創造的な出会いとエフェクチュエーション

神吉さんから教わって『エフェクチュエーション 優れた起業家が実践する「5つの原則」』を読む。実はある時期、U理論を始めとした複雑系理論の本を読み囓って、「ボランタリー・アクションの未来 : 障害者福祉政策における社会起業家の視点から」という論文も書いたことがあったので、非常に興味深かったし、馴染みのある世界だった。この本の詳しい紹介は、著者のお一人の吉田さんが解説記事を書いておられるので、そちらに譲るとして、ぼく自身がオモロイと思ったことを書いてみたい。

エフェクチュエーションとは英語のeffectuateの名詞形である。そして、この単語をウェブ辞書で引くと「to do something or make something happen(何かすること、あるいは何かを起こすこと)」と書かれている。つまり、変化を引き起こすことやそれの生成プロセスについて描かれている本である。そしてそれは、不遜ながらぼく自身が携わってきた「変化の引き起こしのプロセス」とも通底していた。

この理論の提唱者、サラス・サラスバシー が、エフェクチュエーションの対義語として定義したのがコウゼーション(causation)である。これは因果関係のことである。ロジックを組み立てながら、原因と結果の因果関係を積み上げていくやり方である。PDCAというのは、計画→実行→評価→行動という4つのロジックを因果論的に繋げて、それで自己点検しながら物事を進めていこうというコウゼーションである。職場でも「自己点検・自己評価」のような形でこの種のペーパーワークへの記述が求められる。これを「計画制御」とも言っている。

だが、機械の操作ではなく、人間のコミュニケーションに基づく相互作用に計画制御は不適切だ、と喝破する安冨歩さんの本を読み続けるうちに、コウゼーションの限界を深く思い至った。安冨さんも、こんな風に書いている。

「社会をよりまっとうな方向に動かしていくためにすべきことは、創造的な出会いを通じて、一人一人が自分自身の真の姿に恐れず向き合う勇気を持つことである。暗黙知の十全な作動が価値を生み出すのであり、そのためには創発の作動を疎外するものに勇気を持って目を向け、取り除かねばならなない。個々人のこの努力を背景として、人々は創造的な出会いを積み重ねることが可能となり、それが社会の要素たるコミュニケーションの質を高める。組織もまた同じように、自らの真の姿に直面し、それを改め、社会という生態系のなかにふさわしい地位を見出す必要がある。それは個々人の創造性の発揮を促すことではじめて可能となる。」(安冨歩『経済学の船出-創発の海へ』NTT出版、p258)

「社会をよりまっとうな方向に動かしていくためにすべきことは、創造的な出会いを通じて、一人一人が自分自身の真の姿に恐れず向き合う勇気を持つことである」というフレーズは、今読んでも格好いい、しびれるフレーズである。ただ、じゃあどうしたら「創造的な出会い」ができるのか? 「創発の作動を疎外するものに勇気を持って目を向け、取り除」くためにはどうしたらいいのか?という具体的な問いが生まれる。エフェクチュエーションの理論は、それにヒントを与えてくれる方法論である。

「まず起業家は、『何がコントロール可能で、何が不可能か?』を考えたうえで、コントロール可能な要素に集中して、新しい行動を生み出そうとします。『手中の鳥の原則』と『許容可能な損失の原則』は、いずれもこうした発想に基づいていることがわかるでしょう。自らがすでに獲得している手段に基づく行動は、未入手の資源を前提とする計画よりもコントロール可能性が高いため、手持ちの手段に基づいて『何ができるか』を発想するというのが、『手中の鳥の原則』でした。また、将来どのようなリターンが得られるかよりも、現時点での自分がどのような損失を覚悟できるかのほうが、やはりコントロール可能性が高いため、後者を基準にコミットメントを行うのが『許容可能な損失の原則』でした。」(p150)

今回は、ぼくが山梨時代に取り組んで来た、県や市町村における障害者自立支援協議会の立ち上げや、その運営支援に当てはめて、振りかえってみたい。

ぼくが山梨学院大学に赴任したのは2005年、30才の時だった。その当時、障害者の法制度が大きく変わる時期で、ぼくはそれ以前からその制度改革の動きを審議会資料などを読み込んで、分析していた。段ボール箱数箱分くらい、印刷していた。その中で、制度改革の問題点について、山梨に移ってからも講演する機会があった。そのうちに、「自治体レベルでこの制度をうまく使いこなすなら、自立支援協議会こそ要だ」と必ず最後に言っていた。市町村や圏域単位で、行政と民間事業者と家族会・当事者会などの各種ステークホルダーが集まり、その地域の課題を話し合う会議体を新しくつくることが努力義務となった。従来の自治体と障害者団体や事業者との交渉は、ごく一部の関係者による「要求・反対・陳情」が多かったが、これを開かれた場での「連携・提案」型に変えるプラットフォームを自治体がつくる必要がある、と銘記されていたのだ。これはチャンスだ、と話をしていた。

