考えてほしい。」(p210)

書き写していて改めて惚れ惚れするような社会モデルの解像度のきめ細かである。

まず文章の中に、人工呼吸器をつけている車椅子ユーザーや白杖で単独歩行する視覚障害者へのリスペクトがガッツリある。最初から「困った人」「かわいそうな人」と温情主義的に見下していない。対等な人間としての相手への敬意を持った上で、その敬意ある相手が困っている状況にはどのような社会的障壁があるか、を考えようとする。実は、合理的配慮の根源に、この視点が求められる。

「『合理的配慮』とは、障害のある人への一方的な恩恵ではなく、そもそも排除的だった職場の環境をより平等なものに変えて行く手段の一つだ。まずは『対話』を始めることが大切だが、社会全体が障害のある人を排除してきた歴史が長く続いてきたため、障害のある人と率直に対話するのは難しいと感じる企業関係者は多い。けれども、最初はぎくしゃくしていても、時間をかけて、障害のある人の経験や思いに耳を傾けてほしい。さらには『障害平等研修』(DET)を起こっている団体等にも対話の先を広げてみてほしい。
『できるだけ変わりたくない』というこれまでの姿勢から一歩踏み出す時、『多様な人がいること/対話があること』を強みとする新しい企業文化の芽が出るのではないだろうか。」(p19)

さらりと書いてあるが、実はかなり本質的な内容を松波さんは指摘している。「できるだけ変わりたくない」と思う人は、実は「既に優遇されている人」なのである。そういうマジョリティ特権的なものに無自覚で、自分が出来ていることを相手が出来ないのはおかしい・能力が劣っていると思い込み、「できるだけ変わりたくない」と思い込んでいる。ここには、出来ない・うまくいかない相手への敬意が不足しているし、そういう相手との対話が不在である。

しかも、自分たちが無意識・無自覚にであれ排除してきた・見下してきた相手と対等に対話をしようとすると、排除した・見下した側による恐れ(フォビア)が産まれる。わがままなのではないか、クレーマーではないか、理不尽な要求を呑まなければならないのか・・・。だがそこには対等な相手との対話の不在、という厳然とした歴史があるのだ。それを、バニラエア問題やインクルーシブ教育だけでなく、性の多様性など、様々な実例から紐解いていく。

しかも、松波さんは完璧な人ではないのが、この本を通じて現れていていい。パターナリスティックな反応をする自治体担当者にがっくりきたり、障害者ヘイトやバッシングで心を痛めて寝込んでしまうような、ご自身の感情も露わに表現していく。そんな、ごくありきたりな隣人としての松波さんが、権利条約や社会モデルを知り、合理的配慮や差別解消法と出会うなかで、どのように認識をアップデートできるのか、を描写したのが、PART1の魅力だ。

そのうえで、PART2は、この本が産まれるに至った、松波さんの個人史が魅力的に綴られている。

世の中ではすいすいと学びを深めて、すぐにそれをアウトプットや業績として出すタイプの人もいる。そういう人は情報処理能力が高く、英仏独などの原書をガシガシ読んで、あれはこれだ、と横から縦に翻訳して伝える力が高い。一般的に「賢い人」と言われて皆さんが想像するのは、このタイプだろう。そして、僕はこのタイプではない。

これに対置する学びとしては、自分の経験と理論や知恵を結びつけて理解するタイプの学びがある。これは、前者に比べると、とにかく時間がかかる。色々な人に出会い、経験し、その出会いや経験を反芻しながら、理論書で書かれていることや概念的な整理を、出会いや経験をくぐらせた上で、自分の言葉として記述していくタイプの知である。ぼく自身は、それしか出来なかったので、色々なことを言語化するのにずいぶん時間がかかる。

そして、前者のタイプの知識は、一点突破、というか、一つの哲学や理論、概念、研究対象を深掘りすればするほど、文章がどんどん書けてしまうので、こっちは論文化が早い。他方、後者の場合、多様な経験と学びがないと、言葉がうまく出てこない、関連付けが出来ない。だから自ずと時間がかかるし、前者に比べてアウトプットも遅くなってしまう。他の人から見れば、何が専門なのかよくわからない人、と言われてしまう。

特に、自分が現時点で明示的な障害を持っていないけれども、障害のある人や、障害者への差別、あるいは障害の社会モデルが気になった場合、障害を持つ当事者から沢山教わりながら、学んでいくしかない。だからこそ、法律用語ならすぐに言葉に出来るが、その法律用語が障害のある人にどのように結びついているのか、を自分の言葉で語るにはめちゃくちゃ時間がかかる。僕も、未だに精神医療だけで単著が書けていないのも、そのせいだ。そして、松波さんも時間をかけて、本書を言語化された。

この本のPART2は松波さんが「どのような経緯で『障害の社会モデル』を知って納得したのか、そしてなぜ『障害者権利条約』に関心を持ち、なぜ京都の条例づくり運動に関わったのか、そしてどのように現在のライフワーク(研修などを通した、『社会モデル』の考え方の普及)にたどりついたのか」(p7-8)を、インタビューされながら語り下ろす形式である。

自分で語るのではなく、障害当事者の仲間に聞いてもらうという作戦があるのか、とその方法論に一本取られた。自分語りは放っておくと冗長な自慢になりかねないが、尊敬する仲間に語る場合は、そのような過剰な自意識は引っこ抜かれるし、何より、他者に聞かれることによって、自分語りなのにポリフォニックになる。これがいいなぁ、と思った。

その上で、実は松波さんは同じ大学院の別講座で学んでおられ、障害を研究テーマにし、障害者政策にもコミットして、という意味で、僕とは結構近い領域だけれど、なかなか接点を持てなかった。阪大の大学院で人権教育を学んでおられて、障害学の翻訳も書かれ、ニューヨークで権利条約の成立過程も見ておられ、京都で介助者をしてはるけど、どんな人なのだろう、というボンヤリしたイメージしかなかった。

それが、この本を読むことで、「なるほど、彼女はご自身の生き様を、ライフワークにつなげておられるのか」と繋がってきた。障害者運動にコミットすること、介助をすること、講演や執筆活動をすること、という目に見えていることの背景に、ご自身の家庭における宗教問題や、アムネスティで学んだ人権意識など、様々なバックボーンがあって、同和教育や人権教育の研究へと松波さんが突き進んでいく、生き様のうねりのようなものが、読んでいて体感できる。そして、そういうバックボーンがあるからこそ、障害者の仲間(ally)として、どのように社会モデルを自分事にしていかれたのか、が体得できる。そして、松波さんは多くの障害のある友人と出会い、障害者運動や社会モデルと出会うことで、彼女自身も自己解放されていったのだろうな、とPART2を読みながら感じることもできた。

というわけで、読み応えがありまくりな1冊である。合理的配慮や差別解消法の勉強会にはもってこいの1冊だし、自分たちで読書会をして、松波さんに研修講師で来てもらったら、めっちゃ学びがいがありそうだ。ぼくの3年ゼミでも早速後期の課題本にしてみようと思う。久しぶりに自分の専門で、魅力的な1冊に出会えた。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。