夏休み期間には、割とガッツリした大著が読める。この夏はなぜか研究会で二冊の人類学の大著を読んだ。一冊は以前ご紹介した、アナ・ツィンの『摩擦』。その次に読んだのが、デヴィッド・グレーバーの『価値論』(以文社)である。(グレーバーといえば、以前『ブルシットジョブ』を読んでブログも書いている)
人類学の分厚い記述は、迫力はあるのだが、正直読むのに骨が折れる。途中でお経を読んでいるような苦しさを何度も味わう。にも関わらず、異なる文化・異なる社会の記述を通じて気づいた人類学者の発見・分析には、目を見開かされるものがある。
「ほとんどの人々は、広い意味での社会化にずっと多くの時間を費やしている。ここでいう社会化には、育児に限らず、人間をかたちづくるために必要なすべての行為が含まれる。このような定義によると、社会化は、青年期で終わるものでも、それ以外の無理やり決められた、恣意的な期限で終わるものでもない、継続的なプロセスとなる。人は一生を通して、ほとんどつねに自己の社会的位置や役割、地位を変化させる過程にあり、変化した新しい立場においてどう振る舞うのかを、そのたびことに学ばなければならない。つまり、人生とは絶え間ない教育の過程なのである。
私自身は、このことが無視されてきた一つの大きな理由は、単純な性差別ではないかと思う。」(p118)
このフレーズの迫力に気づけたのは、ぼく自身が子育てするなかで、「絶え間ない教育の過程」としての「社会化」してきたと痛感するからである。そして、42才で子育てをはじめる以前は、「単純な性差別」の眼差しを内面化し、この「社会化」の側面を「無視」してきたひとりだと感じる。
近代社会、特に戦後日本社会は「育児に限らず、人間をかたちづくるために必要なすべての行為」を「ケア」と名付け、それを女性に押しつけて「不払い労働・再生産労働」と押しやってきた。カネにならない、仕事に付随する労働なのだから、女にさせておけ。男は金に直結する生産労働をしているのだから、再生産労働をしている女より価値があるのだ。そういう発想が、能力主義や生産性至上主義と結びつき、この社会の支配的な認識になっていった。
だが、それは一面的な考え方である。賃金や対価を生み出さない「社会化」は、人を成熟に導く。
「人は一生を通して、ほとんどつねに自己の社会的位置や役割、地位を変化させる過程にあり、変化した新しい立場においてどう振る舞うのかを、そのたびことに学ばなければならない。」
これって、例えば会社や組織でポジションが上昇した時、権威や権力を持つようになった時、それを適切に行使できるのか、ハラスメントをするダメ上司になるのか、現場感覚を抜け出せず自分で抱え込んで自滅するのか、という人の振る舞いの差異にも直結する話だと思う。
49才の今年、教授に「復帰」した。前任校で39才で教授になったが、43才で現任校に移った際、准教授に「降格」採用された。多くの人は驚いたし、何でそんなことをするのですか、とも聞かれたことがある。確かに年収は150万以上下がったし、その面ではトホホ、だった。でも、42才で子育てをはじめた際、中間管理職になっていた僕は、あのまま前任校にいると、きっと「○○センター長」とか役職に就いていただろう。それは、子育て中心に舵を切れないということだった。現任校に移動し、降格することで、給与は減ったが、それと同時に責任も減り、時間的余裕が増えた。そのことによって、子育てにじっくり向き合うことが出来たからこそ、子どもや妻との関係性のなかで、ぼく自身は沢山のことを学び続けた。給与と肩書きを手放す代わりに、「変化した新しい立場」において、ケアに関する学びを深めることができた。その6年間の時間的余裕があったことは、僕にとって、ある種のサバティカル、というか、成熟へと導くきっかけになった。
「ピアジェにとって、成熟するとは、自己を『脱中心化』することである。つまり、自己の関心や観点は、単により大きな全体性の一部であること、そしてそれが他の関心や観点に比べてなんら本質的な重要性を持たないと理解することである。」(p111)
能力主義や生産性至上主義の虜になっていると、自己中心的になる。自分の業績、自分の成果、SNSでの自己アピール、自分への評価・・・といったものに囚われてしまい、自分のことで精一杯になる。自己責任論の蔓延する社会では、それが称揚される。
だが、成熟すること、つまり社会化することは「自己を『脱中心化』すること」だと理解すると、大きく視点が異なる。ぼく自身も、家事育児というケアを通じて、娘や妻のおかげで、三人でケアしケアされるなかで、ものすごく強固だった自己中心性を、少しずつ脱中心化しはじめている。確かに次の本の原稿が書けた、とか、講演が上手くいった、とか、それはそれで満足である。でも、それと同様に、それ以上に、娘が綺麗な字を書けるようになった、繰り上がり・繰り下がりの計算ができるようになった、家族三人で温水プールでガッツリ泳いだ・・・といった、娘の、そして家族関係でのなにかが、自分の業績や成果と同じように、大切になる。そういう経験の積み重ねの中で、「自己の関心や観点は、単により大きな全体性の一部であること、そしてそれが他の関心や観点に比べてなんら本質的な重要性を持たないと」やっと「理解」出来るようになったのだ。
成熟や社会化が遅すぎるではないか、と突っ込まれそうだが、「人生とは絶え間ない教育の過程」なので、今頃でも気づけただけ、よかったと自分で勝手に評価している。