最初は、「自立支援協議会は、従来の自治体福祉政策を開く鍵になる」というアイデアだけが、ぼくの手中にあった。また、ぼくは山梨に引っ越してすぐで、山梨に何の接点もなかったので、山梨の福祉関係者とつながることは、損失よりもメリットの方が多いと考えていたので、多少それで負荷が増えたり失敗しても何とかなるだろう、と「許容可能な損失」だと考えていた。だから、積極的に講演を引き受けていた。

すると、「クレイジーキルト」や「レモネード」に出会うことになる。

「『クレイジーキルトの原則』によって、相互作用をした相手から自発的なコミットメントを獲得出来れば、起業家の手持ちの手段と『何ができるか』は拡張し、環境に対するより大きなコントロール可能性を手に入れることができるでしょう。また、結果として予期せぬ事態が起こった場合でも、『レモネードの原則』によって偶然を機会として活用して新たな行動を生み出すことで、もともとの計画に固執する場合よりも、状況に対するコントロール可能性を高めることができるでしょう。」(p150)

ここからは、以前書いたブログ記事を引用してみたい。

「山梨に赴任して1年ほど経った、春のある日の講演会の後、「ご挨拶がしたいのですが」、と名刺を差し出されたのが、山梨県障害福祉課の土屋さんだった。「自立支援協議会についてご相談があります」、とのこと。この土屋さんとの出逢いが、僕自身の仕事を大きく変えるきっかけになる出逢いになるとは、その時は思っていなかった。

聞けば、山梨県でも相談支援体制の整備や市町村の地域自立支援協議会の立ち上げ支援をしようと考えている。その際、国は学識経験者などを「特別アドバイザー」として市町村に派遣する事業を作っている。この事業を活用し、山梨県の特別アドバイザーになってもらえないか、というご依頼だった。まさに、自分が言っていることを「やってみなさい」というチャンスだった。行政と連携提案が必要、と理念で分かっていながら、この前まで大学院生で、どうやって良いのかわかっていなかった。で、1年間で出逢った山梨の現場の人にアドバイスももらい、就任条件として、①県内の市町村の現場を全て訪問したいので、行政の人が同行してほしい、②僕だけでなく、障害当事者も特別アドバイザーにして、二人体制にしてほしい、という二つの条件を提示した。①については、「県庁が市町村を呼びつけて」という批判をしばしば耳にしていた。②については、一人だけでは不安なので、東京で自立生活センターを手がけ、僕と同時期に山梨に移住されてていた今井志郎さんと出逢い、彼とご一緒するなら、何とかやれるかもしれない、という思いがあった。そして土屋さんは、この無理難題に近い事を聞き入れて下さったので、こちらもいよいよ「口だけかどうか」が試されることになった。」

少し前まで大学院生だった、31才の若者に特別アドバイザーを頼んでくる土屋さんは、今から思えばすごく大胆というか、肝が据わっていたと思う。実は後に彼は合気道家だとわかり、土屋さんの通っておられる合気道の道場に連れて行ってもらい、ぼくもそこで稽古を始めて、山梨を出る年には弐段まで頂いた。公私ともにものすごくお世話になった出会いだったし、彼はどんなこちらの無茶ぶりにも立派な「受け」をする、優れた合気道の兄弟子でもあった。

そんな土屋さんは、ずいぶん大胆な依頼をされたし、その依頼に対してぼくもずいぶん高い要求を出した。今から振りかえると、これはお互いにとって、「相互作用をした相手から自発的なコミットメント」を引き出すためのコミュニケーションである。でも、優秀な県庁職員の土屋さんは全ての条件を引き受けてくださった。そして、ぼくは講演して回る「批評家」ではなく、実際に市町村変革の支援を行う「プレイングマネージャー」に変化したのである。

また、この仕事は本当に「予期せぬ事態」だらけだった。前例踏襲が基本のお役所を相手に、新たな何かを一から提案しても、「できない100の理由」を沢山言われる。それを「出来る一つの方法論」に変えるためには、相手の「何がコントロール可能で、何が不可能か?」という「手中の鳥」を理解しなければならない。だからこそ、土屋さんと共に、28市町村を全て訪問するだけでなく、圏域単位の会議などに何度もなんども足を運んだ。その往復の車中で、土屋さんと議論をしながら、各市町村の内在的論理を学び続け、各自治体に「やってよかった協議会」と言ってもらえるポイントを模索していった。その中で、「もともとの計画に固執する場合よりも、状況に対するコントロール可能性を高める」可能性に気づいて、こちらが当初思い抱いていた案をサクッと捨て去ったことが何度もある。これは、土屋さんやもう一人のアドバイザーの今井さんと何度もなんども議論しながら、作り上げていった部分であった。

そのなかで、市町村や圏域単位の「自立支援協議会」の立ち上げ支援を行い、県でも自立支援協議会をつくったので、その流れで座長も引き受ける。この自立支援協議会は行政の協議会なので、ある種コーゼーションで動く会である。だが、ぼくはその中でも、エフェクチュエーションの要素を入れ続けていった。これを、エフェクチュエーションでは飛行機のパイロットの操縦に例えて説明している。

「オートパイロットシステム(コーゼーション)とパイロット(エフェクチュエーション)の両方を活用できる場合、どのような問題がパイロットでなければ対処できないといえるのでしょうか。
エフェクチュエーションがとりわけ有効に機能する問題空間には、大きく3つの特徴があると考えられています。第一に、未来に関する確率計算が不可能である『ナイトの不確実性』、第二に、選好が所与ではない、もしくは秩序だっていない『目的の曖昧性』、第三に、どの環境要素に注目すべきか、あるいは無視すべきかが不明瞭である『環境の等方性』です。」(p151)

行政のシステムは作り上げるのも大変だが、でも「仏造って魂入れず」がいかに多いか。それを体感してきたので、「魂を入れる」ためにこそ、座長や特別アドバイザーとしての「パイロット」の操縦技術が問われ続けていると思う。

前例踏襲というのは、「未来に関する確率計算」が一定程度可能であり、目的も秩序だっていて、どの環境要素に注目すべきかは大体外さずに分かる場合に、初めて機能する。その場合は、事務局がつくった資料にそって淡々と議論をすればいいし、それはある種の「オートパイロットシステム」である。そして、それであれば、座長や特別アドバイザーの役割は、ぼくである必要はほとんどない。

ただ、福祉的支援や制度は、社会状況の変化の中で、大きく変わっていく。20年近く前、とある自治体でヒアリングをしていたら、「障害の子を持つ母親が働きたいなんて言うんですよ! 我が子なのに可愛そうではないでしょうか?」と公言する課長がいた。障害児のいる家庭でも共働きが当たり前になってきた現在では明らかにアウト!であるが、当時はまだ、家族丸抱え福祉がデフォルトだった。また、昨今ではヤングケアラー問題が大きくクローズアップされているが、あれは精神疾患の親や認知症の祖父母の在宅ケアが不十分だから子どもにしわ寄せが来ている、という意味で、福祉的支援の不足の顕在化事例である。あるいは、昨今では意思決定支援の重要性が叫ばれるようになり、それを成年後見制度に重ね合わせて、どのように制度化するか、も課題である。

そういう新たな福祉的課題は、「未来に関する確率計算」ができず、目的も秩序だたず混沌としていて、どの環境要素に注目すべきかも目鼻立ちがつかない。だからこそ、そういう事象に関しては、オートパイロットシステムからエフェクチュエーションにモードを切り替えて、共に模索するやり方をするしかない。これは、後に携わった国の障害者制度改革推進会議の総合福祉法部会でも、あるいは三重県での特別アドバイザー経験でも、また山梨や兵庫で続けている自治体の障害福祉計画策定や、兵庫県社協の生活支援コーディネーター研修などの各種の研修の仕込みでも、全く同じである。誰も「正解」をしらない、あるいはまだ「正解」がわからないからこそ、「手中の鳥」を探し、「許容可能な損失」を見定め、「クレイジーキルト」のようにコミットしてくれる同士を探し、偶然かき回された「レモネード」に「乗っかって」、その流れの中で物事を作り上げていくしかなかったのだ。

そうやって、13年間山梨でやってきたことも、その後兵庫に移り住んで新たに出会った現場でも、気がつけばエフェクチュエーションのモードで動き続けてきた。また山梨の最後のタイミングでオープンダイアローグの集中研修を受けたことによって、ぼくのエフェクチュエーションの精度は遙かに上がったと思う。場をコントロールや制御しようとする姿勢も手放し、「いま・ここ」で起こるや、その場に参加する全ての人の声を聞くことで、導かなくても勝手に流れが出来ていく場面がかなり増えてきた。すると、エフェクチュエーションの理論にぼくの実践から付け足すとすれば、「ただただ聞くこと」がこの回路を回す上で、ものすごく大きな鍵になると今では感じている。そして、じっくり聞くことによって、固着した関係性や場が開きはじめ、物事が動き始めるのだ。

それは行政審議会であろうと、大学の授業であろうと、1on1のミーティングであろうと、全く変わらない。その場で、自分が「ただただ聞く」ことを大切にして、その上でエフェクチュエーションのモードに切り替えて、柔軟に動いていけば、時には葛藤が最大化するような場面であっても、場はそのうちに鎮まるのである。

というわけで、エフェクチュエーションの本の紹介というより、エフェクチュエーションの理論を通じて自分のやってきたことを振りかえるようなブログに仕上がった。自分の先入観に居着くことなく、新たなオモロイ何かと出会い続けるためには、いかにこの回路を開き続けるか、が鍵だと改めて言語化してみて気づけた。そして、研究者「にも関わらず」、社会起業家と同じフィードバックループを回し続けている(というかそうせざるを得ない状況におかれている)人はあんまりいないかも、と気づいた。

そして、この20年かけて、「創造的な出会いを通じて、一人一人が自分自身の真の姿に恐れず向き合う勇気」を少しは持てたのかもしれない、と思い始めている。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。