「政治の究極的な課題は、ターナーによれば、価値を領有するための闘争でさえもないのだ。それはなにが価値であるかを確立するための闘争である。」(p147)
これもめっちゃわかる。僕は子どもが生まれる以前は、業績中心主義こそが価値である、と思い込んでいた。だからこそ、論文を書きまくらなければならない、講演を引き受けねばならない、と必死になっていた。でも、子育てをし始め、生産性至上主義から戦線離脱をせざるを得なくなってはじめて、「なにが価値であるか」を再考せざるを得なくなった。放っておけば死んでしまう赤子、その赤子のケアに必死になる妻を放置して、自分だけが業績を積み重ねることに本当に価値があるのか? この問いは、ではぼく自身がどのような価値観を手放し、新たな別のいかなる価値を大切にするのか、を、突きつけた。まあ子どもが1,2才になるまで、そんなことを考えも出来ないほど、怒濤の日々だったけど、そこから少し余裕が出てきた段階で、自らの価値の再定義、というか、認識のアップデートをし始めた。それは「人間をかたちづくるために必要なすべての行為」にコミットするからこそ、見えてきたことであり、「変化した新しい立場においてどう振る舞うのか」を必死になって考えてきた。
だからこそ、僕にとっては『家族は他人、じゃあどうする?』というエッセイは、ある種の「価値の選び直し」を宣言する一冊になった。この本を書いている数年間は、これまでの自分の生産性至上主義の価値観の、どの部分は手放し、残すのか? それ以外の価値観をどう自分の中に組み込めば良いのか、を書きながら考えていた。そういう政治的営みの言語化だったので、今となっては「子育ては親の育ち直し」という副題は、なかなか言い得て妙なフレーズとして仕上がったと思っている。
「市場が存在しないところでは、孤立して暮らしたいと望まない限り、自由とは主に、誰と、どのような義務関係に入りたいかを選ぶ自由である、ということを人は必然的に知っている。」(p347)
このフレーズも、身にしみる。僕はそれまで、自分を社会的に評価・承認してくれる外部者との関係性を豊かにしてきた。だからこそ、講演や研修は嫌がらず、そこで評価してくれる場合は継続的に仕事を引き受けてきた。
でも、子どもが生まれた際、本当に身を切るような思いをしたが、一旦、大概の仕事を断ってしまった。それは本当に圧倒的な危機の中にいる赤子と妻との義務関係に入る以外の選択肢がない、と、子どもが生まれて気づいてしまったのだ。でも、妻子との義務関係を選び取ったからこそ、僕は仕事や社会的評価への虜・あるいはワーカホリックという依存症から距離を取る「自由」を得られた。この自由を得られた後だからこそ、また姫路に引っ越して、降格して、責任も関係性も一度リセットされたからこそ、「誰と、どのような義務関係に入りたいかを選ぶ自由」を手に入れることができた。そして、40を越えてから、この自由を手に入れられたのは、まさにプライスレスな価値であるとも、遅まきながら気づきはじめている。
嫌なものは嫌、とはっきり言えるようになってきた。無理して仕事を引き受けたり、詰め込むこともなくなってきた。子どもや妻との時間を最大限に確保したいからこそ、仕事は選んで引き受け、誰とどのように義務関係が出来るのか、を吟味するようになった。それは、自分にとっての余裕にもつながってきた。
「人間はなにかをつくる前に、それがどのようなものになってほしいのかを心の中で思い描く。だから私たちは別の可能性も想像できる。その意味で、人間の知性は本質的に批判的なものである。」(p102)
そう、僕が子育てやケアに関与するなかで、「脱中心化」のプロセスを通じて、成熟=社会化の機会を得られた。それは、生産性至上主義にはまり込んでいたぼくにとって、「別の可能性を想像」する機会につながった。そしてグレーバーはこの別の可能性を想像することを、「批判的」と述べる。ここも決定的に重要なポイントだ。
批判的、という言葉は、ディスるとか、論破とか、人格攻撃とか、とにかく否定的に捉えられやすい。でも、本当は、「別の可能性の想像」こそが批判的なるものの本質なのである。生産性中心主義の社会は何だか変だ、という批判は、今その論理にはまっていて、生きづらさを抱えている人を、ディスったり、論破したり、ましてや人格否定をするためにしているのではない。そうではなくて、もっと別の可能性を想像した方が、生き心地はよくなりませんか、という建設的な提起なのである。対案が出ていなくても、何だか変だ、と口にしてみることで、ではその変な何かはどのような価値に基づいて形成されているのか、別の価値前提に置き換えるとしたら、どのような可能性や選択肢があるか、を考えてみることができるのである。これこそが、創造的な行為としての批判なのだ。
というわけで、書き上げてみれば、グレーバーの価値論の読書案内や書評ではなく、本の一節に感応したぼく自身の「社会化」や「脱中心化」に絡めらながら、結構沢山のことを書いてしまった。グレーバーはマダガスカルの民族誌で博論を書いたあと、最初の単著としてこの価値論を書き上げた。かれは、人類学者として、マダガスカルという異なる文化や価値の体系を分析した上で、別の価値のありように気づいた。それと比較は出来ないけど、もしかしたらぼく自身は、子育てを通じて、生産性至上主義とは異なる文化や価値に出会い、それを通じて考えを深めてみた、という意味では、人類学的思考をちょびっとだけ、し始めているのかも、しれない。